「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2005年01月07日(金) 「プラスの心」に沿って

 今朝、いつもと同じように仕事前の時間を過ごしていた私は、何となく集中力のない自分に気が付いて、もう一度布団に入ってみました。実際に眠りはしませんでしたが、布団の中で疲れを感じている自分を見つめ、過去には「自分の状態」が分からないまま、無理をしていたのだと気が付きました。
 新しい事をするときには、普段よりもしっかりと自分の心に耳を傾けることが良いのですね。その為に少し遠回りしても、時間がかかっても、後にはこの時間が大きなプラスになるように思えています。自分の「プラスの心」に沿って生きることが良いのですね。いつもいつも。

 私の中に、まだ別の思考があるのなら、「思考を切り替える練習」をしてみようと思い立ちました。自主的に計画を立て、次の行動に移るときに「自主的に思考を切り替える事」を意識してみるのです。世間の人は「頭を切り替えて・・・」と言いますが、私が今意識していることは、この言葉の持つ意味と同じことなのでしょうか。どうなるのかな・・・。やってみるとわかるのかもしれませんね。8:00


2005年01月06日(木) 「思い」 朝

 今日一日、「穏やかな私」として仕事が出来たら、「私」にとって、素敵な「能力」になることだろう。 一日中、「穏やかな私」で生きてみたい。7:50


2005年01月04日(火) 「好奇心」を持って働く

 初仕事。一日はあっという間に終わりました。夕方の業務終了後、院長先生は私に「初めての仕事はどうでしたか?」と尋ね、私は少し考えてから「私・・・楽しかったのです」と答えました。後から聞いてみると、どうやら「初日は見学だけする事になっていた」らしいのですが、私は現場を見ていて、やってみたくなったからやってみて…これで良いですよね。それに自分でやってみると要領を掴むことが出来ますし、仕事を早く覚えられたら、それだけ楽に仕事が出来ますよね。そして楽に仕事ができていけば、仕事以外の時間はたっぷりと心の事を勉強していられるから・・・これで良いのですよね。20:00


2005年01月03日(月) 可能性

 長かった冬休みが今日で終わります。昨年末には見たかった映画を見てパソコンの中を整理してと、先延ばしになっていた事を片付けることも出来ました。因みに私は一人で居ると「独り言」が出てくる自分に気が付いたのですが、きっと「自分自身」と語り合っているのですね。自分で自分と語り合うことが出来るのだから、「私」って面白いなあと思います。
 さて、2005年です。今年はどんな一年になるのかな。私に何が出来るかな。私は何がしたいのかな。こんな事を考えていると自然に心がワクワクしてきます。私は今年も「自分育て」を楽しみます。「私」にある「可能性」を発見していく事が楽しいから。

 明日からは新しい職場・始めて関わる「皮膚科」です。何があるかな・・。


2004年12月30日(木) 「心」で書く

 今日は1時間ほど散歩に行きました。
天気は良いけれど風は冷たく感じました。もう、真冬なのですね。
 途中で立ち寄ったお店の中には、入り口のすぐ傍からお正月用の商品が並べられ、人々は小さなメモ書きを片手に、品物を次々とかごに入れていました。私は今は一人、そしておせち料理も作りません。一束のほうれん草と卵を入れた小さな袋を持ってのんびりと歩く私の横を、世間の人は皆、小走りに追い越していきました。 
 夜、久しぶりに、二年前の日記を読んでみました。文法に不都合はあるとしても、当時の私の「生活」と「心」の「ありのまま」が、当時の鼓動のそのままに書き綴られていました。あの頃のほうが、今よりも“文章が生きている”。今の私は、過去よりもうんと楽に生きているのだから、楽になった分だけ「心」のある文章を書く事が出来ても良いはずなのに、何時から硬い文を書くようになったのかな。「何か」を求めすぎたのかな。「もっともっと」と・「うまく書こう」と力を入れすぎたのかな。
 けれどよく考えてみると、過去に書いていることは「傷を抱えて生きている辛さ」であるのだから、今書こうとしている「プラスで生きること」と比較すること自体に意味は見出せないのかもしれません。ではどうしようかな。「プラスを書く事」を意識していきますね。何時だって・何度だって迷います。でも、それも良いですよね。今は、迷いながらでも「自分自身」で前に進んでいるのだから。

 この頃の私は、ふと「ワクワクしている自分」に気が付く事があります。少し前に、「自分育て」をしていこうと思った事がありましたが・・・そうそう、おそらく「自分が育っている様子」が見えているからかもしれません。そして、「自分で自分のしていることにワクワクしていられる。今考えていることが何かの発見に繋がっている事に確信を持っている」という、こんな小さな気付きが、さらに私自身を“ワクワク感”が持続している自分へと導いているのかもしれません。20:00


2004年12月29日(水) 書けない・書けてる

 こういうのを「スランプ」って言うのかな。書けない。何も。
私はいつからこんなふうに、自分の気持ちを書いて表わすようになったんだろう。いつから?わからない。
いつから字が書けなくなった?分からない。
 過去、辛さを書いていたのは「私」であったとしても、あの頃書いていたのは私じゃない。でも今は私。だから、過去に書いていたのも実は私。それでいい。
私が「過去を思い出そうとすることにエネルギーを使うこと」はどう?今は分からないことも時期が来れば自然に思い出すの?でも、私は自分にあることの原因を知りたいから思い出したい。だけどそう考えれば考えるほど、「私」は“自分に何があったのかが、何一つ分からない私”になっていく。だから、そうなってしまうから、昨日私が一般の人と遊びたい」と感じたのは事実から眼を逸らそうとしている「私の思考」かもしれない。
 でも私、分かる。私はいつもこうして「その時、生きやすい思考」を前に出して生きてきた。そういうことでしょ? だから今私が「遊びに行くこと」をしたら、きっと簡単に「過去と同じ事」をする。自分で分かる。そんなの嫌。あの苦しみだけは嫌。
心のある人間関係が欲しい。だから、一人で家に居る。

 書けてる。こんなに。これでいい?


2004年12月24日(金) 「5・7・5」の思考

 私の頭にはいつもある一定のリズムで考える思考がある。そのリズムは「5・7・5」。感じたことがすぐに「5.7.5」の形で文章になってしまう。
一人でいるときには動きも「5.7.5」になっているときもある。

 私は自分の頭の構造を知るとき、まず「戸惑い」を感じ、そのあと「事実」を受け入れていくことを意識する「思考」へと切り替えられている。
でも、無意識に「事実を否定する私」の思考へと変わっていることもある。
 受け入れられないときのほうが多いかもしれない空、受け入れられない理由を考えてみた。

 私は自分の気持ちを頭に「5.7.5」で書いて現すということをするとき「そのことは“私の問題”から切り離されている」。
というころは、私が頭に浮かんだ“自分の事”をすぐに文章にせずに、すぐに「私の問題」に変えるためには、「5.7.5」を受け入れておくといいのだろう。それよりも先に「自分を意識しておくこと」があるね。


2004年12月23日(木) 映画 『ハードネス』

 映画「ハードネス」を見た。映画は始まりから、「人がピストルで撃たれるシーン」が多くて、見ているうちに怖くなった。「怖い」と感じていたのは素朴な「心を持つ私」だった。その私は「命は大切にしなければ・・」と考えていたら思考が変わり、同じようなシーンを「怖い」と思わず冷静に見ている私になった。「私」はまるで、「子どもの私の思考」と「大人の私の思考」を見たようだった。「子どもの私の思考」はチャイルドに巻き込まれた私だよね。

 女の人が「空手」を使って犯人をやっつけた。かっこよかった。私も空手を習っているからチャイルドを癒やす時に使える。それにいざという時には自分の身体を守るために使える。自分を守る方法を知っていることは大切。 
 映画の話に戻るけど、議員の娘さんは、初めは「パパにNoは言えない」と言っていたけれど、自分を守ることが出来たから最後に「No」が言えるようになった。私も今は自分を守る方法を知っているから、社会に対して私メッセージで「No」を言えることが増えてきた。  この映画を見てよかった。何故なら、「空手」「父親」「No」「命」に付いて考えることが出来たから。


2004年12月22日(水) 好奇心

 昨日午後、私は自転車に乗って介護のチラシを配布しました。空から降り注ぐ太陽の下で心まで温まる気がしたせいか、あちこちの民家に植えられている花たちが普段よりも鮮明に見えました。私は「私のチラシが“ゴミ”になったら“ゴミンナサイ”。そして小さな出会いのきっかけになるのなら、“ありがとう”・・・」と、一人思い浮べて楽しんでしまいました。
 そして今日は、お友達の保育園で「サンタクロース」になってきました。子ども達の反応は、遠くからじっと見ている子・眼が合うと泣き出す子・そして親しげに傍によってくる子などさまざまでしたが、その「表情」は可愛らしくて面白くて、私には子ども達の動きから、それぞれの「心」が見えるようにも思えました。一人の女の子は初め、少しずつ少しずつ私の傍に寄ってきて、下を向いたまま自分の小さな指を吸い、そして片方の手で私の指先を触りました。又別の男の子は、私に向かって「サンタさん!」と呼び続け、私はその度に「はあい」と優しく返事をしましたが、私が彼の顔に「サンタのひげ」を近づけると、慌てて逃げていきました。そしてそれでも彼は、その後も同じように私を呼びましたから、私は彼の「心の領域」を大切にしながら、「はい」と返事をし続けました。
 催しの最後、私は子ども達の名前を一人ずつ呼びながら「プレゼント」を「小さな手」の上に乗せました。その度に「小さな口元」から「ありがとう」と聞こえたり、「小さな目」がにっこりと笑って垂れ目になったりと、その嬉しそうな表情が可愛らしくて、何とも言えない気持ちになりました。そして私が保育園から帰るとき、子ども達や園の先生方は皆で私に「ありがとう・又来てね」と言いました。私は「こちらこそありがとう!」と言いながら、このような機会を頂いた事を嬉しいと思いました。

 この季節、暖かいお風呂に浸かると心がほくほくしてきます。私は過去には、首元にお湯がかかることに恐怖を感じていましたが、いつの間にか湯船に首まで浸かる事が出来る「私」になっていました。癒やせたところから楽になっていくのですよね。

 私は今、「プラスの文章を書くこと」を勉強しています。私がこの事を意識して生きると、書いた文章のそのままが、私の「能力のリスト」に加わっていくのですね。

一応・サンタ  風船唐綿(ふうせんとうわた)の実
ユリオプスデージー


2004年12月21日(火) 思考について

 今思うこと。
 私の、「思考」に関しての多くの気付きは、今はまだ「仮説」としてあるのみだけど、「癒やせた部分・私が自分の思考を受け入れられた部分、「私」として感じることが出来ているのだから・それが優合できた部分として、実際にあるのだから・・これまでと同じようにやって行けばいい。


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