「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2007年01月13日(土) ナチュラルカラー

 ベトナム人の女性と、ドライブをしました。女性から、このところのニュースになっているホワイトカラーエグゼンプションについて、「Mamoさんは反対ですか?賛成ですか?」と尋ねられました。
「ホワイトカラーエグゼンプション」というのは、ある一定の収入を持つ労働者に限り、労働時間の規定をはずし残業代をなしにしようというもので、「働きたい人は何時間でも働いてよいですよ」という内容が含まれています。これは、政府がイギリスの雇用形態を真似て取り入れたもので、日本はこの改正に伴って、パート雇用の方の保険加入を義務つけるなど、非正社員の雇用条件がよくなることも告げられています。
 私はこの法案について、ある一定の収入を得ている人は、以前からその収入を得るために時間を使って働いていたであろうこと。いつからかは定かでないのですが、社会の流れとして残業を減らそうという言葉はあったけれど、企業とは、1つ出来たらさらにもう1つ・そしてもう1つと、際限なく結果を求められるのが常であり、現実的には、残業廃止という言葉からは程遠かったこと。何より、残業を減らす為に仕事の量を減らす取り組みはなされていなかったこと。そして、今回、仮に企業側が能力型の賃金形式を取り入れたと仮定して、労働者が収入の裕福よりも心の休養を取りたいと考えても、企業から求められるものが減るとは考えにくく、結果、サービス残業が増えると想像できること。
つまりこの法案は、心を忘れて働き疲れて病に倒れる人を増やすと想像できると語りました。朝日新聞によると、政府の定める一定の収入基準を満たす労働者は全体の2割だそうです。2割というと少ないです。それでも私は、わずか2割の方々にとって、その方が楽に働けるようになるとは想像しがたい。そして、してみることで何かが分かり、プラスも見つかるのかもしれないというのが私の意見です。
 お友達は、「ベトナムでは、サービス残業はありえません。働いた分はどんなに少しでも給料として受取ります。もし賃金をもらいすぎたくなければ、働かないようにします。日本の人たちは大変です」と言いました。本当にその通りです。私も、職場の方々を見ていると、皆さんはいつ自分を休めているのだろうと疑問がわくのです。

 その後私達は、赤ちゃんも子どもも男も女も、筋肉や体の大きさの力関係はあるけれど、本当は、人は皆等しくて、会社もこれと同じであるといいのにね」という話をしました。
 
 私からは、「ベトナムでは、心の問題や、または精神病院などに対する社会の見方はどうですか?」と尋ねてみました。ベトナムでは、精神病や分裂病と言われる人々が居て、その方々に対する偏見は大きいようです。私のように自分がわからない人々は、精神分裂病(日本では、今は言葉は違いますが)と言われているそうです。
偏見や卑下は、当事者の心に傷を重ねます。日本の過去と同じだなぁと、少し残念な気持ちもしました。

誰も皆、ナチュラルカラーがいいのです。


2007年01月08日(月) 自立

「自立塾」(NHK教育 ETV特集06年12月23日放送 録画DVD)を見ました。モザイクのかかった塾生は心から動いているとは感じられず、「動かされている・させられている」ように感じました。
 毎朝予定の時間に起きられず、ルールとなっている時間に遅刻する男性が居ました。問い詰められて語り始めましたが、男性はひどくどもっていました。男性が、どもりながら、それでも語ろうとする様子に、心が少し痛みました。こんなにしてまでここに来る理由は何なのかと、心の中で「もういいよ。十分だよ」と画面に向かって語っていました。

 以前書いたことがあるのですが、バブルが崩壊してから後の時代を表現するのに就職氷河期という言葉があり、25歳から35歳までの男女はこの時代に社会に出てひどい就職難に苦しんだそうです。(朝日新聞では今年07年に入ってから、「ロストジェネレーション」と題されて連載されています)。
テレビの中の一人の男性も、50社受けて1社も受からなかったと語っていました。私には就職氷河期はありません。とても驚きました。男性は、かろうじて就職出来た会社で次々に来るノルマが耐えられず、自宅に引きこもるようになったというお話でした。ひどい社会だとため息が出ました。この男性や他の男女を働けなくしてしまったのは誰なのだろう、「就職氷河期」という時代を作って若い人を苦しめたのは、本当は誰なのだろうと疑問は沸き続けました。
 テレビに出ていた自立塾の目標は、「働けるようになること」のようで、サポートする方々は、塾生が就職できるまでは見捨てないという方針を持っているそうです。
人々は働くことを目的にするのは何故でしょうか。社会のいう自立とは、「働けるようになること」で、それが常識なのだとしたら…。

「それは違うよ。仕事は生きるためにするんだよ。そんな風に生きたら自分が死んでしまうよ。」。テレビを見ながら、いくつもいくつも誰にともなく言葉をかけていました。
 今夜私の心にわいた言葉は、かつて自分にかけていた言葉でもありました。何処かに働きやすい職場はないかと仕事を変わり続けてきた私。今回の職場も残すところ2ヶ月。私は今、これまで動いてきた分の考える材料を持っています。そして、仕事を続けることよりも自分の心を大切にすることを優先して生きた自分もよかった感じています。

ニートと言われている人々は、働かないのではなく、働けないのだと、私は思います。
そして私は、自分自身の心の自立を手伝い続けます。素直でやわらかな女性を思い描いて、自分育てをしています。


2007年01月07日(日) ひとつ・ひとり・いっしょ

 朝一番、車やさんへ行き、車の調子を見てもらいました。エンジンが古くていけないです。新しいオイルを入れてくださったので、よく気にかけて点検してあげようっと。ちなみに昨日はガソリンスタンドで車のタイヤのAirを補充しました。車のタイヤの空気も自転車と同じように入れるのです。スタンドのお兄さんは親切に入れて下さろうとしたのですが、お願いして入れさせてもらいました。
 帰りに、姉へ手紙を出しました。どこのポストに入れても同じなのだけど、家から一番近いポストを選んで入れました。
午後は、たまっていた新聞記事をScanして整理しました。前から気になっていたことが出来ていくのは嬉しいですね。
夕方は部屋の中でボール遊びを…。これが以外に面白くて、Myブームになりそうです。

 夜、図書館で借りていた「からだ」の絵本を見ました。もともとは、保育園の子どもさんと話をするときに使えたらと思って借りたものですが、人の体って本当に全て使うためにあるのだなぁと感心しました。
 2月の子育て支援で担当になっている時間に、私たちの体がどれほど神秘的なものかを語ることが出来たらいいな。どなたも持っているからだのお話・・・。ワクワクしてきました。

 看護婦さんをしていた自分。保育園で働いている自分。
きっと、今ここで私自身が心から楽しみながら、体のこと病気のこと・生きる力があることを語れた分だけ、看護婦として生きていた私と、心を大切にする私がひとつになる、そんな気がしています。

** 〜Toi muốn đi Baseball〜 **


2007年01月06日(土) あるもの

育成会

 午後の部で、ルソーの著作『エミール』をもとに語り合いました。
ルソーは、子どもにとって、自然が教師なのだと語っています。私は彼の244年前の言葉に心から共感します。自然という見本は、人間の手よりもうんと大きくて無限大です。そして私たちは、その果てしなく偉大なものに、とけ込み寄り添い利用させてもらえたら、いつもやさしく成長し、やさしくいのちを閉じていくのだ、と確信しています。
 少し話はそれますが、始めに見たDVD『保育園が足りない』の中では、夜中の3時にお迎えが来るお子さんが居たり、都心のビルの屋上に、保育園が建てられていました。空は幾分近くなったかもしれないけれど、感覚で生きている小さな子どもさんがプラスチック製の変化のないおもちゃの中で生かされていることに大きな疑問を感じました。今、保育園の需要が追いつかないほどの勢いで女性が社会に進出し始めたのは何故なのか。社会が求めているのは、人の心からはかけ離れ、自然な生き方とは逆のもののように感じられてなりませんでした。
 職場で子どもさんの動きを見ていると、お金やものよりも大切なものがすぐ傍にあることに気付かされます。社会に、子どもや母親に対する小さくて狭い基準や評価がなければ、親は、子どもの成長を見るのは何よりも素敵なもののはずなのです。私は今、大切なものを知らない大人に育てられた子どもさんが・私の子どもが苦しんでいたのだと分かります。
 今朝のテレビ放送で、学校でのいじめが原因で自殺された子どもさんのお母さん・二人のご様子が映っていました。一人のお母さんは、「子どもが、いじめられてることを私に言えずにいたということは、私も加害者の一人なんです。だからいつも子どもに謝っています。そして、今生きているたくさんの子どもさんにも、こんな社会にしたのは自分達の責任だと、ごめんねと謝り続けたい気持ちでいます。今は学校により多くの情報を提示してもらえるよう、二度と同じことが起こらぬよう社会に働きかけています/」と語っていらっしゃいました。私が過去、子どもの心に気が付くことができなかったのは、自分自身に心があることを知らなかったからです。そして、今ここに記していける自分を大切にしています。

 午後の部の終わりに、ある方から、Mamoちゃんの日記を利用させてもらっていると言葉をかけていただきました。私は嬉しかった。毎晩自分を見つめているのは、過去に生きていた乱暴な私ではなく、丁寧にやさしく自分を生きようとする私。その、今の私を、ご自身の成長の為に利用して下さっているように感じられ、その場で鼻が赤くなってしまいました。そして今は、ちょっぴりこそばゆい気持ちがしています。 今、私がこの二つの目で見ているのは、遠い昔に過ぎた過去ではなく、これから広がる未来。

いつも、未来を見て今を生きていれば、大丈夫。


2007年01月02日(火) 自分にプラス

 今日はGobamcanに野球メンバーの一人が初練習を兼ねて遊びに来てくださったので、おなべを囲んで話をしました。今日も叉いつもと少し違う雰囲気の中で、いつもと同じくらいに中身の濃い楽しいひと時でした。
 そういえば、私は過去、人と関わったあとには、いつも疲れを感じていました。特に女性と1対1で対面で語りあう時には、話の途中で緊張している自分を感じて話をするどころではなくなっていたり、それは大変なものでした。こんな時、本来の自分を忘れていたことも多いだろうと想像します。
 本来の自分を意識することは、私の変わらぬ課題です。これからもやさしく成長していくために、大切なテーマなのです。 

 ところで、日中も少し話をしたのですが、本日の朝日新聞には、昨日に続き『ロストジェネレーョンと言われている若い世代』の人々の生き方の一面が載っていました。昨年の「団塊の世代」といわれる方々を見る視点から変わって、今までとは少し違うところを見ようとしているようにも感じています。ですが、新聞の記事は、記事を選んだ方の主観で載せられるのです。そしてたくさんの情報の中のひとつ・「点」。点を集めることは自分の為にプラスです。


 長い冬休みが終わり、明日から仕事です。この冬休みは、名古屋へ来て最も、一人遊びを楽しむことが出来た休みでした。とにもかくにも楽しかったのです。

** 〜Toi muốn đi Baseball〜 **



2007年01月01日(月) Chúc mưng Năm mơi !

 新しい年が始まりました。
2007年は、プラスの自分を育ててきた私にとって、これまでより少し大きめのステップを踏む、意味のある年になる予定です。

 年の初めの今日、ステップアップの中の小さなステップアップを兼ねて、死の準備の為の書類を1つ作りました。書類は、私が死亡した後の処理をお願いするものです。実は、この書類は姉に向けて郵送する予定なので、郵送するに当たり、何年かぶりに手紙を書きました。何を伝えようかと言葉を捜しているうちに、子どもの頃の事を思い出しました。私は子どもの頃にも、今日と同じように姉を脳裏に浮かべた遺書を書いていました。当時は、辛さの中で書いたものですが、今は自分のやさしい未来の為に書いています。過去と同じ事を全く違う視点でしている自分は、生きているんだなぁとしみじみ感じました。昔々、姉の恐さに怯えていたのには、母の暴力に怯えていた私がいたからでした。

 夜、06年12月10日に放映された「自殺者3万人」の録画DVDを観ました。自殺未遂をされた当事者や夫に先立たれた妻の女性の語りを聞きながら、司会の方がいくつかの質問をしていらっしゃいました。その質問の内容は、私の視点とは違っていました。それでも、それぞれの心の状態が根底にあることを前提にして、そして、生き辛い世の中がそこにあることは分かりました。私はマイナスの社会にプラスを探せる自分を意識します。

 年の初めの朝日新聞の一面には、『ロストジェネレーション』という見出しで、バブル最盛期に生まれバブル崩壊で就職難の時期に社会に出た若者(25歳から35歳だそうです)の生き方が載せられていました。紙面に載っていた方々は、「社会とはこんなもんだ」と現代社会に見切りを付け、会社や世間を当てにせず自分の生き方を大切にしているという内容でした。私には、彼女達の生き方は、軽くあっさりしているように見え、又は、冷静さとあきらめに似た気持ちが混ざりあっているようにも感じられました。どちらにしても、人の生き方はさまざま。自分が自分を楽しむことが大切なのです。私も今年一年、昨年と同じくらいかそれ以上に、私を大切にして生きます。
 ちなみに昨年の夏ごろ、私は自分の為に、「自分が変わろう」というテーマを持ちました。2007年の年の初めのテーマは、「持続」です。持続のカウントは今日で2個目なのです。とりあえず8個つなげてみよう。8個たまったら、ドレミファソラシド〜♪だから。

 HPを少し修正しました。新しく入れたものは、過去に書いていたものなので、読み返してみると違和感を感じる部分があります。でも、これも私の足跡なのです。


2006年12月31日(日) 2006年見つけた豊富

 2006年最後の日。
 私はいつもと同じように、自分の心に感じたものに添って動いていました。仕事がない分動きやすく楽な一日でした。

 今年もあたらしい事をたくさん経験しました。
まず、裁判を起こしたこと。
それから、保育園という違う世界を知ることができたこと。
野球でヒットを2本打ち、ピッチャーとキャッチャーを経験しました。
年の暮れには空手を再開しました。来年も続きます。
遊びの中で怪我もしました。ギプスを巻いて車椅子に乗り、いつもと違う世界を知りました。
そして今は生き物はカブト虫を飼っています。
そして昨日と今日は、こんなに楽しんだのは初めてというくらいに年賀状つくりを楽しみました。それからそれから、一人遊びも上手です。

どれも皆、新しい私のプラスの人生です。
一年間よく遊び、よく学びました。
今感じているのは、動いた分は形になり、動いた結果を見て、さらに自分を広げていけるということです。私はこれからも成長します。

プラスの自分のカウントは昨日から始まっています。
来年も素直にシンプルに、自分を開拓していくのです。

** 〜Toi muốn đi Baseball〜 **

**楽しんだ年賀状の背景も載せてみよう。少し前の絵だけれど…。**


2006年12月30日(土) 新しいこと

冬休み二日目。
 車の調子が悪いので、午前中にオートバックスへ行きました。でも、原因はつかめず、年明けまで、待ちです。帰りに戸笠公園で運動をしました。私の体は、運動が足りないとき、「運動したいよ」と私に伝えてくれるのです。今日のようにお天気がいい日は、特に全身で伝えてくれるので、今日も又、お日様を浴びて骨を強くしてあげることも出来ました。

 午後は、名古屋へ着てから初めての年賀状を書きました。
年賀状については、名古屋へ着てから、それまで当たり前にしていたことの全てが不必要に感じて年賀状も止めていたけれど、今年は自分がここに生きていることを人々に伝えたくなったのです。自分の中のこのような変化が面白いです。そして、古いお友達の事を思い出して懐かしく感じられる自分もいいです。ですから、年賀状つくりは過去にもしたことがあるけれど、新しい私の新しい動きなのです。
ちなみに年賀状作りも、今はパソコンで出来るから以前より楽しくて楽ですね。メールでも年賀状を送ることが出来るのですねぇ。いいですね。

時間はいつも動いているのだなぁ。そして、ゆっくりでいいのだなぁ。

** 〜Toi muốn đi Baseball〜 **



2006年12月28日(木) 現実

 2006年最後の仕事。

 午前中、50代の保育士さんから、「Mamoちゃんの子どもさんはいくつなの?」と聞かれました。
心に、小さな波が立ちました。先日子どもがいることを語ると決めたときから、いつか何かを聞かれるだろうと想像はしていました。自分の語った言葉に責任を持てる自分を意識していようとも決めていました。私の生き方について、どんな言葉が返ってきても、対峙できる自分を育てようということです。そして、早くもやってきた第一弾。
 ところが私は、3年半前に分かれた子ども達の年をいつも思い出せません。(たぶん…)「小学生」と答えると、次に「年に何回かとか会ってるの?時々会えるの?」と尋ねられました。私は、会えないと伝えることで、自分の弱い部分を刺激してしまうような気がして、会えないとは言えませんでした。とっさに、「状況が許せば…」と答えてしまいました。保育士さんは私の事実とは違う解釈をされました。今の時代は、母親が子どもと離れて暮らすとは考え辛い世の中なのです。私は訂正をしませんでした。
 そのあと、「私はネ、子ども達に “お母さんはもっと、あなた達の心を分かるお母さんになれるよう勉強してくるから待っててね ”と約束をして分かれてきたの」と伝えました。
保育士さんは少し黙って、それからうーんとため息のような息を漏らして、「そんな難しいことを…」と言いました。ところが、その時私の脳裏には、3年半前に子ども達と約束してきたことは、おそらく可能なのだと、プラスのイメージが沸いていました。ですから、保育士さんには、「出来るか出来ないかは別にしてネ。そしてたぶん、出来た分は出来るかも」と伝えました。保育士さんは「へぇーっ」と言いました。
その後は、「子どもさんは何人いるの?2人くらい?」「う〜ん、そこはまだ内緒にしておかせてね。きっとびっくりすると思うから」「え〜っ、まさか5人くらいとか…」(近いなぁ…)。
 昼休み、車の中で子ども達の事を思い出しました。二つの目に涙がたまり、あふれて落ちそうになりました。でも、今泣いている自分を続けていては、私は現実から遠のき子ども達との約束さえ忘れてしまうかもしれません。だから、現実を見ようと自分に伝え、心を新たにして午後の仕事へ行きました。もちろん、約束を果たすことは目の前の目標の1つ・点の一つです。そして私は自分の人生の為に、現実を見たいのです。

 退社して家に戻ると、中日新聞の方がGobamcanの取材に来ていらっしゃいました。
私も同席させていただいて、質問されるままに、裁判のこと、自分の動き、今の自分になれた経緯を語りました。ジャーナリストは、私の子ども時代と私が子ども達にしてきたことについていくつかの質問をして下さいました。私は、私がどれほど子どもを大切にしたくても、自分が生き辛いままではどうにもならなかったこと・そればかりか傷つけてしまうことがたくさんあったこと。根底は自分が子どもの頃心に受けた傷を抱えたままの大人であること・そして、心の傷を癒やしていけば大丈夫なのだということを語りました。それから、誰にも自分の人生を語れるような生き方をしたいとも。 ジャーナリストは、連鎖という言葉を使ってうなずいておられました。
 それから、ファシリテイターとして育つということについて、「こういう場合(育ちを手伝う場合)、出来ているうちはいいけれど、そのうち、自分の思うようにならないと、ついつい、何やってるんだという言葉が出てきますよね」と仰いました。
私も過去には子ども達に同じことを感じ傷つけてきました。そして、今の社会には、同じような言葉が飛び交っていることもわかります。ジャーナリストの言葉を聞きながら、私はプラスの自分の感じたものを大切にしようと自分に伝えました。

 社会の動きの話では、ジャーナリストは、「自分達は弱い人の意見を吸い上げて社会に伝えることが仕事です」と仰いました。私は「吸い上げる」という言葉に「理解する」とか「取り入れる」とは違うニュアンスを感じて好感を持ちました。
ストローでジュースを吸って飲む様子を想像すると、「吸い上げる」というのは、自分で吸いあげる。自分が飲もうとした分だけ上がってくるのです。ですから、ジャーナリストとは、社会の底辺に居る私達の言葉をご自分の心に添って吸い上げて下さって、伝えきれない私たちの代わりに代弁して下さるということのように感じられたのです。私達の言葉を聞いてくださるときには、上からでも下からでもない私たち市民と同じ位置で、その方の基準に沿って動いてくださるということのようにも感じました。記者というお仕事をされるときには大切なものなのだなぁとも感じました。

 夜、一人自室で、「机の配置が変わってる」と言っている自分に気付きました。よく気が付けた。すぐに気が付けた自分を認め能力にして、「何が間違っている?」と自問しました。
 間違っているのは、机の配置が変わっていると言っている自分。原因は、子ども達や過去の詳細をたくさん語ったからでした。 そして、本来の私は、暖かいお風呂に入りました。

私はいつも、本来の自分を大切にして、現実を生きるのです。


2006年12月26日(火) サクサク

 朝、今日一日自分をしようと心に決めて、スタートしました。
仕事中、自分の背中から自分を見ることを意識しました。時々、「こんなことして大丈夫かな?」と不安に感じる自分が出てきて、そんな時には自分で切り替えて、いつもプラスのMamoを意識しました。
 夕方、部屋に戻って感じたことは、やはり、何をしていても自分は自分をすることが大切だということでした。
例えば、どんなに小さな赤ちゃんも、自分の世界を持っていて自分の人生を歩いている。私も、一人の時には一人の自分を・子どもさんと話をしているときには子どもさんと話している自分を。誰といても何をしていても、いつも自分をしている。基準はいつも、自分なのだと改めて感じました。
 そして、私の膝に座っているのがどんなに小さな子どもさんであっても、私との間には、個としての境界線があり、私は私の感じたものを大切にして動いていくのがいいのです。その為に、私はいつも自分の中に、大人の自分とチャイルドの境界線を持ち、心の傷を癒やし、自分を育てていくことが最優先。そして、大人の私の感じたものをすなおに丁寧に進めていく。これがいいです。

** 〜Toi muốn đi Baseball〜 **



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