「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2006年06月21日(水) 生きている・それだけで

 今週に入ってから、自分を感じられることが多くて嬉しい。
もっともっと、自分を感じ続けたい。私は私のスタンスを大切にする。

ずっとずっと、苦しい一心で生きていたのだと思っていた。
でも、今は、少し違う思いがわいている。
私は、人として生きることをあきらめずに居た。自分を生きることをあきらめず、自分を探し続けてきた。
だから、今、ここで、自分が生きているという感覚を感じられているのだと思う。

命は尊い。私の命だけではない。誰の命も尊い。
死ななくて良かったと心から思う。
生きているだけでいい。人って、そういうものだ。

決めた。これからは、私は自分の心のオアシスになる。
何があっても大丈夫だよ。だって、生きているから。
そう思うだけで、楽しい。


2006年06月20日(火) 自分で見た夕日

 夕方、ベトナム人の心友Dちゃんと、藤前干潟へ遊びに行きました。
空はうす曇りで太陽には薄い雲がかかっていましたが、濃いオレンジ色の夕日が、山の向こうに沈んでいくのがよく分かりました。
私たちが居る間、小牧から来たと思われる飛行機が何度も通りました。
Dちゃんは、「あれはベトナムへ行っているのかな」と呟いたので、私は「たぶんDちゃんは乗っていないと思うよ」と言いました。
 Dちゃんは、「日本で働いたお金を持って帰って、お父さんやお母さんに恩返しをする」と言いました。私の心には「それは違うんだよ」という言葉が浮かびました。誰もみな、親や他者のために生きていては、自分を生きることは出来ません。私は少し間をおいて、「人間は自分で生まれてくるよ。私もDちゃんもね」と話をしました。

 その後、二人で岸辺に座って、歌を歌ったり静かに海を眺めたり、日本語とベトナム語が書かれたお互いのノートを見たりして、あっという間に時間が過ぎました。

 彼女は今年の7月、ベトナムへ帰ります。私は来年の夏、ベトナムへ行く予定でいます。
私が「ベトナムでもお友達でいてね」と言ったら、Dちゃんは笑っていました。
でも、笑い事とは別にして、私はDちゃんにある、凛とした静けさが好きなのです。そして、いつも自分を持っているように感じられて、一緒に居ても楽なのです。
そして、私のベトナム語の始まりは、「この女性とベトナム語で話をしてみたい」と感じたときから。
だから、自然に「お友達になってくれてありがとう」が浮かぶのです。
ちなみに、Dちゃんがベトナムへ帰国する日、私は仕事があるので、お見送りにいけません、ちょっぴり残念。そして、又会えるから、いいのです。


2006年06月19日(月) 私・∞

 知らないことがあるということがうれしい。
もっともっと、違う世界を感じたい。
もっともっと、私自身を感じたい。
私の中には、もっともっと がいっぱいだ。

私の人生は宇宙みたいに無限大。


2006年06月18日(日) 未来のために出来ること

「未来に目を向けて」
もっともっと成長したいな。
今よりももっと未来に繋がる生き方をしたい。私に何をしてあげようかな…。身近なところから見つめなおそう。

健康な体をつなげよう。
体にやさしい運動を取り入れて、栄養のバランスを考えよう。
体に入った食べ物が全て、私の栄養になるように、いつも心で食事をしよう。
このような事は、本来子どもの頃に親から学んでいけることのはず。でも、今私は自分で自分の体をいたわれる。そして、大人の私はチャイルドを癒していくと、より自然な私に成長できる。

 それから、来年はベトナムに行き、本書きを始める予定だから、読みやすくシンプルな文章を書くことを、もう一度意識しよう。
もっともっと、本当の自分を探し、毎日を自分のために丁寧に生きよう。
Baseball へ行ってみよう


庭のルコウソウ トマト かんのんちくの花(めずらしい)
泰山木・その後1 (焼けたパイナップル)泰山木・その後2


2006年06月17日(土) 正しさを、やさしく

 育成会。

 人々がご自分の心と向き合っておられる姿は美しいです。生きるとはこういうことだと、心の底からうなずきました。

 午後の部で、Cさんが 「自分と対話して」とを語られました。私も、今よりももっと自分に心を傾けて、自分自身と語り合いたいです。
そして、もっともっと、変わりたい。私の心と未来は、私自身が取り組んだ分だけ、望むところへ近づいていけるのだから、今、心にある課題を見据えて、楽しく取り組んでいきます。課題探しも楽しいもの。日常の小さな出来事を利用して、自分探しを楽しみます。
いつもいつも、お金や物ではない大切なものを、一番大切にしていきたい。
何だか…貪欲に、心を求めているような気がします。


 夜、「Wild engels」というドイツ映画を見ました。3人の女性が悪得警官と軍人に立ち向かい、自分の命を架けて、隠された秘密を探し出していくというもの。女性は3人とも、自分の手で自分を支えられる体と、考える力をもち、正しさを伝えていました。
 裁判を控えた今、自分の正しさを伝えることの素敵さを改めて実感しました。
 私も、いつも正しさを伝えられる女性でありたい。そして、よりやさしく伝えることが出来ればいい。自分の中に、過去に受けた傷の怒りをもったままで居ては、やさしく伝えることから遠ざかる。だから、何よりも先に、心の傷を癒そうと心の奥底で思うのです。


2006年06月14日(水) ひらがな

 お休み。
 家の外で遊んでいたら、マダラカマキリが飛んできた。長い触角の先まで白いまだら模様が入っていて、力強くてかっこよかった。

 夜、久しぶりにファシリッコに参加した。自分を認め、自分に一番やさしく生きていると、何があってもそこプラスに考えていけるのだと実感した。
 途中から、Gobamcanで最年少の少年が本読みに初参加し、私は彼が丁寧に文章を読んでいくことのお手伝いをさせていただけた。少年は分からない漢字を私たちに尋ねてくれた。私たちはそれぞれの方法で、楽しく手伝いあった。
そして私は、少年が他のルームメイトのヒントを元に答えを見つけた時、心の底から感動した。
「ここに、他者を基準にし、否定しやすい社会とは全く違う社会がある。人は、自分を育てていくことで、他者の育ちを手伝っていけるのだ」

 一人感動を味わったあと、少年が本を読んでいるのを聞き、子どもはこんな風に文字をたどりながら、「本を読む」ということを学んでいくのだと思った。
そして子どもの頃の私も、本来、周りの大人に見守られながら、本を読める大人に育つことが出来るはずだったと実感した。

 ファシリッコを終えたあと、部屋に戻り、もう一度ゆっくり本を読んだ。本に書かれたひとつの単語を読んでいく前に、そこにある「ひらがな」を読んだ。

「追記」
しかし…、こんなに充実した一日の終わりに、またまた言葉を間違えた。ううん、言葉は心から出てくるのだから、少し前から心を間違えていた。
私は今でもミスをする。こんな自分も認めて、自分を育てていこう。
まだらかまきり  これらは何でしょう??








2006年06月12日(月) テーマ

「乳児期の頃に今の強さがあったら」
赤ちゃんは小さくて弱い。生きていくには大人の手助けが必要だ。

小さくて弱かった私の、存在感。そして、私は本当に、弱かったのかな。
…小さな私が、生まれ、そこで生きていたということが、どんなに大きなことであったか。
…小さな私は、生まれたままのそのままでよかったんだよね。
 そして、今、ここに生きていること・それ自体がどんなに素敵なことか。
私はいつも、今、生きているそのままの私でいいんだね。
 
 
 夜、ルームメイトから、「Mamoちゃんは最近言葉について意識していることって何?」と尋ねられた。この頃は裁判に関することが多かったので、すぐには答えが見つからなかった。
そして後でもう一度、自分を振り返ってみた。
そういえば、少し前に、「私の言葉は彼らに伝わりにくいのだな」と感じたことがあった。ルームメイトと話をしていて、そのシンプルさに惹かれたことがあった。そして彼ら彼女達と、もっと近くで心で話がしたかった。
ベトナムの女性と心を語りたい・小さな子ども達に、その小さくて無限に素敵な世界をのぞかせてもらいたい。心と心で語りあいたい。
これも小さな好奇心だね。
好奇心って不思議だな。知らないうちに自分が育つ。
もっともっと好奇心を育ててみよう。

 いつもプラスの社会に生きたいな。
そして、いつもプラスの社会を求めすぎることは私のエゴだな。なぜなら私は人を社会を変えようとしていることになるのだから。
私に変えていけるのは、私の心と自分の未来。

自分を、変えていこう。
4年目の私の心のテーマは「自分が変わろう」。


「仕事」
仕事は今日も楽しかったな。ブラジル人のお母さんと語る時には、いつもよりさらに丁寧に語ろうとする自分が面白かった。


2006年06月11日(日) 自分のことが好きな大人

 今日はベトナム研修生さんたちの寮へ遊びに行ってきました。中には、日本へ来て2ヶ月の女の子達もいて、「寂しい」と泣きながら、私の胸元にぴったりとくっついていました。私を「お母さん」と呼んで下さることがうれしいです。そして、皆さん子どものように素直です。私はその素朴さを大切にしたいと思える自分を大切にします。

日本人Mamoは、来日したベトナム人女性の、在日中のお母さん。なんだか面白い…。
日本の母Mamoは、感じたものを大切にして生きる大人。日本の母Mamoは、いつも自分にやさしくて、自分を大切にしているのが好きな大人です。


「裁判について」
 今はまだ、裁判に出た後は疲れます。でも、それも今はいい。なぜならこんなに奥深いレベルで自分を知ることができるから。もっともっといろんな自分を発見したい。
私の前に大きく立ちはだかっているように見えていた弁護士は、私の中でうんと小さくなりました。次回は6月30日。楽しみだな。

 今更ですが、人生は自分で切り開いていくものだなぁと実感します。
私はもっともっと、自分の中に眠っている可能性を引き出してみたい。
日常の小さなことに巻き込まれていたら、自分がもったいない。
今日から再び、新しい自分の為に、今の自分をみつめていこうと決めました。
私はプラスに生きる大人を基準にして、そして私を大切にして今を楽しみます。
いつもいつも好奇心を使って自分を成長させていこう。やっぱりそれがいいよ。うんうん。
どんな私になれるかなぁ?楽しみ楽しみ。

庭のキウイ・ただいま14個。かわいいょ。 胡桃の実 胡桃の実 守山区小幡緑地公園のポプラ小幡公園のさくらんぼ・甘くておいしかったなぁ


2006年06月10日(土) 今思うこと

 今日になって、弁護士と向かい合っていた時の自分の気持ちに気が付いた。事実法廷に居た時間、私は自分の現実を通過することで精一杯だったみたい。一晩過ぎてからでも、自分の心に気が付いてよかった。
過去は、いつも生き延びることで精一杯。そして今も、こなすことで精一杯。あったことはあったことだよね。これから変えていけばいいよ。
人は、今の能力に応じて、現実と対峙できるのだから、私はまだまだ、自分の心を感じられるように自分を意識することで精一杯なのだよね。
 例えば裁判に行く度に、フーフー言っている私、出来ているのかどうかが分からないから、社会の小さな言葉に疲れる。
もっと大人になれば、こんなにフーフー言わずに済むのかな。
心が成長した大人は、マイナスの社会にいても辛いと感じずに、いつも楽しんでいられるのかな。
成長した大人は、悲しみや辛さを感じても、悲しみや辛さに巻き込まれるずに済むのかな。何があっても、どんなことも自分の中で整理していけるものなのかな

 夕方、通訳の女性と心の話をした。女性は自分の子どもの頃の様子を語られた。大人のおかしさを知っておられる語りだった。生まれた国が違う人と心を語り合えるようになっていることをうれしく思った。私もありのままの自分を語っていこう.それが人として成長し、時には他者とともに成長し合えることにつながる。


2006年06月09日(金) 裁判準備 1

 裁判準備 (裁判の争点を絞るもの)
 5号法廷・審尋室  楕円形のテーブルを囲んで、会社の社長と弁護士・裁判官・書記官・司法委員の5人と私

 前回約束した書類にあわせて、新しく作っていった書類を提出。その後弁護士から続けて3つの質問を受けました。
けれども弁護士の3つの質問は、「今日裁判準備の場所で答える必要があるのかどうか」が分かりませんでした。
私から「質問がたくさん来て、すぐに考えて答えられません」とお伝えすると、弁護士は「お言葉ですが、あなたは…」。
 すでに、心がいっぱいいっぱいの私。
「すみません、これ以上は答えられません。私の伝えたい事と事実は、全部ここに(提出した書類)書いているとおりなんです」
「あの、今日のこの時間は、私は弁護士さんに質問をされて、答えるための時間ですか?私は全部の質問にすぐに答えなければならないの?」
二つ目の言葉をテーブルの真ん中に向かって尋ねると、裁判官は弁護士に 「原告の主張はここに書いているとおりだから、そちらも意見があれば文書で提出すればいいんじゃないですか?」と伝え、そして私に、「あなた<私>は答えたくなければ答えなくてもいいですよ」と伝えてくださいました。
弁護士は、前回と同じように恐い顔をして私を見ました。私は今日も恐かった。けれども今日は「恐い顔をされると恐い」と発言して、弁護士と目が合わないように裁判官の方に体を傾けていました。

 争点は、「会社側の解雇か私側の自己都合か」というところ。
弁護士は「あなたは体調を崩していたと聞いています。自分でお辞めになると言われた。こちらは解雇はしていません」と言って、私のほうを見ました。
…そうです。私は自分でやめると言いました。でも、あなたの言っているのとは違う。それに、今ここで伝えられる事とは違うはずなのに…。
目に涙がたまってしまったそのままの顔で「私は…のはずです」と言って、弁護士の横に座っておられる所長さんの顔を見てしまいました。
裁判官はもう一度、弁護士に向かって「ですから、そちらの主張があれば、又書面で提出してください」と。

 その後、裁判官から和解の相談を進められました。
裁判官は私に「これまでいろいろとあったんでしょ?でも、もう終わったこととしてみては?これからは、今後の問題として、和解を考えてみたら?」
その後は、前回の司法委員と同じ。
「あなたは就職したときに、誓約書にサインをしたでしょ?誓約書には、訪問先であった出来事を他言しないというのがあったでしょ?その約束は、通常あなたが会社をやめても守り続けなくてはならないでしょ?あなたの主張した金額を相手方は支払う意志があるから、お互いに譲り合って、誓約書を守るという条文を交わしてはどうですか?」

私には意味が分かりませんでした。  
会社と私の間の誓約書が大切だと言われるのなら、私は誓約書に会社の情報を守るという書面を提出したけれど、会社は私に「あなたの個人情報を守り大切にします」という約束をして頂いてはいないのに?「和解」って何なかな。
仮に、この裁判は私と所長さんとの問題なのだから、私と所長さんとで文章を考えて、二人の合意の文章を入れて頂けるのならいいけれど、きっと永遠に遠い話・または逆に少し先の話になるでしょう…。私には過去の会社の誓約書を守ることを優先して、私にあった事実をないものにすることは出来ません。
 私は、私の主張がすべて通り、条文に、私は解雇されましたという文章が入るのなら和解する事を考えますと伝えましたが、受けいれらる様子はありませんでした。
裁判官は司法委員に「もう一度ゆっくり話を聞いてあげてください」とお願いしましたが、おそらく語ってみても同じこと。私は裁判官の言葉をお断りしました。
裁判官は「裁判を起こしてもあなたの主張が通るとは限らないよ」と語りました。
それは分かっているけれど、私の主張が認められるかもしれないのだから。
 ちなみに、この裁判は3審制らしいので、私は不服申し立てが2回出来ると思うのです。あきらめずに自分を伝えていけば、きっと、「あなたは正しいよ」と認められる人に出会うことが出来るかもしれないのです。



 ところで今日は、名古屋へ来た私の3年目の誕生日。
3年前の今日、私は、死にそうな自分を抱えて、記憶もまばらにここへ来た。
3歳のMamo。ピヨピヨ。
3年目の今年は、1年目と2年目の3倍うれしい。うれしい理由はどこかで語る機会があればいいですが又後ほど…。
夜、ゲンジ蛍を見ました。少しだけ緑がかった黄色の光を放って、ふわふわと飛んでいました。かわいかった。
3歳の自分へのプレゼント。
4年目もほんのりやわらかく生きようよね。


Mamo |MAILHomePage

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