「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2009年09月09日(水) 好奇心

 興味深いことに気付いた夜。題材は「好奇心」。
好奇心の中で動いていると次の好奇心が浮かびます。その好奇心の中で楽しんでいるとその次の好奇心が浮かびます。これまでのことを思い返してみると、私の好奇心は次から次へと移動していたのです。
「固執」という言葉があります。その事にいつまでもしがみついていることだと思いますが、好奇心がつぶされていた時期、心が満たされない私はいつも小さなことにこだわり、あるいは出来たことにしがみつきました。人が1つのことを楽しんで違う楽しみを探し楽しみたくなるのは自然なことだったのです。私はいろんなことを楽しんだ分だけ新しい世界を知ります。

 固執:自分の意見を頑なに主張して曲げないこと・過去の印象や特定の行動などが心に中に残っていてそれが反復出現する事(広辞苑)


2009年09月08日(火)

 ジャコウアゲハが交尾をしている写真を見て思いました。
「2匹の体がくっついている部分は命の元になる者同士が出会ってキスをする場所。二つの命の元が一つになって新しい命が出来る場所。だから、きっと体の中で最も柔らかいだろう」。
映画の中できれいな男女が愛を楽しむシーンは性の自由を感じることが出来ますが、2匹のアゲハの交尾のシーンは命そのものの素朴さや生きもとしての原点を感じることが出来ます。
アゲハのカップルに偶然にも新しい命が出来たとしたら、このアゲハ達は命をつなげるという仕事をしたことになるでしょう。そして反対に新しい命にならなかったとしても、その美しさで人を楽しませるという仕事をしたことになるでしょう。
 私の命がアゲハのように柔らかい体の中で誕生したのだとしたら…。そんなことを思っているうちに、その瞬間に帰りたくなりました。けれど私はもう生きて43年を過ごしました。37歳からはいのちというものを何度も実感してきました。その私がすることは、これまでとは違った形のことだと感じました。このように思う私の命は既に柔らかさの中で誕生しているのだから。
私の仕事は、人は柔らかさの中で誕生しそのまま生きていけるということを伝えることのような気がします。それは私を語ることから始まるのだと思います。私は物事を素朴に伝えられるよう、全身を自然に柔らかくして生きましょう。アゲハの自然な写真を見て、命の在り方を思った夜でした。


2009年09月07日(月) 価値

 私は今日、初めての体験をしてみました。それは過去にも私の人生の中にあったものですが、私にとっては初めてのことでした。思い返して感じることは、私は心を通してその体験をしたということ。それからその事は私が望んでそうした、ということ。「一般常識の全ては感覚で掴むと私を楽にしてあげることが出来る」と改めて思いました。いろいろなことを感覚で掴む事が出来ると、仮に私の感じたものが過去に躾けられた常識の一部と一致したとしても、それまでとは違う価値あるもののように思えるのです。不思議です。


2009年09月06日(日)

 自分のしたいことがある時、それが人生にとって大切なものである時、その事に集中するとした分だけ中身の濃いものになります。このことは人々とおしゃべりして過ごすことやのんびり散歩をしたりプールでゆったりすることとは違っています。これが「する・動く」ということにつながっているようです。
こんなことを体感して、又私の中で新しい感覚が目覚める予感がしています。体がムズムズするのです。まるで土の中から新芽が出るように新しい細胞が芽を出そうとしています。体の芯から沸き起こる〈くすぐったさ〉は土を掘り起こす感覚だと思います。


2009年09月05日(土) 偶然の喜び

 心友達に文章の校正を手伝っていただきました。校正は流れの中で偶然に出来たことでしたが、私はいろいろな方に校正を手伝っていただくことが出来てうれしいです。それに「私は」を控えた文章を肯定される指摘を受けました。このことも嬉しいのです。


2009年09月02日(水) 存在

 夕方の散歩。冷たい風に秋の到来を思いました。夏祭りや花火大会など、時の催しはその時期、まるでそれがあるからこそ夏を体感できるかのように人々を魅了していたのに、過ぎてしまった今は日々の生活の奥に押し込まれるように跡形もなくなくなりました。私は本作りに時間を使っているせいか、一時のにぎわいが例年よりもさらに小さな存在に感じられました。
 その本のことを思いました。今は最終のチェックをしています(と、何回書いたかしら…)。どんな方が読んで下さるのかな?どんな方に読んでもらいたいだろう?と浮かびました。。
私は私の本を心のある方に読んで頂けたらいいなあと思っています。ですから、そのような存在として人々の心に残るよう、私は心を通してキーボードの上の指を遊ばせています。


2009年09月01日(火) 動く楽しさ

 今日は住民票を中村区に写しました。(私は今日まで千種区民だったのです)。してみると安心しました。そしてこんなことを思いました。
私は動くということをするとその事が動いたように変わるのです。「するということをする」という発想と同じで、そのことを体感したようです。
変化するという現象に興味が湧いたので、動くということを意識して動いてみました。
区役所を出て警察まで足を延ばしたら、免許所の住所も変わりました。そこに「臓器提供のカード」が置いてあったので、新しく更新しようと思い付いてカードを持ち帰りました。動いた場所で違う発想が浮かんでその事も出来るようになりました。ということは、今まで何気なくしていたことは全部「動いたから出来た」ことだったのですねぇ。
私のことが私が動いた分だけ変わるなんて、なんて楽しいのでしょう。私はますます動いてみたくなりました。「動く」ということは愉快なことです。
(愉快:楽しく心地よいこと 広辞苑)


2009年08月31日(月) 少しずつ

 印刷会社へ行きました。紙質と色を決めて、見本を作る段階になりました。文字の配置などに関する私に出来ない微調整は印刷屋さんの方でして下さるそうです。文章の方に集中できるので助かると思いました。
それで、私の方で原稿の最終チェックをしてメールで送ったら見本を作って下さるという相談をして、印刷代の半額を支払いました。大金を持って、最初は緊張しましたが(このお金で本が出来るのだ)と思うと嬉しくなりました。お金は心の父に借りました。私はこの1年半でたくさん借金をしています。私は毎日プラスの生活を続けて、心を基準にして借りたお金を心を基準にしてお返ししようとしています。このようにして、いろんなことが少しずつ進んでいます。


2009年08月30日(日) メッセージ

 人のメッセージには私を主体にしたものと他者を主体にしたものがあります。私は以前『親業』という本の中で「あなたメッセージ・私メッセージ」という呼び方を学んだので、今でもその呼び名で使い分けています。日本の社会で他者を主体にした「あなたメッセージ」が広まっているのは、私を含めた人々がその事を学ぶ機会がなかったからだと思います。その詳細は上位下達の社会に生かされ自分を伝えると罰を受けてきたことで、そうすることをあきらめさせられてきたということです。 
 私は「人はよくても悪くてもお互いに何かを引き出しあう」と日々感じています。特に言葉はいつもライブですので、聞いた瞬間にダイレクトに心に届き、私の場合はよく巻き込まれます。よいことに巻き込まれた時は嬉しいです。反対に悪いことに巻き込まれた時は嫌な気持ちがします。私は自分の体験を踏まえて、人々と語り合う時「私を語ること」をいつも意識します。忘れることがありますが、思い出した時にはもう一度意識しなおして練習をしています。
 又、私はこれまでに、自分よりもお若い方の言葉に感心させられる事が多々あります。若い方の言葉には柔軟性があるのです。私はその柔らかさに触れた時(若い人は私よりも赤ちゃんの年齢に近く心が柔らかいからだわ)と思いました。ご自身を心から素直に語る青年に会ったこともあるので性別は関係ないと思います。
それに、言葉は心から発せられるものですので、生まれたままの心を大切にしつつ若い方の考え方を取り入れるともっとやさしく語れるようになれると思っていますし、そんな機会がある時にはよく利用します。
女性と男性の場合も会社の上司と部下の場合も同じことが言えると思います。「上意下達」が「下意上達」になると社会が柔らかくなるという発想も持っています。
そして、この社会の始まりは私からなのです。私が私にやさしい環境を整えてあげること。私は私自身からやわらかさを引き出せるように、私メッセージを使います。


2009年08月27日(木) やさしさ

 午後、印刷屋さんへ2回目の打ち合わせに行きました。今日は表紙の紙質や原稿の出し方などを勉強しました。時々専門用語が入るので分からない事は質問させて頂きました。お尋ねするとそれが何か分かるので「質疑応答」というのは面白いなあと思いました。
 家では本の編集をしました。私は過去から、何かあっても動くということは出来る人なのです。でも過去は心を離したまま動きました。
私はこれから、いつも心も一緒に連れて歩きたいな。いいえ、心を先頭にして・心を通してするということをしたい。私の心の目に私自身が映っていれば、それでいいのです。私は私に楽なもののみを取り入れます。
私が私自身の心の目で私を見ると、心でするということが出来るように思います。今動いている指先も、私の心を通過して動いています。私の体は私の心で包まれているのです。
 夜、部屋にある「赤ちゃんが発する言葉」の貼り紙を見ていたら、心が安心してきました。
私は私にやさしい言葉を使い私に一番やさしく生きたい。この事は、きっと近い将来語り合えるであろう子ども達のプラスの母を持続させるための条件のようなものです。私が私にやさしくなって安心して過ごせるなんて、私はこの条件を大切にします。
 


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