「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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カブト虫が全部羽化したので、槌を減らしたり風通しのいい屋根をつけたりして、過ごしやすい環境を作りました。 それと、ベトナム語を勉強しました。文章を作れるようになってきたのですが、机の上や文章の中だけでなくネイティブなものをもって、心で会話が出来るようになりたい。 私は今、どこかにヴェトナム語レッスンを提供している人は居ないかとアンテナを張っています。
午前中、会社から契約変更の申し出がありました。 突然のことで少しびっくりしましたが、出来ることを探して動きました。 それで、時々、びっくりした自分を思い出して巻かれそうになりました。でも、出来たことがあったから、楽しい事もありました。
夜、自分が残しておいた昼間の出来事メモを見たら、戸惑った中でも、次の自分に繋がるように冷静に動いた自分の様子が書き残されていました。何回も読んでいるうちに安心感が沸いてきて…。 今は、自分自身を心の拠りどころに出来る私に、喜びを感じています。
本『インナーチャイルド』の中の文章を借りるのなら、「敬意を払って怒りを表明し、権威のある人に筋の通った方法で語りかける」ことが、少し出来たのかなぁ…なんていうことも。
実はこの出来事が浮上したのは数週間前。その時は、07年になってから朝日新聞で度々見かける、一人で入ることが出来る労働組合を調べました。でも、裁判だって一人で出来るから…。私には必要ないものと感じてページを閉じました。 自分の出来事に自分で向き合ってみると、いろんなことが見えてくる。私はこっちの方がいいです。
夕方、手術をした病院へ診察に行きました。傷の具合は順調。痛みは時々ありますが、日にち薬。それに私の細胞ちゃんはただ今活動中ですから。 それから、この出来事をもとに、チャイルドを癒やしにいきました。私はもっと自分の身体に興味を持ってもいい。大丈夫なのです。 出来た自分を利用して、深かった心の傷を癒やせていることにも喜びを感じています。
訪問先で、あと1ヶ月で訪問を閉じることを伝えました。家族の方に、あと少しの間、出来るお手伝いをさせてくださいと話しました。たとえば麻痺になられても、その方のしたい何かがあってその方に出来る何かがあって、そこから広がる何かがあると捉えていますと伝えたら、家族の方は 「それは、先の人生への希望ですね」 と、分かりやすい言葉で表現して下さいました。私は、「家族の方もご本人もそれから、この私自身にも希望がありますね」 と言いました。私の仕事が大変だったの?と訪ねてくださったので、 「始めは何も分かりませんでした。利用者さんの気管切開部に痰が絡んだらすぐに吸引器に目が行く自分に気が付いてからは、本当にゼロからのスタートでした。いつも何もかも手探りでした。いろいろな発見をしました。そして今日まで医療行為のないところでも看護としてそこにいることが出来るということを学ばせていただきました。すべて大切にしたい時間でした」 と伝えました。 私のことを尋ねて下さったから私を語ることが出来ました。私の言葉に最後まで耳を傾けてくださったことに喜びを感じました。
社会では、昨年の介護保険の改定のために介護を必要とされる方々の声が行政に届かないことで辛い思いをされている方がたくさんいらっしゃるそうで、家族の方は 「どこにこの憤りを訴えたらいいのか。どこかに訴えたい」 と仰いました。私は、「裁判は独りでも出来ますから。もしも裁判をされるのなら、そのとき私にも何かお手伝いさせていただけることがあれば嬉しいです」 と伝えました。
事務所で空いた時間に、ヴェトナムへ旅行に行ったときの日記を読み返しました。出来た自分がそこにいて、国境を越えて心の会話を交わした私が居て、次に繋がるのがイメージできて、いつも自分を楽しみしています。
それと、今日も手術後の自分の体を大切にして動きました。 こんな風に自分にやさしく出来ることをうれしく感じます。そしてこのやさしさを、心の傷を癒す作業に利用しています。
カブトムシ君の家が小さくて狭い気がしたので、100均ショップで入れ物を買って庭から木を拾ってきて、天井の高い家を作りました。昆虫用の値段の高い容器ではなく、自分で工夫できたところがなんとも言えず嬉しいです。
仕事はいつもと同じ。そして今日の私も先週とは違っていました。 大切なのは今、そしてこれからの自分。私は今日もいろんな自分に気が付きます。そして、私は今自分を広い視野で見つめる練習をしているのです。確かな自分として生きる技術を1つ持ったような気持ちもしています。 いつも気が付いたところからサクサクと変えていければいいな。どんな私も私だから。
今日は家に帰ってから、ヴェトナム語の勉強をいつもよりたくさんしました。 それから心友にヴェトナム語でメールを書きました。この間、ある女性に、Banh miと言うのは何?と尋ねられたので、調べてみました。そうしたらくすっと笑える発見をしました。単語を探しているうちに、どこかでつながるから面白いです。
昨日日帰り手術を受けたので、運動は控えておきました。麻酔をかけられた自分。面白かった。過去の自分と比較することが出来ました。 事務所で、昨日私の身体に使われた麻酔薬を調べていたら、副作用のところに私の体験した感覚と同じことが書かれていました。よく考えてみれば確かに副作用です。でも、自分の過去と比較することが出来て面白かったです。不思議な感覚でした。
傷は痛いです。でも、こんな時、私は自分にじっくりと耳を澄ませます。 私の身体は今、私の痛んだところを再生するべく働いてくれているのです。
私の細胞ちゃん、よろしくね。
今日は仕事を休んで日帰り手術を受けました。私は麻酔の初体験をしたのです。 手術室に入って麻酔薬を1�奸�筋肉注射されました。その後数分間は、Dr.や看護婦さんと話をしていました。 「痛くないようにしてね」 「そんなに話が出来てるうちは痛くて出来ないから、まだしないよ。大丈夫だよ」 看護婦さん達の様子もよく見えます。でも手術台の乗っている自分は、その様子を懐かしがる余裕はほんの少し。
そして「なかなか効かないなぁ」とつぶやいたその時、私は突然、スコーンと地球の裏側に落ちていきました。 何処か遠くで誰かが「菅野さん聞こえますかぁ?」と私を呼んでいて、だから私は返事をしたいのだけど、でも…でも…。
どれくらい時間が経ったのか。気が付いたら、いいえ、自分に気が付く前の私は、まるでスポンジの中をくにゃくにゃと散歩している感覚でした。青や紫のスポンジがくにゃくにゃフワフワとそこらへんにあるのです。 思い切りまぶたを開こうとして少し目が開くと、手術室前に居た部屋の風景が、歪んでそこにありました。 「おかしいなぁ。手術室に入ったはずなんだけど、おかしいなぁ。勘違いだったのかな。また間違えたのかなぁ」 「おかしいなぁ。注射をしたはずなんだけど。おかしいなぁ。誰かと話をしてたんだけど。今から手術しに行くのかなぁ」
そこへもう一度、スポンジの国が現れて、私は真っ青なスポンジの小さな穴の中でくにゃくにゃになっていました。 「あー、何がなんだか分からない。私ついにおかしくなったんだ。やっぱり。どうでもいいや。でも、どうでもいいやって…どうでもいいやって言えない。口びる動かない。あれ?ごっくん…出来ない。つば、誤嚥した?肺に入った?大丈夫?」 「うーん、ちょっと待って。ここはいったいどこだっけ?」。 …あーもう、身体がくにゃくにゃ。わけが分かんない。体もスポンジ状態。
もう一度目を開けたら、やっぱり手術前に居た部屋が見えました。 あれ?まっすぐ。やっぱりこの部屋。 点滴ある?しかくいの。たぶん点滴。点滴入ってる? 少ない?なら、手術済んでる。見えない。落ちてる?見えない」 「手、動くかな。人差し指、動いた。中指、動いた。薬指、動いた。赤ちゃん指、動いた。足の指、動いた。指、動くんだ。でも足首動かない。身体動かない。先っちょだけ。手術したんだっけ。今からなんだっけ。ほんとはどっちなんだっけ」
そこから私はもう一度深い眠りに入りました。そしてこのとき、私の耳に自分の深い呼吸の音が聞こえていました。 クーックーッ。ンーっ。…。 この感じ、何処かで覚えてる。沈んでいく。
そうだ、あの時。名古屋へ来たころ、よく眠ってた。どこででも眠ってた。スコンと自分が消えて落ちそうな感覚で深い眠りに入ってた。この音が聞こえてた。息、してたんだ。懐かしい。 確かあの時、私の中でたくさんの私の言葉が飛び交ってた。円卓を囲んでたくさんの私が話をしてた。 それから、時々自分の指が動くのを確認した。生きてる自分を確認した。あの時も生きてたんだ。
今日は? ううん、私だけ。私、大丈夫なんだ。
…… 夕方頃、私はようやくいつもの私に近い状態に戻り、自宅に帰りました。帰る前の診察で体験したことを話すと、Dr.は面白い表現だねと言いました。 手術前には、麻酔で眠って本当に目が覚めるのかと小さなドキドキもあったけれど、大丈夫でした。手術後には患部の痛みよりも麻酔初体験面白さが大きくありました。頭は回っていなかったけれど、面白い体験をしました。 そして、現実のある光景から過去のある光景を思い出し、過去の自分と今の自分を確認した出来事でした。まるで、過去の自分をもう一度見守りに行ったような気分でした。初体験時空を楽しんだ私なのです。
これを読んだ皆さんは、もしかしたら、Mamoちゃんはどこの手術をしたんだろうと興味が沸いているかもしれません。これにまつわるエピソードを、心の整理が付いてから、どこかで書けたらいいなぁと次の自分も思い描いているのです。
昨晩夜中。かさこそ音がするので、カブト虫の家を覗いてみたら土の中になにやら光るものが…。指で触ってみるとごそっと動いてびっくり。なんとカブト虫君が羽化していました。まだ6月末なのに。間違えちゃったのね。 既にお気づきとは思いますが、カブト虫君はオスです。ツンと上に延びた角がかっこいいですよ。 私は家と水と過ごしやすい環境を適度に提供し、彼は自分で羽化しましたから、私はカブト虫くんが大人になるのを手伝った人。だから彼の育ちを手伝ったお母さんなのですよ。ちなみに、うわさの彼の名前は「Buちゃん」です。そしてあと数匹居ますから…。 インターネットでカブト虫のご飯を調べていたら、バナナを食べるというのもあったので置いてみました。でもうちのBuちゃんは食べる様子がないので昆虫ゼリーを買っておいたら、吸い付いていましたよ。 残りの数匹の中にメスが居たら、カブト虫の産卵する環境が作れます。でも同じ家系だとだんだん小さくなるそうです。…ということは、方法によっては次の子が大きくなる事もある、のかな。
ところで野球は中止になったので、Gobamcanのメンバーと遊んで過ごしました。お昼はおなべを囲んで、午後はお友達親子が遊びに来ました。それから別の友人親子さんも遊びにいらっしゃいました。 名古屋へ着てからは一人を楽しむことを練習していましたから、今日は久しぶりに違う雰囲気を味わいました。 多人数の中に、誰かと同じことをする私ではなく、世界にたった一人の私としてそこにいる。そんな自分を感じて心から嬉しかった。私も成長したのです。今日の感覚を大切にします。
今日は利用者さんのお宅で今までとは違うやさしさを感じた日。 否定されていると感じていたお宅では私は何時も静かにしていました。それが今日、私はその方の身体にやさしく触れていたのです。自分が大丈夫だったのです。そしてその方の身体はやわらかかった。やさしかったのです。それでも私は静かにしていました。そしてそれでもその方の手はやさしかったのです。
6月に入ってから、人生の終わりや、ターミナルについて考えるようになりました。 人はみな死んでいくのであって、もう長く生きられて死が近づいておられる方の傍に居る自分。
寄り添うということは、そこに居ることでいいのだから楽なようで難しいようで楽なようで難しいようで。 痛みに寄り添う時に、そこに居る自分がその方の痛みを何とかしようとすると、知らないうちに介入してしまう。そこに居る私は自分の感じていることに耳をすませていると、痛みと向き合うその方を手伝うことが出来るのだなぁと実感させられます。 教科書や机の上では分からないことを経験している自分を嬉しく感じています。
実は昨日、上司から、あと1ヶ月で看護の部門をやめるからと話があったのです。 利用者さんには伝えておかなければと、午後お伺いしたお宅で、あと一ヶ月で終わることを伝えました。就職して1ヶ月半のことですから、家族の方は驚かれて「あなたを辞めさせないでと頼まなきゃ」と仰いました。 私はいつも、自分を見て生きる練習をさせていただいているばかりなのに、そんな風に言っていただいたことには小さな安心を感じました。 私のしてきたことは大丈夫だったのかな・丁寧を意識してきてよかったなと。でも、これは他者の評価の中で自分を確認しているのかな…。
もし私が病院の中で注射や看護業務に動いているとしたら、今回のような経験はまだ少し先になっていたことでしょう。“何かしたい”が大きくなっていた昨日と、見るところを見ていれば学ぶことはたくさんあるということを改めて感じた今日。そして今はどちらもいいです。
いくつかの思考
ゆっくりでいいから、自分の心を基準に動きたい。 何かが出来ていることと心があることは別。 いろんな自分が居て、どれも自分。 分かっているけれど、何処かひとつを大きくすると、生きているのにまるで自分ではないような感覚になりました。 それが今夜、大きな視野で自分を見たら、今の自分も点の1つに感じられました。 出来たところばかりを膨らませていたら、出来ていないところが出てきたときにそっちが膨らんでくるのです。どちらも同じくらいの自分で、どちらも小さな点なのです。
そして、自分の出来たところを見てあげられるようになると、社会で自分にプラスなものを探せるようになります。他者のプラスも感じられるようになります。 自分を広い視野で見てあげられたら、社会を広い視野で見れるようになります。他者を広い視野で見れるようになります。
と言っても、私はいつも自分から。私は今から、自分を広い視野で見る機会を積み重ねていきます。自分で自分を育ててあげるのです。自然に、自分以外のものを広い視野で見れる自分になるでしょう。
私は、いろいろ。自分を広い視野で見てあげられたら、自分の将来を広い視野で見続けることが出来ます。
社会の人はまず他者をと言います。それは違うと改めて感じた夜。
答えは自分の中にあったから。
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二日間訪問はなくマンションに一日家の中でした。上司はどこかへ行って殆ど居ないので、インターネットを見たり本を読んだり好きなことが出来るけれど、2ヶ月間のこのペースにたいくつするようになりました。
何かしたい。社会に出て、自分の持っているものを開きたい。そして学びたい。仕事に来ているのに遊んでいて、こんなことをしていていいのかなとか、私がここに居る意味は何だろうという疑問が浮き沈みします。 窓際族にされて一日中仕事を与えられないからと裁判を起こしていた人は仕事依存だったのかな。ほどほどに何かしたいと望む私も依存しているのかな…と疑問を持ったから仕事を変えることにしようかな。
ヴェトナムへ行って本が書けたら…。私は本が書けたら、それでどうするのだろう。
そうそう。1つ書けたら次のことが浮かぶ。毎日は少しずつ進むのだから。
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会社は近いうちに終わりかもしれないと予感がした日。 私は就職してそろそろ2ヶ月。何をしたかなぁと改めて振り返りました。
訪問を開始してすぐに、セクハラを受けました。愛を持って生きる私にとって大きな出来事でした。私は今その方のお宅では、訪問が終わったらきゅっと握ってくださる暖くてやさしい手を私も同じくらいにきゅっと握ってからお別れします。気管切開をして筆談で会話なさっているけれど、いずれ発声できるのではないかという青写真も描いています。 ボケ防止にと塗り絵をしている方は、そのうちにご自分の像を描き集めて自作の絵本を出版するのではないかな。足指じゃんけんをしている女性とはそのうちに、心の事を語り合っていけるのではないかな。腰が痛くて長く歩けない男性はソフトボールの経験をお持ちだから、そのうちに野球を見学にくるのではないかな。 癌の再発が予想される男性、検査の結果が出たら、その時はがん細胞と仲良くする生き方があることを語りあうことが出来るかな。男性に届かなくても男性のパートナーや家族にも。
そして、自分のしていることに自信が持てたら、上司と向き合って私の心を伝えられるという自分の青写真。 まだ始まったばかり。私はまだ誰にも、自分のしていることを語っていないのです。
本『インナーチャイルド』の中に、「子どもには回復する力がある」いう文章があって、転んで出来た傷はもちろん心に受けた傷に関しても、本来の自然な状態に治していけるということかな。きっと、“何が遭ってもそこからスタート”と同じです。 私も最近ようやく、自分の心の傷を癒やして楽に生きる自分を実感できるようになったから、動かずに終えることには後悔が残るようになりました。例えばドキドキしても、してみることがいいのです。 体験することの意味・してみると結果が出るということ・結果を見て次を見る意味。全部大切なのです。 こんな風に言っていても行きつ戻りつ。視点が近くてすぐに巻き込まれます。それでも私は、自分から打ちに行ってみたい。そして、私の事情と社会の事情は別だから。
ただ、今でもこんな私を語る意味はあるのではないかという気持ちもしています。心の語りも自分から。
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