「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2007年03月29日(木) 未来

 セントレア空港まで、ベトナム研修生さんたちの帰国の見送りに行きました。
 手荷物チェックの前で、皆さんと一緒に居たら、ベトナム人に、ベトナム人だと間違われて、とっても早いベトナム語で話しかけられました。皆さんくすくす笑っていました。私がベトナム語で「私は日本人なのです」と伝えました。こんな間違いは嬉しいのです。その後、(こんな時こそベトナム語。ベトナム語出て来い出て来い!)と思ったけれど、頭の切り替えが間に合いませんでした。“ベトナム語出て来い出て来い”をベトナム語でつぶやけたら大丈夫なんだなぁ。
 今日は、(私もいつか大きな荷物を持ってここに居るかもしれない)と、自分の未来を想像しました。なので、荷物チェックの様子を見ているのが面白かった。それにしても、時の経つのは早いもの。私も楽しもうっと。

 行きがけに潮干狩りをした海岸に寄りました。小さなつぶ貝がたくさん居ました。今日は赤潮が浮いていました。春は来て、その次は夏です。海に潜りたぁい。

Gobamcanのミモザ Gobamcanのつるにち草
海浜海岸 赤潮。赤く見えるのは、プランクトンの死骸だそうです。


2007年03月27日(火) やさしい点

 看護職に入るのを躊躇している自分。理由は、病院の中に入ることは、今の自分が捉えているよく生きるということから離れていくように感じていたから。それと、新しい部分を広げて生きたい自分がいるから。そんなわけで今日も再び違うところを探してみたけれど、今日も見事に断られました。これから勉強する私なので、能力給はうんと安いはずですから、私の生活費を計算して、「これくらいあれば大丈夫なので、勉強させてください」とお願いしても、それでも断られました。こんなにたくさん仕事が載っているのに、初心者歓迎というところでさえ、多少の経験が要るという。入り口の狭さに泣きそうになりました。そして、新しい自分として「散々探したし、もういいか」と一旦は看護職に動いても、心が「嫌だ」と言っていて、今日一日の間にも、何度も足が止まりました。
 派遣会社の男性と話したとき、「どうして看護師をしないの?」と聞かれました。新しい自分を広げたいことを話して、「どこに尋ねても初心者なりの経験者を求めらえてしまいます。経験者になるには初心者が入れる入り口がなければ、多少の経験者にもなれないです。私も経験者になりたいんです。どこに入り口があるの?」と言ったら、「うーん、そう言われるとそうですね」とおっしゃいました。世の中の仕組みはおかしい。即戦力を求めらばかりでは、若葉マークの私達は可能性あふれる自分をアピールすることすら難しいです。

 ということで、「もういいかなぁ」と本気で思えた頃、看護師の仕事というだけで自分に何かがのしかかっているのを感じました。理由には、人の命に関わるからとか、間違えてはいけない世界だからとかいろいろと浮かびました。でも、どんな仕事も広い意味で人の命にかかわっています。それにどんな仕事も基本的には丁寧にするもので、間違いはあっても少なくすむというのが前提なのです。
 20代の頃、何度か点滴を間違えたり違う人の採血をしたりしました。それらの患者さんが全て高齢の方だったせいか、全部うやむやになりました。夜中に亡くなっていた患者さんに朝まで気が付かなかったこともありました。丁寧に巡視をしなかった私の、大きなミスでした。(免許はなくなるだろう)と覚悟したこの時も、何事もなかったかのように時間は過ぎていました。というより、病院にとっては、何もなかったのです。
 
 過去を整理しつつ、私はこれらの罪の意識を背負ったままここまで来たんだなぁと。それにやっぱり、きれいなように見えて嘘がいっぱいの世界が嫌なんだなぁと。
 でも、世の中のどこを見ても、その奥には何かが隠されているように見える。どこも同じです。それから、私は生きていくためにウサギを取りにいく必要があるのです。でもそれは生きる分だけあればいい。だから看護師をしても何をしても、自分の心を基準にして切り捨てたり貼り付けて利用したり、どんな風にも出来るもの。病院の仕事をしても割り切っていいものなのですね。なんだか、楽しみになってきました。明日派遣会社に電話しようっと。

 自分を探していたら、ベトナムへ行く・本を書くということはスーッと小さな点になっていました。自分を楽しむその先に、小さく、点としてあるのが見える。やさしい点になっています。今を生きていると心が安心します。

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2007年03月26日(月) “した”分だけ。

 朝から就職活動。職安へ行きました。数々の面接を経て、医療部門へ入ってみました。再び訪問看護。少し前に医療報酬制度が変わったこともあり、看護師をすると経済的には安定します。でも、やはり私がやさしく生きることが大切。まだまだ選択肢はあると感じています。

 退職のための書類を持って、保育園へ行ってきました。「ここの職員とは違う自分」。不思議な感じがしました。
実は1ヶ月位前、止めると言った頃の自分を引きずっていたことに気が付き、いくつかの心の傷を癒やしました。そして去る3月13日、残りの日数を好奇心いっぱいの自分を持続させることで、残されたトラウマを取りさる事を思いつきました。この取り組みは、これまでの就職先ではいつも何かの傷を抱え込んで止めてきた自分に気が付いたから。そして、残りわずか10日の間に、新しい生き方で今を生きる自分の心の為に、出来ることの一つでした。結果的には、このアイデアをそれほど意識する間もなく、楽しいものでした。
 その間に、新しい看護師さんが来ました。保育士さんと看護師の職種の違いについて、「大丈夫かなぁ?」と言われる彼女に、いつの間にか、こんなことを語っていました。
「自分の思いついたことを、“する・してみる” ということを大切にしていれば大丈夫よ。職種が違い視点も違うから、提案したことが実らないこともあるのは事実だけれど、“する”ということをすることがとても大きいと思うの。そして、あなたの今後の人生に大きなプラスになると思うのよ」。あとで、「するということを語れる自分」を実感して笑えた自分。今となっては懐かしくもあります。してきた分のことは、自然に伝えていけるのですね。私も、するということをしてきた自分を持って、次の自分を育てます。


2007年03月25日(日) 生きかた探し

 この頃、私の周囲の人々がワクワク楽しそうに生きていて、見ている私も楽しいです。人生は楽しむためにあるんだなぁと改めて感じます。そういう私は、早く就職を決めたい。
 職場というのは、心の比率としては小さなものだけれど、一日の大半を過ごす空間としては、その比重は大きいです。だから自分をより肯定されやすく勤務体制的にも楽な場所を選ぶのがいい。世の中にそれほどあるとは思えないけれど、それでも、名古屋へ着てからの私は仕事を変える度に自分の生き方に近い場所へと到達しているのです。この結果があるから、真実を大切にして動いてきた自分を信じています。
 そして、新しい私の心を生かせる職場を探したい。こういうのを向上心というのかな。一つ出来たから、又次の一つ。小さくても、私を広げていけるはずなのです。

 生きるということは、自分を楽しむこと。私は自分を楽しんでいるときに、生きている実感がします。いつも自分が基準でいいんだなぁ。

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2007年03月24日(土)

 卒園式。園児さんは、私が就職したたった一年前と比較しても、皆さん大きくなっています。子どもって心も身体も成長するのですねぇ。
そして私も一年間以上働き成長してきた場所からの卒園式。
 式の最中に自分の一年が思い出され、泣けてきました。一年と一ヶ月間、時々おろおろしたけれど、それでも基本的には、面接を受けたときのニュートラルな自分を一年間持続させて成長を続けられました。ですから私の涙の理由は、この一年成長してきた自分に送ったエールの涙でした。
 自分が成長するためには、そのものを素直に見つめる視線があればいい。素直に生きることが、この頃の私の基本です。

 園児さんが退場した後、退職する私も、皆に囲まれ紙ふぶきをかけられました。保育士さんの中の一人は、真っ赤な目をして「これからも、Mamoちゃんらしく生きて」。もう一人は、「Mamoちゃんの存在大きかった。顔見るとホッとした」。どちらも私よりも年上の女性。歓迎されている自分に、どう答えていいのか分からなくて、「ありがとう」と言うのが精一杯でした。
 その後もう一人は、私の胸でしゃくりあげて泣いて…。真っ赤な顔をして自分を語る保育士さんたち。そこにある自分の存在。再び戸惑っている自分でした。
 日本の一般社会において、自分を大切にして生きる事は、自分勝手と受取られることが多い。だから私はここにおいても何処かで小さく身構えていたのです。その私が、ここで歓迎されているという実感。「2万回の思考」の話を思い起こせば、たぶんここに、私の存在そのものを否定している人は居なかったのです。そして、成人してから後、私が想像するよりも多く、私の存在は歓迎され受け入れられてきたのかもしれません。

 園長さんの、式の言葉に、「この保育園は皆さんに育てられている」というのがありました。そう。私も自分で自分を育ててあげられました。
 今日まで勤めたこの職場は、自分の心を育ててきた新しい私として、興味を持ち視線を延ばした場所でした。興味の中には、子どもを見ている環境ならば他の職場とは違う空気があるだろうという思いもありました。私の想像は当たりました。毎日たくさんの気付きがあり、自分の心の作業に利用しました。
 そして、別の部分で働き辛さも感じたから、止めることにしました。働き辛さの根底は、一般社会にある組織ゆえのものでした。ちなみに、組織であることが弊害になるのは、日本という国全体の視点や物事の捉え方がおかしいからです。それでも私は自分を語れたのです。今私は、語る自分を持ってこの世界に飛び込むことが出来た自分がいたことを嬉しく感じています。
 どこまでも自分として成長して生きたい。これからどの職場に行っても、私のスタンスは同じです。

 それから、かしこまった子どもさんたちを見て、久しぶりに自分の子どもたちの事を思い出しました。ずいぶん長い間、私の思考に沸いてこなかったなぁと、まずこんな自分にびっくり。でも、忘れてしまったという次元とは違います。私は、まず自分を生きることが先。そして、自分を生きたいから。だから、子ども達にはいつも、「待っていてね」なのです。
 ちなみに今日は、沸いてきた子ども達への思いを言葉にしたくなりました。私の場合は、子どもの事を言葉にすることそれ自体がマイナスになりますか? いいえ、救いを求めているのとは違うから、だからきっと大丈夫。それでも、成長途中の部分としては、自分の中で比重の大きい分野です。だから私は、こんな私の心を肯定される人にのみ、慎重に自分を語ります。
 「いつも自分の心を語っていこうね」。どんな時も成長のきっかけになりますね。

 新しい仕事探し。今度は何が出来るのかな。外国に広がるような仕事に就きたいな…。
 
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2007年03月22日(木) 摘みあげた心

 最後の保健部会。新しい看護師さん2名と一緒に出席しました。
 来年度の保健活動について、何をするかの検討会がありました。
でも、発言する人はなく皆さんうつむいて部屋が静まり返っていました。理由は分かりました。うがいも手洗いも大人が続ける環境があって始めて、子どもが取り組める。これは、保健職での暗黙の了解で、皆さんはこの現実を知っているけれど、言葉に出せずに時が過ぎているのです。
 私は最後の保健部会で、自分の感じてきたことを提案したくなりました。
そこで、一年間の感想を踏まえて、「こどもさんが何かを継続するにはその環境が必要であること。一年を通して続けていける取り組みとして、自分を知り自分の心と身体を大切にして生きることをテーマにしてみては?うがいや手洗いの前に、一貫して伝えやすいかもしれません。そして私達の知識を利用していただける事になる。それから、子どもさんに伝えようとすることで大人も一緒に素敵に成長できる。心のことは死ぬ瞬間まで勉強できそうですョ」と提案しました。
 話し終えた後、横に座っていた新しい看護師さんは、「よく分かる。私が引き継ぎますね」と言ってくださいました。私は一瞬、彼女がマシュマロに見えました。発言してみてよかったなぁと感じました。
 会議が終わってから、幾人かの保健職の方から声をかけられました。
なんだか、皆さん暖かかった。人って、こんなに近かったのか…と改めて感じました。きっと、これまでの私が、いつも一線を引く私だったのです。
 新しい看護師さんは私に、「止めるの持ったないね」と言いました。それからもう一人の看護師さんからは、「Mamoちゃんは何をしている人なの?」と尋ねられました。
 どちらの言葉も納得できました。一年は一年。済んだことは済んだこと。次は次。そして私は、私の心の声を大切にして、自分を遊ばせて生きていく人です。保健部会も一年間楽しかったな。


2007年03月20日(火) 伝えるということ

 仕事。保健の残務を終えて、保育士さんのお手伝い。いつもよりもさらにサクサクと仕事をしました。子育て支援も終わりを向かえ、女性として語り合った事を思い出し懐かしく感じました。支援センター最後の今日は、「うちの家は先祖代々続く11代目なんで、次は男の子がほしいと言われていて」と語るお母さんとの会話でした。人の命を男女に分けて望むことの重たさを語り合いました。それから新しい価値観は私達から始まるのですよねと。今日も、仕事の中で、自分の大切にしていることを語れてよかった。それから、私に心を語ってくださった方にはいつも、ありがとうと言いたい気持ちです。
 先に書いた女性とは、その後、「波風を立てないようにしてしまう日本の社会」について語り合いました。特に、子どもはいつも自分を語るもの。子どもは、大人がどんな言葉を使っても、その大人が自分の言葉を丁寧に聞いているかどうかを心に感じ取るもの。これは私自身が、親としても子どもとしても実感してきたことなのです。どんな時も、素直にそのままを語り合うほうがやさしくて楽しい。私ももっとやさしく語り合える女性に育とう。


 夜、リビングでベトナム語のDVDを見ました。他のメンバーと一緒に見るのは初めて。一人で見ているときとは違う面白さがありました。遊びの中で学んでいくことを思うと、教育とか勉強という言葉はなくても大丈夫だなぁと実感します。
新しい自分を大切にしようっと。


2007年03月19日(月) 点の取り組み

 仕事。退職までの残務をほぼ終えてしまった今日。園内で私に出来るお手伝い、新園の内覧会の招待状をつめる作業など。一年間働く中で、新園に関することのすべてを遠慮させていただいた私。その間の自分の心を振り返りながら少し複雑な気持ちを感じつつ詰めました。そして、自分の心を基準にして動いたことを大切にしようと改めて思いました。
 先日小さな問題に挙げられた06年度の保健の纏め文章が印刷され配布されました。読み返してみると、「あらまぁ、もう少しシンプルにしたら?」と言いたくなる文章です。恥ずかしさも感じました。それでも一応、私の大切にしていることはそこに書かれてありました。この場所・この社会で心を基準にして生きた私の言葉が、小さな“点”として残され、数年間複数の他者の目に触れられる機会をいただいたことを嬉しく思いました。

 そして今週に入ってからの私は、残りの日数を「会話する自分」を楽しんでいます。言葉を選んで語っている自分が面白いです。

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2007年03月18日(日) 格差社会

 夕方、ベトナム人のお友達の寮へベトナム語の勉強に行きました。
電話をかけて、「今から行くね」と約束して行きました。2時間くらいの間、半分ずつ時間を区切って、日本語とベトナム語の勉強をしました。楽しい時間はあっという間でした。

 最近の朝日新聞には、日本だけでなくアジア諸国での「格差社会」についての記事が続けて載せられています。どこの国でも、大富豪のすぐ傍で、その日の食事に困る方々が生きているのですね。
 日本でも、経済の専門家は社会の格差を減らす取り組みを考えておられるようです。でも私は、今年の春闘の結果を見て、社会の視点はどこだろうかと疑問がわきます。貧しさから抜け出したいときに、お金をたくさん持っている方の意見を聞いていたら、貧しさの原因から視点がずれてしまいます。ある困難から抜け出したいときには、困難の中に居る人の心の声に耳を傾けられたら、そのものの根底が見えて解決に向かいやすいのではないかな。
 社会が何かを望むとき、その中の、声なき声を大切にすれば、やさしい社会が出来るのです。そしてそれは、自分を知っている事から始まるのです。なぜなら、自分にやさしく出来ることが、他者へのやさしさに繋がるから。

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2007年03月17日(土) 心の鐘

 育成会。
 今日という日は、私の心の壁に鐘が触れたような一日でした。
3月16日付け中日新聞の『いじめと生きる4部「科学的」に考える(心が傷つけば脳にも傷がつく)』では、自分が子どもの頃から感じてきたものがついに科学的な根拠を持って照明されたことに小さな喜びを感じました。そして反対に、脳が壊れてしまう程に傷つけられていた自分を再び直視することの恐さと長年ひそかに持っていた疑問を「やっぱりそうだったのか…」と心に安堵するような感覚が入り混じり、胸の奥に痛みも感じました。
 それから少しの間、今は遠い過去の親に対して、「あなた達が私の脳を壊し穴を開け、簡単な計算も国語も分からず独り言をいい続ける私を作ったのに、そうである私をさらにいぶかって…」との新たな怒りも感じずにはいられませんでした。
そして最後は、それでも私は自分で自分の穴を埋めていく方法を知っている。だから大丈夫なんだという安堵を感じました。
 もしも私が、4年前にこの研究結果を聞いていたら、私は完全に自分を失い過去の親に対する怒りを実際に行動に移していたことでしょう。
そして、薬で治りますか?答えは「いいえ」です。過去、私の抱えていた問題は薬を飲んで一時的には治まりました。けれども、子どもを愛せない自分を責める自分の辛さは変わりませんでした。自分を責める母親の私は子どもをも責めました。この生き辛さを持っている以上、私たちは本当に健康な人になるのは難しいのです。

そして今、私は…。たぶん大丈夫。大丈夫なのです。


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