「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2009年01月17日(土)

 今日はホーチミン市の銀行へ行きました。市内は旧正月の花市場のための準備が進められていました。街中は通常より人も多く、みなさん準備中の花飾りの前で写真を撮っていました。
 数日前に知ったのですが、ベトナムでは旧正月に「梅」の花を飾るそうです。こちらの梅の花は黄色です。


2009年01月16日(金) 優先順位

 昨日の続きで「野球の引き出し」が完成しました。テーマが限定されているので、たんたんとまとめることができました。
 
 夜、友人のご家族に「来週引越しをします」と伝えました。これから少し、引越しの為の動きをします。
 本を書くという仕事があっても、先にしたほうがいいことがあるときはそちらを先にします。
優先順位に添って動くとはこういうことですね。必要度の高い順にしていくと、その後の動きが楽ですから、あとの動きをしやすくするための優先順位で動いているようです。つまり、いつもするということをしていると楽に動けるのです。
 


2009年01月15日(木) 流れ

 今日は「野球」の引き出しをまとめました。
と書いて気付いたのですが、私は今日、まとめをしていたのですね…。
でも、いいのです。本のスタイルについて「このようにしよう」という全体像が出来たせいか、「つなぎ」も流れで出来そうな気がしてきたのです。

 夕方は、自転車で散歩しました。
家の近くの川の流れは適度に速くて途切れることがありません。澄んだ水が周りの田畑を潤して、あちこちに「ため池」のような池があって魚の飼育をしています。
いつかその川の行き着く先を見たいと思っていましたが、今はもう私のイメージは市内の道を散歩している自分。川上とは反対方向なのです。
でも、どちらに向かう私も、流れの中で感じるままに歩いているのです。


2009年01月14日(水) 山を超えた日

 今日は、まだ別の人格が居るということを改めて認識した日です。そしてそのままを受け入れた日です。
 私はいつも何処かで、他の人格がいるということをイヤだなぁと思っていたのです。
「もう大丈夫だ」と思いたかったのです。だけど違っていたということです。

 ところが、しばしの時間を経てある思いが浮かんだのです。そしてこの思い付きで、私の心に一つの変化が起きたのです。
 それは、人格に関する私の思いが一山超えた感じなのです。「これでいいのなら…例えば子ども達にも人格の話が出来るような気がする。うん、出来そう」の感じなのです。
 ただ、その思いは、本の引き出しに収めることにしたので先送りです。つまり、まだここに書くほど纏まっていないということなのです。そして、発見した感覚を満足するまで感じたいのです。


2009年01月13日(火) 確信

 まとめ方をもう一度吟味しているうちに、(これが適切かな) と思える一つの方法が見つかりました。ところが、日にちを経て、その方法にするであろう確立が高まってくるにつれ、ある理由から、(どうして?) とか (どういうこと?) とか、驚きに似た感情が湧いてきました。その理由は、私が最近見つけた方法は、まとめを始めた頃に(この作り方が作りやすいな)と感じた方法だったからです。
 でも、そのときは自分の感じたことに確信がなかったので、違う方法も試しました。 そして今回又同じことを感じたのです。この感覚は最初に感じた感覚よりも確かなものになっています。きっと、10カ月経験した分だけ確信を深めることができたのだと思います。


2009年01月12日(月)

 なんと、1月5日から「考える思考」が大きくなっていたことに、今日気が付きました。
原因は一つのメール文。大人はあなたメッセージを使います。私はよく巻き込まれます。
けれど、「おかげ」という言い方は変ですが、おかげで私も危険な場所から離れることが出来るようになりました。
 プラスのMamoちゃんでも、きつい言葉は傷つくのです。これが人として生きる私なのです。そう考えると、本来もっと以前から自分を守る必要があったのにね。でも、それが出来なかったのにはそれなりの理由があるのです。だから、いいのです。
 たまたま今日も同じようなことが起きました。つまりあなたメッセージというのは日常にあるということで、言葉というのはよく吟味して口から放つ必要があるということです。

 そして今はこんなことを考えています。
 もしも世界中の人々の口から私メッセージが放たれたら、空気中にどれだけの愛が放たれることでしょう。人々は愛のこもった空気を吸ってどれだけ健康になることでしょう。誰かと会話するということをしてどれだけ自分を満たすことが出来るでしょう。 過去の私のように 「社会はマイナスだから誰とも話が出来ない」 とか「誰にも話しかけられたくない」とか思って、内にこもる必要がなくなるのです。

 よしっ! Mamoちゃんはもっと自分を守れるようになりましょう。もっと遊べるようになりましょう。



 それにしても、考える思考の中に居ても「する」ということをしていられた自分だったことは興味深い結果です。このようにしていられたのは、自分を責めなくなったからでしょうか。
それとも自分と他者と社会の全体を見れるようになったということでしょうか。はたまた地球の全体を見れるようになったということでしょうか。
いえいえ、このように言う私は今、地球の外から地球を眺めていますから、もっと大きなスケールで宇宙目線で見れるようになったということでしょう。
 あららぁ…。またまたワクワクしすぎて、どこかへ行ってしまいそうです。


2009年01月11日(日) つなぎの準備

 昨晩から思っていたことは、書くときのアイデアは読むときのアイデアに比例するのではないかということです。
私は、多くの書物を読んだ人は読んだ分だけの種類の書き方を知っていると言えると思います。
 私も本はいくらか読みましたが、今思えば私の読み方は「読み解く」ではありませんでした。このことは、私の語彙の少なさや単語の意味の知らなさが証明してくれています。それなら今からたくさん本を読めばいいと解っても出版は約2,3ヶ月後に控えていますから、優先順位が違います。私が今したいのは「書く」ことです。

 そんな中、「書く」をテーマにした読み応えのあるHPに出会いました。HPの内容は、主に論文の書き方です。内容は省略しますが、私の知りたいことそのものが書かれてあって面白かったので一気に、けれど丁寧に読みました。
 「丁寧に」はそのように意識したときもありますが、だいたい (ここでは何を言おうとしているのかな?) の好奇心でした。このように出来るようになってみて、今まで読み解く力が小さかったことに太鼓判を押せました。

 力不足の詳細は一行を読む間の集中力に欠けていることと、すぐに気がそれることです。
ですが、これらのことは今この時からでも変えていけそうです。
 その方法は二つあります。一つ目は集中する自分を意識すること。二つ目は自分の周りの気が剃れる要因を出来るだけ少なくすることです。
 こうして考えると、騒音の少ない場所を探して移り住んだことは本を書きに来た私の良案だったのです。

 それから、こんな見方もしました。
それは、「今までは感覚で書いてきた、これからは大人の知識を勉強しながら書く」です。
これを言い換えると、今までは子どものように思いつくことを羅列して書いた。これからは「・・・・」 (←まだ勉強前なので何とは思いつきません) を入れて読み手に伝わりやすい文章が書けるようになる、です。
 
 夕方には、具体的につなぎのために何をしたらいいかを決められました。明日は全ての引き出しを書き出すかプリントアウトして全体を目で確認することにしました。


2009年01月10日(土) つなぎの入り口

 今日からつなぎに入ることにしました。
 まず始めに、つなぎに使える文章を探すために、ベトナムへ来る直前からの日記を読み返しました。そうしているうちに (作ったつなぎと引き出しをどうやってつなぐのかなぁ?) と疑問が湧きました。このままでは、つなぎも一つの引き出しになってしまいそうです。本を書いている人を参考にしようとネットを検索してみました。
 ネットの中で検索エンジンに進められるまま行き来し始めると、惚れ惚れする文章に出会ったり感心する解説に出会ったりして、しばらくは楽しめました。
 でも、そのうちに退屈してきました。退屈した理由は、私の読んだものはうまく書けるための方法だったからです。私が知りたかったはその方法ですから、それでいいのですが、私はその時こんなことを思ったのです。
(文章を書く前に方法を知ろうとすることは、数学の問題を解こうとするより先に公式を暗記するようなものだ。学校に勉強しに行って校則を大切にすることにも似ている。それではつまらないし味がない。やっぱり今の自分に出来る書き方で書いていこう)。
 その後、今の自分に書ける書き方を最大限使うために必要なものを探してみました。すると、より良いつなぎを作るために必要なものはプラスの心と体で、その2つは今ここにあることを確認しました。最後は「軽くキーを打てるように、10 本の指を大切にしよう」と小さな、けれど大切なことを思いました。
 
 私の文章力は今スタートしたばかりですから、このような方法でいいのかどうか分かりません。でもきっと、明日には又新しい発見をするでしょう。昨日の続きで今日の発見があったように。  


2009年01月09日(金) つなぎの「つなぎ」

 帰国してからの動きをイメージしてみました。そうすると、やっぱり今はもうつなぎに入っておいたほうがいいということになるのです。
でも、そうは言っても整理未のものがあると気になって、そちらを開いてみたくなるのです。
どうしよかなぁと自分と相談したのち、開いてみたいものは開いてみたいのだから開いてみればいいということにしました。
 そうそう。本を作るという作業を楽しめばいいのですよ。きっと楽しんだ分だけ結果も付いてくるのでしょう。だから今は、つなぎに行くための「つなぎ」なのデス・・・。


2009年01月08日(木) 愛で

 この頃、自分の文章の校正や編集のことを考えています。
 過去の日記を読んでみると、書いた当時はOKだと思っていたのに今は「もっとこうしたら…」と感じる箇所がいくつもあるのです。ということは、私には手伝ってもらう必要があるということです。
 
 校正や添削や編集はたぶん技術の一つで、その技術を持っている人は世の中に一人以上居るのでしょう。
 そこで、どんな人に手伝ってもらいたいかなぁを考えてみたら「私の文章に心から興味を持った人」とか「心を大切にして文章を書いている私に心から興味を持った人」いう答えが浮かんできました。世の中に、心を指先に変えて書いた文章に興味を持って「面白そうだから手伝ってみたい」と言って下さる人が居たらそのやり取りはどんなに楽しいことでしょう。もしもその方がその技術を知らないとしてもそれは私も同じですから、新しいことを二人で探す空間はどのようになるでしょう。技術を心でカバーすることもできそうですし興味の中から出てくるものは何かなあと考えるとクワクしてきます。もしもそれが子どもさんだとしたらどのような発想が出てくるのかなぁと考えると、私はまたまた無限の可能性を秘めた宇宙の世界に行ってしまいそうです。
 
 もしも私がイメージしているように心の満足の中で本が出来上がったら、技術とは別のところで、いつ読んでもどのページを開いてもその一行に心満たされる本が出来そうです。

 なんて、理想論かなぁと思ったり願えば出来ると思ったり…。一番大切にしたいのは「私は本を作るということを楽しみたいということ」です。


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