フォーリアの日記
目次|過去の日記|未来の日記
| 2008年02月13日(水) |
おばあちゃん手術後4日目 |
今日は猛烈な冬型で、強い北風が吹いて大変寒い一日でした。 この冬一番の寒さではないでしょうか。 朝は道路の水溜りはすべて凍っていました。
病院の面会時間が午後なので、午前中にコーラスへ行って来ました。 お化粧してパンプスを履いて電車に乗って出かけたのはずいぶん久しぶりな気がします。 おばあちゃんが骨折したのが先週の木曜日ですから 一週間前にはこうして出かけていたのですが。
午後、一旦家に帰って用意をしてから病院にいきました。 病院に着くとお姉さん(夫の姉)が来ていました。 日帰りの予定で長野から出てきて、1時半ぐらいに着いたそうです。
隣のベッドの人によると、おばあちゃんは昨夜は静かに眠ったそうです。 午前中は部屋から検査などに行ったそうで、 特に縛られたりナースステーションに連れて行かれたりしていなかったようです。 朝もお昼も、食事は1人で食べられたようです。
ただ、お姉さんが来た時には「どなたですか」と言ったそうで、 昼食後少しうとうとしたら夢の中になっていたのかもしれません。 私が着いた時には昨日よりずいぶんまともでした。 これなら大丈夫と思えるくらいでした。
その後リハビリに行ったそうで、お姉さんも行って車椅子への移動など手伝ったそうです。 (お姉さんは整形外科に長くいた看護婦です。) 車椅子に乗って自分で進んだり、トイレに移ったりする練習をしたそうです。 つかまり立ちで片足ケンケンもしてみたそうです。
行った時は、担当の整形外科の先生やリハビリの先生の名前を お姉さんが復唱させていました。 お姉さんのマシンガントークに圧倒されながらしばらくそこで過ごしました。
昨日は食事を運んできた方がするするとベッドを起こしても平気で、 そのまま普通に座る姿勢でご飯を食べられたのですが、 今日はお姉さんが遠慮して少し角度をゆるく起こして背中に枕を当てたので 姿勢はかえってちょっと苦しそうでしたが、 本人が昨日よりしっかりしているので、 少々姿勢が不自由でも自力でご飯を食べるのには困らないようで ほとんど問題なく食べました。
食事を片付けてから横になって、ラジオを操作してみていました。 ラジオは自分のものがイヤホン端子が不調でイヤホンで聞けないので、 夫の弟が来たときに使っていたものをもらったのです。 お姉さんが操作を教えたら聞くことができたようですが、 すぐ置いて眠くなってしまったようです。
この辺で私たちは帰ってきました。 お姉さんは長野まで帰ります。 お姉さんを武蔵浦和まで送るのがいいかどうしようかと思いましたが、 割と道路が混む時間で電車の方が早そうだし、夜の運転は自信がないしで、 電車で行ってもらいました。
| 2008年02月12日(火) |
おばあちゃん手術後3日目 |
今日は雨です。
午後病院へ行くと、着いたとたん隣の元気なおばあちゃんが うちのおばあちゃんが昨日の夜騒いだことを話してくれました。
昨日の夕食時から夕食後の様子はどうもおかしかったので 危ないとは思っていたのです。 大声を出したり動き回ってベッドから降りようとしたそうです。
元気な人が寝ぼけて歩き回るなら多少放っておいてもいいかもしれませんが、 まだ片方の足に体重をかけてはいけないので、勝手にベッドから降りると困るのです。 動けないように一時縛られていたようです。
午前中は1階のリハビリ室へ行ってリハビリをしてきたようです。 車椅子に移動する訓練のような話でした。
リハビリへいったきり昼食にも帰ってこないので 同室の人たちは、どうしたのかなと思っていたそうです。
実はリハビリ後、手押し用の車椅子に乗せられて、 そのままナースステーションに座らされていたようです。 ナースステーションの前の病室に空きがないので、 見張りが必要な座れる患者はそこに座らせて見ているようです。 昼食は突き当たりのテーブルのある部屋(本人談)で食べたそうです。
私が行くと手を振って、看護婦さんに車椅子を押されて病室に連れてきてもらいました。 病室に戻ったばかりはまだ状況が把握できていないようでしたが、 話すうちに多少まともになってきました。
夢か現かわからなかったようですが、やくざのようなものに追われている夢を見たそうです。 助けを呼んでも誰も来なくて必死で逃げようとしたとか。 夜中に「おとうさん、助けて」と叫んで激しく動いてベッドから降りようとしたという隣のおばあちゃんの話と符合します。
まだ何か夢のようなものが見えるのか、時々わからない話もしていましたが、 話すうちに目が覚めたのか、それもだんだん減ってきて少しずつまともになってきました。 一日座っていたせいか体もかなりしっかりして、背中を起こすのも苦しそうではありません。 さすがにずっと車椅子では疲れたのか、そのうち休みたいと言うので 看護婦さんを呼んでベッドに寝かしてもらいました。
夕食の時にはベッドの頭をほぼ垂直に立てても平気で、しっかり座っていましたので、 食事用のテーブルにも届きやすく、昨日のように食べる手順も混乱せず、 遠いものは少し背をベッドから離して取ることもでき、かなり安心してみていられました。 お椀を持つ手がまだ震えるので、長く持っていると味噌汁をこぼしそうで心配で 私はいつでも助けられるように構えていましたが、なんとか無事味噌汁も全部飲みました。 ご飯は多いので半分ですが、他のおかずはほとんど食べ、久しぶりにちゃんと食べたところを見ました。 これで、昨日より落ち着いて眠れるかもしれません。
身体能力は日に日によくなっている感じはします。
| 2008年02月11日(月) |
おばあちゃん手術後2日目 |
今日もよい天気で比較的暖かです。
入院翌朝や手術日には午前中から行っても何も言われませんでしたが 昨日、昼前に病院に行ったら面会時間に来るようにと言われたので、 やっぱり午後からの方がいいかと、今日は午後から行きました。 夫が1時から床屋へ行ったので、戻ってきてから車で行きました。
2時半ごろ行くと、食事の時結構大変だったようで 隣のベッドの元気なおばあちゃんが朝食昼食の様子を話してくれました。
朝食はメガネをかけていなかったのと、姿勢が自由にならないことに慣れず、 うまく食器なども持てずに味噌汁をひっくり返したとのこと。 隣のベッドのおばあちゃんがナースコールをしてくれて、 昨日パーキンソン病で入院したという部屋で唯一歩ける斜め向かいのベッドの方が めがねを取ってくれたそうです。 昼食もベッドをあまり起こせなかったのでテーブルが遠く 食べ物を取るのに苦労してほとんど食べられなかったようだとのこと。 看護婦さんが少し食べさせてくれたようです。
そんなわけで、今日は夕食の時にいて欲しいということで 夕食を食べ終わるまで病院にいました。
リハビリは祝日もやるのかどうかわからないと言っていましたが、 そのうち今日は車椅子に乗せてみるといって来てくれました。 しかし、ベッドを起こし座らせてみると血圧が下がってしまい、 今日はマッサージと足を動かす運動だけになってしまいました。 普段から自分でも足先などを動かしているように言われていました。
おばあちゃんは横になっていると眠っていることが多く、 そのために血圧が下がっているのかもしれません。
リハビリ後、姪っ子が来たので、私たちは病院から徒歩圏のスーパーへ買い物に行きました。 夕食までには戻ってきました。
夕食の時にはベッドを徐々に起こしたらかなり起こすことができ、 座る姿勢までいったので、自分で食べ物に届きました。 おばあちゃんは普段箸を持つのは右ですが、本来左利きなので、 スプーンは左で持たないとうまく使えません。 でも姿勢が不自由なので勝手が違い、混乱して右手でいろいろやろうとしたり、 なかなかまだ危なっかしいことがあります。
夕食後しばらく起き上がった姿勢でうとうとしたり喋ったりしていましたが そのうち、「あのカレンダーのところへいく」とか言い出しました。 ちょっと夢の世界へ入ってしまったようなのですが、そのあとがすごいというかりっぱというか。 起きると言い出して、かなり力を振り絞って少しずつベッドサイドへ座る姿勢に移動して行ったのです。 とうとう頑張ってベッドサイドへ自力で座ることができました。 (昨日は自力ではなく起こしてもらったのです。) しばらくそのまま話をして、看護婦さんが回ってきたりしてそろそろ寝た方がいいかと思った頃、 「帰らなくちゃ」と立ちたがりました。 病衣の裾から足がでているのを見て「ズボンをはかなくちゃ。」とも言っています。 「まだ体重をかけたらいけないので立てないんだよ。お医者さんの許可がでるまでだめなんだよ。」 「ここは病院だから、ここで寝ていいんだよ。」 など、いろいろ言ってちょっとは納得したかどうか。
怪我していると思うと急に動くのを怖がってしまうのに、 怪我していることを忘れてしまうと力がでるものでしょうか。 向かいのおばあちゃんは今日は落ち着いていて、会話もまともですが、 最初の日には帰ろうとして自力でベッドから降りようとして落ちたそうです。 うちのおばあちゃんはまだ入院生活に慣れていないし、夢の世界はそのうち落ち着くと思います。
明日も夕食時に病院にいるようにしたほうがいいようなので、 そのころ病院にいこうと思っています。
今朝はよく晴れていますが、昨日の雪がまだ残っていました。 道路はほぼ解けていましたが、日陰の路地には残っていました。 マンションでは、日曜日なのに朝管理人さんが来て雪かきをしてくれていました。
昼前ごろ夫と夫の姉と3人で病院へ向かいました。 病院へ顔を出してから近所の不二家レストランへ昼食を食べに出ました。 またもどると、1時半ごろからリハビリが始まると言うので それを確認してから帰ることにしました。 予定は遅れたらしく、2時半ごろ来ました。
リハビリと言ってもまだそんなに動くわけではありませんが、 もう車椅子に乗せてみるのだと言っています。 実際には少し熱があったので起き上がらして、ベッドサイドに座らすところまででした。
意外としっかり座れたので、今日の様子次第で今日帰るか明日帰るかと言っていた夫の姉は 今日長野へ帰ることにしました。(どちらでもいいように荷物を持ってきていました。) リハビリ後は私たちは先に帰りました。
疲れがたまっていたので、その後一眠りしました。 夕食後になってから、お掃除しました。
夫の母の手術が無事終了しました。 2時間ぐらいといわれたけれど、1時間40分ぐらいで終了しました。
ただし、通常何もなければ人工骨頭に取り替える手術の場合は翌日にも立てるのですが、 予想外に土台になるほうの骨に縦割れがあったので それがくっつき始めるまで3週間ぐらい力をかけられないそうです。
それまでは、リハビリも車椅子から徐々に練習して歩行器で片足ケンケンができるようになど 予定が変わるので、当初の入院期間2週間という予定も変わって、 入院期間は1ヶ月ぐらいの見込みになるそうです。
人工骨頭の表面には骨となじむようなコーティングがしてあって、 2週間ぐらいでその表面と骨がくっつき始めるのだそうです。 セメントは使わずにすめば使わない方がいいそうで、この手術では使わなかったそうです。
この手術に合わせて夫の弟夫婦も午後から雪の予報の中 昨日の夜スタッドレスに履き替えて車で小田原から出てきています。 夫の姉の娘も来て、待機家族は総勢6人になりました。
手術中、家族は待機室で待っていました。 そこは背もたれのある椅子もあり、奥にはベッドがありました。 流しにポットが用意されてお茶とコーヒーが飲めて、トイレも付属していて、 病院のちょっとした個室並みのいい部屋でした。
1時からという話でしたが、12時30分から開始され、 早めに終りました。 その間何か連絡がある場合のため待機室には誰かいるようにしてほしいと言われたので 交代でお昼を食べに出ました。
手術が早めに終ったので、後からお昼を食べに出た夫の弟夫婦と夫の姉親子が戻ってくる前に 執刀医の先生が来て説明をしてくれました。
リハビリは本人の意欲次第という面があるので、どういう経過になるか予想できませんが 実はまだ長野の方に住民票があるので、こちらに移さないとこちらで介護保険なども受けられません。 なんとか入院中にでも住民票を移しに行ってこないといけないと思っています。
今日はいいお天気です。
金曜日は仕事に行く日ですが、休みました。 これからのことはわかりませんが、 用意するものや明日の手術のこともあるので少なくとも今日は無理だと思って 昨日のうちに連絡しておきました。
朝からお姉さん(夫の姉)を車に乗せて病院へ行きました。 受付で昨日できなかった入院手続きを済ませ、病室に行きました。
おばあちゃんは今日は心臓のCTの検査があるので、朝食を食べていません。 まもなく、検査のためにおばあちゃんはストレッチャーに乗せられていきました。 お姉さんが入院に必要なものを売店で買ってきたりしたあと 待っている間廊下の椅子に座っていたら、 もう歩行訓練をしている隣のベッドの元気なおばあさんも廊下の椅子にすわって いろいろ話しかけてくれました。 うちのおばあちゃんと同じ84歳で、やはり大腿骨頚部骨折だそうです。 その方は金属を3本入れてつないであるそうで、3週間目にはいって 歩行器で歩く訓練はしていますが、まだ骨折した方の足をついてはいけないそうです。 うちのおばあちゃんは人工骨頭に取り替えるので、過程はずいぶん違うようです。
おばあちゃんが検査から戻ってきてから、取り置きしてあった朝食が出て そのあとしばらくしてから、私だけ家に戻りました。
お昼を食べて休んでいると、お姉さんから電話があって 担当の先生から説明があるがあるので聞きたい人は皆来るようにとのことです。 すぐにまた車で病院まで行きました。
先生の説明によると さっき先生から説明を受けました。 大腿骨頚部骨折 StageIV(完全に折れてずれている状態) 人工骨頭に取り替える手術をします。 手術は明日(9日)午後1時から リハビリは連休明け(12日?)から(予定) 入院期間は標準で2週間ぐらい。 だそうです。
手術については内容とそれに伴うリスクも詳しく話していただきましたが 特に個人的に特殊なことではありません。 また、骨折そのものによる出血と手術による出血を合わせて 700-800mlぐらいの出血が見込まれるが、基本的には輸血はしない予定だそうです。
明日はまた雪になりそうですが、夫の弟も車で小田原から出てくるので 手術前(12時ごろ)皆で病院へ行く予定です。
| 2008年02月07日(木) |
おばあちゃん、大腿骨頚部骨折 |
午前中は平和でした。 夫がたのんでいたiPod用ACアダプターが届いたという連絡があったので 買いに行ってきて、マタイ受難曲の振込みをして、 駅前で靴下や手袋を買ってかえってきました。
昼は普通に食べました。
午後、私がビリーを始めて少ししたころ、おばあちゃんが散歩に出かけました。 そのあと2度迷惑電話があり、その後にピンポーンとなったので3度目にDVDを止めました。 インターホンに出ると、中学生が「おばあちゃんが転んで歩けなくなっている」と知らせてくれました。 下へ降りてみると、マンションの出口近くで、おばあちゃんが転んだまま立てません。 助け起こそうとしても、痛がって動けません。
駐車場の出口では危ないので、なんとか少し動かして端のブロックへ座ってもらいました。 自転車で通りかかった小学生を迎えに行くお母さんが手伝ってくれました。
家から足に車輪のついた椅子を持ってきて、その通りがかりの人に手伝ってもらって なんとか持ち上げながら動かして座らせて、家から娘も呼んできて(たまたまいてよかった) 椅子を転がしてエレベーターで家へ上がりました。
トイレへ行きたいというのですが、転がした椅子は大きくて入らないので 別の椅子をトイレの便座まで並べて徐々におしりを滑らせて移動して なんとか用を足しました。
同様にまた椅子に戻り、温めた部屋に戻り、医者に見てもらわないと仕方がないので ちかくの整形外科に電話してみましたが、 来院しないとどうしようもないと言うので119に電話して救急車を呼びました。
タオルなどで患部は冷やし体は毛布などで温めて待つように言われて用意をしている間に 救急車はすぐに来ました。(はしご車まで来て大げさでした。) 救急隊は手分けしておばあちゃんを手際よく搬送用の椅子(?)に移し、 その間に私に必要事項をいろいろ質問していました。 救急隊が連絡を取って空きを確認して、三愛病院という病院にいくことになりました。 私が救急隊員からいろいろ聞かれている間に、夫に電話で連絡するよう娘に頼みました。 私も救急車に同乗して病院にいきました。
病院でレントゲンなどを撮っている間かなり待たされ、 その後の救急隊がかえってから、病院の先生から話があり、 大腿骨頚部骨折で、手術が必要と言うことでした。 ちょうど整形外科の先生が手術中で、他の先生に話を聞いたのですが、 整形外科の先生がレントゲンは確認したそうです。
夫は急いでかえってきて、おばあちゃんが病室に移ってからしばらくして 病院に到着しました。 入院書類を書きながら状況を話したりして、一旦夕食のため家へ戻りました。 夕食はかんたんに食べられるものを買ってきました。
書類を書いて、その書類や入院に必要なものを持って病院へ行きました。 そのあと、一旦帰ってお風呂に入りました。 その頃、お姉さんが到着するので夫が駅まで車で迎えに行きました。
明日検査で、9日に手術だと言うことです。
|