| 2004年02月29日(日) |
スピリチュアル空間を目撃/にわかサイキック体験/おでこのチャクラ/ part2 |
→→→'040228分からの続きです♪
えーっと、いつものことだけど、話があちこち前後しちゃって ごめんなさい。
加勢さんの儀式が終わって、まず、加勢さんがステージに出てきて いらっしゃってるクライアントさんお二人のオーラカラーや その方の性格や、人生の指針となるようなメッセージを次々と おっしゃっていかれました。クライアントのお二人も、加勢さんに 引き込まれるように、頷き通し。ほっほ〜、タロットやら ホロスコープチャートやら、ツールがなくても、霊能者さんという 方が全部わかってしまうというのは、こういうことだったんだなぁ、 って。 いや、わたしそういう方にお会いしたことも、そういう方に 占って頂いたこともなかったので、びっくりの連続でした。
まさに、いつもえ○ら開運堂でTV越しに見ていたようなことが、 目の前で行われていて、そのなんだか現実離れしてしまって いるような不思議なことを目の当たりにして、今まで頭では 理解していた世界のことを、やっと感覚で理解できたような 気がしました。
守護さんからのメッセージを伝える場面では、お二人の守護さんの キャラクターが全然違っていて、それも面白かったのですが、 改めて、普通の人間としてこの世に生を送られてきた過去の方が 自分の守護さんになってくれているのだろうなあ、この世と あの世の距離なんて、本当は全然ないのかもしれないなあ、なんて 思ったのでした。
その後、関口先生と加勢さんお二人のトークショーに続いて、 質問タイムに。わたしは気になっていた、守護霊さんはどういう 方がなるのか、という質問をしてみました。加勢さんのお話に よると、守護さんというのは、子孫の繁栄を見守るために その人につくので、基本的にはご先祖さまと呼ばれる人たちの どなたかがなってくれるのだそうです。それでも必ずしも 血縁関係があるという訳ではなく、例えば養子縁組などで ある家系から別の家系の中で生きていくようなことになっても、 ちゃんとその人の為にも、どなたかが守護になってくれる のだとか。
そして、時には、複数の守護さんが入れ替わり立ち替わりで その人に付いてくれることもあるそう。わたしはその話を 聞きながら、父方のおじいちゃんが養子縁組をしていることや 母が幼い頃に実母を亡くして、継母に育てられてきたこと なんかを思い浮かべていました。今思うと、もしかして、 加勢さんにはわたしのそんな背景もご覧になれていたのかしら、、、?!
それと興味深かったのが、生まれ変わりのお話。加勢さんは 以前、みみずの生まれ変わりという方にお会いになったことが あるのだそうです。会場全体に、え?!という反応が起きた 後、加勢さんのお話が続きました。なんとその方は現世では 陶芸師さんなのだとか!!今度は会場みんなが、なるほどねえ、 って(笑 わたしも思わず同席していた弟と目を合わせて しまいました、弟の目もまん丸になっていました(笑
以前、陶芸をなさる方は、土を口に含んで、その味を見る ことで、粘土の質を知ることができる、というようなことを TVで見たような記憶があるけれど、まさに土の味を知っている みみずさんの為せる技だよなぁ!ってびっくり。まさかあの時 TVで見た陶芸師さんのお話ではないよねえ、、、(笑
その後も何名か色々な質問をなさって、ライブショーは無事に 終了しました。その後、加勢さんがオーラカラーを診断して 下さるという嬉しいイベントもあったのですが、わたしは Akademeiaの仲間が食事に行こうとみんなで集まっていたので、 列に並びかけてみたものの、断念して食事会へと向かったの でした(^^
La Bohemで楽しい食事会をした後、弟が教えてくれた カラオケ屋さんで二次会♪友達の家に泊まりに行く約束があるから、 とのことで、弟とはそこで別れました。そこでも結局ほとんど 歌は唄わず、ずーっと座談会状態(笑 なんとも楽しい夜を 過ごしたのでした。
始発が動き出す時間になり、それでは解散〜、ということで 最後まで残っていた4人も解散して、わたしはその足で、先日 引っ越しをしたばかりの実家の両親に会いに行ってきました。 弟も一緒に引っ越して同居しているのですが、引っ越し先の 土地柄をちょっと気にしていたので、結界を張るための クリスタルを届けに行く目的もあって。
駅に着いたのは7:00am過ぎ。家に電話したら、さすがの母も まだ寝ていて、申し訳ないなあ、と思いつつ押し掛けに(笑 着いたら父も起きていて、みんなで朝食のテーブルに付いたの ですが、わたしは何せ飲み明かした朝だったので食欲がわかず、 入れてもらった紅茶をすするのが精一杯でした。
引っ越ししたばかりの状態で、まだリビングが完成していなかくて、 どうすればいいと思う〜?なんて両親に相談されたのですが。 その時にわたしは体の不思議な変化に気づいたのです。 なんか、おでこチャクラが敏感に反応している?!って。 わたしが座った場所から、丁度対角線上にリビングのTVが 置かれていたのだけれど、最初はTVの音が飲み明かした状態の わたしには少しうるさく感じて、なんか落ち着かないのかと 思っていたのに、どうも違うらしい。
なんというか、TVの発してる、多分電磁波の類だったと思うんだけど、 そういうものが、とてもヘビーに感じられるんだ、と気づいたの です。朝食をとり終わった父が、丁度TVを乗せているラックの 組み立て作業の続きに取りかかったので、わたしは、自分が 怪しい人になってしまっているのを百も承知で、父に、TVの 向きを変えてみようと提言してみました。
両親の方でもTVの置き場所を考えあぐねていたらしく、じゃあ、 といって、ラックをどんどん組み立てながら、TVを移動する ことに。で、TVの件は落ち着いたのだけれど、また先程の 席に座ってみたら、まだなんだか居心地悪い。TVが置いて あった方から、まだ目に見えない何かを、おでこチャクラが 感じているのです。ん??と思ってよーく部屋を観察して みると、さっきまでTVが置いてあったのは、東南の角。 わたしが座っていた食事のテーブルの席は、丁度その対角線上に あって。
合ってるとか間違っているとか、わたしは風水とか方角ものの 勉強は全然したことがないのでよくわからなかったのですが、 とにかくおでこチャクラさんが、あそこの角のパワー、 ヘビー過ぎるよぅ、と悲鳴を上げている感じがしたので、 今度は両親に、ねえねえ、あそこの角になんか背のある植物を 置いた方がいいと思うよー、と提言してみました。
そんなわたしの様子を見ていた父が、妙なことを言い出したぞ、 という素振りを見せて、いたずら心に火がついたのか、 "パパはこのラックのこの場所をこうしようと思うんだけど、 どう感じる?"などど言い出すのです。あ、こりゃからかわれて いるな、と直感したわたしは、"パパ、大丈夫、そのラックからは 別に何のパワーも感じないから。"と答えると、父もにやにや として、あ、ばれたか、という表情。まあ仕方ないよね、今まで 自分でもそんな状態になったことないし、急に娘がTVの向きが 良くないみたい、あの角、ちょっと気になる、なんて言い出したら 怪しいと思うのが当たり前で(笑
その後で、結界を張る前にとりあえず家の中を浄化しておこうと、 ネイティブインディアンのホワイトセージを焚くけどいい? と許可をしてもらって、もくもくと煙を焚きながら家中を あちこちと歩き回るわたしの様子を見て、母は、"なんか だんだん magicianみたいになってきちゃったねぇ"とぽつり。ははは(^^; すんません、怪しいのは百も承知なんだけどねえ(笑 両親の 前でこういう姿を見せたことなかったので、なんか強烈だった ようです(笑
ちなみに前にも登場させましたが、うちの母は育ちがメリケンなので 発言が時々バタ臭いです。彼女が言ったmagicianという言葉も、 ここでは手品師ではなく、魔術師という意味で、多分、わたしが 魔法つかいみたい、ということを言いたかったのでしょうね(笑 こりゃタロットのthe magicianのイメージだあねえ〜(^ー^
一通りコトを済ませて、前日からほとんど睡眠をとっていなかった わたしは、いよいよ限界、と弟のベッドを借りて仮睡眠を とらせてもらうことに。1時間くらい寝かせてもらってから、 食事しよう、と昼食を食べに3人で出かけ、その足で駅前の 巨大スーパーに入って、先程の部屋の角に置く植物を物色しに。 家にあう植物はどれかなぁ、と探していると、またおでこチャクラ がびんびんと反応し出すので、わたしはこんな子どうかな? と思った一人一人の植物の前に立って、ちょっとおでこの辺りに 意識を持っていって、エネルギーの交感のようなことをして みつつ。
う〜ん、このゴムの木ちゃん、あの家のリビングに雰囲気も あうし、おでこチャクラも反応しているし、この子がいいわぁ、 と決めたのですが、全く別の観点で、癒し系植物の条件を ○×式にリストアップしてある表とにらめっこしながらどの木に するかを考えていた両親に、えー、この値段でこのゴムの木が 買えるなら、ちょっと高くなっちゃうけど、このリストだと もっと○がいっぱい付いてる、あの木にしよう、と告げられ、 なんだかなあ〜、と思いながら、まあ、買って育てるのは 両親だしな、その意志は尊重せねば、と大人になって、 特におでこチャクラに強い反応はなかったけれど、両親が 気に入っていた"幸福の木"さんをもう一度見に行って、 両親の家でよろしくね、とお願いしてきたのでした。 ちなみにこの"幸福の木"は、ハワイなどでは、家の守り神と して、重宝されている木なのだとか。縁起はよいのかも(^^
まあ、そんなこんなな二日間。期せずして、にわかサイキック 体験もできた面白い週末でした。わたしにとっては、QACと Air WorksとAkademeiaという、恵比寿のお気に入りの 3拠点が結び合わさって、青山という、これまた思い入れの ある場所で花開いてくれたのかな、という秘かな思いも。
占い師にはなってみたけれど、きっとまだまだこの先もこうやって いろんなことを学んでいくんだろうな。
| 2004年02月28日(土) |
スピリチュアル空間を目撃/にわかサイキック体験/おでこのチャクラ/ part1 |
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★☆今日のbody☆★
昨日の夜、寝る前に腰が痛くなり。朝起きて、そろそろせーり 始まる頃のはずだよなぁ、とぼんやりしていたら、やはり せーり開始しました(笑
いつもはせーり前にえらく鬱になったりするのに、今回は そんな暇もなく、鬱にならずに無事に当日を迎えた。 けど、朝からなんだかテンションが変で、ちび達のちょっとした 言動にぴりぴりして、自分でも機嫌が悪いなぁ、と思いつつ、 大声で叱ったりしてしまった。
夜ちび達を寝かしつけながら、なんでこんなにイライラ してるのかなぁ、って思って、あぁ、そっか、せーりだからか、 って。申し訳ないっす。若干、せーり痛。明日ひどくなったら 鎮痛剤でも摂りますか、、、。んにゃ、今日は寒いし、 体が冷えて悪化しちゃうと辛いから、寝る前に飲んでおこうかな。
ところで、せーり開始を満月チャンネルに合わせる計画、静かに 敢行ちう。あと半年くらい、かかるかな?!って、自分の 意志ひとつじゃどうにもならないと思うんだけど(笑 まあ、その辺の考察もまたいずれ。
あごとおでこに一粒ずつにきび。あ、いや、吹き出物か(笑 ちぇっ、10年昔なら、"思い、思われ、"とかいってヨロコビ だったんだろうなぁ、、、(ーー; って、その時分で既に もう充分、青春のシンボルじゃなくて、吹き出物な年頃で はあったんだが。
☆★今日のmind★☆
さてさて。先週の土曜日、青山の某所で、面白いイベントに 参加してきました。西洋占星術の関口シュンさんと、スピリチュアル・ カウンセラーの加勢康晃さんのトークライブです。関口先生には今、 akademeiaでライティング講座でお世話になっていて、加勢さんには、 先日、Air Worksにてお会いしたばかり。そんなお二人の合同イベント だったので、弟や学校の友達と誘い合わせてわくわくしながら 駆けつけた次第。
普段は元々、出不精だし、子供のこともあるからなぁ、って あれこれ考えてついつい出かけるのが億劫になってしまいがちで、 実際、去年のわたしだったらこんなイベントでもでかけていなかった と思うのですが。
なにしろ今のわたしは、natalの木星にtransit木星が12年ぶりに 乗っかりつつある、素敵な予感の時期なので、この先の新たな 12年間に向けての種まきの為に、色んな人に出会って、色んな可能性を 探してみようかな、という珍しいチャレンジャーぶりを発揮しております。 ちなみに、12年前のこの時期、旦那と出会い、なんだかんだで今じゃ 3人の子持ちに。この、家族の増えた感じが、実に木星っぽくて、 笑っちゃいます、ついでに体重も増加しました(笑
果たして、今後の12年で、何が起きるやら。とりあえず、 目指すは、9年後のhawaii移住です←気付け代わりに宣言しておこう♪
えらい勢いで話が逸れてますが。 会場の入り口で、のっけから嬉しいハプニング(^^ 先日、電撃ゲットしたルベライトさんのブレスの作家さんである 神崎さんらしき方が立っていらして、うむぅ、きっと神崎さんに 違いない、と思いつつ、まだ面識がないので、違ったら恥ずかしいので "神崎さんなんだろうなぁ"ビームを発しつつ、(←どんなビームだ(笑)) にこにことお辞儀をして誘い合わせた連れと一旦通り過ぎました。
会場に上がろうと階段を登りかけたら、後ろから"あのぉ、もしかして ルベライトの、、、"と声が。おっ、やっぱり〜♪と、振り向いたら 案の定、先程の方が神崎さんご当人だったようで、わたしは連れていた弟を 放ったらかして、てけてけ階段を降りてご挨拶に。なんと神崎さんは 握手をして下さって、わたしはお会いできたことが嬉しくて、 しっかり着けてきたルベライトさんベルトを、しゅっき〜ん、と 見せびらかしちゃいました(^^ いやぁ、素晴らしい作品の作家さんに 直々お会いできる、って、どうしていつもこう感動するんですかね!! いや、まあ、当然といえば当然なんですけどね。
のっけから縁起がいいので、ほくほくしながら会場に上がると、 今度はそこに、Air Worksの桑坂さんが受付をなさっていました。 またまた嬉しくなって、へこへこお辞儀しながら、神崎さんが気づいて 下さったことなんかを報告しつつ、受付を済ませて会場に。そこで加勢さんを お見かけして、ご挨拶。すでに沢山の方が集まっていらして、加勢さんも お忙しそうにあちこちと歩き回っていらっしゃいました。
安藤忠雄さんの設計したという建物だけあって、場内もなかなかステキな 雰囲気。よくよく見回すと、そこかしこに、知ったお顔の面々、 akademeia組が結構来場してました。あんじゅちゃんに一緒に チケットの手配をしてもらっていた、ロミ姉さんも先にいらしていて 席を取っていて下さっていました、thank you♪ お仕事で遅れてきた あんじゅちゃんも、無事に場内に辿り着いたところで、丁度イベント 開始の時間になり、関口先生ご登場。続いて、先生のご紹介で、加勢さんも ステージに。ステージに上がると、なんだか普段知っている先生方とは違う 人に見えてきて、ちょっと不思議な感じがしました。
三部構成で、最初は関口先生の、ホロスコープチャートリーディングから。 加勢さんがお二人、会場からサンプラーさんを選んで、その方達の チャートを作って、占ってみよう、という試みでした。今回はハウスや アスペクトはほとんど触れずに、天体とサインのみで読んでいらっしゃい ました。テーマは恋愛がメインで、それぞれのサンプラーさんの 恋愛の傾向や、相性の良い相手はどんな人か、結婚したらどんな風に なるか、などを考察していきました。
占いとはいえ、大人数の前ではなかなか突っ込んだところまでは掘り下げる のも難しいのか、授業中に比べると、少々お手柔らかな気がしましたが(笑)、 それでもわたしは、まだ関口先生のライティング以外の授業はほとんど 受けたことがなかったので、ほほぅ、と思うことも多く、思わずメモ書き しまくっていました。恋愛と結婚がメインのテーマだったので、太陽、月、 金星、火星だけでほとんど読み進めていったので、わたし的にはちょっと 物足りない気もしましたが、初めて本格的な西洋占星術に触れた方には、 きっと興味深い内容だったんじゃないかなぁ(^^
休憩を挟んで、加勢さんのスピリチュアル・カウンセリング、スタート。 こちらは、関口先生が場内からサンプラーさんを選ぶことになって いたので、まあ、無理だろうなぁ、とは百も承知で思い切って挙手して みましたが、案の定選んでもらえず(笑、残念ながらサンプラーには なれませんでしたが、なかなか見物でした。
スピリチュアル・カウンセリングって、どんなことをするのか、 ほとんど知識もなかったのですが、加勢さんは守護霊を見ることが できるらしい、ということだけはホームページでみて知っていたので、 んー、これはもしかして、生エ○ラ開運堂体験できるかも?!と 興味津々ではありました。
そして、それは加勢さんが、何やら儀式のようなものを始められた 直後のことでした。最初は、お〜、なんか始まったわ、あれは 呪文を唱えていらっしゃるのかな?!なんて興味津々で加勢さんの ご様子を見ていたのですが、なんか変。変というのはもちろん、 加勢さんのことではなく、わたしが、なんですけど(笑 なんというか その儀式をじーっと見ていてはいけないのかしら、という感じが してきて。というのも、その儀式を行っていらっしゃる加勢さんから なんだかわからないけど、パワーを感じるのです。パワーというか、 エネルギーというか。とにかく目に見えない何か。
その目に見えない何かが段々強烈になってきて、わたしは加勢さんを 直視しているのもままならなくなってきて、そわそわと落ち着かない 感じになりました。加勢さんを見ていようと思っても、なんだか 目がしばしばしてしまって、ちゃんと見ていられないのです。 んわっ、なんか来たわと思って、わたしはその日、こっそり ポケットに忍ばせてきた"メンブレス・ゴールド"という石の タンブルを両手に1つずつ握ってみました。
いやぁ、実はこの日、わたしは会場で何かをキャッチできるんじゃ ないかという密かな期待というか予感を持っていたので、自分でも よく意味はわからない行動だったけれど、家にいる石さん達を何人か 連れ出してきていたのでした。その中の1つが、つい先日QACで 手に入れたメンブレス・ゴールドという石だったのです。QACの オーナーの直子さんが、アメリカで買い付けてきた石なのですが、 QACのメルマガで、その石が紹介されていて、さっそくその直後に お店に飛び込んで、たまたまいらした直子さんに、"あのなんとか かんとか〜、っていう石どれかな、どれかな〜"と慌てふためいて 聞いて、その場にいらした直子さんと前川さんに大きな?マークを ひっつけてしまいつつ(笑 ああ、メンブレス・ゴールドのこと でしょ?!って。
そういえば、思い出しましたが、メンブレス・ゴールドのタンブル ちゃんたちにこうして巡り会ったのも、ルベライトさんと出会った 日だったんだった、、、。ルベライトさんのブレスレットに大枚を はたいてしまった後のちょっと心細いお財布の中状態だったので、 覚悟していた予算よりずーっと可愛いお手頃お値段で入手できたのが 嬉しかった♪ 授業直前に飛び込んで、まるで急ぎ働きのように ばたばたと慌ただしく飛び出してしまったのだけれど、とにかく その日から、ほぼ毎日のようにメンブレス・ゴールドちゃんたちは わたしの手に握られて、ワークとも、瞑想とも、時には入眠の 儀式ともつかない(笑 ベッドのお供になっているのです。
で、このメンブレス・ゴールドちゃんという石は、直子さんも 初めて出会った石なんだそうで、ニューメキシコのネイティブ アメリカンである、メンブレス族の土地で見つかった石だそうで、 "第三の目のブロックを取ってくれる"という作用があるのだとか。 確かにベッドにごろんと横になって、両手にタンブルを握って いると、なんとなくおでこのあたりにむずむず感がきます。 最初に一緒にワークした時は、なんかよくわからないけど、 近未来の戦車みたいな、メカニックな物体が見えました。 あれは何だったんだろう?!
と、メンブレス・ゴールドちゃんをご紹介したところで、話を 戻すと。加勢さんの儀式中に目がしばしばしちゃったので、 もう加勢さんを凝視することは断念したのですが、メンブレス ゴールドちゃんのタンブルを握ったまま、なんとなく加勢さんを 目で追うようにしている内に、儀式終了。でもねー、不思議な ことに、その儀式の間に、本当におでこのあたりから、鼻筋を まっすぐ上にのばした辺りの頭のてっぺん辺りまで、じんじんと 何かを感じるように。
そういえば、目がしばしばした感触というのも、以前経験した ことが。それはQACで直子さんにクリスタル・ヒーリングして もらった時だったんですが、わたしがピックアップした石を 1つずつ直子さんがベッドに横たわるわたしの上に並べて いってくれて、わたしは石で体中を飾ってもらえるという (あ、ちょっと解釈違うか(笑))至福の一時を過ごさせて頂いた んだけど、その時に、おでこに乗せてもらった石に反応した みたいに、おでこにおいた緑色の石とよく似た光をおでこに 強烈に感じて、目をつぶっていたのに目がしばしばしてしまった のでした。
加勢さんの儀式を見ていた時にも、これとよく似たような感覚が あったのです。んー。わたしはまだまだ不勉強で、これが何を 意味しているのか、理解できていないのだけれど、もしかしたら おでこチャクラにエネルギーを感じる時って、こういう現象が 起きるのかな?なんて。ということは逆に、直子さんがヒーリング してくれた時にも、おでこチャクラが反応していた、っていう ことだったのかしら?!
→→→'040329分の日記に続きます。
| 2004年02月25日(水) |
夢の効用/虐待の亡霊とACコンプレックスからの解放 part4 |
そうやって、徐々に徐々に、心の平安を取り戻していって、 去年の夏頃、ある本と出会いました。"本当にやりたかったことを やりなさい"という本です。アメリカの、アーティストが 書いた本で、ものを作ることを諦めてしまった人に、ものを作る ことの大切さを説いて、再びクリエイティブ・マインドを取り戻す ことができるようにする、12週間のプログラムが組まれているのです。
丁度、ぴよ子の夏休みに入る時期で、わたしはその時期を利用して、 その本に沿って、リハビリをしてみることにしたのでした。 心に平安が戻ってきたとはいえ、まだまだふとした事で、情緒不安 定になってしまうことが続いていて、もうこれ以上、こんな自分で いたくない、こんな自分でいることで、周りを振り回したくない、 と不安に駆られている日々でした。そんな時にふと目に留まった その本は、まるで天からの一筋の光明のように、わたしの心に栄養を くれたのでした。
本にプログラムされていることを実行していくにあたって、普段なら していなかったような行動が増えるので、旦那の目には不信感が 露わになっていましたが、それでも、わたしを信じて欲しい、と、 本に書かれていること、自分が今何をやろうとしているのかを 手紙にびっしり書いて、旦那に読んでもらったりもしました。夏休みが 終わり、普段の生活が戻って、結局わたしはプログラムを最後まで 遂行することはできなかったのですが、それでも、効果はあった ようでした。気持ちに軽さや自由さが戻ってきたのです。ああ、 わたしにも、まだやれるんだ、という気持ちが戻ってきたのが、 最大の救いでした。
それでも、まだ、心に巣喰っていた澱みを垣間見てしまったわたし には心の端に引っかかるものが残っていました。いつかまた、子供と 心の交流ができなくなった時、わたしは同じことを繰り返してしまう かもしれない、とずっと恐怖に似た気持ちを抱いていたのです。 秋になり、旦那のおばあちゃんの危篤状態が続く頃、今まで経験も したことのないようなことが立て続けに起こり、そんなことへの 恐怖心も相まって、わたしは、クリニックとは行かないまでも、 なにか、ヒーリングを受けてみようかな、という気になっていました。
それまでは胡散臭い、と思っていたジャンルの世界だったのですが、 わたしは、今まで胡散臭いと思ってきた世界を、子供の頃のように、 また受け入れることにしよう、とある日、決心した背景もありました。 ネットであれこれ検索をかけて調べていたら、ふと目に飛び込んで きたのが、色々なパワーストーンを体の上に並べてヒーリングを する、というクリスタルヒーリングだったのです。
何カ所か当たりを付けて、一番通う距離が近いお店に電話して みた所、その日は、他の予約が入ってしまっていて、当日は 無理とのこと。その日だったら空いていたのになぁ、、、と 思いつつ、そのお店は諦めました。
それでしばらく、クリスタルヒーリングのことは諦めていたのですが、 自分でも石のことをもっと勉強してみよう、と本屋でクリスタル ヒーリングの本を買ったり、今まで行ったことのなかった石のお店に 足を運んでみたりしてました。そういえば、QACにも、なんか クリスタルの本が置いてあったなぁ、と久しぶりにQACを覗きに 行って、クリスタル・ジャーニーという本を買ったのでした。 JaneAnnさんという、クリスタル・ヒーラーの人が書いた、やたらと 豊富な石の種類と、豊富な情報量のある、面白い本でした。
そして、あれ?この人ってもしかして、、、?と思い、後日また QACに行ってみると、確かに、お店の一角に、JaneAnnさんの 写真が飾られているのです。そして、その周りに、JaneAnnさんが ワークで使っていたという石がたくさん並べてあったのでした。 その石たちの前でしゃがみ込んでいたら、お店のカウンターで 元気におしゃべりしていたお姉さんが一人、つかつかとわたしの ところにやってきて、話しかけてきてくれました。後で知ったの ですが、それがQACのオーナーさんの、直子さんだったのです。
結構何度も通っていたのですが、直子さんにお会いしたのは、 その日が初めてでした。そんな初対面のわたしに、直子さんは 小さな椅子を運んできてくださり、まあまあまあ、これにかけて、 ゆっくり見ていってやってくださいよぉ〜、と声をかけてくれた のでした。それでも、何をどうしたらよいのかわからず、躊躇して いたら、直子さんが、今自分の考えてることを頭に浮かべて、 じっと心を静かにしてから、目を開いたら、何か石が光って見えたり これだ、って思えたりするから、そういう石を選んでみて、と アドバイスをしてくれました。
しばらく石を眺めてじーっと考えてからわたしが選んだのは、ごろっ としたクリスタルと、ピンク色のインカローズ、ロードクロサイト でした。直子さんは、あぁー、いいね〜、いい感じ、今頭に思い 描いたことは、ちゃんと手にすることができるから、そのまま そこに向かって歩いていくといいよ、というようなことを言って くれました。
わたしはhappyに超がつくような思いで、家に帰り、また石を 観察したり、本を読んだりしていたのでした。そして、QACの サイトを覗きにいって、初めて直子さんがオーナーさんで、 実はクリスタルヒーリングもなさっていることを知ったのです。 あー、これがご縁だったんだぁ、、、。わたしはそう思い、後日 QACに電話して、直子さんのクリスタルヒーリングの予約をさせて もらうことにしました。外出中なので、スケジュールを確認して 折り返し連絡させて頂きます、とのことで、直子さんご本人とは お話できなかったのですが、しばらくしてからスタッフの方から ご連絡頂き、なんと希望した日に予約を入れさせて頂いたのでした!
はぁ。またこんなに長くなってしまった。直子さんのヒーリングの 話は、詳しくはまたの機会にするとして。QACのサイトで、直子さん も、子育て中のお母さんと知ったわたしは、直子さんに子育てに 関する相談もしてみたのでした。直子さんは、全然心配すること ない!と言い切ってくれ、ヒーリングが必要な状態ではないけど、 でも、やっぱり石を使って経験してみたいでしょ?!と、憧れの クリスタルヒーリングを体験させて下さることに(^^
じゃあ、インナーチャイルドに会いに行ってみましょう、と その日は、わたしの中の子供時代のわたしに会いに行くことに。 ついでに、他の人にも会ってしまったのですが、やはり長く なるので、詳細はまた後日(笑
とにかく、そんなんで、わたしは初めてインナーチャイルドに会いに 行く、というワークを経験して、これからも続けていってみてごらん、 という直子さんの言葉に従って、月に1度くらいのペースだけど、 時々、石と遊んでるついでがてらに、時間が空いた時に、子供の わたしに会いにいくようにしています。まだ、完全に仲良しに なった訳じゃないけど。この間は手を繋いで歩けました。
んー。なんでこんな話になったかと言えば、冒頭に出てきた、 今日の昼寝の時に見た夢の話に戻るんだけど。←こっからかい(笑
おととし去年と、さんざん色んな不思議な夢を見続けていた わたしは、夢のことに興味を持って、なんとか夢占いやら なんとか夢辞典やら、と言う類の本を読みあさっていたんです。 その時に知ったのですが、夢にも、色んな効用があって、その中の 1つに、もう過去のことは終わったんだよ、と夢が教えてくれる ことがある、というのです。
終わったよ、過去のことになったよ、と、夢が語りかけてくるのだ そうで、つまり、過去の辛い経験は、本人が受け入れられる準備が できていない内は、深層意識にしまい込まれてしまうのだけど、 本人がその過去を思い出しても大丈夫なくらい快復すると、夢と なって思い出させて、もう大丈夫、過去のことだよ、という メッセージになって表れることがあるのだそうです。
今日のお昼に見ていた、娘を攻撃してしまう夢は、まさにその夢 だったんじゃないかな、と、起きて頭が醒めてくる間、ぼんやりと 考えていたのでした。すごくイヤな夢だったのに、あ、前にこんな 気持ちになっていた事があったな、と思った。しかも、そういえば、 最近、こんな風な気持ちになったこと、なかったな、って!!!
何が、ここまでわたしを快復させてくれたのか、本当の原因は わからない。たまたま、子供の成長過程で辛い時期にぶつかって しまっていただけだったのか、はたまた、わたし自身が危うい 時期を迎えていただけだったのか。旦那の仕事が忙しくて 追い込まれていたのか、自分のやりたいように生きていなかった ことに、目をつぶってきたからだったのか。インナーチャイルドの 声を無視してきたからだったのか。それとも。その全てが複雑に 絡まっていた事が、原因だったのか、、、。
何か効いたのかはわからない。でも、確かにわたしは変わったみ たい。相変わらず、3人の子供に翻弄されて、一人一人にきちんと 手をかけてあげられず、本気モードに入ると、ほんっとに怒るよー! と宣言してから、デカい声で叱りとばしたり、手に余る時にはやも ちゃん達には、げんこつ喰らわせたり、おしりペンペンしたりして いるけど、わたしは子供に怒ることが、前よりちょっとだけ上手に なったかもしれない、と思う今日この頃なのです。前みたいに、 怒りと同時に、憎しみのような激情に駆られることが無くなった みたい。叱っている時の訳のわからなさが軽減してきている感じ。
いろんな場面でわたしを助けてくれた色んな人たちに対する 感謝の気持ちでいっぱい。みんな、ありがとう!!
そして改めて思いました。求めれば与えられる、って本当だ、って。 すごく長い時間かかったし、回り道もしたけど、わたし、なんとか アダルト・チルドレンコンプレックスから抜け出すことができそう。 子供達をちゃんと素直に愛することができそうな気がしています。
| 2004年02月24日(火) |
夢の効用/虐待の亡霊とACコンプレックスからの解放 part3 |
ところが、その話し合いがあってから1週間過ぎた頃、ぴよ子が ちょっとした事件を巻き起こしてしまったのです。実は兆候は 既に表れていました。気のせいかな?とは思っていたのですが、 園にぴよ子を迎えに行っても、よそのお母さんにべったりと 甘えに行って、なかなか家に帰りたがらなくなっていたのです。 気のせいかな、そんな時期もあるのかな?お友達の家になかなか 遊びに行けないからかな?と思おうとする反面、遠い過去に、 わたしも、同じようなことをしていた記憶が甦り、え、、、 まさか、この子、わたしを怖がってる?!というショッキングな 直感が頭をよぎったことがあったのでした。
それからしばらくしたある日。お迎えに行ったら、ぴよ子が 誰々ちゃんちに遊びに行く!と駄々をこねました。誰々ちゃんの ママは、ぴよ子がよく甘えていたお母さんです。それでも、 その日は、ぴよ子は、明らかにテンションが変で、これは 遊びに行かせても、相手のお母さんが大変になるかもしれない、 と思い、一旦は断ろうとしたものの、ぴよ子が泣いてきかず、 押し切られるように、遊びに行かせてもらうことにしたのでした。 相手のお母さんが車で園にお迎えに来ていたこともあり、わたしは 園庭でよろしくお願いします、とぴよ子を預け、そのまま、帰路に 着いたのでした。
でも、家について一息つくまでもなく、携帯が鳴ったので、 出たら、ぴよ子と一緒に子供を遊びに行かせることになっていた お母さんからの電話。ぴよ子が泣いて大変だから、やっぱり 迎えに来て欲しい、との連絡だったのです。大慌てでトンボ返りして 来た道を園に戻ると、駐車場の側で、ぴよ子が大泣きしていました。 事情をよく聞いてみると、ぴよ子が、お友達のママの手を繋ごうと して、お友達とママの手の取り合いになって、喧嘩になって、 お友達の顔を引っ掻いてしまった、というのです。
人に手を出すことは厳しく叱っている為、滅多なことでは お友達を叩いたりするような子ではないのに、よりによって 顔を引っ掻いてしまうなんて、、、。コトの異常さに、わたしは ぴよ子のせっぱ詰まった気持ちを感じ、とにかく今日はお家に 帰ろう、とぴよ子を引き取ろうとしたのですが、ぴよ子は、 わたしの元に来るのを嫌がって、お友達のママにしがみついて 離れようとしませんでした。
それでも、相手のお母さんたちにも、もうこれ以上ご迷惑 かけられないと思い、何度もごめんなさい、と謝りながら、ぴよ子を 抱きかかえて、取り押さえると、ぴよ子は大泣きしていやだいやだ、 と泣き叫びながら暴れて、抱きかかえるわたしの手を思い切り 噛んだのでした。それは大人のわたしでも、思わず痛いっ、と 声を上げてしまうくらいの、渾身の力が入った噛み方でした。
その様子にぴよ子は我に返ったのか、暴れるのを止めました。 わたしは痛みと、噛まれたショックと、ぴよ子の不憫さと、 自分自身への情けなさでぐちゃぐちゃになった気持ちで、 ぴよ子に、ごめんね、ごめんね、と謝りながら、その場に しゃがみ込んで、ぴよ子を抱きしめたまま、泣き崩れて しまいました。そうしてしばらく二人でオイオイ泣いていたの でした。
少し落ち着いてから、二人で木陰に移動して、ぴよ子と お話しました。ごめんね、まーちゃん、ぴよ子に、いっぱい 怒ってばっかりだったね。ぴよ子、まーちゃんがぴよ子のこと、 好きじゃない、って思っちゃったんでしょ?と聞くと、 ぴよ子はこっくり頷きました。そして、ぴよ子も、噛んで しまったことを後悔していたのか、まーちゃん、ごめんね、って 謝ってくれたのでした。
こんなにもこの子のことを追いつめてしまっていたんだ、、、 そう思ってわたしは愕然としました。そして、激しい 自己嫌悪に襲われたのです。絶対やらない、って決めていたのに、 子供を追いつめるようなことをしてしまった。やっぱりわたしは 親になんてなっちゃいけなかったんだ、と。
この事件がきっかけで、わたしは自分のやらかしてきたコトの 重大さに気づいて、目が醒めたような思いでしたが、一方では もうどうしていいのかわからないような気持ちになってしまい、 すっかり子供を育てていくことへの自信を失ってしまったの でした。
ぴよ子とはその場で仲直りしたのですが、だからといって、 わたしがしばらく続けてきてしまっていた悪癖がすぐに改善する ハズもなく、それからしばらくして、ある朝、またぴよ子と くだらない意地の張り合いで、大げんかをしてしまいました。 ぴよ子が生意気なことを言うので、わたしも頭にきて、そんな こと言うなら、今日はお弁当作らないから!と言い放って、 寝室に閉じこもったのです。わたしは、なんとしてでも、ぴよ子に 謝らせたかったので、下から聞こえてくるぴよ子の声や様子を 伺いつつ、謝ったらお弁当を作ってあげよう、などと、冷蔵庫の 中身を思い浮かべながら、献立などを考えていたのでした。
ところがいくら待ってもぴよ子が寝室に上がってくる気配が ないのです。よくよく耳を澄ませると、おかあさんがぴよ子に 心配させないように気を利かせて、お弁当は後で持っていくから、 とか声をかけて、園に送り出す様子でした。わたしは、え?? 何??余計なこと言わなくて、いいのに、これはぴよ子と あたしの問題なのに、、、とフォローをしてくれていたおかあさんに 頭が来てしまい、旦那がぴよ子を送ってくれた頃を見計らい、 下に降りて、おかあさんに、あんな風にしてくれなくてよかった、 これはあたしとぴよ子の問題だから、と言い放ってしまったの でした。
おかあさんはおかあさんで、ぴよ子からは何の経緯も聞いて いなかったようで、最初はわたしが単に寝坊してお弁当を作るのを さぼったと思っていて、それで怒って、ぴよ子に心配かけない ように、ぴよ子を安心させるような言葉をかけてあげていて くれていたようだったのです。それでも、わたしが、ぴよ子が 謝りにくれば、お弁当を作ろうと思っていた、と言い返したら、 謝りに行けないような育て方してるからでしょ、あなたの やり方は幼児虐待だよ、と厳しい口調で言い放たれてしまったの でした。
ほんの数日前、自分の叱り方がエスカレートしているのが 心配、とおかあさんに相談して、平気だよ、って慰めてもらった ばかりだったのに、おかあさんに、そんな事を言われてしまい、 わたしはパニックを起こしてしまいました。そして、言葉に ならない大声を張り上げて、その場で泣き崩れてしまったのです。 何も考えられなくなってしまい、放心状態で泣き続けました。 そこにぴよ子を園に送ってきてくれた旦那が帰ってきて、 事態の異様さに、ただならぬ気配を感じた様子で、わたしを 構いにきてくれました。
それで、わたしはやっとの思いで、心の底に溜まっていた 思いの丈を、絞り出すように、吐き出したのでした。 実はその頃、旦那の仕事が忙しく、3ヶ月以上、一日も 休みがとれず、明け方家に帰ってきては、ベッドに転がり込み、 起きて昼過ぎには仕事にむかってしまう、という生活が ずっと続いていたのでした。折り悪く、子供たちが風邪を引く シーズンで、毎週毎週病院に通うような日々が何ヶ月も続き、 看病疲れもあり、わたしはくたくたになっていたのです。
旦那に、休みの日はないの?と聞いても、仕事の事で頭がいっぱいの 旦那には、ボロボロになっていたわたしの様子すら、面倒なことの ようにしか映っていなかったらしく、わたしが追い込まれている ことに、気づこうとしなかったようでした。ただ疲れて帰って きても、わたしが不機嫌なことに逆にイライラしていたようで、 しょちゅう喧嘩して、いやな雰囲気になっていました。
ストレスが溜まっているようなことには、きっと気づいていたの でしょうが、わたしがここまで追い込まれていることには 気付かなかったらしく、事態の深刻さに気づいて、驚いた様子 でした。その日と、その翌日、旦那は仕事を休んで、わたしの 側にずっといてくれました。それだけで、どれだけわたしの 気持ちが楽になったことか、どれだけ安心できたことか、、、。
しばらくして、これは心の病かもしれないから、と思い、 以前Akademeiaで心理カウンセリングの授業をとってお世話に なっていた、藤原先生に、カウンセリングにかかった方が いいのか、カウンセリングにかかるなら、どこかいいクリニックを 紹介して頂けないか、とメールを送ってみました。先生からは、 本人が辛いと思うなら、カウンセリングを受けてみるのも、1つの 手段だと思う、ただ、受けるなら、カウンセラーをしっかり 見極めた方がいいし、相性によっては、受けない方がよかった、 という事態になる可能性は否定できない、というような主旨の お返事を頂きました。
それを読んでから、わたしは改めて旦那に相談をしてみました。 一度、カウンセリングを受けに行こうかな、って考えてる、と。 前々から、依存症の癖があることや、プチ鬱のような症状を 自覚していて、以前にも、旦那にそんな相談を持ちかけたことが あったのですが、薬を処方されるだけだよ、止めておきな、と わたしの身を案じて反対されていたのです。でも、今度こそ 本当にやばいかも、と思って相談してみたのでした。すると。 僕ですら知らないような、何か別のすごいモノが引き出されて しまうかもしれないから、やっぱり止めておいた方がいいよ、 と反対されたのでした。
確かに、まだまだ手の掛かる子供を抱えてる今の状況で、そんな わけの分からないものを掘り出してしまって、それを解消する のに、何年も時間をかけなきゃいけないような事態にでも なったら大変だし、もともと、薬を使っての治療にも疑問を 持っていたので、結局クリニックにかかることは断念しました。
それからもしばらくは旦那の繁忙期が続いたのですが、必ず 週に1日は休みを取ってくれるように気をつけてくれるように なりました。わたしも、子供とのこともあり、それからも しばらくは情緒不安定な状態が続いたのですが、それでも なんとかAkademeiaには通い続け、帰りにはお茶をしたり、 お酒の席に顔を出したりと、外で発散するように心がける ようにしました。色々な人がいて、色々な立場で、子育ての 悩みに意見をくれるのも、とてもいいリハビリになって いったのでした。
| 2004年02月23日(月) |
夢の効用/虐待の亡霊とACコンプレックスからの解放 part2 |
丁度、今から1年ちょっと前、わたしは子供との関係が最悪な 状態でした。今思えば、育児ノイローゼ気味だったのかも、 とも言えるような状態。渦中にいた時は、自分は正常だけど、 ちょっとイライラして、ストレスを感じているから、叱りすぎて いるのだろう、と思っていました。でも、そう思いつつも、 叱り出すと止まらなくなって、執拗に子供を責め立ててしまう 自分に、どうしたらいいのだろう、と、出口の見えない憔悴感に 囚われていたのです。
もともと、わたしは、躾の厳しい母に育てられて、間違ったことを してしまうと、なかなか許してもらえない環境に育ちました。 中学生くらいまでは、まあ、今でいう虐待に近いようなことも、 日常的にあったように記憶しています。
そんな生い立ちの経緯もあり、わたしは結婚してから子供を 作って母親になることを躊躇していました。虐待された子供は 自分が親になってから自分の子供に、親にされたことを繰り返す、 と聞いていたからです。要は自分が育てられたようにしか、 自分も子供を育てることはできない、という考え方です。
当初は結婚しても2年くらいはぷらぷらしながら、仕事でも 探して、優雅な夫婦生活を送ろう、という密かな計画があったの ですが、運命の悪戯というか、天の恵みというか、結婚して すぐに子供ができて、そのまま初めての妊婦生活、初の子育て。 え、、、まだ心の準備できてない、、、と、戸惑う気持ちとは裏腹に、 一度スタートを切ってしまったら、もう逃れることのできない流れに のまれていったのでした。
それでも、どうしても自分が母からされたようには、子供を育て たくない、安心して親に甘えることができる環境を作りたい、と 望んだわたしは、妊娠中にアダルト・チルドレン関連の本を 読みあさったり、自分の生き方、考え方に価値観の近い育児書を 探して本屋を回ったり、と、子供を産むにあたっての、自分の 腹の括り方を模索し続けました。
アダルト・チルドレンの本は、ああ、親に対してこんな風に 思っているのはあたしだけじゃないんだ、という気持ちに なれて、そういう意味では気持ちが救われた一面もあったのですが、 それでも、どの本を読んでも、根本的な解決方法のようなものは どこにも書いておらず、載っているインフォメーションは、 グループワークをしてみよう、という、組織の連絡先ばかり。
妊娠中の身で、そんな活動をする気にもなれず、はぁ、じゃあ どうすりゃいいのよ?!と、解決策は結局見失ってしまった ような気持ちになりました。でも、その時感じたのは、あたしは この、アダルト・チルドレン症候群の一員かもしれない、今は すぐに解決できることではないかもしれないけど、自分には常に、 何かに依存してしまう危険性があることだけは、しっかりと 自覚しておこう、という、祈りにも似た、強い思いでした。
アダルト・チルドレン関連の本を読みながら、もう一方で読み出した のが、"ホワイト博士の育児書"という、育児関連の本でした。 これは、子供を機嫌良く、大人と一緒にいても楽しく過ごせる子供に 育てる、というのが最大の狙いの本でした。何より惹かれたのは 叩かずに子供を乗ずに躾ることができる、という躾の方法が 詳しく書かれていたことです。
親の立場で、これは絶対譲れない、というラインを超えて、子供が何か 困ることをしたら、その成長段階に合わせて、子供がやられて嫌がる ことを上手に利用して、悪いことをしたら、こういうイヤな目に合うよ、 割に合わないから止めなさい、というメッセージを送るのです。 嫌がること、といっても、例えば、何か悪戯をしたら、はいはいを し出す頃の赤ちゃんだったら、身動きを制限されるのを何より嫌がるから 子供がじれて本当に嫌がるまで、床に座らせて、肩を押さえて、 動かないようにする、とか、もう少し知恵がついてきたら、今度は 子供のその時々のお気に入りのモノをリスト・アップしておいて、 悪癖が直るまで、悪戯をしたら、そのお気に入りものもを、手の 届かないところに閉まってしまう、とか、そういう程度のことです。
それでも、子供のことをよく研究してある本で、家の子にはなかなか 効果的でした。わたし自身も、強く叱りすぎたり、叩いたりしなくて 済む分、叩いて叱るといった手っ取り早さはないけれど、ちょっと 我慢してその方法に乗っ取って躾していくだけなので、随分と 気を楽に持つことができました。その本のお陰かどうか、とにかく ぴよこは、本当に大人といても機嫌良く、一緒にいるのが楽しい 人として仲間意識を持てる子に育ちました。もちろん、ちびなりに、 その時々で必然的に迎えていくべき反抗期などはありましたけど(笑
ところが、ぴよ子一人じゃなんだから、ということで、決心して 下の子を作ったら、それがなんと双子!!妊娠初期から体調が 悪く、病院からも、1日でも長くお腹の中で育てることができる ように、と、極力体に負担をかけない生活を心がけるように 指導された上に、実際、体のあちこちに尋常でない変化が起こり、 一日の4分の3は、横になっているような状態を強いられて。 丁度その頃2才半のやんちゃ盛り、遊び盛りを迎えたぴよ子の 相手をしてあげるのも一苦労の状況になってしまいました。
幸い、一人でいても、何か作ったり、描いたり、読んだり、と、 誰に強いられなくても、上手に機嫌良く遊べる子だったので、 その辺は助かったのですが、困ったのは、何か悪戯したり、言う ことをきかなかったりした時。その育児書通りに躾たいのは できなくなってしまったのです。それに加えて、体の不調からくる ストレスで、わたしは徐々に、手っ取り早い方法で叱りつける 躾にスイッチしていってしまいました。
そして、双子のやもちゃん達が生まれ、もう何がなんだか 分からないような一種のパニック状態の中での子育てが 始まり、いつの間にか、言葉の通じるぴよ子には、それこそ 自分が気持ちに余裕を持てないことのはけ口のように、厳しい 言葉で叱りつけてしまうことが、頻繁に起きるようになって いきました。それでも、やもちゃん達が大人しく揺りかごの 中に収まっている間はまだ良かったのですが、はいはいを 始め、本格的に離乳食が始まるころには、なんだか生活の 全てにストレスを感じるようになってしまい、子育てを楽しむ 余裕など、全くなくなっていってしまっていたのです。
何もかもイヤ。一生懸命作った離乳食を全然食べてくれないのも、 寝かしつけようとしても、甘えてふざけて全然寝てくれないのも、 言葉が通じなくて、何で要求がましく泣いているのか、も、 しょっちゅう熱を出して何週間も続けて病院に通わなくては いけないことも、全て全てイヤでイヤで仕方なくなって しまったのでした。
そうこうしている間にも、ぴよ子が幼稚園に入る年を迎え、 昼間はやもちゃん達だけを相手にしていればいい日々になり、 少しだけ、気持ちの負担が軽くなりました。それでも、今度は 幼稚園の送り迎えや毎朝のお弁当作りと、それまでしばらく、 一般世間とは全然違うリズムの中で暮らしていたわたしに とっては、辛い生活の変化が訪れました。何しろ、ぴよ子が 園に入るまでは、朝の9時起床は当たり前、少し夜更かししたら 10時過ぎまで睡眠を貪るなんて、しょっちゅうあったのです。
もともと時間に縛られる、という強迫観念があったわたしは、 縛られるのがイヤな余りに、規則正しい生活を送ることから 意識的に逃げていた感がありました。時計通りにコトを進める、 例えば、決められた時間に決められた場所に行く、ということ すら、ある種の恐怖感を感じて、遅刻しないことには、辿り 着くことができない、といった有様でした。
そんなわたしが、ぴよ子の園の生活に合わせて、生活スタイルを 社会に合わせなくてはいけなくなり、それは思った以上に わたしにとっては負担を強いられることになっていたようです。 やもちゃん達も、どんどん活発になってきて、家にいても 一瞬も目が離せない、子供に自分の全てを操られてしまっている ような束縛感。やもちゃん達は、ぴよ子の時のように十分に手を かけてあげることができず、ぴよ子の時に活躍した育児書すら 読めずに、自分の理想通りに子育てができていない、とう憔悴感や 自責の念。あれもこれも、みんなあたしがやらなきゃいけないんだ よね、、、世間一般では当然母親の仕事だもんね、、、という妙な 背負い込み。
そして、まだまだ当時は慣れていなかった、旦那の両親との 同居生活。姑に様子を伺われて、あれやこれや監視されているの ではないか、変に思われないように、批判されないように、ちゃんと しなきゃ、という被害妄想的な思いこみ。
全て、自分で膨らませていった、いわば身から出たサビのような もので、まるで鎧のように自分の自由を自ら制限していって しまったのでした。
そして始まったのが、ぴよ子に対する、虐待に限りなく近い 言葉の暴力と、やもちゃん達に対する、ひっぱたくなどの、 肉体的な暴力だったのでした、、、。自分がイヤでイヤで、 情けなくて仕方なかったのに、どうしても止めることが できなかった。幸い、訳もなく、虐待紛いなことをする、という ところまでは行かなかったけれど、叱る理由を探しては叱り 飛ばす、というような心境くらいには、至っていたかもしれない。 今となっては、当時の自分の心境をよく思い出せない、という ことが、既にその頃の異常な事態を物語っているように思います。
このままじゃ良くない、このままじゃ、わたしが絶対止めようと 思っていたことを、ますますエスカレートさせてしまうだけ。 子供の気持ちがわたしから離れてしまう、子供が親の顔色を 伺って、安心して親に心を開けなくなる、甘えられなくなって しまう。何より、子供らしい子供時代を送れなくなってしまう、、、。
頭では分かっていても、もう自分だけではどうしようもない 所まで行ってしまっていたようでした。子供を叱りつける、 子供が言い返してくる、更に叱りつける、子供がストレスを 抱える、そのストレスをまたわたしにぶつけてくる、それを 叱りつける、、、。地獄のような悪循環のドツボにはまって しまって行ったのでした。
わたし、今おかしい、正常じゃない、最後の心の悲鳴を聞いた ような気がして、わたしはある日、同居しているおかあさんに 相談してみたのでした。わたしはすごく厳しく躾られて、自分の 子供にも厳しすぎるところがあるみたい、おかあさん、見ていて 心配だと思うけど、どう思いますか?って。
おかあさんは、その時は笑って、誰でもあるよ、大変な時期だし 仕方ない、大丈夫だよ、そんなに心配する程な感じじゃないよ、 って言ってくれたのです。
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