「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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テーマに分けて振り分けをしていたら面白くなってきて、あっという間に夕方になりました。 何も出来てないとかまだまだ成長していないとか思っていたけど、出来ていることはたくさんあって、出向いたそれぞれの社会でプラスの足跡を残してきた私がいたのだね。それが分かって安心した。
今日の夕ご飯は「おかゆ」でした。さらさらのお粥の汁の中に、小さいけど生き物の足の骨のようなお肉が入っていました。これは牛や豚や羊ではありません。尋ねてみると、それは「ウサギのお肉」でした。歯ごたえも味も牛や豚と同じでした。 ちなみに先日、犬の肉が出てきましたが、こちらは食べられませんでした。食べてみればたべられるのかもしれませんが、食べてみたくなってから口に入れるのが一番おいしいと思います。食べ物も振り分けです。
夕方庭に出たら、友人のお母さんがバイクで何処かへ行くところでした。 「どこに行くの?」 「あっち。Mamo、行く?」 「行く行く」
行き先は分かりませんでしたが、面白そうなのでバイクの後ろに乗りました。
バイクは家から10メートルくらい走ったところであぜ道の中に入り、そこでお母さんが「着いたよ」と言いました。 乗り物に乗るにはあまりの近さに不思議に思っていると、お母さんがあぜ道の奥にある田んぼを指差しました。見ると、薪木が束になっておいてありました。 お母さんは薪を運ぶためにバイクを使ったのです。
私も薪を積むのを手伝いました。(力仕事を手伝うと運動しなくていいなぁ)と思いました。 帰りは、私はバイクに乗れないので家まで走りました。 3回往復した頃、日が暮れて仕事も終わりになり、お母さんと二人で「楽しかったぁ・疲れたぁ」と歌いました。 普段と違うことをして、本当に楽しかったです。
今日は日記に「ベトナムの梅の花のこと」を書く。どんなふうに書こうかと考えながら散歩に出た。 Cuchi の道は、舗装がしてあるところはだいたいまっすぐ続いてあまり曲がらない。弊害物のない道の両側に田んぼが、やっぱり永遠に続く。 大通りに面した店では、あちこちのお店で正月用の飾り菓子が並び、それは豪華に見える。片側2車線の道路は、買い物する家族を待つバイクで埋まり1車線仕様になる。 大通りから1本奥に入ると民家が並ぶ。大きな通りの賑わいとは対照的にしんと静まり返っている。その民家ではこの時期、庭の木の葉を付き始めた芽をつぶさないように避けて、むしっている人をよく見かける。 その木の名前は「ホアマイ」。日本語にすると「梅」になるけれど、もともとは「オクナ科」という種類の花だそう。 この木が「ホアマイ」と名づけられたのには次のような理由があった。 中国の文化が色濃いベトナムの国の人が、中国の旧正月の頃に咲く花を探したところがこの花に辿り着き、ベトナムに迎春花としてある桃の花のように飾ることを思いついた。 けれど、その木は茂った葉の中に小さな花を付けるため、そのままでは梅のように見えない。そこで人々は人為で葉をちぎり、梅の花のように見せているそう。つまり、中国の文化を真似ているということらしい。 民家の人々は葉をちぎる作業に忙しそう。その道を散歩する私は、(私なら散歩に行きたくなるなぁ)と思いつつ、民家を通り過ぎた。
家に着いて、思いつくままキーを打った。指が止まったときは、予告したことを反省した。 書き終わって考える。(二つの日記を一つのテーマでつなげてみたかった。昨日の日記の続きになっているかな)。 それからこんなふうに思った。(日記の文章で遊べてよかったな)。
今日はホーチミン市の銀行へ行きました。市内は旧正月の花市場のための準備が進められていました。街中は通常より人も多く、みなさん準備中の花飾りの前で写真を撮っていました。 数日前に知ったのですが、ベトナムでは旧正月に「梅」の花を飾るそうです。こちらの梅の花は黄色です。
昨日の続きで「野球の引き出し」が完成しました。テーマが限定されているので、たんたんとまとめることができました。 夜、友人のご家族に「来週引越しをします」と伝えました。これから少し、引越しの為の動きをします。 本を書くという仕事があっても、先にしたほうがいいことがあるときはそちらを先にします。 優先順位に添って動くとはこういうことですね。必要度の高い順にしていくと、その後の動きが楽ですから、あとの動きをしやすくするための優先順位で動いているようです。つまり、いつもするということをしていると楽に動けるのです。
今日は「野球」の引き出しをまとめました。 と書いて気付いたのですが、私は今日、まとめをしていたのですね…。 でも、いいのです。本のスタイルについて「このようにしよう」という全体像が出来たせいか、「つなぎ」も流れで出来そうな気がしてきたのです。
夕方は、自転車で散歩しました。 家の近くの川の流れは適度に速くて途切れることがありません。澄んだ水が周りの田畑を潤して、あちこちに「ため池」のような池があって魚の飼育をしています。 いつかその川の行き着く先を見たいと思っていましたが、今はもう私のイメージは市内の道を散歩している自分。川上とは反対方向なのです。 でも、どちらに向かう私も、流れの中で感じるままに歩いているのです。
今日は、まだ別の人格が居るということを改めて認識した日です。そしてそのままを受け入れた日です。 私はいつも何処かで、他の人格がいるということをイヤだなぁと思っていたのです。 「もう大丈夫だ」と思いたかったのです。だけど違っていたということです。
ところが、しばしの時間を経てある思いが浮かんだのです。そしてこの思い付きで、私の心に一つの変化が起きたのです。 それは、人格に関する私の思いが一山超えた感じなのです。「これでいいのなら…例えば子ども達にも人格の話が出来るような気がする。うん、出来そう」の感じなのです。 ただ、その思いは、本の引き出しに収めることにしたので先送りです。つまり、まだここに書くほど纏まっていないということなのです。そして、発見した感覚を満足するまで感じたいのです。
まとめ方をもう一度吟味しているうちに、(これが適切かな) と思える一つの方法が見つかりました。ところが、日にちを経て、その方法にするであろう確立が高まってくるにつれ、ある理由から、(どうして?) とか (どういうこと?) とか、驚きに似た感情が湧いてきました。その理由は、私が最近見つけた方法は、まとめを始めた頃に(この作り方が作りやすいな)と感じた方法だったからです。 でも、そのときは自分の感じたことに確信がなかったので、違う方法も試しました。 そして今回又同じことを感じたのです。この感覚は最初に感じた感覚よりも確かなものになっています。きっと、10カ月経験した分だけ確信を深めることができたのだと思います。
なんと、1月5日から「考える思考」が大きくなっていたことに、今日気が付きました。 原因は一つのメール文。大人はあなたメッセージを使います。私はよく巻き込まれます。 けれど、「おかげ」という言い方は変ですが、おかげで私も危険な場所から離れることが出来るようになりました。 プラスのMamoちゃんでも、きつい言葉は傷つくのです。これが人として生きる私なのです。そう考えると、本来もっと以前から自分を守る必要があったのにね。でも、それが出来なかったのにはそれなりの理由があるのです。だから、いいのです。 たまたま今日も同じようなことが起きました。つまりあなたメッセージというのは日常にあるということで、言葉というのはよく吟味して口から放つ必要があるということです。
そして今はこんなことを考えています。 もしも世界中の人々の口から私メッセージが放たれたら、空気中にどれだけの愛が放たれることでしょう。人々は愛のこもった空気を吸ってどれだけ健康になることでしょう。誰かと会話するということをしてどれだけ自分を満たすことが出来るでしょう。 過去の私のように 「社会はマイナスだから誰とも話が出来ない」 とか「誰にも話しかけられたくない」とか思って、内にこもる必要がなくなるのです。
よしっ! Mamoちゃんはもっと自分を守れるようになりましょう。もっと遊べるようになりましょう。
それにしても、考える思考の中に居ても「する」ということをしていられた自分だったことは興味深い結果です。このようにしていられたのは、自分を責めなくなったからでしょうか。 それとも自分と他者と社会の全体を見れるようになったということでしょうか。はたまた地球の全体を見れるようになったということでしょうか。 いえいえ、このように言う私は今、地球の外から地球を眺めていますから、もっと大きなスケールで宇宙目線で見れるようになったということでしょう。 あららぁ…。またまたワクワクしすぎて、どこかへ行ってしまいそうです。
昨晩から思っていたことは、書くときのアイデアは読むときのアイデアに比例するのではないかということです。 私は、多くの書物を読んだ人は読んだ分だけの種類の書き方を知っていると言えると思います。 私も本はいくらか読みましたが、今思えば私の読み方は「読み解く」ではありませんでした。このことは、私の語彙の少なさや単語の意味の知らなさが証明してくれています。それなら今からたくさん本を読めばいいと解っても出版は約2,3ヶ月後に控えていますから、優先順位が違います。私が今したいのは「書く」ことです。
そんな中、「書く」をテーマにした読み応えのあるHPに出会いました。HPの内容は、主に論文の書き方です。内容は省略しますが、私の知りたいことそのものが書かれてあって面白かったので一気に、けれど丁寧に読みました。 「丁寧に」はそのように意識したときもありますが、だいたい (ここでは何を言おうとしているのかな?) の好奇心でした。このように出来るようになってみて、今まで読み解く力が小さかったことに太鼓判を押せました。
力不足の詳細は一行を読む間の集中力に欠けていることと、すぐに気がそれることです。 ですが、これらのことは今この時からでも変えていけそうです。 その方法は二つあります。一つ目は集中する自分を意識すること。二つ目は自分の周りの気が剃れる要因を出来るだけ少なくすることです。 こうして考えると、騒音の少ない場所を探して移り住んだことは本を書きに来た私の良案だったのです。
それから、こんな見方もしました。 それは、「今までは感覚で書いてきた、これからは大人の知識を勉強しながら書く」です。 これを言い換えると、今までは子どものように思いつくことを羅列して書いた。これからは「・・・・」 (←まだ勉強前なので何とは思いつきません) を入れて読み手に伝わりやすい文章が書けるようになる、です。 夕方には、具体的につなぎのために何をしたらいいかを決められました。明日は全ての引き出しを書き出すかプリントアウトして全体を目で確認することにしました。
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