虎平太の四方山日記
虎平太の日常を書き綴った日記みたいなものもの・・・。毎日更新(の予定)。

2002年09月01日(日) ハードな1日

僕がエリアマネージメントをしている高校生シンガー、ORHA(オルハ)が高校の文化祭に出演することになって、石川県珠洲市(能登半島)まで行ってきた。朝、8時半に富山を車で出て、高岡でORHAを拾い、結局珠洲に着いたのが昼の12時過ぎ。いやあ、それにしても遠かった(笑)。どのルートを使うかでいろいろ迷ったあげく選んだのは、能登によく釣りに出かけてるという知り合いのアドバイス。ところがこれが、山道ルートでそれはそれは大変だった(笑)。

高校の文化祭って久々に体験したけど、やっぱりいいもんだね。若いエネルギーが充満しててさ、ティーンエイジャーの頃を思い出しちゃったな。
飯田高校のみんな、いろいろありがとう。さすが秘境(笑)だけあって最高の環境だったよ。土の広いグランドがあって、学校から海が見えて、山も近くにって、空気がおいしい。人間は、自然の中で生かされているんだなあってあらためて実感したな。

富山に戻ったのは、夜8時。めちゃめちゃ疲れていたんだけど、急に打合せが2本浮上。計画中の雑誌とテレビ番組に関するもの。2年まえまでは、こんな生活をあたりまえのようにしてたんだなって思うとなんだか懐かしくなったよ。今後はこういうサイクルに戻っていくような予感がしてるけどさ(笑)。

そして・・・、家に帰ったのは深夜1時半でした。チャンチャン!



2002年08月31日(土) LAVA

俺には、クラブDJの知り合いなんて絶対にいるはずがなかった。そう、昨日までは・・・。それがいたんだよな、ひとり。LAVA、そいつのことだ。出会ったのはもう、かれこれ8年ぐらい前なんだけど、ここ7年は間違いなく連絡もとっていないし会ってもいない(笑)。

それが昨日、突如電話がかかってきていきなりの再会。人の縁とは摩訶不思議なもので、7年間の空白なんてなんのその。そのフィット感といったらまったく時の流れを感じさせないものだった。

時間が人間を大きく変えることもある。今回の例がまさにソレ。7年前の音楽的面影はまったくなかった。180度以上の変化。人は記憶の延長線上にないものを瞬時に認識するのは難しい。いい意味でのショックな出来事だったのだ。

ここからまた、俺たちの新たな歴史が始まる予感がする。今までの出来事は、ここに至るまでの序章の過ぎなかったのかもしれない。LAVA、その名前を今後忘れることはないだろう。

ほんとエエ加減にせえよ、LAVA(笑)!
得体のしれない詐欺師にあった気分だい。



2002年08月30日(金) インタビュア

テレビ番組のデモテープを制作するために、急遽インタビュアをすることになった。コンセプトは音楽番組なので、デモといえどもインタビューする相手を探さなければならない。ところが、今日の今日ではその相手がなかなか見つからないのも当然か。知り合いのインディーズ・アーティストを何人か当たってみたのだがなかなかスケジュールが合わない。そんな時、ふとひらめいたのがある人物の面影。よっしゃ、決めた!

そんな経緯でBOB長嶋とカメラの前で対談をするはめに。ヤツとは付き合いも長いしいろいろな番組を一緒にやっているので、そのキャラクターは十分理解しているつもりだ。だが、こうして対談するのはなにしろ初体験。そこには若干の不安が・・・。

ところが、収録が始まったら二人ともいきなりのノリノリトーク。まあ、物事っていうのはこんなもんだわね。30分もしゃべりまくっちまったよ。なのに、ネタは「ドラマー」「アイドル」「ゲーム」のたったの三つ。どうなんだろう、コレ。

しゃべっている俺たちはハイテンションなんだけど、この模様を見た人がどう思うかはまた別の問題(デモなのでオンエアはされないよ)。まっ、いいか。ある意味、貴重な体験でしたわ。

それにしてもカメラ目線ってやっぱ難しい。



2002年08月28日(水) エンドレスサマー

8月ももう終わり。イメージはまさに「エンドレスサマー」。この言葉を思い浮かべると、なんだか妙に感傷的な気分になってしまう。ティーンエイジャーの頃は、あんなにたくさんの思い出があったのに・・・。

今の僕は、あえて意識しなければ何も感じなくなってしまった。この季節感の無さってけっこうヤバイと思う。

社会人になって失ったいちばん大きなモノといえば、この季節感かもしれない。たぶんそれは、目の前の物事に意識が集約されてしまって、心のゆとりが無くなってしまっているんだろう。

ある意味で、心の開放がなされていないのだ。最も身近な季節の変化でさえ感じることができないとは・・・。うーん、もっともっと自然の中に同化しなければ、僕の感性は鈍る一方だよ。

例えば明日からできること。早起きして朝日を浴びて散歩するとか。これができたらメチャメチャ健康的じゃん!でもね・・・。

あーあ、なんとかしようよ、社会人諸君!



2002年08月26日(月) クリアファイル

整理したい書類があって、クリアファイルを探しに文房具店に行った。世の中の標準サイズはA4なのだろうが、ワケあってB5ファイルが必要だったのだ。ところがである。A4サイズは種類が豊富なのだが、肝心のB5サイズの選択肢が少ない。何軒かまわってようやくたどり着いたのが、現在使っているものだ。

商品名は、コクヨの「ウェーブカットポケット」。キャッチフレーズは「ポケットがちがう!」というモノ。特徴は、ポケットに波形のカットが入っているので紙の出し入れがスムーズであること。そして、ポケットに厚手の材料が使ってあるので高級感があること。の2点だ。

決め手は、ポケットの材質だった。使っていけばどうでもいい部分になってしまうかもしれないが、なんとなく気になるところでもあるのだ。僕は、洋服でもなんでも触感を気にする傾向がある。これがしっくりくるものが決め手になることが多い。今回もその例に漏れず、やはりこの触感がポイントになった。

「だからなんなんだ!」という声が聞こえてきそうなのは百も承知である。別に何かを伝えようなどという壮大なメッセージはこの話題の中には皆無だ。そう、ただの独り言である。どう深読みしようが40男の独り言なのだ。



2002年08月25日(日) 冷やし中華にマヨネーズ

そういえばさ、名古屋では冷やし中華にマヨネーズがあたりまえのように付いていたっけ。富山に来てもう17年。そんなことも忘れてたなあ。

今日の夕食はその冷やし中華。なんとなくマヨネーズのことを思い出したので、さっそく実行してみたんだ。うーん、やっぱこれにしかないよ。それぐらいグッドな味。どうしてこんなに美味しい組み合わせを忘れていたんだろう。

でもマヨネーズってさ、けっこう高カロリーなんだよね。この冷やし中華にマヨネーズの組み合わせは、なんとなくヤミツキになりそうな予感。カロリーの過剰摂取に注意しよっと!



2002年08月24日(土) 文字を書くのが・・・

パソコンを使うようになってから、めっきり文字を書く機会が減った。企画書や報告書などはすべてパソコンで作成し、ファックスでのやりとりは激減。替わりに増えたのがメールでのコミュニケーション。人によっては、スケジュールやメモなどもすべてIT機器で代用している人も多いだろう。こうなってくると、ますます手書きの文字を書く機会は減る一方だ。

そこで弊害が出てくる。急に手書きの文章を大量に書かなければいけなくなったとき、やたらと肩が凝るのである。学生時代にこんなことはありえなかった。想像するに身体の余分なところに力が入って、リラックスして文字が書けなくなっているようなのだ。もっとはっきり言えば、文字の書き方を忘れつつあるのかもしれない。それに心なしか字がヘタクソになったような気もする。(元々そんなに上手くはないけど)

やばいぜ、こりゃ。文明の利器に頼るのもいいけれど、それが人間の本質的活動に影響を及ぼすようでは本末転倒ではないか。でも、一旦グレードアップした生活を元に戻すのというもまた至難の業。うーん、どうしたもんだろう。

一番いいのは、手書きの手紙か日記を書くことだろう。しかし、これがまたなかなか書けない。元来、筆不精な俺なんだから。虎平太の日記が書けるのは、パソコンを使っているからなのだ。しかし・・・。

この際一念発起して、一丁誰かに手紙を書いてみるか。でも、俺なんかから急に手紙が来たらちょっと気持ち悪くない?



2002年08月22日(木) 携帯電話が原因のある出来事

携帯電話(以下携帯)を使い出して5年になる。それまでは圧倒的に携帯嫌いだった。なんか24時間、束縛されるような気がしていたから。それが今では、コレ無くしては仕事が成り立たない。それに自分が持ちたくなくても、仕事の連絡網は携帯が中心に動いているからしようがない。

俺の知り合いにも「俺は携帯を持たない主義」と自慢しているヤツがいるけど、アレはあんまりカッコよくないね。一人で生きているんだったらそれもいいけど、あんたも周りの人に支えられて仕事しているわけじゃん。別に俺は携帯推進派じゃないけどさ、インフラがそうなっちゃているんだから、エエ加減に所持したらどう?それによって大きなチャンスを逃すこともあるんだから。

まだ会社にいる頃、この携帯の番号を教えろ、教えないで上司と大喧嘩したことがあった。なんでも携帯の番号を連絡網に載せたいらしい。その上司は、「サラリーマンとしての常識だろ」って言う。俺の言い分は、「会社のサポートは受けてないんだから申請する必要なし」だった。それに、持っている人だけが申請しなければならないというのは、どう考えても納得がいかない。会社がそこまで必要としているのなら、会社が各個人に持たせるなり、何らかのサポートをするべきだろ!

そして、大喧嘩の顛末は・・・。
なんとその上司、自分が携帯持っていないんだって!エエ加減にせえよ。部下に言う前に自分で携帯持って申請しろっていうの。まずは自分が手本になれよな。俺がそのことをつっついてやったら、「お金がない」だの「それとこれとは話が違う」だの言い訳の嵐。さすがの俺もあほらしくなったので最後に一言。

「俺、携帯持ってませんから」

この話を伝え聞いた俺の知人は、「そりゃ、子供の喧嘩じゃん」ってポツリ。まあ、そう言われても仕方がないけどさ。納得いかんもんはいかんでしょ。みんな、自分らしく生きていこうよ(笑)。



2002年08月21日(水) 低音ヴォイス

僕の声は低音だ。最近、その声をほめられることがよくある。人間、ほめられて悪い気はしない。声変わりがいつだったのかあまり覚えていないが、たぶん中学の頃だったように思う。

今でこそほめられることが多くなったこの低音ヴォイスが、その頃はあまり好きになれなかった。理由は目立つから。先輩に呼び止められて「お前、いい声しとるなあ。ちょっとしゃべってみろよ」なんて言われ、無理やりしゃべらされたこともあった。目立たなければそんなこともないのに・・・と思ったりしたものだ。

高校のとき、とてもショックな出来事があった。低音の声というのは聞き取りにくいので、普通の大きさで話していても聞き直されることがままある。当時の僕は、そのことをなんとなく気にしていた。

担任との個人面談で相談したら、なんと通知表に「意識しすぎ」なんて書かれていた。これはショックだった。今も忘れていないぐらいだから、当時は相当傷ついていたのだろう。僕はその担任の名前を今も忘れない。教師としては失格だから。

でもその声が、今は僕のトレードマークになっている。ジンセイ、何が幸いするかわからない。親に感謝しなきゃね。

僕の低音ヴォイスは、わりとマイク乗りがいい。これは番組をつくる上で、とても大切なことだ。そうなると・・・。

まあ、なんとなく予想できるでしょ(笑)。この秋はおもしろくなるかもね。



2002年08月20日(火) 隆一のオーラ

昨日、取り巻き(?)のM氏から突然電話があって、河村隆一のキャンペーンに顔出すことになった。日程は知ってたんだけど、呼ばれてもいないのにいきなり俺が行くわけにもいかんでしょ(笑)。

最後に会ったのは、LUNA SEAのファイナルツアーの石川公演のときだったから、もう2年ぐらい経つのかなあ。出会ってからとなると、7〜8年って感じになっちゃうから、ずいぶん長い付き合いになるよね。

でも、はじめて会った頃から何にも変わってない。いつ会っても自然体なんだけど、アーティストとしての存在感はバリバリだもん。隆一に会うと、いつも心地いいエネルギーをもらうから、俺のテンションもつい上がっちゃう。周りの人に言わせると、隆一と一緒にいる俺は、どうやら光り輝いているらしい(笑)。

彼は俺より8つも年下なんだけど、尊敬できるというか、見習うべきところがいっぱいあってとても刺激的。たぶん、自分に対するイマジネーションが明確に見えているんじゃないかな。凛としてるもん。そういう意味では生粋のプロデューサーかもね。だから、あんなバラエティみたいなことやってても俺は全然心配してないよ(笑)。

と思ってたら今回は映画というフィールド。あの太宰治に挑んでいるぐらいだから、いよいよシリアス路線に入ってきた感じだね。こういう隆一を期待していたファンも多いんじゃないかな。

映画の方は、「純粋に作品としての評価が高いので、ファンの方じゃなくても絶対に楽しめます」とビクターのプロモーターH氏が珍しく熱弁を振るってたぐらいだから一見の価値アリでしょう(と最後に宣伝をば・・・笑)。


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