「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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がん末期の方のカンファレンスに出席しました。 病院の医師は「病院では出来る事が無い。これ以上良くならないから家に戻るのであって、医療行為で延命を図る話し合いではない」と語りました。話し合いの内容は必要な処置の情報を受け取るという簡単なものでした。 ご家族の女性が話し合いが終わったあと「点滴をどうするとか、この薬がいいとかじゃなくて、本人が楽になれるように話を聞いてもらえればいいだけなんですけど…。娘には“在宅で見ているのはお母さんなんだから、もっと意見を言えばいいじゃない”と言われるけれどそういうわけにも行かないから」と。私は女性の言葉に女性自身と病院側のこれまでの背景を想像し、「今の話し合いも心の部分には触れられなかったな」と思いながら、「実際に関わっていらっしゃる方の言葉が一番大切だと思いますよ」と伝えさせて頂きました。 私自身は「自然な死」を望んでいます。延命処置も臓器を提供できる分だけでいいと思っています。自分が死んだ後には地球の一部に戻り、人に目には見えないくらい小さな一部になるそうですが、面白いなぁとも思います。 そして死を迎えようとしている方に対しては、より苦痛なく人生を終えられるように手伝っていく事ができればいいのです。手伝わせていただく私に出来ることは「自分の心を大切にする」こと。いつも、自分に丁寧に関わっていられる私を意識していくのです。
この頃の私は、本当に大切なものは何かを考えています。 大切だと思っているものは、事実大切だけれど捉え方を間違えているのではないかとか、もう一歩を踏み出す為には、 “今” 持っているものを見つめなおす必要があるのではないかとか。
ある場所で、現実の輪の中に居たら輪の中に居る自分は見えません。もっともっと輪の外に出られたらいいな。私はこれからはいつも自分が居た場所を見れる自分を意識しよう。生まれたばかりのゼロの状態で、自分が居た場所を眺めてみよう。多くの事実が見えるでしょう。
いつも「ニュートラルな生き方」を。
今日はベトナム人女性と「自分を大切にするという事」について語り合いました。 女性は「ベトナムでは自分を大切にするという表現は利己主義に見られやすいですよ」と仰いました。女性の仰る言葉は日本の中でも言われている言葉です。そして私には「自分を大切にすることと利己主義は正反対の意味がある」と思えましたから、いくつかの事例を使って私の考えを伝えました。語り合った時間は短かったのですが、外国の方と心の話が出来た事を嬉しく思いました。 私は2年後ベトナムへ行ってからも、今と同じように心を語っていきたいです。その為には、いつもやさしい言葉を使う事を意識していればいいですね。 やさしい日本語で心を語れるようになってから、やさしいベトナム語で心を語れるようになるのです。
「自分をどうするか」
例えばひとつの出来事の中で戸惑っている自分が居たら、私は戸惑いの理由が分かるまで、自分を待ってあげればいいですね。私は自分を待って守ってあげられるたびに、大きな能力となりますね。 いつもどんな場所でも、「私を生きられる」よう、過去をどんどん脱ぎ捨てていけばいいですね。 いつもどんな時も、「自分をどうするか」を考えられたらいいですね。
「私が生きている」という感覚は、「自分のために動いている」 時に実感できるものでしょう。 私は私を大切に出来た分だけ、より早く 「一人の私」 に近づいていくのでしょう。23:30
「小さな記念日」
今日又、明るい太陽の下で 「あたらしい私」 が生まれました。私という一人の人間は、社会にある一定の基準に入らなくても少しも構わない。私が自分を生かすための最短の方法は、私の人としての感覚を使い切って生きることなのです。私達は自分の心と感覚があれば、全ての細胞を生かしつつ楽に生きていけるのです。
私が私に近づいていく。まるで脱皮したみたい・・・。もっともっと、「あたらしい私」の世界に進んでみよう。
| 2005年11月20日(日) |
2006年の冬のこと |
今日はグランドでダッシュと壁投げの練習をしました。 ダッシュの方は、どうやら以前に比べて少し速く走れるようになっているようです。ちなみに毎晩公園のグランドを走り始めたのは3週間ほど前ですので、こんなに早く効果が出ていることに驚いてしまいましたが、どんなことも続けていれば必ず成長していけるのですねぇ・・。
ところで壁投げの方ですが、“未来のピッチャー” は今から 「ピッチャーとして動けるよう」 練習しています。でも、まだまだ下半身に力が在りませんので、これから 「体つくり」 をして、自分をピッチャーに育ててあげるのです。
一年後・2006年の冬、私はどんな投手になっているでしょう。 楽しみですよ。
育成会。今日は「肯定・受容」ということに付いて語り合いました。
「自分を肯定された経験はありますか?」
残念ながら私には 「ありのままの私」 を受け入れられた記憶は皆無に近いので、自分の過去を語るときには「否定される辛さの中を生き延びてきた」という表現を使っています。
でも、今は否定された否定された心の傷を癒やしつつ、自分自身を 「認められるよう」 生きています。 否定されてきた過去を癒やしていくと、どんな自分も受け入れられるようになります。時には間違えてしまう事があっても、楽に切り替える事が出来るようになります。さらに心が安定している時にはプラスのアイデアがたくさん浮かんでくるのです。私はこれからも変わらず 「今の自分」 を大切にしていけばいいのだと思います。
楽に生きていくためには、 「肯定される環境があること」・「毎日の生活が安定していること」 が大切です。私はより楽になれるよう自分の環境を整えてあげるのです。
水曜日恒例のMさん宅へ訪問。2005年9月7日から数えてみると11回目のお手伝い。
今日の舞台は2階の小さな衣装部屋。数え切れない洋服は私の手からMさんの手へ。Mさんの手から私の手へ。片付いて出来た小さな隙間にお尻を並べて座り込む。「寒いね」・「ちょっとねっ」、「お腹すいたぁ・・・」・「そっか・・」。
いつまでも続く笑い声。 理屈なしにして、 “楽しい”。 私、仕事中なのにな。仕事がこんなに楽しいなんて、今まで知らなかったかもしれない。
Mさんは仰いました。 「お金って不思議。私が契約のお金を払ってるからMamoちゃんと出会って、今は並んで話をしてる。でもたくさんあると、、困る」 ・・・「そうですね。生きる分だけでいい」
「私、Mamoちゃんのこと、知りたい。Mamoちゃんがどんな風に生まれてどんな風に育って今に至るのかにすごく興味がある!」。 ・・・「へぇ〜、そうなんですか?!」 くすぐったいよ。いいのかな。
今夜、私の中で、一度目の結婚をした自分が繋がりました。 小さなアパートで包丁を振り回し人を脅していたのは20歳の私。自分を表現するのに、“やさしく語る” という事を学んではいませんでした。そして子どもの頃に自分を語れなかったという事はこんなにも苦しい事だったのだと心から思いました。 どなたも同じだと思いますが、結婚はお互いの意見の一致の結果です。私は傷を持った私として過去の男性を選んだのだと実感しています。そしてこれから私は、20代の自分を癒やしていく・傷を見据えられるだけの能力を持って。
今日は利用者 O さんに同行して病院を受診しました。行き先は整形外科、3つの診察室の隣には救急外来があり、診察を待っている間には救急患者さんが運ばれてきて、私も過去5年間整形外科と救急外来で働いていたので、ギプスの粉やレントゲン室の匂いを懐かしく思いました。 診察を待つ間に、 O さんは私にひとつの質問をして下さいました。 「看護婦さんだったらもっといい仕事があるでしょうに。どうして介護をしているの?」。私は「看護婦の仕事しか知らなかったから看護婦しか出来ないと思っていたんです。でも、心のどこかで違う事もしてみたいと思っていたし、自分のいる世界を輪の外から眺めてみたかったんです」 と語りました。すると O さんは 「でも、免許があるからいざとなったら元にもどれるし魅力的な仕事よね」 と仰ったので、私は少し考えてから 「そうですね。・・・・自分を大切に出来るように成長して、もう一度戻るのもいいと思っています」 と言葉を付け加えました。私の言葉を聞いた O さんはにっこり笑って 「そうだよね。どんな仕事にも言える事よね」 と。
そうですよね。自分を大切にすることは私にとって 「一番大切な事」 なのです。
診察を終えたあと、O さんは私にご自分の経験を語って下さいました。「大病院はけっこう酷いのよ。患者さんを診察するのでもコネを持っている人は先に廻されるもの。それにお金もすぐに受け取るのよ。だから私も手術の時に一人につき2万円ずつ渡したもの。そうしたらなんでも丁寧だし何でも早くにやってくれるようになったのよ」 と。私はお聞きしているうちに申し訳ないような気持ちになりました。 「Oさん私はいつも今のようなお話をお聞きした時には謝罪する事にしてるんです。・・・ごめんなさいね」 とお伝えしました。Oさんはくすっと笑いながら 「でもね、出す人も優遇して欲しいからお金を払うの。私もそうだったもの」 と。Oさんの言葉に私もくすっと笑い、心の中で「不正なお金を貰う人がいるから払わなくてはならなくなるんですよね」と思いました。
私はもしも看護婦に戻ったら、どんな私として働いていけるかな。いつも自分を見ている私なら、これまでよりも更に多くの事を学んでいけるのです。
矢作ダムを通って串原村へ紅葉を見に行きました。今日はベトナム研修生の方達も一緒です。昨年11月30日の写真では矢作ダムにネッシーが住んでいたのですよ。でも、今日は見当たりませんでした。そして今年の紅葉は昨年に比べしっとり落ち着いた“おとな色”に見えました。季節の色はいいものです。ベトナムの女性たちは記念写真を好まれるようですが、今日もきれいな色の葉を見つけるたびに可愛らしいポーズをとって写真に収めていました。私もお気に入りの場所を見つけては「ジー・カシャッ」。教えていただいたのですが、大きな木の全体と小さな人間を一緒に撮ろうとする時には人間はカメラのすぐ近くに立つと良いようです。アングルを考えて撮影するのもおもしろいなと思いました。
串原村という場所には小さなダムがあって、上のほうから滝水が流れていました。小さなダムなので流れてくる水もそれほど激しくはありませんし、滝の下には池が出来ていて水は澄んでいましたので 「来年は此処で泳いで遊びたいな」 と思いました。
今日もいくつかのベトナム語を覚えられました。片言の外国語でも会話が成立すると嬉しくて、「もうちょっとやってみようかな」と思えます。いつも、過去ではなく今を見て「新しい事を学んでいく」のです。
ネッシーはお留守 紅しだれ  段々・・紅葉 来年はここで遊びます ゆき虫 飛ぶよ なんと書いているでしょう。
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