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2019年02月23日(土) 突っ走る

また身体に不具合が出てしまいました。木曜日に足を痛めましたが、これで負けてたまるかと朝もしっかり起きて道場へ行き、稽古が出来ないぶん道場の片付けをしジムに行き唯一出来る背中のトレーニングとエアロバイクを60分漕ぎました。そしたら今日は背中を痛め動けないほどになってしまいました。何かのサインなのかな?と思います。しばらくは動けないとおもいますが、こんな怪我には絶対に負けません。国際親善大会まで突っ走ります。


2019年02月22日(金) 息子達の名前

長男と次男の名前は妻に案を出してもらい2人で決めて、画数を見て字を決めました。息子達の名前を妻に決めてもらった事には、私なりに理由があります。一つは子供の名前を1番呼ぶ人は母親だろうと思ったのと、子供を生む事や育てる事で1番大変な思いをするのも母親だろうから、その人の1番呼びたい名前を子供に付けてあげるのが良いだろうと思ったからです。もう一つは、妻は自分の姓を捨て「菅野」なってくれた事と、息子達にはもう一生変わらない「菅野」と言う姓を継いでもらっているので、私の思いを名前に込める事にとても躊躇しました。結果、それで本当に良かったと思っています。妻はもしかしたら意識して付けたのかもしれませんが、2人とも「白」という字が入っています。でも読み方が違う所に妻のセンスを感じました。長男は「琥白 こはく」次男は「真白 ましろ」です。長男の琥白は、本当なら琥珀なのですが、琥珀だと画数が悪いので琥白にしました。それにも運命を感じます。2人ともあまり名前負けするような名前でも無いのでそれも良いかな?と思います。


2019年02月21日(木) 息子達への思い

私は息子達に、将来こんな学校に行って欲しいとか、こんな仕事をして欲しいなどと言う希望は一切ありません。もちろん私のようになって欲しいなんて1ミリも思いませんし、私の仕事を継いで欲しいとも思いません。それどころか願うなら私とは違う生き方をして欲しいと思うぐらいです。だから名前も妻に決めてもらいました。私の思いを子供の名前に込めるのも躊躇したからです。では息子達にこう生きて欲しいと言う希望は全く無いのかと言うとそうではありません。自分の人生を思いっきり面白く生きて、自分の生命を思いっきり使い切って欲しいと思います。そして自分の人生を輝かせ、自分の周りにいる人を幸せにして人の役に立って欲しいと思います。あともう1つ、私が息子達にあげた最高の贈り物である極真空手を死ぬまで続けて欲しいと言うことです。


2019年02月20日(水) 頑張っています

道場でゆっくりと時間をかけてストレッチをして身体をほぐしてから国際親善大会の予選の型と決勝の型を稽古しました。なかなか良い型を打つことが出来ました。そのあとジムでエアロバイクを40分漕ぎました。走ることも泳ぐこともウエイトトレーニングも出来ないので、エアロバイクを漕いで頑張っています。国際親善大会まで残り二か月です。自分の今までの人生を全て型に込めて演じたいと思います。必ず優勝して見せます。型競技の試合に出場するのは今度の国際親善大会が最後のなりますので有終の美を飾りたいと思います。


2019年02月19日(火) 息子達に

私は、正しい事も力がないと通す事が出来ないと思います。でもそれだけでも駄目な事にある時、気が付きました。それは人の良さです。人に好かれなければ事を成す事は出来ないと思います。結局1人で出来る事などたかが知れています。結局は人のおかげで事がなります。だから人に好かれない人は自分の力で出来る事しか成す事が出来ないと思います。挨拶を大切にする事、謙虚である事、立場の弱い人に優しく接する事、お店屋さんでは丁寧な言葉遣いをする事、特に自分の意見を言う時には(お店屋さん以外でも)穏やかな表情で丁寧な言葉遣いをする事、友達以外には敬語をタメ口にする事、正しい事を言う時こそ謙虚に穏やかな表情で丁寧な言葉遣いをする事、自分が失敗した時には素直に認めて謝る事、まだまだたくさんあると思いますし、完璧に出来ている訳ではありませんが、私はこんな事に気を付けています。そして息子達にもそれを事あるごとに言っています。


2019年02月18日(月) ダイエット状況

やっと体重が90キロを切り、89.9キロになりました。90キロから0.1キロ切っただけですが、この0.1キロは大きいのです。1月21日からダイエットを始めたのであと2日で1ヶ月が経つわけですが、その時は96キロでした。途中腰を痛めたり膝を痛めたりでなかなか進まないダイエットでした。やっと久しぶりに80キロ台に入ったので、かなり嬉しかったです。当初は国際親善大会が行われる4月21日までに80キロにするのが目標でしたが、こうなったら79キロまで落としたいと思います。まだ誰からも「痩せました?」と言われてはいないので、まだ見た目には影響が出ていないのだと思います。早く誰かに「痩せました?」と言われるよう頑張りたいと思います。そしてそれを頑張って今後もキープして行きたいと思います。最後の国際親善大会に向けて凄く良い状態で稽古を進める事が出来ています。必ず優勝します!


2019年02月17日(日) 次男が自転車に

次男が自転車に乗れるようになりました。先週5歳になったばかりというのと、自転車の練習は今回が2回目だったので、少し驚きました。次男は言葉を話せるようになるのには時間がかかりましたが、他の事はなかなか早い方なのではと思います。2人の息子を育てて思う事は、何かが出来るようになる事が、早い事も遅い事も結局はその子その子の成長の早さが違うだけの話なのではないかなと思います。そして得意や不得意など誰にでもあるもので、そんなに気にする事ではないような気がします。私は空手の道場で小さい子にもたくさん接していて感じる事は、成長はその子その子で全然違うので、あまり人と比べて一喜一憂して褒めたり叱ったりするのは良くないのかなと思います。ただ一生懸命取り組んでいなければ叱らなくてはいけませんし、一生懸命取り組んで出来るようになった時には褒めてあげなくてはいけないと思います。褒め方も叱り方も大事かなと思います。成功したから褒める、失敗したから叱るのではなく、一生懸命頑張った事に対して褒める、一生懸命頑張らなかった事に対して叱る事が大切な気がします。私は不器用な子が大好きです。不器用な子が一生懸命稽古に取り組む姿や、真面目に休まず稽古に来る姿が大好きです。そういう子達の小さな進歩を見逃さないように目を光らせていなくてはと思います。一生懸命に取り組んで、何かを出来るようになった瞬間は思いっきり褒めてあげたいと思います。


2019年02月16日(土) 歴史を学ぶ

空手道は、自分が一生をかけて極めようとしているものであり、自分の生業として私や家族の生活の糧にさせて頂いているものであります。なのでこの空手道と言うものが何処から来て、誰がどんな思いで、この空手道の先に進めてきたのかその歴史を学ぶようにしています。大山倍達総裁、松井章奎館長の著書を始め、極真空手の諸先生方の著書は若い頃から読んでいましたが、今は沖縄から本州に空手道を初めて紹介された船越義珍先生の著書や伝統派と言われる先生方の著書も読んでいます。空手はもともとは唐手と言われていたそうです。唐はもちろん中国の唐の事で、中国の唐から技が伝わってきた事で唐手と言われていたのですが、日本で研鑽し高めて来たものだから、唐手という名称で唐のものだと思われるのは不適当だと言う事で、空手と表記したそうです。その中には徒手空拳で身を護り身を修める術であるの「空」。空手道を学ぶ者は明鏡の物を映すが如く、空容の声を伝うるが如く、我意、邪念を去り、中心空虚にして只管受くる所を窮めなければならぬの「空」。かの猗々たる緑竹の如く中は空しくして外は直く、そして節がありたいの「空」。そして宇宙の色相は観じ来れば一切空にきする。しかし空は即ちこれ一切の色相に外ならぬ。柔、剣、槍、杖、武術の種類はかずかずあるが、詮じ来れば悉く空手道とその揆を一にする。即ち空手道は一切の武術の基本である。色即是空空即是色の「空」の意味があるそうです。空手道の歴史を学ぶ事で、自分がその方々の研鑽の末端にいて、その精神や技術を学ばせて頂いている事、自分が生きる事に意義を持たせて頂いている事、自分と自分の家族を養わせて頂いている事に感謝をして、またこの空手道をさらに研鑽して、次の世代の人達に正しい形で、そしてさらに前に進め受け渡したいと思っています。


2019年02月15日(金) 体重

やっと体重が90キロになりました。頑張って来週には89キロに落としたいと思います。体重が重い事で身体に負担がかかって膝や腰に痛みが出ていると思うので、いつも80キロをキープ出来るよう頑張りたいと思います。


2019年02月14日(木) バレンタインデー

今日はバレンタインデーでした。家にいたらピンポーンと呼び鈴がなったのでインターホンに出たら女の子が「コハクくんいますか?」と言いました。私は長男に「コハク!お友達が来てるよ!」と言ったら、長男は玄関を開けました。どうやらバレンタインデーのチョコレートをもらったようでした。次男も結構チョコレートをもらって来ていました。10代の頃はバレンタインデーの日はドキドキしたものでした。私が子供の頃は義理チョコなどありませんでしたから、バレンタインデーは告白のきっかけみたいな所がありました。私は小学校6年生の時に初めてバレンタインデーのチョコレートをもらいました。1つ年下の同じ水泳部の子からもらいました。厳密に言うと直接はもらってはなく、その子が家に持ってきてくれ母が受け取りました。私も子供でしたからその子に「チョコレートありがとう」と直接言う事もなく、ホワイトデーにお返しもしませんでした。その後、その子が近くに居ると少し意識をしドキドキして意識はするようにはなりました。でも本当は凄く嬉しかったですし、自分の人生の中で起きた大事件でした。本当に良い思い出です。


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