「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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今日職場の院長へ退職の意思を伝えました。院長はその場で 「退職願の用紙に記入して」 と言いながら 「2ヵ月後に退職できるから」 と付け加えました。更に続けて 「理由は何?」と訪ねましたので、私は少し戸惑いながら 「勉強したいことがあって、勤務の時間と調整が取れないからです」 と伝えました。院長は「あーそう」 と言ってさらに 「他に理由はある?この際だから他に理由があったら全部言っといたほうがいいよ」と言いました。でも、もういいのです。 私は半年間 「その時の私に出来ること」をしてきた・そして今、「職場を変えること」を選んだのです。私は 「次」 へ目を向け、「次」の動きをしていけば良いのだと思うのです。 退職するまでの2ヶ月間、どんな風に働いていこうかな。私は今までと同じように 「自分を一番大切」 にし、「自分を守り」ながら 「仕事」 を楽しんでいくのです。これでいいですよね。 いつも、「次」の事。
朝から雨で、「素振り」 はお休みとなりました。私は雨も好きです。確か一年前の今頃は 「隣の家のトタン屋根の上に落ちる雨の音」を楽しんでいたように思います。 ところで今朝、また1つ背中の重みが降りました。 「完璧な自分」 ・ 「自分の失敗を許せない自分」 に 「さようなら」です。 全ての事は 「私が基準」 でいいのだなと改めて思います。これからの 「私」 はこれまで以上に 「ゆったり」 と生きていくのです。
職場は今 「新婚旅行に出かけている同僚の話題」 でにぎわっています。そして私は 世の中の話題の全ては 「真実」 を 「覆い隠すもの」 である事を確信しているから、「話題の輪」 には入りません。 集団の中に居て 「静かに孤独を楽しむ私」の頭には 「仕事を円滑にする為」 の 「発想」 が次々と頭に浮かびます。・・・これでいいのです。そして時には病院の裏庭から迷い込むダンゴ虫と遊んだり蚊を追いかけて奮闘したり、仕事をしながら一人で遊んでいるのです。
“そっか” ・・・「完璧な私」。私のチャイルドは こんなに 「近くに居た」 んだね。 ずいぶん自分を傷つけてきた。 何度でも言う。大切な自分に、心から 「ごめんね」。 そして 「もう、いいよね」。 背中の重荷が又1つ、ストンと落ちた。 雨上がりの午後。 さあ本を読もう。20:50
「心の作業」 の2年目が始まりました。私は私のペースでゆっくりと進んでいけばいいのだろうと思います。社会の波に流されて 「心」 を忘れると、意識が他者へ行ってしまいます。今はゆっくりと自分だけを見つめて生きていくのです。ある人は 「300人のチャイルドを癒やす必要がある」 と言います。 「複数の人格として生きていた私」 に置き換えると、約15,000人のチャイルドとなります。 私は2年間 「心の作業」 にたくさんの時間を作り、随分楽になりました。そしてまだまだ 「多くの傷」 を抱えている事も実感します。大切なのは、「時間」 や 「回数」 ではなくて、「私がその事をどれだけ意識していたか」 なのだと、今改めて思います。 これから私は 「心の作業」 を 「より濃いもの」 にしていきます。 昼休みに 「IC」 を読んでいて、「何も無くすまい」 として今あるものに「しがみつけば」、 私はいつも苦しいのだと心の底で感じました。 「あーそうか。無理に作ろうとすればするほど私は自分を傷つける。だから、このままでいいんだよね」。 そう思うと自然に、自分の中に 「御免ね」 という言葉が浮かびました。自分に 「御免ね」・・・そうなのです。 「私を守ってあげられる」 のは、 「私だけ」 なのですよね。 優しい時間を過ごした後は、「ゆったりとお風呂に入っている」 ような気持ちで仕事をしました。 仕事を終えての帰り道、小さくなったハンドルを握りながら、「女性としてやさしく生きたい」 と心の底から思いました。上辺のものではなくて、 「心」 に 「優しさをかもし出す女性に育っていく自分」 が楽しみです。
昨日は久しぶりに自然の中を散策しました。小さな花の匂いや鳥の鳴き声に耳を澄ませていると全身の感覚が研ぎ澄まされるようです。そして心はゆったりです。私がいつも見ていればいいのは、「楽に生きる自分の心」なのですね。 もう、これからは 「完璧を求める自分」 を止めて、「よりゆったり」 と生きていきます。 「自分の問題に自分で責任を取っていける」 よう、取り組んでいくのです。
ところで 「松葉菊」 というお花を知っていますか? その葉っぱの柔らかいことと言ったら・・・。見た目はまるでイソギンチャク。そしてその感触の不思議さ。 ほんのちょっとつまんだだけで 「体中がモゾモゾする」 する・全く不思議な感触です。何時までも触っていたいような、モゾモゾしてたまらないような・・・。私のお気に入り花。
松葉菊 葉っぱがイソギンチャクみたい 多分「マダラ蝶」
「2年」 「自分として生きる事」 を 「決意」 してからまる2年が経ちました。ところが今日は一日中 「自分の事を考えられない私」 となっていました。原因は 「薬」 です。服用したのは耳鼻科で処方された副鼻腔炎の薬でした。服用した期間は昨日昼間と夜そして今朝の3回です。昨日は一日中、「いつもより力がない気がするなぁ」 と感じてはいましたが、休日で楽しい事をしていたせいか、それほど気にはなりませんでした。ところが今朝薬を飲んで仕事に出かけて・・ちょうど薬を服用してから2時間ほどした頃からでしょうか。どうにも頭がだるくて 「考える力」 が沸いてきません。「現実」 に興味も沸かず、「無気力な状態」 の自分をどうすることも出来ないのです。午前中の仕事を何とか終えて家に戻ると食事も取れないほどの脱力感を感じてソファーに転がりました。頭の片隅には 「午後の仕事」 があり、「先」 に備えた動きをしたいのですが、どうしても動くことが出来ません。バックに入った携帯電話が鳴っているのは聞こえるのですが、電話を取る気力がありません。そして一時間位眠り、ようやく重たい体を起こして 「気持ちを切り替えよう」 とはするけれど、どうにも 「思考が動かない」 のです。 「考える力」 が無いのです。そしてこの 「無気力感」 が 「過去に感じた無力感」 によく似ていたから、私は大きく戸惑いました。 「2年経った今頃、何故こんなに無気力な私になっているのだろう」。 心の中で 「うーん・うーん」 と唸りながら 「何故?」 を考えていて思いついたのは 「耳鼻科の薬」 でした。 私は昨日から服用していた薬の副作用のせいで 「考える力」 をなくしていたのです。 「原因が分かった時には心の底から安心しました。そして 「小さな錠剤の一粒」 が 「心底恐ろしい」 と思いました。 ちなみに 「頭がすっきりしてきた」 と実感できたのは夜7時頃の事でしたから、私の頭は 「たった一粒の錠剤」 により 「12時間」 もの間、 「考える力を奪われていた」 ということになるのです。 私が過去、あれほども考える力をなくし苦しんでいたのは、精神科から処方された10種類の薬のせいでもあった事を強く確信しました。あの頃は、「薬の副作用」 の恐ろしさを知ってはいても実感できなかった私でした。気が付いてよかったなと心の底から思います。 名古屋へ来て2年。また1つ大きな事に気が付いたよね。
今日は、 「新しい私」 のHappy Bierthday. Congratulation Mamo.
| 2005年06月06日(月) |
茎わかめ 「ムーヴ」 |
昨日午後、車の入れ替えをしました。名古屋に来て2年間愛用した 「紺色のヴィッツ」 は車やさんにハンドルを握られて私とは違う世界へ行きました。そして約一時間後、私は茎わかめ色の 「ムーヴ」 を迎えに行き我が家へ招き入れました。中古で買ったものですからボディに傷はありますが、大きな問題ではありません。何しろ私がこれまで持っていたものの殆どはどんなにきれいなものであっても 「古い価値観」 の中で得たものですから、不必要だと判断したものは 「捨てる方がいい」 のです。そして名古屋へ来てから新しく手に入れたものの全ては、「心のある私」 が自ら吟味し選択したものばかり。そう思うと今私の周りにあるもの全てに 「自然に愛着が沸く」 のです。 今日は早速 「可愛いムーヴ」 に乗り仕事先までドライブをしました。 自分で気に入って買ったものは嬉しいですね。残念ながら 「ビヨンドちゃん」 を買った時のように 「車と一緒に寝る事」 は出来ませんが、「小さな喜び」 を感じています。 「私」が乗って走る車は 「私の足より早い」 のです。 嬉しいなぁ。この頃は 「嬉しいこと続き」 なのです。23:00
| 2005年06月05日(日) |
Baseball 9 「ホームイン!」 |
野球9試合目。 「本日の目標」 は 「3塁ベースまで出る」 ということでした。 ついにヒットを打ちました! あいぼうはもちろん 「可愛いビヨンドちゃん」。 後でビデオを見てみると私の打ったボールが 「セカンドの頭を超えて右中間方面」 へ飛んでいった途端、ベンチからいろんな声が上がっていました。本人である私の方は喜びを実感する前にまずは 「一塁ベース」 までひと走り。そして此処から先の頼みの綱はコーチさん。私は 「コーチの言葉」 と 「自分の感覚」 を比較しながら2塁まで行く事を目標にしていました。すると次にもヒットが飛び、私は無事に2塁まで到着しました。2塁ベースといえば、8回目の試合では「知っているルールの少なさ」 から、 「2塁でタッチアウト」になった私です。今日は 「ベースから足を離さない」 よう意識しつつ、目の前に見える3塁ベースを目指しました。 ちょうどバッターボックスには 「心友」 が立っていました。 「大丈夫だね! 彼は打つ。私は3塁まで行ける!」。 私の確信したとおり、彼は 「フェンス直撃のレフトオーバーシングルヒット」 を飛ばし、私は難なく3塁ベースまで走ることができました。「やった! 来ちゃった! えっ?! もしかしたらホームイン出来るかも?! それならば・・・」。心情的には 「私の為にヒットを打って欲しい〜」 という感じです。 そして次の打者もヒットを飛ばし私はいきなりの「ホームイン!」。 ベースを踏んだ途端、心に 「小さな感動」 がこみ上げました。嬉しいですね。 野球を始めて11ヶ月目。チームに入ってから4ヶ月と2日の9試合目。そしてビヨンドちゃんを買ってから1ゲーム目。いいですねぇ。本当にいいですねぇ。 そしてさらに、今日は守りで 「セカンド」 を経験しました。これがまた凄いのです。「ライト」 と違ってバッターボックスが 「近い」 から、打った球の全てが飛んでくるような気がします。 頭は「急速フル回転」。 「嬉しいけど、テレビで見てたのはいつもライト。 “セカンドの動き”ってどんなのだったっけ?? 確か投げる時は肘を小さく前に出して・・・正確に・・相手の胸に・・ま、いいか。此処で球が取れればいい!楽しもう!どうにかなるに違いない」 気持ちは小さく揺れながら、それでもワクワクしている私だから、マイナスの想像はあっという間に何処かへ消えていきました。私の体はピッチャーがボールを投げるたびに右や左に揺れました。小さく瞬間的に揺れている自分は 「トカゲ」 のようにも思えました。結果私の元に球は飛んできませんでした。それでも「始めての経験その2」・「セカンド」です。いいですねぇ。本当に楽しいですね。 私が3塁ベースで次のヒットを待っている間、対戦相手の選手は、私に 「良かったねぇ」 と言いました。そしてホームインする為の 「小さな情報」 を私に教えてくれました。私は自分が3塁に居る事も相手チームの彼が私に伝えてくれていることも、そのどちらも嬉しかったので、いつもの倍ほどニコニコしていたように思います。「遊び心たっぷりの野球」 では 「相手チームのメンバー」 とも 「やさしい会話」 が出来るのですね。
今思うのは、どんなに事もこつこつと続けていくと 「自分のもの」 になるのだということ。ずっと昔に 「なりたいと思う」 事だけで生きていて 「なりたいものになれなかった私」。 今は 「なりたい自分になるべく動いている私」。 「これでいいね。 この生き方をしていこうね」 と心の底から思います。そして今夜は 「小さな感激」 を思い出して口元が緩みっぱなしの私なのです。 小さく小さくやさしい声で・・・「やったね!」 22:00
新しい何かの1つ・今日始めて経験した 「育成会」 の 「ファシリテイター」。私は 「人々の語り」 を聞きながら、 「あーやはり、社会の人は皆 “自分を知らず” に悲しんでいるのだ」 と思いました。そして社会を見据えようとする私さえも、 「自分の一部を知っているに過ぎない私」 なのだとも。 私の人生にはこれからも 「小さな変化」 が続くでしょう。そして「小さな変化」の全てが 「次のステップ」 の為にあるのでしょう。
「育成会一期生」 の中では、 「なんまる星人」 の事が語られていたので、何だか嬉しくなりました。37年間頑張らされて頑張って・「疲れる疲れる」 と 「叫び続けていた私」 の頭に 「なんまる」 という言葉が浮かんだのはちょうど一年前の夏の事でした。私はMamoだから 「Manまる星人」 でもいいのかな。私はこれからも「なんまって・・・楽しんでもっともっとふわふわに柔らかくなろう」。
今 「自分を大切にしている私」 は 「心を持って仕事をしている」 と言ってもいいのでしょう。それならば私は一昨日よりも昨日よりも自分に付いて考えている分だけ、「優しさの積み重なった私」 として、仕事が出来ているのでしょう。 「仕事」 であれ 「他の事」 であれ、私は 「自分の選んだ現実」 を 「楽しむこと」 が 出来ていれば、 「心のあるわたし」 として 「動き続けること」 が出来るのでしょう。 そして 「現実を楽しむ私」 は、 「自分の意思」 で 「次の事」 を 「選択する楽しみ」 を知るでしょう。 そして別の見方をするのなら、これから先、私の意識がほんの少しでも 「他者に向かう」 事になるのなら、私は 「私の出来ている部分」 に 「すがる私」 になるでしょう。 そして私が、 「今出来ている部分だけ」 に着眼している私なら、 「過去よりもましなだけ」 に終わるのでしょう。 私は今、「今までとは違う新しい事」をしてみたいと考えています。 「新しい何か」 はもちろん ・ 「心の事」。22:00
| 2005年06月02日(木) |
「やさしさ」 を自分へ |
これまで 「動いてきた自分」 に 「心」 が無かったとするのなら、「生きてきた」 というよりも「何も分からないまま生かされてきた」 という方が正しいのではないかと思います。そして実際にこれまでの人生の中で 「就職」 も 「進学」、そして 「結婚」 や 「出産」 も、「私の人生の事」として取り組むことができたものはひとつも無かったのかもしれません。 今は毎日、「自分の人生を自分で作り上げている私」 。ニコニコと微笑みの中で 「自分の未来」 を思い描く私。もっともっと 「優しく動ける自分になりたい」。 その為に 「やさしい心」 を自分に向けて純粋に 「自分を見て」 いくのです。
もう、6月。私は何をしているかな。 「過去」 は 「過去」・「今」 は「今」 としてある事を知っている。私は過去と現実をきっちりとわけ、現実を生きながら少しづつ 「過去のもの」 を整理していこう。22:00
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