Espressoを飲みながら

2001年10月06日(土) 陰陽師見に行ってきました

 昨日の続きである。分からない人は昨日の日記から読んでね。

さてあれから寝ようとしたのだが、中々寝付けなくて結果布団に入る頃には
太陽が昇りかかっていた。それですっかり眠りについてしまったものだから
当然の結果として初回で見るつもりが午後6:30から始まる本日の最終回
で見ることとなった。

 午後6:15分頃にシネモザイクに到着。次回上映が30分からであるこ
とを確認して、食べ物と飲み物を買いに走る。よく考えたら今日は朝からま
だ何も食べていない。ハンバーガーくらい食べないとって感じでダイエー内
のWendy'sへ。スパイシーチキンバーガーセットかなんかそんな名前のやつを
テイクアウトで注文した。

 シネモザイクでの席はFの5番。どちらかというとやや前の方だけれども、
空遊は結構前の方の席が好きである。いくつか予告編が上映されていよいよ
本編へ。今回の予告編はたいしたのがなかった。

 ここからはまだ観ていない人に対してネタバレになってしまってはいけな
いので控えめに書こうと思う。最初のシーンは長岡京から平安京へと遷都の
儀式のシーンだった。日本史を表面的にしか学習しなかった空遊は、平安
京への遷都の背後に、かくも凄まじき権力をめぐる争いとその怨念が関わっ
ていたのかと驚いた。

 いかんいかん。全然控えめになっていないぞ。このままでは浜村淳になっ
てしまう。

 TV版との違いを手短に言うと、いろいろあるのだけど、第一にキャスト
が格好良くなっていた。安倍晴命役の野村萬斎はみごとにはまり役。和服で
さらりさらりと剣をかわす不思議な舞いのような殺陣は他では見たことのな
い出来映えだった。源博雅もTVの時よりも数段格好良かった。「いい男」
なのだ(見た人にはわかるネタ)。道尊役の真田広之も、前半の厳格な陰陽
頭から後半の狂気にとりつかれた野人のような風貌まで演じ分けがさすがで
あった。小泉今日子は不老不死の命を持つ女・青音を演じていたけれども、
アイドル時代のキョンキョンが記憶に残る身としては、逆に「キョンキョン
も老けたなー」と悲しくなってしまうところも無いことも無い。なお演技は
いつになく上手かった。

 第ニに、映像の加工やSFX効果が派手になっていた。親王の怨霊が京の空を
灰色に染めてしまうところなどは震撼だ。空遊は関西育ちで京都も子供の頃
より幾度となく訪れているので、そんなシーンを見ていると何かWTCを破壊さ
れてしまったニューヨーカーにも似た(へんなたとえだが)悲しい気持ちに
なってしまうのであった。

 第三に、ストーリー自体は決して凝りに凝っているわけではなく、どちら
かというと非常にシンプルな部類に属するが、逆にその無駄のなさが物語の
大事な部分である二つの恋物語をくっきりと浮かび上がらせていた。日頃TV
のドラマなどで複雑怪奇な一筋縄ではいかないようなストーリーにばかり
知らない内に慣れさせられている身には新鮮で、恋物語の原点を見せられる
ようなすがすがしさがあった。

 なんか爽快な映画だったよ。

 

 

 



2001年10月05日(金) 映画

 夜が明けてしばらくしたら映画を見に行く予定。
陰陽師。http://www.onmyoji-movie.com/
主演は野村萬斎、監督は滝田洋ニ郎、原作は夢枕貘。
今年NHKでTV版が稲垣五郎の主演で放映されていたが、
やはり野村萬斎の方が雰囲気があるだろうなあと期待している。

 予告編を見る限りでは、TV版とくらべると映画版はやはり
特殊効果や撮影にもっと凝っている感じ。野村の演技にも期待。

 空遊は映画は劇場にはたまに見に行く程度。1年に2〜3本くらい。
親類縁者の1人が属している組合発行の映画観賞券をもらうことがあるので
それを使って見に行くことが多い。見に行く映画館はいくつかあるが、
今のところ最もよく行ったのは神戸のハーバーランドのシネモザイク
http://www.kobe-mosaic.co.jp/fra_cine.htm だ。
映画館としては比較的清潔であり、指定席なので立見することがない
のが気に入っている。

 そんなわけで明日朝早い(?)ので今日はこの辺で寝よう。



  

 



2001年10月04日(木) ぐるぐるバイブレーション

 街中や、電車の中にいて心静かにしていると、思考が見えるように
感じられることがある。細かいことはわからないが、その場にどんな
思考がただよっているのか、どんなヴァイブレーション、どんな色の
オーラが取り巻いているのか、人々がどんなことを考えているのか、
まるで一枚の絵のように見えることがある。

 それは不可視のものを見るというよりは、可視と不可視のものが、
合わさった全体が身体の目と心の目に自然と映っているという感じの
体験だ。

 不景気、テロ、狂牛病と暗いニュースの報道が多いここ最近だが、
市井の人々のバイブレーションも、実際に重たく鈍くなっているのを
肌で感じる。不景気のバイブレーションは灰色から黒にかけての重い
色で、テロ関連のことを気にしている人々のバイブレーションは不安
定で裂き傷のような歪みを持っているように見える。狂牛病のことが
心配な人は赤色の不安と心配と恐怖に脅かされているように見える。

 社会的規模の集合無意識が、不幸のバイブレーションで動いている
ように感じる。もちろん今現在とても幸せな読者の方も居られること
はよくわかっているし、楽しいことや目出度いことも起こり続けてい
るのは百も承知だ。ここで言っているのは、暗い集合無意識の力が、
以前とくらべてとても大きくなっているということ。

 この現象のおそろしいところは、時に雪だるま式に事態が悪化する
可能性があることだ。一つの否定性がより大きな否定性を生み、また
人心を惑わして悲惨な事件を起こしていく。私達人間のほとんどは、
周囲の環境に影響されやすい。悲しい波動の場所では悲しくなり、楽
しい波動の場所では楽しくなる。誰もが外からの影響で機械的に自分
の望まぬことを為さないように気を付けることが必要な時代かもしれ
ない。

 集合無意識は何からできているか?それはひとりひとりの無意識か
らできている。あなたがどういう状態であるかということは、あなた
だけでなく、あなたのことを何も知らない誰かにとってさえも重要で
ありえる。

 あなたが自分を自分の必要な波動に導くことができれば大きな変容
がそこから始まる。それには必要なことがいくつかあるが、第一に自
分に影響を及ぼす思考、それがどういうものであるかを見て理解する
必要がある。

 

 



2001年09月29日(土) 仕事は嫌い

 今、夜食のラーメンを食べたところ。すっかり昼夜逆転。

 休日の過ごし方は至ってルーズ。あんまり動き回らない。
まるで冬眠中の天道虫のように。

 時々買物に行ったり、御茶を飲んだりくらいはするけれども。

 退屈な仕事と動きの少ない休日の繰り返しで生活が構成されている。
仕事は退屈ではあるがストレスはそれなりに多い。
 空遊は物音に敏感だ。それも人の話し声にはとりわけ敏感。
周りで3人の人が電話で会話していると全部聞き取ろうとしてしまう。
癖みたいなものでどうしても聞いてしまうのだ。どれもろくに内容のある
会話ではないし、自分と関係もない。それでも勝手に全部聞いてしまうので
疲れてしまう。
 最近仕事で1日中入力をしていることが多い。頭は痛くなるし、
首も肩も腰もだるくなるし画面から電磁波が出てるのか放射能が出てるのか
すら疑問に思うくらいコンピューターストレスは苦手。
 御陰で自分のHPを更新するのもすっかり億劫になってしまった。
 職場に気の合う人が全くいない。中年以降の歳をとった人が多い。
色であらわすなら灰色って感じ。この雰囲気で毎日気が滅入ってくる。

 幸いなのはこの仕事も来年の3月できれいさっぱり終わるということ。
次の仕事がどうなるかわからないし、いま暮している生活が維持できるか
どうかもわからない。最悪の場合家賃や生活費が払えなくなって実家に
帰らざるを得なくなるかもしれない。
 それでもこの仕事が来年3月できっちり終わってくれるのはありがたいことだ。
もしこれが続くものだったらこの不況の中やめる勇気を持てずにだらだら続けて
しまっていたかもしれない。

 今の仕事をはじめてから1年半。1年半も同じことをしているとどんどん
無気力になって、身も心も重たく感じるようになってしまう。
なんというか人生の内の1年半を丸ごとどぶに捨てたような気すらする。

 次はもう少し活気のある仕事がいいなとおもったり。

 本当は遊ぶのが一番好き。仕事はどんな仕事もそれが仕事であるという理由できらい。

 働かなくて遊んでいられる人生に心底あこがれるのであった。



2001年09月26日(水) ネクタイと右翼と西域回族神風特攻隊

 ずーっと寝てた甲斐があって、ようやく起きて仕事に行けた。
で、また今日から入力の山。山。山。ぐったり。あーっネクタイ締めてる
から首が締まる。こんな無意味なもん一体誰が発明したのやら。
冷静に考えてみるとこれ程不必要なもの他にないと思うのだ。
ビジネスに必要?仕事に必要?江戸以前の商人はそんなものなくても
立派に仕事してたです。お茶の間でお馴染み謝国明さんももちろんしてない
ですね。ついでに言えば皮靴もいらないです。足がむれるだけです。
皮靴を廃止すれば日本人の水虫が減って医療保険の赤字が少しは解消されます。
少しだと言って馬鹿にすることなかれ。小さなお金も積もれば山です。

 あの無茶苦茶な予算をいきなり通すアメリカの軍事費も、元を辿れば
多くは時給5ドルとか6ドルの人達が一生懸命働いたお金からぶんどってる
訳です。まさしく血と汗なわけで。その血と汗を何に使うかってこんどは
遠い国のもっと貧しい人達の頭の上に爆弾を落とそうって話なわけです。
血と汗の結晶は血を流すために使われてしまうわけです。この分ではその内
イスラム原理主義じゃなくってアメリカの被抑圧階級がテロを起こすようになるかも知れないです。

 小泉首相に至ってはつい先日靖国神社参拝にあたって特攻隊を讃美されて
おりました。命を捨てて自分の国、民族のために戦う者を特攻隊と定義する
なら今回のアメリカ同時多発テロを起こしたイスラム原理主義者こそ立派な
特攻隊であり、さらにその命はアラーの神に捧げられているので文字どおり
神風特攻隊でございます。小泉総理、一言くらいジハードの戦士をほめてや
ったらどうでしょうか?「痛みに耐えてよくがんばった!感動した!!!」
とか。飛行機でビルに突っ込んで死ぬのは貴ノ花の痛めた膝より痛かったの
は間違いないでしょう。
 さらに小泉首相と右派自民党の大好きな大平洋戦争の日本軍のコンセプト
は白人の支配からのアジアの解放でしたね。だったらウサマ・ビン・ラディンと
組んでパレスチナを解放してやる!とくらい言えないもんでしょうか?
だーれもひ、と、こ、と、も言わないねー。

 言われてもこまるが(笑)。

 そんなこんな。なんかすっきりしたぞ。

  



2001年09月25日(火) なーんにもないかも魚をさばこう

 実は なーんにも書くことが 思いつかない 火曜日の夜。
結構先週なんかはこの日記さぼりまくってしまったのだが、
今週に入ってなーんか気候の変化でだるくって日記どころか
なにもしていない。

 今日に至っては仕事まで休んじゃった。

 それでひたすら寝てたり瞑想してたりリビングの掃除をしてたり
etc.etc.で1日が過ぎていったわけさ。自分の中では特に何もして
いなくてもそれなりに快適に過ごせるというか有意義に過ごしてる
んだけど、いざ日記なんかに書こうと思うとなーんにも書くことが
なかったりするのだー。

 やっぱり人に読んでもらうにゃなんか事件があったり、新しい事
をしてたり、なんか一生懸命考えてたり、直感的にメッセージが
降りてきたりしないと書きにくいもの。

 この事件が無い日が無いという御時世に、あたいが最近やった新しい
ことって、一昨日に生まれて初めてサンマを刺身にさばいたことくらい。

 まずサンマを買ったのはこの日記にもよく出てくる長崎屋の阪神御影
店。阪神御影駅ってのは兵庫県神戸市東灘区にあります。ここの地下は
お魚がなかなかよろしい。刺身OKのサンマが割安で売っていたので
買っちゃいました。えっとここは頼めば調理してくれます。まあ今回は
自分でやろうと思ってサンマを買って帰宅。包丁を出し、刃を研いで、
サンマのおなかをちょっと切って内臓を出し、頭を落として三枚におろす。
おいらは料理は小中学校の家庭科以降は独学なもんでめっちゃ適当な三枚
おろし。包丁をいれるより指を使った方がスムーズにはがれたりするので
そうしたり、皮は本来むくそうですが、ビタミン・ミネラルが結構含まれて
いるそうなので皮をあえて付けたままにしておいたり、要は適当。

 こうやって自分でさばいてみると寿司屋の板前さんというのは超人的だ
とつくづく感心いたします。一体どうやったらあんなに綺麗に魚が切れる
のでしょうか。おいらのはぶつ切りとかぶっちぎりって感じでした。まあ
客に金取って出すわけじゃ無いしいいだろうということでなんとか食卓に
のって差し支えない程度に切り分けました。ワサビをつけて醤油につけて
日本酒菊水と一緒に食べます。形はどうあれおいしい。よかった。中落ち
の部分は骨ごと火にあぶって後で食べました。こっちもおいしい。

 今がサンマの美味しい季節。塩焼きとかが多いけれども新鮮な魚が手に
入るならだんとつ美味しいのが刺身。この秋のおすすめ。

 ブッシュさんと小泉さんが報復の秋を過ごされてる間に、こちらは呑気に
食欲の秋を過ごさせてもらいやす。どうしてもほうふくってんなら抱腹絶倒
の方があっしらの好みでやんす。

 ところで勉強の秋、とかスポーツの秋、とか読書の秋ってのもあったよね
(笑)。細雪前刊読んだまま次読んでないし、、、(汗)。



2001年09月22日(土) 日記といふもの

 気が付けばこの日記もようやくアクセスが1000を超えている。

嬉しい限り。

 最初は違和感もあったがだんだんと慣れてきた。
「日記とはそもそも人に見せるものではないのでは?」という
疑問も最近ではめっきり首をもたげなくなった。

 よくよく思い直してみると、最初に書いた日記は、小学校とかで
書かされた日記であった。書いている内容が先生の気に入らないと
呼び出されて怒られる。「なんでこんな考え方をするのだ?」とか
「どうしてこんなことばかりしてるのか?」とか。

 例えば空遊の家では休日に車で出掛けることがよくあった。
出掛け先でおいしいものを食べたりする。それを日記に書く。

 今日は、家族でドライブに行きました。伊賀上野に行きました。
おいしいすき焼きを食べました。

 先生に呼び出されて怒られる。「こんな贅沢をしていると人間駄目になる」と
言った論調である。そんなこと言ったってこっちにどうこう出来る話じゃない。
家族の習慣である。小学1年生がどうやって家族全体の休日のレジャーの
習慣を変えさせることができるのか?それにもし出掛けないとしたら休日に
何をしろと言うのだろう?勉強はその頃はどれも申し分なかったし、休日に
まですることでもなかった。みんなもそれぞれ家族や予定があるから日曜は
友達とドッジボールという訳にもいかない。先生はそういうことには答えず
単に僕のことを「ぜいたくな子供」として責め立てるのであった。

 念のために書いておくけれども、家は別に金持ちではない。中の中の中
くらいの家で、周りの家々とほとんど何も変わるところはなかった。

 先ず日記を書け、日々起こったことを書けと言われ、次に書いたことに
ついて呼び出され怒られる。次第に都合の悪いことは書かない、自分の個人的
な考え方などについては書かなくなり、できるだけ無難なことのみを書くように
なってしまった。

 子供の夏休みにありがちな夏休みのあさがお絵日記みたいなものが一番無難で
良いと思っていた。文句のつけようがないから。

 思想統制という言葉は当時は知らなかったが今思うとその言葉が一番ふさわしいように思う。
それは創造性と個性に対する暴力だった。

 阪神タイガースが優勝を目指しているのかリーグ第6位をノルマとしているのか
わからないように、民主主義国家の小学校なのかタリバンなのかわからないような
教育だった。

 あれからいくばくかの年月がたって、今の小学生達にもいろいろ厄介な問題は
あるだろうけど、僕が経験していたような問題は少なくなっているだろうと思う。
というか同世代においても僕の小学校のような例は比較的珍しかった。

 何故自分があのような災難に遭わなければならなかったのか、わからない。
ただ国や地方自治体と言った「公的」機関は往々にして嘘つきで、残酷で、
支配欲の亡者であるということを人生の早期において学んだのは、決して
マイナスのみでは無い気がする。

 例えば今回のテロ事件みたいな事があったときに、
「アメリカの正義って大統領が言ってるけど怪しいなあ?政治家が正義って
言い出したら警戒せなあかんで。ブッシュの資金源どこやろ?おやおや、
軍事産業やないか。余計怪しいなあ。戦争は長期化するだろうって、戦争が
長期化したら誰が得するんやろ?少なくとも渇きと砂漠の寒さ暑さに耐えなあかん米兵やないのはたしかやなあ、税金から金なくなっていろんなとこに
影響を受ける国民でないのもたしかやなあ」
ととりあえず考える習慣がつく。

 権力がいつも嘘をつくわけではないとしても、嘘をついていたとしたらと
言う前提で毎回考えること。必要とおもう。

 今はネット上の日記で書きたいことを書いている、上のように個人的な考え方を
書いても呼び出されて尋問されたりしない。大人になって人生ましになった
部分も少なからずあると思える。

 子供が自由に感じたこと、考えたことを表現できる世界でありますように。

 



2001年09月20日(木) 健康食品

 けっこう今流行ってると思う。

道を歩いてても、電車に乗ってても、オフィスでも
よく話題になっている。

発芽玄米、ビタミン剤、ざくろジュース、銀杏、ビール酵母。
数え上げるときりがないみたい。

 ダイエットだったり、免疫力アップだったり、美容だったり。
人によって飲む理由も様々。空遊は仕事の肉体的ストレスを
やわらげるためにビタミンCをよく飲んだりする。カルシウムとかも
時々飲む。そんなものいらない食事ができれば一番なのだろうが
眠たくてぎりぎりまで寝ててパンしか(しかも職場で)朝に食べられ
なかったり、昼外食だったりしてどうしても偏りがち。

 はっきりと効果が確認できたこと:

 ビタミンC→肌がきれいになる
 カルシウム→爪が固くなる

 効果がでるということは、やっぱり以前は足りてなかったのかな?
と思った。




2001年09月16日(日) 「政治家」と「狂人」

 TVを見ると、相変わらずテロのニュースやコメント。
「イスラム教自体は本来平和を旨とする宗教であり、今回の様なテロは
 たとえ犯人がイスラム原理主義者であったとしても、それには政治が
 からんでいて純粋に宗教が原因ということはありえない。」
という専門家のコメントがあった。

 それはそうだろう。イスラエルや中東諸国に対するアメリカの外交政策
の問題抜きにはいかに原理主義者であろうと命懸けのテロなどしないはず。

 政治とは実にややこしいものだとあらためて思う。

 インドの神秘家OSHOは政治家とは劣等感の裏返しで自分を偉大に見せよう
とするために、いとも簡単に戦争すら起こす厄介で危険なものであると
言う。その原動力は劣等感に満ちたエゴである。

 OSHOの言う政治家とは、職業的な政治家にとどまらない。劣等感に満ちた
マインドを持っていて、何かを現実化させることで人々に自分が偉大である
ことを認めさせようとする者のことを彼は「政治家」と呼ぶ。

 同様に劣等感に満ちたマインドを持ってはいるが、何かを実現して人々に
自分が偉大であることを認めさせる代わりに、最初から自分が偉大だと信じ
てしまう人のことをOSHOは「狂人」と呼んでいる。

 OSHOによると政治家の方が狂人より危険らしい。例えばヒトラーがただの
狂人なだけで政治家にならなかったら世界にとってはずっとましだったはず
だろう。1人の狂人の費用と言えばせいぜい精神病院の病棟にベッドが1つ
と治療費があれば事足りるからだ。

 この意味での「政治家」と「狂人」はひとりひとりの人間のマインドの
中に住んでいる。ただ人によって片方の割合がもう片方の割合より大きか
ったり小さかったりする。

 今回のテロに対する報復の結果がどのようなものになるか、今はまだ
予測がつかない。ただはっきりしているのは人類の多くがこのマインドの
仕組みについて、各自の内に潜む「政治家」と「狂人」の仕組みについて
理解しない限り、争いも混乱も決して終わりはしないだろうということ。
それについては空遊は確信がある。
 



2001年09月15日(土) ちょっとつかれるはなし

  昨日から両親宅に行ってた。

 敬老の日ということで病院に長い間入院している祖父の見舞いが
第一目的。2日前に80才になった祖父。日本人男性の平均年齢が
76才だから、取り立てて病気でなくても、死んでもおかしくない
歳と言ってもいいのかもしれない。

ある日突然家族や親戚が死んでしまうのと、重い病状のまま時間が
過ぎていくこと。両方とも辛いだろうが、どちらが大変かとあえて
聞くなら、個人的には後者の方が大変だと感じる。最初はすんなり
行けていたお見舞いも症状が好転しないことによって見舞う方の気持ちも
どんどん重たくなっていくものだ。

まあそんなこんなでどうにかお見舞いをすませる。

 両親宅は父母妹の3人暮し。この内特に父と妹の仲が悪い。
常に一触即発と言った感じで、車に乗っていてもレストランにいても
どこにいても何かの拍子でどなりあいの大喧嘩をはじめてしまうので
一緒にいるとものすごい疲れるのだ。土曜や日曜に両親宅を訪れ、月曜から
職場に戻ると、「オフィスって平和でほのぼのしていいところだなー」と
思ってしまう(笑)。 

 時々実家に暮している友人とかの話を聞いていると、家賃等がかからない
のがうらやましくなる。そしたらもっとたくさん遊べるなーとか車だって
買えないことはないよねーとか思うが、両親宅に帰る度に「ああ、一瞬でも
こんなところに住めるかもと思った自分が馬鹿だった」と反省するのだった。

 嗚呼、大和の国は自分には合わぬ。六甲山に帰らせていただくよ。

 そんなこんなで休息と癒しのために今日はこの辺で寝る。


 < 過去  INDEX  未来 >


空遊 [MAIL]

My追加