「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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午後3時半。「もういいよ。書きたいこと全部入れた」。一番最後に綴ったのは好奇心に導かれて始めた野球のことでした。 1時間後、会社に原稿を届けました。校正作業は一応終わりなので、これで本当に「出・来・た」になると思います。 印刷のし直しを決めてから今日までの2週間は心の面でも文章の面でも貴重な時間でした。間違いは少ない方がいいけれど、今回の事ではお金をかけた分だけ成長できたと思えています。 一息付いて「何をしてきたのかなぁ?」と、この1年8カ月を思いました。ただひたすら作業をしてきたけれど…。そう。私はベトナムでまとめ作業をしてきて、帰国してからも続けてきて、そしてついにその成果が形になって、もうすぐ我が家へやってくる。 そう思うと、まるで部屋中の全てのものが、目に見えない空気さえも私の気持ちに共感しているかのように思え、体の真ん中を開いて喜びをそのまま取り入れたくなりました。 来週にはサンプル本のチェック作業の仕事があるというのに、すでに充実感の中に居る Mamo でした。
校正の途中で興味深いことがありました。原稿の中に「2、3歳の頃バギーに乗っていて…」と始まる10行くらいの文章があるのですが、後に続く内容はバギーとは別のことなのです。読んでいた心の父が「バギーがどうなったのか気になる」と言いました。私は「なるほど!」と思いました。読者の皆さんは書いていることを元に皆さんの頭の中で内容を展開させて下さっているのですから、余計なことを書いたらそのことが気になるということなのです。確かに私も、文章の中の一つが気になって別の方向へ向かうことがあります。文章というのは本当に必要なことをシンプルに書くのがいいのだなぁと。 そして私はこの小さな指摘が興味深く、そんなふうに書いていた自分が愉快でもありました。なぜかな?分かりません。とにかく楽しかったのです。それは道でつまずいて転んだ自分に笑ってしまうような感覚でした。
自分の本を読むと、過去に気付いたことの中で、今でもそのようにしていることがあります。 と、気付いた所から変えていけばいいですよねぇ。 間違いは出来るだけ少なく済むように、そして間違えた時には、私はその自分をすっかり認めるのが好きです。私の親は事実をうやむやにしたりごまかしたりしたので、私は親に自分を語ろうと思わなくなりましたし、どこかで冷めた視線で親と距離を置いていました。それは 「私の感じたこと」を大切に出来ていた証だったのだなぁと今気付きました。それに、私は私を守っていたのですよねぇ。 そして私も親。この私も間違えることがあるのです。間違えた時にはそのまま全部認めるのが好きです。私には「次」があるからです。
私は私を守るということをすればいいのだなぁ…と。このように捉えると、例えば不快なことがあった時にも「私を守ること」をするだけでいいのだから楽だなぁと思います。 そんなことを思いつつ、先日から数日間「私を守る」を意識して動いてみました。「私に寄り添う」とか「私を大切に」とかいう言葉も浮かんできて楽ちん。この事を意識する前よりも少しやさしい私に育ったと思いました。
今日は運動の日。 公園の木に向かって空手のけりの練習をしました。私は回し蹴りが出来るようになりたい。でも下半身に力がないので足を回してけりを入れると足元がフラフラします。 今は本のことを優先しているけれど一段落ついたら又運動をたくさん取り入れる予定です。 そんな私の視界に「やさしい瞳」が映りました。それは、未来のずっと向こうが透き通って見えると言わんばかりの澄んだ目でした。その向こうにはマシュマロの形をした丸くて白いベッドの上に寝転んで体をフワフワさせて遊んでいる私が居ました。ベッドに口を近づけてみると甘い香りがして、唇をペロンとなめてみたら本当に甘かった…。なんちゃって。
夕方、つま先歩きの散歩をしました。ちなみに、つま先歩きでは「ふくらはぎ」の筋肉を使います。私の足は30分も歩くと、つま先歩きになれて、踵を付けて歩こうとするとつま先が「もっと使って」と言います。足の持ち主としては大腿筋も使って上と下を公平にしてあげたいので、少し立ち止まって体に言い聞かせてから再び歩き始めます。しばらくすると、つま先が「あ〜気持ちいい」と言います。
今日は誤字脱字の理由で破棄することになった印刷物を目で確かめに行きました。 工場には印刷途中の私の文章が積まれていました。紙とインク代がもったいない。環境にも悪い事をしたなあと反省。もっと丁寧を意識します。 その後原稿の打ち合わせをしました。話し合いには代表取締役専務と担当の男性と窓口になって下さっている女性とが出席して下さいました。 先日から「何かなあ?これ…」と不思議に思っていたことが今日明らかになりました。それは、皆さんが私の「これを印刷して下さい」という言葉を待っているということで、「私を中心に回っている」ということになるのです。私はこれまで他者の指示に従って動いたことはありますが、印刷をお願いしているのですから当然なのですが、他者が私の指示を待っているということが不思議だったのです。それに私を待っている人々は私よりも大きな体格の男性と、私よりも年を重ねた女性と、体は同じくらいかもしれないけれど私よりも若い男性。それが過去の夫や母親や弟に重なっていて、その3人の方が一度に「我々は菅野さんの決めた日に本が出来るように動きます」と言って下さる様子に不思議な感覚を覚えるのです。実際には、私はお客さんなのでお店の人が私の言葉を待って下さるのは自然なことだ思うのです。私は「お客さんになるのは面白い」と思いました。癒やしの作業にも利用できそうです。そして私は「これを印刷して下さい」とお願いするのです。私のできないことをして下さってありがとう…。
本日も校正が楽しくていい感じ。今日はその中で新しい発見をしました。内容を書くのは先送りになるのですが、2冊目が楽しく書けそうだな〜と先の楽しみが増すような発見だったのです。 休憩時間には家の中がもっと快適になるようにあれこれ工夫を楽しんで、時々「私って天才かも…」と独り言を言います。何をしても楽しいということは何をしていても楽しいということなのです。
この数日、校正作業がいつもに増して楽しいのです。既に作ってしまった20冊誤字脱字バージョンをうまく校正して読めるようにする方法が見つかりそうな予感までしています。 体が疲れたら部屋の中で何かしたり外に出たりします。時々ベットに寝転んでボーっとします。ボーっとの時間に2冊目のアイデアが浮かんだりして、結構貴重な時間になっています。つまり、私の心に耳を澄ませる時間を持つこと、なのですよねぇ。
今日は運動の日。一日中屋外で体を動かしました。長崎アゲハを3回も見ることが出来ました。生まれてから後に見たアゲハの中で最も大きく優雅に見えます。私もアゲハのように空を舞いながら自分の人生を生きよう。
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