| 2000年12月24日(日) |
P11:はじめて買った洋楽シングル |
【虎の自叙伝〜その11】 はじめて買った洋楽シングル
掲示板でも書いたのだが、初めて買った洋盤は(もちろんアナログ盤)ジグソー(ジグゾーだったかな?)の「スカイハイ」という曲だった。僕がまだ中学生の頃、プロレスがテレビのゴールデンタイム(夜8時)に放送されていて、その画面を通して聴いたのが初めてだった。ミルマスカラスというメキシコの覆面レスラーのテーマソングとして使われていたのだ。このミルマスカラスの空中殺法はまさに芸術品で、その華麗な技の連続に僕はたちまち虜になってしまった。その彼が入場する時に流れる曲、それが「スカイハイ」だ。当時はものすごくアップテンポな曲に聴こえたのだが、今あらためて聴いてみるとそれほどでもない。こんな感覚って誰もが経験していることだろうけど、これが音楽の奥深さでもあると思うんだ。だって、記録されている音は普遍的なモノなんだから(音質の劣化は別として)、違いがあるとすればそれは僕ら聴き手側にあるはずだ。年齢や、感情、環境などでその受け止め方がまったく異質なモノになってしまう音楽の摩訶不思議な世界。だからたまらなく好きなんだよなあ。 このあと僕の格闘技への興味は、あの初代タイガーマスクへと継承されていく。そして音楽の方は、あの超ド派手バンドKISSへとなだれ込んでいくことになる。続きはまた次回。
| 2000年12月23日(土) |
P10:怪獣写真/D9:雪山とエレベーター |
【虎の自叙伝〜その10】 怪獣写真
小学生のころ、怪獣写真なるものがよく駄菓子屋に売っていた。当時流行っていたウルトラマンやゴジラの写真が多かった。どうやって買うのかっていうと、ハガキ大の写真が30枚ぐらいの冊子になっていて、1枚ずつ封筒に閉じてある。つまり買ってその封を開けるまで内容はわからない仕組みだ。たしか1枚5円だったと思う。僕はいつのまにかコレにはまってしまっていた。コレクターといってもいいぐらい、おこづかいの大半はその写真に消えていった。覚えているだけで、600枚以上は集めたんじゃないかなあ。でもある日、どういうわけか近所のともだちに全部あげてしまった。どうしてあげちゃったのか、どうにも思い出せない。飽きてしまったのか、親に怒られたのか、それとも・・・まあ、今となってはどうでもいいことだけど。でも、時々思うのさ。今も持ち続けていたら、きっとスゴイ価値のあるものだったに違いないって。「なんでも鑑定団」とかに出しちゃったりしてさあ。でもそのあとのことを考えるとちょっと怖いけどね。だってさあ、もし想像よりもはるかに上の金額なんかで査定されたりしたら、果たして売ろうと思っただろうかって想像してみてくださいな。まさに禁断の果実かも(笑)。でもマジにどうなんだろう。そのときになってみなきゃわからないけど、たぶん売らないと思う。いや、そう思いたい。いやいや、そう思いたいだけかも知れない。そんな風に考えると、やっぱり持っていなかった方が正解だったのかも。
【四方山日記〜その9】 雪山とエレベーター
昨日今日と久しぶりにいい天気だったので、雪のアルプスがとてもまぶしく見えた。こんな気分のときは何かにひらめくものだ。去年購入したばかりの一眼レフのカメラに、撮りかけのフィルムが残っていたことを思い出す。僕が住んでいる部屋からは、ラッキーなことにその山々の頂が視界いっぱいに見える。少しひんやりしたベランダに出て、何枚もの写真を撮った。町並みを覆うようにそびえたつアルプスの山々。毎年見慣れているはずの何気ない風景が、とてつもなく新鮮に思えるのはなぜだろう。 どうやら昨日からの僕は、この雪山に心を惹かれているようだ。気が付いたら近くのビルの展望台に登り、ただ漠然とその山々を見ていた。右の視界に雪のアルプス、左の視界に日本海。都会の雑踏からは考えられないような贅沢な風景だ。ただそれだけのお話。
PS 今のエレベーターって、動いているのがほとんどわからないくらい静かなんだって今日気が付いた。まるで静止しているような感じ。子供のころはエレベーターが大嫌いだった。だって、一瞬無重力のような感覚になるでしょ、そうジェットコースターに乗ったときに味わうあの感覚。あれがとても気持ち悪かったから。テクノロジーの発達ってほんとスゴイと思った。これなら1時間だって耐えられそうだ。おわり。
| 2000年12月22日(金) |
M8:橋本慎/D8:明晰夢 |
【音楽見聞録〜その8】 橋本慎
この名前を聞いてもピンとこない人、結構いると思うんだけど。SR Smoothyのコンポーザーといえばわかってもらえるんじゃないかな。 ヤツとは、ただの野球ともだちみたいなもの。お互い中日ドラゴンズのファンだ。去年優勝が決まろうかというとき、ヤツは神宮球場のスタンドから電話してきやがった。それも曲づくりをサボって。もう1回大きな声でいいますよ。曲づくりをサボって野球観戦してたヒトなんです(笑)! 「今、どこにおるかわかる?」だってよ。そりゃ、なんとなく雰囲気でわかるわな。電話のうしろが異様にうるさいんだから。まあそういうわけで、去年は仕事との両立が大変だったと思うけど、今年は結構楽だったんじゃない?特に夏以降は。 普段はホントアーティストらしくないヤツ(笑)。でもピアノに向かうとコレが一変するんだよなあ。やっぱコイツ、ただのドラゴンズファンじゃなかった!って思ったよ。特に去年やったライブイベントでは、アーティストたるもんはこうでなくっちゃって姿を見せてもらいました。ヤツのうた以外はね(笑)。なんかステージで初めて歌ったらしいんだけど、これがねえ・・・まっ想像にお任せしますよ。ほんとアーティストらしくなかった(笑)。たぶんあれが最初で最後でしょうね。でも、あのテープどっかにあったと思うけどな。ウッシッシ。 まあ、いろいろ書いてきましたが、ヤツとはこういう仲なんですよ。21世紀もいい曲を聴かせてもらいたいね。ヤツが創るメロディは、ほんとスゴイと思ってるし。教授の次は彼でしょう。リ**ンのCFソング、狙ってね。 【四方山日記〜その8】 明晰夢
最近、リアルな夢を見ることが多い。そういう時ってたいてい寝坊してしまう。目覚ましがガンガン鳴っているのに気づかない。 数日前、子供のころによく遊びに行ってた森の中で、布団を敷いて寝てる夢を見た。その上をレンジャー部隊のような人たちがロープで登っていく。意味がわからない夢。決して嫌いじゃないけれど、起きたときにちょっと疲れるね。 まあそれはさておき、最近「明晰夢」なるものに興味があって、なんとか経験したいと思ってはいるものの、これがなかなか難しい。「明晰夢」とは、夢を見ている自分を認識できている状態?つまり、これは夢なんだとわかってて夢の中にいるってこと?いやいや、言葉ではうまくいえないんだけど、そんなようなことらしい。(間違ってたらごめんなさい) これって、すごいことだと思いませんか。もし、夢とわかっていたのなら破天荒なことも平気でできちゃう。たぶん、現実世界では実現不可能と思われるような無謀なイメージも、お茶の子さいさいで具現化できる。こんな楽しいことって他にないでしょ?よく人生の成功読本なんかに、プラス思考でいなさい、潜在意識に訴えかけなさい、みたいなことが書いてあるけど、それがぞれほど難しいことなのかは誰もが知っていると思う。だけど「明晰夢」を利用できたら、イメージを潜在意識に直接訴えかけて・・・、そのあとはウッシッシ。なーーんてね。誰かこの分野に詳しい人がいたらぜひ教えてください。
| 2000年12月21日(木) |
P9:石集め/M7:SMILE |
【虎の自叙伝〜その9】 石集め
今日から何回かに分けて、その昔コレクションしていたモノについて書いていこうと思う。なぜかそのほとんどが小学生時代に集中しているのが不思議といえば不思議である。 まずは「石」集めだ。そう、地球上のあらゆる場所にころがっているあの石ころである。きっかけは友人が所有していた水晶を見たときに始まる。今まで見たこともないようなとても綺麗な水晶で、当時の僕の目には宝石のような輝きに思えた。それからというもの放課後になると、近くの山や川原で石を割る毎日が続いた。水晶は、表面に穴が空いている石を割るとその中に結晶があるんだという話を聞いたからである。でもこれがそう簡単には見つからないシロモノだった。水晶らしきものは見つかるのだが、肝心のホンモノが見つからない。いったいどれぐらいの石を割ったのだろう。そうこうしているうちに、今度は化石に興味がわいてきた。これも、同じ友人が持っていた立派な化石を目にしたからだ。当時の僕は、他人に感化されやすい少年だったのかも知れない。 放課後はいつもこんな感じだったのだが、ある日突然、僕の石集めは終わりを告げる。苦労して集めた石が、忽然と姿を消してしまったからである。要は捨てられたのだ。親にしてみれば、来る日も来る日も石集めに奔走している子供に、ある種の不安を抱いたかも知れない。当時の僕は、たぶんショックだったと思うが、泣き喚くようなことはなかった。僕にとってもそろそろ潮時だったのだろう。子供の気持ちは移ろい易いものなのだ。
【音楽見聞録〜その7】 SMILE
今回はSMILE。ボーカルの浅田信一とは仲がいい。こう書くと、ずいぶん古いつきいのように聞こえるが、たぶん3〜4回ぐらいしか会ったことはないと思う。まあ、人の距離感っていうのは回数じゃないからね。 「ドライブ」ってタイトルのシングルのときだから、おそらく3〜4年ぐらい前(?)かな(ええかげんですな)。浅田がキャンペーンで来ることになって、そのときが初対面。でも、会う前まではえらい警戒しとったな。「相当なワルだったらしいぞ」って噂を聞いてて、ピリピリした空気になったらどうしようって思ってたわけさ。で、会ったら完全な拍子抜け。俺が言うのもなんだが、いたって好青年でしたな(ちょっと言い過ぎかも!)。人との出会いって最初のインスピレーションが結構大事じゃない。松田聖子じゃないが、ビビッて感じよ。そう、そのビビッって感じがあったな。別に変な関係じゃないぜ(笑)。 印象に残っているのは、やっぱりライブイベントだね。SMILEといえばやっぱりライブでしょう。でもこのときはいろいろ大変だった。何しろイベントの中心人物(マネージャーとレコード会社の宣伝マン)がセクション替えでどっかへ行っちまった。残ったのは、俺とイベンターの二人。いったい誰が責任を持つわけよって感じで(笑)。しばらくして新マネージャーっていう人から電話がかってきた。偶然、その昔から知ってた変なヒトだったからよかったけど。でも初対面は深夜のよっぱらいげんかの場面。印象わり〜い。まあ、彼がいたおかげで準備は万全だったからよしとしておきます(笑)。 でも、あの時のライブは今でも鮮烈に覚えてるよ。なんてったって、無料招待イベントにツアーセットをそのまま持ち込んだ画期的なものだったから。普通はできません、予算がかかりすぎて(笑)。まあ当時、某Sレコードは太っぱらだったんでしょう。でもね、そのかいあってほんといいライブだった。お客さんもいっぱい来てくれたし。今でも印象に残るイベントの一つだね。 来年は、またどこかでヤツらのライブを見たいもんです。21世紀もよろしく。
| 2000年12月20日(水) |
P8:タイムカプセル/D7:昼寝 |
【虎の自叙伝〜その8】 タイムカプセル
小学校6年生のとき、学級委員になってしまった。今振り返ってみると、学級委員ってどんな役割だったのか、ほとんど思い出せない。唯一鮮明に覚えていることは、卒業するちょっと前、タイムカプセルと称して、成人式のときに開封する未来への手紙を入れた箱に封印する作業をしたことぐらいだ。ガムテープで頑丈に梱包して最後に僕がサインをした。 成人式のとき、その箱を開封することになった。8年も前のことだし、クラスのみんなも当時、誰に宛ててその手紙を書いたのかさえうつろな記憶の中だ。僕の手紙は3通。当時仲のよかった友人宛てに書いたものだった。手紙を友人に渡す瞬間、思ったものだ。どうせなら自分宛てに書いときゃよかったって。まるで宝物をなくした気分だった。 成人式に来られなかった人に、その手紙を渡すことが、学級委員としての僕の最後の仕事になった。今どこにいるのかを追跡調査をして、どうしてもやり遂げなければならない。ようやく電話が通じたとき、当時のクラスメートはとても怪訝な声を発した。そりゃそうだ。忘れかけてた人間からの忘れかけてた手紙の話なんか、記憶の片隅にもなかったに違いないだろうから。
【四方山日記〜その7】 昼寝
不覚にも3時間も昼寝をしてしまった。今起きたところだい。 思えば大昔、まだあっしが保育園に通園していたころ、この昼寝の時間が一番苦手で、寝た記憶がないぐらいだったのに。それが今はどうだ。昼寝が大好きなヤツになってしまった。人間30年も経つと、細胞そのものが替わってしまうのかも知れない。でも、そんな昼寝を欲望のまましてしまうと困ることがある。夜型人間になってしまうからだ。そうすると、翌日また昼寝がしたくなる。どこかでブレーキをかけねば・・・。これじゃ、どこかのミュージシャンみたいな生活ではないか。 何かのアンケートで見たのだが、「あなたが一番幸せな時間は?」という問いに「寝てる時間」が1位になってた。たぶん若い女性をターゲットにしてた雑誌だったと思うけど。やはり万人にとって、眠るという行為は気持ちいいことなのだ。頭がまだボーっとしてるから、今日のところはそれで納得しておくことにしよう。
| 2000年12月19日(火) |
P7:高校の部活/M6:岩崎宏美 |
【虎の自叙伝〜その7】 高校の部活
高校時代の部活はハンドボール部だった。最初はテニス部(似合わねえ〜!てかっ)希望だったんだけど、あまりに入部希望者が多くて学校側はほんとに困っているみたいだった。体育の先生から「考えなおしてくれないか」の言葉があったとき、あっしはなぜか素直に従って、ほとんど人気のなかったハンドボール部に鞍替えした。まあそんなことぐらいで翻意するぐらいだから、あまり真剣じゃなかったのは確かだね。前回も書いたとおり、あっしたちの高校は新設高校だったから、顧問の先生さえも曖昧なまま部活はスタートすることになった。 ハンドボール部に入ったのはいいけれど、あっしにとって致命傷だったのは、手のひらが小さかった上に乾燥肌だったっていうこと。ハンドボールって、ボールを持ったまま空中である程度自由に動かさなきゃいけないから、手のひらとボールがピタッとくっついてないと、ポロポロ落球してしまうのさ。だから大きな手のひらとウェットな感じが大事になってくるわけ。あっしの手は、そのどちらの条件も満たしてなかったから、ボールがなかなか馴染まない。だからほんとヘタクソだった(笑)。あとね、あっしの性格からいって、団体競技は合わなかったっていうのもあるね。あんまり強引な行動も好きじゃなかったし。まあ、こんな感じだったから、あっしたちの部は、公式戦で1勝もできないまま引退の時期を迎えてしまったわけさ。ほんと盛り上がらなかった部活生活だったなあ。 【音楽見聞録〜その6】 岩崎宏美
ビッグな人といえば、この方もそう。岩崎宏美お姉さま。あっしは「ひろりん」と呼ばせてもらってます。前回の真二さん同様、ひろりんもあっしが物心ついた頃には、大スターだったお方です。(怒られそう!) 出会いは、今からちょうど5年前の今ごろだったんじゃないかなあ。宏美さんが3枚組のベストアルバムをリリースした時。宏美さんの歌は小さい頃(また、怒られそう)から好きだったから、ディレクターという仕事をしていても、なんとなく頭の片隅にあったわけ。ちょうどそのころ、宏美さんがシングライクトーキングとコラボレーションをしてるっていうのを小耳にはさんだものだから、藤田千章がキャンペーンに来たときに聞いてみたのさ。宏美さんってキャンペーンしてくれるかなって。千章は自信満々に「すごくいい人だから絶対やってくれるよ」っていうもんだから、所属レコード会社のビクターに相談してみたわけさ。そしたらとんとん拍子に話がまとまって、寒〜い冬のさなか、2時間の特番をつくることになったって次第です。 その特番は生放送で、放送中は深々と雪が降ってたんだ。放送を聴きつけて、ずーっと局の外で待っててくれたファンの人がいて、アナログのレコードジャケットに宏美さんがサインをしてあげてたのを今でもはっきりと覚えてます。 宏美さんってあんなに大スターなのにきどったところが全く無くて、ほんと気さくな人なのよ。まさにチャキチャキの江戸っ子って感じですな。だからあっしなんかが、こうやってタメ口なんかを利かせてもらってるわけです。 あと、歌はほんとスゴイ。今年もライブを見させてもらたんだけど、久々に鳥肌もんでした。なんかさあ、忘れかけてた歌心ってやつを思い起こさせてくれるライブでしたね。また、ぜひ一緒に仕事がしたい、自然とそんな気持ちにさせてくれるアーティストの一人です。21世紀も期待してますよ、ひろりん!
| 2000年12月18日(月) |
M5:原田真二/D6:13デイズ |
【音楽見聞録〜その5】 原田真二
今日は、今何かと話題の原田真二さん。 僕は敬愛の念をこめて、「真二さん」と呼ばせてもらってます。 デビュー時の3ヶ月連続シングルリリースなんて、当時の音楽シーンにとってはかなり衝撃的な出来事だったんじゃないかなあ。それも3曲すべてがベスト10入りするという快挙。ほんとすごかったですよ。僕が中学生の頃には、もう押しも押されぬスターだった人で、まさかそんなお方とお付き合いさせていただけるなんて夢にも思わなかったですね。 きっかけは、もう5〜6年前になるのかなあ。真二さんがリリースするシングル曲の応援コメントを書いてくれないか、というところから始まりました。しばらくたって、いきなり局に電話が。「原田さんって方から電話です」って言われて受話器をとったのはいいけれど、思い当たる節が全然なくて、実際に会話するまでは疑念を抱いたままでしたね。そしたら電話口でいきなり「原田真二と申します」でしょ。そりゃ、たまげますよ。でも、電話の雰囲気がすごく自然で、ずっと以前から知り合いのような会話をしたのを覚えてます。 音楽番組の制作なんかしていると、こういったコメントを時々頼まれたりするんですが、お礼の電話を本人から直接もらうなんてことはまずありません。僕が記憶している範囲では、真二さん以外はなかったんじゃないですかねえ。これがきっかけで、局の方にも何回か遊びに来てくれましたし、まさに縁みたいなものを感じましたよ。僕のギターで弾いてくれた「てぃーんずぶるーす」と「キャンディ」、めちゃくちゃ感動しました。今でも僕の宝物です。 真二さんってどんな人?って聞かれることがあるんですが、僕はこう答えています。「人間愛にあふれた優しい人です。それとギャグ好き」って(笑)。普通、あれだけのネームバリューがあると、なかなか普通に会話なんかできなかったりするんですが、真二さんにはまったくそれがないんですねえ。たぶん、ものすごく気を遣ってくれてると思うんですが。 それとあの音楽的才能、すごいです。時代が追いついていないって感じさえしますよ。だから今回みたいな脚光の浴び方は、僕としてはほんと不本意なんです。でも、僕は信じてます。アーティスト「原田真二」の才能を。
【四方山日記〜その6】 13デイズ
映画「13デイズ」を見てきました。劇場で見るのは「カル」以来かなあ。1962年のキューバ危機を描いた実録モノですな。たぶん、興味ない人には、ほんとつまらない作品かもしれませんね。あっしは結構好きですよ、こういうジャンルはね。でも、ちょっと考えさせられてしまいました。アメリカ政権史上、最も若い3人の男たちの物語なんだけど、当時の大統領JFKの年齢は45歳、司法長官だったロバート・ケネディに至っては36歳という若さ。もろあっしたちの世代じゃないっすか。自分が今、同じような決断を迫られたら・・・とてもじゃないけど耐えられませんな。なんてたってその決断に国の命運、もっと言えば世界の命運が託されてたワケだから。まあ大げさにいえば、そんな自己投影をしながら見てたワケですよ。(男はわりとこういう物語に影響されやすいです。)これを自分に置き換えてみると、大きい小さいは別として、まさに人生とは日々決断の連続だなって改めて思い知らされます。しかし、なかなかスパッといかないのも、また人生。決断にちょっとだけ迷ってるあなたに、ちょっとだけお奨めの映画です。
【虎の自叙伝〜その6】 高校時代
高校時代について、ちょこっと書こうかな。 何を隠そう1回生なんですわ。つまり、新設の高校っていうことです。新設っていうとさ、イメージとしては、自分たちで校風をつくってやるぞ、みたいな期待感でいっぱいだよね、普通は。なんてったって、まだうら若き15歳なんだから期待するなっていう方が無理ってもんよ。ところが案の定、世間様はそんなに甘くはないんだよね。入学して1ヶ月ぐらいでその期待感はもろくも崩れ去ったよ。つまり、校風が無いってことは、自分たちでつくっていける可能性もあるかわりに、それだけ管理しやすいってことでもあるわけだ。まさにそのマイナス面がもろにでちまったって次第よ。とにかく管理、管理ですごかったよ。 あーあって感じだったなあ、このときばかりは。これからの3年間、いったい何を楽しみに過ごしゃいいんだよって真剣に悩んだね。いったいあれはなんだったんだろう。学校全体がどよーんとした雰囲気でさあ、ほんと覇気が無いっていうか、暗かったなあ。これが教育なの?って感じ。20年以上も前でこれなんだからさ、今の教育がどうのこうのっていうのは、その頃から容易に想像できたんじゃないの?そりゃ、耐えるっていうのを教えるのも教育かもしれないけどさ、モチベーションの低下を招くようなことは絶対しちゃいけないと思うよ。これは他の組織、例えば会社でも同じでしょ。ほんと、こういうことを無意識でやっちゃう肩書き主義の人たちが多すぎるから、みんな余計なストレスを抱えているんだろうな。もーどうにかしてくれ〜!
さあ、また一週間の始まりです。みんなでリ**ン飲んでがんばりましょう。
| 2000年12月16日(土) |
P5:中学時代の部活動/M4:The LOVE/D5:ライブ遠征 |
【虎の自叙伝〜その5】 中学時代の部活動
今日は、中学時代の部活動のお話。 まず、はじめに入ったのは剣道部。なぜここを選んだのか、今となっては思い出せません。 剣道には、他の武道と同様、検定試験みたいなものがあって、あっしは何を隠そう3級の腕前なんですぜ。ぷっという笑い声が聞こえそうですな。決して自慢下に言うほどのことじゃございませんね。履歴書に書くのも恥ずかしいくらいの腕前です。武道では少なくとも「段」以上でないとあまり大っぴらには言いません。でもあっしは履歴書に毎回書いておりました。半分は受けねらいですが・・・。 さて、この剣道部が顧問の先生の都合でなんと1年で廃止されてしまいました。あっしは途方に暮れました。そんな時舞い込んだ友人からの勧誘。つられるままに入ったのが、これまた武道の弓道部。 あっしの通っていた中学は、この弓道部がめっぽう強かった。県内で3位以内の実力です。しかし、えかげんな動機で入ったあっしがそう簡単に上達するはずがありません。まあ、言うなれば補欠チームです。ところが、何事にも番狂わせというものがあります。それは市の秋期大会のときに起こりました。補欠チームのあっしたちが、レギュラーチームに勝ってしまったのです。弓道の団体戦というのは3人編成で、1ローテーションで12射します(1人4射×3人)。これを3ローテーションして合計で36射、その的中数を競い合うわけです。だいたいあっしの的中率が悪いのは、狙いを定める時間が短すぎることにありました。間が持たないというか、要はせっかちなんです。弓を引いたと思ったら狙いを定める間もなく矢を発射。これでは狙いが安定するはずもありません。ところがこの大会のときは、どういう訳かこの間持ちがよくて、ポンポン的に当たってしまったのです。これにはレギュラーチームの面々も驚くばかり。あっしたちの補欠チームが優勝という快挙を成し遂げたのでした。(ちなみにあっしたちが勝ったのは、後にも先にもこのときだけです。)そのときの賞状は、それから何年もの間(あっしが卒業してからも)、校舎内のとても目立つ一角に飾ってあったという噂です。終わり。 【音楽見聞録〜その4】 The LOVE
今日は男性3人組グループ、The LOVE。 はじめて見たのは、彼らがまだアマチュアだった頃に出場した音楽コンテスト「ミュージッククエスト」の本選大会。でもそのときはただステージを見たというだけで、本人たちとは話してないんじゃないかなあ。 ちゃんと話したのは、ボーカルの平(たいら)がキャンペーンに来たときだった・・・と思う。まあホントよくしゃべるヤツで、そこらの田舎のいいにいちゃんって感じ。でも、このときの会話は今でもよ〜く覚えている。なぜってさあ、映画「猿の惑星」の話で大いに盛り上がったから。 あの映画って実はシリーズもので、全5作あるんだけど知ってた?特に有名なのは第1作目。あの衝撃のラストシーンを覚えている人も多いんじゃないかなあ。まあ間単にストーリーを解説すると、地球を飛び立った宇宙船が軌道を外れてある惑星に不時着した。ところがその惑星は、高度な知能を持つ猿に支配され、人間は奴隷のように扱われていた。しかしその惑星こそ・・・とラストシーンに続いていくんだけど。5作全部見てる人っていうのはあんまりいなくって、その全てのストーリーを細かく話してあげたのさ。そしたら平のヤツ、興味津々で身を乗り出して耳を傾けてたってワケ。 と、ここまではいいんだけど問題はこのあと。ヤツが大阪キャンペーンに行ったとき、局のディレクターに「何かおもしろい話ある?」って聞かれたらしいのさ。そしたらあいつ、得意げにあっしから聞いたばかりの「猿の惑星」の話を持ち出して、さも自分のネタのようにしゃべりまくったらしい。それも番組の中で。映画をまったく見ていないのにだぜ、コノヤロー。ええかげんにせえや!平。(笑) それからというもの、あいつに会うたびに交わす最初の会話は「おい平、猿の惑星見たんか?」(笑)。どうもあいつ、未だに見ていないらしいんだよね。だって毎年くれる年賀状には必ずこう書いてあるんだよ。「今年こそは猿の惑星を見ます」ってね。もう、何年同じこと書いているんだよ、平クン。
追伸 「猿の惑星」ほんといい映画です。興味ある方は5作連続して見るのをお奨めします。 ちなみに各タイトルは次の通りです。 第1作 「猿の惑星」 第2作 「続・猿の惑星」 第3作 「新・猿の惑星」 第4作 「猿の惑星・征服」 第5作 「最後の猿の惑星」
【四方山日記〜その5】 ライブ遠征
今日はちょっと隣町までライブ遠征だ。 まず、午後2時からのJungle Smileのストリートライブを見た。雨だったけど、100人以上のファンの人たちが集まった。久しぶりに聴く、彼らの生歌。とってもよかったなあ。高木郁乃のボーカルは、心を癒す不思議な魅力があるよね。 そして夕方、LUNA SEAのホールツアーファイナル。終幕を発表しているだけあって、開演前から異様な雰囲気。今日の公演が終わると、あとは東京ドームの2公演を残すのみとなるプレミアム的要素の強いライブだ。 とにかく1曲目から圧倒的パワーの連続である。一つの頂点を極めたバンドの全てを体感してやろうと、それなりに意気込んで会場に足を踏み入れたのだが、完全に玉砕してしまった。彼らのパワーも凄いが、それを全身全霊で受け止めるファンのエネルギーも壮絶なものだと改めて感じた。 終演後のメンバーには、「おつかれさま」という言葉をかけるのが精一杯だった。今は他の言葉が見当たらないのだ。 残る東京ドームの2日間、メンバーもそしてファンのみんなにも、悔いの無い素晴らしいライブ空間を共有してほしい、今はただそう願うばかりである。
| 2000年12月15日(金) |
P4:記念樹/M3:こだまさおり/D4:じんじんと・・・ |
【虎の自叙伝〜その4】 記念樹
小学校を卒業する時、未来への思いをこめてクラスのみんなと記念樹を植えた。なんの木だったかは忘れてしまったけど。 この夏、久しぶりに(たぶん20年以上ぶり)その場所に行ってみると、そこにはプールが造られていて、僕らの記念樹は跡形も無く消えていた。どこかに植えなおしたのかな、と思ってそのあたりを探してみたが見つからなかった。なんかとても寂しかったが、20年以上も来てなかった僕がとやかく言う筋合いのものでもない。 校庭に入ってみると、小学校時代の印象とはずいぶん違って見えた。鉄棒とかにぶら下がってみるとそれは歴然とする。なんたって足が宙に浮かないのだから。 この日は日曜日だったので、人がほとんどいない校庭をぶらぶら歩いてみた。そうしていると不思議なもので、あの頃の思い出が次々に浮かんでくる。あの頃の友は、今ごろどこで何をしているのだろう、なんて事を漠然と考えているうちに、なんともいえない寂しくて哀しくて胸がしめつけられるような、そんな思いが脳裏を支配する。 どうして小学校なんかに行く気になったのだろう。校庭をあとにしながら考えているうちに一つの結論に結びついた。今の僕はきっと「自分探し」をしているんだなって。導かれるようにあの場所へ行ってしまったのは、偶然とはとうてい思えないのだ。 【音楽見聞録〜その3】 こだまさおり
今回はこだまさおり嬢。 ズバリ、彼女はあっしにとっての女王様なんですよ(と一方的に思ってます)。おかしいっすか。でも事実だから仕方ありませんね。ところで、なぜ女王様なんでしょう。それは彼女があっしに会ったとき、必ず要求することがあるからなんですよ。わかります?それはねえ、「褒めちぎる」ってことなんですよ。でもね、これが結構な快感なんです。あっしの周りには、こんな事を要求する女性はいませんからねえ。それと彼女が持ってる雰囲気なんですかねえ、全然嫌味じゃないんですよ、これがまた。だからあっしは彼女に修行させてもらっているんです。もちろん女性を褒めるということにです。近しい人に言わせるとあっしという人間は、どうも正面から褒めるのがヘタクソらしいです。だから彼女には感謝しているんです。ありがとう、女王様。 と、こんな間柄の彼女なんですが、実は繊細な人だと思ってます。でもね、会ったのは今までに3回ぐらいしかないんじゃないですか。それがもうこんな関係です(笑)。彼女の人柄がわかるってもんでしょ。 たぶん歌にもそれが表れているんじゃないですか。ポップなサウンドの裏に隠された内面のリアリティ。彼女の歌にはそんなところがあるように思いますが、いかがでしょうか。 21世紀、ほんとにがんばってほしいアーティストの一人です。 また、ごはんでも一緒にたべましょう。もちろんおごってね、女王様。
【四方山日記〜その4】 じんじんと・・・
たった今、帰宅です。うへー、完全な午前様やんけ。3時過ぎとるやん。もう寝ないかん。でもここで日記を書かんとだれだれになってしまいそうなんで、書きますよ。 なんでこんなに遅くなったかっていうと、久しぶりにじんじんこと陣内大蔵と飲みに行っとったからです。もう何年ぶりになるのかなあ、奴と飲みにいったのは。まあ、ほんの2時間ぐらいなんだけどね。付き合いは10年以上になるっていうのに、最近はとんとご無沙汰でした。それはなんでかっていうと、奴があっしの町になかなか来ないからです。まあ、いろいろ大人の事情が絡んでるから仕方がないんだけどね。内容?それはちょっと言えまへんなあ。でもさすがに今日は疲れてたみたいで、0時を過ぎたらおねんねでしたわ。 彼のことは近いうちにとなりのコーナーで書こうと思ってますんで、今日はこの辺にしときます。おやすみなさい。
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