フォーリアの日記
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22日(木)に死亡した弟の嫁さん(Yさん)はそのまま長野(須坂市)へ搬送されました。 葬儀はYさんのお父さんのたっての希望で、Yさんの実家のI家で行われることになったとのことです。 23日(金)にお通夜、24日(土)にお葬式とのことで 22日中には弟親子と、I家のかたがたは須坂へ行きました。
私は、23日の朝長野へ出発しました。
早く行きたかったので新幹線で出ましたが 実は荷物がいろいろありました。 スリランカから夫が駆けつけるというので 喪服一式持っていってくれというのです。 息子は私が出かける時はまだ寝ていたのですが あとから夫の喪服を持って車で来てくれました。
交通が不便なところなので、車があると大変助かりました。
家を出る前に夫から電話があり、飛行機が飛ばなくなったので 遅い飛行機で出るとのこと。お通夜には間に合わないという話です。
行きがけに何度か夫の実家に電話したのですが なぜか義母が出ません。 おかしいなとは思っていたのですが 須坂に着いた頃、弟からメールが入りました。
偶然夫の実家に電話をかけた弟が、 義母の弟に当たる叔父が亡くなったことを聞いたのです。 なんとYさんと同じ日に亡くなったとのことです。
留守だった理由がわかりました。
その直後、夫から電話があり、遅い飛行機も飛ばなくなってしまったそうです。 もう間に合わないので今回は行けなくなったとのこと。 向こうも大混乱のようです。
Kenの日記 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=85567&pg=20030523
まず夫の実家によって留守だったら実家のほうへ行こうと 駅前でタクシーにそう告げました。 夫の実家に着くと義母は帰っていましたので こちらに落ち着くことにしました。
つづく(つづきは明日以降)
昨日お葬式も終わり、帰ってきました。 詳しくはまた明日(以降)書きます。
弟のお嫁さん、さきほど11時56分亡くなりました。 長野のほうへつれて帰ってお通夜もお葬式もするそうです。
なんだか、明日の朝までもたない状況だということで 今から病院に行ってきます。 18:28
| 2003年05月20日(火) |
なんだかややこしくて |
お嫁さんの肉親と弟の間に いろいろ考え方の相違や対立点があるようで なかなか大変です。 そうなってしまうと、もはや両親もなく 叔父叔母といっても○○姓のものは一人しかいない弟は 大勢いるお嫁さんの肉親に囲まれて 圧倒的につらい立場に立たされます。
今日は弟の相談に乗るために横浜までいってきました。
私に話したところで立派なアドバイスができるわけではありませんが 話をしたことで弟も考えがまとまったようです。
大変なことです。
---------- 帰ってきて駅についたら外は土砂降りでした。 うちのマンションの地下駐車場は水はけが悪く、 (排水ポンプの能力が低い?) ある程度まとまった雨が降るとすぐに満水警報がなります。 そうなると、最下段の車が水に浸からないように 駐車場の段を上げておかなければなりません。
理事なのでそういう作業をしなければならないのです。 帰り着いた時はまだ誰も出ていませんでしたが ずぶ濡れになって家に帰り着いたので着替えてからカッパを着て外に出ると 理事長と旧理事長などが外へ出て駐車場の段を上げていました。
警報の音もうるさいので止めたいのですが、 止まるボタンを押しても止まりません。 それでだめなら、ほかの止め方はわかりません。 水が引かない限り止まらないのでしょうか。
そのうちに通報がいっている警備会社の警備員がきたけれどわかりません。
その後、前に操作をしたことがある元の理事長が帰ってきて 操作を聞いたらさっきやったとおりでいいようです。 この時は大分水が引いていたせいか、警報は止まりました。
管理会社の設備管理の人が来たので見てもらって 操作を聞くとやはりそれで音は止まるそうです。 しかし水位がさがっていなくても止まるはずだというのです。 その後、排水ポンプのほうも見てくれていましたが あまり調子がよくないらしい。
どうも点検の必要があるようです。
長野から叔父が見舞いにきたので 私が案内して(といえるほど横浜に詳しくないが) 病院に行きました。
行きは、埼京線で渋谷へ。渋谷から田園都市線であざみ野。 あざみ野から横浜市営地下鉄でセンター南というルートで行きました。 しかし、埼京線が信号故障でダイヤが乱れ 快速がなくなったり行き先変更になったり 前の電車がつかえているといって各駅の手前で長く停車したりして えらく時間がかかってしまいました。
弟のお嫁さんの状態は、おとといよりむくんだように見えましたが 全体にはほとんど変化はないようです。
面会後、その場をお嫁さんの弟さんに任せて弟も席をはずし、 昼食を食べに出て、現在の状況を話しました。
このままの状態が1週間続くか2週間続くかわかりませんが 今の状態が続くうちは 子供たちはお嫁さんのお母さんが弟の家で見てくれて 弟とお嫁さんの弟で交代で休みをとりながら付き添うという体制で行くようです。
叔父は夕方に仕事上の用事があるといって 早めに帰っていきました。
帰りは急ぐということもあって 新横浜から東京へ新幹線、東京で長野新幹線へのりかえというルートで行きました。 私は新横浜から東京へ同乗し、長野新幹線の入り口に送り届けて見送りました。
弟のお嫁さんが脳に腫瘍があることがわかり、13日(火)に手術をしました。 その時は意識も回復して話もできていたそうです。 でも実は、悪性であることがわかり、かなり状態が悪かったのだそうです。
その後金曜日から容態が悪化して意識がないとのことで 私は連絡を受けて、仕事先から早退して直接病院へいきました。
着くとすぐに次の日の運動会に子供たちを連れて行って欲しいと言われました。
「土曜日に運動会だから子供たちを連れて行ってほしい」と 手術後麻酔が覚めてからも何度も念を押していたという話なのです。
そのまま運動できる衣類を買い揃えて弟の家へ行きました。
弟の家から病院までは1時間以上かかるので、 今夜が山といわれたその晩は、 それまで子供たちの面倒を見ていたお嫁さんのお母さんも病院のそばにいたほうがいいということで 私が運動会に連れて行ったのです。 容態に変化がなければ、弟も朝駆けつけるとのことでした。
その晩はそのまま変化がなく(といっても悪いまま)、弟も学校に駆けつけ(子供たちは喜びました)、 運動会が終わって子供たちを連れて病院へ行きました。
しかし、その日にもう医師から回復の見込みがない(助からない)ことを告げられたのです。
ご両親やご兄弟は激しく動転して、尋常ではありません。 私は子供たちを連れて、自宅で見ていようかと思っていましたが 慣れない伯母さんに任せるのは向こうのお母さんも心配らしく、 その晩は弟の家で面倒を見るというので 私は、あまりご両親を刺激しないように帰ることにしました。
今日も急に何かあったら飛んでいきますが、何もないなら行かないほうがいいようなので 家にいることにしました。
なんだかいろいろあって何日たったかわからない感じです。
胃が痛い。
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