「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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仕事は半日で終わり、毎月恒例の勉強会がありました。私は初参加です。勉強会は違う知識が入ってきて面白かった。 会のあとに薬品会社の方から薬の効果などの話もあり、お弁当を頂きました。お弁当は製薬会社さんから頂くらしく、オードブルのように大きかった。大切な栄養素なのでおいしく頂きました。それからボールペンを頂いて、でもボールペンは先月も頂いたのです。 病院ではよく、製薬会社の方からペンやメモ用紙を頂きます。そんなに早くなくなるものではないので、机の引き出しにたくさん余っています。あのペンをヴェトナムで出会った子どもさんたちに渡せたら、彼らは何をして遊ぶかな。
150パーセントの好奇心。
あるものとないものについて話す機会がありました。私は、150%の好奇心があれば、今はないものをこれから掴んでいくことが出来ると言いました。 私にも、生きていくのに足りないものがたくさんありました。傷の深さに比例しているように、足りないものばかりでした。 そして今は、心の傷が癒えたぶんだけ、引き出しが増えました。 知らないことがあるとする。というより、今知っていることは今知らないことに比べたら針の先ほどの小ささ。そして、150パーセントの好奇心を持っている私だから、いろんなことを知ろうとすることが出来る。
150%の好奇心。思わず出た言葉だったけれど、私の宝物のような言葉になりました。
毎日のように、私にとって大きな気付きがあって、今夜もまた嬉しい。 いつも私が主体でいいのだなぁ。どんな時も。
今朝は、自転車で行こうと準備して、さあ出発と外に出たら、空模様が怪しかったのです。どうしようかと悩んでいるうちに時間が過ぎて、ついにバイクで出発しました。職場に着いたら晴れてきて、はららぁ〜。 病院は患者さんが少なくて、ゆったりと仕事をしました。アンゴラの靴下を履いている看護婦さんが居て、気持ちよさそうだったので、お手手ですりすりして遊びました。女の子と遊んで、ストローク。こんな風にアイデアを浮かべられるのは、私の心が昨日よりも又少し先に進んで、ゆったりしていたからなのです。 夜、お風呂につかって、浴槽の壁についた小さなあぶくを指でなぞってみました。そうしたら、なぞられて離れたあぶくは皆、壁伝いに上に上がってきて、水面まで来たらきれいに並んでシュラシュラと消えていったのです。面白いから壁中のアブクをなぞって遊びました。なぞったところから順番に水面まで浮かんでは並び、並んだ順番に消えていく様子がかわいらしかった。よーく耳を澄ませたら、アブクが消えていくシュラシュラの音がかすかに聞こえてきました。これもまたかわいらしかった。そういえば名古屋へ来た頃、プールに通ってアブクで遊んだのです。アブクって面白い…。
明日は自転車通勤が楽しみ。早く明日になぁ〜れ。
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自分の心に添って、楽しいことがいっぱいありました。 シーズン最後の野球で、3年間のうちに一番したかったことが出来ました。 それから、自立した女性になれるよう自分自身を導いている自分を見ました。 それから、ヴェトナム人の男の子と、ヴェトナムと日本の心の架け橋になれるねと語り合いました。 そのあと、私のヴェトナム人教師 Tちゃんと、今を語りあいました。
未来を見て今を語った日曜日でした。
今日も自分を見てきた日。 とても忙しくて、水分も取れず座ることも出来ず動き回りました。体はきっと疲れてた。 そして心は…。「こんな日もあるね」と割り切って軽く動く私が居ました。我慢ではなく、辛抱の気持ちでいられたみたい。昨日満たされた自分の延長で、楽に働いていた自分を実感しました。 仕事が終わってから飲み物を数本買って午前の分も飲みました。おいしい水分でした。
午後は育成会。ある方の、自分と対話するという言葉を聞き、心に浸透しました。私も、 私の気持ちを知っているのは私。私の心の声を大切にします。いつも自分を整理して、よりていねいに語れる私を育てます。
いろんな方の話をきくことが出来て、有意義な時間でした。
今日は少し時間があったので、処置台を拭いたりそうじをして楽しみました。ステンレスがきれいになって、自分の顔が写って面白かったです。それから疲れる前にこまめに水分を摂ってあげて、座れるときには座ってあげて、自分を大切に出来る方法を探しながら、仕事を楽しみました。
それと、オウム返しを利用してみました。利用した後は少し疲れました。疲れたのは、少し戦ってしまったから。
でもね。 私は逃げなかった。 痛みを感じる自分を大切にして、先の自分のために自分を伝えてあげられた。 新人だからとか、分からないことが多いからという理由で小さくなっていた自分を助けてあげられた。 社会にある上下関係に、NOが言えた。 動きの中で学んだことは「人として対である」ということ。
自分の現実の中で自分にインプットしてあげられたんだ。
やっと出来た。よかったね。 よかったよかった。
夜のお散歩と空手がつながって、だから今日も空手に行きました。 道場で感じたままに動いていた私。そうしたら…。
思わぬところでトラウマが取れて。それも、そうしている私を感じてた。私は私を感じていたのデス。
すごいすごい。出来たできた。今夜はいつもの何倍も嬉しいのです。
明日も楽しもう。
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午前中パソコンとお友達。インターネット録音が出来るようにしようとしているのです。しかし今日も、録音した音の再生ができませんでした。どうして音が出ないのだろうねぇ。 パソコンに飽きたあと、ルソー著書 『Emile』 を読みました。『Emile』 の中には感官という言葉が何度も出てくるのですが、今は、「人の体は触覚で守られている」というような辺りを読んでいます。ルソー君の言葉は持っているものを大切にしている私の心に響き、共感を覚えます。 それと、ルソー君は、夜の遊びをたくさんするほうがいいと書いていました。人が暗闇を恐れるのは、見えない世界で想像して恐怖心が増すからだと。私自身が過去に刷り込まれた事実と同じです。 子どもの頃、遠くに見える電柱や影すら怖くて大変でした。大人になってからは部屋の電気の紐が私を襲いに来ると怯えました。 私も自然な暗闇の楽しさを知ってみたい。今度、夜の散歩に行ってみます。楽しみ楽しみ。
夕方は Gobamcan の人々と会いました。人が集まればそこはひとつの集団になります。そして私の感じたものを大切にしていると、人々の話も自分に興味のあるところに参加しようとすることが出来るのですねぇ。 これでいい。感じたものを基準に動くとこういうことになるのです。
夜、鏡で唇を眺めました。くちびるってつややか。自分の指で触ってみたら、つるつるプリプリしてくすぐったくて気持ちよかった。唇って敏感なんだなぁ。 赤ちゃんの頃いろんなものを口に触れてその感覚を楽しんでいたかなぁ。40 年くらい前の自分にそれが出来ていたとは感じられない分、今の私に出来る方法で、感覚を楽しんでいます。こんな自分に安心。 そして、今日も一日楽しかったねぇ。
今日も忙しモード。病院という場所はどうしていつも人がいっぱいなのでしょう。皆さん怪我と病気に注意しましょう。 そして私は、忙しくても自分のすることを大切にしました。ていねいにしようとする自分を見たあとのある瞬間、「あ〜これでいいんだ」と、心に明かりが灯りました。 産休で休んでいる看護師さんが、赤ちゃんを連れてやってきました。小さな赤ちゃんを抱いたお母さん。お母さんは看護師さん。目を逸らしたくなっている私に、「私にもこんなときがあったね」と言葉をかけました。何が間違っていたのかなと自分に問うている私と根底を知っている私がもうすぐ同じになるからね。こんな自分を知っているから大丈夫。
昼間お笑い系のテレビを見ていたら、画面の中の言葉と職場で聞く言葉が重なりました。世間の人々の語源は、ここからきているのか…と納得しつつ、面白くて笑えました。でも、私は使わないようにしたい日本語なのでした。 特にこの頃、ヴェトナム人Tさんと毎日電話で会話しているから、ゆっくりていねいに単語を並べて語れるように意識しています。私の言葉が少しでも早くなると、もう少しゆっくりお願いしますと伝えてくれます。そして私がヴェトナム語を習うときも同じ。お互いに早くなりすぎているのがわかって、2人で笑うことがあります。こんな時、ほんとに面白いです。 いつも、世の中に私を当てはめるのではなくて、私の心に私を添わせて生きるのがいいのですねぇ。
夜のお風呂の時間。人肌程度のぬるめのお湯が、最高に気持ちよかった。私がもし赤ちゃんだったら、これより熱いお湯には入れない。ぬるさを楽しんだバスタイムでした。 ご飯の時間には、口の中でいろんな感触。鶏肉って、こんな感じだったんだとまたまた楽しかった。そのものの舌触りを楽しんで、心もお腹も喜びました。食事が終わっても、口の中に感じた鶏肉の感覚を忘れたくなかったから、思い出して楽しんだ。ある日の夕食でした。 今日はどうしてこんなに、感官な日だったのでしょう…。不思議な一日なのでした。
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今日は、リストカットをしている子どもを見かけました。世の中には、変わろうとしているところと、変わらずに保たれているところがある。そして、この子たちが居るということは、世の中はやっぱりマイナスなのです。心を大切にされているほうがいいです。
午後、注射をしていたら、こんな会話がありました。 「かんのさん、これ忘れてたやろ」 私から離れた場所で、付ける必要のあるものを付けるのを忘れていました。 「あ〜すみません。ちょっと手が離せない…。付けておいて貰えますか?」 「いやだ」
マイナスの言葉に出会ったときは言われたことをそのまま返せばいいと聞いている。でもいつも、言葉のオウム返しが間に合いません。私、頭が悪いのかな。 家に帰って、嫌だと言われたときの自分を思い起こしていたら、子どもの頃の自分に出会いました。 子どもの頃、私はいつも黙って、沈黙の子どもをしていた。人々の言葉なんて少しも分からなかった。 でも今は、あの頃とは違うはず。黙っていたら、嫌だという気持ちが伝わらない。自分を守らなくちゃ。
だんだん、オウム返しをしてみる機会を待ちたくなりました。 ほんとうは、こんなの変です。オウム返しをする機会なんて現れないほうがいいに決まっています。でも、もしもその時が来たら、勇気と自信を持って、してみたい。
帰りに、看護師さんがリストカットの子は精神科に行ってるのかなと私に尋ねました。 知ってるけど知らない。でも、私はあの子たちの気持ちが分かるから。
そして、前回の日曜日から毎日、ヴェトナム人のお友達と電話で会話の勉強をしています。楽しくてやさしい時間です。次に新しい会話が使えるように、毎日勉強しています。面白い。 オウムってジョウビタキよりもうんと大きな鳥だったはず。ヴェトナム語を話すオウムちゃんになろうかな。
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昨日の食事会。私の歓迎会も入っていました。私は「毎朝皆さんに歓迎されているのに、改めて歓迎してもらってありがとうございます」と伝えました。 でも、実際には自由を否定される空気を感じることが続いているから、少し嘘が入ってる。そして、歓迎されていることもあるから、本当も入ってる。それから、みなの前で歓迎されている方を語れたことは、私の能力だと思います。 ちなみに、一緒に働く人の中には今回の食事会に声のかかっていない人もいて、私たちはその人の背中を見ながら出発しました。複雑な心境でした。そのせいでしょうか。食事はおいしかったけれど、残された人の姿が私の心に残っていた分、楽しさが小さかった。声のかからない人がいるのはなぜかな。 今日は、患者さんとの会話の中で私のほうが間違えた表現をして患者さんが驚いた…という出来事がありました。間違えたことがすぐに分かったので謝ってそのまま話をしました。肯定の中で自分を語れた時には面白い。生きてる感じがします。
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