虎平太の四方山日記
虎平太の日常を書き綴った日記みたいなものもの・・・。毎日更新(の予定)。

2002年08月17日(土) 日本海

小学校4年生のとき。

JR名古屋駅(当時は国鉄)から敦賀を系由して小浜線に入る夏季限定の臨時列車「エメラルド号」に乗る。確か朝8時台の列車だったな。

車窓から生まれてはじめて日本海を見た。福井県の若狭湾。まさにエメラルドブルーってこのことだと思った。それまでは、太平洋側の海しか知らなかったし、海の色ってずっと緑色だと思ってた。

日本海って好きだよ。

海を見るたびに、そのときの感動を思い出すんだ。



2002年08月16日(金) ロケ

どういうワケか、ビデオカメラの前で演技をするハメになった。それもあろうことか野外でのロケ。しかし問題はその時刻だ。真夏の午後2時といえば、いちばん暑い時刻ではないか。衣装はスーツ着用だってー!そりゃちょっと酷なんじゃないの、プロデューサーのMさん(笑)。まっ、いいけどさ、この際何だってやりまっせ。

演技といえば中学3年の時の予餞会。確か「三ツ橋ケンジ」って主役を演じたんだよな。思えばあれ以来、演技というものには一切接するチャンスがなかった俺。それがこの歳でやることになるとは・・・。

普通でいいって言うけどさ、それがけっこう難しいんだって。だいたい俺はレンズの前に立つと、やや顔が傾いて、あごが上がり気味になるんだよね。小さい頃からよく指摘されてたもん。今もそうなのかなあ。最近は言われたことはないんだけど。

えっ、何の撮影かって?それはもうちょっと待ってよ。あと2週間ぐらいではっきりするからさ。

この秋は、アクティブな秋になりそうな予感!



2002年08月15日(木) コーンスープ

小学校の給食のメニューでいちばん好きだったのはコーンスープ。そのせいか、いまだにコーンスープは好きなのだ。それも中華風よりも洋風が。スープの中に入っている数少ないコーンの粒がまたいい。あの感触、たまらんね。だけど自分で作るときは、コーンの缶詰を買ってきてシコタマ入れてしまう。こうなるとまさにご馳走である。たぶん、毎日飲んでも飽きないだろうな。

次に好きだったのは、カレーシチュー。あの味は、給食でしか味わえないもんね。シチューの中に給食の固めの食パンをつけて食べるのが好きだった。うーん、懐かしすぎる。あのカレーって、なんとなくカレーパンの中に入っているカレーの味に似てるんだよな。

その次は、焼きそばだったかな。・・・あんまり覚えてない。

なんでこんな話をするのかっていうと、ついさっきコーンスープを飲んだばかりから(笑)。夜中におなかが空くと、固形物よりも流動食の方がいいじゃん。だからわりとスープって飲むのよ。そしたら急に給食の思い出が浮かんで来ちゃってね。

たぶん俺はコーンスープのみならず、総じてスープ自体が好きなんだよな。ちょっと高級で上品なイメージがあってさ、幼少の頃の憧れがずーっと続いているかもね。

すみません。内容が薄くて・・・(笑)。



2002年08月14日(水) 問い合わせ

▼ 問い合わせ ▼

自宅の冷蔵庫の中をなんとなく散策していたら、冷凍食品がぞろぞろ出てきた。その中で3袋もあったのが、えだ豆のパッケージ。何気なく袋の裏側をみてみると、なんと中国産とあるではないか。中国産といえば、今なにかと話題の残留農薬問題。ちょっとだけ心配になったもんだから、発売元の食品会社のホームページをさっそく検索。特にその問題には触れてなかったけど、お客様相談窓口の文字が目に飛び込んできたので思わずメールで質問してしまった。もちろん残留農薬問題について。

こういうデリケートな質問の場合、レスポンスの良し悪しで企業イメージが大きく左右されると言っても過言ではないのだが・・・。

返信メールは早かったね。あたりまえのように当日中の返信。それも担当者の署名入り。商品の販売ポリシーや管理・検査方法などが非常にわかりやすく書いてあった。うーん、さすが一部上場企業(がすべてそうとは言えないけど)。こういう対応されると企業イメージは格段にあがっちゃうから人間の心理って単純って言えば単純。今までほとんど思い入れのなかった企業が急に身近な存在に思えてくる。

ほんの些細なことなんだけど、その些細なことをないがしろにしている企業や社員の多いこと。問い合わせしたって待てど暮らせど返事が来ないことだってある。企業のイメージアップ云々を言う前に、足元の対応をちゃんとした方がいいと思うけどな。まあ、どことは言わないけどさ。

昔はこんな問い合わせってほとんどしない人だったんだけど、どうしちゃったんだろう、俺。まっ、いいか。人間って変るもんだしね。



2002年08月12日(月) ナレーション

先日、某コミュニティFMのスタジオでナレーションなるものに挑戦するハメになったんだ。まあ、ナレーションといっても数十秒って長さなんだけどね。昔はさ、録音した自分の声を聴くのは耐えられなかったんだけど、今はもうなんともなくなったね。これも慣れといってしまっていいんだろうか。

自分の声をあらためてマイクを通して聴いていると、これがけっこうイケてて驚いちゃったわけよ(笑)。もう自画自賛するしかないって感じ。スタッフの評判も上々でさ、いよいよ俺の出番が来たのかなって思わず浮かれ気分になっちゃったのさ。

でも、未経験の分野にトライすることって大事なことだよね。人生それなりに生きてくると、なんとなく自分というものがわかった気分になっちゃうじゃない?でも、これが案外そうでもなかったりするんだよな。自分がいちばん気づいてなかったりする。そういうのって、未知の分野を経験したときに初めてわかったりするんだよ。「なーんだ、やればできるじゃん」ってね。

つまり、「できない」って思ってることは単に自分に中の思い込みにすぎないってこと。レッテルを自ら貼っちゃてるだけ。だから今年は、チャンスがあったらなんでもやってみることにしているんだ。「講演」「ナレーション」・・・。うーん、あといくつか控えているんだけど、今日は言わないでおくよ。何事も熟すタイミングってものがあると思うから。

明日は黒部だ。ラジオミューに参上します!



2002年08月11日(日) サイン

今、一番興味をそそられる映画は「シックス・センス」「アンブレイカブル」でお馴染み、M・ナイト・シャマラン監督の新作「サイン」だ。日本では9月に公開予定の作品。今からホント待ち遠しいねえ。内容は、ミステリーサークルがテーマなんだけど、アッシみたいな超常現象が好きな輩にはもうそれだけで十分って感じ。

巷の映画マニアの中にはさ、作品を評価するときにすぐストーリーがどうのとか、役者がどうのとか言いたがるヤツがいるけど、映画ってそれだけじゃないでしょ。テーマとか映像美とかだけでも見る価値のある作品って間違いなくあったりするワケよ。もちろん個人によっても違うと思うけどさ。

まあ、作品の見方が甘いって言われりゃそれまでなんだけど、それがアッシの「感性」というヤツなんで仕方ないわな。特に興味があるテーマとそうじゃないテーマとでは、作品に対する思い入れが全然違っちゃうんじゃないの。

以前「スターゲイト」っていう映画があったけど、これなんか考古学やオーパーツに興味あるヤツとそうじゃないヤツとでは、まったく評価が違ってたしね。あと「インディペンデンス・デイ」なんかもそう。

例えば映画の中に出てくる「エリア51」っていう場所。最近ではメジャーリーグのイチローの代名詞なんかで耳にするようになったけど、それ以前だとUFOネタに詳しいヤツしか知らなかった地名だしね。
それが堂々と出てきたもんだから、その筋のマニアにはもう話題騒然!こりゃなんかあるんじゃないのって制作意図の裏読みバトルよ。とは言いつつも、エイリアンがタコ星人として登場してきたときにはさすがにガッカリしたけどね(笑)。

だから今回の「サイン」もメチャメチャ期待してるよ。誰が何と言おうと、アッシが楽しめりゃそれでいいのさ。



2002年08月10日(土) 平凡な一日の話題

今日は平凡な一日だったので平凡な話を。と思うと何も浮かんでこなかったりする。うーん、じゃあこんな話題はどう?

僕は昔から腕時計というモノをほとんどしない。入試のときでさえしていなかったぐらい。理由は無意識のうちにはずしてしまうから。ズボンのポケットに入れたりすることが多いんだけど、その記憶さえないので気づいたときには慌てるハメになったりする。

就職祝いにもらった腕時計があったんだけど、そんな癖があるもんだから失くしてしまうのが嫌でね。もらったモノを失くすのってすごいショックでしょ。だから出張の時ぐらいしかしてなかったな。

時間が判らなくて困ったこともあったとは思うけど、おそらく致命的な不便さを感じたことがなかったんじゃないかな。だから今の今まで腕時計をしてこなかったんだと思う。最近は携帯電話を持ち歩いているので、もっぱらそれを時計代わりに使っている。そういう意味では、時間に束縛される生活に慣れてしまったのかもしれないな。

腕時計のみならず、そもそも体に身につけるアクセサリー類が苦手なんだよね。ネックレスや指輪、ペンダントなど全てダメみたい。慣れないせいもあるんだろうけど、なんとなくフィットしないよねえ。相性みたいなものがあるのかな。

あるとき懐中時計を持とうかなって思ったことがあったんだけど、実行することはなかった。なぜかというと、セカンドバッグを持たないから。幼少の頃から手ぶらが好きなんだよ。それに手に何か持ってると忘れそうな気がするし。要するに荷物を持ちたくないのかもね。

だからさ、ロレックスみたいな何十万円もする時計を持ち歩く感覚が僕にはないんだ。ファッションとかにもそんなにお金かけないし。はっきり言えば、身に着けるモノにはお金をかけてない!!これってなんなのかなあ。興味がないといってしまえばそれまでなんだけど・・・。

まあ、僕という人間はそんなヤツなんです。



2002年08月09日(金) あっきーだよ!

いしのだなつよというアーティストがいる。はじめて会ったのは3年か4年か5年ぐらい前。定かではない。会うなり「ニックネームで呼んでいい?」って言われ、それ以来、彼女は俺のことを「あっきー」と呼ぶ。初対面でこんなことを言われたのは後にも先にも彼女ひとり。あーあ、俺としたことがはじめから彼女のペースに巻き込まれてるじゃんよ。でも、たまにはこういう関係も心地よかったりして俺自身まんざらでもない。

そんないしのだにしばらく振りに電話をかけた。なんとなくアドレスを検索しているうちに偶然目に止まったからだ。携帯電話の番号が変っていないのを祈りつつコールオン。こういう時って本当に緊張する。全然知らない人が出たらどうしようなんて思ったりして。

受話器の向こうに女性の声。でもいしのだ本人の確信は得られない。思わず「いしのだなつよさんの携帯電話ですか?」って言ってしまう俺。うー、なんて初心(うぶ)なんだ。「あっきーって表示されたから誰かと思ったよ」だって。そりゃないんじゃないの、いしのだ!おまえが付けたんだろ、そのニックネーム。

いしのだは相変わらずいしのだだった。しばらく振りに電話してもすぐに意思疎通ができる関係っていいなと思う。FMのプロデューサー時代、俺はいつもそんな気持ちで彼らに接してきた。プロデューサーとアーティストの関係の前に、人間対人間の出会いなんだからと。

例えキャンペーンという仕事の場で出会った関係だったとしても、それが自分のジンセイを左右する出会いになるかもしれない。ほんの小さなタイミングのズレで俺たちは出会えなかった関係かも知れない。だからこそこの出会いを必然と思いたい。だからこそこの出会いを大切にしたい。そう思うと、人との出会いがワクワクしてくる。

明日はどんな出会いが待っているんだろう。



2002年08月08日(木) 音楽の価値

昨日の続きみたいなもの。

「モノ」の価値観とはいったい何だろう。答えは案外簡単に見つけることができた。それは「モノ」を手に入れるためにどれだけのエネルギーを費やしてきたのかということ。もちろん金銭的なことも含めて。人は自分がエネルギーを注ぎ込んで手に入れたモノには愛情が沸き宝物のように扱う。じゃあ、その反対は・・・。

僕らが音楽に目覚めたティーンエイジャーの頃、音楽を入手する方法はたった二つしかなかった。レコードを買うか、ラジオ(FM)を録音するか。それに比べて今は圧倒的な手軽さで音楽を手に入れることができる。

テクノロジーの進歩は凄まじい。特にアナログからデジタルに移行してからはそのスピードが更に加速しているようにも思える。確かに便利にはなった。僕自身もその便利さを十分すぎるほど実感している。だけど・・・。物事には常に対極が存在する。この場合の負の側面。それは、その恩恵を最大限に享受してきたはずの音楽そのものではないだろうか。

パソコンの普及は家庭内におけるデジタル環境を大いに促進させた。インターネットを利用したダウンロードやCD−R等のコピーメディアなどがその代表例だ。これは何を意味するのか。結論は断定的だ。それは音楽そのものの代価が限りなく無料に近づいていき、大量消費される時代に突入したということだ。

昨日も少し触れたけど、僕らはまだその過渡期を生きてきた世代。だから幸運なことに音楽の価値観の変化を身をもって体験できた。でも、生まれたときからその恩恵を受け、あたりまえのようにその時代を生きてきた世代に、かつての価値観を押し付けられるだろうか?

音楽が売れなくなったと言われはじめて久しい。冷静に考えればあたりまえのことだろう。音楽業界をとりまく環境はデジタル化と共に大きな変化を余儀なくされたのだから。

いいとか悪いとかの問題ではない。この環境の変化をどう受け止めるかの問題なのだ。今こそ音楽業界やメディアが取り組むべき使命。それは音楽文化の存亡に他ならないと思うのだが・・・。



2002年08月07日(水) 「慣れ」

今日の富山市の最高気温は37.1度。もちろんこの夏の最高気温だ。でも、僕が記憶しているここ数年の最高気温は38.9度。それに比べりゃまだまだよ、なんて思ってしまう自分もどうかと思うが、それが本心であるからどうしようもない。いやあ、人間の「慣れ」とは末恐ろしい。

僕が子供の頃は、30度を越えたら間違いなく猛暑というイメージがあったんだけど、今じゃ30度ぐらいじゃ驚かない。これもヒートアイランド現象の影響なのか。いったいこの先地球はどうなっていくんだろう。数年後には、40度を超えても別に驚かなくなっちゃたりして。・・・それも「慣れ」だよ。

「慣れ」といえば携帯電話。これも数年前までは、別に持っていなくてもビジネスに差支えがあるなんてことは無かったんだけど、今じゃもう絶対無理。いくら自分は携帯電話を持たない主義だって突っ張ってもビジネスの連絡手段がそれ中心になっちゃてる。携帯メールにビジネス情報がどんどん入ってくる時代だもんね。あっ、僕は決して携帯電話の推奨派じゃないよ。どちらかと言えば持ちたくない派なんだけど、こうもインフラが変っちゃうとね。

でもほんの数年前までは、携帯電話なんか持っていなくても何の不自由もなく生活してきたことを考えると、ほんと「慣れ」って恐い。僕らはまだ、携帯が無かった時代からの移行組だからその便利さを便利さとしてして享受できるけど、生まれた時からそんなテクノロジーが当たり前のようにあった世代にとっては、便利という感覚さえもないかもしれない。

これってどうなんだろう。テクノロジーの進歩によって生活が便利になってるのは認めるけど、大切な何かを置き去りにしてきてしまったような気がしてならないんだ。モノの価値観とかさ・・・。

でも僕は今日もあたりまえのように携帯電話を使ってる。きっとテクノロジーに毒されてしまったんだな。

わかっちゃいるけど戻れない・・・。それが人間?


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