フォーリアの日記
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2002年09月24日(火) 納豆

仙台の友人が納豆を送ってくれました。
とてもおいしいし、体にいいから是非食べてくださいということです。

今日到着したので、早速食べてみました。
本当に、おいしかった。
こんなに味のある納豆は初めて。
黒豆納豆なんていうのも入っていたけどどんな味がするんだろう?
今度食べてみよう。

おいしかったので宣伝しちゃおう。
http://www.nattou.co.jp/


2002年09月23日(月) 迫り来る終末

今日、病院へ行くと父は先週よりボケが進んでいるようでした。
人の話の内容は理解していて、割とまともに応答するのですが
自分から話すことは少なくなっていて、また
やりかけていたことがわからなくなったり
寝ようとしたのか立とうとしたのかわからなくなって
ベッドの縁に腰掛けたまま、スリッパを脱いだり履いたり・・・
みたいな状態でした。

先週よりだいぶ、立つのが苦しそうになっていました。

医者の話を聞きました。
ここのところ、だいぶ衰弱が進んでいて
あと1週間か2週間ぐらいなのではないか、ということです。

もちろん、だから1ヶ月生きないのかと言われば
それは断言できないのだそうです。

病状が進むと言う観点、つまり
癌が大きくなったとか、
癌から出ている毒性の物質が増えたとかいう観点からすれば
徐々には悪くなっているのだけれど、そう急に変化があったわけではないそうです。
ただ、体の衰弱はそれとは別に進むのだそうです。
そして、その衰弱が
あと、1週間から2週間というレベルなのだそうです。

弟と話し合って、これからは週末だけでなく
平日も交代で詰めていることにしました。

今日は帰ってきて、明日とあさっては家のことをして、
木曜日からその体制に入ります。


2002年09月21日(土) 父の病状と娘の文化祭

今日明日は娘の高校の文化祭。
それで、今週は長野へ行かないつもりだったのですが・・。

今朝、病院から電話をもらって先生からざっと話を聞きました。
父は、「モルヒネが効いて痛みが取れ、安定した状態」から進んで
もう、「かなり悪くなってきている状態」なのだそうです。

今週行かなければ、来週には話のできるような状態じゃ
なくなっている可能性も高い、ひょっとすると
最悪のことがあっても不思議はないという状態なのだそうです。

それで、23日に日帰りで長野へ行くことにしました。
その次に行く時は、何日も行きっぱなしになるかもしれない。

今日は、文化祭に行ってきました。
でも、午前中は電話を受けた後、あちこち連絡したり
いろいろ考えたりしていたので出遅れ、
午前中の吹奏楽のステージは聞けませんでした。
行ったら、ちょうど最終曲の最後の音をのばして終わるところでした。

午後、有志のミュージカルというのを見ました。
娘は伴奏オケです。
宝塚のように女の子達が男役もやる
2時間半の舞台で「ME & MY GIRL」という演目。

いやあ、たいしたものです。
歌がうまいわけじゃないけれど
表現力や演技力があり、感動しました。
ぽろぽろ涙を流して泣いてしまいました。

明日も同じプログラムをやるというので
吹奏楽のステージは明日聞くことにします。


2002年09月20日(金) 病院から電話

今日、仕事から帰ると家の電話に留守録が入っていた。
どうせ、クロネコへの間違い電話だろうと思ったら、病院からだった。

先生が、父の最近の病状について説明したいので
明日の昼頃までに病院にこられないか?
こられない場合は連絡してほしい、との内容。

と、急に言われても、21、22日は娘の高校の文化祭で
今週は長野へは行かないつもりだったのだ。

毎週往復していると体力がもたないので
長野へ行くのは、今週から弟と交代にして
今週は弟が行く予定だった。

弟に電話した。
まだ仕事中かな?と思ったけど、すぐに電話に出た。
札幌に出張中だった。
出張予定が長引いて、まだ帰ってきていないのだという。
明日の午前中は飛行機の中だろうと言う。
23日には長野へ行くという。

病院に電話して「明日はいけない」と言った。
電話で話を聞けないかと尋ねたら
明日午前中に電話をかけてくれるらしい。
どうも最近また、病状が進んでいるという話らしい。
深刻な事態だったら、やっぱり23日に行って、
直接話を聞いたほうがいいのかな?

そういうことも含めて明日話を聞いておくことになった。


2002年09月18日(水) 髪を切った

美容院へ行って髪を切ってきました。
・・と言っても、行ったのは昨日なんですが。
ちょっと茶色に染めました。
・・と言ってもあんまり目立たないくらいですが。

だいぶ、イメージチェンジしました。

でも、なんだかねぇ、切りすぎたと言うかなんというか。
昨日は日記に書くには気分が複雑すぎて
なんだか疲れてフテ寝しました。(昼寝ともいう)

夜、髪を洗って自分でブローしてみました。
ワックスをつけて、変化が出るように乾かしながら
ボリュームを出したくないところは抑えて
出したいところに空気を当てて。

少しはましになりました。



今朝、手ぐしで整えたら昨日よりましな気がしました。

コーラスに行ったら、メンバーに
(お世辞かもしれないけど)
若々しくなったとか
しゃれたカットだね、とかいわれたので
少しは気を取り直しました。

帰ってから見ると、昨日より髪が落ち着いてきた感じがします。
悪くはないかも。


2002年09月15日(日) 父の外泊終了

自分の家に帰ってくつろいだ様子の父を見ていたら
もう1泊ぐらいしてもよかったかな、と思ったのだけど
病院へ戻ると、さすがに疲れた様子で眠りこけてしまいました。
やはり、これくらいが適度だったのかな、
もう1泊は無理かもしれないと思いました。

長年の合わない入れ歯のせいで噛む力のない父は
病院の食事は「きざみ食」と言うものにしてもらっています。
おかずは何でも刻んであって形がないので、
本人はメニューもあまりわからず、
毎日同じようなものが出るとブツブツ言っています。
本当は毎日違うのですが、刻んであると同じように見えるのです。

家では、たいていのものを父が食べられる固さになるまで煮込むので
刻む必要はなく、形のあるままのものを食べられます。
ただし、やわらかくなりそうな物にかぎられるので素材は限定されます。
病院の方が豊富な素材で栄養のバランスの取れたものを作っているのでしょうが
見た目というのも食欲のためには重要なのでしょう。
家ではけっこうたくさん食べました。

でも、それが適量だったかはまた疑問です。
病院に戻った時、吐き気がするといっていました。

急に環境が変わるのは適応するのが大変なようです。
父の体に身についているのは家のペースで
家に帰ればすぐに家のペースに馴染み、
病院にもどっても病院のペースをなかなか思い出さないのですが、
今の体の状態に合っていて無理がないのは
やっぱり病院のペースなのでしょう。

家に帰れたのは嬉しかったようなので
元気なら月に一度くらいはこういう機会を設けられればいいなぁと思いました。


2002年09月13日(金) 父帰宅

今日は病院に着いたらいきなり看護婦さんに呼ばれた。
何事かと思ったら、父が500円玉をのどにつかえさせたと言う。
レントゲンを見せてもらったが、くっきりと丸いものが写っている。
緊急事態?と思ったけど、そうでもないらしい。
息ができないというような話ではないようだ。

でも、いったい何で500円玉を口に?
あめ玉と間違えて?
謎だ。

一時帰宅は、少し遅れるが大丈夫だという。
これから内視鏡で500円玉を取り出すという。

外来の内視鏡室の前まで付き添う。
終わって出てきたら、500円玉はどこかへ行ってしまってないという。
レントゲンを撮ったらどこにも写っていない。
看護婦さんが、さっき500円玉を手に持っていたようだけど出たのでは?と言う。
一応、胃なども調べてもレントゲンに写らないので吐き出したのだろうということになった。

そのどさくさで3時出発予定が4時になった。

雨が激しくなっている。
でも、家に帰れるとなると父はなんだか元気で鼻歌も出る。

家に帰ると、さすがに疲れたようす。
でも、病院でほとんど病室内でトイレに行くくらいしか歩いていないのに
勝手知ったる自分の家では、歩く歩く。
玄関から郵便物を自分で取って居間までスタスタ。
食事も父用に柔らかいものばかり作ったのだが、結構食べた。
寒かったのでいったん片づけたこたつを作り、
くつろいだ様子。

病院とは気分が違うんだろうなあ。
連れてきてよかった。


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