「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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一組の母娘さんと語り合いました。娘さんにあたる女性は、「自分を大切にしてと言うけれど、その“自分”が分からないから」と語りました。彼女の話を聞いているうちに、現代の女性の殆どは愛を知らずに大人になり、生きながらえているのではないかと思いました。もしもお母さんと娘さんのお2人が自分の心を見つめて生きていかれるとしたら・・。私は親から謝罪されることはありませんでしたし、私自身も子ども達と向き合って謝罪できるのはもっと先の事でしょう。そう考えると、お二人の関係は素敵に思えます。そして私はこれからも娘さんと心の事を語り合っていければ嬉しいなと思いました。 「今思うこと」 私は今、世の中はこれから何十年かをかけて変わっていくのではないかと思えています。団塊の世代と言われている方々が定年を迎えられ、これからは、今不登校引きこもりをされている方々や、自分を見つめ心の傷を癒やし、社会の生き辛さを知る私たちが日本の国の中心となって動き始めるからです。私たちが心を大切にして動いていれば、日本という国が心のある国に育っていくのではないかと思うのです。私はひたすら自分を大切にしていきます。そのうちに、社会に出てもいつも自然に自分を大切に出来るようになれるから。
育成会。 ICの本では10章の中で「自分にかけていて物を子どもに与えようとする」という部分に付いて語り合いました。私は過去、同年齢のお子様を育てておられるお母さん方の集まりの中で「自分が子どもの頃にしてもらえなかったから」という声をよく聞きました。学歴や大学などもその1つですが、それが子どもの頃の自分に与えられていても居なくても、社会の価値観を基準にして生きていると、子どもが必要としているかを知る前に、子どもに与えようとしてしまうのだと思いました。 私自身は子どもと関わっていた頃、「自分のような人間を作らないように育てよう」と考えていましたから、本当にひどいものでした。そして傷つけられた私のまま子ども達と関わり続けていたら、親として更にマイナスを植えつけていたのだと考えると、2年半前より少しでも成長できている自分で良かったなぁと思います。
次に「アイデンティティー」に付いて語り合いました。 「アイデンティティー」とは自分の思う自分と外部から見た自分が連続的に一致していることのようですが、一般的には社会に「私はMamoである」ことを証明する為に免許証が使われていると聞いて、普段何気なく見せているものが「私の証明」だったのだと思うと、免許証や免許証に写る写真の自分がが可愛らしく見えてきました。
「自分とは何だろう」 私は私である事は分かったけれど、では「私」とはどんな私なのか。 自分に愛を注ぐ私を思うと、自然に「私」が明らかになるような気がします。
突然ですが、裁判は一人でも出来るそうなので、少しばかり法律を学んでみることにしました。 私が自分の事実を主張するためには、「周囲に“なるほど”と思わせるだけの話術が必要だ」とのお話。周囲といっても、「つまり裁判官」なのだそうですが・・。 私は事実は持って、確かな裏づけを纏めて理路整然と語る事が出来れば大丈夫なのですね。 もともとは、「心を無視した社会の仕組み」に問題がある事ですが、私は自分の為に自分を伝えてみます。ということで、今夜は弁護士宛に送付する書類案その1を作成してみました。が、まだまだ案練り中ですよ。
ところで、今日もまた星空がきれいでした。オリオン座から少し南西の位置にある小さな星の集まりは「すばる」だそうです。それから、夜空が丸く見えるというのは事実のようですよ。きれいですねぇ。自然はいいですねぇ。
今日は朝から、「夜は月の観測をするつもり」で活動。久しぶりに望遠鏡を持って滝の水公園へ行きました。 昨日の雨で空気は澄んでいて港の方まできれいに見えて、寒いけれどいい気持ちで、平日のせいか人が少なくて360度の景色を貸しきりで見てるようでした。今日のように空気が澄んだ日は遠くで雪化粧した山がよく見えます。海もいいけど山もいい。自然はいいですねぇ。 そしてこちらも久しぶりですが、相生山緑地へ行ってみました。相生山緑地は地下鉄桜通線野並駅から東海道を東へ向かうと左手に見える低い山ですが、どうやら名古屋で知られる散策コースのひとつのようです。 途中で年配の女性が「一緒に連れて行って下さい」と言われたので、一緒に山登りをしました。相生山の入り口は竹林で、上のほうで竹と竹がこすれあう音が聞こえて何とも神秘的。自然はいいですねぇ。 それからついに、家のベランダから望遠鏡で月を見る事が出来ました。今日は三日月ですが、光りと影の境目から月の凹凸がはっきり分かって、感激・・。インターネットによると、満月の時はクレーターがぼやけるそうですが、私は満月も見てみたいので楽しみにしています。「自然」はいいですねぇ。
そして戸笠公園で素振りをしたのですが、右っちゃんの素振りがますます体に馴染んできた感じがしています。そして左っちゃんの方は、今はグリップエンドをぶつける事を練習しているところです。影を見ているとへっぴり腰ですが、ゆっくりでいいのです。
相生山の「竹林」です
今、私は職場の事で、小さな問題を持ち、そのために自分の一日を使っています。 今日は一日中雨が降っていましたが、夕方北の空に虹が出ていました。虹は光りの屈折で起こるそうで、太陽を背中にすると見えるのだそうです。それにインターネットで検索すると外国にも虹はありましたから、虹ってどこにでも出るのですねぇ(当然ですが・・・)。
「今思うこと」
弁護士って何だろうか。免許って何だろうか。
弁護士は、法律の事を私たちよりも少し多く知っている人。 美容師は、人の髪の毛を私たちよりも少し上手に切れる人。 看護師の私は、病気・医療の事が人より少し多くわかる人。
私も法律を勉強すれば、勉強した分だけは自分で出来るはず。 大丈夫。自分の髪の毛を自分で切れた私だもの、法律の事も自分で切り開いていける。
「今思うこと」 仕事が始まってすぐに、自分が楽に働けるよう小さな戸惑いを伝えてきた。楽に働ける部分もあった。 そして、より新しい世界を広げる為に次の場所へ移ることを決めた。
これは私が選んだ「私の人生」ではないだろうか。 私は私の人生を大切にしよう。
今日はポカポカ陽気だったので布団を干して掃除をして、ついでに部屋の模様替えをしました。コンピューターのコードがいつもかさばっていたので、机の下に束ねて、取り付けた鍵フックに引っ掛けるようにしました。小さな小さな工夫です。 お昼前、天白公園へ運動に行ったら、飛行機の同好会の方が自分で作られた飛行機を飛ばして遊んでいました。その飛行機のよく飛ぶこと・・・。上空まで上がってうまく風に乗れたら本物の飛行機のように回転してゆっくり静かに下りてくるのですが、長いもので20秒くらいは風に乗って遊んでいたと思います。落ちてきた飛行機を拾いに行っていたらおじさんが「飛ばしてみる?」と言って下さったので、私も飛ばしてみました。おじさんのようにうまく上がりませんでしたが、まるで飛んでいる飛行機に自分が乗っているようでした。おじさんの飛行機は「てんぱくくん」という名前が付いていましたよ。面白くてかわいいなぁと思いました。 キャッチボールでは今日から、球をとるときに右足を後ろへ下げてから捕るようにしました。球は待っていれば来るはずなのですが、ついつい迎えに行く私。 「Mamo o'i! 球は待っていれば来るのだよー」 素振りでは、左っちゃんの素振りは又少し上達したようです。右っちゃんも左っちゃんの動きを真似て、バットに振り回されずに振り下ろせるようになってきましたよ。バッテイングセンターではバッドのヘッドでボールを打って遊んでみました。当たったのは本の数回。でも、遊びながら動体視力をきたえるのにはちょうどいい加減です。
夕方ベトナムの方達の所へ遊びに行きました。今日はベトナムのお正月だという事で、私たちにもご馳走して下さいました。その後ダンスをしたのですが、皆さんお上手でした。私も一緒にダンスしながら「食後の運動になるなぁ」と考えていました。いつもいつもより多くのプラスをするのです(笑)
「今思うこと」
AM10時 誰もいない家の中 部屋中をひっくり返して大掃除 動いている自分の背中 自分の動きと心が見える 生きているんだなあ 自由なんだなあ
過去はいつも、おどおどして小さくなって生きてきたんだなあ 今は、おどおどの“お”ぐらいは取れてきたんじゃないかなあ “お”があっても、そこから考えていけるようになってきたのじゃないかなあ とんがった部分とか引っ込んだ部分とかが結集して小さく寄り集まってきたような感じ 今は自分の芯に“小さな力”があるような気がしてる
今日私は職場へ電話をかけ、一ヶ月後に退職することを伝えました。
夜、満天の星空を見ました。どうも私には夜空が丸いように見えるのですが、「地球は丸い」事は知っていますが、肉眼で丸く見えるものなのですか?! それにしても宇宙って凄いなぁと思います。時間を忘れていつまでも見上げていられそうでした。 それから、ベトナム人のHさんとトラウマについて語りかけて下さったので、心の傷を癒やすという話をしました。国を越えた場所に生まれ育ったHさんもご自分に心の傷があるという事を仰るのだから、マイナスの世界は日本だけでなく世界中にあるのだなと思いました。
「今思うこと」 人は病気を持っていても、その方の人生を歩いていかれるのだな。 私も私の人生を歩いていけばいい・そういうことなのだな。 何だか心がホッとしています。 私は私の道を自分の足で歩いていけばいい。
富士山へ登った時の事を書きます。 私が富士山に登ったのは昨年の夏の事でしたが、山頂を目指して足を進めていた時には私が足を進めた分だけ道は進み、下山する時には私が足を下ろした分だけ下っている自分を面白いと思いました。それに、私が足をそっと下ろせば私の足先はそっと地面に付き、ぴょんと飛べば勢いよく地面を踏み「自分の足で前に進み、生きている」ようで、小さな感動を全身で感じていました。 私も自分を大切にして、健康な体で長く生きようっと。
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