「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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今日は訪問先の方が薬をやめたいという意思をお持ちだと知りましたので、私も自分にあるものを生かして生きていますョと語りました。帰りの車で、私はファシリテイトする看護師になりたいなぁと独り言。まずは自分をファシリテイトします。
家に帰って、お友達の車の上の屋根に乗って空を眺めました。子どもの頃、瓦屋根の上に布団を敷いて寝て遊んだことがありますが、車の上に寝たのは始めて。気持ちがよかったぁ。空は広くて大きいなぁ…。私が何人大の字になって寝ても空は埋まることなく広がります。
訪問。 ある方は、今日はお会いしたときからぼんやりうつろな表情をされていました。ちょうど新聞を見ていたそうで、大きな見出しは「末期がん治療 余命3週間で延命中止」と書かれていました。 私から語りかけてもうなずかれることもなく視線があいませんので、私は話をやめて麻痺側の手に触れさせていただいたのですが、ふと新聞の見出しに目が留まり、この方はこの文字を読んで何を感じておられるのだろうかという疑問と、視線の合わなさと重なりました。 家族の方は、「本人は言いたい事がたくさんあると思いますが、すぐに言葉に出来ない分歯がゆいだろうと思います」と言われました。 私はご家族の言葉を心に留めました。私自身の昨日の気付きがあり、いのちは、一般の基準や価値とは違うレベルでそこにあるものだと、深く意識して、心の奥にしみこませました。
これまで、病院や施設でまたは今の看護ステーションで、たいてい、ある方の外見や状況を見てその内面を推測してきました。患者さんの問題点を挙げて、その事を解決するための計画を立て実行、評価し、さらなる問題点を探すことを繰り返していくのです。 もしも私が、「この方は、この文字を読んで、言葉を話せず寝たきりになってしまったご自身の人生を嘆き悲しんでいる」と推測すれば、「この方は問題を抱えている」という視点で看護計画が立ちあがります。反対に私が「この方は、この文字を読んで、今の自分に何が出来るかと、自分に出来ることを探しておられる」とすると、問題にはならなくなります。そして私の経験してきたものが変わっていなければ、別の問題点を探す必要が出てくる、ということになります。 今回、こんな方法に改めて疑問がわき、そして今朝の新聞の見出しとその方の表情を重ねた自分はどうかと。検査データーを見て、これはいけないと判断するのとは違っているのです。 私がもし自分の範囲で想像したものを元に動いたら、私は心を看護することからずれていくでしょう。そして、これから変えていけるでしょう。
この頃、移りゆく時の中で、いろいろな思考を見ます。プラスもマイナスもそして好奇心も、いろいろあります。 その中のどれも私の心で感じたものが基準だから、そのものが自分に必要かどうかを知る為にも、丁寧に見つめて紐解いています。それが、自分を知っているということにつながるでしょう。“でしょう”なんて表現…。でも今は人生の途中だから。 紐解くときにそれまでの情報の引き出しを開けることがあります。ちなみに、一昨日開けた扉の中の出来事は私の中では既に、ニュートラルの状態を確認できて新しい能力にもなりました。
傷を癒していて、あの時あんなに痛かったのに、よく、社会に出て仕事ができたなぁとか、よく、別の場所でも笑ったり遊んだり出来たなあと痛感することがあります。どうしてかな。わかるようでわからない。そしてそのうちに、「あら、こうだった」と言う日がやってくるのですから、分かってもわからなくてもどちらもいいです。
アイデンティティーという言葉があって、最初に知った文章では、ある人が自分の知っている自分と、他者から見た自分とが一致して持続していることから来る自信というような内容のことが書かれていて、私には少し難しかった。広辞苑では「自分が自分であること」になっていました。大きな意味のある言葉だなぁと痛感します。 自分を知っていて自分の内面を持ってありのままに生きられることが、“私でいいよ”というやさしさと“私は私だよ”というやわらかな自信に繋がるような気がする。そして、繋がった部分がある自分も感じます。
これからも、社会や周囲に染まらず自分で居たいです。 だから私は、今日ここに、今の自分を書きました。 今日もまた、自分で扉を開けて見つめて、傷ついた心を癒やす作業に繋げられる。 私は今を大切にします。
今日、訪問先で「麻痺の方の足を持っているその力が強いんだよ」と言われてハッとしました。 私もその方の身体に触れる指に力が入っているのがすぐに分かって、 それから、上司から独立して動き出す前までは、いつもやさしく丁寧にを意識できていたのにと残念な気持ちが沸き起こりました。 もしも私の手足が麻痺して、麻痺した手足を粗末に扱われたら、私は私の手足を粗末に扱われたことに怒りや悲しみを感じるでしょう。 自分はいつの間にか違うところを見ていたのだと反省の気持ちも沸きました。
私が心の基準を忘れて利用者さんよりも自分が前に出てしまうのは、出来ている自分にぶら下がる自分がいるから。評価や一般常識に巻き込まれるとすぐに社会の言葉に巻き込まれて、過去の思考に戻ります。
そして私は、看護師をする時、毎回、ここで失敗を繰り返してきました。 今回、「大丈夫だな。出来ることがあるなぁ」と感じ始めた頃、過去の自分を振り返り、同じミスをしてきた自分を変えていこうと意識できていたのに、現実ではあっという間に…でした。ある時から、“つもり”になっていたことも実感します。 それから、今気が付けたこと・気が付くきっかけを語ってくださる人がいたことを嬉しく感じました。 明日から又、何が出来るか探しを楽しめる私を大切にします。 午後、その方と交わした会話を記録を読み返しながら、看護とは何かと自分に問いました。1ヶ月前、そのイメージを沸かしたり表現したりができなかった“看護”は、今私の中で、ほんの少し形になってきたと感じています。 でも、今はまだ、言葉にして伝えると自分にプレッシャーをかけてしまいそうなので、もう少し心の中にしまっておくことにします。 それから、ある看護雑誌の中の投稿記事を読みました。私のように、医療の世界に疑問を持って辞めていかれる方が居ることを改めて知りました。 私は自分を楽しんで仕事をしていれば、今度はこのような場所で自分を伝えていくことができて新しい世界が開けるのかもしれません。 中に「ベッドサイドから政治を変えよう」という言葉がありました。どこの世界でも政治の影響はあるのだなぁと興味深さを覚えました。それと、看護を、「看護とは、自分を呈して患者さんを受け入れるもの」と定義されている方がいらっしゃいました。広い意味で、当たっていると感じる部分もあるのですが、やっぱり最初の地点でずれがあるような気がしています。 この定義の文を読んで吟味しているうちに、“肯定”という言葉が浮かびました。私の中で、肯定するということと看護という言葉はリンクしています。もっとも、肯定するということは、どこにあっても誰といてもそこにあるものだとも感じます。自然に。
私は心を看護する看護師になりたいです。
今日は、腰の痛みから背中を丸めて下を向いて歩きがちな年配の男性と室内で出来るリハビリを探しました。 いくつかしているうちに、片足立ちの練習をしましょうということになり、そこにあるソファーに手を添えて片足を反対の足の上に乗せて、それから反対の手を腰に当てて上を向いたらダンディなおじさんになり、そのお姿があまりに素敵だったので写真を撮らせて頂きたいくらいでした。ご家族の方が携帯で写真を撮ろうとなさいましたが間に合いませんでしたから、次回のお楽しみです。他にも小さなアイデアが浮かんで楽しくて、訪問時間はあっという間に過ぎました。
私も、この頃は前を見て歩けるようになりました。いつも、先を見て今の自分を大切にして、この生き方を持っている私として、明日もなのですョ…。
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さわやかな休日。 庭を耕してトマトの苗を植えました。昨年は大きなトマトを植えてみましたが今年はミニトマトにしました。 土を耕しているとき、いろいろな虫に出会いました。だんご虫はもちろん、それから大きなミミズなど。土が生きている証拠だから嬉しかった。それと珍しいヒルも出てきました。ヒルを見たとき、最初は何か分かりませんでした。目や鼻はないようだけれど、何かをたどって動いていて、面白かったので動画撮影をしました。
それから、2輪用品のお店に行って、バイク小物を観察してきました。いろんなものが置いてあって見ているだけで面白かったですが、全体的に高いです。 バイクは車と違って振動が響きますが、上手に座れると大丈夫。
午後、鶴舞公園の近くを歩いていたら、インド人とイタリーのMix男性と知り合って少し話をしました。英語を使ってと言われたけれど、頭に浮かぶのはどうしてもヴェトナム語。それでもほんの少し英語の勉強が出来ましたョ。
今日も嬉しいことがありました。 それは、ある出来事を通して、利用者さんに、「ご自身の力ですよ。素敵ですね」と伝えられたことです。こんな日は、看護師として人として、心から喜びを感じます。
| 2007年05月31日(木) |
茎わかめムーヴ さようなら |
5月最後の今日、大切に乗ってきたムーヴを車やさんに持っていって、さようならしました。 お店まで運転して、お店の方に鍵を渡した途端に寂しくなって泣けてきました。茎わかめ色のムーヴにはプラスがいっぱい詰まっていたのです。一つ一つは思い出せないけれど、あんなことがあったこんなことがあったとプラスの風船のようなものが心に浮かびました。この次も、心を大切にする方に利用されますように。そして、私のプラスの風船はフワフワと空に舞いました。 車とお別れした後は、バイクの生活がより楽しみになってきました。 私の場合、バイクのシート下のボックスに物が入りきりません。何か箱を付け足してもっとたくさん持ち歩けるようにしたいなぁと、走行中にすれ違うバイクを観察しながら案を練っています。
何時も楽しみがいっぱい。嬉しい。
仕事。 仕事先では、ひらめきから女性と足指じゃんけんをしました。片方の足が使えなくても、使える方の足をたっぷり使ってあげたら、きっと足も喜ぶはず。そして喜んだ分だけ細胞が生きるはず。何よりも楽しみのついでに細胞を育ててあげられたら素敵です。 事務所に帰ってから、次回持っていけるように、足指じゃんけん表を作りました。 表を作っている間にいろいろな想像をしました。使えるかどうかは、もちろんその方の心にお尋ねします。
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今日は、私の好奇心とある方の心がLinkして新しい喜びを知った日。 今週月曜日28日、ある方のお宅で筆談していた時、その方の言葉の中に私の分からないことがあったので事務所に帰って調べてみました。そうしたらそれがお花の名前で、パソコンの画面に映った花びらがあまりにきれいなので、私はそのお花を利用者さんと見たくなり、今日は画像を印刷してお伺いしました。 そうしたら、私の見つけたものとその方のおっしゃりたかったことと一致して、その方は、白黒印刷の花を見て「うんうん」と首を縦に振って頷かれました。それから私のカメラに写した同じ花のカラー写真をお見せしたら、もう一度、うんうんと言ってお顔をくしゃくしゃになさって、それがほんとにうれしそうに見え、何とも言えない雰囲気でした。
その方のエンピツをお持ちになるその手は、生まれて間もない赤ちゃんがエンピツを握るよりもまだ小さな力です。だから書いている字は小さくてか細いです。 訪問当初は何を書いておられるのかわからなくて、だからと言って、何度も書いて頂くのも心苦しく沈黙になることもありました。 そしてこの頃は、書いているその時を見ていれば何の字を書いているのかを推測することが出来るようになりましたから、私の読解力も少し上がったのかも知れません。 もちろんはずれの時もありますが、その方のおっしゃりたいことと一致したときには、そこから会話が弾むようになっているから、これからの自分の成長が楽しみです。
出来たねぇ、私。
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訪問。 以前、「あなたがした後は痛い」と伝えられたお宅。上司と私の違いは何かと見ていたら緊張して身体に力が入っている自分に気が付きました。伝えられたその日からどこかで緊張していたのは私でした。自分を見れたら安心して、安心したゆったりの心で膝をクルクルしたら、「あ、これでいいんだ」と心にもう1つ安堵感。私が自分の心に感じている柔らかさが相手の方にも伝わっていくような気がしました。 マッサージの後一緒に歩行練習をして、その後「大きく深呼吸してみましょうか?」と言ったらご自分で何度も呼吸を整えていらっしゃいました。人が自分の事をしようとする姿はきれいです。
午後は、上司の訪問に付いていきました。昨日上司は私に「技を盗んで」と言いました。私は上司の手先をジーッと眺めて、技術を盗むという発想ではなく、好奇心が自分を手伝って目で学んでいるようでした。学ぶことが出来たのは私の能力。“何時も好奇心”がいいのです。
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私メッセージをいつもの倍くらい意識した一日。理由は、二人の方に伝えたいことがあったから。それと上手に自己主張できる大人になりたいから。 そして、そのつど、私は私の言葉を大切にしようとしているという意識が、自分を手伝いました。こんな小さなことが明日へ繋がるのです。
訪問先では、先週から計画していたことを伝えました。伝えたことは了解され訪問の30分を終えて、次に繋がる安心を経験しました。それから、過去とは違って、自分を伝えた後にも何も起こらない・大丈夫という安心感も経験しました。だから、嬉しさをそのまま伝えて「ありがとう」と言いました。次にお会いするのが楽しみにもなりました。
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