「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2006年06月26日(月) 自分が変わろう

 「自分が変わろう」と思うと、何故か心がほっとします。不思議。どうしてかな。
いつも自分以外の何かのせいにして生きていた自分から、変わっていけることの喜びかな。人生の楽しみが広がることの嬉しさかな。
ほっとする理由は分からないけれど、私は、変わっていく自分が面白い。
今の自分を見ていると、人は先を見て生きていくことがいいと、伝えていくことさえ出来そうな気がします。そして、自分自身にも、私はこれからも自分を構築するように生きられるのだと想像することができます。
 そんな私、保育園で赤ちゃんを見ながら、思うことがあります。
「私は今、人生を楽しいと思えるようになってきたところ。あなたは、今、見えるもの、触れるもの、ぜんぶぜんぶ、楽しいの? 何もかもが、そのままの形で見えているの? もしも本当に、そうだったら、あなたって、すごいよ」

 赤ちゃんの世界をのぞいてみたいなぁと、つくづく思います。真っ白な世界ってどんなものか。ニュートラルな世界ってどんなものか。生き方見本は小さな子どもにあるのではないかな。

 そして私自身は…。
「いったい私は、自分をどうしたいの?」「自分に何を求めているの?」と自問していたのは3ヶ月前。それ以前に、ここへ来て一番苦しかった3ヶ月間。あの頃からすると、「わたしは今、どうすればいいのか」・「自分に何をしてあげればいいのか」を見つけられたような気持ちがしています。

 自分を変えてあげることができるのは、私だけなのです。
「自分が変わろう」は、過去のように、相手に合わせて自分を変えるのとは違います。
シンプルな自分に生まれ変わるということ。
とても素敵・とっても好きな言葉です。

 一年後、今のような思いを、本に書いていけたらいいな。
そして、もう、ずいぶん「一人に近づいた」かな…。
だったらさらに、うれしいな。と、いいつつ、そう決めるにはまだ早い…。
もっと、安定したいな。
…ううん。違うよ。「出来たらいいな」は終わりにして、出来るように生きていこう。


2006年06月25日(日) 心の傷を癒そう

 夕方、家の庭で、F君と歌を歌って遊びました。
心に、「過去に出来なかったことを自分にさせてあげる」がありました。
 子どもの頃にできなかったことを、今、自分に体験させてあげている。
考えてみれば、過去はこんなに自由を感じながら生きていたことは無かったから、今生きていること自体が、過去に出来なかった生き方を自分にさせてあげているのと同じではないかな。

私には弟が居ますが、過去には弟とこんなに自由な気持ちで遊んだ記憶はありませんでした。それに、こんなに楽しく歌を歌ったことも。私はこの体験を利用して、心の傷を癒やします。
こうして、日常と照らし合わせて、過去の自分を見つめることができる、と言うことを嬉しく思います。
毎日の生活に、自分を喜ばせてあげる材料はたくさんあるから、もっともっと楽しもう。


Baseball へ行こう!


2006年06月23日(金) 死んで土に返る

 ある女性が腫瘍を抱えた体だと知らされた。彼女がこの世界から居なくなってしまうかもしれない。そう思うと悲しみが湧いてきた。どうしてあの子なんだろう。他の誰かならいいのかな。ううん。誰と変わっても同じだよ。どうして人は死ぬのかな。命って何?
 人はいつか死ぬ。死ぬために生きている。ううん、死に向かって歩いてる。もしも彼女が死んだら、彼女は土に返る。命の時間が終わる。私も、死に向かって歩いてる。私の死んだら土に返りたい。でも、死ぬのは恐い。
なぜ?人は死について、どこで学んでいくのかな。
遊びの中で、生き物は死んでゆくということを学ぶものなのかな。
 子どものとき、飼っていた犬や十姉妹が幾度も死んでいった。大人は私に死をやさしく教えてくれることは無かった。大人は、私の心に、死を痛みや苦しみとして植え付けた。今考えれば、あの頃死んだ犬達もみな土に返っていったのだ。土に返れてよかったのだ。私は今日始めて、彼らの死を受け入れられて気がする。
 死に怯えたチャイルド。
さっと出てきて、すっとどこかへ隠れていく。どうしてすぐに、暗いところへ隠れてしまうのかな。そっか。様子を見に出て来たんだ。そっか。でももう少し時間が必要だなぁ。


2006年06月21日(水) 生きている・それだけで

 今週に入ってから、自分を感じられることが多くて嬉しい。
もっともっと、自分を感じ続けたい。私は私のスタンスを大切にする。

ずっとずっと、苦しい一心で生きていたのだと思っていた。
でも、今は、少し違う思いがわいている。
私は、人として生きることをあきらめずに居た。自分を生きることをあきらめず、自分を探し続けてきた。
だから、今、ここで、自分が生きているという感覚を感じられているのだと思う。

命は尊い。私の命だけではない。誰の命も尊い。
死ななくて良かったと心から思う。
生きているだけでいい。人って、そういうものだ。

決めた。これからは、私は自分の心のオアシスになる。
何があっても大丈夫だよ。だって、生きているから。
そう思うだけで、楽しい。


2006年06月20日(火) 自分で見た夕日

 夕方、ベトナム人の心友Dちゃんと、藤前干潟へ遊びに行きました。
空はうす曇りで太陽には薄い雲がかかっていましたが、濃いオレンジ色の夕日が、山の向こうに沈んでいくのがよく分かりました。
私たちが居る間、小牧から来たと思われる飛行機が何度も通りました。
Dちゃんは、「あれはベトナムへ行っているのかな」と呟いたので、私は「たぶんDちゃんは乗っていないと思うよ」と言いました。
 Dちゃんは、「日本で働いたお金を持って帰って、お父さんやお母さんに恩返しをする」と言いました。私の心には「それは違うんだよ」という言葉が浮かびました。誰もみな、親や他者のために生きていては、自分を生きることは出来ません。私は少し間をおいて、「人間は自分で生まれてくるよ。私もDちゃんもね」と話をしました。

 その後、二人で岸辺に座って、歌を歌ったり静かに海を眺めたり、日本語とベトナム語が書かれたお互いのノートを見たりして、あっという間に時間が過ぎました。

 彼女は今年の7月、ベトナムへ帰ります。私は来年の夏、ベトナムへ行く予定でいます。
私が「ベトナムでもお友達でいてね」と言ったら、Dちゃんは笑っていました。
でも、笑い事とは別にして、私はDちゃんにある、凛とした静けさが好きなのです。そして、いつも自分を持っているように感じられて、一緒に居ても楽なのです。
そして、私のベトナム語の始まりは、「この女性とベトナム語で話をしてみたい」と感じたときから。
だから、自然に「お友達になってくれてありがとう」が浮かぶのです。
ちなみに、Dちゃんがベトナムへ帰国する日、私は仕事があるので、お見送りにいけません、ちょっぴり残念。そして、又会えるから、いいのです。


2006年06月19日(月) 私・∞

 知らないことがあるということがうれしい。
もっともっと、違う世界を感じたい。
もっともっと、私自身を感じたい。
私の中には、もっともっと がいっぱいだ。

私の人生は宇宙みたいに無限大。


2006年06月18日(日) 未来のために出来ること

「未来に目を向けて」
もっともっと成長したいな。
今よりももっと未来に繋がる生き方をしたい。私に何をしてあげようかな…。身近なところから見つめなおそう。

健康な体をつなげよう。
体にやさしい運動を取り入れて、栄養のバランスを考えよう。
体に入った食べ物が全て、私の栄養になるように、いつも心で食事をしよう。
このような事は、本来子どもの頃に親から学んでいけることのはず。でも、今私は自分で自分の体をいたわれる。そして、大人の私はチャイルドを癒していくと、より自然な私に成長できる。

 それから、来年はベトナムに行き、本書きを始める予定だから、読みやすくシンプルな文章を書くことを、もう一度意識しよう。
もっともっと、本当の自分を探し、毎日を自分のために丁寧に生きよう。
Baseball へ行ってみよう


庭のルコウソウ トマト かんのんちくの花(めずらしい)
泰山木・その後1 (焼けたパイナップル)泰山木・その後2


2006年06月17日(土) 正しさを、やさしく

 育成会。

 人々がご自分の心と向き合っておられる姿は美しいです。生きるとはこういうことだと、心の底からうなずきました。

 午後の部で、Cさんが 「自分と対話して」とを語られました。私も、今よりももっと自分に心を傾けて、自分自身と語り合いたいです。
そして、もっともっと、変わりたい。私の心と未来は、私自身が取り組んだ分だけ、望むところへ近づいていけるのだから、今、心にある課題を見据えて、楽しく取り組んでいきます。課題探しも楽しいもの。日常の小さな出来事を利用して、自分探しを楽しみます。
いつもいつも、お金や物ではない大切なものを、一番大切にしていきたい。
何だか…貪欲に、心を求めているような気がします。


 夜、「Wild engels」というドイツ映画を見ました。3人の女性が悪得警官と軍人に立ち向かい、自分の命を架けて、隠された秘密を探し出していくというもの。女性は3人とも、自分の手で自分を支えられる体と、考える力をもち、正しさを伝えていました。
 裁判を控えた今、自分の正しさを伝えることの素敵さを改めて実感しました。
 私も、いつも正しさを伝えられる女性でありたい。そして、よりやさしく伝えることが出来ればいい。自分の中に、過去に受けた傷の怒りをもったままで居ては、やさしく伝えることから遠ざかる。だから、何よりも先に、心の傷を癒そうと心の奥底で思うのです。


2006年06月14日(水) ひらがな

 お休み。
 家の外で遊んでいたら、マダラカマキリが飛んできた。長い触角の先まで白いまだら模様が入っていて、力強くてかっこよかった。

 夜、久しぶりにファシリッコに参加した。自分を認め、自分に一番やさしく生きていると、何があってもそこプラスに考えていけるのだと実感した。
 途中から、Gobamcanで最年少の少年が本読みに初参加し、私は彼が丁寧に文章を読んでいくことのお手伝いをさせていただけた。少年は分からない漢字を私たちに尋ねてくれた。私たちはそれぞれの方法で、楽しく手伝いあった。
そして私は、少年が他のルームメイトのヒントを元に答えを見つけた時、心の底から感動した。
「ここに、他者を基準にし、否定しやすい社会とは全く違う社会がある。人は、自分を育てていくことで、他者の育ちを手伝っていけるのだ」

 一人感動を味わったあと、少年が本を読んでいるのを聞き、子どもはこんな風に文字をたどりながら、「本を読む」ということを学んでいくのだと思った。
そして子どもの頃の私も、本来、周りの大人に見守られながら、本を読める大人に育つことが出来るはずだったと実感した。

 ファシリッコを終えたあと、部屋に戻り、もう一度ゆっくり本を読んだ。本に書かれたひとつの単語を読んでいく前に、そこにある「ひらがな」を読んだ。

「追記」
しかし…、こんなに充実した一日の終わりに、またまた言葉を間違えた。ううん、言葉は心から出てくるのだから、少し前から心を間違えていた。
私は今でもミスをする。こんな自分も認めて、自分を育てていこう。
まだらかまきり  これらは何でしょう??








2006年06月12日(月) テーマ

「乳児期の頃に今の強さがあったら」
赤ちゃんは小さくて弱い。生きていくには大人の手助けが必要だ。

小さくて弱かった私の、存在感。そして、私は本当に、弱かったのかな。
…小さな私が、生まれ、そこで生きていたということが、どんなに大きなことであったか。
…小さな私は、生まれたままのそのままでよかったんだよね。
 そして、今、ここに生きていること・それ自体がどんなに素敵なことか。
私はいつも、今、生きているそのままの私でいいんだね。
 
 
 夜、ルームメイトから、「Mamoちゃんは最近言葉について意識していることって何?」と尋ねられた。この頃は裁判に関することが多かったので、すぐには答えが見つからなかった。
そして後でもう一度、自分を振り返ってみた。
そういえば、少し前に、「私の言葉は彼らに伝わりにくいのだな」と感じたことがあった。ルームメイトと話をしていて、そのシンプルさに惹かれたことがあった。そして彼ら彼女達と、もっと近くで心で話がしたかった。
ベトナムの女性と心を語りたい・小さな子ども達に、その小さくて無限に素敵な世界をのぞかせてもらいたい。心と心で語りあいたい。
これも小さな好奇心だね。
好奇心って不思議だな。知らないうちに自分が育つ。
もっともっと好奇心を育ててみよう。

 いつもプラスの社会に生きたいな。
そして、いつもプラスの社会を求めすぎることは私のエゴだな。なぜなら私は人を社会を変えようとしていることになるのだから。
私に変えていけるのは、私の心と自分の未来。

自分を、変えていこう。
4年目の私の心のテーマは「自分が変わろう」。


「仕事」
仕事は今日も楽しかったな。ブラジル人のお母さんと語る時には、いつもよりさらに丁寧に語ろうとする自分が面白かった。


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