「生きていくのに大切なこと」こころの日記
DiaryINDEX|past|will
| 2008年09月01日(月) |
クチの暮らし・私の暮らし |
昨日からホーチミンの端っこ「クチ」の友人の家に遊びに行った。 迎えに来てくれた友人のバイクに乗って、国道22号線を走った。家を出てから2時間後、すでに日は落ち周囲の景色は見えないが、中心地にはない静けさと虫の声が、広がる農地を想像させた。 今朝6時。家族の朝自宅で目が覚める。原っぱで草を食べる牛も家族で散歩する鳥も、私の中では当前の景色になった。その私に、お姉さんが声をかける。「豚を知っていますか?」 お姉さんの手の平には、調理中の豚肉が載っている。「豚?豚肉は知っています。でも、生きものの豚は、ベトナムでは見たことがありません」。 後半は冗談のつもりだが、お姉さんは豚肉を置いて、私をある場所へ案内した。「鼻をつまんで」。一晩を経過し慣れた香りに、改めて鼻をつまむ。 私達は四角いセメントの建物の前に立っている。この中に何か居るんだ。え?もしかして…。 扉が開くと、そこに豚さんが3匹重なるように横たわっている。大きさは、私の体の4人分。上に乗っかられたら起きれない。大きい!一瞬の想像に声が上がった。 お姉さんは少し離れた建物に行き、「これは私の豚です」と説明した。もうすぐ赤ちゃんが生まれる。お肉として売る為に飼っているそうだが、私が4人分の豚はいくらで売れるのだろうか。 たまたま家を建築中の家では、近所の若い男性と友人のお父さんがレンガをひとつずつ積んで外壁を作る作業をしていた。女の人達は、朝ごはんが終わると、お昼ご飯の準備を始めた。庭の草をとり、たらいの水で3回洗う。大きな豚の耳の毛をかみそりの刃で丁寧にとり、荒塩を刷り込んで揉み洗いする。ご飯自宅が整った頃、男の人達は高い塀の上から降りてきた。 役割だ。男の人は力仕事を、女の人はご飯自宅を。日本で昔から続いている役割が、この国にもある。 食事に、豚の耳をご馳走になった。ついさっき見た豚の耳とお皿に乗った豚の耳がLinkする。ここで暮らす人々は、生きるために生きている。 豚の耳はコリコリしておいしい。時間をかけて毛を剃る友人の丁寧さを思い出し、おいしさが増した。 食事の後はお昼寝タイムだ。ハンモックに揺られて空を見あげると文明社会が浮かんだ。昨晩はベトナムで始めての夜空に広がる星空を見て感動した。友人は 「いつもはもっと見える」 と言う。そう言われると、「もっとたくさん」 を見たい気持ちもわいてくる。しかし、私のしたいことは何か。 星空はきれいだ。木に揺られ花の香りも心地いい。だが、自然と戯れて喜ぶ時代は過ぎたのではないか。私は自然があることを知っている。そして、次を求めている。頭に、今こそ広げようとしている新しい世界が浮かんだ。 帰りはバスで帰る予定だったが、バスステーションの下調べを忘れた。家族の誰も知らない。中心に行けば分かるはずだが、「町の中心」の意味が伝わらず、最後は苦笑い。 家から2時間で来れる距離だ。バスで来ることもできる。国道22号線を友人のバイクで戻った。
ザクロ 「割る」と言われて、割ってみる。黄色い薄皮に囲まれた中に淡いピンクと透明の粒が並んでる。一粒の真ん中に薄ピンク色の種。まるで宝石が並んでいるみたい。その一粒をつぶれないように摘み取る。 かじると、しゃりっと音がして、甘酸っぱい水分が、口の中にこぼれた。
| 2008年08月31日(日) |
自分を信じるということ |
「心をつなぐ」 まとめの文章の大半は、Nグループの一人が、日本に居る間に「本を書くようになったら…」と書き溜めてきたものだ。8月半ばの数日間、私はそれを整理しようとして巻き込まれ、N1が現実を生き始め、しばらくの間、流れが変わった。 N1は、毎朝能力のリストを紙に書いて取り込んだ。能力が全身にみなぎる感覚に感動し、もっと感じたいと人にも語った。否定された時には怒りを顕にした。 これまでと同じ方法をとるのなら、こんな時はマイナスで「切り替え」をする。でも、私は今回、N1を、マイナスとひとくくりにすることが出来なかった。6年間してきた結果の今。これまでと同じにしていていいのかという疑問も沸き、ベトナムへ来てから後、いくつかの疑問を持っていたからだ。 疑問のひとつは、「マイナスは本当にマイナスか」ということ。多重人格と言われているビリーミリガンの中には、「好ましくないものグループ」がある。ビリーの別人格が自ら分けたものだ。そのグループの人格達は、別人格に押さえ込まれたままビリーの中に埋もれたとされている。 私の中にも「好ましくないもの」が居た。自分を傷つけることをしていたからだ。マイナスに足を引っ張られる時、私は立ち止まる。マイナスはマイナスになる。でも、その人格達はもともと、過去の虐待の中を生き延びるために存在した。過去ほど辛いことは起きない今もまだ、その自分が生きようとするのは何故か。私は、私を生き延びる為に居た人格達の行動・言葉の意味を探したかった。 6年間の記録では、最初の2年間で、すべての人格はそれぞれの状態からそれぞれのレベルで成長している。そこには「あるがままを肯定する」がある。それから4年。N1は今までと少し違う。好奇心で動いている。そんなN1に好奇心も沸く。 二つ目の疑問は、Akariの言葉にある。「現実に出ている時だけ成長できる。」。私自身も実感してきたことだった。 私の経験では、他の人格の持っているものを知るのは、その人格が出ているときだけだった。6年間の後半は、プラスを生きていても他の人格のしたことが分かる方法を探した。能力も足りなかった。自分で思い出すことが出来ていれば壁は要らなかったという事も浮かんだ。それでも、私は今、自分の中に、自分を傷つけることをする「好ましくないもの」が居るとは思えない。 私は、否定されて怒るN1にさえ寄り添うことを選んだ。
N1は淡々と引き出しを開けた。白いメモ帳にはするどい感覚の言葉が並んだ。 私はN1を見ながら、今までの自分は何だったのかと問うた。メッキとか上辺のことという言葉も浮かんでくる。今の自分を、二つの言葉でくくるには、してきた自分も嘘のようで、あんまりではなかろうか。 自分に否定されて埋もれたものは、過去の傷を疼かせて埋もれさせられたまま、そこにあったのではなかろうか。 Akariの言葉の意味は、その自分も肯定してこそ、事実を知り癒やすことができるということではなかろうか。 自分は今、「肯定する」ということそのものをしようとしているのではなかろうか。私のしてきたことは社会の言葉とは違うはず。メッキやうわべとは違うことをしてきたはず。感性が訴え、私は信じた。
数日を得た昨日、あることに気がついた。「命」だ。 N1の「自分探し」は、古く遡ると、母が自殺しようとしたときから始まっている。マイナスとくくってきたもう一人の私N1は、過去のその時から自分の「生」の意味を探している。それは、N1の打つ言葉の行間に、したためられている。私の足を引っ張ってきた人格の一人は、生きる意味を探している。「生」への執着はここから来ているのかと納得もした。ただし傷を抱えた分だけ間違った見方になりやすい。「生」は執着するものではないことを思い浮かべれば、はっきりする。 けれど、切り替えて埋もれさせるだけでは同じことが起こる。子どもをいじめた自分は肯定の中で自分を見つめた。人を傷つけた人にさえ、そんな自分をも受け入れられる環境があれば、自分を見つめられると思うのは、誤った見方だろうか。 私は今、迷っているようだが、迷いから脱している。私の感性がそれでいいよと言い、私はそれを信じているから。 私は今、自分を信じるということをしている。
昼過ぎに市場へ。家から一番近い市場では、この頃、私は日本人だと知る人が増えて、スーパーよりも高いことがある。 先日、日本の人達と3人で大衆食堂に行ったが、この辺りでいつもの 1.5倍 の値段になった。3人で話をしながら歩けば人々は振り向く。私達は日本人だとすぐに分かる。町の中心なら外国の人は多いが、この辺りでは珍しい。細い路地の市場にも外国人値段が広がる。一人で歩くほうが安いというのが感想だ。 私は市場に行くと、値段が分かるまではマスクをしたまま黙っている。そうすると現地値段に出会える。面白い知恵だ。 市場では、マンゴは1キロ7,000ドン。スーパーや知っている市場の中でも一番安い場所だから、私は今日も、うなぎのベッドを散歩する。 子ども達の手紙に返事を書く。そのまま受け取りそのまま答える。その人の語った言葉の中で話をする。この練習が面白い。Simple が身に付けば、これからの私の財産になりそうだ。 人間は時々、言い過ぎたり間違えたりする。そんなとき、大人は別の言葉をかぶせる。「大人は間違ってはいけない」と教え込まれたからだ。子どもは「あれ?」と自分を見る。子どもは、ありのままだからだ。どちらが楽かは、顕著だ。 私も時々間違える。私は、今は、言い過ぎも言い間違いも認められる自分を、興味を持って眺めている。私はもっと自分を認められる大人になろう。それが自分に楽な生き方だ。自分も他者も大切にすることにつながる。
種類の異なる引き出しが大きく二つに分かれる。どちらの引き出しを頭に持ってくるのか。
全体の構成を考えていてあることに気がつく。 今まで、Mamo という人格は、自分の中の、孤立した自分だった。他の人格とは違う存在だ。だから、「別の人格になったときは FB したときだ」と言われても、ぴんと来ない。「何が?」という感じだ。 しかし、どうやらそうでもなさそうだ。複数の引き出しの延長に私が居る。私は、全体だ。 そうすると、「N」の引き出しも、他の引き出しの中のひとつに過ぎないのか。しかし傷ついた自分に気がついた原点は、あの引き出しの中にある。ゆえに、「N」の引き出しは、他の引き出しとは違う感がある。 ひたすら書く時がある。「過去のことを書いているけれど、過去の思考で書いてはいけない。プラスの思考で書くこと」。この言葉を意識できる自分の存在は大きい。半年前とは雲泥の差の自分だ。この本は、私の本か「N」の本かと泣いた自分が懐かしい。 Mamo の引き出しもそれらと同等なのか。いや、それは違うはずだ。 違うことを勉強してきた。6年間宇宙に居た形跡がある。
最近、毎日が楽しい。日常はいつもと同じだが、自分の変化を楽しんでいる感がある。それゆえか、家探しも遠のくくらい、今の環境が好きになった。「ルームシェアしよう」とか「狭いけど家においで」と言葉をくれる友人達に、「今は書きものに集中したい」と伝えた。2月までに完成させて帰る。本を持った自分がそこに居る。ベッドに寝転ぶと、「こんなに楽しくていいの?」と、独り言が出る。 夜、ある景色が浮かんだ。 それは、出来上がった本を、東京のとある駅で手売りしている自分だ。 足元に本が数十冊ある。立っている私の傍には、私が一番言いたいことを大きな字で書いた紙が貼ってある。本の厚みは…まだわからない。 しかし私はその駅で、ある場所に電話をする。
人々は毎回、市場に行ってその時食べるものだけを買う。冷蔵庫を使わない人々を見て、自分を見る。 食事は何のためにするのだろう。改めて、別人格だったタケシの事が浮かんだ。 子どもの頃、お腹が空いても食べ物をもらえなかった。 しかし、空腹の辛さにばかり心が行っていたが、お腹が空いていることの苦しみより、愛を注いでもらえないことの苦しみのほうが大きかったのだ。 タケシは、辛かった。そしてそれは私だ。 こんな私に、新たな感覚がよみがえったのは午後のことだ。タケシのことがわかってから、私の中に沸いた新たな感覚。 体が欲しているよと言う。その感覚に添って取り入れる。辛いものや濃すぎるものは、体が嫌だと知らせてくれる。 食事とは、食べたいものを食べたいときに食べるものだ。 栄養のある食べ物探しは、感じることの次にすることだ。 しかしそれすら、体の欲求に添っているうちは、おのずとバランスの取れた食事になっている。自分は今まで、なんと脅迫的に食事をしていたことだろう。 私の中に新たな感覚が目覚める。この感動をどうやって表せばいいのか。 気付きとは、なんてステキなことだろう。 感覚で生きるとは、なんてステキなことだろう。 私はこんな自分のことを頼もしく思う。 体の真ん中からワクワクが溢れる。 この喜びを、どのように表現すればいいだろう。
朝7時半、食器を洗い終わった直後、町の電気が消えた。停電ではインターネットも使えない。公園に向かって自転車をこいだ。 2時間ほど外出して帰宅する。しかし、家の前のホテルではまだ自家発電機が回っている。長丁場になりそうだ。公園には電気がない。カフェに行けばパソコンは使えるが、飲み物代がかかるうえに、クーラーで体が冷えるから長居は出来ない。電気も Wifi もある大学へ行ってみることにした。 キャンパスに、環境は揃っている。しかし、まとめを開いてまもなく、人の動きが気になって考えが浅くなるのを実感した。切り替えて、子ども達への返事を書いた。前回は二人分だったが、4人分で封筒も膨らむ。送る方法を思案する。その後は、友人と話をして時間が流れた。 3時ごろ帰宅したが、町の様子は同じだ。アパートの中は、冷凍庫の氷が水になって足元を濡らした。手を洗おうと水道栓をひねると、蛇口はカラカラ音を立てて水が1滴も出てこない。 ベトナムの人の多くは、自宅にドラム缶のようなタライを置き水を貯めている。ここで生きる人の生活の知恵を実感した。 私の部屋の飲み水は、樽の底から10cm。少ない水をやかんに移して買いに走った。しかし水屋さんにも水がない。このまま夜が来るのかと少し不安になった。すると、ベトナムの女の子が、「夕方4時か5時頃には戻るよ」と言った。 部屋の窓から外の景色を眺めた。電気や水が止まっても、町や人々は動いている。小さな不思議が沸いた。女の子は電気が戻ってくる時間をなぜ知っているのだろう。私の頭には、昼間見た工事の様子が浮かんでいた。 夕方5時。彼女の言う通り電気が戻ってきた。散歩に出ると、大通りの工事は終わっている。まるで、工事のために止まっていたような気分だ。 アパートの前まで来ると部屋に明かりが見える。電気と水のある部屋にホッとした。 もう一日が終わる。今日は一日つぶれた。こんなこともあると分かった。今日もいい一日だ。
8時からまとめを始めた。昨日に引き続き、私は没頭している。 つなぎの文章が浮かばない。お手上げ気分で過去の文章を読んでいるうちに、使えそうなものをいくつか見つけた。 私は自分に何を言いたくて本を作るのだろう。過去の状況をつらつら書くだけでは無意味だ。過去の怒りや悲しみを表すだけのものはマイナス効果とも言える。世の中は情の世界だからだ。 私は自分に何を言ってあげたいのか。「あなたは悪くなかったよ。自由でいいんだよ」 何をまとめるのか。「文章をまとめるのではなくて、心をまとめるんだよ」 そうしているうちに、もうひとつ引き出しが浮かんだ。 今度は「自分に言葉をかけてきた自分の引き出し」を作るんだ。
お昼前、ベトナムの友人が「10区にあるおばあちゃんの家に遊びに行こう」と誘いに来た。私は本書きモードだ。世間があったことすら忘れている。断ろうかと思ったが、ただいま家を探し中。情報があれば嬉しいこと。遊びモードに切り替えた。 彼女のおばあちゃんの家は、私の家からバイクで10分くらいの近距離だ。 家族がたくさんの家。ビールで会食。ひとつのコップでビールを回し飲み。私は途中から断り続けた。それでもコップは回ってくる。「ベトナムの習慣です」 と言うお兄さんのお友達。どうしてもコップをまわしたいお兄さん。お兄さんをたしなめる仕草の友人。 友人の妹さんが「口をつけるだけでいいよ」と言うので、してみた。しかしこれでは飲んでいるのと同じだと実感。私は日本人です。その前に、その習慣には参加出来ません。心で言いながら断り続けた。 若い人が帰り、おばあちゃん夫婦と私達数人だけになった。おじいさんが話し始めると皆はしんとした。お酒を飲んで話す大人。うつむく家族。ベトナムにも日本と同じ光景があったのだ。 時計が気になり始めた頃、カラオケに誘われた。私はもう、本書きモードになっていた。 夜、一つの引き出しを開いた。2004年作った当時のタイトルは「命ふんわり」。心の傷を癒やした私がプラスの感覚で書き溜めたものだ。過去を書く自分も居て、プラスを書く私も居る。読み返しているうちに、やさしい気持ちになってきた。 つなぎに入れてみる。最初のうちはいいけれど、人格が分かれるところにつなげられずに手が止まる。 明日は、「心の傷を癒やして心の壁を薄くした」ところをまとめよう。
1区にあるイミグレにビザの延長をしに行った。しかし個人では出来ないと言われる。自分のことが自分で出来ないのは不思議だ。係りの人に聞いてみた。 「私は今ベトナムに住んでいます。これは私の Visa です。それなのに、何故出来ないのかわからない」。 係りの方は、英語とベトナム語がごちゃ混ぜの私に怒った表情になりながら紙とペンを出して説明してくれた。自分で本を書いているとも話してみるが、「会社に所属しないで本を書くこと出来ない」と返事をもらう。 どうやら身元不明な人は取り扱ってくれないらしい。会社か学校か観光会社か、つまり私の身元を証明する他者が必要なのだ。 確かに犯罪を防ぐひとつの方法である。そして中間マージンでお金が動くのだろう。納得はしたが、すぐに帰る気持ちになれず、デスクに座ってしばらく休んだ。 こんなことを言ってみた。 「本が出来上がったらベトナムで売るかもしれない。それでも駄目ですか?」。「駄目駄目。もう帰りなさい」。 係りの人は笑っている。私も笑えた。 在住暦の長い日本の人に「個人では無理だよ」と聞いていた。本当かどうか、出来ない理由も知りたかった。楽しいひと時だった。動いてみて正解だ。好奇心が、鵜呑みにしない自分を手伝った。
午後、帰国した研修生さんに会いに空港へ。 市バスを使おうと思ったが、今日は暑くて歩く気がしない。バイクタクシーに乗り20分。早めに着いた時間を利用して空港内を散策だ。 空港を訪れる回数も数え切れないくらいになったが、空港内に市バスが入っているのを見たことがない。国際線の雰囲気に市バスは似合わない感もあるが、ベトナムの方も使うはずだから市バスが来ないのも妙だ。 目を凝らして道の向こうを眺めていたら、緑色のバスが見えてきたではないか。バスは敷地内の道をぐるりと回って、国内線駐車場の一番奥に停まった。初めて空港行き市バスを使った時のことが思い出された。あのとき降りた場所は、「降ろされた場所」だったのだ。 帰りは市バスを使い、途中で降りて30分歩いた。時間的にバイクのお兄さんの呼び込みが多いが、最近は歩くことも楽しめる私だ。 途中でパソコンやさんに入ってみた。お店の中は平日にも関わらず、買い物客でいっぱいだ。通りの靴屋も洋服やも人ごみになっている。 そういえば、空港ではきれいなワンピースを着た少女が父の帰りを待っていた。この国の人も、高級な生活にステイタスを求めている。家を買い庭を整え、きれいな服を着て歩く。人々は商業ベースに乗せられている。
夜、こんな思考が浮かんだ。子ども達は母の私を待っている。私はまだ成長途中だ。子どもの名前を知らない自分が残っていると感じるうちは会ってはいけないのではないか。同じ間違いを繰り返すのは避けたいからだ。 しかし、どうだろう。私は何もしなかったのだろうか。いや、してきたはずだ。虐待した自分も居たけれど、初めての赤ちゃんをこわごわ抱きお乳をあげる喜びを感じ、何年か後には子ども達の心を知ろうとした自分が居た。当時は別の私だったとしても、それでも、してきた私は私だ。何とかしようとしてきた自分だったのだ。あの頃の私にも先を見る自分がいたのだ。そうだ、きっとそうなんだ。 そう思えたら、勇気がわいてきた。6年前までの自分が何をしてきたのか、もっとページをまとめてみたい。展望台に乗って人生を眺める。明日の自分が楽しみだ。
朝、少し遠い市場まで行こうと外に出たら、3分の2くらい歩いたところで空模様が怪しくなった。2日前に天然シャワーを浴びたから、雨はしばらく遠慮したい。引き返して近くの市場に向かった。市場に行くのはドクダミを買うためだ。日本では視界に入らなかった食べ物は、今では毎食並ぶ野菜になった。 市場を出ると、晴れている。今日もまた面白い天気だ。行こうとしていた市場が浮かんだが、早く机に座りたい。「まあいいか」と家路に向かった。 日中は、一日まとめだ。お昼は外に出ようかと思ったが、また空模様が怪しい。夜まで書くことにして、再び机に向かった。 今日の作業は、精神科の門をくぐった私のことだ。病気はある日突然なるものではない。子どもの頃、心に乗せられた負の爆弾は、大人として社会に出た時に、否が応でもそれを使って生きなければならない苦しみに負われる。すべては、子どもの頃から蓄積させられたものが弾けてあふれ出たものだ。しかし、その後の人生を考えれば、体が信号を発してくれたことは幸いだ。 こんなことを書いて残せたらと過去の文章から言葉を捜すが、今沸いてくる気持ちが一番新鮮だと感じたりもする。しかしそれでは過去に書いたものがもったいないと、もう一度過去のページを開いてもみる。 ちょっと休んでいる間に浮かんだことを、後で書こうしても思い出せず、書き留めなかった自分を反省する。プチライターにとっては、頭に浮かぶ小さな一言も新鮮だったのだ。 あっという間に夕方になった。パソコンを閉じたら、体がマッタリしているのに気が付いた。頭も疲れている。初めてあの引き出しを開いたからかな。 生活にはリズムが必要だ。今日の作業は終了!散歩に出た。
夜は子ども達への返事を書こうかと、息子の手紙を改めて読み直す。別れる時に保育園だった彼は、今、小学生の高学年になっている。やはり、時は流れたのだ。紙の上で、「○○君」と言うより「あなた・君」と呼ぶほうが、「息子」と言うより「彼」と呼ぶほうが相応しい気さえする。 そして私の中には時の流れに混乱する自分が居る。私は私に、自分が生きてきた道を実感させてあげることが先だ。「自分に一番丁寧にしていこうね」と声をかけて、手紙を閉じた。
|