続々・不良主婦と呼ばれて@USA
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米国在住数十年国際結婚美人妻<←嘘>自堕落日常日記


2003年08月01日(金)  父親観

今日は父親の誕生日。
67歳か68歳。。。って、正確な年齢が一発で出てこない、とんでもない娘である。>生年月日は知ってるけど。
昨日電話で久しぶりに話した時には誕生日のことに触れなかったけど、メールでカードを送った。
それも「To:じぃちゃん・・・From:孫の名前」で。
私は、父親とあまり「会話」をしたことがない。
両親が離婚して父親と離れて暮らしてたとか、仲が悪かったとか、嫌いだとか、仕事人間で殆ど家にいない人だったとか、全くそんなことはない。
私が物心ついてからの父親は、常にもの静か、怒られた記憶もなければ褒められた記憶もなく、本当に必要最低限のことだけ聞いてきて、必要最低限のことだけ話して来る無口な人。
かといって頑固親父で亭主関白で、むっつり気難しいと言うわけではなく、周りから見たら「静かで物わかりが良くていい人」と取られるかもしれない。。。けど、その無口さ、感情の起伏のなさに、たまに心底何を考えてるのか分からなかったりする。
母親もそんなことを言っていた。

むか〜しの父、私が小学生の頃の父親の記憶は、志村ケンやタモリの物まねをするほどひょうきんで、自分で作ったカレーを近所におすそわけしたり、会社の若い女の子を家に招いたり(これは母にしたら嫌だったかも)するほど社交的で、アマチュア無線で見ず知らずの人と話すのが大好きで、よく家族旅行で海や山やドライブに連れて行ってくれたほど家庭に積極的だった。
ただ単に、子供が手を離れて、定年で職を退いて、年をとって、だんだんと趣味や性分が変化したことの他に、父親がこういう風に変わる”何か”があったんじゃないか、と今の私はよく考えたりする。
人間関係で、夫婦関係で、親子関係で。。どんなことかは分からないけど、私がまだそんなことに気付かない頃に何かがあったんじゃないか。。。と思わせるほど、私が幼い頃の記憶の中の父親と、私が物心ついて以降の父親は別人のようだ。
それとも、人間年をとって、本来の姿が出てきたのか?





↑いやー、最近なんかハマってて。。。
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2003年07月27日(日)  復活。新居より

引越しから約10日、一段落したところでやっとこネットにアクセス。
日本国内、アメリカ国内、日本からアメリカ、それこそ引越しはこの6年間だけでも大小合わせて5回目だけど、また今回も大変だったー。
何が大変だったって、基本の基本”引越し日”が何回も変わったっつーの。
そのせいだか何だか知らないけど、費用節約のために引越しトラックをレンタルした私達に必要な助っ人が、当日3人しか現れなかったっつーの。
急遽、近所で唯一公私共に付き合いのある旦那さん@夜勤明け がヘルプしてくれたけど、「俺が一声掛ければ職場の奴が集まる」と7〜8人手伝いに来るようなことを言ってた旦那に「ねぇ、実は職場で嫌われてんじゃないの?」と嫌味の一言でも言いたくなった。
だってもう、引越し前後は夫婦喧嘩し通し。
「こんな人とこれからも一緒に住んで行けるのか?」と何回も思った。

とにかく、何もかもがスムーズに行かなかった今回の引越し。
水道、電気と順番に切られちゃったかと思えば、名義を変えて再会するのに丸2日もかかる馬鹿馬鹿しさで、自分の家があるのに2日間ホテル住まいを余儀なくされ。
ケーブルなんか電話で申し込んでから1週間も待たされ、引越し前から通算して10日以上もTVのない生活。
DSLだって、接続会社からの連絡が遅いから電話してみれば「メールをとっくに送った。」
。。。だ、か、らー、メールを見れるようになるために接続したかったの。
そして最終パンチは、引越し後初めてのゴミ収集日に”ゴミ収集拒否メモ”を残され。
ゴミ箱の蓋が閉まらないほど詰め込むのはルール違反なんだってさ。






↑仕舞いにはもうヤケで食ってたもん。
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2003年07月13日(日)  自虐プレイおだてプレイ

3ヶ月ぶり位に、髪切りに行ってきた。
いつもは地元の同じ店に行ってるんだけど、今回は日本人による日本人向けの美容院へ行ってみた。
リピーターになる気もなく、決まりきった会話も面倒臭かったので、たまに鏡を見て確認する以外はずっと雑誌を読みふける。

切り終わってブロードライの最中、髪の状態について話をした時。
美容師:「もしかして、お子さんいますか?」
私:「はい。」
(胸のうち・・・「えー!お子さんがいる風には全然見えませんよ。」と(お馴染みのお世辞ながら)驚かれる。)
ところが、その返事は。。。
「出産後の抜け毛がひどかったとかありません?」
。。。あ、あのさー。日本の美容院にいたら多分シャンプーだけ任されているであろうと思われる若造のあなたに産後の抜け毛を語られる筋合いはないんだけれど。
しかも産後の抜け毛って、”産後”っていつの事よ。
なのに、「あー、二人目出産後は特に抜け毛がすごかったからねー。」
と答える私、自虐プレイ?

そう言えば昔、私より年下のYちゃんがこの美容院で「こういうスタイルはもっと老けて見える」なんだら言われて怒ってたっけか。
地元店の2倍以上の料金設定してる(日本より高けーよ)んだからさ、もうちょっと接客の教育なりしてもいいんじゃないの。
てかこの商売、あまり正直すぎること言うよりもおだてる位がいいんでない?






↑誰も覚えてないって。
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2003年07月11日(金)  迷える母親

今日は、上の子が今の学校に行く最後の日だった。
本当なら7月一杯まであるんだけど、引越しのため今日が最後。
なので一応先生に挨拶を、と思い久々に学校に行ってきた。
行きも帰りもスクールバス、連絡事項はバックパックの中のメモ、子供は皆勤児なので電話での欠席連絡も記憶になく、担任の先生と会う、話すなんてことは殆どない。
ていうか、そもそも先生とどのように接していいかよく分からないっていうか。
他の保護者はもっと先生と連絡を取り合っているのか?うちは任せっきりなのか?でも、何かあったら先生の方から連絡来るだろうし、何も言ってこないんだからいいのか、とかね。
先生自体、そして先生と保護者の関係も、日本のそれをそのまま当てはめるのとはまた違う感じだし、今だに学校のシステムやこっちの学校の”普通”にも???なこととか多くって、何人子供がいようが、何年アメリカに住んでようが、今だにこんな手探り状態の自分がいることに驚くやら呆れるやら同情するやら。
就学前なのにこんな状態ですから。
引越ししたら、新しい学校で新しい先生とまたどうにか頑張ろう。

そう、今日までの息子の学校で最後まで謎のままだった事と言えば、





↑多分こっちで生まれ育って日本語や日本を知らない人と予想。
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2003年07月08日(火)  勘弁な友達。

最近知り合った女性、もうたまりません。
何がたまらないって、彼女のネガティブ思考!
私の人生、今まで知り合った人間の中でもナンバーワンかと。
自分の住んでいる家、街、子供の学校、旦那さん、旦那さんの仕事、給料、その他ほんの些細な事、とるに足らないこと、普通の人だったらどうでもいい様な事に対しても、文句不満悪口、もうエンドレスです。
それがまた毎回同じ内容繰り返しのエンドレスなんで、もう聞いてる方としてはたまらない、勘弁して下さい、って感じ。
そんな時、私がやんわりと「そんなこともない」と反対意見でも言おうものなら「まだ分かってない」「経験してないから」「そこに住んでないから」「あなたもあと数年すれば」とまぁ、まるで「私はあなたより上、何でも知ってる、私が正しい、人生経験豊富なのよ。」って感じだもん。
えぇ、私はあなたのようにまだ36年生きてないし、離婚経験もないし、中学生の子供もいないですけど。
同じ様に四六時中文句や不満を語り合って、それで盛り上がりたかったら、どうぞそういうお友達として下さい。

会うのが、電話で話すのが、メールを読むのが苦痛なのに付き合う意味はあるのか?
このままだと、あのネガティブオーラで私の人生まで影響されそうだわ。
ってことで、彼女には悪いけど今後極力関わらないようにしようと心に決めた。
徐々にフェードアウトさせて頂きます。





↑どうぞ。
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らら へMAILする。