武ニュースDiary


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2020年05月21日(木) 「智族GQ」2016年12月号「トニー・レオンと金城武」・1

金城武は、雑誌「GQ」には中国版にも台湾版にも、何度も登場しています。
(もちろん映画が公開されるときだけですが)
2017年の「智族GQ」は、載ったとご紹介しただけで、
内容については触れていませんでした。

このときは「擺渡人」のプロモーションとしてですから、
自然、ウォン・カーウァイの話になるので、
今度はこれをご紹介してみることにしました。
ちなみに、「GQ」のインタビュアーは毎回違います。





トニー・レオンと金城武:擺渡人、再び世間に舞い戻る
時代の記憶を担う2人の男たちが
コメディを通し、おのれの別の一面を世に知らしめる


それぞれ人生の新しい段階に足を踏み入れたトニー・レオンと金城武が、
再度肩を並べ、世間に復帰した。
「恋する惑星」から「擺渡人(バイドゥレン=(渡し守り)」まで、
2人は4回共演をしている。
始まりはウォン・カーウァイであった。
20余年の後、再びウォン・カーウァイへと回帰した。

変わらないと言えるが、変化もある。
文芸映画から商業コメディへ、得意満面から淡々とした態度へ、
時代が若いイケメン俳優たちの巻き起こす怒涛に席巻される中、
時代の記憶を担った2人の男たちは、軽やかな姿態で、
“コメディ”によって、自分たちの別の側面を
世界に向け高らかに打ち出す。


トニー・レオン 心楽しい人
(すみません、割愛して、後半の金城武の部分だけ)

金城武 シンプルな人

い待機が始まる前から、金城武には予感があった。
それは当たっていた。

「擺渡人」の撮影のため、2015年7月に現場に向かったが、
「着いたら、すぐ始まるよと言われた。けれど、また延期になった」
彼は現場への往復を何度も繰り返し、
3月過ぎになって映画はようやくクランクインした。
「3月過ぎに開始しますよ、と最初から言うのでなく、
多分来週には始まるから来て、と言われる。
ところが、そのときになると、やっぱり始まらない。
また引き返すことになる」

金城武の身に降りかかったこの情況は、過去の再現である。

25年前、彼は初めてのテレビドラマ「草地状元」に出演した。
長い年月の後、そのときの経験を振り返って話してくれたとき、
あの撮影開始を待った日のことは、
彼の記憶に今なおありありと留められていた。

40〜50人乗りの大型バスで約4時間の道を、
車中睡眠をとりつつはるばるやってきて、
台南の農村の撮影現場にまさに着いたときだ。
「撮影開始の通知をもらっていたんですよ、
それで台北からバスで嘉義まで来て、まだ農村でしたよ、4時間かかった。
現場に行ったら、何しに来たんだと言われました。
『撮影があるんじゃないんですか?』と言ったら、
『ああ、日が変わったんだ、連絡行かなかったか?』って」

この2つの情況はかなり似ていましたか?――
金城武は、あの頃は、また違う大変さだったと答えた。
通信が発達していなかったし、また初めての撮影でもあったので、
何も考えていなかった、と。

しかし、今回の待機は、予想していたものだった。
43歳の俳優・金城武は完全に理解できる。
なぜなら、この映画のプロデューサーは、ウォン・カーウァイだからだ。
撮っては休みで、1本の映画を制作するのに8年かけた、
あのウォン・カーウァイなのだから。

「だから、彼がこうでなくちゃいけないと言えば、ぼくは理解します。
いいですよ、合わせられるなら、できるだけ合わせます」

そして何もできないまま3カ月が過ぎた。
ずっと待っていたのである。

本来、7月から9月までの撮影予定であったため、
撮影班が用意した衣装は、全て半袖だった。
後に俳優たちは摂氏2度の上海で、
半袖姿でアクションシーンを演じることになる。
しかも、それは突然決定され、誰もが大変な思いをしたアクションシーンだった。

これは、実にウォン・カーウァイらしい。
ひらめき、不確実性、それに厳しい基準によって、
自身の映像世界を構築するのが彼のやり方だ。
金城武にとって、苦労もしたが、忘れがたい経験でもある。

まだ若かった頃に、このようなやり方の中で、
初めて演技することの歓びを味わい、
そこから俳優になろうという思いを固めていくことになったが、
その後、長いこと、彼を困惑させる原因にもなる。
「監督とはとても仕事をしたかったのだけれど、
また同じことを繰り返すのか、という心配もあったんです」
(続く)





原文はこちらで読めます。写真もあります。



   BBS   ネタバレDiary   10:00


2020年05月17日(日) 「天下雑誌」2014年12月号「金城武インタビュー」・2

――長い俳優人生で、大きく成長したのと感じたのはいつのときですか?

金城武 成長はやはり年月によるものですね。
年齢が上がるだけでなく、物事の考え方も大きく変わります。
また、たくさんのことを経験します。
ぼくの年齢だと、おじさんやおばさんとかが亡くなったりということも
起きてくる。
経験は、きちんと経験することで、本当に感じ取ることができると思います。

でも、映画に関しては、ウォン・カーウァイのおかげで
ものすごく興味を持つことができました。
監督の映画に参加したときは、「なんでこんなに面白いんだ!」って感じでした。
脚本が無いですって?
(注・カーウァイの映画は完成した脚本が用意されることがほとんどない)
ありますよ、毎日1枚くれる。
で、「明日は同じシーンをもう1度撮る。
昨日撮ったのは使わないからね」と言うんです。
当時はぼくも若かったけど、もし今そうすると言われたら、
我慢できないんじゃないかなあ、
「また撮り直し? 先にちゃんと脚本書けないの?」って言うでしょうね。

でも、こういう監督に出会ったことで、チャンスがもらえた。
同じ動作を20回繰り返していい。
20種類のやり方をやってみせてもいい。
あのとき、ぼくは映画って、創作するって面白いなあと感じました。
文字に書かれたものを立体的なものに変える。
あの頃は、違う風格の監督、映画をなんでも試してみたい、という気持ちでした。
朱延平監督の映画で、コメディ・アクションをやったのもそうです。

――年月が成長させるといいましたが、
人は挫折から成長するということがしばしばあります。
あなたの場合、何か大きな挫折がありましたか?


金城 挫折はもちろんありましたよ。
でも、自分でも何だったか言えないんです。
多分、映画が出来てみたら、全然満足がいかなかったとか、
あるいは誤解がどんどん大きくなってしまって、
あいつはあんな人間なんだと思われたりとか、かな。

みんなが「君は男神だ」というのもそうですかね。
ぼくはこれも誤解だと思っている。
だからといって大して考えないけれど、
ただ、そんなものにはなりたくないだけです。

「どうしてそんなにミステリアスなんですか」とよく聞かれるけれど、
ぼくはこう思うんです、あなた方が知りたがるだけじゃないですかって。
あなた方が好奇心が強すぎるので、
ぼくがミステリアスというわけじゃないんですよ。
もちろん、ぼくの性格は割に控えめな方だけれど、
それも、ただ他の人が意気盛んなだけで、ぼくが大人しすぎるわけじゃない。
相対的な話に過ぎません。

ぼくにも失敗はある、
みんなが覚えていないだけ


金城 確かに挫折を経験してこそ成長があるし、
失敗を経験してこそ成功があって、
そういう成功はより確かなものだと思います。

ぼくもやはり失敗したことはありますよ。
でも、みんなあまり覚えていないだけなんです。
だから、成功もない。
本当は人生には成功、不成功なんてものはなくて、
成功は1つの過程に過ぎない。
誰でも何でもずうっと順調に行くっていうことはないでしょう?

――さっき、役の人物には特色がなければならないといいましたが、
ではあなたの特色は何ですか?


金城 ぼくの特色は何か、ぼくの特色……? うーん……答えがない。
ぼくの特色は何か? ものぐさかな?(爆笑)
もちろん自然や縁を大事に思っているとか、
多くのことは手に入れようと思って手に入れられるものではないと
考えているということもあります。

ほら、最高の監督と、最高の脚本家と、最高の俳優を集めて作った映画は、
必ず最高の映画になりますか?
たいていのことは無理やりやるものではなく、縁に任せるしかない。
けれども、それに出合ったら大切にする。
出合えなくても、「なんだ、だめだったじゃないか」とは考えないこと。
まだまだこれから物事を学んでいくんですから。
そして大切にする、一瞬一瞬を大切にする。

ぼくの特色ね? すごく答えてあげたいんだけれど、
自分はまだ成長の途中だと思うんです。
ぼくが何かを言うと、人はそれでぼくのことを定義する。
でも、ぼくは変化している、また変わらないこともある。
本当に答えが出ないときは、無理に言って、
誤解を作らない方がいいと思うんです。

――あなたの生活は比較的単純で、自分に忠実な状態でいると感じますが、そうですか?

金城 今おっしゃったことは、そうかもしれません。

――今の社会は野心が重要視されていますが、
あなたはどちらかというと自然に任せるという感じがします。
こういう社会に馴染めないと感じていますか?


金城 そうではないです。社会は今おっしゃったのとは違うと思います。
例えば台湾がそういう社会だとは言えない。
地方によっても違うでしょう、それぞれの文化がありますから。
ぼくは多分、ある地域には馴染めないかもしれないけれど、
別のところでは快適だと感じるかもしれない。

意識してピュアであろうとか何であろうとかしているのではありません。
やったことないこと、関わったことが無いことはたくさんあって、
それで当然あまり影響を受けたり、
こだわったりということがないということでしょうね。
(完)


これでおしまいです。
ウェブに原文があったので、後でURLを追加しておきます。



   BBS   ネタバレDiary 22:30


2020年05月16日(土) 「天下雑誌」2014年12月号「金城武インタビュー」・1

金城武インタビュー
男神と言われるのは誤解だよ



金城武が3年ぶりに台湾でプロモーションに参加した。
本誌は紙媒体では唯一彼にインタビューを行なった。
記者と顔を合わせるや、彼は、
「わあ、ぼくも『天下』に取材してもらえる年になったんだ」と冗談を言った。
対すること30分、その謙虚さを、ユーモアを、
さらにはスクリーンやフラッシュのもとで見るのとは、
まったく異なる金城武を目の当たりにすることになった。


画のプレミアのときであれ、記者会見のときであれ、
ステージ上の金城武は常にピシッと立っている。
フラッシュがどんなに光ろうと、金切り声がどんなに高かろうと、
その優雅さはいささかも乱れることはない。

しかし、ライトとカメラのない、台北のシャングリ・ラ・ホテル20階の一室では、
大スターの様子はこれとは全く違った。
「わあ、この年になると、『天下』が取材してくれるんですね、
ありがとうございます、ありがとう」
金城武が記者の名刺を見ながら、挨拶すると、
かたわらのマネジャーと映画の広報担当者は声を上げて笑った。

肌が非常にきれいで、眼はCMで見るのと同じようにきらきら光っている。
驚いたのは、非常に活発で、よく話すことだった。
表情も豊かで、眉をひそめたと思うと、高らかに笑い、身振り手振りも多い。
かつてウォン・カーウァイ監督の映画に出たときの話になると、
テーブルのミネラルウォーターのボトルを手に取り、
水を飲む仕草を20通りやってみせもした。
朱延平監督が、彼にはコメディの才能があると言ったのは、本当だった。

彼はいったい何を考えているのだろう? 
成長と挫折についてどのように受け止めているのだろうか? 
なぜ、自分は成功などしていないと考えるのか? 
以下、インタビューの概要である。


――映画の話題から始めて、次に人生についての話をしたいと思いますが。

金城武 映画のことを話しましょう、最初だけでなくて。

――「太平輪(ザ・クロッシング)」で一番チャレンジだったことは何でしたか?

金城 実は映画はどれもチャレンジです。
ぼくにとって一番は、その人物を生きたものにできるかということ。
今回の「太平輪」は割と悩まなかった方ですね。
言葉の面で問題がなかったですから。
中国語も台湾語も日本語もできるので。

言葉は演技する上で非常に重要なものの1つだと思います。
ソン・ヘギョは、とても努力して中国語を話していました。
口の形と発音が正しく合うように心を砕いていて、とても感心しましたね。
ぼくは、感情の表し方に専念すればよかったのですが、
その分、主人公のザークンをちゃんと演じられるのか、
非常に心配になりました。
時代の中で、2つの文化に挟まれ、家の事情に迫られ、
恋愛が引き裂かれるというのをきちんと演じ出せるだろうかと。

――泣くシーンは本当に泣いているのだと聞きましたが?

金城 はい、演技ができないから、経験に頼るだけなので。
演劇の授業を受けたことがないから違うんです。
ぼくはとても運が良かったと思いますよ。
早い時期に映画製作に関われて、大勢の大監督や俳優さんと出会えたし。
でも、やっぱり他の人がどう演じるかを見て、
それから自分はどういうやり方でやればいいかと考えるしかない。
この作品で一番プレッシャーだったのは、つい泣きすぎてしまうことですね。
すぐ涙を誘われるお話ですから。

――ピーター・チャン監督の「武侠(捜査官X)」のとき、
四川語で台詞を言いましたね。
撮影中は自分に挑戦しようというタイプなんですか?


金城 あのときは、監督に、ぼくは百九の特徴がどうしてもわからない、
とまで、言ったんですよ。
役には必ずその存在意義がなくちゃいけない、
しかし、特色がないと、存在意義は生まれない。
雲南でクランクインして1,2日経った頃、
四川語なまりで話すスタッフのがすごく印象的だなと気が付いたんです。
それで監督に、徐百九は四川語を話したらいいんじゃないかと言いました。
監督は、「自分でやるのかい?」と言いました。
ぼくが全然しゃべれないことを知っていたので。
(続く)


あと(多分)1回でおしまいです。



   BBS   ネタバレDiary  14:00


2020年05月15日(金) 「天下雑誌」2014年12月号「彭文淳監督インタビュー」

金城武が彭文淳と撮ったテレビCMは、ここで言及されている
エバー航空や中華電信のほか、エリクソン・シリーズや白蘭氏もそうですね。
本当に印象深い、ストーリー性のある素敵なCMばかりです。
私も大好きです。
メイキングでは時々お顔も見える、その彭文淳監督へのインタビューが、
特集2本目の記事です。



彼のやりとりは、いつも3回で終了
――20年以上、金城武のCMを制作してきた監督・彭文淳に聞く


50
歳になる台湾の監督、彭文淳が、最初にCMを撮影したのは24歳のときだった。
彼はストーリー性のある脚本と、
画面の美しさを重視することで知られている。
台北故宮博物院やシンガポール空軍のイメージ広告を撮ったことがあるだけでなく、
記録映画「歌舞中国」で金馬奨の3部門にノミネートされてもいる。
イ・ヨンエ、ペ・ヨンジュン、アンディ・ラウ、
ステファニー・スン(孫燕姿)他の大スター達も、
かつて彼のレンズのもとで魅力を発揮し、
また、業界では金城武御用達CM監督とも称される。

20年余りにわたって、彭文淳は金城武と16本のCMを撮ってきた。
1993年の維他露・雪露雨乳酸飲料から、昨年のエバー航空「I See You」、
今年の中華電信「極速4G」まで、いずれも彼の手になるものだ。
金城武の20年の変化は、彭文淳のエスプリの効いた言葉によって、
生き生きと表現される。
以下はそのインタビューの要点である。

――21年前の「雪露」のCMは今でも覚えていますよ。
そのときの印象はどうでしたか?
この長い年月に、金城武の変わったところと変わらないところを教えてください。


彭文淳 実は、「雪露」の前に彼のことは知っていました。
あちらは私を知らなかっただけで。
1991年の夏、私の制作会社の応接室に、芸能事務所がカメラテストに寄越した
一重瞼の少年が1人、来たんですよ。
黒松沙士のCMでしたよ。

その子が私の椅子を占領して、私の電話を使って
楽しそうに日本語でおしゃべりしていたので、
その前に行き、退散してほしいと、丁重に言ったところ、
黙って立ち上がり、頭を下げて謝り出ていったんです。
ずいぶん時間が経ちましたが、彼は今でも相変わらず礼儀正しく、
謙虚で、内向的で、誠実で、嘘やでたらめを言わないという、
数々の特長を持ち続けていますよ。

変わったのは、事務所のトップスターになったこと、
変わらないのは、CM撮影現場で、私たちの言葉のやり取りは
3回以上続かないってことですかね。
 金城 またお会いしましたね。
  また会ったね。
 金城 いつ映画を撮るんですか。
  わからない。
 金城 今日は何時に終わるでしょうかね。
  8時かな、もっと早いかもしれない。私がワインを飲み始めたら、そろそろだよ。  
こんな具合です。

――金城武はどんな俳優ですか? 面白い人ですか? 
コミュニケーションは取りやすいですか? 
好きなもの、嫌いなものはあるのでしょうか?


 口数が少ない、すごく賢い。
本番になると、いつもまず、暫しじっとして、考えている目をして、
それから演技を始めます。

随分長い年月経っても、だいたい、この公式だね。
つまり、第1テイクでは、監督が欲しいものはやってくれない、
第2テイクになると、何でも要求通りやってくれる。
2テイクを超えることはめったにありません。

もし、そういかず、何回も撮り直しをしていると、
マネジャーが影のように音もなく私の傍にふっと現われて、
クールに聞くんですよ、「監督、OKですよね?」
で、私は「脅迫ですか?」と返す。

――金城武は、なぜ年齢を重なるほど、人気が出るのだと思いますか?

 年を重ねるほど、人気が出る、その通りですね。
日本の高倉健と似ています。
2人とも、控えめで謙虚な性格で、多数に流されることなく、
低俗に媚びないタイプの人間ですからね。
同世代の芸能人と比べて、年取ればとるほど抜きんでてくる。

しかし、CMのことを言えば、この長い期間に彼が中国、香港、台湾、
それに日本で宣伝した商品の種類は実に多い。
あらゆるタイプのCMを撮っている。
それでも私は決してすべてが合格だったとは思わない。

そのことについて、以前、彼のマネジャーに話したことがありますが、
先方は決して否定せず、ただ、
「ああ、監督、そんなに厳しく言わないで下さいよ。
誰でも生活があるんですから」と、職業的にね、多くを語りませんでしたよ。

21年経っても、ツーショットを撮ったことが無い

――あなたには「歌舞中国」という映画作品がありますが、
映画の金城武とCMの金城武は、どこが違うかお話しいただけますか?


 映画で役を演じるときは、
1人の人間の人格全体を表現しなければならないので、難度は高いです。
私は、彼は日本映画での演技の方が自在な感じがして、出来が良いと思っています。
中国語映画の代表作は、まだないと思う。

CMは、脚本も短く、内容が簡潔で、まあ細々とやるもので、
ある1つの瞬間をとらえさえすればいい。
この点では、彼は実に天分があります。

――金城武とその事務所と一緒に仕事をするというのは、
どんな感じなんですか? 彼らが追求しているのは何なんでしょう?


 フーロンはね、私の感じでは、まあ、お殿様かな。
実に細かく、うるさくチェックしてくる。
一緒に仕事をすると、必ず大喧嘩から始まって、
しかし、だからこそ、最後には良い友人になれる。
他にないくらいプロフェッショナルで、
芸能人に関する事務には非常に責任を持っています。
台湾唯一の、世界的水準の芸能事務所と言ってもいいほどだと思いますね。

――金城武との仕事で、何か強く印象に残ったことは?

 そうだ、彼とツーショットを撮ったことが無いことだな。
(完)


   BBS   ネタバレDiary 23:30


2020年05月14日(木) 「天下雑誌」2014年12月号「金城武効果」・6

[金城武の譲れぬ最低ライン]
ポイと捨てられるようなものはダメ


の過程で、クライアントと芸能事務所の間には綱引きがあった。
なぜなら、金城武が登場する画面は、広告物や制作物も含め、
すべて事務所の同意を得なければならなかったからである。

エバー航空の支払ったギャラは3000万台湾元と伝えられるが、
エバー航空が制作を希望した「金城武カレンダー」も、
フーロンは同意しなかった。
まして大量に配るポスターなど問題外である。

台湾企業はこれまで、金を出すものが一番強いという考え方だったが、
フーロンが固く守る筋道は実は非常にシンプルなのである、
すなわち、金城武の写真は、いつでも「ポイと捨てられる物」の上にあってはならない、
ということなのだ。

このような経緯があったが、クライアントとしてのエバーは、
非常にプロを尊重し、イメージキャラクターの稀少なイメージを守ることは、
すなわち自分のブランドのイメージを守ることであると認めたのだった。

「I See You」には中国語、英語、日本語の3つのバージョンがある。
金城武は自ら日本語の台詞に5回以上手を入れ、
日本人の生活の角度から、台詞をできるだけ心に響くものにした。
CM中、金城武と飛行機や機内客室乗務員などが直接関連する場面はなく、
奈良公園で鹿に餌をやったり、パリのカフェで読書をしたり、
台東で爽やかに自転車を走らせたりしている。

3分間のCMの最後の、わずか7秒間、
「エバー航空はスター・アライアンスに加盟しました」という字幕が出るのみだ。
商業的な節度が、最終的にはより大きな商業効果をもたらしたのである。

「I See You」の成功を見て、金城武が主演した映画
「太平輪(ザ・クロッシング)」の制作会社、小馬奔騰の方から、
映画のシーンを使用した第二波CMを作ることをエバー航空に提案してきた。
そこで、エバーはCM制作会社に依頼し、新しい編集と解釈で、
「想いが見える、平和(太平)が見える、答えが見える」を新しい軸に据えた。
さらに、映画公開の1カ月前に放映し、映画の宣伝と混同されることを避けた。

[金城武の効果]
手の届かないという渇望から生まれる


かたや中華電信の「極速4G」CMの方も、やはり、こんな具合であった。
3Gから4Gへという世代交代の商品展開のために、
過去6年間イメージキャラクターを用いなかった中華電信は、
ビッグデータを使用して25歳から歳までの、生活の質への要求が高く、
冒険心もあるターゲット層が共感するイメージキャラクターを導き出した。

「我々はHTCコーポレーションがロバート・ダウニーJr.を起用したのを参考に、
外国人のスターも検討していました。
要は話題性があり、中華電信の保守的なイメージを
一気に打ち破る人間でなければならなかった」と、
中華電信モバイル支社社長の林国豊は語る。

宜蘭でのCM撮影中に、中華電信董事長の蔡力行はわざわざ陣中見舞いに訪れたが、
35度の猛暑の中、ぴしっとスーツを着込んだ金城武が
静かに落ち着いて撮影をしているのを目にして、深い印象を持った。
蔡力行は初めて金城武を見たとき、思わずこうつぶやいた。
「なんてかっこいいんだ。なんて細い腰だ、私の20歳の頃と同じくらいだ」

実は、中華電信も、マグカップのような関連商品を作らせてほしいと
提案しているのだ。
が、最終的には、やはり金城武のブランドイメージを守ることに協力し、
日常生活に使う品に金城武を使うことはなかった。
シンプルで、節度を守ることで、
かえって、手が届かないという渇望の対象となる。
金城武効果は複雑だろうか? 実は非常に簡単なのである。
(完)


「太平輪」のシーンを組み込んだエバー航空のCMって、ありましたねえ。
ポスターもポストカードも制作されたけど、手に入りにくい限定品でした。
どうも記録していないみたいなので、いつ、どこでがわからなくなっていますが、
旅行博のような会場で、エバーのブースで先着順で配っていたことがありました
(行きました)。
色々なことを思い出します。

しかし、こうしてみると、金城武の「神秘性」は、
本人の性格とか超美男であることとか、露出のなさとか、
といったことから来ている部分もあるでしょうが、
やはり、(初めからではないでしょうが)戦略の一環としての結果でもあるわけですね。
強められた、という感じかもしれませんが。

HTCは、台湾を拠点とするスマートフォン・携帯端末のメーカーです。

この項はこれで終わり、
次は文中に出てきたCMの彭文淳監督へのインタビューになります。


   BBS   ネタバレDiary 21:00


2020年05月13日(水) 「天下雑誌」2014年12月号「金城武効果」・5

[ピータ・チャンいわく]
彼の自信の無さが、男にも愛される


が、金城武をアジア一線のスターに押し上げたのは、ピータ・チャンであろう。
「如果・愛(ウィンターソング)」でも「投名状(ウォーロード)」「武侠(捜査官X)」でも、
彼が共演したのはジャッキー・チュン、ジョウ・シュン、ジェット・リー、
アンディ・ラウなど、一流の俳優たちだった。

後にピーター・チャンは、ジョン・ウー監督の「レッドクリフ」のオファーを受け、
トニー・レオンと共演するよう、彼を励ました。
公開されたばかりの「太平輪(ザ・クロッシング)」で共演したのは、
チャン・ツーイー、ホアン・シャオミンの他、韓国のソン・ヘギョ、
日本の長澤まさみ、黒木瞳らである。

チャン監督はかつて、このように語っている。
「金城武と会って話をするたび、彼はいつも自信がないと言うんだ。
本当の話だよ。
彼は非常に顔がいい。
顔のいい男は、人に内心(この野郎)と思われることが多々あるが、
金城武の場合、そういう嫌な感じを与えたり、嫌われたりすることがない。
その原因こそが、彼の自信の無さなんだよ。
それが男にも好かれる理由であり、ぼくが最初に彼に惹かれたところでもある」

スターは映画産業の最もキーとなる要素である。
監督の蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)は、以前、
1980年代に台湾映画が衰退したのは、ホウ・シャオシエンからではなく、
ブリジット・リンの引退から始まった、と論じたことがある。

「今の男性スターでは、台湾が質の面でリードしているだろう?
金城武以後、超又廷(マーク・チャオ)、周渝民(ヴィック・チョウ)、彭于晏(エディ・ポン)
張孝全(ジョセフ・チャン)、阮経天(イーサン。ルアン)など、
若手スターは台湾の天下で、彼らは将来大物になるだろう」
朱延平は楽観的だ。

プロデューサーの焦雄屏(しょうゆうへい)は、台湾の男性スターには国際的な要素があり、
中国市場で大きな競争力を持っていると言う。
「エディ・ポンやマーク・チャオのような人たちは外国育ちで、
英語を流暢に話す。
中国にはまだこのような男性スターはいない」
台湾男性スターの国際的優勢の中で最たるものが金城武である。

中国影視のCEOで華誼兄弟総裁の王中磊(おうちゅうらい)は、
台湾はスター製造機であると考えており、
中国市場と台湾スターのドッキングを期待している。
スターを作るのは容易ではない
顔のいい人間はあまたいるが、金城武は1人だけだ。

「フーロンがタレントを養成するやり方は、ちょっと変わっていて、
急いで売ろうとはしない。
芸能界では速く有名になることもあるが、その後の誘惑が大きく、
若い子はすぐ抵抗できなくなってしまう」
ある映画プロデューサーは、特に今は中国市場が大きく、
名を知られたスターは簡単に稼げると見る。

芸能事務所がいかに厳しくチェックし、
目の前の成功に走ってセンセーショナルに煽ったりせず、
誘惑に耐えられるかは、タレントにとっても事務所にとっても試練なのである。

かつて金城武と16本のCMを制作した彭文淳監督は、
フーロンは、「わずかなこともゆるがせにせず、重箱の隅をつつくようだ」と指摘する。
しかし、だからこそ並ぶ者のないほどプロフェッショナルで、
作品の質をこの上なく重視する。
実際、フーロンは長いこと彭文淳に仕事を依頼し続けている。
それは彼が、脚本のストーリー性と、
画面の美しさを重要と考える監督であるからだ。

スターの商業価値は、映画の興行成績の他、ブランド広告出演に表れる。
企業とスターの魅力の相乗効果をいかに上げるかという点で、
エバー航空と中華電信は過去2年間のCMによる売り上げ競争で大勝した。
エバー航空がスター・アライアンス加盟を宣伝するために、
1億元余りを投じて世界レベルのCMを制作することを決定したとき、
董事長の張国煒(ちょうこくい)は、「世界の旅人」というエバー航空のイメージに一致するよう、
中国語・英語・日本語の堪能な金城武をイメージキャラクターとして、
自ら選んだのだった。

CM「I See You」の制作には1年を費やした。
実際の撮影は37日間に及び、
金城武が「この日数があれば、1本映画を撮れるよね」と笑ったほどである。
企画統合の責任者であったエバー航空広報室長の聶国維(しょうこくい)は、
このような巨額の予算をかけながら、張国煒はほとんど口を出さなかった、
だが、「必ずや世界の一流に引けを取らないものにするように」というのが
その要求だったと語っている。
(続く)


   BBS   ネタバレDiary 23:30


2020年05月12日(火) 「天下雑誌」2014年12月号「金城武効果」・4

[チュー・イエンピンいわく]
大人の男が流行りの時代には、彼は有利だ


CDを出した金城武は、呉奇隆(ウー・チーロン)、蘇有朋(スー・ヨウポン)
林志穎(ジミー・リン)と並んで、四小天王と称されるようになる。
「四小天王の内で、人気が一番なかったのが金城武だった」と、
監督の朱延平(チュー・イエンピン)は当時を振り返る。

金城武は一番年下だったが、顔つきは一番大人びていた。
ジミー・リンは年は上だがベビー・フェイス、
一番年上の呉奇隆も、とんぼ返りが得意で年若に見えた。
「少年が受ける時代には金城武は損をするが、
大人の男がもてはやされる時代になると、有利になる」
真の大スターというのは、みな大人の男性だよと、朱延平は笑いながら言った。
「トニー・レオン、ショーン・コネリー、ロバート・デ・ニーロとかね」。

金城武は、若いとき、朱延平が6本の映画に出演させてくれたことを
有難く思っていて、今でも会うと、ステーキ屋に誘い、
昔話に花を咲かせる。

20年前、ウォン・カーウァイ監督の「恋する惑星」に出演したことは、
彼の映画人生における重要な一歩となった。
「あのとき、お前大丈夫か、彼のあだ名は丸太ン棒だぞ、とよく言われたものだ。
奴は野心てものを持っていない、ぼうっとしてる、と言うんだ」

カーウァイはかつて、金城武とフェイ・ウォンは
どちらも新しいタイプの俳優だと言ったことがある。
俳優の訓練を受けていないが、優れたボディランゲージを持っている。
「本当は、彼は色んな演技ができるんだよ」
「恋する惑星」によって、金城武は映画の分野に集中したいと考えるようになった。
ウォン・カーウァイは彼に演技の面白さを教えただけでなく、
俳優としての彼に評価を与えたのだった。
(続く)


時間がとれず、今日はここまで。
文中、四小天王の内、金城武が最年少とありますが、これは誤りで、
武は1973年生まれ、ジミー・リンが1974年ですから彼が最年少です。



   BBS   ネタバレDiary  24:00


2020年05月11日(月) 「天下雑誌」2014年12月号「金城武効果」・3

は神秘的であるかもしれない、だが、世間と遊離しているわけではない。
自分の行ったアイスバケツ・チャレンジを、彼はごく普通のことだと思っている。
したいと思ったことをしただけなのに、人々が何にそんなに驚嘆し、
シェアしまくるのかがわからない。

彼の反応は、今年の金馬奨で、最優秀主演男優賞、最優秀助演男優賞、最優秀新人監督賞の
3賞をさらった中国の俳優、陳建斌(ちんけんひん)を思い出させる。
陳建斌の外見は、老成感があり、マスコミはよく、彼と同い年で、
同じく雍正帝を演じた呉奇隆(ウー・チーロン)と比べたがるが、
彼は理解できない。
「アーティストであれば、独自の様子、考え方、気質があるべきだ。
自分自身であればあるほど、世界にとって大事な存在になるのだ」

金城武はこのような文学性あふれる話は絶対にしない。
自分を弁解しようという気持ちもなければ、
世間にどう見られているかはどうでもいいとも思っている。
人に定義されることも、他人が思っている金城武を演じることも好まない。
真に「自分自身でいる」のである。

25年前のデビュー以来、マネジャーを務めてきた姚宜君(ヤオ・イージュン)は、
次のように語る。
「彼はシンプルで、何事も自然に任せる人です。
有名になろうとか、金持ちになろうとか、考えたことがありません。
家庭や家族を重視する方で、人生で追及するのは、楽しさなのです」

2009年、映画「レッド・クリフ(赤壁)」の宣伝期間に、
金城武は日本のマスコミ取材で、次のように質問されたことがある。
「もし三国時代に生まれていたら、あなたはどの人物だったと思いますか」
誰もが趙雲や関羽、諸葛亮を思い浮かべていた時、彼はこう答えたのだ。
「きっと普通の農民だったでしょうね。
ぼくは戦いは下手だから武将にはなれないと思います」

外形が良いだけでなく、かようにシンプルであることに安んじている人間が、
どうしてめまぐるしくふるい分けの行われる芸能界で、
現在の地位に留まり続けることができるのであろうか。
なぜ、顔色一つ変えず落ち着いているのに、
怒涛の如く強力な影響力を持つのであろうか。

商業効果という点で、もし、台湾の2014年度・時の人投票があったとしたら、
選ばれるのは、いずれかの企業のCEOなどではなく、
映画スターの金城武であろう。
金城武はブランドの価値を伝えるのみで、商品の効能を説くことなしに、
高品質ブランドのユーザーに対し、余人には不可能な商業効果を起こすのだ。
国際クラスの航空会社のレベルの高さを語り、
中華電信の保守的イメージを打ち破る。
エバー航空から中華電信、シチズンに至るまで、
いずれも売り上げを伸ばすのに成功した。

彼は一体どのようにしてこのような境地にたどりついたのか。
それには、25年前、所属事務所であるフーロンの董事長、葛福鴻が
彼と契約をした当時から話を始めるべきかもしれない。
葛福鴻は台湾「バラエティの母」と呼ばれ、
「週末派」「連環泡」「超級星期天」など、広く親しまれた番組を制作した。
当時、台湾には芸能人のマネジメントという概念は、まだあまり無かったが、
彼女の炯眼は、テレビCMの中の「飛び出して来て、ぐるりと回って、
ボケッとする」1人の高校生を認めた。

葛福鴻は、当時台北アメリカンスクール在学中だった金城武をf自ら訪ね、
彼がバイクを買いたがっているのを知ると、アルバイトになると説得し、
芸能界へ足を踏み入れることを承知させた。
こうして18歳の金城武は、初めてのテレビドラマ「草地状元」に出演し、
CDを出し始める。
最初のCDは台湾語の歌であった。

「それは台湾語が彼の母語だったからなんです」とヤオ・イージュンは語る。
台湾と日本のハーフである金城武は、台湾語と日本語は中国語より上手だった。
2人が知り合ったばかりの時、彼は中国語が全然わからなかったのである。
「あの頃いつも変だなあと思っていたのですが、彼と話していると、
よく返事をしないことがあったんです。
若者特有の、粋がってわざとそうしているのかと思ったのですが」
後になって、全然意味が分かっていなかったからなのだと知った。

それは、なぜマスコミが昔から、
金城武のことを口数が少ないと思っていたかの理由でもある。
本当は、頭の中で一生懸命単語をかき集めていたのだ。
「読書が好きで、中国語を読むのも、頑張って習得しました。
彼がよく哲学書を読むのにちょっとびっくりして、
いつだったか、読んでわかるの、と聞いたことがあります。
すると彼は、どっちみち見てはいるから(中国語の読む=看は見る、という意味もある)
と答えたんですよ」
(続く)


まだまだ続きます。



   BBS   ネタバレDiary  22:00


2020年05月10日(日) 「天下雑誌」2014年12月号「金城武効果」・2

特集本文に入ります。


金城武効果

重もの堡塁(ほうるい)、深く立ち込める霧――
金城武に対面する前のイメージはこれであった。
もう1つ付け加えるなら、全ての人々が公明正大に口にできる片思いの相手、
これである。

今の時代は、俳優と観客との関係の緊密さが売りになる。
数多くの映画に出演し、頻繁に露出し、記者会見を開き、
フェイスブックで直接ファンと交流する。
ところが、金城武は絶滅危惧種のスターである。
映画出演の間隔は開く一方、
参加するプロモーション活動の時間はどんどん短くなっている。
フェイスブックも微信も使わず、Whats App メッセンジャーを削除し、
パパラッチでさえ、写真1枚撮ることができない。

その一方で、彼は昨年エバー航空のためにイメージ広告「I See You」に出演、
今年は中華電信の「極速4G」のイメージキャラクターを務め、
どちらも非常に大きな効果を生み出した。
CMが放映されると、エバー航空の旅客輸送営業収入は9%上昇し、
旅客数の成長率は11%に達した。
中華電信の4G契約者数となると、わずか5カ月で100万を突破、
同業者間のトップに立ち、それも予定より1カ月早く目標を達したのだ。

台東の池上には、CMで有名になった、伯朗大道と「金城武の樹」がある。
今年7月、強い風雨を伴った台風が来襲した日、最も注目を集めたニュースは、
金城武の樹が倒れ、その後、植え直されたというものだった。
池上郷役場の統計によると、金城武の樹が誕生する前の年間の観光客数は
延べ約15万人だったが、誕生以降は60万人となった。
一年間で7億台湾ドルの観光収入を生み出したことになる。

ネットでは、「金城武の樹制作ツール」が考え出された。
人々が自分の写真をそこにアップすると、
あの有名な金城武の腰かけた姿そっくりの画面ができあがるのだ。
果ては、選挙期間中、ある候補者が「彰化の金城武」と自称し、
金城武をまねた選挙用動画を2本撮るということまであった。

しかし、金城武の価値を、真に台湾人の心中で一番の高みに押し上げたのは、
今年8月、彼が、ブームのようになっていたALS支援の
アイスバケツ運動に応じた事件であろう。

[その魅力]
誠実で自然、ブランドの高級感をさらに高める


月天(メイデイ:台湾の人気バンド)の瑪莎、エバー航空董事長の張国煒、
政治評論家の趙少康の3人が、同じ日に同時に金城武を指名したとき、
金城武から何か反応があるとは、世の人は誰も思っていなかった。

ところが何と24時間経たないうちに、動画がアップされたのである。
彼は普段着で庭に下りると、除湿器の貯水タンクを取り出し、
氷の塊を入れて、頭からかぶった。
初めから一言も発せず、また次の人物の指名もしなかったが、
ALS患者についての説明を字幕で流し、同じく文字で、
社会のためにできることを自発的にするよう、人々に呼びかけたのだった。

「どうしてアイスバケツ・チャレンジに応えたのですか?」
インタビューのとき、記者は我慢できず、尋ねた。
「助けを必要とする機関や団体には関心を持つべきだと思っています。
ぼくもずっと関心を寄せてきたし、できることをしようと思います。
アイスバケツ・チャレンジは、もし、初めの頃聞かれたら、
おそらくやりませんと答えていたでしょう。
なぜかというと、やれと言われてやるのは、チャリティじゃないと思うから。
流行になってしまってもいけない。
でも、この活動が、より多くの人にこの問題のことを知らせることになったのも事実です。
それで、手伝いたい気持ちになって参加したんです」

比較的真面目な話題になると、いつも知らず知らず眉間にしわを寄せる。
ALS患者だけでなく、台湾には関心を寄せなければならない人や団体が
まだまだあるのだと、彼は言った。
(続く)


池上の伯朗(ボーラン)大道は、「I See You」よりずっと以前に、
ブラウン(伯朗)珈琲の宣伝で使われて有名になっていました。
金城武の走ったのはここではなく、天堂路という道だそうです。



   BBS   ネタバレDiary  20:45


2020年05月09日(土) 「天下雑誌」2014年12月号「金城武効果」・1

「ELLE MEN 叡士」(2017年4月号)の記事よりも、さらに3年さかのぼってしまうのですが、
「ELLE MEN」の中で言及していた台湾の「天下雑誌」の特集記事をご紹介することにしました。
「太平輪(ザ・クロッシング)」第一部の公開の頃ですから、第二部があったとはいえ、
「恋するシェフ」の前作に当たるんですよね。一気に3年前になりますが。

この雑誌は誌名からもわかるように、芸能誌でもファッション誌でもなく、
政治・経済・社会を扱った雑誌なので、その切り口も今まで見てきた雑誌とは少し違うと思います。
特集は3つの記事から成っていますが、今日ご紹介するのは、
雑誌巻頭の「編集者の言葉」からのものです。
ですので、これも、ゆっくりゆっくり……。


              


金城武の商業効果

し、台湾の商業分野における、2014年の時の人投票を行なったとしたら、
選ばれるのは、どこかの企業のCEOなどではなく、金城武だろう。
本誌主筆、馬岳琳は、独占インタビューを行ない、
初めて金城武効果の解明に切り込んだ。
商業主義への反感、金持ち嫌い、社会の不平等感が広がる昨今だが、
金城武がイメージキャラクターを務めた商品は、逆に大きい伸びを示している。
商品の効能については一言も述べず、ただ感動的なストーリーを語ることで、
抵抗し難い商業的効果を引き起こす。
なぜだろうか?
スターの魅力、それはやはり第一の要因だ。

稀有であるから、心が動く

華電信董事長の蔡力行が宜蘭の金城武を訪ねたときも、
あるいは本誌取材チームが初めて彼に会ったときも、
思わず「なんというかっこよさだ」という言葉が口から洩れた。
これは生まれつきの彼の資本である。

だがハンサムなスターは数多い。
なぜエバー航空董事長の張国煒の選んだ第一候補が金城武だったのか? 
中華電信がビッグデータを分析の結果、
これしかないと言ったイメージキャラクターが金城武だったのか?

プロデューサーの焦雄屏は、台湾の男性スターの持つ国際的要素は、
中国市場で大きな競争力となっていると指摘する。
「例えば趙又廷や彭于晏は幼い頃海外で過ごしているので、
少し違った気質がある。
中国にはまだこういう男性スターはいない」
台湾の男性スターの国際的という優位性という点で、
金城武はもっとも際立った存在だ。

エバー航空は長年の努力の後、ようやくスター・アライアンス加盟に成功し、
国際レベルの航空会社となった。
金城武の、中、日、英、台湾語、広東語を流暢に操る世界の旅人のイメージは、
その企業経営の成果を、顧客に訴えかける感動的なストーリーへと
変換することに成功したのである。

過去6年間、イメージキャラクターを使用しなかった中華電信が目指したのは、
金城武の起用によって、従来の保守的なイメージを一新し、
激烈な4G商戦において、特異な価値を創造することだった。
金城武の後ろに控える芸能事務所、フーロン(福隆)と、制作チームが
功を急がず、誘惑に堪えたことが最大の成功要因であった。
フーロンがいかに企業と渉りあい、
いかに金城武のブランドの稀少価値を守り抜いたかは、本文をご一読あれ。
(続く)


   BBS   ネタバレDiary  22:00


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