フォーリアの日記
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天気予報では昨日より寒さが緩むということでしたが、 いや、でも、寒いですよ。
今日はコーラスでした。 偶然ですが、欠席者が何人もいて今日はちょっと人数少な目です。 そのせいか、なんとなくテンションが下がって音も下がり気味になっているような・・。 単純な和音も合いません。 まあ、それよりまずは音取りか・・・。
ところで、今日はなんだか電車が混んでいました。 朝も遅めの電車が混んでいたし、普通なら空いている昼間の電車がなんだか混んでいるのです。 師走はなんとなく出歩く用事が多いのでしょうか?
今日は寒いですよ、冷えてますよ。 それなのに日差しが入る居間にあるストーブは暖かいと勘違いして昼間はよく消えるので寒いのです。 おばあちゃんにかかってきた電話によると、長野は今朝マイナス4度だったそうです。
それでも買い物に出ないと昼も夜も食べ物が足りないので外へ出ました。 明日生協が来るので買ったのは最低限ですが。 ベランダの植木もたまには水をやらないと枯れるので水をやりました。 でも、今年は寒くなるのが遅かったせいか、まだ松葉ボタンが枯れていません。 プランターに水仙と松葉ボタンを植えて、例年松葉ボタンが枯れた頃水仙の芽が出てくるのに、(二毛作?) 今は両方出ています。 ちょっとこのプランターには負担かも。
何かを検索していた時にたまたま見かけた どこか多分ポピュラー系の歌唱法のBBSで 声楽家に発声法を習った人が「肋骨を広げたまま息を吐くと習った」と書いたら 総スカンにあっていました。 「そんなことしたら苦しくてしかたがない」 「そんな話聞いたことがない」 みたいなコメントのオンパレード。
でも、そうなんです。 広げるために無理な力を入れる必要はありませんが、 そういう意識をもった持ったことのない多くの人は 息を吐こうとるすとスッと肋骨が下がってしまいます。 そうならないように、実際は横隔膜を上げるように息をはくのでしょうが、 意識としては、空気のかるい圧力を感じて肋骨を下がらないように保つ感じです。 (力任せに広げるのではない) 胸郭は共鳴腔ですから、広く保つに越したことはないのです。
そんな関連でこんなページを見ました。 http://www1.odn.ne.jp/bellavoce/akiyama/honbon.belcanto.htm 東京音大の先生がベルカント唱法について書いているページなので 前からお気に入りには入っていたのですが、 しばらく見ないうちに書き足されているようです。 (開いた途端に音が鳴るので、ちょっと敬遠していました。)
ソプラクートなどという言葉は初めて聞きました。 3点C(ド)以上を出すような時の発声法らしい。 しかし、ここに書いてあるとおりに高音を出してみたら、 夜の女王のアリアの最高音3点F(ファ)がメロディーの中でも見事に当たりました。 発声練習で乗せられれば3点G(ソ)まで出たりしますが、 メロディーの中では異様にそこだけ頑張らないとどうしても下がり気味になってしまう音なので驚きました。
この話のなかのパッサージョの位置からすると どうも2点Es(♭ミ)の音がパッサージョになるような気がするのですが もしかしたら私はメゾソプラノ?
| 2006年12月03日(日) |
DVDドン・ジョバンニ後半 |
今日もいいお天気です。昨日よりも少し冷えているかも。 ひるどきに買い物に出た時は寒いと感じていましたが、 帰る頃には昼間の日差しを浴びて暖かく思えました。
午後は昼寝しましたが、夫が使った石鹸の白檀の香料アレルギーで 気道がゼーゼーいい始めて苦しくなったので起きてしまいました。 それでもある程度眠ってから起きたので、たっぷり昼寝した気分でいます。
夜、先日のドン・ジョバンニのDVDの続きを見ました。 英語字幕、ゆっくり歌い上げるところはいいのですが しゃべりの早いところは読むのが追いつきません。^^; でもストーリーはなんとか追って行きました。 有名なオペラなのであらすじぐらいは聞いたことはあっても聞くは初めてなので、 へえ、こんな話だったのかと新たに気付くところはたくさんありました。
でも、この時代のモーツァルトのオペラって、 ソリストの希望によってストーリー展開上はあえて必要なくてもアリアを入れたりするのでしょうか。 ちょっとここでアリアが入るのは冗長ではないかと思うところがあります。 もっとも、そんなことは研究され尽くしていて、調べればわかることかもしれません。
ドンナ・アンナ役のグルベローヴァは、声や技巧はさすがですが 役として演技としては特に面白いわけでもありませんでした。 それよりドンナ・エルヴィーラ役のアン・マリーほうが好演だったと思います。 ただし、髪型がなんだかおばさんくさいような気がするんですが・・・。
今日は寒くなると思ったけれど思ったほどでもなく、いいお天気でした。
一家4人(夫とおばあちゃんと娘と私)で車で国分寺へ行ってきました。 国分寺と言っても全国にたくさんありますが、JR中央線国分寺駅のある武蔵国分寺です。 見てきたのは現在の国分寺で、遺跡ではありませんが、 周りの散歩道を少し歩いてきました。 武蔵野の紅葉は木によってはまだ少し早いものもありますが、なかなかきれいです。
散歩道はお鷹の道といって湧き水が流れている清流が横を流れています。 この清流には蛍がいるそうです。(育てている?) 昔お鷹場だったところから名づけられたようです。 少し広い所にキジ鳩がたくさんいて落ち葉の中で何かつついていました。 沿道には広大な敷地の農家がいくつもあって、露店で野菜なども販売しています。 そんな農家の一つの庭先でキウイとみかんを買ってきました。 湧き水の池のまえに、湧き水が出ているところがあり、 そこで水を汲んでいる人がたくさんいました。
行きは笹目通りやら青梅街道やら小金井街道やらを通って行ったのですが、 帰りは国立府中ICから高速に入って帰ってきました。 高速に入ったらもういいだろうと、かあナビ(カーナビにあらず。かあちゃんナビ)はいつのまにか眠ってしまいました。
| 2006年12月01日(金) |
気質チェックでタイプにあった健康法を? |
晴れていますが今日は寒くなっています。 まだ北風ピューピューというほどではありません。
今日は自分で参加していない講習会のレポートのようなものを 走り書きのメモから起こして文にするような作業をしていたら メモの判読は難しいし、時間はかかるし非常に疲れました。 その合間に写真加工やら何やら業務も入るので思考があちこち飛んで頭の整理が難しい。
ところで、美容やダイエット、健康増進のための「気質チェック」って流行っているんですかね。 雑誌なども取り上げているようなのですが。 後述の日刊ゲンダイ以外にもクロワッサンで取り上げられていたとか。
あちこちで多く紹介されているのは「野菜が毒になる人、ならない人」(幻冬舎)という本を書いた石川善光という人の気質チェックなのですが、 簡易版が日刊ゲンダイに紹介されています。 http://gendai.net/?m=view&g=kenko&c=110&no=16284
でも、そもそもその人が提唱した話か、それとも誰かはじめに考えた人がいるのか 科学的に確かめられているのかもよく知りません。 本では8つのタイプに別れているそうですが、 それが簡易に4つにもできるというのも不思議です。
| 2006年11月30日(木) |
アーノンクールのモーツアルト |
夫が日記に書いているのでダブる面もあるし、 どうも絶賛している人もいるようなので ここのような検索に引っかかる可能性のある日記には書かないでおこうと思いましたが やっぱり書きます。
http://www.nhk.or.jp/art/yotei/2006/20061126.html 11月26日のNHK芸術劇場で、アーノンクール指揮ウィーンフィルハーモニー管弦楽団演奏で モーツァルトの交響曲第39番40番41番をやっていました。 その日は半分ぐらい聞き、録画しておいて残りは後で聞いたのですが、正直言ってがっかりです。 皆さん遠慮しているのか、よかったと思っている人の方が多いのか あまり悪い評判を書いている人がないようなのですが、あえて悪いことも書きます。
ピリオド奏法を取り入れているという話が事前に説明されていました。 今のオーケストラは楽器の響きも編成も大きくなり、どんどん壮大で重厚な音を出す方向に向かってきましたが 作曲された当時のオーケストラのよさを見直し、当時(に近い)の奏法で演奏するというのですが はっきり言ってどうでもいいです。
もちろん、箱の響きがそのまま感じられるような弦のノンビブラート奏法や、 ある程度なら早めのアンダンテもそれなりに味があります。 でも奏法など単なる形の問題であって、音楽は人の心です。 現代の奏法で数多な指揮者が振っていて、その中にいい演奏もよくない演奏もあるように、 ピリオド奏法で演奏したって、いい演奏もよくない演奏もあるでしょう。 ピリオド奏法をすれば誰が振っても魔法のようにいい演奏になるわけではありません。 逆にいえば取り入れている指揮者が少なければ当たりも少ないかもしれません。
どんなに通常聞きなれた解釈と違っていたって、それが心地よいものなら受け入れられます。 でも、楽団員が納得せず、つまらないと思って弾いていたら 何も面白くない音楽にしかなりません。
さて、そのモーツァルトの演奏の話に戻ります。 と言いながらすぐに余談ですが、私はオーケストラで39番を演奏したことがあります。 (本番でその曲の最中に楽器が壊れて、個人的にはさんざんでした。) 昔のことでかなり忘れていますが、聞いていると確かに思い出してきました。
どの曲も1楽章の比較的テンポ良く行く部分の出だしはいいのですが、 各楽器がソロやソリで歌うべきところで妙にテンポが遅くなったり、 (本来なら全体のテンポは緩めずに、ソロやソリが少し遅めにたっぷり歌っているのを聞かせるべきだと思います。) フレーズの頭に入る前にテンポを大幅に緩めて「ため」を作り、 すでにずいぶん重くなっていた曲の流れを止めています。 その後フレーズの頭でテンポを戻そうとしているようですが戻らず、バラバラになってしまいます。 それ以後は妙に重くなって聞いていられなくなります。 どの曲も1楽章はその傾向がありましたが、39番40番は特に感じました。 41番の1楽章にはこの「ため」は少なく、割と流れていたように思いました。
下手な学生オーケストラではない、天下のウィーンフィルがこれほどバラバラになってしまうのは 各楽団員がそのテンポに音楽的な納得の行かなさを抱えているので、 指揮者がいったいどのようなテンポにしたいのかが想像つかないからだと思います。 バラバラになったところあたりから急速に楽団員のやる気(音楽を創る心)が失われているのがわかります。 生き生きとした感じ、楽しそうな様子がまったくなくなってしまうのです。 そうなるともう、曲はつまらないものでしかなくなります。
第2楽章は緩徐楽章ですがこれが速いのも困りものです。 多少速い程度ではありません。かなり速い。 これでは付点のリズムなど生きてこないし、16分音符を歌うことができません。 モーツァルトは本当にこういうことを望んでいたのかと疑ってしまいます。
第3楽章、メヌエットはだいたいテンポの変えようがないかもしれません。 変な「ため」があるのを除けば他の楽章に比べればましなほうです。
第4楽章は速い、どれもとにかく速い。 楽団員は必死になってというか、世界一流の奏者ぞろいですから、 速く振られてもこれくらいできるぞとばかりバリバリ弾いていますが、 いつものウィーンフィルのような余裕がありません。 急に静かなところに入っても早いところの興奮が残って穏やかな心に戻っていません。 そうなると曲に変化がなくなります。 楽しそうな様子もなく、ただ必死に弾いているだけの音楽は聴くほうも楽しくありません。
さて、演奏終了後のウィーンフィル楽団員、どうも会心の演奏のような顔をしていません。 いったん袖に下がった後に袖から戻ってきた指揮者にはかなりそっけなかったように見えました。 終わった後の拍手はそれなりにあったので、よかったと思う人もある程度いると思いますが 本当ならブーイングがあってもいいくらいの演奏だったと思います。 でもそういう私も、文句は言ってもブーイングはできなかったでしょう。 どうも日本ではあまりブーイングをするなどということに馴染みがないので あまりよくないと思っても、とりあえず演奏したことをねぎらう気持ちで少しは拍手してしまうのです。
せっかくウィーンフィルがわざわざ日本へ来ての公演なのに 聞くほうも不本意ですが、演奏する方も相当不本意だったと思います。
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