フォーリアの日記
目次過去の日記未来の日記


2002年12月15日(日) 叔母の葬式

お葬式に行ってきました。
父は7人兄弟の一番上ですが、
今回亡くなった叔母は下から2番目、兄弟の中では若い方です。
次男の叔父は一昨年死亡し、残る6人のうち、参列できたのは2人だけです。
親の世代の衰えをつくづく感じました。

型どおりのお葬式が終わり次第
今日は早めに帰ってきました。


2002年12月14日(土) 理事会

今日マンションの理事会があったことを、昨日はすっかり忘れていたのです。
今朝パソコンを立ち上げたら、Outlookのスケジュールに表示されたので思い出しました。
よってお通夜は無理です。
明日の朝出発して、お葬式だけ参列です。


2002年12月13日(金) 叔母が・・

今朝、出勤してから弟から叔母がなくなったという知らせ。
弟も詳しく聞いていないようなので、
昼休みに長野の親戚に確認の電話を入れた。

本当に突然倒れたらしい。
先日まで父の見舞いに来てくれたりしていたのに。

明日お通夜で、あさってお葬式という。
なんでこう続くのだろう。

明日は長野へいくことになりそう。


2002年12月12日(木) 風邪気味

やはり風邪気味のようです。
朝起きた時からからのどが痛いのと、体がだるいので
子供を送り出してから、今日はゆっくり休むことにしました。
たいしたことないんですが、明日元気に出かけなければならないんで。


2002年12月11日(水) レントゲン

今日父の胸のレントゲンをとったそうです。
5時頃その結果を携えて先生が来て、
血液検査だけの結果より状態は悪いといいます。
肺に水がたまっていて前より進んでいるとのこと。
これが癌の出す悪性の物質のせいならば、あと一ヵ月以内かもしれない。
もしかしたらカルシウムのせいの可能性もあるので、
カルシウムを調節する薬も使って様子を見るとのことです。

-----
私は今日は朝から鼻水が出るし、背中と腕と足が筋肉痛。
さっき家に帰ってお風呂に入ったら少しましになりました。
これがアレルギーと雪かきのせいならいいんですが
風邪だったらいやだなあ。
まあ明日になればわかるでしょう。


2002年12月10日(火) 先生の話

長野へついて雪がどさどさ降っていたらどうしようと思っていましたが
空に雪雲は多かったものの昼間は日が差していました。

水道管が夜に凍ると困るので、病院から車を出して、
暖かい昼間のうちに一旦家に行き、水道管のヒーターを入れました。
雪がけっこう積もっているので通路だけ雪かきもしました。
雪降る中の作業にならずに助かりました。
それからまた病院に戻りました。

幹線道路は除雪されていて雪はありません。
車のタイヤは先日車検のときにスタッドレスに替えてもらっていました。
それでなければ今ごろ怖くて走れず、あわてまくっていたでしょう。

病院では今日は先生の話がきけるはずだったのですが
急患が入ったということで、来られないようです。
明日でもいいかと看護婦さんが確認するので、いいと言いました。

実は先月ぐらいから前の担当の先生が留守にしていて
その留守をあずかっていた先生が今度正式に担当になったのです。
この先生から話を聞くのは初めてです。

父はお風呂に入ってから夕食まで寝ていましたが
夕食時には起きて少し食べました。
その後もしばらく起きていたのでその場にいたら看護婦さんがきて
先生がいらっしゃったので今話を聞くこともできるということ。
今日はなしを聞くことができました。

12月7日の血液検査のデータを9月、10月のものと比較して説明してくれまし
た。
貧血が進んでいる、
アルブミン(栄養をあらわすそうです)がへっている、
カルシウム値が高い(量はかわっていないのですがアルブミン量と関係があって換算
するらしい)、
肝臓のデータが悪くなっている、というのが主なところだそうです。
また、骨転移の指標となる酵素の量は減っているのですが(骨転移があると増える)
骨転移が減ったのではなく、酵素を作る力がなくなってきているのだろうとのこと。
数値的にはかなり危ないところ(あと数週間から1ヶ月)よりはちょっと手前、
後2,3ヶ月というところではないかという話でした。
もちろん、突発的なことがあればどうなるかわかりません。

癌の進行は肺癌などとちがい、腎臓癌の特徴で、ゆっくりなんだそうです。

痛み止めの麻薬の量も前の先生のときより減らしているそうですが
バランスがとれて痛くないようで、意識も安定しています。

こういう話を聞いたのははじめてて非常に納得しました。
緩和ケアは治療をしないということから、血液検査そのものも
やらない主義の先生、やらせない主義の家族がいるのだそうです。
でもなにもかもわからないまま、弱っていくのを見ているのはつらいです。

夕方からまたはらはらと降り出した雪は
帰るときには車の窓に凍り付いていたので
がりがりとこそげ落として家に向かいました。


2002年12月09日(月) 雪のお葬式

雪のため交通機関が乱れに乱れ、今日の外出は大変でした。
念のため早めに家を出たものの、電車はいつ来るかわからない。
来た電車には積み残される、次の電車も満員。
体が斜めになり、支える手が痛くなり、胸が圧迫されて苦しい。
行き先が変更になって、途中で乗り換え。
(これはかえって超満員の車両から開放されてラッキーかも。)
乗り換えた山手線も、線路に人が降りたとかでしばらく止まる。

いったい間に合うのでしょうか。

雪道を歩くにの黒のパンプスでは無理なので余分な荷物も増えます。

ようやくたどり着いた西小山駅から円融寺というお寺まで歩きます。

前にここを通った時もコーラスのメンバーのお葬式でした。
行きには路地から広い道へ出るのでわかりやすいのですが
帰りには路地へ入らなければならないので迷いました。
そのときに、道を案内してくれたのも今日の故人だったなぁと思い出し
それだけで涙がでてきてしまいます。

多少遅れたもののお焼香には間に合いました。
商店街の人気者なので参列者がたくさんいます。
正面の写真を見るとまた涙が出てしまいます。
コーラスのメンバーたちは「泣かないで歌おうね。」と励ましあいました。

でも、最後のお別れで顔を見たらみんな泣いてしまいました。
そのまま出棺の前に歌って送ったのですが
歌っているうちに何とか皆気を取り直しました。

雪はやみそうにありません。
----

雪のお葬式といえば、母の時を思い出します。

母が倒れた日は長野でも近年まれな大雪で5、60センチ積もりました。
脳外科のある病院まで通常30分のところ、1時間半くらいかかったそうです。
危篤状態のまま10日間ほど入院していました。
その間、ほとんど毎日雪が降り続きました。

病院に泊り込んでいたのですが、家のメンテナンスもしなくてはならないので
交代で帰りました。
夜の間に積もった雪が朝方凍り、朝には玄関のドアをふさいで開かなくなります。
サッシの引き戸から庭へ出て玄関へ回り、それを取り除きます。
雪下ろしをさぼったら車庫の屋根がつぶれてしまいました。

お葬式の当日ははらはらと舞う程度の雪でした。
当時は田舎に葬祭場もなく、お葬式は自宅でした。
人が来ても大丈夫なように玄関の氷をつるはしでかち割って取り除き
庭の通路には人が歩けるようにダンボールを敷きました。

この日を境に天気がよくなってきました。
本当に母の危機を象徴しているように感じた雪でした。

モーツアルトが母親の死を聞いて作曲したといわれるピアノソナタK.310は
その冒頭を聞くと、いつもこの時の雪が降りしきる光景が浮かびます。

普段はチャイコフスキーの情感たっぷりの音楽が好きなのだけど
このときばかりはモーツアルトしか耳が受け付けませんでした。


フォーリア |HomePage