「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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| 2005年05月01日(日) |
Baseball 8 「自分のスタンス」 |
「野球」 私は前回の試合の後から「ゲームの中で結果を出そうとして焦っている自分」を感じるようになっていました。そしてそんな自分を見つめているうちに「ゲームの中で形を残すことよりも、バッターボックスに立っている自分・ライトでボールを待っている自分を意識すること」から始めようという思いをもてるようになりました。ですから今日「野球をする私」の「心と体」はいつもよりさらに安定していて、朝起きた瞬間から「ゲームをする自分を見つめていられるだろう」という確信すら持っていました。打席は2度回って来て2度とも「フォアボール」となりました。一度目は「次のメンバーの打ったヒット」で「セカンドベース」まで走ることができたのですが、ベースから離れてしまい「タッチアウト」となりました。「ルールを知っていると、動きやすいこと」が分かったので、これから意識して「ルール」を覚えていくことにします。 この頃の私は 「バッターボックス」 に立ち 「自分を意識したまま球を見分ける」 事を意識しています。更に 「自分の素振り」 を 「持ったまま」、「自分の打ちやすい球」 を 「見分けていく練習」 をしているところです。「自分のスタンスを保つ」ということですよね。そして本日の 「フォアボール」 は 「私自身」 が 「自分の目で球を見分けた結果」 でした。さらには塁に出た時 「セカンドベース」 まで進出することが出来ましたから、又また記録更新なのです。そして今日はこれまでで一番 「野球を楽しむことが出来た」 と感じた私だったのです。
日常の中でも、いつも何があっても「自分のスタンス」を保っていこう。私はもっと「私」を意識して「私の人生」を生きていこう。うん。そうしよう。19:50
| 2005年04月30日(土) |
触れ合った 「心」 ・・餃子パーティー |
今日この家で「餃子パーティー」を開催しました。参加してくださった方は心の勉強をされている9名と中学生の男の子少年と・そして5歳の少年と男の子でした。私は今回「餃子パーティー」を企画した時、「楽な自分・プラスの空間」を想定しました。そしてその為に必要なことは「私が自分を大切し、自分を意識し、他者と関わり何かを語る自分を知っていること」だと考えていました。私は数日前から「プラスの想像」の中で小さなゲームを作り「イベントの準備」を「楽しみ」ました。「プラスの私」が「思いついたプラスのこと」を全て実行しておきたかったのです。そして当日の今日、私たちは一日を通して時にお腹を抱えて笑いあい、時に「社会の事・心の事」を語り合いました。参加してくださった方の一人の女性は「心を語る中」で「涙」を流しておられました。私は女性の「涙」を見ていて、「本当は皆苦しくて・泣きたくて仕方が無いのではないか」と思いました。そして女性に「悪いのはお母さん一人ではないと思うよ」と言いながら、「過去に子どもを虐待してしまった自分」を思い出しました。私は過去「自分を責めることしか知らなくて苦しかった」から、その結果として「子どもを虐待してしまった」のです。もしも「女性を含めた社会の殆どの人」が過去の私と同じように苦しんでいるのだとしたら・・。今、「社会」を変えていく必要があるのです。そして私自身は「過去」に「自分を責め続けたこと」で「現実から眼を逸らしてきた」事を知っているのだから、今よりも更に強く「自分を責める事を止めていく」必要があるのだと実感しました。 参加してくださった皆様へ。 2ヶ月くらい前のある日、私は自分が住んでいる「心を語る空間」・「ぬくもりのある空間」を、「状況の流れの中」からではなく「意図的」に広げてみたいと考えました。そしてそれが今回の「企画」の始まりでした。 今日は、皆様が「私の提案」を受け入れ参加してくださった事で、私自身も「笑いあい触れ合い」ながら「心」を語って過ごせた事を心から嬉しく思います。 狭い場所に大人がたくさん集まって、すれ違い際に触れ合ったのは「肌」と称する「心」であったと思います。 そして触れ合った「心」は今の社会には無い「ぬくもり」を持っていたとも思います。参加してくださった皆様ありがとうございました。そして突然遊びに来ていただいたお二人の少年にも、今此処で「ありがとう」と言わせてください。これからも「ぬくもりのある場所」へいつでも遊びにいらしてくださいね。Mamo
職場の待合室は連休前の混雑で、座る席の無い患者さんどうしの肩が触れ合うほどでした。患者さんを診察する医師は私たち看護士に対して更なる 「早さ」 を要求しました。その中で私は常に 「自分の心」 を意識しました。混雑の続く診察室で 「自分の心」 を意識したことは、結果的に 「労力の無駄」 を省き 「効率のよさ」 を生んだように思えました。 仕事を終えた9時半過ぎ、家に戻った私にあったのは「心地よい体の疲れ」のみでした。
休日の午後、私はルームメイトに「これまで心を見つめる事を続けてきたのは何故なの?」と尋ねられました。私は「過去はいつも混乱し苦しくて仕方がなかったこと・子どもを虐待し自分も傷つけ、さらに自分を含めた誰かを死に追いやるような生き方をしていたこと」を語りました。そして、「過去」を語っている自分を見ながら「これでいいのだ」という安堵感を感じていました。それは「過去」を「嘆き悲しんで生きていた自分」を卒業し「今を楽しんで生きている自分」に対する「確信」のようなものでした。さらに私が持っている「確信」は、少し前よりも更に「大きなもの」として在るような気もしました。 夜にはルームメイトの青年と野球を見ました。青年は「野球の知識の少ない私」が理解できるよう丁寧に伝えてくれましたので、私は「自分がすればいいこと」を新しく発見したように思えて嬉しくなりました。青年は語りの中で「Mamoちゃんは “こんなところ” は出来てるよ」と伝えてくれました。私は青年の言葉を聞きながら「今・私に出来ている事」を自分自身で認めていこうと決めました。 私が「私の出来ている部分」を認めることは、 私が「自分に残されている傷」を見つめることに繋がるのだと思います。私は今日から「自分に出来ている部分」を認める事を更に強く意識してみます。22:00
昨夜ルームメイトと一緒に 「JR福知山線の脱線事故」 のニュースを見ていました。ルームメイトは私に 「こうやって自分の意思とは関係なく死んでいく人っているんだ・・」 と言いました。私はその言葉を聞いて 「自分の意思で死のうとしていた過去」 を思い出しました。そして次に 「死ぬことは生きることよりもエネルギーが必要なのだ」 ・だから 「人が自殺して死んでいく」 ということは 「その人は究極の辛さを持っていた」ということなのだと思いました。さらに私は過去、 「死ねなかった」 のではなく 「死なずに生きること」 を選んだのだと実感しました。 その後、テレビに流れ続ける映像を見つめながら、 「私が今此処で死んでいくとしたら・・・」 と想像してみました。そして 「大丈夫だ」 と思いました。私は 「今」 を 「自分のため」 に生きているから、「突然死ぬこと」 があっても 「死んでいく自分」 を受け入れられるのではないかと思ったのです。これからも 「突然死ぬ・その時」 まで、しっかりと 「自分」 を生きる感覚を持って生きていこうと改めて決心した出来事でした。21:00
| 2005年04月25日(月) |
「自分の中心」 にいる 「自分」 |
私は今日、これまでに無いほど 「丁寧な自分」 を意識することが出来たように思いました。少しおかしな表現ですが、自分の 「中心」 に 「自分がいる」 ことの 「心地よさ」 さえ感じられたように思いました。さらに、「自分の中心を意識できる私」 は 「丁寧に他者と関わることが出来る」 ような 「気」 がしました。「気がした」 と言ったことの 「理由」 は、私は自分の知る範囲で「私」を見ていて、私が見ている 「私」 は「私の一部分」であるように思うからです。 そして、だからこそいつも 「自分を丁寧に見つめること」を意識することが 「自分に優しく生きること」 に繋がるのだと思えます。 これからは、「自分の中心」 に 「自分がいる」 事の 「感覚」 を身に付け 「私の心」 に定着するよう 「意識」 してみます。22:00
| 2005年04月24日(日) |
Baseball 7 「こつこつ」 |
「野球」9番バッター・ライト 今日も又ライトの位置で球の流れ具合を見ながら、一塁とライトの間を走っている私でした。そして時々空を見上げ 「太陽の位置」 を確かめては、こっちに来たらこのようにして・・こっちに来たらこのようにして・・」 と自分の中で 「太陽のまぶしさがあっても球を受ける方法」 をイメージしていました。そうしているうちに一度だけボールがライト方面に飛んできました。私は球の上がり具合を見ながら走り始め、球が落ちるまでには間に合ったのですが、グローブを下からすくい上げることが出来ず、惜しくも球を落としてしまいました。それでも球の落ちる位置まではスムーズに走ることができたから、又新たな 「課題」 を持てた私なのです。
ところで私は今日の野球でとても大切な事を学びました。それは自分にある 「丁寧さ」 を引き出すということです。私が 「今やっていることを自分のものにする」 には 「その事をやっていこうとする自分」・「その事を意識している自分」 を大切にし、その事の為に 「時間を作り」、「丁寧」 に動いていく必要があるのです。私はもう一度肩の力を抜いて、「自分がしている事」 を 「1つずつ丁寧に」 やっていく事にします。 私は更に強くこの事を意識して動いていれば、3ヵ月後にはあの 「バッターボックス」に立ち、自分を意識し、腰から体を回転させ、球と仲良くしながら 「ヒット」 を打つことが出来ているかもしれません。それもいいですね・・。
「こつこつこつこつ」 と、ひたすら 「ていねい」 に取り組んでいくのです。
| 2005年04月22日(金) |
「心」 優先したいこと |
昨晩「衝突事故」の相手の方が謝罪に来てくれた後から、「私は人身事故扱い」を取り消していただこうと考えていました。昼休み早速警察にその旨を伝え、そして相手の保険会社の方に連絡すると、保険会社の方は「本当にいいんですか?」と私に尋ねました。いいのです。私は事故の後、いつもと同じ生活を送ることが出来ているのですから、「当然の事」 であり 「心のある謝罪」 を受けた私が 「優先すること」 でもあるのです。 夜になって彼女から連絡があり、「病院の診察料金を支払いたい」 と言われるので 私の自宅まで来ていただきました。しばらく話をしているうちに彼女は私よりも1つ年上であることが分かり、「小さな一致」に喜んでいる私たちでした。彼女は昨日に続けて私の事を「しっかりして落ち着いて見えますね」と言いました。私はどの部分が「落ち着いて見える」のか、自分では分かりませんから、「不思議だなぁ」 と思ったり 「確かに野球を始めてから “ふしぶし” はしっかりしてきたなぁ」 と思ったり。 話の最後、彼女は私に 「今日もあの交差点を通ったの?」 と聞きました。もちろんです。今の職場で働く限り「毎日通る交差点」・そして今のところ何処に行くにも 「車を利用する私」 。これからは 「外の景色を楽しめる自分」 を意識して、車を運転していこうと 「心に決めた私」 です。
姉に 「手紙の返事」 を出しました。「何時でも遊びに来て下さい」と・・・。21:30
朝、職場へ向かって運転中の交差点で左側から衝突されました。相手の方は医療機関に勤める若い女性。そして彼女の走っていた道には 「止まれ」 の文字が書かれてありました。車のぶつかった部分はへこみましたが、私には車のことよりも体のほうが心配でした。今は問題ないかもしれないけれど衝撃があったことは確かですから日にちが経ってから不調を感じることになるかもしれません。 「首は痛いような気がするけど、この痛みはいつもあるような気がする。それとも状況疲れかな。このまま様子を見るべきか、病院へ行っておくべきか」 ・・・私が病院へ行けば 「事故の相手の方」 にも負担が増す。職場にも迷惑がかかる。けれど 「首が痛いと思っている自分を大切にしたい」 。 私はしばらく考えた後相手の方と警察官に今回の事を 「人身事故」 扱いにしていただけるようお願いし職場へは 「午前中の休暇届」 を出しました。警察官は現場検証の中で 「一旦停止じゃないから暴走していいということではない」 と言いました。仰るとおりです。私は 「事故は相手があってのこと。ぶつけられた私に問題があった事も確かだ」 と考えていましたから、「そうですよね。ごめんなさいね」 と相手の方に謝罪しました。 事故処理は思ったよりも時間がかかり、私は途中から気分が悪くなりました。けれど病院でのレントゲンの結果は特に問題なく家で体と心を休めているうちに吐き気も治まりましたので、午後は仕事へ出かけました。 「体の不調」 は寝ているうちに取れていったのですから、実際には突然の出来事に 「心が驚いた」 だけのことだったのです。 そして夜9時半ごろ、家のベルが鳴り外に出てみると、事故の相手であった彼女が「菓子折り」を持って立っていました。彼女は「突然の彼女の訪問」に驚いている私に 「今日は本当にごめんなさい。体の具合は大丈夫ですか?私はあの時 “ごめんなさい” と言ってもらったのに何も言わなくて、ごめんなさい。体は大丈夫ですか?」 と言いました。私は一瞬 「私の前で涙を浮かべて謝罪している彼女」 に何を言ってよいのかが分かりませんでした。そして 「どうして良いかが分からない」 から 「どうしよう。私こそごめんね」 と言って彼女を抱きしめてしまいました。私は彼女の目からこぼれている涙を見ながら、 「自分のした事は良かったのか」 を自問自答していました。・・「彼女は “私の動きの結果” 此処に居て、私に “謝罪している” のだから、私は “自分のその後の動き” を正確に伝える必要がある」・・私は彼女に 「“その時の自分”を大切にしたかったこと・体の具合は問題なく午後には仕事に出かけたこと・後になって、“体の異変” は “心が驚いたからだ” と気付いたこと」を伝えました。彼女は私に、 「とても落ち着いているのですね」 と言いました。
私たちは少しの間星空を見ながら話をしました。私は彼女に 「私はこの家で心の勉強をしている」 事を伝え、「遊びに来てね」 と付け加えました。彼女は 「あのままあそこで分かれたままになってしまうのは・・・と考えていて・・。こんな遅くにごめんなさい。本当に遊びに来れたら嬉しいです」 と言い、そして私たちは握手をしてお別れしました。夜の道、彼女を乗せて車を走らせてくれた彼女のご主人様は車の窓から頭を下げて、車を走らせて行きました。又いつかどこかで出会うことがあれば、私たちはこの出来事に付いて「心のある」語りが出来るのかもしれません。23:00
姉から 「手紙の返事」 が届きました。文章の中には 「変わらない親」 への 「悔しさ」 と 「そこに生きる自分自身の心」 の 「葛藤」 が短く綴られてありました。私には、姉の 「心」 が語られた「15行の短い文章」が とても「重みのあるもの」 に思えました。 そして今は、手紙の中で 「あなたに会いたい」 と語っている姉の 「心」 を思いながら、 「自分がこれまでしてきたこと」 を振り返り、そして 「私がこれからしていくこと」 を再確認しています。時に 「過去の日記」 を読み返し、時に 「過去の雑記帳」 をめくり返し、私は 「次」 に 「何を語れば」 いいのだろうと、 「私」 としての 「思い」 をめぐらせているのです。23:00
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