「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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| 2004年05月10日(月) |
心を通過した風。自分に何かをさせること。役割 ミナミの傷さん |
2004年5月10日(月) 心を通過した風 なんとも言えない夜勤だった。仕事が始まってすぐに、一晩のペアになる方があなたメッセージで言うけれど、私の話を聞いてはくれないと分かった。それでも私は分からないことは聞いていこうと思った。 私は夜勤の始まりから利用者の食事を間違えて配るというミスをした。私は傍にいた職員に謝罪してどうすればいいか尋ねるときつい言葉が飛んできた。私は自分が間違えたから仕方がないと切り替えて次の行動に移った。 深夜になり、ステーションで翌朝の薬の準備をしているとナースコールが鳴った。私はコールを取ってちょうど薬をつめていた。「ちょっとお待ちくださいね」と言って、薬をつめる手を急がせた。そこにペアの職員さんがやってきて 「あなたはそこで待機してるんじゃないんですか?ナースコールがなるってことはこの部屋の人は寝てないんだってことがわからないんですか?待機ってコールを取ればいいってわけじゃないでしょ」 私はその人の言葉の意味をすぐに理解できず、何かを尋ねる事も出来ず混乱した気持ちを切り替えようとすることで精一杯だった。それに、ペアになる人によってはすぐに行かなくても大乗という人もいるのに。 自分は今、自分を無視したのか切り替えたのかも分からない。ただ長引かせないで楽しく仕事をしようと思う私が居た。「怒りを引き伸ばすのは自分だ」という言葉を思い出した。怒りを持続させているとつまらないし辛くなるのは分かっている。切り替えてみたかった。私がこれまで学んで来た事を確認するチャンスのようにも思えた。同時に“楽しく仕事をしたい気持ち”と“戸惑っている自分に何かを言わせてあげることが出来るのかな?”という小さな好奇心も持っていた。私は楽しみたい。そして楽しんでいる自分の動きを見たい。“楽しく仕事をしたい”は、自分に優しく接することである。 私はペアさんに、少し警戒しながら「ペアになる方によって方法が少しずつ違うので、こんな風にして欲しいというのがあれば伝えて下さい」と言った。ペアさんは始め怪訝な顔に見えた。私が「出来るだけスムーズにお互いの仕事が流れると良いなぁと思って」と伝えるとペアさんは「その日によっていろいろと違うからね」と言い、私にはそんなペアさんの顔には少しだけ笑顔があるように見えた。私は安堵した。人の笑顔はそれを見た私にも心地よい。 さて、夜勤のクライマックス。朝のおむつ交換の時間がやってきた。この時間も“ 介護さんに聞いていきながらやっていく ”という基本形がある。介護保険施設では介護士さんがプランを立てて動いている場所なので、私達は身体の観察以外の殆どをケアさんに確認しながら動くものだと捉えられているからかもしれない。けれど、ここでも又また否定の言葉が飛んでくる。いいと思ってしていることがそのペアさんにとっては間違いになることがある。「えーっ。もう何回もやってるんでしょ?まだ覚えていないんですか?いちいち教えながらやっていかなきゃならないの?ちょっと待って下さいよ。本当なの?」エトセトラエトセトラ・・・。 「 またか・・・。ドウシテ?? いつもと同じ事をやっているのに・・ 」 本当は思い切り反論したい気分なのだ。 「 二度と夜勤はやらない 」 とさえ思う。でも、ここで原因を考えていると私は朝の忙しい時間に混乱してしまう。それではいけないと又切り替えて・・・。分からないことを尋ねると否定されるので、聞かずにおぼろげな記憶を頼りに動いてみる。それでも少しでもずれると否定される。聞いてからするほうが確実だと思って再び聞きながらやってみると、それも否定される。私も限界になってきた。尋ねる自分の声が怒りを含んで投げやりになっているのがわかる。それでも構わない。 目の前の人には私の怒りも通じないかもしれないから。 怒りに巻き込まれて大切な自分の業務が遅れ気味。おまけに今朝は採血する人の血管が細くてなかなかうまくいかない。焦る気持ちを切り替えるよう意識しながら何とか業務を進めていく。この後には食事の為の離床作業が待っている。臥床している利用者さんを車椅子に乗せて食堂まで連れて行くのだ。看護の仕事を終えてようやくケアさんを手伝いに行く。ここでも人によっての進め方があるようだから 「どんなふうにしますか?」と聞いていく。ところが又もや否定の嵐が待っていた。「 えーっ。まだ覚えてないの?ちょっと大変だヮ・・」その人は困ったようにため息をついた。心に貯まった言葉が浮き出てくる。「あなたは150人の情報を全部一度に思い出せますか?」(ちなみにその人は固定した場所で40人だけど)私はその言葉を飲み込んで、「 それでも教えてもらえると楽しく仕事が出来るし・・ 」 と返した。するとペアさんは「冗談じゃないですよ。楽しければ良いなんて、私達は必死なんですよ。皆必死で夜勤をこなしているのに、楽しく夜勤するなんて勝手なことを」 私の限界がやってきた。どうにも虚しさがこみ上げて抑えられない。怒りではない。怒りという感情を通り越して虚しさとか寂しさとかそんなものがこみ上げてくる 「どうしてこんなにも否定ばかり。これ以上私を責めないで下さい」 。私はそう言って部屋を出ようとしたけれど、踵を返してその人の前に立った。 「私は入職したときに“ペアになる介護さんで方法が違うから確認しながら動くように”と指導されているんです。私も介護さんも動きやすく出来ればと思うから、私のわからないことを聞いているだけです」と言った。そして 「楽しければそれで良いとか、ただそれだけで良いということは少しも思っていない。そう捉えられるともう何も聞けないし出来ない。聞かなければ方法がずれて二度手間になる。聞けばまだ覚えていないのと言われる。私は介護さんの手を煩わせる目的で聞いてるわけじゃないんです 」 介護さんは私に何か言った。途中の言葉は私の耳を素通りし、最後の部分だけが心に届いた。「 でも私達も聞かれてわからないこともあるし、看護婦さんによっても違うから・・」 そうだったんだ。介護士さんも戸惑っていたんだ・・。私は「お互いにわからない中でやろうとしていたのですね」と言った。私の中に、この一晩で否定の嵐を受ける原因があったかどうかわからない。介護さん自身の戸惑いが私を否定しても良い理由になるとも思えない。今分かるのはお互いに相手に自分を合わせなくてはならないと感じる重荷の為に苦痛を抱えて仕事をしていたという事。私は(それなら残りわずかの仕事時間を私は目の前の人と話し合うことでやっていってみよう」と思った。 勤務時間が終わった。「お疲れ様でした」と伝える私。ペアさんは「お疲れ様、又よろしくお願いします」と笑って言った。 少し前に、「自己を確立させる事を意識できていれば、自分と違う他者も受け入れられることを知った。受け入れる? そのイメージには追いつかない。そしてこの出来事は、マイナスの社会でどう生きるのかと言う今の私のテーマの大きなヒントになった気がしている。後は考察していく事なのかな。分からない。私は今回のような経験を何度もしていく中で何かを確信するのだろう。
自分に何かをさせてあげるというのは、どんなときにもそう考えていて良いのかな?マイナスの状況ではなくても、いつでもそのように捉えていれば、“壁を背にして自分を眺める”という言葉が使えるのかな?
PCに残した子ども達の絵を消せずにいます。私の手元に残っている、子ども達に関するものはこの絵のみ。これを消してしまったら後には何も残らないと思っているのです。それにしても、消してしまうことで何も残らなくなるとして、では消していない今の私が持っている“何か”とはいったい何でしょう。よく考えてみると、私が大事に持っておきたいと思っているのは、“母親”という役割を持つ自分でした。ただの役割、今は子ども達を傍で見ていることが出来ないと知っている私が、それでも持ち続けようとしている役割。この役割を行き着くところまでたどっていくと、美奈子という人格の存在に辿り着くのです。そんな事をしていたら、ミナミの傷さんという、“ 美奈子の傷ついた感情を持つ人格 ” が現れて、「 私も傷を癒やしたいのでチャイルドを引き出す方法を教えて欲しい 」 と言いました。 でもね、分かるんです。ミナミの傷さんにチャイルドは癒やせない。自分自身が傷なのだから、誰かと一緒になる必要があるのです。そしてその誰かは、もともと同じところにいた美奈子が最善なのです。更にその美奈子は今は何処へ? もしかすると私が美奈子かもしれませんね。実は私は美奈子でありMamoだと思えるのです。それなら私がミナミの傷さんを受け入れて、一緒になれば良いのですよね。やってみようかな。どうやって?美奈子から切り離されてしまうくらいだから、とても大きな傷なのでしょうか?それとも美奈子はもともと小さな傷にも耐えられるようには出来ていなかったのかもしれません。本当はどうか・・わかりません。そして方法は考え付いたけれど、今はまだ過去のことが何も見えてきません。けれど何時の日かきっと分かりますね。そしてその傷が癒やせたなら、私は本当の意味でこの役割を降ろせるのでしょう。ん?役割を降ろして生きている私も居るわけだから、そのままをやってみれば良いのかもしれません。ん?ではミナミの傷さんのことはどうするの?いろいろと考えると、自分の将来がとても楽しみで何だかワクワクします。21:00
| 2004年05月09日(日) |
成長する自分の傍に。 |
周囲の誰かと一緒に成長するとはどういうことだろう。私は心の勉強をしている。少しでも楽に生きていきたいから。よりよく生き、自分の人生を全うして死んで生きたいから。私の細胞の一つ一つを使い切って生きたいから。
私が自分の心を見つめ自分を大切にし続けて生きるときに、偶然にも自分の傍に同じような志を持ち実践している人がいれば良いだろう。たまたまそこに居る他者と心に付いての何かを語り合うことで、お互いが成長出来ればそれも良いだろう。そんな誰かが居ないとしても、私は私でやっていけば良いのだろう。共に成長するというのは、結果論として現れる偶然みたいなものだろう。何故ならいつも人生の主役は自分で、たまたまそこに居る人と語り合うだけなのだから。
おそらく私は一人でもこのまま自分の心を見つめる事を止めないで居るだろう。心の問題以外に私の心を魅了するものは、当分の間は現れないだろう。
それから仮に少し道がそれたとしても、プラスの世界はとても楽な事を私は忘れないだろう。16:15
純粋さや素直さはもしかすると感覚の問題なのではないでしょうか。過去の傷によってガジガジに閉じ込められていた心を、社会の中でも無防備に解放しておくことが出来れば良いのかもしれません。
過去の私たちの心に土足で入り込んできたのは、当時の大人達の私利私欲と私達には全く無意味な責任感でした。自分の能力以上に何かを成し遂げようとするとき、自分が感じている限界を信じていては、そのものを成し遂げることが出来ないのです。成し遂げなければならないものは過去に持たされた役割です。永遠にゴールも合格もない役割。私達はその事を無意識の世界でちゃんと知っていて、ただ役割を遂行するべく、そして自分達が生き延びていけるべく、ひたすら感覚を閉ざし無防備とはかけ離れたところで走り続けていたのだと思います。
そして今は・・。
昨晩、もう一人の私はこれからの私達の生き方に付いて考えていました。(このテーマは彼女の中では少し前から考え続けられていたようなのですが。)
私は・・。私は大切なものを持って生きるために何をしていこうかな。。7:29A.M.
| 2004年05月07日(金) |
純粋さと素直さをもって もう一人の私 肯定 |
不思議なことが起こりました。今朝の私達は、「純粋さと素朴さを持って生きたい」と考えていました。そしてそのままの人格で仕事へ出かけた為に把握できた仕事の中身はごくわずかで、作業が手付かずになっていることに対して私達の混乱が増しました。私達の人生に社会との関わりは不可欠なのですから、そんな仕事の合間に考えていたことは「純粋に生きようとするだけでは私達は社会と関わって生きていくことが出来ない」ということでした。度々入れ替わりそうな気配を抱えて混乱した中で自分を取り戻そうとする自分の行動だけはしっかりと見えていましたが、もう一人の私が現実に居ることはわかっていましたので、別の人格に入れ変わらないようにすることに全エネルギーを使っているのみでした。もう一人の私以外の別の人格の気配を無視することが出来ないまま何とか午前中の仕事を終え、私は一人の時間を作りました。肩の力を抜きたかった・・。私が今日改めて見た別の人格は子ども人格です。実は少し前からその気配を感じていました。でも私は現在知っている以上の新しい人格が出てくることに対して「NO」と言いたかった。正確には「No!」と叫びたい心境だったのです。 私は自分が成長していると言う証として、“優合”や“別人格との壁の度合い”を見ています。ですから、今になって新しい人格の出現があると言うことが、自分の成長が逆もどりしているように思えてならない、さらにその度に「私はいったい幾つの人格に切り離されているのか」と、傷の深さに身体が千切れる痛みを感じるのも耐え難い苦痛でした。ということで今日もまた私は遠くで見えている子ども人格の行動に混乱したまま中に入る事をして、現実に出ているもう一人の私はトイレでしゃがみこんだり一人の場所を作っては、何とか生きた一日でした。そして夕方、もう一人の私が、私Mamoの書いた日記を見て自分(もう一人の私)を責める瞬間に出会いました。少し分かりずらいのですが、Mamoが日記を見ている後ろから、自分を責める事を書いている部分をもう一人の私が見て、もう一人の私が「自分を責めているのはいつも私だ!」と叫んだのです。それを聞いた私の体から急に何かがストンと落ちました。そして「こんなに自分を責めなくても良いのではないだろうか」とか「自分たちが自分自身を責めてしまうのは、あなたのせいではない」という思いと同時にとても心地よい感触を味わっていました。それは過去に性の虐待を受けたAkariや優越感を持っていたkyokoの存在を受け入れたときの感触と同じでした。瞬間に私ともう一人の私は深く交わっているように思えました。
ここからがとても不思議な出来事なのですが・・・。(ふぅ〜。説明が難しいのですが少しでも明確に書き表しておきたいのです)シャワーを浴びていたもう一人の私が、Mamoに向かってこう言いました。実際には少し違った言葉なのですが、纏めるとこういうことです。 ?「現実では私よりもMamoちゃんが生きるのが良いよ」
M「えっ?」
?「FBするのは私だから、その時にはどうするか知ってる?」
M「うん一応・・」
?「アンカーしてね。私を引っ込ましても良いから。MamoちゃんがFBすると私が出てしまうから」
M「・・・」
?「Mamoちゃんが生きてね」
M「・・・あなたは?」
?「私はあなたをバックアップするから。Mamoちゃんは自分を意識して。そうすれば私が出なくても済む」
M「・・・」
?「あなたはプラスの好奇心を持っているでしょ。それを使ってたくさんの事をして」
M「子どもの人格が・・・」
?「知ってる。私の部屋にたくさん居る」
M「どうして?」
?「分からない。でも癒やしていけば良いでしょ。私には出来ないけど、あなたには出来る」
私は最後まで狐に包まれたような気分でした。一日の流れの中で偶然こんなことが起きて、私は今でも不思議で仕方がないのですが、ただひとつ、この風景を一言で纏めるのならば「肯定」と言う言葉がふさわしいのかもしれません。この後も実際に何となく小さな戸惑いを感じてFBしてしまったとき、もう一人の私は、Mamoに向かって「Mamoちゃん自分を意識して」と囁いたのです。そしてそこで私は何かを「怖い」と感じるもう一人の私に対して「怖いときには私を呼んで」と語ったのです。 私は又少し自分自身に対して違う見方が出来るように思っています。
| 2004年05月06日(木) |
死生学 人格の壁 無防備さ |
人生の折り返し地点は何処なのでしょう。人生80年どころか私の身近には100歳近くになられるお方も何人かお見かけします。生まれた人は必ず死にます。私は今、自分がこれからどんな生き方をしていくのかをじっくりと考えている段階です。うーん、過去の私達の生き方をどのように説明すれば良いのかがわかりません。とにかく私達は“私”として自分の感覚をもって生きてはいなかったのです。
ある本に、『人生を行き当たりばったりで生きている人は、ある日突然人生の折り返し地点に来ていることを知り狼狽する。じっくりと自分の人生を考えて生きている人は、人がいずれは必ず老いて死んでいく事を知っている』と書かれていました。私はどうかな・・。確かに20歳代の頃には時間もエネルギーもたっぷりあると思えていたのではないでしょうか。そしてもっと自分の人生を自由に使っているとさえ思えていたのでしょう。実際には生まれてから1年前まで私は、常に自分の人生がまるで別の誰かのものでもあるかのように、翻弄されながら生きていました。過去の私は自分以外の何かがすべてだったのかもしれません。仕事がすべて、子どもがすべて、家庭がすべて。自分自身の中にうずくまっている存在欲求を満たす為に、自分以外の何かを掴もうとしていたのでしょう。
本当はまだまだ私達は別々の行動をしています。けれど以前よりはずっと近いところで生きているのだろうと思います。別人格との距離の問題は、 “ 壁 ”と言う言葉で表わされるようですが、私達の壁はある人格との間ではとても薄く、又別のある人格との間ではもう少し厚く・・と、こんな風になっているのかもしれません。そして、距離的にもっと近くなる為に、優合する為に必要なことが何なのか、今は頭のずっと奥のほうで見えています。私がそれを心まで持ってきて受け入れていけば、もしかするとすぐにでも優合できるのではないかと思えます。
私は今日、無防備な女性たちを見ました。彼女達は目の前の人をほんの少しも疑っていないかのようでした。もちろん私は彼女達の人生のごく小さな一部分を見たに過ぎませんが、そんな彼女達と関わる自分の姿を私はいつもと見つめていたいと思います。23:30PM
FBすることや、マイナスの事をする自分を責めています。
持っている大きな風呂敷をさっと広げてみると、そこに何かがたくさん入っていて、私はそれらを更に広げるだけでよいのでしょう。
職場の人が何かに対して怒りを抱えているのも、自分の人生を乱暴に生きているのも、他者の事はすべて私のせいではありませんでした。部屋中の能力のリストを見渡して、私が抱えている風呂敷の中に入っているものはこの部屋に張り巡らされているすべての能力ではないかと感じました。
こんな事を考えていて、ふと、ではもう一人の私はどうするかと言う事を考えました。ちょうど6日前、私を手伝う人は「彼女の能力は何だろう?」と私に問いかけました。
彼女の能力・・・。続きを考える私の横で、自分自身に能力があると思うことすらいけないと感じる彼女が居ます。私はこの両極端な2面性をどうすれば良いのだろうと、更に更に考えます。
今朝は彼女が起きてきて、私はまたまた「何故私が起きていないのだろう」と考えていました。私達の場所が反対になるとき私は思考力を奪われます。ただマイナスの現実が見えているだけ・・。そしてそれでも、そのままの彼女のままで社会に出る事は自分自身の辛さを引き出すことになるのだと言うことを彼女は知っているのです。いいえ、もしかすると、彼女が社会に出ることの結果を知っているのは、実はこの私自身かもしれません。
まるで推理小説のようだなぁ・・。
「名前を変えたい」と言い続ける彼女。名前は変えたほうが良いと思いますが、なんと言う名前に??彼女が何と名乗りたいのかを私は知っています。そして私はその気持ちを無視しているのです。
| 2004年05月04日(火) |
自然 準備 “確かさ 模索すること” |
先日デジカメを買いました。自然の景色を撮ったり編集したりして出来た画像を自分のHPに使う事を覚えた私は小さなワクワクを感じながら、どこかで「私にはやることがあるのに、良いのかな?!」とも考えていました。でも、よく考えると良いのですよね。決心は変えても良いし、やりたい事を飽きるまですることが「大切なのかもしれません。だって途中でやめて自分を矯正させたとしても、頭の片隅に中途半端に残された欲求が残り、時々私の心をくすぶることに変わりはないのだから。
自然は素敵です。空にのんびり流れてる雲の切れ端も花がかもし出す心地よい香りも、人間の手でまったく同じものを作ることは出来ないでしょう。人も同じですね。変えられるのは自分だけなのですね。過去の人が弱者を集団として同じ色に染めようとしたのは何故ですか?更にそのまま染まる事を選んだ人は何故その生き方を選んだ本当の理由は何でしょう。
私はどんな生き方をしていくのでしょう。この何日か、目の前に大きな穴がぽっかりと開いていて、その中にこれまで学んできたものをシャッフルして入れれば良いだけなのだと感じています。これは私だけの思考で生きていくための準備が出来たのかもしれません。私のこれからの生き方のようなものをそこに入れたくなっているのだろうと考えています。ただしその為に、もう一人の私の頭がまとまる必要があるのですが・・。
ちがうなぁ・・。もう一人の人がまとまらなくても私一人でやっていれば良いのかな。そして実際に私は毎日生きているのだから、既に動いているのですよね。
今日私は自分の中に、言葉には出来ない“確かさ”を見ました。それは今は本当になんとも表現できないのですが、過去に「体がばらばらになりそうだ」とか「壊れてしまいそうだ」という言葉で表現していた感覚は、実はこの“確かさ”を少しずつ作り上げていたのかもしれません。生きるために必要な術のかけらが少しずつ寄り集まっているかのようにも思えます。おそらく自分でより集めているのですね。 自分の生き方を模索することはとても大切であろうと思います。人生は旅だと表現する人が居ますが、私達は旅の道具に何を使うかよりも、何を目的にするかを考える必要があるのです。マイホームとか車や仕事とか、物質的なものよりもはるかに価値があり永遠に持ち続けることが出来るものを私はもっと大切にしたいと思います。
私達はどんな風に生きていくのかな・・。よりよく生きるためにもう少し考えて生きたいと思います。
今日も仕事は忙しく、それでも周りの雰囲気から少し離れたところでワクワクしながら仕事をしている自分が居て、こんな自分を持続できると良いなあとつくづく思いました。「忙しくて目が回る」と言ってる人の話を聞きながら「私は眼が回ってないけど良いのかなぁ・・」とか。楽しいと感じているときにはどんな状況もマイナスには映らないのですね。
こんな風にして一昨日より昨日、昨日より今日、そして今日より明日と、私の目の前にある“確かさ”は少しづつ大きく膨らんでくるのだろうと思います。もちろん傷が癒やせた分だけですね。
| 2004年05月03日(月) |
生き方 纏綿状態 複数であること 彗星 ルコウソウ |
私はもう少し自分の感情のままに動いてみても良いのではないだろうと思います。何かの行動に付いて自分で評価してみたり規制をかけてみたり、まだまだおかしな事をしている事を感じます。
小さな戸惑いは本当に針の先ほどの小さな戸惑いなのですね。今日もまたいつの間にか違う自分になっていて、後になって別の誰かになっていた事を知るのですが、どうしてだろうと考えてみると、ほんの小さな戸惑いを無視している自分が居たのです。
いまさらですが、一昨日仕事中に「本当に複数だったんだ・・」と言う思いが私の心の奥底に飛び込んできました。その感情は正確にはもう一人の私の心から出てきたものなのですが、何故か私の所にまでとても強い勢いで入り込んできて、私はしばらく立ち止まったまま動くことが出来ませんでした。もう一人の私はこの何日間か自分の生活を観察していたようで、その中で感じる時間のずれに付いて考えていくうちに複数であると言う現実に辿り着いたようでした。そうですね。複数なんです。 本当は違うかもしれないとか、本当は世の中の人は皆そうではないかとか、何かと理由を付けて事実を否定していたのは、もう一人の私ではなくて、実はこの私“Mamo”なのかもしれません。
複数であるとは大変なことですか? 大変だったのかどうかはわかりません。私は私ひとりとしてしか生きてきたことがなかったから。一人で生きるということがどういうことなのかも今ははっきりとわからない。(時間と記憶が繋がるのだろうとは思えます)ただし楽に生きてきていないことだけは語る事が出来るかもしれません。自分の苦しかった過去を知っているから。
「纏綿状態」と言う言葉を知っていますか? AC関連の本には書かれているかもしれません。私が癒やしの作業に使っている本にも書かれてありますが、今少しだけ境界線のある人間関係を知り、過去のその状態の恐ろしさを感じています。とても口では言い表せない、弱いものの人格を一飲みにしてしまうような、そんな恐ろしさを感じます。
私はどんな風に生きたいのでしょう。私は何がしたいのでしょう。・・・自分に対してこのような問いかけをし始めて、そろそろ1年が経とうとしています。過去の私は、何かを発見してさえもそれ以前の自分を眺めては悲観していました。今日改めて過去の自分はそんな風に生きていたことに気が付き、呪縛の強さを感じました。過去の私は自分に新しい能力を見つけてさえ、生き辛さを抱えた自分を探しに行こうとしていたのです。時間は前にだけ進み、木は空に向かって伸びていくのです。人が歩くときも前向きで、鳥もトカゲも前を向いて生きていく、前だけ向いて生きていくのです。私もわざわざ後ろを向かずに、ただ前だけを向いて歩いていこうと思います。それが良いに決まってる・・・。
1週間ほど前、庭にルコウソウの種を植えました。2日前にようやく双葉が出てきて・・・夏にはきれいなお花が咲くようですが、どんな風に成長するのか私はとても楽しみにしています。
そうそう・・ご存知ですか?6月中旬まで、彗星が二つ見えるそうです。
今日は顔の神経がとても敏感になっている気がしました。私達はまだまだ痛みに弱いのです。痛みに弱いというよりは、体や心の弱さを持っている自分を見つめることが出来ないのだと思います。弱い自分を見ようとするだけで混乱してしまうのです。混乱状態のままで思考と感情を分離することは不可能なようです。当たり前か・・分離できていたら混乱していませんね。
昨日に続き今日もまた、昼休みを一人で過ごしました。外の景色を眺めながら午前中の仕事風景を思い出していました。社会の中で仕事をしながら生きている自分・・。違います。生きるために仕事をしている私・・。よーく観察してみると、周りの人の殆どは周囲の不確かな情報の中で動いているように見えました。自分の眼と耳で確かめたものではなく、誰かの言葉や情報で判断しようとしているのです。そしてその情報に少しだけ振り回されているようにも見えました。私はどんな風に仕事をしていきたいのかな。人が足りない中でそれぞれが動いていても、私がその時間に出来たことのみが、実際に私に可能な作業だったのだと言う事を何時もいつも意識できていたら良いなぁと思います。
・・今日の私は「一人で生きたい」と全身で思います。自分という人間の境界線を持ち、何が大切なのかを吟味しながらしっかりと生きていきたい。例えば仕事がなくなったら・・何かの肩書きを持たない私なら、私はいったいどうなるでしょう・・。こんな事を考えたとき、今の私はまだ苦しい部分を持って生きています。肩に力が入ってしまう自分も・・・。デモでも、こうして毎日いろんな事を考えながらそれを知っている私が今此処で生きている。傷にかかったガーゼを一枚一枚丁寧に剥がしていきながら。
昨晩の変化から一晩経ち、私ともう一人の誰かは殆ど同じ方向を向いて歩く姿勢となりました。頭の中にいる殆どの人格の姿が消えても、どうしても消えずにいて、ある時期・・多分1ヶ月ほど前から私と背中合わせに息をしていた彼女・・。消えない理由と消せない理由に挟まれて、私は少し前から “ 共生 ”という言葉を思い出していました。私 “ Mamo ” と正反対の思考を持つ否定的な “ 彼女 ”とが共に生きる?!・・・。私には受け入れられないことでした。“ 共生 ” はありえない。何故なら私は本当は一人の人間なのだから。だとしたら、今はメインになってしまっている彼女が私の思考を使って生きるのか、それとも私がまだまだ成長できるのか・・・でも今は少しも頭が回らない・・。回らない頭でも、それでも現実を知っていたい。・・・。そんな経過を得て受け入れた昨晩の提案でした。そして今日は・・昨日のそのままに小さな安堵感を感じている自分を、ただじっと眺めていながら、片隅で「何故私が現実に居ないのだろう」と考えていました。
成長していくたびにPotencyが積み重なっていずれは自分の行動のすべてがPotencyの材料になるのだそうです。もしもそんな風になれたなら・・・私はそんな風になりたいと思います。
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