「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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雨ふりにつき予定していたコインランドリーを中止して、外出はトイレだけになりました。灯油が少ないので節約して電気毛布に包まっての仕事です。 今日もあっという間に時間が過ぎました。私は今書く世界にこもっていると思います。それでも時々落ち着かなくなります。すればいいことが分かっているのになぜかなぁ?と自分に問うと、全部が初めての手探りの中「出来上がり像」が安定する前だからだと分かりました。私はきっと、現物を目の前にするまでは「あれがどう?これがどう?」と言っているのだと思います。今日気が付きましたが、私は今、束ねた文章以外は「ゼロ」の状態から、本という一つの「形」を作る作業をしているのですねぇ。初めてのことをするいう視点で見ると、これまでで最も「初めてのことを長く楽しめている」と思います。 今日から「章」というのを意識することにしました。
印刷したものを読んでいると新しい考えが浮かんできます。やっと「この引き出しを土台にした物を作りたい」と感じられるようになりました。 一昨日、一番上の子どもから手紙が来ました。住所が伝わってよかったです。その子はもうすぐ高校生になります。手紙の内容から、私がどのように生きているときも、子どもは子どもの人生を歩いているのだと実感させられました。
夜、校正用の印刷に、用紙とインク代を節約するために実際のサイズに近い形で印刷してみることにしました。ところが枚数が多いせいか今までのように行きません。紙詰まりが続いたときは「あ〜もう嫌だ…」と思いましたが「丁寧」を思い出して自分を導きました。ところが残り30ページのところで紙が2枚運ばれてしまいました。ページ数がずれてしまって、どうにもつなげられません。その辺りから刷り直しをして、全部で1時間くらい掛かりました。 出来上がったとき嬉しくて、校正のための印刷なのに既に本が出来たような気持ちになってしまいました。が、明日はこれを見て校正を丁寧に進めていくのです。今夜は枕元の右と左において寝ようかしら…。寝返りが出来なさそうだから机の上において寝ましょうっと…。
温かい一日。日中はストーブを消して窓を開けて仕事をしました。この頃は一日中パソコンの前に座っていることが当たり前になっています。 昼過ぎに郵便局まで散歩に出たら、部屋の中と違って外は強い風。でも、私はいつも部屋の中に居ますから意図的にお日様に当たる必要があるのです。 夜、お風呂屋さんを出てお空を見上げたら、満月でした。日本に帰ってから初めて月を見上げた夜でした。私の心も満月のようにまん丸。文章作りも「なん○」です。
| 2009年03月09日(月) |
未来予想図 Part 5 くらい |
明け方3時半にトイレに行ったあと本のことを考えていたら目がさえてしまい、今日も5時半に布団から脱出しました。朝早い時間は寒いですが、私は早起きが好きなのです。朝ごはんを済ませてせっせとまとめ。大きな引き出しが出来ました。 私は今の引き出しを成長の証としての一つの形に出来たら(出来た分だけ)「いつか一人に」限りなく近づく予感がしています。もしも私の予想が当たったら…いろいろなことが浮かんできます。
どの方法で引き出しを選べばいいのか分からなくて、帰国してからずっとモグラのように生きていました。 ベトナムに居る頃、日本の父が私の文章に投資金を出して下さいましたが、今日はとうとう「お金を返して」と言われてしまいました。私はきっと、的の外れたことをしていたのでしょう。仕方がないのでお返しするという方向で少し使った分を頭で計算して伝えました。それから「こんなことってあるんだ…」と思いました。でも、もともと私のお金ではないのです。今あるお金で生きていけばいいのだから、それでもかまわないと思いました。 ところがその後、引き出しを選ぶ方法を見つけたのです。それは「そんな方法でいいの?!」というようなものでした。私は「本を作る!」と構えすぎていたのです。もっと楽に構えていたらすぐにも分かりそうなことだったのに…。マイナスパワーは強力ですから、Mamõ ちゃんはいつも能力のリストが自分の次に大切になりました。 帰国後13日目にして、私はやっとトンネルの中から抜け出すことが出来たのです。これからは順調に運びそう。よかったよかった。本当によかったです。
少し前の話になりますが、帰国した翌朝郵便物の整理をしていたら、子どもからファシリテイターに当てた手紙があってびっくりしました。 事情は、子どもが私宛に私の日本の住所に届いた手紙に、ファシリテイターが「今はここには居ませんよ。手紙はどうしますか?」と手紙を出して、その返事が来たということでした。私は子ども達にはベトナムの住所を知らせると約束していましたし、越南した後に日本に手紙が届いていたことも、ファシリテイターが手紙を出していたことも知りませんでしたから本当に驚いて「私宛の手紙なのに、なぜ尋ねてもらえなかったのかしら?」と不思議に思ったり「そのようにしたことを何故知らせてもらえなかったのかしら?」と怒りが湧いたりして埋もれました。 でも数日を経て、何事もプラスに考えた方がお得だと思うようになりました。何故なら、私は子ども達と離れた頃よりも楽になっているのですから、何があってもあの頃よりも悪くなることはないと思えるからです。ということで、前向きな考えを持っている自分を感じてうれしく思った出来事でした。
寒い朝。4時に目が覚めて眠れない。「どうせ起きるのだから」と5時ごろ布団から脱出した。「新聞屋さんはもう起きているかしら?」と上着を羽織って外に出たら、外はまだ暗いのに新聞は投函されていた。こんな朝は新聞屋さんに「ありがとう」。外は曇り模様で寒そう。少し遠くの百円ショップまで買出しに行く予定だったけれど延期にした。 帰国して初めて一日中まとめ。時々外を眺めて吐く息の白さを楽しむ。昼過ぎにはあられが、庭の落ち葉の上にタチタチ音を立てて落ちた。 することをしているとあっという間に時間が過ぎた。夕方5時半、作業を終わりにしてもう一度外を眺めた。日中のあられは雨に変わっていた。思案しているのはお風呂屋さん。雨だから自転車ではいけない。「温まりたいけれど帰りに体が冷えるのもなぁ〜」ということでお風呂屋さんも延期にした。おなべにお湯を沸かしてたらいに注いだ。お風呂の変わりに“足浴”。足が喜んだ。 今日の外出はトイレだけ。と言いたいところだけど、漬物が食べたくなって買い物に行った。ローソンで買ったパックの白ご飯と漬物とゆで卵を食べる。3回に1回くらいワカメのスープをすする。お腹は7割ぐらいで満たされた。残ったご飯にラップを貼りながら、コンビニの白ご飯を食べることがあるなんてと、その場所とは無縁だった過去を思い出して笑えた。 パジャマに着替えて布団を敷いてその上に寝転んだ。部屋をぐるりと見渡す。昨日寒さ対策に買ったマットを眺めて「かわいい柄だなぁ」と自己満足。マットだけにとどまらず、天井もすりガラスも部屋の中全部が面白い。楽しいなぁ一人暮らし。気楽だなぁ一人暮らし。どうしてこんなに楽しくなってしまうんだろうと不思議な気持ちがする。明日もいい日だといいな。きっといい日だろう。明日は天気になったらマイチャリで散歩に出よう。
帰国の朝、6時半頃目が覚めました。ご飯を食べて荷物をまとめ、8時に部屋を出てフロントへ。後半のホテル代は11日分で121ドルと洗濯代30000ドンでした。 その後、長く住んだ分いろんな話をしたオーナーの娘さんとタクシーが通る道まで歩きました。娘さんはもうすぐ離婚されるので「新しい人生を楽しみましょうね」と話をしてお別れしました。 通勤時間のために、道路はバイクでいっぱい。空港に着いたのは通常より20分遅れの1時間後のことでした。 持ち込み荷物の検査で引っかかってリュックの中身を全部出して検査になりました。こんなことは初めての上、心当たりがありません。リュックには乾きたての下着をそのまま押し込んでいましたから机の上に下着が並びました。でも気にしている余裕がありません。散らばった下着を見ながら(これも衣類の一種に過ぎないなぁ)と思いなおしました。 定刻の11時5分。ホーチミン発タイペイ行きの飛行機が飛び立ちました。(長く住んだ土地よ、又ね)という思いが自然に浮かびます。機内のテレビ画面の地図からベトナムという国が消えたとき、ベトナムが遠くなったようで寂しくなりました。そしてすぐに、一年間暮らせたということがうれしくなりました。 タイペイで、乗り換えのために飛行機を降りました。今度はセントレア域の飛行機に乗るのです。そのタラップを歩き名古屋へ向かう飛行機に足を一歩踏み入れたとき 「ここから又始まる」 と思いました。つまりベトナムの生活は私の人生の途中の一こまであるということです。 タイペイの空は曇っていました。(今日は町が見えないなぁ)と思っていたら、飛行機が雲の中を通過して上空に出た途端にまぶしい太陽の光が差し込んで、窓枠いっぱいに雲のじゅうたんが広がりました。そのきれいなこと。(あの上を歩いてみたいなぁ)とは、いつの時代も思うことです。 午後8時、飛行機はセントレアに到着。迎えに来ていたファシリテイターと数ヶ月ぶりに再開しました。外に出ると冷たい空気に一瞬身が引き締まりました。暑いところから寒いところへ帰ってきたことを意識に入れなおしました。 車が道を走り始め、道路に出て日本語の看板が並んでいるのを見ていたら又寂しくなって、とうとう涙が出ました。こういうのを「逆ホームシック」と言うそうです。私はベトナムに心のふるさとが出来たのだと思います。一年間楽しい出来事がたくさんあって、又行きたい・住みたいを持って日本に帰ってきたのです。 新しい家に帰ってきたのは夜10時過ぎでした。日本の父が家の掃除などをして暖房器具も揃ってあったので、私は「自分の家に帰ってきた」という気持ちになりました。私の新しい生活が始まったのです。
朝起きて何をしようかと吟味して、午前中はまとめをして午後から荷物の再点検をすることにしました。それから、今日は一日一人で過ごすこと。最後の日に「ベトナム」を感じたいからです。 散歩に出たら、顔の皮膚が、やけどをしたあとのように引きつって、恐怖映画に出てくる人々と同じに見える人が物乞いをしていました。私は傍を通るとき怖くて目を逸らしました。 しばらく歩いてもその映像が離れませんでした。 自分はどうして「怖い」と感じるのかなぁを自分に問うているうちに、それは子どもの頃に恐怖映画を見たり、周囲の人々にそのような写真を見せられて脅かされていたからだと思いました。例えば「ゾンビ」という言葉がありますが、そのような言葉だって、いつかの時代に恐怖映画を作った人が考え出した言葉だと思うのです。それなら、その映画を見なければ、今の自分は平気なのか、それは分かりません。けれどこのことを探求した私が今「怖い」という感情が自分の心の傷から来ていることが分かって安心した、ということは私の感じたものは私にとっては正しいと思いました。それから今度はその人と話が出来るような気がしました。
時々「日本に帰る」ということを寂しいなぁと思います。私は日本に居てもベトナムに居ても楽しい自分が居ます。することがあってそれを進めることも楽しんでいます。そして「寂しい気持ち」が湧いてくるのは何故か、不思議です。 友人と会えなくなるから?違うのです。今はコンピューターというものがあって、私は世界のどこに居ても話したいとおもう人と連絡を取ることが出来るからです。それなら「ベトナムで生きたいと思っているから?」これも違うのです。私はどこの国でも自分を試して生きていけるし、いろんな国に行ってどこに居ても生きられる自分を感じたい気持ちすらしているのです。 それなら、寂しいという気持ちは何故?。分からないけれど、Whyを探しているうちにその気持ちは何処かへ行ってしまいました。
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