「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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自殺未遂を繰り返していたときの自分をまとめた。今までで一番冷静な私。すべては過去のことだ。出来てしまえば、多くの引き出しの中のひとつに過ぎなかったことを実感する。やっと切り替え上手になれたのかもしれない。 引き出しの中で順番を待っている自分もこれから、引き出しの中の小引き出しに収まっていくだろう。 一つ出来て、そのまま次に移ろうとしたが、何かしらの直感が働いた。「ちょっと待て」だ。パソコンを閉じて立ち上がったら子ども達からの手紙が視界に入り、手にとって開いた。しかし、これも今は違う。手紙を戻してまとめた自分を思い返した。 「そうだ。出来たんだ」。今日自分がしたことは、今まで一番したかったことなのかもしれない。そう思うと、満足感が広がった。
そういえば昨晩、「私に何を求めてる?」という言葉を元に、「自分は人に何を求めているのだろう」を探した。すると、ある一定の場所において、「どんな自分も肯定されようとして苦労している自分」がいるのに気がついた。「なぁーんだ、そうだったのか」と心底納得した。過去に作った神話を求めた自分だ。自分以外に 「どんな私も肯定される場所」は、「自然」という場所以外にあるだろうか。 大人には子どもの頃に掴まされた要素がいっぱい詰まってる。大人は子どもの頃からの歴史を持って一人の大人になる。 そして、大人には大人としての役割がある。大人だから出来ることがあり、大人だからこそ求められるものもある。大人は、子どもとは違うのだ。 私が今いるのは、大人の集団だ。(子どもさんも居るが関わりは少ない。)どんな自分も受け入れられようとするのは傷ついた私のすることだ。それも一時のことなら許されよう。たとえ三億人の中の一人にそのことを求めることだって大変だ。自分の為に止めたほうが懸命だ。 私は私を信じている。私を肯定されても否定されても、私は私だ。 私の信じているものは、私の感性だ。私は自分の感性を信じている。 過去は感性はつぶされたまま頭ばかりが働いた。今は頭を使うと疲れる自分に育っている。私は感性のある自分を知ったんだ。 私は私の感性に添って書きたい。もう、ペンの先に自分を閉じ込めた時代は終わった。 この夜、心の中でこんな言葉を聞いた。 「Mamoちゃん、自由に書いていいよ」。 あー、ついにこの時がやってきた。私の感性に添って、感じるままに書くことが出来る。
パソコンが動かない日曜日。雨降り前の空模様だが、思い切って外出モードに切り替えた。 バータンハイ通りをしばらく行くと、バイクのみんなが道に止まっている。何かあるのかと思ったら、みんな合羽を着始めていた。向こうの空は灰色のレベルだ。準備の早さに感心しながら、現地の人の知恵を見習うのは私の知恵だ。合羽を着て走り始めて数分も経たないうちに豪雨が襲ってきた。 通りはあっという間に水がたまり、雨しぶきが飛んでくる。こんな雨の中、私はどこへ行くの?!しかし帰ってもパソコンが使えない。見れば、雨で頭を洗うおじさんも居る。雨の日に外でもいい。今日は外の日だ。 しかし道には迷わず動きたい。目的地を、前回断念したビンタイン市場に決めてゆっくり走った。 途中2回左折したら、ビンタイン市場に着いた。でも今日は中には入らない。珍しいものを見ても買って確かめることもしない。市場の周りをぐるりと回ってホーチミン市5区の町並みを観察した。実は、今度はこのあたりに住んでみようかと思っているのだが、市場の回りは野菜くずなどが散らばっている。ということは、大きなねずみが多いだろうと改めて思う。 帰りは川沿いを走った。この道もそのまま行くと知った通りに出る予定だが、ふと見ると、川の向こうにさっき見たばかりの景色が見える。いつの間にか違う道に入り込んだのだ。 3回に分けて道を尋ねた。道の名前を聞いているつもりだが、少しも通じない。こんな場合、自分の尋ねたこと以外のことを聞こうとするとさらに路頭に迷う。「家の方向に近づいていればいいか」 と分かるところだけチョイスした。 3回目の男の人は、「三つ目の十字路を左に曲がると小道がある。でも小道は行かないで、大きな道をまっすぐに行くと着くよ」と教えてくれた。「今度は合ってる気がする」。お礼を言って走ると、本当にその道に着き、庭のエリアに入った時の安心感は今までの「お尋ね人」に関するトラウマを解消した。 市場に寄ってお昼ご飯を買い、次に自転車に乗ったままのスタイルで牛乳を買ったら、牛乳屋さんは牛乳を自転車のかごに入れてくれた。水溜りの道をそろそろ走ってようやく家に着いて、ちょっとした小旅行の満足感を味わった。 ところが、自転車を駐輪して荷物を持ったら、買ったばかりのご飯がない。少ない荷物をひっくり返しても、ないものはない。お金を払った後、かごに入れたところまでは覚えているから…。「持っていかれたんだ!」 ついに私にもこんなことが起きたんだと、今の今まで自分にはあり得ないと思っていた自分を感じながら、市場の様子を回想すると、普段より人が少ない市場にずぶぬれの自分は油断していたことに気がついた。 財布と携帯を確認するのは癖になっているけれど、わずか10分の間にお弁当を確かめるのは怠ったのだ。 しかし、原因は分かっても自分のために何かしたい。お昼ごはんもない。もしかしたら買った場所に忘れてきたのかもしれない。私は再び市場に向かって自転車をこいだ。牛乳屋さんでお店のおじさんと目が合った。私の心の中には「誰が持っていったの?」があるままだ。おじさんを見たまま視線をそらせずにいたら、おじさんは立って家の中に入っていった。それから、ご飯を買ったところに行って、お姉さんに聞いてみた。「さっき買ったごはん、忘れていませんでしたか?」お姉さんも知る由はなし。私は食べたかったものをもう一度買った。「カバンの下に入れてね」とお姉さん。本当にその通りだ。私はお弁当をカバンの中に閉まった。 牛乳屋さんの前を通ったら、おじさんの代わりにおばさんがいた。ここで何度か炭酸を買ったことがあるから、おばさんは私が外国人だと知っている。「ちょっと待って」と言って、ペンと紙を持って来てくれた。「かくかくしかじか。私はご飯を置き忘れていないか探しに来たんです。おじさんに聞きたいんです」 おじさんはどこへ行ったか分からない。おばさんは商品の間を見て探してくれたがご飯は出てこない。私のほうも戻ってくるという予想はない。しかし自分に出来ることをしてあげたかった。おばさんにお礼を言って、帰ってきた。気持ちは、2回分の値段で食事をしたと思えていた。 そういえば今日、ヘドロの前に洗濯物を干す人々の家の前を通った。ひどい臭いに、「自分はここには住めない」と思った。この国は日本とは違う。だから治安が悪くていいとは思わないがスリが横行することにも納得する。物がなくなっても、体が残っている。健康な体があることはひとつの能力だ。 家に帰ったらパソコンが目に入った。電化製品でなくてよかった。財布も携帯電話も自転車も、今まで離れず手元に残っている。今のアパート暮らしも3ヶ月過ぎ、この場所に慣れてきた私に、「気を引き締めて・メリハリをと付けて」と声をかけてくれたんだ。知らない誰かさんにお弁当をご馳走した気分になった。
夕方、学校の友人に紹介してもらったアパートを見に行った。今は外国のご夫婦が住んでいるから6畳広さの部屋の中に生活道具はそのままだ。私が二人寝れるくらいのベッドが壁に沿って置かれていた。ご夫婦は、冷蔵庫や洗濯機など必要なら売りますと言った。私の住まいの条件はインターネット回線があることだ。聞くと、「回線はあるが、自分で設置したから譲るのに約100ドルだ」と言う。そんなまさか。ベトナム生活で飛行機代以外に100ドルもかかるものに触れることがあるなんて、想像もしないから驚いた。その他の家具も譲ってくれるという値段は、この半年の間にすっかり遠のいたドル値だ。汚れたヘルメットをかぶったまま質問していても、やっぱり日本人だからかなと思いつつ、尋ねるのをやめた。 その物を買わなければ、立地場所と広さとクーラートイレシャワー付きで、11000円は安いだろう。シンク台は欲しいが、あれば調理器具がほしくなり自然と物が増えるから、逆に無くてもいい。シャワールームは今のところより広いし、市が管理している飲み水に近い水道線を自由に使えるらしい。(そんなものがあったのね) しかし、ネックになることが二つあった。私は今まで冷蔵庫とお湯のない生活をしたことがないのだ。ないない尽くしだが、冷蔵庫のない生活がどんなものかイメージが沸いてこない。それでも外に行けば物は買えるし何とかなるということにしてみた。しかし、冷たい水でシャワーを浴びるのはどうかというと、びっくりしてかわいそうになったお尻のイメージが浮かんでくる。条件の2つ目が確定した。安さより安堵感だ。それでも、一呼吸おくことにして、「月曜日に返事をします」と伝えて家に戻った。 夜、お湯シャワーで喜んだ体でベッドに飛び込んだら、アパートのご夫婦から電話がかかってきた。 「インターネット回線買いますか?」。考えてみれば、Wifi があってもいい場所だから、回線はいらないかもしれないと一応聞いてみた。「Wifi 出来る場所?」「Wifi も準備できますが、もっと高いですよ」 私のほうは、数時間前に別の友人から聞いた情報を思い出した。「Wifi を自分で付けた時、始めに20万ドンくらいだったよ」。 どちらがどうかと自問する間もなく 20 万ドンを選んだ。真実は自分に問えばいい。私の生活に近いほうだ。 電話を切った後、ある外国の友人の言葉を思い出した。 「みんないい加減なんだから、いちいち本当のことなんか言うことないよ。」 黒い箱の中で真正直に生きて辛くなっていた自分を思い出した。今だって時々、真面目にしすぎてしんどくなる。何が大切か、今を楽しむことだ。楽しんで書いた本なら、読む楽しみも大きい。 私も時々、いい加減に出会う。そんな時は、ちょうどいい加減に対処できる自分を楽しもう。 何しろ私は、今、裕福と保護のある国から離れて生きているのだから。
昨晩は、22時には眠っていたはずなのに、5時に合わせた時計は夢の中で止めたらしい。目が覚めた時は7時になっていた。それに、咽喉より手前の辺りが痛くて頭も重い。どうやら鼻の奥にばい菌が集まってしまったようだ。今日は散歩は中止だ。寝すぎてマッタリした頭で 「朝晩冷えるからなぁ」 とつぶやき、布団の上で小さな子どものようにごろごろした。 それからBinh miを買いに出て、ついでに新聞を買った。中を開くと、あったあった。小さ2ミリくらいの小さな字で何ページにもわたって、貸し部屋コーナーが並んでいる。辞書を引き引きしばらく見入り、単語が分かってくるうちに、自分で電話をしてみたくなった。好奇心が湧き出したのだ。 夜には、家探しを頼んでいた友人から電話が入った。大学の近くで160万ドン。日本円にすると 11000 円弱だが、設備はトイレシャワーのみらしい。今の家より5000円くらい安いが、こちらの貸し家は、「ない」と言ったら本当に何もない。物を買い揃えるのはひっかかる。手元の新聞を眺めながら話を聞いた。
以前は 「環境を整えてあげること」を知らなかったから、何があってもそこにとどまろうとした。今は毎日、自分にいい道を探してつなげている。こんな私、いい感じだ。
今日は、昨日の公園とは反対の方向へ歩いた。1時間歩いてUターン。途中、市場によって、朝ごはんと Bun の麺を買った。ポットとスープのもとがあれば、家で麺類が食べられるのだ。
そういえば、昨日子ども達から手紙が来た。3つの手紙の束を取り出して中をのぞくと、紙切れが一枚。開くとそこに、長男の言葉が数行並んでいた。 「あの子だ」。 自分の感じたものを心に感じ取る前に、いや、感動している自分を自分の背中から見る前に涙が出て、部屋の中をうろうろした。泣いている自分を見て、「あれ?もう泣いてる」 と思ったから、泣いている自分は見えたのか…。 それにしても、私から返事を出してどれくらい経ったのか。時の経つのは早いと実感。しかし、焦りはない。私のまとめは、昨日よりも中身が濃くなっている。きっと、奥行きが増したのだ。
6時過ぎから池のある公園まで歩いてみた。車も人も屋台も少ない道を「この道こんなに広かったんだ」と感心しながら歩いた。空気は日中よりもきれいでマスクも必要ない。私の予想は当たったのだ。 公園に着いたのは、家を出てから50分後。体は半分満足していた。毎日2時間歩く計画だが、これでは行って帰ることになるなぁと、翌朝のことを思案した。しかし、着いてみれば、家のそばの公園より数倍広くて気持ちいい。ちょっとした森の中を歩いている気分にもなる。「明日のことは明日でいいか」と腰を下ろしたら、年配の男性に声をかけられた。しかし数回聞いても言葉が分からない。どうやら私の頭は、今、日本語モードらしい。 「すみませんが、あなたの言葉が分かりません。私は日本人です」と言うと男性は、「なるほど…」という表情をして、バトミントンのラケットを出した。 久しぶりの全身運動、体は喜んだ。年配の男性は腰をかがめることが出来なかったが、両手に持った二つのラケットで上手に羽を打った。 「カフェに行けますか?」と聞かれたが、体を動かした後はまとめ作業だ。 「明日も来ますか?」と聞かれたが、明日の気持ちは明日になったら分かるのだ。バトミントンをした。それでいいじゃないかと思う。
日中は、部屋にこもった。途中で雨が降って、屋上に洗濯物を取りに走ったが、部屋に戻ったときには雨がやんでいた。時間にすれば2分くらい。これで2回目だ。道路に雨の切れ目を見えることもあって面白い。(それなのに、毎回屋上に走る!)。
インターネットで新しい言葉を知った。「推敲」だ。 文章を吟味し練り直すことを 「推敲」 と言うらしい。「文章を書く際に、じっくり練り直してよりふさわしい字句を選ぶこと」だそう。「添削」や 「校正」とは違う言葉を捜していたから、嬉しかった。私のしていることはこれだ。
昨晩は、布団に入ったあと、浮かんできたものを書きたくてもう一度パソコンを開いた。頭を使ったせいか、再び横になった後もしばらく目がさえて、打ったばかりの文章の先を、心の中に探した。「考えるということ」は頭でするけれど、浮かんでくるのはその時の心に添ったものだ。 今朝は、完成箱に並んだ引き出しを当時生きていた順番につなげてみた。この作業は今までのひとつ先のことだ。何のために本を書くのかを問うた時、ひとつの引き出しの中に、「使いたい部分」が上がってきたことも興味深かった。 昼過ぎ、チョロン周辺へ行きたくなって外に出た。以前はバスを使ったが、今日は自転車だ。日曜日とあって車は少ないけれど、それゆえかバイクは左右から、隼のように通り過ぎていく。おまけに、地図上では通れるはずの道が行き止まりになっていた。ベトナムではあちこちで道路改良工事が行われているから、道の変更はやむを得ない。しかし私は、道路名の標識を読むのに目を使う。まとめに差し支えてはいけないと、途中で引き返した。 帰りに、初めて立ち寄る大衆食堂で、野菜たっぷりのおかずを買えた。 健康な体を維持しようとできるのは、大きな能力なのだ。
最近は、まとめをしながらオリンピックを見ている。こちらはもちろん、ベトナム語で、アナウンサーの視点も違うところが興味深い。
昨夜は夜中に2回、トイレに行きたくて目が覚めた。今朝は6時過ぎ起床。腹筋50回と、傍の空き地で素振り。アパートの管理人さんがカフェでベトナム語のプライベートレッスンを受けてたので、吹きさらしの窓から覗いて挨拶した。そういえば、私はしばらく学校に行っていない。しかし、特別困らずに生きていることを実感しているではないか。鼻歌がこぼれて手に持ったバットをバトンのようにクルクル回した。 気温は低めで肌寒かったので、朝食に温かいコーヒーを飲んだら体が喜んだ。私の体は、温めてあげたら喜ぶのだ。 10 時過ぎ、自転車で散歩に出て 12 時過ぎに帰ってきた。途中、適当なところで昼ごはんと思いつつ、大衆食堂では野菜を並べたお店になかなか出会わないのが現状だ。仕方がないので、家に向かって通った道を再び戻って、覚えのある店でお弁当を買った。お弁当のご飯はいつも、私の食事の2回分。だから、今日は夕ご飯の分も足りるのだ。 ところで、散歩に出るとき、理想は「1時間くらい」だが、いつも、あっという間に2時間くらい経っている。不思議だ。
ほぼ一日まとめ。昼に麺類を食べに行こうと外に出て、入りたいと思うお店が見つからず、スーパーへ行った。都会暮らしは田舎よりもストレスを感じる。Dong naiで撮った写真を見ると、口元が緩む。しかし私の中にはもうひとつの思いがあって、それは、心使いを受けることの感じ方の違いだ。人々・特に私よりも若い方が私の為に動いてくださる時、私の心は複雑になる。便利さを買うかどうかの選択もある。だから、今は本書きをする自分に一番いいことを自分と相談中なのだ。
ところで、今日は私の生まれた日。私は42歳になった。鏡に映る自分は始め、30歳くらいに見えた。それからしばらくすると35歳くらいに見えてきた。何歳かなぁと自分に問うと、私は42歳だ。でも何歳もいい。年齢も国籍も性別も、生きていくうえでは単なる偶然だ。 今日も、時々パソコンの動きが遅くなったので、その間に『Emile』を読んだ。ベトナムで『Emile』を読む機会を自然に得るとは…。つまり、都会にもいいことはあるのだ。ものは考えようだなぁ〜。
昨夕から、Dong nai省のお友達の家へ泊まりに行った。 バスを一回乗り換えて、ぎゅうぎゅう詰めで斜めにしか座れないスタイルのまま Dong nai 川を越えて、全部で4時間。下車後に食べた Bun bo は今迄で一番おいしく感じた。 その晩は蚊帳の中で眠りに入る。ラッパのエコーを声を聞きながら一晩過ごし、朝は市場の音で目が覚めて薪をくべてお湯を沸かす。朝食前に庭のパパイヤをちぎって食べ、昼はマンゴの木に登り、ちぎった草と捥ぎたてカボスジュースで昼ごはん。冷蔵庫や洗濯機の変わりに、全部が人の手で動いてる。懐かしさにホッとしたり、珍しさに悲鳴を上げたり、ホーチミンという町の小ささを感じたり。 住んでみたい場所のひとつになったが、住めるかどうかは未定だ。
ホーチミン市 大雨後、家の前で大渋滞。止まっているのは動かなくなったバイク。この日、バイクにぶつかって転んだ。
ドンナイ省   引越し先候補のお部屋
毛布かと思ったら鳥さんでした。卵を暖めています。その数は10個くらい
 上のものとは違う鳥だけど、お散歩風景 食肉用の牛。近寄っても大丈夫。私も草に見えたのかな。
カラスアゲハ。大きさは日本のものと同じくらい。生息地は東アジアだそう。
“オオトカゲ”泣き声も姿もすごい!全長…私の足くらいの大きさ。泣き声は、ラッパにエコーをかけたみたい。たんすの奥から聞こえるその声に「今の何?」と尋ねずには居られない。白いのは卵。飼っていないけれど、住んでいるそう。すごい!友人のご家族は私の歓声に歓声をあげておられるようでしたが、私は本当に、ワニを見ているような気分でした。
ホーチミン市一番の大きな公園。国道を走ると必ず視界に入る巨大な顔。
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