「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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朝一番、バットを握ったら手のひらの “まめ” が破れてしまいました。洗って清潔にしたほうがいいのでいったん家に帰り壁投げをしに出ました。ところが、いつもの場所に車が止まっていて、壁が使えませんでした。端っこのほうで投げていましたが、ついに球がそれて排泄物のにおいのする辺りへ入っていきました。はぁ〜。球は汚れずに済みましたが、汚れてしまうと嫌なので、壁投げも止めました。 そこへ氷やさんが現れました。壁の端っこの倉庫に氷をたくさん収納していて、それをバイクに積んで方々へ売りにいくようです。 感心したのは、倉庫の中はトタン貼りで特別冷却されているのではないのに氷が解けないことです。運動は出来なかったけれど、面白いものを見せてもらったので、満足して家に帰りました。
午後はまとめに入りました。この頃はパソコンのデスクトップに並んだ 「心の引き出し」 を見て喜んでいます。 それから、今日も新しい発見をしました。それは人格についている名前のことです。今まで、それぞれの名前の由来を気にしたことはありませんでしたが、今日、一人の人格の名前は、実際にその当時人に呼ばれていた名前だったことを思い出したのです。 さらに、夕方には、同じ日に6つの引き出しに分けられた日記を見つけて、悲鳴をあげました。能力を意識しなおしてもう一度デスクに向かいましたが、読んでいるうちに混乱してきてベッドにもぐりこみました。しかし、こんなことも心の傷を知るきっかけになりました。 水脹れの“まめ” はつぶれましたが、“まとめ” は進みましたから、“まとめ” をするには自分を“こまめ”に見るといい、というのは私の “まめ” 知識です。“まとめ”の “と”を取ると “まめ” になるのですね…。そういえば、私は毎朝 “豆乳”を飲んでいます。
ちなみに、辞書を広げてみたら、食べる“マメ”はカタカナで、水脹れの“まめ”とまじめの“まめ”はひらがななのでした。文章で遊んでいるうちに豆知識も増えました。
今日は、朝起きてすぐに、公園へ素振りに行きました。久しぶりなので、手にマメが出来ています。つぶれると痛いので、温存できるように大切にしています。 しかし、バットが重たくて…。それから、腰の筋肉も使うのでちょうどいい加減で止めました。(というより、出来ませんでした。) 素振りを止めた後、空手の形の練習をしました。体が喜んだのがわかりました。
午後、同じ大学に通う日本人の女性3人と食事に行きました。久しぶりにレストランというところに入り、最初は自分の来る場所ではないようで落ち着きませんでした。 お店の中は清潔で、お料理は大衆食堂よりもきれいでおいしかったけれど、料理がなくなってお腹が満たされると同時に話題も尽いたような雰囲気を感じました。二人の方とは初対面でしたので、心の本を書いてると言うと「ふーん」と返事を頂いて次の話題に移りましたから、皆さんの関心と私のそれは違うことがわかりました。 食事の後、皆さんはカフェに、私は家に向かいました。私もコーヒーが飲みたくなったので、ベンタイン市場のバスターミナルでカフェを買いました。帰り道に考えたのは、「こうして、自分にいいものをチョイスしていけばいい」ということでした。
いつもよりもたくさん食べたので、夕ご飯は入りませんでした。
今朝は素振りをした後、近くの公園に行ってみました。入り口には行商の人が集まっていて、中に入ると、運動をしにきた人々が、所狭しとグループになり、ダンスをしたりバトミントンをしたり、それから、足で羽を飛ばして遊んでいたり(名前がわかりません)。私も、明日は公園に来て素振りをしようと思いました。 公園を一周した後、周辺の道を散策しました。歩いているうちに、いつも入り口不明のグランドの入り口を見つけました。今まで、朝は学校方面に向かっていましたから、今日は新しい世界を発見したのです。
朝食を食べて、さてまとめを・・とパソコンを開いたのに、お目目が活字を受け付けてくれませんでした。一日は長いのです。朝からこれでは…ということで、思い切って自転車の旅に出かけました。
私は夏休みですが、町はいつもと同じように動いています。朝の公園の心地よさが残っていたせいか、バイクの騒音やクラクションが耳に付きました。 ベトナムの渋滞の原因のほとんどは、事故や交通アクシデントではなくて一番先に行きたい人が集まったものです。そんな中、私は頭に本の世界を広げながら気の向くままにハンドルを握りました。
途中でコピーやさんを見つけたので、ベトナムの方のようにお店の外から大きな声で「いくらですか」と聞きました。でも言葉が通じず、お店の方は困り顔。私は苦笑いしながら、もう一度ベトナム流に、自転車のまま中まで入り、紙を一枚指差して「いくらですか?」 と聞きました。値段は大学の近くのお店よりも安かったです。今後の活動の目安にしました。
午後はまとめをしました。今日も感じたままに動いて、プラスが広がりました。
夕方、シャワーを浴びていたら、玄関になにやら物音がしました。 それは、長女から届いた2通の手紙でした。 日本とベトナムで未知の世界の道が広がったのです。私はうれしいです。
うれしいお客さま。 2ヶ月くらい前から一緒に住んでいるヤモリ。キュンキュンと鳴きますョ。
大学で見つけた虫。名前がわかりません。
学校に行く途中でバイクに乗った男の人が話しかけてきました。最初、道を尋ねられているのかと思ったので、「何ですか?」と繰り返しているうちに世間話だとわかり、(なぁ〜んだ)と思いました。 でも、その人はのろのろ運転をして話しかけてくるので、私は以前からしてみたかったことを試みました。それは、私の足でバイクにつかまって、バイクに自転車を引っ張ってもらうことです。これで自転車をこがなくてもすむのです。ホーチミン市へ来てからよく見かけるこのスタイルを、いつかしてみたいと思っていたのです。しかし、見ているより難しくて出来ませんでした。 彼は、ベトナムの電力会社に働いていると言いました。なるほど、ベトナムのマークの制服を着ています。私はベトナム語の職業紹介を一度で聞き取れた自分に、密かに歓声を上げ、習った単語の職場で働いている人が実際にいたことにワクワクしました。 次に彼は、「僕は電話に詳しいよ。だから電話番号を教えて」と言いました。私は笑えました。そしてその延長で番号を教えてしまいました。 でも、すぐ後に(あれ?)と思い、「でも、どうして電話に詳しいだけで番号を聞くの?!」と言ったら、「へへへ」と笑っていました。 私は右脳の発想で動いてしまったのです。でも、今回はそんな自分を知っていますから、前回よりは成長しているのです。と、Open にしておくのが好きな Mamo ちゃんでした。
学校ではテストが帰ってきました。本書きの息抜きに勉強していましたから、それなりの点数。出来た分だけ出来て、ミスった分だけミスって、答案の解説も楽しめたプラス満点のテスト結果でした。 授業は今日で二つ目のコースが終わり、明日から3週間の夏休みなのです。楽しかったせいか、Techerと目が合うとき、他にもクラスメイトは居たのに、マンツーマンで授業を受けているような気持ちがしていました。 本書きのまとめもようやく軌道に乗り始めたのか、私は今、過去を見る楽しみという好奇心の中にいます。 数年前の自分を傍観するときの気持ちを一言で言うと「私ってこんなだったんだ」という感じです。 私は、私が知っている以上に、私をしようと動いていたのですねぇ。
夕方は家の近くの食堂へ行きました。この食堂は行動範囲の中では一番安い食堂で、大盛りご飯とおかず1品で一食7000ドンからです。私はご飯を半分にしておかずを2種類にしてもらって10000くらいです。 安いところがお気に入りなので、帰るとき、いつも「ありがとうね」と言いますが、お店のおばちゃんは今日、私が帰るとき、肩を撫でてくれました。ベトナムの母の居るお店が又ひとつ増えて、喜んでいます。 今日も居心地のいい一日でした。
明日はテストなので、学校へ行ってきました。プチテストの問題に 「もし〜だったら」 という文法を使って文を作るものがありました。私は 「もし私が魚だったら、海の底で眠ることが出来ます」 と言いました。それから、「学校が終わったら、・・・をします」 の文章には 「よその国へ行って暮らしてみたいです」 と言いました。「どんな〜も〜です」 の時には、「私はどの国でも生きることが出来ます」 と言いました。 全部、Wonder な Mamo ちゃんです。この頃、授業時間にもベトナム語で遊べるようになっているのです。 実は、テストを受けるかどうかわからないけれど、難しいところは質問をして、使えるようにしてから帰ってきました。楽しかった・・・。
目が疲れて寝転んだベッドの上で、子ども達の手紙が目に留まり、手にとって封筒を開けてみました。 三女と次女の手紙のどちらにも、「会いに行きたい」という言葉がありました。その文字は日本でも読んだはずなのに、始めてみるような気持ちがしました。 その横に書かれた電話番号を見ているうちに、公衆電話に走っている自分が浮かびました。でも、今はまとめをしている途中ですから、浮かんだ自分は先送りです。
それにしても、私は自分の親に会いたいとは思わないのに、この子達は、彼女達を置いてきた私にさえ会いたいと書いています。親って何かなぁと改めて思いました。 たぶん、子どもの時代は、私自身がそうであったように、どんな親も、親は親なのです。そして、私は自分の親とは少し違うことをしています。 私は、自分の語ったことを形にすることは私自身の親としての責任です。こんな私はどこまで出来るのか、自分の可能性を知りたい気持ちもあるのです。それに、まだ苦しい自分もいますから…。 「どこまで出来るか、してみよ〜!」は、つい最近、壁に貼った言葉です。
こうして考えると、日本を離れる直前に届いた彼女達の手紙に、動くエネルギーを得ていたのですねぇ。手紙の中から、手のひらですくい上げたみたいです。
夜、屋上に洗濯物を取りに行きました。ひんやり冷たい空気が、私に夜空を眺めることを提案してくれました。 トタン屋根の上に座って空を見上げたら、白い雲の間から小さい星がひとつだけ見えました。遠くの方で、飛行機が低い位置で飛んでいました。空港の方角に向かっているからどこかからの到着便なのでしょう。飛行機の行く先を追っているうちに、「来ている自分」が浮かんできました。 私は今、ベトナムに来ている。そう、来ているのです。何のため?心の本を書くためです。 脳裏に、ここに至るまでの苦しかった頃の自分が浮かび、「いろいろあったなぁ。そして、ここまで来れたんだなぁ」と、心にあたたかいものがこみ上げてきました。 ベトナム滞在4ヶ月目を終える直前に、遅ればせながら、本当にベトナムに来ることが出来た自分を実感した夜でした。
寝る前に部屋のドアを開けたら、ゴキブリが入ってきてしまいました。ベトナムのゴキブリは、日本のものより二回りくらい大きくて、まるでカブトムシのように存在感があるのです。4畳半の狭い部屋にゴキブリと一緒なんて、夜中に暗闇を舞う姿を想像したら、どうしても出て行ってほしくなりました。 ということで、荷物を少しずつ移動させ時々悲鳴を上げながら、夜遅くに大掃除です。 10 分くらい後のことでしょうか。ふと見ると、ゴキブリが私にお尻を向けて、部屋から出て行こうとしていました。 「お願いだから振り向かないでね」。 後ろからそっと近づいて、床をパン!とたたいたらゴキブリは急いで部屋から出て行ってくれました。(急いだのか普通なのか分かりませんが) アリの大群より大変に緊迫感がありましたョ。だって…ゴキブリさんは飛びますから…。
道を歩いていたら、同じ服を着た方々がいて、その人々を見ているうちに、こんな言葉が浮かびました。 「この国の人も、日本と同じように、同じ色に染まることを要求されて生きているのではないかな」。 同時に、それまで気にしたことのなかった若い方々の服装や髪型。道を走るバイクについている飾り。ベトナムの皆さんが私に語ってくださる言葉も浮かんできました。 そして、私はこの国でも世界中にただ一人の私として生きる自分を生きようと、改めて思いました。実際にそんなふうに生きていると、どこにいても楽しいです。
こんな私は今日、「希望に満ちた将来」というベトナム語を見つけて喜んでいます…。
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