「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2004年08月31日(火) 目玉焼き

 休日の朝ごはん。

フライパンで焼いた目玉焼き。

黄身の部分は半熟で・・。右手に箸を持ち卵のちょうど真ん中に当たる端っこから、そーっと切れ目を入れ始める。

黄身の部分に箸の先がかかる時、私はちょっぴりドキドキする。

箸が通ったその先から黄身が流れ出るその瞬間、

白身というお皿の中に黄身がふんわり収まっている・そんな切り方が無いかと考える。

私は私がしている事の一部始終を見つめている。箸を持つその指先にまで、私の心が届いている。

何時もいつも、私はこんな風に生きよう。何があっても自分を意識し、ゆっくりのんびり生きていこう。

 そんな事を確認しつつ、今日もまた充実した時間を過ごした私です。ところで台風一過の本日の空には“うろこ雲”が広がっていました。もうすぐ秋がやってくるのですね。私は今年の夏、夏の自然を全身で感じることが出来ました。そしてこれから訪れる秋をどんな風に見つめる事が出来るのかを楽しみにしています。
23:00


2004年08月30日(月) 社会への疑問

 私はこの頃仕事先を変えようと考えているので、2週間くらい前からあちこちの求人広告を眺めてます。新聞折込の募集広告を何度か続けて見ていると、同じ企業が何度も求人募集を出している事が分かります。私の職場からは、私が7ヶ月前に就職した時と同じ求人募集広告が7ヶ月の間続けて出されています。そして、職場のある人は先日 「何時の時代も人手不足だ」 と語っていました。さらに求人広告に掲載されている内容から、慢性的な人手不足は医療関係だけではなく日本中の企業で起こっているのだと捉える事が出来そうです。この事を考えると、社会全体が変わる事で今感じている働き辛さの原因が見えてくるのではないかと思えます。

 町には人が溢れているように見えるのに、日本中で人手不足が続いている原因は何でしょうか。企業の側は例えば7ヶ月以上も同じ募集をかけ続けなくてはならない理由や採用した人がすぐに辞めていく理由を考えた事があるのでしょうか。私の眼から見て、企業の側が見つめているのは数字として現れる金額・経済の部分のみのように受け取れます。そして社会全体が慢性の人手不足の中に居るのだとしたら、社会全体も又、経済の部分だけを重視しているという事になります。

 私たちが 「働くこと」 で心の疲れを感じたり、その事に起因して自ら死を選んでしまう人が増え続けているのは、私たちが常に心を大切にされていない環境で働かされているからだと言えるのではないでしょうか。

 私は自分が持っている能力以上の働きは出来ません。そして私は自分が持っている能力を最大に発揮して働いていけるような職場に居たいと思っています。過去・戦後から伝わってきたらしい「量産主義」は終わりにして、心を大切にする事を始める必要があるのです。もしも「働く人の心を大切にする企業」があるならば、私はいつまでもその場所から離れることなく、楽な環境で働き続けられるのです。何故なら、「心を大切にする」ということは、他のどんな悪条件とも対峙することが出来るきっかけになるのですから。その為に今、私は常に「心」をもち仕事をする事をしているのです。私が自分のペースを大切にしながら働いていく事は私にとって大切なことなのです。


 日歯連と橋本派の政治献金疑惑の内容が新聞に載っていました。橋本前首相といえば、私は何年か前にマスコミの中で彼の私生活が大きく取り上げられていた事を思い出します。そして、少し前の診療報酬引き上げの時に増えてしまった負担額と自分たちが支払っている医療費を見比べてがっかりした自分も覚えています。この二つの部分が、4億円という想像も出来ないような巨額の不正金で繋がっていたのですね。私は診療報酬の引き上げに付いてどれだけ不愉快さを感じても、私が日本で暮らしている限り、引き上げられたとおりの医療費を支払っていくより他に方法がありませんでした。
さらに私が自分で働いた分の金額のみを受け取り生活している事や、私が収入の一部を税金として毎月欠かさず納めている事を考えると、私は今回のような政治家の出来事に怒りを感じます。このような事から、私は政治の事をもう少し知りたい気持ちがしています。20:00


2004年08月29日(日) “牧場”の同居人

 今日、自宅の“牧場”で、トカゲちゃんに出会うべく待ち構えている私の目に、きらりと光るものが通り過ぎました。 こんな時に慌てて近寄ってはならないのです。

「玉虫でなくても良いから、きらきら尻尾の“バーバートカゲ”(←と言う名前らしい。私は3日前その姿を見かけたのです)に出会いたい。」 私がそう思いつつ首を伸ばしてみると、目の前に出てきたのはトカゲの赤ちゃんと思える小さな小さなニホントカゲでした。そのトカゲは生まれたばかりではないようですが、全長は私の小指の半分ほどだったので・・2センチくらいでしょうか。雨に濡れているためか身体がつるつるに光っていてひょうきんな顔つきをしていました。

私が調べた結果によると、我が家の庭のトカゲたちは、同じく共存しているらしいバッタを食べて成長しているようです。今日はトカゲの赤ちゃんの他にも、たくさんの生まれて間もない生き物たちに出会う事が出来ました。私が生きているすぐ傍で新しい命が生まれている事を考えると、私の心もほんのりと温かさを感じます。私は全ての生きものと共に暮らしているのですね。

 ところで私たちのファシリテイターは、我が家の“牧場”に除草剤を噴霧する計画を持っていたようですが、私が「計画延期のお願い」をする前に、除草剤噴霧を中止した事を私に伝えてくれました。良かった良かった・・。これで又、私は元気なトカゲちゃんに会うことが出来るでしょう。15:00


2004年08月28日(土) 視線

 今日は夕方プールへ行ってきました。
 私はプールで泳ぐのは久しぶりなのですが、今まで最も身体の軽さを感じました。そして「こんなに身体が軽いのは何故だろう」と考え気が付いた事は・・私が人の視線を気にしないで「泳ぐ事だけ」をしているということ。これまでに何度でもプールに来て水に身体を浮かせ水と戯れていた私。でも過去には殆どの場合、どこかで人の視線を感じながらの行動だったように思います。実際の私は過去にプールへ来る度に、「クロールの練習をしたい」 と考えていましたが、これまで一度も一人で練習する事ができずに居ました。そして今日、私は一人でクロールの練習を楽しみ、水中にもぐり、疲れたら途中で止まって休み、自分の感覚を感じながら、水と触れ合う事が出来たのです。

 私は水の中で身体が冷えてきた事を感じつつ、最後に幼児用の小さなプールに入ってみました。そこには1ヶ月くらい前、プールの端で立ちすくみ大きな声で泣いていた女の子と女の子のお母さんが居ました。今日、その女の子はプールの端から端まで楽に大きなしぶきを上げて泳いでいました。私は水中に身体を沈め、女の子の動きと一緒に沸き立つアブクも眺めて楽しんでいました。そしてふと水中を見渡すと、室内の電気が水の中で反射して、水中全体がアブクと一緒にキラキラと輝きながらゆれていました。それはとてもきれいで、私は自分の体の上にも降りそそいでくる反射の光りを、一人水中で楽しみました。それから水の中で身体全体を伸ばしてみると、水が私の身体に吸い付いてくるようで、私は水という衣服でこの身をまとっている事を想像し、「着ていても分からないほど心地よい衣類があるだろうか」 と、とりとめの無い事を考えては心でくすくすと笑っていました。

水の中・・。
私の身体は、水の中で浮こうとします。本当は人が水中で浮くことよりも沈むことのほうが難しいのですね。私は水に浮いた時、自分の体が水に浮いている時の、水面と空気との境の感触を肌に感じて楽しんでいます。この感触は、「こそばゆい」 とか 「くすぐったい」 とか、とても表現しずらいのですが、とにかく心地よく、私は水面に半分だけ身体を出してくつろぐ事が好きなのです。

 心の底から満足してプールを後にし、私はもうひとつの冒険・「一人でラーメンを食べに行く」事をしたくなりました。でも・・一人でラーメン屋さんに入るのには抵抗がある・・けれど・・今日はそれをしてみたい。そして出来るような気がしたのです。
私は家に向かって走っている車の方向を急遽変更し、数分後にラーメン屋さんのドアを開けました。入ってカウンターに座ると店員さんが私にメニューを聞いてきました。「大丈夫、慌てて決めなくても良いはず」
話しかけられた私の戸惑いはいつもよりもうんと小さいものだと感じました。私がふと前を見ると、カウンターの奥に、慣れない手つきで大きな中華なべを揺すりながらチャーハンを炒めている男の子がいて、その隣には大きなお鍋と慣れた手つきで麺をゆでている人が居ました。私にはそのどちらも楽しそうに見えました。

社会にはいろんな仕事があり、そのどれも、その場所では大切な作業で、そのどれも私が経験を積む事で出来てしまうようにも思えました。現実には私にその仕事は不可能だとしても、私が目の前の事を肯定的に、発展的に見られることが大切なのだと思います。それは私自身が目の前の事を楽しんでいるということなのだと思えます。23:00


2004年08月26日(木) 自然治癒力

 私は小学校低学年から時々頭が痛くなるようになり、以降は頑固な便秘と過換気発作や貧血を繰り返すまま大人になりました。
私自身が自分の身体の不調を「自分の問題」として意識したのは27歳・長女を出産した後の拒食状態の自分に気が付いた時、そしてその気付きから更に 4年後、私は心の不調から医者に駆け込み「うつ病」という診断を付けられる状態となりました。その後の4年間、私は薬を持ち歩き、何かあれば医者に駆け込み「医者と薬に依存した人生」を送ったのですが、その中で「薬をやめたい」 と思えた理由のひとつは、心のどこかで自分の心のストレスが過去の虐待によるものだと感じていたからかもしれません。
 自分の身体の不調をを医者を頼らず自分で取り組んでいこうと決めた後にも、過去と同じように頭痛や歯痛や慢性疲労などを繰り返しながら生きてきましたし、症状としては現在でも小さい形で私の中に残っていることを感じています。
 これらの症状は、左半身に左半身に感じることが多いのですが、私には親からの虐待を主に左側から受けていたということ実がありますから、私は危険を感じると左半身を硬直させ危険から自分を守ることをして生きてきた経験を通して、現在も過去と同じ方法で自分を守ろうとするのだと思えます。

 仮に歯痛などは奥歯をかみ締めることで起きるのであり、例えば私は2004年7月のロス留学時に酷い歯痛で辛い経験をしましたが、 「言葉が通じないことへのストレス」を感じていた私が「何とかなるね・・」という心になれた時歯痛がなくなったというようなことは、私の中では日常の出来事でした。つまり私の場合、外傷など直接の原因が無い痛みに関しては、筋肉の過度な緊張で起こることが多いと言えると思うのです。更に眼精疲労の延長で頭痛が起こることや、肩こりと歯痛と頭痛の繋がりなどは世間一般でも知られていることだと思います。
 重複しますが、私がたびたび身体の不調を感じることになっていた直接の原因は過去の親から受けた虐待です。  
その私が今、身体の不調の根本原因である心の傷を癒やす作業と共に取り組んでいることは体力作りです。
私は毎朝ストレッチと腹筋をしていますが、その時出来るだけ全身の力を抜き自分の呼吸を意識し、自分がどの位置に酸素・血液を運びたいのかを意識しながら取り組んでいます。このことは思考が飛びやすい私にとって、意識を集中させるための練習にも繋がるので、特に大切にしています。
もうひとつ大切なことは骨や神経を守る為の筋肉をつけることだと思います。その為に私は適度な運動を取り入れていますが、運動に関しても自分の身体の状態と相談しながら、ゆっくり優しく取り組むことです。

 過去には・・。バスに乗れば不安に襲われ今にも飛び降りたい衝動に駆られ、デパートで店員さんと話をすると動悸がしていた私。その時の私に出来たことはトイレに駆け込み心が静まるのを待つことか、持っている薬を飲み込み時間の流れを待つことかのどちらかで、それでも外に出ることをやめなかったのは、「自分の生活の中に子どもが居る」という母親としての思いのみでした。

 今、私が他者ではなく自分を意識し自分の心の状態を知り過去と対峙し続けていくことは、私の中にある 「自然治癒力」 をより豊かにするものだと確信しています。私は「自然治癒力」 を 「私の命を守る為に私自身に備わっている・私をより楽に生かそうとする力」 だと考えています。
そして私が 「自然治癒力」 を意識したうえでのさまざまな取り組みは、私自身が自分の心を一番大切にし、常に自分に優しく丁寧に生きていく為のひとつの方法です。


2004年08月25日(水) 動き

 今日は夜勤明けです。
夜勤も終わりに近づいた朝5時。今回のペアとなっていた看護婦さんが急に体調を崩されたので、私は急遽、二人分の仕事をすることになりました。この事は 「人手が無い事」 とは別の問題で、体調が悪ければ休むのは当然であり、私は自分が出来ることだけをしてみようと思いました。今回はたまたま具合の悪い利用者さんが少なく施設全体が楽なペースで仕事を進められていましたので、私も躊躇することなく介護さんに協力を求めることが出来ました。そして私自身はいつもとそれほど変わらない形で作業を終え、さらにフロアの行き来の為に階段を往復した事で朝から適度に運動が出来てしまったのです。そんな私の仕事を終えた後の疲れは、いつもと同じくらい心地よいものでした。

 一人の利用者さんは今朝私に 「離婚したから寂しくなったでしょう?」 と言いました。私は離婚したことで「寂しい」と思ったことが一度もありませんが、社会では離婚がまだまだマイナスのイメージで捉えられているのですね。 そして、社会には 「寂しい」 という言葉があったのだと考えている自分を眺めて・・その言葉が頭から外れていた自分に不思議な感覚を覚えました。私の場合は当時の辛さから自分を救う為に離婚しましたが、初めから 「前向きな離婚」 だと思っていましたし、今これほども自分を感じて生きることが出来ているのだから、離婚に関してマイナスの発想はありえません。

 最近の私は寝る前に自然に「明日は何をしようかな」を考えられるようになっています。いろんな思考に振り回されていたのはつい一週間前のことで、私は自分が日々成長している事を実感します。そして今 「考える事よりも動くことが先だろう」 という気がしています。「行動し、結果を見て必要があれば考える」ということかもしれません。そしておそらく動く為に最低限必要なことは、これまでの経験の中で無意識に考えられているのではないかと考えられるので、これから私が何かを考え続けている時には、マイナスの思考を遣っていると思っても良いのかもしれません。何故なら、私が今を生きているならば、次の事をするために浮かぶ思考の全ては更に次のことへと発展し、浮かんだ事を頭の中に止めておくことなど到底出来ないはずだから。
そして子どもは常にこの状態で生きているのではないかと思います。プラスの中で生きる子どもは目に映る全てのことに興味を持ち次々と新しい発想を展開していくのです。そしてその発想は全て生きるためにプラスに浮かぶはずなのですが、社会から否定され、「生き延びる為に」マイナスの発想を学習してしまうのですね。

 こうして考えてみると、私は自分の頭が以前とはかなり違う状態にあり、過去とは違うレベルで楽に動けている事を感じます。この状態を長続きさせられるように、更に次の行動へと動く私です。20:00


2004年08月24日(火) 一人でいること

 今日は夜勤入りなのです。最近ようやく夜勤の前の「朝寝」が出来るようになり、今日は10時過ぎまで布団で過ごすことができました。それからゆっくりと朝食を摂った後、銀行へ行き所要を済ませ・・。
このように一日を一人で過ごしていると、いろいろな事を思います。一人で過ごす時の私の思いは 「今日は曇りだ」 という小さな事から始まり、職を変える時期を何時にしようかとか書きかけの記事をどうしようかとか、それから部屋の能力のリストを見渡したり、メモ書きを眺め 「今は何を優先しようか」 と考えたり・・。そして私はいろんな事を考えながら、これが 「今を生きている自分なのだ」 と実感します。その中でちらりと職場の事を思ったりすると・・その途端に自分を忘れる私になっていたりするのです。傷があるとはこういうことですね。そんな時、私は過去の思考をポイッと捨てて新しい私を取り戻すのです。

ところで先日、何年かぶりにイチジクを買ったのでインターネットで検索してみました。
イチジクは意外に栄養価のあるフルーツなのですね。そして私たちが食べているのは イチジクの 「実」ではなく「花」の部分だそうです。私は子どもの頃イチジクをたくさん食べた記憶がありますが、このようなことは始めて知りました。自分自身が現実に興味を持っていると、こんな予備知識も得て、そこから更に新たな興味が沸いてくるのですから、毎日が小さなワクワクの連続のように思えます。


 昨日は仕事の帰りにバッティングセンターに行きました。私はボールをバッドに当てることは出来るようになってきたのですが、どうにもへっぴり腰の気配です。野球に詳しくないので本当の事はわかりませんが、理由は「ボールがこちらに来るまで待てない」ためかもしれません。
心に焦りを持たないで、ゆっくりとかまえると良いかもしれません。
今はもう、私に関する全ての事が私の判断を待たずに事が運ばれることはないのだから、私はいつも自分の心を見つめながら、ゆっくりと落ち着いて考えていけば良いのです。15:33




2004年08月23日(月) 意識

 私は8月20日の夜、「自分を責める自分」を見つめた。以降自分を責めない練習をしている。
今日の私はどうだっただろう。因みに私は日に何度かは 「やってしまった・・」 と思うようなことをするが、今日はそんな自分をも肯定出来ただろうか。今日一日を振り返ってみよう。

私は今日、より早い心の切り替えを心がけた。やさしく自分を意識することを心がけた。最近はずいぶん「自分」の感覚を常に感じられる時間が増えている。そんな自分も意識した。

もう今は、仮に何かを 「やってしまった」 としても、私は「間違い」とか「失敗」という言葉を使わずに過ごしたい。何があっても自分を責めずに、そこから自分を意識していけばよい。世間で言われている「間違い」や 「失敗」は私の中では全てプラスの始まりとなるのだ。
いつも自分を意識して、全てがプラスに動くように考えていくのは当然のことなのだ。

もしも今、私の中にマイナスの人格が存在するのなら、私がマイナスをプラスに変えていくことが大切なのだと実感する。私を変えていけるのは私一人だけなのだから。


それから、今私はスポーツを通して集中力と体力を高めうとしている。能力になった集中力と体力を癒やしの作業に活用しよう。私は必ずそうしよう。私の動きの何もかもが、癒やしの作業の役に立つ。今心の底からそう思える。

今は野球が楽しくて仕方がない。というよりも、あのグランドに立ちバッドを振って走りたい。
その為に何をすればいいだろう。毎日素振りをして、毎日グローブとボールを持って、毎日イメージトレーニングをしよう。


2004年08月22日(日) 花火

 夜、何処からか花火の音が聞こえてきたので、花火の音の方向へ車を走らせてみました。花火は家からそれほど遠くないところで見つけることが出来ました。花火が打ち上げられている場所は距離的には遠いようなのですが、暗い空に輝く光りはとても大きくてきれいでした。私はいつの間にか集まっていた近所の人たちと一緒になって 「きれいですねぇ」 と声を上げていました。そして豪快に上がる花火を見ながら「花火が見たい」と感じた自分の欲求を自分自身で満たす事が出来たことに、「小さなステップアップ」を感じていました。それは、過去には自分の中のいろんな欲求に振り回され、優先順位を確認することまで出来ては居なかった私が、今日は「私」の心で感じた事を、私の意志で優先出来たという事によるひとつの達成感かもしれません。

 花火は予想以上に長い時間上がり続け、やがて私は最後まで見届けたいという気持ちと帰りたいという気持ちを感じるようになりました。自分の身体が冷えていたり眠たくなっていたり、そして家に戻ってやりたいこともあるのです。「どの気持ちを優先すれば満足するのだろう」・・私は心の中で「自分」を確認した上で家に戻ることに決めました。

 私が家に戻り10分もすると、今度はシトシトという音が聞こえてきて雨が降り始めた事を知りました。「さっきの音は花火の音で、今聞こえるのは雨の音・・」私には、違う音を聞き分ける自分の耳すら不思議に思えました。実際には・・「花火を見てきた」というそれだけのことなのですが、今夜この小さな現実にたくさんの事を感じた私には、楽しいひと時となりました。22:00


2004年08月21日(土) 心の切り替え

 私は、スポーツをする人は心の切り替えが早く出来ているのだと思います。例えば試合中にミスをしたとして、その事を引きずっていたのでは後のゲームに響きますから、自分で切り替えて自分の成長へとつなげているのですね。つまり私が今スポーツを楽しむ事は、基礎体力を作るうえに心を成長させるための大きなきっかけになるのですね。私はますます自分の今後の変化が楽しみです。

 夕方になり久しぶりに滝の水公園へ行きました。今回は望遠鏡を持ち、港の景色を眺めてみました。これまでには部屋の中から月を見ようとした事がありますが、ピントを合わせる事が出来ずに終わっていました。今日は遠くの景色を眺める事が出来たので次回は月も見えるだろうと思います。こうして日にちをかけて何かを達成していく過程も楽しいものですね。
 公園では若い男の子がラップダンスの練習をしていました。以前の私であれば、近寄れないか近寄りたくないか、いずれにしてもマイナスのイメージで見ていた事と思いますが、最近では誰かと目が合うと思わず話しかけたくなるような心境で歩いています。実際に話しかける事は少ないのですが、ニコニコと微笑んで歩く自分の姿が見えているのです。因みに手を大きく振って歩くと自然に足が付いてきて楽に歩ける事を知りました。22:00


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