虎平太の四方山日記
虎平太の日常を書き綴った日記みたいなものもの・・・。毎日更新(の予定)。

2002年10月14日(月) あゆ

あゆはあゆでも俺にとって「あゆ」といったらコイツしかいない。岡北有由だ。1年半ぶりの再会だっけど、なんて言っていいのやら。なんなんだこの和気あいあいとした雰囲気は!これでもまだ2回目なんだぜ、岡北と会うの。40歳の俺が22歳の岡北に翻弄されっぱなしじゃんかよ(笑)。

インタビューというよりは雑談。雑談というよりは酒場の世間話と言うべきか。俺の目の前で岡北旋風が吹き荒れた。しかし、人間関係とは摩訶不思議なもので、一瞬にしてそのバイブレーションは同調し合うものだ。まさに今回がそのいい例だよな。

久しぶりにいい刺激をもらったよ。本当に心地いい空気感だった。今、俺が感じているすべてがそこにあった気がするよ。対極、宇宙、自然、鼓動、調和、地球、心、などなど。20歳そこそこでその境地に達してしまうとは・・・。岡北有由、末恐ろしや〜(笑)。

最新アルバム「エーテル」は、聴くというより感じるアルバムだ。言葉やメロディの底辺にある「何か」を感じることができたなら、大いなるやすらぎを享受できると思う。



2002年10月11日(金) バリカン

髪の毛が伸びてちょっとうっとしくなっていたので久しぶりに理髪店に行った。「どうなさいますか?」の言葉にいつもどおり「耳が出るぐらいにカットしてください」と回答。当然、ハサミでのカットと思い込んでいたのが運のツキ。なんとなく頭の思考が違うところにいっている間にバリカンが後頭部に出動していた(笑)。ああ、手遅れじゃ!

手持ちのお金が無かったので激安店に出向いた末の出来事でした。

それにしてもバリカンでカットなんて何年ぶり、いや何十年ぶりのことだろう。あの「ジージー」という音が今も耳に残っている。そもそも僕は生まれてこの方、長髪にしたことがまったくない人間なのだ。子供の頃に父親から言われた「長髪なんて女のすることだ」の言葉がどこかトラウマになっているのだろうか。まあそれが直接の理由かどうかはわからないが、なんとなくショートの方が好きなのは事実だ。ただし、女性の髪形については、この限りではないのであしからず。



2002年10月08日(火) カキフライ

毎年、この時期になると頻繁に食するモノがある。カキフライだ。もちろんソースはタルタルソース。おそらく毎日食べても飽きないと思う。でも、これが生牡蠣だとからっきしダメ。その昔、生牡蠣を食べてそのまま病院に直行した同僚を見てから、どうにもこうにも手が出なくなってしまった。ある種のトラウマなんだろうか。

その他、牡蠣を使った食べ物で好きなものは、牡蠣味噌なべ。鍋物はだいたい好きなんだけど、好んで食べるのはまずは味噌あじ。胡麻味噌系も好物だ。だから何?って言われてもただそれだけのはなしなんだけどさ(笑)。

そんなわけで最近、昼ごはんでよくカキフライを食べてる。やっぱりいいよ、カキフライ。



2002年10月05日(土) 雷小僧

昨夜の富山市はすげえ雷だった。まあ、そのうちおさまるだろうと気楽に考えていたら「ドカーン!」とバカでかい音とともに振動が・・・。こりゃ、近くに落ちたみたいやね。そんなことを思い巡らしていたら、ある情景が俺の脳裏を横切った。

小学生の夏休み、福井の若狭湾・高浜町に海水浴に行ったときのこと。その日は生憎の雨でさ、俺は泳ぎもせずに民宿の2階の窓からぼーっと外を眺めていたんだ。そしたらどこからともなく雷の音が・・・。しばらくの静寂の後、「ドカーン!」という音とともに目の前が真っ赤になった。どうも民宿のまん前の電柱に落雷したらしい。

そう、至近距離で落雷を経験しちゃったのさ。電柱までの距離、およそ1〜2メートル。貴重な経験というか、ぞっとする経験というか、雷が鳴り出すといまだにそのときのことを思い出すんだよ。

アレから雷小僧になっちゃったのかな。



2002年10月02日(水) オンエア

バタバタしながらラジオの1回目の放送を無事終えた。まあ、至らなかったところはいろいろあるが、なんとか及第点に達したと思ってる(のは自分だけ?)。
やっぱりここが俺のフィールドなのかと心の底から思えたよ。周りの人たちからの期待感や励ましが本当に嬉しかった。

それにしても「しゃべる」ということ、「伝える」ということのなんと難しいことよ。正直言ってまだまだやね。次回はもっと上を目指します。でも「ぱくぱく」って言葉、けっこうかむんだよな。自分で命名したのにさあ(笑)。

皆様からの叱咤激励、お待ちしています。



2002年09月30日(月) 発表!

発表しま〜す。
紆余曲折の結果、放送業界へ復帰することに。第一弾はラジオじゃあ!

平成ぱくぱくラジオ〜ゴイスなやつら
毎週水曜日、20:00〜21:00 
富山シティエフエム 77.7MHz
10月2日(水)スタート

ラジオやるのは2年半振りなんで、ギクシャクするのは必至。加えてレギュラーパーソナリティははじめてなんで(笑)。まあ、どうなりますやら・・・。長い目で見てちょ。



2002年09月29日(日) 新聞記事

昨日(9/28)付の北日本新聞の18面になんとワタシの写真がデカデカと・・・。別にワタシへの取材ではないのだが、その場に居合わせた偶然が招いた必然とでも言おうか!やっぱり見てる人は見てるんだね。知らなかったのはワタシだけ(笑)?知人からのメールやら電話でようやく気づかされた事の顛末。ああ、恥ずかし。

それにしても相変わらずのドタバタした毎日。物事っていうのはどうしてこうも遅れてしまうのか不思議でならない。今回も予定が押し押しでギリギリの綱渡りをしてるワタシたち。ほんと大丈夫・・・?

でも振り返れば、もうあかんと思ったことでもなんとかしてきてるんだよなあ、これが。だから、たぶんどうにかなると思ってしまうのはワタシだけ?

そんな楽観的な思考が渦巻くワタシの脳ミソなのです。



2002年09月26日(木) てんやわんや

昨日からほぼテンパリ状態でテレビやラジオの番組づくりにてんやわんや。まあ、何事も立ち上がりの時はこんなものだと思うのだが、なんだかんだでエネルギーは放出しっぱなし。さすがにそろそろ充電が必要か。

ラジオの初ゲストは今年の春頃知り合ったショップオーナーの大西クン。世界15〜16ヶ国も渡り歩いているツワモノとは思えないほどの柔和な人柄。今度イベントをやるんでそのプロモーションのために出演してもらった。

テレビの方は、最終のデモテープづくり。いろいろトラブルや挫折もあったのだが、どうにか完成にこぎつけた。自分が出演しているテープを編集するのっていまだに抵抗感がある。なんとなく馴染めないんだよなあ。

あっという間に9月も終わり。運命の10月が近づいてる。何かが変わり始めてるのは自分自身がいちばんわかっているよ。まあ、やるだけやってみるさ。



2002年09月23日(月) ハードデイ

そんなに忙しくないはずの1日がすっかり多忙な1日に変貌した。午前中はそんなでもなかったのだが、午後3時あたりから加速がついた感じだ。

夕方からは、5月のキャンペーンで意気投合した小林信吾&友成好宏によるピアノユニット「MAOCHICA」のライブに参上。角松敏生や浜崎あゆみのサポートメンバーでもお馴染みのこの2人、演奏は凄いのひと言。いやあ、心が癒されたなあ。いいもの聴かせていただきました。

その後、小林建樹のキャンペーンに突入。会うのは3年振りかなあ。でも、そんなブランクは全くなかったな。なんか波長が合うっていうのか、話がどんどん転がっていって笑いが絶えなかった。彼も楽しんでくれたみたいで嬉しかったよ。僕が理想としているリラックスしたインタビューができたと思う。建樹、ありがとな。

今日の仕事は終わりかなって思ってたところへ、イベンターのN氏から電話。MAOCHICAの打ち上げのお誘いだ。業界の大先輩である小林さんと友成さんが身内のように接してくれるので、すごく居心地がいい。あっという間に時間が過ぎていったよ。でも、N氏の酔っ払い愚痴大会はいつも通りだったな(笑)。

さあ、明日も朝から取材だ。一眠りしよっかな。



2002年09月21日(土) 今日という1日

取材のためコスモアイル羽咋へ。Tさんと久々の再会。かつてテレビのUFO番組に深く関わっていた人物だ。僕が局にいた頃、2回ほど出演してもらった。あいかわらずめちゃめちゃ面白かったなあ。UFOから宇宙の話までたっぷり2時間語ってもらった。この問題は、知れば知るほど奥が深い。人間って、地球って、宇宙って・・・、それらの存在そのものについて大いに考えさせられたな。

その後、金沢AZホールへ。ザ・コブラツイスターズのライブなのだ。1年半ぶりに見る彼らのライブは、かなりGOODなパフォーマンス。あの空間の一体感こそ、ライブの真髄なんだなってあらためて感じたよ。ボーカルのアキラのMCは、どうしちゃったのって思うぐらいおもしろかったな(笑)。

結局、富山に戻ったのは夜10時。とにかく疲れたけど、充実感いっぱいの1日だった。こういう疲れならいつだって歓迎するよ。まあ、そんなことを期待するまでもなく、こんな日が続いていくんだろうけどね。

さすがに今日は、熟睡モードだ。


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