「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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昼前から外に出ました。本日もポカポカお日さまの行楽日和。私はスポーツセンターDEPOまで自転車の旅。私は今、冬に備えて防寒出来る服を物色しています。今日で3か所まで巡りました。いつかは買うその物を安いところ探しを楽しんでいるのですが、こうした経過を得てそれを買った日は通常の3倍くらいニコニコしているように思います。私は買い物も楽しめるようになっているみたい。 夕飯にはお豆腐のハンバーグと青梗菜のスープを作りました。昼間は気温が高かったけれど夜になると家の中はひんやり。スープに片栗粉でとろみをつけて体の中から温めるようにしました。 適度に満たされたお腹で「明日は何が出来るかなぁ?」と浮かべました。この頃いろいろなアイデアが浮かび「あれもこれも、全部出来たらどんなにいいかな〜」と出来た自分を想像してワクワクしています。楽しい楽しい。本当に楽しい毎日。感じたままに動くとこんなにも楽しいのです。 そして、ワクワクの日常にも考える材料はたくさんあるのです。その一つは子どもから届いた手紙でした。子どもはペンを持った時の喜怒哀楽をそのまま文字に残しています。私は時々、返事の言葉に迷うことがあります。子ども達と再会した後はこのようなことが私の生活の中に入って来ると思います。やさしいだけのお母さんでよいのなら今すぐにも出来る。でもそれでは私が苦しいと思うのです。子どもからの手紙は「私はどうするの?」を練る機会だなぁと思いました。私は子どもの心に共感することは大切。けれど感情に巻き込まれていては過去と同じになると思うのです。 そして、私に出来ることは私の心に丁寧に向き合うこと。よりシンプルに未来につながる言葉で伝えること。自然な私に寄り添って、未来に向かった伝え方を練習します。名付けて「未来語の練習」。
結婚していた頃は家族の為や特別な何かの為に工夫を凝らしていた料理。独身になってからも食事は作っていたけれど、作っている時も食べている時もどこか他人事のようだった。一人の食事の時間、私は時々ロボットになった。 「自分の為に料理を作ったことがなかった」と気付いたのは2ヶ月くらい前。おいしいという感覚から遠くに居て「体のため」とか「食べなきゃいけない」と無意識のうちに言い聞かせて食べていた。時期を逃して痛んだものも我慢して食べるものだと思っていて、我慢している自分が不思議だった。 我慢の元は子どもの頃カビの生えたものを食べさせられていたからだと気付いたことがきっかけになった。 萎れて小さくなった野菜を見て「これを使えば節約になる」と、節約出来る楽しみに変った。「料理なんてしたことがないよ。塩と砂糖で料理が出来るの?」と思っていたのに、全く不思議なことだけれど「こういうことしたことがあるような気がする」と思えてきた。台所に立つとワクワクした。 最近は舌先に意識を持っていくと「この食材とこれが合いそう」とアイデアが浮かんでくる。視線の先にレシピを研究している人が浮かぶ。あの方達はこうして新しい料理を開拓してきたみたい。そしてそれは私にも出来ることだったのだなぁ〜なんて。楽しんでいるうちに出来ていくことの不思議さが楽しい。持って生まれた味覚を大切にすると別の世界を知ることが出来る、ということの証。 今日は夕食に玉ねぎとウィンナーと卵のチャーハンを作った。副菜はヤマトイモの酢合えと大根の皮の甘辛煮。食べながら、明日の予定を浮かべて楽しむ。「生きているんだなぁ」としみじみ思う。きっと、私の感じたことをそのまましているから。 楽しく生きるための楽しい食事。ここにも独りで生きることの楽しみ。私はいつも「楽しみ」というお風呂に浸かっているみたい。
今日は枇杷島方面庄内川沿いをサイクリングしました。途中で休憩しました。すると美しい鳥の鳴き声が。見上げると、あるのは一面の空。鳥は今こそ私の真上に居ると思わせるように澄んだ声で泣き続けているのに私は鳥の姿を探せません。少し向こうには蝶のカップル。2匹の蝶はまるで吹く風のじゅうたんの上に居るかのようにダンスをしていました。地面には土色のバッタが「その先に何があるの?」と追いかけたくなる早さで飛んで行きました。自然は心惹かれる不思議がいっぱいで時間はあっという間に過ぎました。 自転車をこぎ始めるとアスファルトの行く先々に、ある物体。そう、殿様バッタなのです。出会うたびに自転車を止めて捕まえようとしましたが、近寄ることすら難しい〜。それに、その飛行距離の長いこと…。けれども最後に見たバッタさんは強風にあおられて前に進んでいませんでした。バッタの王様も自然の風にはかなわなかった。けれどバッタは怒りません。いつも自然に生きているのです。 午後はサンプル本を読みました。私の本は不思議な本です。 一人一人の人格のページは「この子こんなに苦しんでいて、いったいどうなっちゃうんだろう?」とハラハラするのに、最後は楽になって安心して過ごしています。その安心が私の心に伝わって私も安心するのです。不思議な本だなぁ〜。
私今、一人暮らししているんだ…なんて、今までも同じだったのに改めて感じている。独りで過ごすっていいな〜。 今日は外に出てサンプル本を読みました。ミスの数が昨日よりも5個くらい増えました。たぶんまだ増えると思います。でも、落ち着いた今だからこそ見つけたような感覚もしています。 読んでいるうちに新しいアイデアが浮かんできて、そちらをしたくなったので家に戻りました。それから、ホームページにカウンターを入れようとあれこれ試しました。でも今日のところはWeb上にUPせず様子見で終わり。 一番最初のホームページを見ていたら、隠れていた掲示板を見つけました。2008年にまとめ作業を初めた当初、毎日のように隠れ掲示板を見つけて慌てて大変な思いをしていたなぁと懐かしく思いました。それから、いつ見つけてもいいのだけれど今見つけてよかった…と。 夕方5時ごろから散歩に出たら、あっという間に暗くなりました。時は流れて季節はもう冬。
今日は午前中にパソコンがおかしな動きになって、解決した時にはメールボックスのメールが全部なくなっていました。すっきりした受信箱を少しうらめしく眺めて、Why?Why?原因不明。なくなったものは仕方がないので原稿が終わってて良かったなぁと思いました。 遅めの昼ご飯を食べて夕方まで名刺作り。出来たと思ったらパソコンさんが「問題が発生したのでソフトを閉じます」と言って、上書きせずに閉じてしまいました。そんなぁ〜。Why?Why?消えてしまったものは仕方がないので「今のは練習だったのよねぇ」と1回目よりも手なれた体制でもう一度作りましたが、今度は印刷がどうしてもうまくいきません。Why?Why?出来ないものは仕方がないのでプリンター会社に問い合わせることにしました。アクシデントに時間を使った一日でしたが1つずつしていくと何かが出来ていくので面白かった。 体重を測ってみるとまた痩せていました。体重計さん間違えてるよと思いたくなる数値。Why?Why?動かずに間食をしているのに痩せちゃうなんて、食べる量が足りないということかしら?そういえば、私は一度にたくさん食べることが出来ないように思います。たぶん胃が小さいのだと思います。 気温が下がってきて寒さ対策が必要な季節になってきたのでもう少しお肉を付けることにしました。ということでお肉と油を使った料理を作って、食欲を手伝ってもらえるようビールを飲みました。私はちょっと酔っぱらった自分のすることが面白くて好きです。ほろ酔いのお目目でスーパーの広告を見て「しまった!今日はサンマが80円だったのに…」と思いました。でも、きっと又安い日があるのだからいいのです。いつもマイペース Mamo の一日でした。
サンプル本が出来ました。 中を見ると、見た目の改良を加えたこともあって前回の本よりも落ち着いているように感じました。その文章の方は、既に幾つかの脱字を見つけましたが丁寧にした結果のことだと捉えました。読んで頂く方々には訂正の紙を入れさせていただくことになると思います。 したいことがある。そのことに近づいていることにワクワクしています。
この頃節約出来る買い物を工夫して楽しんでいます。その方法の1つは広告を見て安いものを1品だけでもそのお店に買いに行くことです。スーパーによっては時間制限をしているところがあるので、違う時間帯に売っているものを買うために1日に2回同じお店へ行くこともあります。数件のスーパーのチラシを見ると価格戦争のようですし、店内を歩けばそれなりに安いものが目につきます。以前は「安いから買っておこう」と手を伸ばすことがありましたが、最近は次の安い時に買う先送りと一つだけを買ってくる面白さも楽しんでいます。節約も先送りも楽しいのです。
新しいことを楽しく進めているうちに少しずつアイデアが浮かんで、その事を進めているうちに次のアイデアが浮かんで、そんな一日を終えて「少し落ち着いたなぁ」と感じた日。楽しんでいる自分を見ているのがまた楽しい。人生は楽しみでいっぱいで、こんなふうに感じる私は「私と私が一緒になった」なんていうことも感じているのです。この感覚を持ったときは心から安心するのです。この安心が私をさらに未来に導くの。安心という風に吹かれて軽く飛んでいくみたい。
今日は有志会。私は日々の気付きと出版に関する先の予定のようなことを語りました。 実は、まとめ作業は紆余曲折の中で日々が過ぎ、今もまだその雲の中に入ったり出たりしながら、新しい世界への好奇心に導かれるように先を見ることが出来ています。そのために、気付いた方がいらっしゃるかどうかわかりませんが、本の話をするとき人格が変わってしまいました。でも、その人格が語っていたことは、私が日を置いて語ることのような気もするので適材適所を実感しました。 私にはまだ人格が残っています。話は変わりますが、離婚前の時期、ある人格が元夫と自分の関係を見て「私が受け入れられて嬉しくても他の人が苦しんでいる。それを見ていたら私も苦しい」と言ったことがあります。私は数ヶ月前から、人格が出てくるたびにこの言葉を思い出すようになりました。私は、私を後ろへ引っ張る人格は要らないと思っています。けれども私に条件を付けたら私は苦しいのです。いろいろと試す中で気付いたのは「私に寄り添う」ということでした。そして、これらの事は私が自分と対峙し心の傷を癒やしつつ楽しみを探せる私を生きるうちに自然に解決されること、とも感じました。 新しい体験が私を導いてくれると思っています。そうしているうちに私も私自身のこととして本のことを語れるようになるのでしょう。 ということで、これからも私の感じていることに心を傾けて私に寄り添う Mamo を生きます。
昨日と今日の二日間、「間を持つ感覚」を楽しみました。例えば他者にメールを送る時、書いたメールを一晩置いている間に「私の書いたことが元で何が広がるかなぁ?」と想像してワクワクしました。今朝はそんな経過を経てワクワクしながらメールを送りました。届いた返信を、他者と私の間に境界線を引いて眺めてみると、人は皆自身の心の一部を言葉や文章にしているのだなぁと改めて思いました。 私の心は1分1秒変化しているのですから、一日の内に感じたことを1回ごとに表現しようとしたら幾つの単語が何回並ぶことかな?その中からやさしさにつながる言葉を選んで表現していたら、そしてその動きもいつかはプラスの形になると捉えると、その自分を持続させたくなります。そして、毎秒変化する私と対峙することが私をよりやさしい大人へ導くと、自身の体験を通して感じています。
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