「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2004年11月09日(火) 時間を使って生きてみる

 2004年10月24日、私は自分のメモ書きに 「人より時間がかかっても、遅れをとっても構わない、1つずつ、自分の心を確認しながら取り組んでいこう」 と書きました。
これは、過去に “誰かよりも先にする事・誰かよりもよく出来る事” にエネルギーを使っていた私が、 「“何かに急がされるように生きている自分”を変えたい」 と痛感した日の決意でした。

 本当に大切なことは、「その時、その事に取り組んでいる自分を知っていること」なのですね。そして 「早い」 という評価は 「遅い」 という言葉があって成り立つ。つまり他者との比較があって初めて成り立つものなのですね。例えば私たちの生活の中で、ある物事に対して比較が必要な場合はありますが、その事が私たちの生き辛さの原因だとするならば、私たちはこの重たい荷物を全て降ろしてしまう必要があるのですね。

 もう今は、ゆっくりとゆったりと生きれば良いのです。私は今、より柔らかく生きる為に 「時間を使って生きる自分」 を意識しています。時間に追われるのではなく “時間を使って生きる” のです。8:14


2004年11月06日(土) 自分育て

 何かの “生きもの” を育ててみたい。植物にする?! それも良い。
 けれど私も “生きもの” なのだから、まずは自分を育ててみよう。
私が 「私」 に心を傾け優しく接していく事で、「私」 はどのように育っていくのだろう。

 私たちは草花や生きものに対して、ありのままの姿を受け入れる事が出来るのだから、自分自身に対してもありのままの自分を受け入れていくことが出来るはずなのだ。これからの私は自分を肯定する事を意識して、「今」という時を生きるのだ。そうして生きていく事で、自分を育てていけるのだ。
「人体実験?!」 それも良い。
この実験は、私の中にある生き辛さを 「薬を使って抑圧する」 のではなく、「心を見つめ対峙していく事」 で成長していこうとする、かつてない画期的な実験なのだ。


 明日は何があるのかな?「明日」を迎える事が楽しみです。明日はどんな私かな?明日を生きる「私」が楽しみです。明日の朝、眼が覚めた瞬間に私は何を思うのだろう。明日の私を想像してワクワクしながら布団に入る私です。22:30


2004年11月05日(金) 柔らかい感覚

 休日の朝。布団からはみ出た手足に寒さを感じて眼が覚めました。
この頃は朝夕がめっきり冷えこむようになり冬の訪れを感じます。ゆっくりと布団から抜け出して、私の体が冷えないように衣服を整えた後、庭に放られていたダンボールを片付ける私の耳には鳥の鳴き声が聞こえてきました。ふと視線を上げると、晴れて初冬のさわやかな空が一面に広がっていましたが、防寒した身体にも吹いてくる風は冷たくて、それでも 「今、風の冷たさを感じる私が居る」 ことが素敵なのだと思いました。過去には、自分が何をしているのか、何の為にそこに居るのかが分からないまま生きる私でしたけれど、今は自分の動きの一つ一つを確認できる私です。

 昼間には久しぶりにプールへ行き、水中の「真空パックの中のように静かな世界」の中で、自分の心臓の鼓動に耳を傾けてみました。そして水の底に頬を付けてタイルの目地の粗さを感じてみたり、次の瞬間にはゆったりと水面に浮かんでみたり、今日私が触れた 「水」 は、いつもに増して 「柔らかさ」を持っているようにも思えました。私は水中で感じる事が出来る「とろけるように柔らかい自分」を日常でも持続させる事を意識して、より楽に生きていくのです。

 帰りには、通りの景色に秋の気配を探しました。今年は紅葉が遅れているらしく、森の木々は緑色を残していましたが、時に濃い緑の中に赤や黄色が映えている景色を見つけては、その色合いの美しさに私の心は躍りました。
 木々が色付いていることよりも、今この季節を楽しんでいる自分がいる事が大切なのだと思います。

 朝起きた瞬間から、自分の心と対話しながら一つ一つ動いていくことの連続が 「生きるということ」 ではないかと思います。私はこれから、「私」として生きていくのですから、何時の日か、「寝ているときですら生きている事を実感できるのだろうか」 などと考えてみたりもしています。

 一昨日、ススキの穂を逆光撮影してみました。ススキが輝いています・・。
今日の空は、筆に白い絵の具を付けて一振りしたように 「白い雲」 が伸びていました。



2004年10月31日(日) 日陰の柔らかさ

 社会にある 「日陰」 の部分にこそ学ぶべきものが多いのであれば、私はより多くの日陰を見ていこう。
人の一生に日向と日陰があるのなら、快活に生きる若者は日向で老人は日陰になるのだろう。人の人生に日向と日陰があるのなら、社会的に認められた人は日向で、離婚した私や心の病を持つといわれる人々や引きこもりといわれる人々は日陰になるのだろう。

私は何をおごっていたのだろう。他者や社会に評価され、日向に居たいと思っていた。
今は新しい就職先を探しながらいろんな事を考えているけれど、老人介護はつまらない・日陰はつまらないと思っていた。“病院” という場所で消毒液の匂いの中で仕事をしたい・日向に居たいと思っていた。

・・もう一度、老人介護をやってみよう。これまでとは違う 「新しい発見」 があるだろう。
私が世間に映し出された日向を追いかけるのではなく、見えない部分を見つめられるように。
私がおごりの中で生きるのではなく、より 「柔らかい私」 として生きていかれるように。

 日陰とは・・・本当はとても柔らかい世界なのかもしれない。22:00


2004年10月30日(土) 「日陰」 と 「日向」

 2日前の仕事帰り、夕日に照らされて黄色く輝いている景色を見て、ふと思いました。
 私たちの現実は、実際には日向よりも日陰のほうがはるかに多いのではないだろうか。私たちは過去に日向ばかりを見せられて来たのではないだろうか。更に人生の多くは日陰の中にこそ学ぶものが多いのだと、そのように表現する事が出来るのではないだろうか。子どもであった私たちに日向だけを見せてきたのは、親であり周囲の大人であり、そして時の英雄を追いかてきたマスコミや社会ではないだろうか。更に日陰は偶然隠れたのではなくて、大人の意識の中で常に隠されてきたのではないだろうか。
 仮にそうだとするのなら、私たちが物事を考える時には、その一方向からではなく、あらゆる角度からそのものを直視していく事が大切であると言えるのだろう。
私が過去、日向だけを見せられ生かされてきた為に、大人として非現実的な理想の世界を思い描いてきたのなら、私はこれから自分の人生をより良く生きる為に、現実にある材料に付いてのみ吟味し、自分の心に丁寧に耳を傾けていく必要があるのだろう。

 数ヶ月前、鏡に映る自分の姿を見て 「姉」 を思い浮かべた事がありました。
 長い間、私が理想とするものは 「姉」 でした。幼かった私が、姉と同じ容姿・職業を持つことは、私が親の子どもとして肯定される為に必要なものなのだと思えていたのです。そして幼かった私の目に、「姉」の存在は 「日向」 として映っていたのかもしれません。
 
 今夜、鏡の前に立って居るのは今を生きる 「真の私」
過去とはそれ程変わらぬ容姿を持ち、けれど過去とは全く違う心を意識できる 「私」
私は「私」 で良いのだから・「私」で居ること・「私」が此処に居ることが大切なのだから、他の誰でもない私自身を大切にして生き続けようと更に意識した夜でした。


 私は今、社会で孤独を楽しみながら、私自身が大切にしているものは何だろうと考えています。
 私が 「柔らかい私」 として生き、自分自身を語っていく事を意識しています。22:30



2004年10月27日(水) 柔らかさ

 お豆腐を、出来れば湯豆腐にしてみたい。じんわりと温まったお豆腐の、その柔らかさと温かさの中にゆっくりと沈んで寝てみたい。

頭に浮かぶお豆腐は、ほんのり淡いピンク色。ふんわりと柔らかく、じんわりと温かい。人の肌と同じ。私の肌と同じ。私の心と同じ。


 生きている人の肌は柔らかい。私の肌は柔らかい。私の心も柔らかい。私はこの柔らかさが保てるように、自分を見つめて生きていく。


 


2004年10月24日(日) 「私」 の歩調

 私は常に私のペースで動くことが大切なのですね。過去には社会と同じ歩調で生きる事のみを要求されていた為に、自分自身の心の欲求に気が付くことが出来ませんでした。私達人間は、子どもの頃は 「家庭・学校」 という社会で、大人になってからは 「職場」 という社会で、常に周囲と同じ歩調で生きる事を強制されてきたのです。そして今でさえ、 「日本」 という社会で、日本人としての歩調を守るべく強制されている事を感じます。
 そしてそれでも私が心を持った 「私」 で生きるとき、過去のように時間に追われることもなく現実と向き合っている事を実感します。私は私以外の誰とも違う位置に立ち、自分の心を大切にし自分を感じて生きていけばよいのだと、改めて思います。
そして今日確信した事実を明日には新しい能力に変えて新たな自分と向き合い、今日という一日を確実に自分で生きている事も実感するのです。

 私が丁寧に生きることは、私が私自身の感覚を取り戻す事へと繋がるのですね。


2004年10月22日(金) 太陽

休日の朝、私は日の出を見る為に滝の水公園へ行き、うっすらと紫色の空に太陽の強いオレンジ色が広がるのを眺めながら、過去とは違う世界に生きている事を実感しました。21:00


2004年10月20日(水) 丁寧さ

 今朝、私は 「一つ一つ丁寧にやっていく自分を持続させる事」 を意識して職場に出かけました。私が 「丁寧に取り組む自分を意識する私」 として生きることは、その過程を楽しみ、結果を 「結果」 として肯定出来る私へと繋がり、更に成長できる私へ結びつくのだと感じました。


2004年10月18日(月) いたわる心

 お風呂上り、ほんのりと温まった自分の身体にそっとタオルを当て優しく丁寧に拭いてみる。ポタポタとしずくが落ちる髪の毛をタオルで包みこみ、私自身の指の腹で優しくそっと拭いてみる。お風呂を出て、床を歩くと温まった足の裏に床の冷たさがつんと響く。じんわりと温まった私の足先が冷えてしまわないように靴下を履く。
 過去、私は自分の体をいたわる方法を知らない私のまま、小さな子ども達を育てていました。
そして今、私はより確かな自分を意識して 「私」 の感覚を取り戻そうとしています。私は 「私」 を意識する時、より確かな自分の感覚を感じられ、そしてそんな自分を傍でそっと眺めています。

 昨日夜、私は滝の水公園へ三日月を眺めに行ってきました。三日月の中に大小のクレーターを覗きながら、 「あの場所に私達とは違う人類が住んでいたらどんなものだろう」 と想像し、一人でワクワクしていました。



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