フォーリアの日記
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本日はゴミ捨てです。
先日、清掃センターの位置がやっとわかりました。 直接電話をかけたり夫の弟がカーナビで電話番号で調べたりしてわかったのです。 住所がどこにも書いてないので、平日でないと調べられなくて 今までわからなかったのです。 えらい山の中にあります。
レンタカーで軽トラックを借りて来て、 草を3回、不燃物(鉄骨など)を1回運びました。 すごい量です。 ずいぶんすっきりしました。
今日は旅行に行っていた息子が合流しました。 明日はおばあちゃんを連れて帰宅します。
今日も実家の草取りの続きです。
町内会の草刈り機を借りられると言うので、区長さんにお願いして借りてきました。 草刈り機で作業している時に周辺に人がいると危険だと言うので 外の草は夫に任せて、私は家の中の掃除をしました。
草刈り機の威力はすごいです。 ジャングルだった庭から丈の高い雑草がかなり一掃されました。 昨日からとった草の山がすごいことになっています。 この草の始末が悩みどころです。
今日は刈り取る作業のみで、片付けには入っていないので 刈った草を夫が集めて履いたものの まだ刈り散らかしたままと言う雰囲気です。 その他、片付けるべきものもいろいろ散らかったままです。
明日にはもう少し片付けてしまいたいと思っています。
今日は実家の草取りをしました。
午前中は夫の弟夫婦も手伝ってくれたので5人でずいぶんはかどりました。 午後は、夫の弟夫婦とは別行動で、おなかの調子の悪い娘も不参加だったので ちっともはかどりません。
かなりの時間の重労働の末、くたくたになるまでやっても、まだまだ先は長いようです。 でも、これでも初めに比べればかなりましです。 はじめはジャングルか廃墟でしたから。 雑草だけでなく笹とつる性の草が生い茂り、家も侵食しそうでした。
鹿と山羊とウサギ5〜6匹、パンダ5匹くらいの応援がほしいです。
本日車で長野へ出発します。 早い出発ではないので、着くのは夜でしょう。 日記は書けるかどうかわからないのでとりあえず書いておきます。
夫の弟もおばあちゃんを連れて今日から16日まで帰省するそうですので 向こうで出会えそうです。 あちらは出足が早いので、昼前には着いているかも。
------------------ 無事ついています。 娘は連れてきましたが、明日から三重の友人のところへ行くと言う息子は置いてきました。 昼出て4時過ぎ着だからまあまあかも。 お墓まいりめぐりを済ませました。
夫の弟夫婦とおばあちゃんを交えてにぎやかに夕飯を食べました。 今日は夫の実家泊まり。
今日は強行スケジュールの末昨晩インドを発った夫が 今日の夕方帰って来ました。 成田からの京成電鉄が到着する日暮里まで迎えに行きました。
夕立が降りましが、ちょうどその頃はまだ大丈夫でした。
このまますぐ、明日長野へ帰省予定。
早朝に激しい雨の音で何度か目が覚めたのですが、目覚し時計が鳴るまで寝ていたら 起きた時にはほとんど止んでいました。 今日は厳しい暑さも一段落のようです。 でも、朝としては十分蒸し暑い。
出かけてから電車の中で、冷房対策に羽織るものを忘れたことに気付きました。 途中でシャツの一枚でも買えればいいのですが、経路にはそんな店も思い浮かびません。 私の座っている位置は、部屋全体の温度に関わらず、直接冷房の風が吹き付けるので寒いのです。 今日は外が非常に暑くはないので冷風が弱めなのか、午前中はなんとかすごせました。 しかし、暑いとおっしゃる患者さんがいて、温度が下げられてしまいました。
昼食をとった店ですっかり冷えてしまっていました。 また、JTBの店内はクールビズが推奨されているご時世にとんでもなく冷やしているらしく、 前をちょうど通りかかった時に、中から人が出てくると冷気が噴出し、 ぞぞっとするほど寒かった。
午後は幸い、余っていた(?)ナースカーディガンのようなものを貸してもらうことができました。
帰りは雨には降られずに帰れそうに思えましたが、 駅を降りたって外へ出たら雨が降ってきました。 ちょうど、ちょっと前に降りだしました、という感じでした。 通勤帰りではなく近所から来た風のスーパーの買い物客が傘なしで帰ります。
夜になって遠くで雷が激しく鳴っているなあと思っていたら 見る見る近づいてきて、はげしい雷雨になりました。 こんなにまともに雷雨に見舞われたのは今年初めてかもしれません。
PCとモデムやルーターの電源を落としました。 しかし去るのも早く、30分程度でまた遠ざかっていきました。
復活して日記を書いています。 生協の注文も書かなくては。
TVで高校野球をなーんとなくつけていた午後、 耳に飛び込んできたのが 「解説は坂本佳一さんです。坂本さんといえばバンビ坂本の愛称で・・・。」
おおお、いましたよ、見てましたよ、バンビ坂本。 1年生投手で、まだまだ中学生みたいな幼い顔がかわいかったあのバンビ坂本。 さすがにもう普通のおじさんになっちゃっているんだね。 そう言って騒いでいたら、子供に、いつ頃の話?と聞かれました。
うーん、覚えてないけどずいぶん前だから20年は経っていると思う。 適当に答えたけれど、検索すると昭和52年のことだったんですね。
あの時、東邦高校は決勝で敗れて、 バンビ坂本はまだ1年生だったので、次の年もその次の年もチャンスがあるかと思ったら もう2度と甲子園には出てきませんでした。 愛知県には他にも強豪校がたくさんありますから勝ち抜くのは難しかったのでしょう。
東邦高校というのは名古屋にあるのですが、 確か一度、高校の吹奏楽の東海大会で名古屋に行った時に 大会前日に東邦高校の施設(体育館だったか?)を借りて練習したことがあります。 それくらいしか縁がないので普段はどこにあったのかも忘れていますが。
昭和52年というと、私は大学生で名古屋に住んでいてTVのない生活を送っていましたが 夏休みには帰省していました。 野球好きの父が、高校野球は全試合見る勢いでTVを見ていたので、一緒に見ていたと思います。 (当事教員だった父は夏休みにはかなり家にいたのでしょう。)
昭和52年に高1なら、すでに40代。おじさんになっていても不思議はありません。
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