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2022年09月17日(土) 足のトレーニング

足のトレーニングも結構しっかりとやっています。スクワットなど足を地面に付けてのトレーニングは出来ませんが、レッグエクステンションやレッグカールやヒップアブダクションやヒップアダクションなどを行っています。自重でカールレイズなども出来るようになりました。怪我に気を付けて少しずつ足腰も前の状態に戻して行きたいと思っています。時間はかかるかも知れませんが、前以上に強くなりたいと思っています。


2022年09月16日(金) 前以上の自分に

もう自分でフライングしてしまい、装具を着けずに生活していますが、今日で装具の高さがフラットになりました。これで2週間を過ごし、2週間後に装具を外し、そこから3ヶ月後からスポーツ復帰となります。ですが私は自分の身体としっかり相談して自分で決めたいと思っています。私の身体は私が1番よく知っているはずです。出来ないと思えばやりませんし、出来ると思えばやります。誰よりも自分の身体を動かして来たと自負していますし、自分の身体の限界もたくさん体験したので、自分の身体の限界は自分で把握していると思っています。怪我は時間をかければ放っておいても治ります。でもそれでは前より衰えた状態で治るだけです。私は自分の身体の機能を衰えさせずにそしてある意味では前以上の状態にしたいのです。そのためには限界ギリギリの所を攻めて怪我を治して早く回復させたいと思っています。もうびっこを引かずに歩くことも出来ていますので、10月半ばにはウォーキングを始めたいと思います。そして11月半ばに稽古復帰したいと思っています。来年の末か、再来年の春に試合に国際親善大会のマスターズに出場したいと思います。成せば成る、成さねばならぬ何事も、成さぬは人の成さぬなりけり、です。今日はとても嬉しい事がありました。私の担当医に「前より筋肉デカくなってますよね!足を使えないから上半身のトレーニングをたくさんやったのですか?」 と言われました。私はアクシデントで進化する人間です。自分の築き上げて来た物が壊れたら、もちろん私も凹みます。でももう一度作り直そうと決めたなら、必ず前よりは大きい物を作る事を目標として頑張ります。私は国際親善大会の組手乃マスターズで準決勝でした。型競技35歳以上の部も準優勝でした。セミコンタクトルール全国交流大会35歳以上の部も準優勝でした。全日本型競技35歳以上の部は優勝でしたが、国際大会ではありません。私がまだ手にしてない物は国際大会の優勝です。それを手にしたら、前以上になったと胸を張って言えると思います。


2022年09月15日(木) 一安心

9月7日に受けた内視鏡的大腸ポリープ切除術で切除したポリープの病理組織検査の結果が出ました。ポリープは良性の物で悪性ではありませんでした。これで一安心です。もう何度もポリープが見つかっているので、医師からは必ず2年おきに検査を受けるように言われました。自分の命と身体を大切にするために2年おきに内視鏡検査を受けて行こうと思います。


2022年09月14日(水) 大筋肉痛

昨日は、右足の装具を付けずに1日を過ごしたのですが、太腿と脹脛がパンパンになり、昨日はしっかり入浴をしてストレッチとマッサージをして根ましたが、今日は大筋肉痛です。でもとても嬉しいです。それだけ足に負荷をかける事が出来た証拠ですし、回復すれば足の筋肉も発達して行きます。そして筋肉痛になるほど歩けた事が嬉しいです。歩いただけで筋肉痛になるという事はずいぶん弱くなっているという事なので、地道に鍛えて行きたいと思います。早くミットを打ったり蹴ったり出来るようになりたいです。早く型を思いっきり出来るようになりたいです。早く組手が出来るようになりたいです。あと一息です。


2022年09月13日(火) アキレス腱断裂から3ヶ月

今日でアキレス腱を断裂してから3ヶ月が経ちました。まだ医師の許可は出ていないどころか、16日に装具の高さがフラットな状態になるのですが、今日の朝の呼吸法とストレッチをしてみて、右の足首の柔軟性と筋力から、装具が無くても歩ける事を確信したので、両足にスニーカーを履いて外出しました。3ヶ月ぶりに代官山道場まで行き技術委員会に参加しました。歩くところからしっかりとリハビリを進めて行きたいと思います。ただ気を付けなくてはいけないのは、周りの人は健常者だと思って接してきますから、歩いている時や座っている時もぶつかられたりしないように気を付けなければいけません。3ヶ月、本当に長かったです。ここまで頑張って来て、再断裂したり、逆の足のアキレス腱を断裂したりしたら元の木阿弥になってしまうので、よくよく気を付けなくて行動したいと思います。


2022年09月12日(月) 引退した理由と私の今

私は34歳で現役の選手を引退しました。15歳で巍桜流拳法を始めて、17歳で極真会館に入門して、22歳で全日本ウエイト制にデビューして、23歳で黒帯を取得して無差別の全日本にデビューして34歳までやったので、結構頑張ったと思います。考えれば反省は有るものの、最後の1年間はどんなに苦しくても稽古を休んだり、自分に負けたと思うような事はしなかったので、悔いはありません。引退した理由は、身体の疲れが全然取れずいつも倦怠感があり、毎日が苦しかったので、この1年を最後と決めて頑張ろう、そのかわりどんな結果が出たとしても悔いが残らないように1年を過ごそうと思ったからです。そして夢は叶いませんでしたが、その場では燃え尽きました。その時に思った事は、夢が叶わなかったからこそ、自分は絶対に幸せになろう!でした。その時に妻が私に連絡をして来てくれました。6月に引退して、8月に妻が連絡してくれて、2人で、ハワイアンズに遊びに行きました。この人ともし結婚出来たら、自分は幸せになれると思いました。この人ともし結婚出来たら、夢が叶わなかった事も全部ぶっ飛ばして自分は幸せになれると思いました。私は全力で頑張りました。自分の人生がかかった真剣勝負でした。妻と結婚できた時に、これは今まで頑張った自分への神様からのご褒美だと思いました。それから15年が経ちました。私は今もずっと幸せです。なのであの時に引退を決めた自分の判断はナイスだったと思っています。


2022年09月11日(日) 格好良い先輩

私は城南支部に移籍した頃、同じ茶帯で手も足も出ないぐらいに勝てなかった先輩が2人いました。私とその先輩で黒帯昇段をかけて試合をする事になり、私は勝ちました。その先輩をいつか倒したいと稽古に勵んでいて、試合で勝ったのでとても嬉しかったのですが、その試合の打ち上げて私はその先輩にどう接して良いか少し迷っていましたし困っていました。そして打上げという名の飲み会が始まりました。その先輩が私の隣にズカッと座り、私の肩を組んで「菅野、今日の試合ありがとな!お前強くなったな!」と言ってくれました。その先輩と肩を組んでもらい、ずっと一緒に飲みながら話しました。私はその時にその先輩を本当に格好良いと思いましたし尊敬しました。潔く負けを認めても決して卑屈にならずに、先輩はどこまで行っても先輩だと言う姿勢を見せてくれました。私は今でもその先輩を尊敬しています。それが極真空手の良さです。


2022年09月10日(土) 東日本空手道選手権大会

東日本空手道選手権大会が墨田区体育館で行われました。私が運営する東京城南京浜支部からは12名が出場しました。みんな一生懸命に戦っていました。大山倍達総裁は勝負偏重主義と言われていました。勝負する事や挑戦する事を大切にし、勝つ事から学び、負ける事から学ぶ、そして自分を成長させて行く。それが武道と言う物で極真空手をやることで学ばなければ行けないものだと思います。


2022年09月09日(金) 自分が思う自分に

毎日の呼吸法とトレーニングと稽古をするなかでたくさんの気付きがあります。それは自分の心に対する気付きであったり、自分の身体に対する気付きであったり、自分の考えに対する気付きであったり、自分の技に対する気付きであったりします。その気付きを次の日に繋げて行きます。そうやって自分を成長させて前に進めて行くのが武道という物だと思います。自分を成長させる、自分を前に進める、自分を良くして行く、自分をかっこ良くして行く、私はそう思って稽古に励んでいます。自分が思う自分、自分がなりたい自分、自分が格好良いと思う自分にする事が出来ます。私の中にある格好良い自分は、かなり格好良いです。その自分が思う自分に必ずなって見せます。


2022年09月08日(木) 決断

長男と次男が生まれた事で、私は遺伝子というか命を次の世代に繋げる事が出来ました。あとは自分が頑張って来た事や自分が作り上げて来た事を次の世代に繋げたいと思っています。生きている間は修行は続けますが、残り15年かけて1つの物を作り上げて、それを残して行きたいと思います。あとは自分の修行を続けつつ余生を楽しみたいと思っています。そう考えると残っている時間はそんなに長くはありません。その時間を精一杯頑張れるよう、アキレス腱が良くなったら、股関節の検査をしようと思ってます。必要なら手術も考えています。これ以上、だましだましやっていてもどんどん身体は悪くなって行ってしまうので、この機会にしっかり身体を治そうと思います。


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