「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2008年11月07日(金) 結果

 昨年2月ベトナムに来て以来、適度な学びと遊びと飲食と、適度に書くということを続けてきました。「作家」というのはこもっているとか一日中そのことを考えているとか言いますが、私の場合は体が悲鳴を上げてくれたおかげで一日中机に座っているとか、一日中そのことを考えているという生活にはなりませんでした。健康な生活の気持ちよさがわかるせいか、こもりそうになっている自分に違和感を感じて切り替えられるときもありました。先日、一般社会の側からの私への見方を知ったときは「何が何でも本を書き上げて真実を伝える」と思いましたが、そのように思う自分の心を覗いた後には、その気持ちも消えました。(もちろん自覚できている分だけですが)。本については、このような毎日の中で出来たのが11月に入るまでの分です。
 少し話はそれますが、今日2年半ぶりに会った友人が「一年で本を書くなんて、よくやってきてるねぇ」と言いました。私自身は特別なことをしている実感はありませんでしたが、他者に言われて改めてその月日を数えてみると9ヶ月という月日が経っていたのです。その数字を目にして改めて「そうかもしれないなぁ」と思いました。「どこまで出来るかやってみよう」をしていたから、出来るかできないかは思考の中に入っていなかったようです。きっと、自然に出来るというのはこういうことかもしれません。
 9ヶ月間の自分を実感したついでに、人生も本を書くということも方法はいくつかあって、どれを選んでも今の自分を大切にしてきた結果であれば、そのままを肯定できるということも知りました。


2008年11月05日(水) 不思議が二つ

 朝の涼しいうちにベランダで素振りをした。右と左と交互に全部で50回くらい。日本に居た頃より筋力は無いはずなのに腰が使えている感覚があって不思議だった。心も体も気持ちよかった。
 そのあと朝ごはんを食べて、先日買ったパソコン電源の延長コードをベランダのすぐ傍まで線を延ばして、時々空を見上げながらまとめをした。

 午後にはショックなことがあった。子どもを虐待した私は人に信頼されないと事実を思い知らされた。赤ちゃんを産んだ私は子どもを愛そうとした・虐待もした。けれど愛したいけれど愛せないゆえの苦しみがどれだけのものだったか。過去の辛さを叫ぶような気持ちで伝えたけれど心の悲鳴には瞬時に虐待したという事実がかぶさった。このことが分かったとき変な感じだった。言葉にすると「なんだ、そうだったんだ」というような気持ち。そして事実を語ってきた分だけの不思議な底つき感。そして悲痛な思いで心を伝える自分への安心。書いている内容は事実の思いだという確信だった。
 もしも今日の出来事と同じように私の書いた本を読んだ人が、過去に過ちを犯したという理由で本の内容を飾っていると受け取るのだとしたら、真実を書いているからこそ悲しい。けれど私は嘘を書いたり自分を飾ったりしていないと誰に対しても言える。お酒で呂律が廻らなくなっても死の直前でも同じことが言える。だから子どもを苛めた母だけど私は私を信頼している。やっぱり不思議な底つき感。何かに対する諦めにも似ている。それから、私はきっと社会に出て刺激されたときの予行練習をしたとも思っている。


2008年11月04日(火) 気持ち

 10月末から消化器の風邪を引いて2日間寝込みました。そのあと停電と電気配線の故障が来てパソコンが使えなくなりました。
 病気で体が動けなくなったときは、ベトナムの人に手伝ってもらいました。ベトナムの人は食べ物を作って持ってきてくれましたが、体がベトナムの香辛料を嫌がりました。布団の中で「吐きたいのは自然なことだよ。体がばい菌と戦っているんだよ」と何回も切り替えました。
 でも、いつもは平気なことが大変になり、元気になるためのリンゴも一人で買いにいけないと分かった時、心底心細くて日本に帰りたくなりました。 元気になったあとに配線の故障が分かって、Cuchiに余暇に出ました。その時、ネットがつながらなくてもパソコンがあれば本は書けると思いました。
 今日は久しぶりにファイルを開けました。
することとしたいことがいっぱいの Mamo になりました。


2008年10月29日(水) 卵が買えた日

 市場で初めて卵を買った。自転車で行ったから、帰りは片道2車線の国道をバイクの間をぬって横切るのに大変だった。まっすぐな道まで来てからは 「卵と体では体が大切」 と言いながら、道のでこぼこを避けて走った。卵を買えたことがどうしてこんなに嬉しいのかわからないけれど、私は嬉しかった。家に帰ったら、大家さん家族の夕食も卵焼きだった。

 いよいよ、「これをなくしたら泣いちゃう」 というほど貴重に思える10 ページが出来てしまった。なくさないように慎重に扱おう。


2008年10月27日(月) Time

 先週末に遊びに来た友人の言ったとおり、今週に入ってから蒸し暑くてたまらないという日がなくなり、夜になると部屋を閉め切っていても扇風機が要らない。私の布団はゴザの上に綿を敷き詰めたような布団なのでタイルの冷たさで目が覚めるようになった。大きなマットはきっと腰が痛くなって使わなくなるから、適当な暑さの布団を探し中。
 この頃は印刷をどうするとか引き出しの順番はどうするとか、未来のことを考えて幅広く使える道具をダウンロードしたり、いろいろとすることが多い。今日は二つの引き出しをくっ付けようと文体を変えて編集しかけたけれど、半分くらいのところでどうしてもつながらなくなって元に戻した。
 17 時半ごろから食事をかねて外出。ここはトラックが多いハイウェイどおりのせいか、大衆食堂は特大盛りご飯とお肉一品が主流で値段は平均15,000ドンとホーチミンの中心よりも高い。それに、おこわや焼き芋やとうもろこしなどが売っていないから、軽く済ませるということが出来なくて困っていた。ところが、今日やっと10,000ドンの食堂を見つけた。それに、昨晩も今朝も台所で食事をつくった。健康な体の為に、食生活も大切にしている。
 しかし、この頃の仕事時間を計算してみたら、引っ越してくる前より少ない。適当に散歩していることも大きいけど、一番の原因は朝起きるのが1時間も遅くなったから。
仕事にするにはあと2時間は時間を使うのが理想デス…。ということで、明日は目覚ましを掛けて早起きすることにして、お休みタイムに入る。


2008年10月24日(金) かがやき

 日本で暮らしたことのあるベトナムの友人が 「日本に行きたい。日本には仕事とチャンスがある」 と言う。ベトナムで暮らす日本の人は、「日本は暮らしにくい。この国にはチャンスがある」と言う。私はどうかなあと考える。今は収入がない本書きの仕事だから、経済的にはベトナムの方が自由が利く。ベトナムだから出来ているとも言える。越南して4ヶ月経った頃、この国は私の夢をかなえる夢の島ではないと、心にしみる出来事もあった。
 今はベトナムに住んでいるけれど、今の仕事が出来上がったら、違う国で生きてみたい。私は、生きるということを基準にすると世界中のどこに住んでもプラスとマイナスがあると思っている。そして今は、ベトナムの人の家で暮らしている。この生活を楽しみたがっている自分を実感して、布団に入った。 
 すると、夜中の2時半に目が開いて4時前まで目眠れなかった。ベランダに出てみると、頭上にオリオン座。びっくりして周囲を見渡すと、空一面に初めてとも思える数の星が輝いていた。しかも距離が近く感じる。お月様は透き通ったような三日月。感激ひとしお。時を忘れて見入った。


2008年10月23日(木) してみること

 今日は朝からうす曇り。10時頃になって、散歩しやすい天気だと気付き外に出た。少し遠くの市場までの道をのんびり歩いた。30分歩いたところにある市場を一周して帰宅。
 いつもそうだけど、サンダルを履いて長く歩くと足に赤い斑点ができる。浴びているのは自然のお日様だから、いつも日に当たらない足がびっくりするのかもしれない。

 夕方再び外に出た。今日は全部で3時間くらい歩くことが出来た。運動すると体が喜ぶ。私も嬉しい。家主さん家族との会話がスムーズになってきた。こちらも嬉しい。いろんなことは、してみると自分にも出来るということがわかる。


2008年10月22日(水) 15mmの本

 夕方まで外に出ず。涼しくなってから、Tan Binh 区方面へ自転車をこいだ。工場とお店がいっぱい。あの地区は工場地帯なのかな。
 出版に関しては、こちらの事情を探し中。ベトナムでの印刷事情が分からなければ、日本でしたほうが便利で簡単な気もしている。
 本の文字数とページ数をもう一度検証。800字×300枚でほぼ決定。15mm の厚さになる。


2008年10月21日(火) 心の満足

 夕方涼しくなってから、自転車でスーパーへ行った。スーパーは中心に向かって20分位のところにある。お店の中には日本の大手スーパーのように軽食を食べるスペースもあり、今まで見た中で一番充実して見えた。
 食材を買って帰り、夕食を作った。と言っても、いつも作っているスープにお豆腐と日本の稲武で売っているような「柔らかきのこ」を追加したのみ。でも、いつもと違う食材に心が満足した。
 


2008年10月20日(月) つながり

 朝8時前から停電が始まった。保証はないけれど一日中停電になる予感。どこへ行こうかと考えた末、パソコンを持っておなじみの場所に出張することにした。 いろいろしているうちに時間は10時。暑い中、自転車で行くと帰るのが嫌になる。バスを使って、ベンタイン市場から目的地までは歩いた。ご飯を食べたり買い物をしたりで昼過ぎに到着。コンセントが開くのを待って、全部で4時間まとめをした。帰りは渋滞になってバスが動かず。家に着いたのは18時すぎ。町には明かりが戻っていた。停電はいつ復活したのか知らない。私もよそで仕事が出来たからよかった。うやむやだったところがつながっていくのが嬉しい。


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