虎平太の四方山日記
虎平太の日常を書き綴った日記みたいなものもの・・・。毎日更新(の予定)。

2001年01月10日(水) D16:シックスデイ

【四方山日記〜その16】 シックスデイ

ついに映画「シックスデイ」を見てきました。この作品、かなり評価はバラけると思います。<僕は★3つ半ぐらいですが(★五つで満点)、某女性アナはなんと二つだそうな。>
しかし、しかしですよ、どういうわけか僕のまわりでは見た人がほとんどいません。いったいどうしたことでしょう。けっこう話題作のはずなのに。シュワちゃんのアクション映画には違いないのですが、扱ってるテーマがなんてたってクローン技術。こういうSFちっくなものは人気ないんですかねえ。でも不老不死なんて夢の夢のまた夢の世界だと思っていたんですが、実際にクローン技術が実用段階に入った今、この映画の世界はそう遠い未来の話とは思えなくなりました。そんなふうに考えると、楽しいやらちょっと怖いやら・・・。
<こぼればなし>
一緒に行った某女子アナの席の下にはポップコーンの散乱した痕が・・・。もうちょっとお行儀よく食べなさいよ。



2001年01月09日(火) P16:近所のプール/M13:矢野真紀

【虎の自叙伝〜その16】 近所のプール

子供の頃、なぜか泳ぐことが好きだった。夏休みになると、一人でもプールに通ったものだ。そして泳ぐ。ただただ泳ぐのだ。
家の近くに市民プールがあった。ひざ下ぐらいの深さの子供用プールと一応大人用の25mプール。小学校の低学年の頃、その管理室の隣に売店があって夏なのになぜかおでんが売られていた。僕の地元は味噌料理が名物なのでもちろん味噌おでんだった。大きな鍋の真中に味噌ダレが入っているつぼがあってその周りを串でさした具が取り囲んでいる。その串ごと味噌ダレをつけて食べるのだ。ああなつかしい。でもその売店は僕が小学校の高学年になる頃には無くなっていた。無くなっていたといえば、僕の思い出がつまった市民プールもいつのまにか無くなっていた。去年の夏、帰省したついでに通りかかったらまったく別の建物が建っていた。なんか哀しかった。たぶん、そのプールが現存していたとしても気にもとめなかっただろうが、いざ無くなってしまうと妙に気になるものだ。ことわざにもあるように、大切なものは無くしたときにわかるというのは本当だった。

【音楽見聞録〜その13】 矢野真紀

年末年始のほろ酔い気分にペースを狂わされ、ずいぶん間が空いてしまった。今日からペースを戻さねば・・・。というわけで今回は矢野真紀嬢。我々の間では、親しみを込めて「マッキー」と呼ぶ。しかしこの呼び方が通じるのは、どうやら富山県地方だけらしい。でもそれでいいのだ。ライブ会場などで「マッキー」と叫んでみれば、どこから来たファンか一目瞭然。だから富山ではこの愛称を浸透させようじゃないか。
さてさて、そんな矢野真紀嬢。出会いは、彼女のデビューコンベンション(音楽業界におけるお披露目パーティみたいなもの)の時。どういうワケか僕は会場の一番前に座らされていた。きっと誰かの罠だろう。僕には珍しいことではない。でもこんなときは決まって視線が泳いでしまう。歪んだ視界に映るか細い足首が印象的だった。彼女はというとさまざまなプレッシャーの中でただ一生懸命に歌っていた。それが精一杯であるかのように・・・。
あれから1年半。彼女の中で何かが弾けた(と思う)。作品におけるその変化は歴然だ。そしてデビュー以来久しぶりに見るライブ。まさに鬼気迫るとはこんな雰囲気を言うのだろう。すべての人たちの視線が集中するステージ中央のスポットライト。そこに仁王立ちする矢野真紀。そうまさに仁王立ちである。彼女は何かをつかんだのだ。我々を魅了する何かを・・・。そしてその先にあるのはきっと輝かしい未来に違いない。
だから今この瞬間の彼女を我が目に焼き付けておこう。
そしていつの日か、ここ富山でライブをやっておくれ、マッキー!
今年もよろしく。



2001年01月08日(月) P15:演劇

【虎の自叙伝〜その15】 演劇

最近まで忘れていたのだが、僕の人生の中でたった一度だけ人前で演技なんぞをしたことがあった(保育園は除く)。あれは今から20年以上前も前、中学3年生の時。たぶん卒業に関連した行事だったと思う。バリバリの主役だった。しかしこの主役、はっきり言って嵌められたモノ。朝、学校へ行ったらなぜか決まっていた。誰が何のために嵌めたのか、今もって謎である。たぶん、クラスのみんなからすれば軽い冗談のつもりだったのだろうが、当の本人からすれば一大事。だいたい昔から、人前で何かをやるなんて(歌でも演技でも)大の苦手。本番までは、まさに地獄の日々だった。途中何度も降板を申し入れたのだが、先生も笑って聞き流すばかり。ほんとマジでビビッていた。だから、本番の記憶がはとんどない。幕が開く直前までの記憶はあるのだが、それ以降はプッツンである。
いったいあれは何だったのか。記憶を掘り起こしてみてもワケのわからない出来事だった。普通、大きなプレッシャーを乗り越えたりすると、自分の中で何らかの変化が起こったりするものなのだが、そのあたりもまったく心当たりがない。ひょっとして、あの舞台に今の自分の原点があるかも知れないのだが・・・。謎である。



2001年01月05日(金) D15:雪かき

【四方山日記〜その15】 雪かき

大雪が降って大変なのである。昔にくらべれば大したことは無いらしいが。僕の車は青空駐車なので、屋根の雪下ろしや周辺の雪かきをしないと後々面倒くさいことになってしまう。雪がちらつく中、スコップで雪かきをするのだが、これがなかなかの重労働。翌日あたり決まって筋肉痛になる。特に腰まわりがヤバイ。今日もそんな雪かきをしていたのだが、案の定疲労がたまってきたみたいだ。明日あたりあのイヤな症状が出そうな予感。だから日頃の運動が大切なんだってこんなときにだけ思ったりする。人間はなんて身勝手な生き物なんだろう。雪が溶け出したらそんなことはきっと記憶の彼方に埋もれてしまうのに。
だから・・・今年はもうすこし運動をせねば。若い頃より、贅肉が落ちにくくなっていることだけは確か。そういう意味では、少しは雪が降ってくれた方がいいかも知れない。雪かきは避けては通れないモノだから。ああ、窓の外は一面の銀世界。眺めるだけならこれもいいんだけどなあ。



2001年01月04日(木) P14:切手コレクション/D14:バーティカル・リミット

【虎の自叙伝〜その14】 切手コレクション

切手を集めていたときがある。たしか小学校の4年生か5年生のころ。きっかけは何だったのか、今ではすっかり忘れてしまった。僕は切手の価値そのものよりも絵柄で買うことの方が圧倒的に多かった。日本のモノでは、国立公園シリーズや東京オリンピック、国宝シリーズ、北斎などが好きで、それらを時々ながめてはニンマリしていた(なんかおたくっぽい)。今でも実家のどこかにあるんじゃないかな。外国のモノでは、なんといってもボリビアの切手が多かった。何故かというと、その色彩があまりにあざやかだったから。多分、値段的にはたいしたことはなかったと思うけど。
その頃の雑誌の広告には、切手の通販モノがけっこうあって、ボリビアの切手なんかはそれらを見ては買っていた。国内の切手は、古びた工場の奥に知る人ぞ知る切手屋さんがあって、そこでよく買っていた。その場所は、外からは決して見えなくておじいさんが一人で経営していた。市価よりも相当安かったと思う。僕らが買いに行くと、いつも人がいっぱいでとても繁盛していた。口コミだったのだろうか。
集めた切手は、先端が丸くなっている専用のピンセットで扱う。傷がつかないようにするためだ。傷がついてしまうと切手の価値は大幅に下がってしまうため、慎重に扱った。切手専用の収集ブックに収めるのだが、裸のままではなくて、一枚一枚フィルムカバーのようなものに入れて保存する。だから、細かい作業が苦手な人は、切手集めなんかしないほうが無難である。
その当時、どうしても手に入らなかった切手がある。あまりにも高価だったからだ。一枚1万円以上した。「見返り美人」と「月に雁」、この2枚がそれである。当時でその値段だったから今だといくらするんだろう。見当もつかない。
あんなに熱中した切手への情熱も、いつのまにか冷めてしまった。なんとなく始まってなんとなく終わった切手コレクション。今はただなつかしい思い出だ。実家に帰ったら久しぶりにあの切手ブックを見てみたい気もする。

【四方山日記〜その14】 バーティカル・リミット

今シーズンで一番の大雪になった。なのに映画を見に行く。それも男二人で。まったく色気なし。
選んだのは、こんな雪の日にはピッタリの映画「バーティカル・リミット」。ヒマラヤで遭難した妹を兄が救助に行くおはなし。まあ、ストーリー的にはお約束モノなんだけど、映像的にはなかなかの迫力でした。なんてたってほとんどが雪山のシーンで、大自然の雄大さを満喫するのにはピッタリの映画です。それ以上は特に言うことなし・・・です。
しかし、あの噂の恐竜CG映画「ダイナソー」の混んでること。朝から満員御礼の連続で、家族連れに大人気なんだね。僕も上映期間中に見たいとは思っているんですが、どうなりますやら。
僕は見たいと思った映画はできるだけ映画館で見るようにしています。それは、見たいと思った瞬間の気持ちが大事だと思っているから。しかし、そんな僕でも冬場の映画鑑賞で困ることが一つだけあります。それはすぐにトイレに行きたくなること。できるだけ始まる直前に行くようにしているんだけど、これがなかなか思い通りにいかなくてね。クライマックスなんかでもよおしたりするともう大変。こんなときだけは、ビデオの良さを再認識しますなあ。それ以外は、やはり映画館で見るに限ります。というわけで、夢はやはりホームシアターですかいな。予定は未定。いつになることやら。



2001年01月03日(水) M12:小谷美紗子/D13:謹賀新年

【音楽見聞録〜その12】 小谷美紗子

新年一人目は小谷美紗子嬢。
はじめて会ったのは、いつじゃい(笑)?めちゃ曖昧なんだけど、たぶんセカンドアルバムの頃(?)かなあ。いや、もっと前だ。まあまあそんなところです。第一印象?そうねえ、正直言ってつかみどころがなかったな。会う前から、警戒心バリバリでね、彼女にまつわるいろいろな情報をかき集めたりしてさあ、それとなくリサーチしてたワケ。そこで導き出された答えは、白か黒かのどちらかだ(笑)。この意味、わかります?つまり、相性のこと。合わなかったら、それっきりかなって感じで構えてたよねえ。だから、はじめてキャンペーンで会ったときは、ぎこちなかったと思うよ。特に俺の方がね。
なんとなくいけそうだなって思ったのは、大阪でLIVEを見たとき。これが2回目の遭遇。打ち上げの席で、けっこういろんな話をして、これならOKって感じになった(笑)。まあ、それからはエライ仲良しになっちゃってね。俺もめちゃ気を抜いて付き合ってますよ。
彼女はとにかくピュアな人で、会うたびに純粋になれる気がするね。でも言動は、ものすごくシンプルでストレート。一言で言えば潔い。だから言葉以外の表現(例えば表情とか雰囲気とか)を感じ取るようにしてます。まあ本人は意識してないと思うけどね。ときどきふっと手紙なんかをくれたりするんだけど、だいたい2〜3行しか書いてない(笑)。でも、その行間に彼女の情念がにじみでている感じがしてさ、けっこう嬉しいんだよね、これが。
去年、富山で2回目のライブイベントがあったんだけど、想像をはるかに越えた心洗われるライブだった。えっ見たことないの?そりゃもったいない。あなたの心の中で何かが変わるはずです。機会があったらぜひお奨めしますよ。
そういうわけで小谷サン、21世紀もよろしくお付き合いさせて下さいませ。

【四方山日記〜その13】 謹賀新年

新年明けましておめでとうございます。
って思っていたら、もう3日です。早いもんですねえ。こんなことしてたら、今年もあっという間ですな。
みなさん、このお正月はどんな感じでしたか。あっしはといいますと、平平凡凡で過ぎていきました。もちを食ったのも1回だけだったし。みかんはまだ食べとらんしね。しかし、こんなに季節感がなくなってしまっていいのだろうか。まったくお正月気分じゃない。これが個人的なモノなのか、世の中の雰囲気がそうなのかさえわからないのだから始末が悪い。たしかに昔にくらべると元日営業なんていうのは、そんなに珍しくなくなったし、人の流れもより活動的なんだけどね。もうちょっとメリハリがあってもと思うのはあっしだけかいな。
子供の頃、大晦日から元旦へまたがるこの時間っていうのは、1年の中でも一番ワクワクする時間だったんだけど、今はそんな高揚感はどこへやらって感じだね。だから、今年のスローガンはズバリ!ゆとりです「ゆとり」。こんなこと書くと、そんなもん去年からありあまるほどあったろうがって言われそうですが・・・。




2000年12月31日(日) D12:年賀状に大苦戦

【四方山日記〜その12】 年賀状に大苦戦

悩みの種であった年賀状がようやくできあがった。何年も前からパソコンで管理しているのだが、これがなかなかスムーズにいかない。まず、住所録を整理するのが最初の難関。たまってしまった名刺の束をソフトに入力するのだが、これが持続できない。最近のソフトは自動変換機能が格段に向上していて、相当入力しやすくなっているのはずなのに、それでもくじけてしまう。まあ、コツコツやるしかないんだろうけどね。
それから、出す人、出さない人を絞りこまなきゃならない。年賀状の購入枚数は大体決まっているから、この帳尻を合わせるのが最も骨の折れる作業かも。毎年悩んでいるのはいつもここの段階だ。僕の場合は、およそ三つに分けている。ハガキで出す人、メールで出す人、そして出さない人。本当は、全員に出せば悩むことはないんだろうけど、そうもいかないのでこうしている。ここまでの作業がおわって、ようやくデザインを決める。これがまた、スパッと決まらないんだよね。いつも悩んでばかり。そしていよいよ印刷。家庭用のカラープリンターはインクジェット型が多いと思うけど、これがなかなかクセモノでね。印刷不良や紙詰まりなんかがけっこう頻繁に起こるので、立ち会っていないと不安だらけ。だから印刷だけで相当な時間を費やすことになる。その間、何もできないのは結構つらい。
以上のような一連の作業がようやく終わったのが、大晦日の夜11時近く。一応年内に完成はしたものの、結局元旦に出すのと同じになっちゃった。というワケで、またもや元旦には配達されない僕の年賀状作成日記でした。
PS. メールはちゃんと着いている思います。



2000年12月29日(金) P11:LUNA SEA ��/D11:こだまがきた

【音楽見聞録〜その11】 LUNA SEA ��

ひきつづきLUNA SEAについて。
まず、前回登場してなかった他のメンバーの話から。
真矢。テレビ番組で垣間見せるあの憎めないキャラクターを想像する人も多いと思うけど、まさにあのまんまの人です。たぶん人間が大好きなんでしょう。人を警戒させない男ですね。この前、金沢で久々に会ったとき、ライブで疲れてるのに立ち上がって握手をしてくれた。僕は「お疲れさん、そしておめでとう」(この意味、わかるよね)とだけ耳元でささやくように言った。彼はすこし照れながらニコニコしながらお辞儀をした。そこはまるで太陽のように輝いていた・・・。まあ、こんな表現で想像できるでしょ。人のいい兄ちゃんなんだ。
SUGIZO。アーティストらしいアーティストだと思う。数ヶ月前、富山にキャンペーンに来たとき会ったんだけど、ものすごく喜んでくれた。「ここで会えて、ほんとよかったよ」なんて言ってくれて、僕の方が浮かれた気分になってしまった。なんか人として通じ合えるものがあるね、彼とは。最初の出逢いは、たぶん東京FMの深夜の番組でLUNA SEAがゲスト出演したときだったと思う。そのときは、紹介されたぐらいであまりしゃべった記憶がないんだ。でも・・・気が付いたら知り合いになってた。なんとも不思議な男なのだ。
J。何年か前、初めて金沢で一緒に飲んだ。寡黙な印象があったのだが、単なる思い過ごしだった(笑)。サッカーの話でけっこう盛り上がったよ。とにかく熱い男である。それに筋道を通す男、いうなれば硬派である。彼は自分でも言っていたが、ほんとフラットな男なのだ。裏表がない。ソロツアーの打ち上げの席で、そのJの熱いトークが炸裂。他にも人はいたと思うけど、まるで僕と二人だけの会話になってしまった。でも、僕は彼のほとばしるエネルギーを全身全霊で受け止めた。そこに彼の「男気」を感じたから。僕はそんなJが大好きになった。

最後に。
僕がLUNA SEAと出逢い、初めて富山でライブが行われた夜、会場のロビーでくつろいでいた僕に何人ものファンが声をかけてきてくれた。「LUNA SEAを富山に呼んでくれてどうもありがとう」ってね。その言葉を理解したとき、僕は思わず泣きそうになった。その理由は以下に書く。
僕らメディアの大きな使命の一つは、地域密着・地域還元である。言い換えれば、リスナーに喜びをお返しすること。一つのライブを実現するということは、僕ひとりの力でどうにでもなることじゃない。いろいろな人たちの力が合わさってはじめて可能になるものだ。でも、その実現につながるきっかけをつくり出すことは出来るかもしれない。そんな思いが結実したカタチ、それがこの夜のライブだった。僕はそれだけで十分すぎるほど嬉しかった。でも同時にこの喜びを共有してくれている人たちがこんなにも近くにいてくれたことが何よりも嬉しかったのだ。僕らメディアの使命とは?、それが大きな確信へとかわった夜だった。

偉大なる男たちが「終幕」した。走り去る風のように。長く激しい航海だったろうが、今はただ「おつかれさま」という言葉を贈ろう。次なるステージへと思いを馳せながら。そして未来へ・・・。

【四方山日記〜その11】 こだまがきた

こだまさおり嬢が遊びに来た(どうやら実家に帰省しているらしい)。まあ、おもりみたいなもんです(笑)っていったら、そりゃ怒るわな。お茶飲んで、番組に出て、ラーメン食べて、ショッピングに行って、駅まで送り届けるというスケジュール。これじゃ、まるでアッシーくんじゃないか、と思われる方、いらっしゃるでしょうね。いやいや、そんなことはないですよ。地方のマネージャーぐらいに思っておいてくださいね。
まあ冗談はさておき、こうやって以前仕事で出会ったアーティストがプライベートで遊びに来てくれるのは、ホント嬉しいもんです。僕は人と人との出会いは縁だと思っているから、たとえそれが仕事上の出会いであっても、こんな形で継続していけるのは、至上の喜びなんです。理想を言えば、すべての出会がこんなカタチになったらいいなと思っているぐらい。だから、これからもいろいろな出会いを大切にしていきたいし、またそういう自分であり続けたいと改めて思わせてくれたひとときでした。こだま、どうもありがとね。また、あそぼ!



2000年12月27日(水) P13:漫画・・・/M10:LUNA SEA ��

【虎の自叙伝〜その13】 漫画・・・

昔から漫画が好きなのである。今はほとんど買わなくなってしまったが、お気に入り週刊誌はさまざまな方法で欠かさず読んでいる。たまにコンビニで立ち読みしている時、知り合いに見つかって声をかけられたりするが、あれは絶対にやめてもらいたい。めちゃくちゃ恥ずかしいから。なんか自分の恥部を覗かれたような感覚なんだよおおお。特に大人の週刊誌を読んでる時なんかは最悪だ。ほんとやめて下さい。できれば見てみぬフリをしてもらえるのがとってもありがたい(笑)。
一番はまってたのは、小学校の高学年から中学の頃かなあ。新刊の発売日なんかはほとんど把握していて、その日になると本屋さんへまっしぐらって感じだった。だから今だにそのクセがぬけてない。本屋さんは大好きな場所なのである。
単行本はほんとによく買ってた。親が心配するぐらい。当時漫画は勉強の敵っていうイメージがあって、友達なんかは知らないうちによく捨てられてたみたい。あれは子供心に傷ついたと思うよ。子供の頃の大切なモノっていうのは、大人になったときのそれより何倍も感情移入がされているから、余計に悲しみが大きかったんじゃないかな。自分が子供だった頃を考えればわかりそうなのに、どうして大人になると忘れてしまうのだろう。不思議だ。はっきり言えることは、漫画は日本が生み出した素晴らしい文化遺産だっていうこと。最近は少し見直されてきたみたいだけどね。
実家の押入れの奥には、今もたくさんの漫画が眠っている。「あしたのジョー」「バビル2世」「デビルマン」「男一匹ガキ大将」etc・・・。影響をうけた作品ばかりだ。まあそれぞれに思いはあるけど、今日はその中のひとつ「バビル2世」(横山光輝 作)について。この作品は、あのバベルの塔の伝説をモチーフにしたSFタッチの作品なんだけど、僕のSF好きの原点と言ってもいい。

【ストーリー】
「大昔、高度なテクノロジーを持った異性人が地球に不時着した。乗っていた宇宙船は故障してしまって、もう自分の星にはもどれない。彼は地球で暮らす決意をする。地球人は彼の持つ知識やテクノロジーに驚愕し、彼を神と崇拝した。やがて彼は自分のテクノロジーを後世に残すためバベルの塔の建設に着手する。何世代、いや何百世代か先の子孫に自分と同じ能力をもつ子が誕生するのを願って。そして現代。ついにその能力を持つ少年が・・・。」

たぶん、今もSF作品(小説、映画など)が好きなのは、この漫画のおかげだ。ハリウッドで映画化したらおもしろい作品になると思うんだけどなあ。
てな感じで漫画の話になるととめどなくなっちゃうから、今日はこの辺にしときます。まあそのうち第2弾を書いてしまうと思うけど。

【音楽見聞録〜その10】 LUNA SEA ��

今日はやっぱりこのバンドしかないでしょう。LUNA SEA。今ごろは東京ドームでのFINAL ACTの真っ最中かな。
最近だとばかり思ってたら、はじめての出逢いからもう6〜7年も経っていた。思い起こせばそう、彼らがライブツアーで金沢市文化ホールに来てくれたときだったなあ。「とにかく見に来てほしい」というレコード会社のプロモーターN氏の言葉にまんまと乗せられ、ほとんど予備知識もないまま、僕はライブ会場へ出向いた。今考えると、すべてはN氏の策略だった。彼はなんとかして僕をメンバーに会わせたかったのだ。
それはライブ後の打ち上げの席だった。参加者は20人以上はいたと思う。適当にくだけてきた頃、「今日はありがとうございました」の声。そこにはボーカルのRYUICHIがいた。僕は瞬間的にしまったと思った。なぜって、ここでの主役は彼らなのだから、本来なら僕から先に挨拶に行くべきものなのだ。しかし、もう遅い。しかたねえやと思いながら僕とN氏とRYUICHIの会話が始まる。そう、このシチュエーションこそがN氏の狙いだった。彼は僕の「熱い男にめっぽう弱い」という性格を知り尽くしていた。そういう男に出逢うと僕は一発ではまってしまう。男に惚れてしまうのだ(注・変な趣味はありません)。RYUICHIはまさにそんな男だった。N氏の思惑通り、僕らはまるで旧友が再会するように意気投合した。1時間以上は話していたと思う。細かい内容は再現できないが、めちゃめちゃ熱い会話だったことだけは確かだ。そして僕は最後に言い放った。「富山に来てくれなきゃ俺はやらんぞ」。まあビッグマウスもここに極めりって感じだね。答えるようにRYUICHIが言った。「絶対行きますからそのときはお願いしますよ」。そこにはあの揺ぎ無い視線があった。この瞬間ほんと思ったよ。「こいつはただもんじゃないぞ」ってね。
しばらくしてキャンペーンでRYUICHIとINORANが来てくれた。RYUICHIの第一声は今でも覚えてるよ。ただ一言「来たよ!」だった(笑)。キャンペーン自体はめちゃくちゃいい雰囲気で出来たと思うよ。これもすべてN氏のおかげ(せい)だ。
ところで、このキャンペーンのあと僕はファンの人からお叱りを受けた。INORANの声がもっと聴きたかったってね。そんなに優しい言い方じゃなかったけど(笑)。でも、おっしゃる通り。もっと彼が話しやすい環境を作ってあげるべきだったのだ。それでもINORANは僕にこう言ってくれた。「今日はうまく話せなくてすみません。この次がんばりますので、またよろしくお願いします。」ってね。そのとき僕は、返す言葉がなかった。いや言えなかったという方が正しいのかも知れない。・・・INORANのさりげない優しさに感激して、声が詰まりそうだったから。
N氏の策略通り、このキャンペーンをきっかけに僕とLUNA SEAの距離感は急速に近づいていく。(つづく)



2000年12月26日(火) P12:俺のロック魂よ/M9:陣内大蔵/D10:留守でした

【虎の自叙伝〜その12】 俺のロック魂よ

今日は洋楽をかじり始めた頃のお話。
中学時代のロック御三家と言えば、キッスにエアロ(スミス)にクイーンだった。どのバンドが好きだったかによって、当時の志向がわかろうというもの。まずキッス。一言でいえばミーハーな奴ら。ファンは多かった。エアロ。はっきり言って音楽通。だいたい兄貴とかがいてその影響を受けてる奴ら。ファンの数では少数派。クィーン。ちょっとピアノなんかを習っててクラシカルなセンスを持ってた奴らは、このバンドが好きだったみたい。この中では一番高尚な感じがしたもんなあ。で、俺はっていうと、もちろんキッス派(ミーハーです)。当時NHKでヤング・ミュージック・ショーっていうライブ番組が放映されてて、テレビのイヤホンをラジカセのマイクにあてて録音してた記憶がある。まだビデオもなかったし、せめて音だけでもって涙ぐましい努力をしてたな。
クィーンはね、好きな曲もあったけど、エアロに関しては、よくわからなかったっていうのが本音。当時は幼すぎました。あと他に聴いてたというか、聴こうとしてたのは、ストーンズとツェッペリン。まあ、見栄ですな。あの頃っていうのは、ちょうど洋楽をかじりだした頃で、バンドをはじめて組んだりしてさあ、「俺はこんなすげえバンドを聴いてるんだぜ」っていうその行為に酔いしれてたみたい。ちょっと背伸びしてた時代だな。だから、エアロとかクィーン、ストーンズ、ツェッペリンがホントにいいと思ったのは局に入ってからだもんね。ずいぶん目覚めが遅い(笑)。
で、キッスからディープパープルにいって、レインボー、まあこのあたりはなんとなくわかるでしょ。そこから突如イーグルス。なんたって初めて買った洋楽のLPが「ホテルカリフォルニア」なんだから。いったい何が起こったの?って感じだよね。でも事実だからしようがない。
だけど1曲まるごとコピーできた(?)のはキッスだけだったなあ。他のバンドは最初から挫折した。何を勘違したのか、一番簡単そうに聴こえたから(笑)。中でもコピーしまくった曲はやっぱり「デトロイト・ロック・シティ」かなあ。今でもこの曲を聴くと、俺の中のロック魂が騒ぎだすのさ。過激だで〜!

【音楽見聞録〜その9】 陣内大蔵

外は雪ですなあ。雪といえば、まっさきに頭に浮かぶのがこの人、陣内大蔵。その昔、クリスマスのライブイベントで、大雪のため飛行機が羽田に引き返してしまい、急遽、小松便に変更したのはいいけれど、今度は道路が大渋滞で会場に到着したのが午後8時、ということがあったのさ。
そのうちわけはこうです。イベントの開始時刻は午後6時半。それをギリギリまで遅らせて、前半はビデオ上映。しかしこれは30分でおしまい。そんなところへイベンターから「今、高速のインターを降りたと」の情報。これが午後7時前後。じゃああと15分ぐらいで着くかと思ったのが甘かった。雪の渋滞にひっかかり、到着はおよそ1時間後の午後8時というわけです。その間、会場では何をしていたかというと、CDショップの出たがり店員とあっしの二人で打ち合わせなしの漫談です。陣内大蔵クイズなんてやっちゃってね。まあ潮がひくようにっていうのは、まさにあのときの状態ですわ。そりゃそうだよね。誰?この人たちっていう野郎がステージに出てきて、ワケのわからんことを言っているんだから。でも、こっちは必死ですわ。もう主催者としての責任感だけでしたな。
さて、そんなところへ陣さん登場。もうリハーサルも公開で、1〜2曲音合わせして本番スタート。まあなんとか帳尻を合わせたって感じのイベントでしたな。しかし、遠くから来てくれたファンの方にはほんと申し訳ないことをしました。帰りの電車の都合で、陣さんの姿を見られないまま帰らなきゃいけなかった人が何人もいたからね。悪いのはすべてファンハウス(当時所属のレコード会社)です(笑)。
しかし、彼ともずいぶん長い付き合いになりましたなあ。デビュー直後からだからもう13年近くになりますか。なんかお互い気をつかってないっていうか、まあ自然体でつきあえるんでしょうね。きっとこいつとは、将来今と全然違うことをやっていたとしても、まったく違和感なく付き合っていけると、そんな感じがしてます。まあこれからもよろしく頼むわ、じんじん。

【四方山日記〜その10】留守でした

ちょこっと留守にしてました。どこへって?えーとね、名古屋まで。つーことで、先ほど雪の富山に戻ってまいりました。
あっしのモバイル環境が整っておらず、アクセス不能状態になっちまい、ついに連続書き込み記録が途切れてしまいましたな。まあ、いいやね1日ぐらい。こういうものはいつか途切れるもんです。しかし、少しは考えんといかん。
さてさて、ちょっくら昨日のことを書いてみましょう。まず、なぜ名古屋に行っていたのかというと、あっしのマブダチバンドTHE JERRY LEE PHANTOMのライブを見にいっとたワケです。1年半ぶり(?)に見たライブだったけど、あいかわらず熱かったなあ。あれほどのパワーを放出できるバンドは、そうはいないと思いますぜ。そうそう、熱かったといえば、あっしの泊まったホテルのすぐ近くで大火事がありまして、消防車が30台以上集まってました。もう一帯は燃えカスや煙やらで大変でしたわ。ほんと気をつけんといかんぞな。
昨日は飲みほうけてまして、ほとんど寝てません。だから電車の中では爆睡状態でした。しかしまあ、こんなに積もってるとは思いませんでした、雪が。いよいよ本格的な冬将軍の到来ですかな。みなさん、どうぞ風邪などには気を付けてくださいよ。とりあえず、あっしはまだひいてません。はっくしょん!


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