武ニュースDiary

* このサイトはリンクフリーです。ご連絡はいりません。(下さっても結構です。^_^)
* 引用は、引用であるとわかる書き方なら、必ずしも引用元(ココ)を表示しなくても構いません。
* 携帯からのアドレスは、http://www.enpitu.ne.jp/m/v?id=23473 です。
* 下の検索窓(目次ページにもあり)からキーワードでDiaryの全記事が検索できます。
* バナーは世己さんから頂きました。
* Se inter ni estus samideanoj, kontaktu al mi. Mi elkore atendas vin, antauxdankon!
目次|前の記事|新しい日記
| 2010年03月05日(金) |
GQ取材記�─�金城武に独占インタビュー?(更新) |
アイデンティティ
Lico あなたの名前は、日本では金城という姓ですけど、 中国では金という姓を使っていますね。発音もぜんぜん違います。 自分では日本人に近いと思いますか、それとも中国人の方が近いと思いますか。
金城武 誰かに尋ねられたときに初めて、ああ、そういうふうに考える人がいるんだなと思います。 というのはぼくは最初っからこうだったんですから。 もちろん子どもの頃はちょっと思いましたけど――初めは日本語も話せなかったんです。 その頃、みんな、どうしてぼくの名前の発音が他の人と違うのかと思って、 後で日本人なんだとわかるというふうでした。 ぼくにとっては、存在しないことだったんです―― アイデンティティがどこにあるか、それが重大かどうかなんて問題は。 ぼくの周りの友達は似たような背景を持っている人ばかりだったし、それに兄弟もいましたしね。 100人にこの質問をされて初めて、これは問題なんだと気がついたというわけです。 でも、どうして問題なんだろう? 人が問題にしたいからそうなるんですよ。どうしたらいい? ぼくのせいじゃない! (金城武は両腕を広げ、天を仰いで苦笑した。 なぜこの両親を選んで生まれてきたのかと問い詰められた子どものように)
Lico もし二重国籍が取れるなら、申請します?
金城武 まず、なぜ取ろうとするのか、動機は何なのか、なぜ欲しいのか、持ってる方が便利だから? それなら持てばいい。もし今の状態が不便であるならね。 ぼくらはあらゆる法律のもとで生きている人間なんですから。 二重国籍を認めている国もあって、そこではみんな取得してるけど、それは便利だと考えるからですよ。
言語
Lico あなたは自分に語学の才能があると思います? 中国語、日本語、英語、広東語、それに台湾語ができるけど。
金城武 才能じゃなくて、運が良かっただけだと思います。 台湾に生まれて、周りに台湾語を話している人や中国語を話している人がいたから、 2つの違う発音と文法に最初から触れた。 2つの言語ができるようになると、3つめ、4つめは簡単に入ってきます。 多分ぼくはどれも上手じゃないと思う、どの言葉もこんな感じですよ。 自分の意思を伝えるのに、一番適切な言葉の使い方が、よくわかってないんです。 特に中国語は100%マスターしてるわけじゃありません。 特に大陸の監督たち、たとえば陶爺たちの話し方を聞いたり、彼らと話したりするたびに、 あの人たちの二言三言が非常に適切で正確なことがわかります。 チャン・イーモウ監督なんか、話を聞いていると、映画を観ているみたいなんですよ。
Lico 日本の観客は、あなたの日本語がぎこちないとか、外国訛りがあるとか、 生粋の日本語じゃないとか言いますか?
金城武 日本である期間仕事をした後で中国語を話すと、中国語もすごくおかしくなるんです。 で、台湾や大陸でしばらく過ごして、急に日本へ行って仕事をすると、 日本語が出てこないのが自分でもわかります―― 絶えず使っていなければだめで、長い空白の後で急には使えない。 そして台詞を言ってみたとき、アクセントがおかしくなってる、と感じるんです。
Lico 今のあなたにとって、日本語の台本と中国語の台本では、どちらがすらすら読めますか?
金城武 日本語を読むほうですね。 中国語の台本がここ数年、ちょっと読みにくかった原因は、時代劇だったから。 使われている語句の意味がよくわからないこともあったし、 暗記はできるでしょうけど、覚えにくかったです、特にそこでしか使われない言葉は。 日本語の時代劇もわからないところがあるでしょうね。
Lico 言語面でのプレッシャーをどう克服したんですか? 先生に付くとか?
金城武 克服するしかないですよ……会社の人に、時間のある人、説明して、と言って 教えてもらえますから(笑)。 (続く)
長かったですが、あと1回です。
●金城武に独占インタビュー?? 15:50
怪人@中国の話です。 上海では12日公開ともありますね。 で、今日の新聞晨報が、「変相黒侠(K-20 怪人二十面相・伝)」について、 先日、金城武に本誌独占インタビューを行なった、と 問答を掲載しているのです。
どこでやったんだ〜 それともファックスか電話かしら。 でも、なんか、ちょっと異例ですよね。 大して新しいことはしゃべってないようですが、 あとで見てみよう(ただいま仕事中…)→ これです。
23:30更新 こんな内容です。 新しいものではないけれど、今や、本人が話したというだけで貴重ですから……
金城武主演「変相黒侠」 松隆子をおぶって走れず
佐藤嗣麻子脚本監督、金城武、松隆子主演のアクション映画 「変相黒侠(K-20 怪人二十面相・伝)」が、12日、上海市内の大きな映画館で公開される。 この映画は著名な推理小説家、江戸川乱歩の小説の映画化である。 物語の舞台は1949年の帝都。 松隆子の結婚を前にして重大な窃盗事件が起きる。 サーカス団の美しい手妻師、金城武に嫌疑がかかり、 さらに伝説中の怪盗であるとみなされる…… 作中、監督は大量の特殊撮影とCGの効果を導入、金城武は身体能力を披露し、 連続後方宙返りのみならず、屋根から屋根へ飛び移り壁をよじ登り、 さらにはヘリコプターから片手でぶら下がる高難度のアクションを見せて目を奪う。 先日、本誌記者は「怪盗」金城武に単独インタビューを行ない、 現実の彼自身と劇中の役との違い、および撮影エピソードを尋ねた。
高所恐怖症で頭が真っ白に
――映画を見てどう感じましたか?
金城武 怪人二十面相の話は子どもの頃から知っていました。 黒い東京タワーが面白かったですね。 CG処理が済んだフィルムを見始めて、すぐ、自分はこんな世界で動いてたんだと思いました。 凄かったです。本当に尽きない魅力がありますよ! 要するに楽しい映画で、アクションとCG、音の効果もすべて素晴らしかったです。
――クールな役ですよね?
金城武 監督と話をしました。この映画では二枚目をやるべきか、 それとも滑稽な道化を演じるのか。 そのとき、監督は道化の方が主だと言いました。 それで監督の意思に従って、どこで笑いを入れられるかといつも考えていました。 喜劇を演じるのはもちろんわくわくすることですが、演技自体は決して簡単ではありません。 人を笑わせるのは一番難しいですよ! でも、笑わせることができたら、それは最高ですね。
――アクションのためにどんな訓練をしましたか?
金城武 何もしていません。確かにヘリコプターに飛びつくシーンもあるし、 激しいアクションもありました。 それにぼくは高所恐怖症なんで、本当に怖かったですよ。 でも、今回のアクションチームをとても信頼していましたし、 安全面も綿密に考えられていたので、まあ大丈夫でしたね。 ただ、1度、非常に高いところで撮影したときには、頭の中は空っぽで、 「どうしてこんなところにいるんだろう」とばかり考えていましたが。
舞い上がって自分を誉める
――あなたが演じた手妻師の平吉は指南書を読んで泥棒を学びますが、 普段のあなたも目的のためにたゆまず努力する方ですか?
金城武 いつもは怠け者です。ぼくは好きでないことのために努力するより、 自分が面白いと感じられるものを探すほうがいいと思っています。 映画が好きだから、たとえ他の人とは違っても気にせず、自分を鍛える。 平吉はそんなふうに考えるから、あんなに努力できたんだと思います。
――平吉は修行がうまく行くと、「すげー! 俺」と自分を誉めていますが、あなたは?
金城武 舞い上がってますね(笑)。ずうっと自分を誉めてやろうと思ってました(笑)。 誰でも聞いたことがあるでしょう、「自分を愛する者だけが、人を愛せる」という言葉。 自分を感動させられなかったら、どうして人を感動させられる? どうして自分が自分を信じないの? 一流の監督、一流の脚本、一流の役者がそろっても、必ずしも一流の面白さになるとは限らない。 だから、難しいんです。 みんなぼくにとても良くしてくれる、だから、注意しないとすぐ自由気ままになってしまうだろうとわかっています。 「赤壁」のジョン・ウー監督は非常に謙虚な人です。 後輩として彼に学び、どこか一部分でもものにして、自分の努力の結果を見なくてはと思います。
松隆子をおぶって足が痛む
――共演者との何か面白い話はありますか?
金城武 源治役の国村さんはぼくの相棒役でした。 最後のシーンを撮るとき、ぼくはいたずらをしたんです。 もちろん、普通だったら、そんなことやったら、絶対叱られますよ。 でも国村さんなら、やって大丈夫だと思ったんです(笑)。 実はそれを考えたときやっぱりちょっと緊張して、 プロデューサーに「やってもいいですか?」と聞いたら、「いいよ」と言われました。 それで気が楽になって、たとえ国村さんが怒ったとしても、ぼくの責任じゃない(笑)と。 やったときは本当に楽しかった!
――ウェディングドレスを着た松隆子を背負った感想は?
金城武 ああ、そのときは足がひどく痛かったんですが、 負ぶわなかったらとても失礼になると思ったんです。 おぶって走るのは絶対無理だから、ゆっくり歩くしかできなかったけど、とても面白いシーンでした。 (晨報 2010.3.5)
BBS ネタバレDiary 1:20
長い後半の翻訳にとりかかる手が止まるようなできごとが! 筆者の方莉さんがこの翻訳を見て、ブログに記事を書いているのだが、 なんと、方莉さんは日本語がとっても上手な人だったのだ! いくらほめてくれたとはいえ、緊張して筆が止まってしまいました。 でも、メールで話もさせていただき、もう一度気合いを入れて再開です。
イメージ
「LOVERS」の録音技師である陶爺(陶おじさん)が初めて金城武に会ったのは、 ウクライナでのことだった。 「彼は入ってきて戸口に立っていた。長い髪が肩にはらりとかかり、 米軍の軍服のような服を着ていた。 そこにいた若い女性たちの胸はばくばくして舞い上がったと思うよ―― 彼の姿は人の心を揺さぶるんだ。確かに――びっくりするほどかっこいい」 陶爺は回想する。 「今まで見た中で、唯一、アニメからそのまま飛び出してきたようなスターだよ」 「生身の人間じゃないみたいなんだよ。独特の神秘的な雰囲気があってね」 そのとき、陶爺が自分の印象を金城武に直接話すと、金城武は声を出して笑ったという。
「映画は、まず姿が必要だ。それは天からさずかるものだ。 次に物語のレベルが高くなくちゃいけない」と陶爺は言う。 「金城武のような“どう撮ってもハンサムな”男優は今は少ないね」
「ぼくの外見がいいって言ってるの? ぼくに騙されてるだけだよ」 金城武はまじめくさって言う。 「姿の善し悪しはね、たぶんこういう仕事だから、目立つので、強調される機会が多いんですよ」
「イメージがいい」と「演技がうまい」と、どちらを評価をされるほうがいいかと尋ねると、彼は即答した。 「どちらも誉めているんでしょう、どっちもうれしい」 すぐに一瞬考えて、 「肩書きは人が決めるもので、姿がいいと言われようが演技がいいと言われようが、 いい評価でありさえすれば、この業界で、より多くのチャンスを得る大きな助けになります。 扉を開く鍵のように」
16歳でデビューするとすぐ芸能事務所と契約した。 まだ幼い高校生の人生は完全に一変した。 ちょうど新生児の誕生のごとく、芸能人としての人生がゼロから始まった。 その母親はすなわち、スター養成に長けた芸能事務所である―― 彼女は彼の名前を、中国人が受け入れやすい「金」姓に巧みにスライドさせたのだった。
「彼は自分のイメージを保ち、人々の自分に対する期待を維持しなくちゃならなかったんじゃないかな。 それは昔は彼にプラスに働いた。 事務所も、他の人たちとはある距離を保つように言ったのかもしれない。 いずれにせよ、彼は自分のイメージに非常に気を遣い、 知り合いと食事をするときには、写真を撮らないでほしいと頼んでいたものだ」 陶爺は金城武をそう語った。 「私が思うには、彼は有名になって以後、そのもともとの気質と個性を 基本的には極力もともとのままに保ってきた。現実には、自分を閉ざし始めたんだよ。 彼自身と、その気恥ずかしいと感じる気持ちは関わりがあり、本人もそれがきらいではないのだ。 月日とともに、1つの公式となり、彼が演じる世間に対する決まったイメージとなったんだ」
この気恥ずかしさは、あるいは己を知る聡明さからも来ているのかもしれない。 陶爺のことを話すとき、金城武はそわそわしながら尊敬の念をもらす。 あたかも何か神のシンボルのことを語るかのように。 彼は以前、自分の出た映画「ターンレフト、ターンライト」を陶爺に見せ、意見を求めたことがある。 「自分の映画はめったに見ないですね。 見るときでも、映画全体の撮影のスピードとか角度とか、そういう他のものを見てしまう…… やっぱり恥ずかしいです、映画の中の自分を見るのは」 彼は言うのである。
インタビューの間、彼は何度も自分は演劇学校出身でないと口にした。 演劇学校出身の俳優と共演するときは、プレッシャーを感じてしまう。 「あの人たちの演技は真に迫っていて、『投名状』と『赤壁』の撮影では、 中国の有名な俳優が大勢出演していて、話や話しぶりだけで、もう違う。 あの声の大きさなんか全然違うので、物怖じしていない、 自信を持ってそこにいるなあと感じて、本当に大きな刺激になりましたね。 ぼくらの話し方が全然力がないように聞こえてしまう」 金城武はばつが悪そうに、傍らのマネジャーをちらりと見る。
「彼の心には、飛躍が必要になっているんだろう」と陶爺は話す。 「私は彼に、もう少しリラックスするようにと言うんだ。 年とともに、もっと力を抜きなさい、そんなに自分を閉ざすなとね。 彼のやる役は受動的なものが多い。それは彼が綺麗だからだよ。 だから人を叩く場面があったとしても、普通は女に先に襲われてとか、 何か事情でやむを得ずという場合だ。 主体的に打って出る役に挑戦することを覚えなくちゃいけないと思うよ。 スターとして、彼は前途洋々だと思うね」
Lico 役者として、何かめざす目標がありますか?
金城武 ぼくは、最終目標なんか持たないで、今の一時一時を 楽しめるようになるのでいいのじゃないかなと思ってしまうんですよね。 今、この映画に出るチャンスがあるのだから、その映画の中身を、 あるいはそこでの人との出会いを十分に楽しめると思うんです。
Lico あなたは、俳優の身分から一歩踏み出す考えはありませんか?
金城武 もちろん役者をちゃんとやりたいと思います、だって好きだから。 他のことをやってみたくないかと聞かれれば、ないわけじゃないけど、 まだ自分にはできないと思う。 まだskillsが足りない。技術がそこまで行っていません。 波があって、20歳のときは監督になりたいと思ってました。 でも、当時のぼくは、「すげえやつ」になりたかっただけで、 20歳のときの「監督になる」というのは観念にすぎなかった。 30歳を越えて、ずっと映画をやってきて、チャン・イーモウに出会い、ピーター・チャンに出会い、 ジョン・ウーに出会い、どんどん規模が大きくなって、わあ! 数千人も、となったら、 監督なんかやりたくない、こんな大変だなんて、と考えるようになりましたよ。
映像を創り出すことはとても面白いと思う。で、役者としてそれをするチャンスがある。 まず、自分の役をあれこれ解釈する楽しさがあるし、 第二に、映画作りの環境に飛び込んで、自分が見てみたかったこと、 つまり、どうやって照明をするのか、どんなレンズを使うのか、 どんなスピードで撮るのかという技術的なことと、 同時に本当にいろいろな役者達の演技法を見ることもできる。 ぼくは演劇学校出身ではなく、ただ、他の人がやっていることを見て経験から学んだだけ。 たくさん見ることは吸収することで、そこから学ぶことができます。 ぼくにそれ以外のことができるかどうか、自分自身わからない。 だけど、自分にあるもの、それは役者であるということなんです。 だから、あのとき歌を歌うことはやめたんです」
金城武はテーブルの角の位置に腰掛けている。 左手には銀色の指輪が2つ、薬指と中指に。 右手の1つは中指にはめてあった。 指輪には簡単な筋が刻まれ、純銀の光沢を放っているが、落ち着いた光だ。 左腕に淡いコハク色の数珠をはめている。 「なんという石か知らない。会社の人たちはみんなしているんです。 みんながしてるからしてるだけ」
「この指輪は先生が送ってくれたものでもあるんです。幸運を呼ぶんですよ」と彼は言った。 「信じます?」私は聞く。 「こういうことは信じたほうがいいですよ」 と指輪をはずした。私が見せてほしいと言ったのだ―― 彼は手で弄び、巧みに時間を引き延ばし、結局手渡してはくれなかった。 彼は右手から抜き取った指輪を左手の指にはめ、左右の手の指輪を眺めて冗談を言った。 「最近どうって聞かれたら、婚約したよと答えるんだ。3人のどれにするか考え中だとね」
「これはアメリカのスーパーで買ったんです」 金城武はうつむいて、着ているTシャツを見た――胸には6つの小さなポケットが並んでいる。 どれにも銀色の金属をはめこんだおおいがついている。 私はプライベートのときの服装について質問を重ねたが、彼は全然重要視していなかった。 「いつもおしゃれにしているわけじゃないです。 まず着心地がよくて簡単で、それから安いもの。 でも、自分で分かったんですけど、たいていの場合買って帰ってからこう思ってるんですよ、 『これはひどい。どうしてこんな服を買っちゃったんだろう』って。 そんな風に思うことってないですか? ぼくは街を見て歩くことははあまりしないから、 買うときはいつも思い付き。足がだるくなってしまう」
「女の子と街に遊びに行く時は、あまり忍耐力がないほうですか?」 私が聞くと、 「まず、行きませんね」と金城武は言った。
金城武の話す声には深い溜息が交じっており、日本語の影響をうっすらと感じさせる。 声は低く、発音ははっきり、正確だ。 思っていた通り、端正な顔だち、深い瞳、息苦しく感じさせるほどの男前の人だった。 浅黒い肌は健康で穏やかな輝きをたたえている。 言葉やアイデンティティの問題をしばしば口にしたが、 熱心なようにも、うんざりしているようにも見えた。 そういった意地悪で抽象的な問題に直面すると、 彼は突然、ごめんなさいと言い、一種、うきうきしたような、 かつ哀願するような声で尋ねるのだ。 「あなたがぼくなら、どう思います?」 彼は情景描写が巧みで、声もよく、情緒もたっぷり。 手足の動作まで加え、きちんと説明しようと一所懸命な子どものようだ。 (続く)
BBS ネタバレDiary 0:30
中国での「K-20 怪人二十面相・伝」公開日は、一体いつなのか、 ニュースやサイトによって違うので、謎なのですが、 このニュースでは16日だとして(24日説も26日説もあり)こんなニュースも……。 いや……そんなのありか??? ひな祭りのちょっとした夢として――
(前略)「変相黒侠(怪人二十面相・伝のこと)」は、今月16日より中国内地で正式上映される。 この作品は広範なメディアから賞賛を受けた金城武版バットマン映画で、 公開前から多くの映画ファンの注目を集めている。 先日中国語版予告編が正式に公開されたが、 金城武自身も、近く北京で行なわれるプレミアに出席の可能性がある。
情報によれば「変相黒侠」の大陸の配給元が、 大陸のファンと共によりよいプロモーション活動を進めるため、 現在、金城武のスケジュールを調整中とのこと。 近年、金城武の映画出演作品は大半が恋愛物であり、 その上品な姿の良さが彼の代名詞となっていると言ってもいい。 先の「投名状」にしても、真の意味でのアクション演技とは言えなかった。 しかしこの映画では、その技を惜しげなく見せ、全く新しいアクションに挑戦している。(後略) (新浪娯楽 2010.3.3)
BBS ネタバレDiary 13:45
おたく
彼は、かなり以前から蔡志忠のマンガを読んでいる。 老荘思想に触れるには一番簡単で直接的な方法だ。 「ぼくは中国語も下手だから、初め老荘の本を読んだときは、 わー、意味が分からない、状態だったけど、 マンガから入ると、すごく面白いんです」 少し前、初めてテレビで動いている蔡老人を見た。
「とても芸術的な先生でした」 金城武は蔡志忠がテレビで語った話をほとんど全部覚えていて、 テレビでの蔡志忠と司会者との対話を、敬意をこめ、本物そっくりに真似してみせた。
「彼の話したたくさんの考えを聞いたら、きっとそのとおりだと思うと思いますよ。 司会者が質問したんです、子どもをどんな風に教育しているのかって。 その日のインタビューのテーマは次世代教育だったので。 蔡さんは、娘にはいっさいプレッシャーを与えないのだと言いました。 娘が勉強ができなくて乞食になろうと、それはかまわない。 自分にとって娘は体の一部にすぎない、とね。 ほとんどの親はグチをこぼすでしょう。 ぼくは、こうした考えこそ老荘の考え方だと思うんですよ」
ただし、蔡志忠の、十年一日がごとき「午後6時に眠り、深夜1時に起きる」という 生活スタイルには「ぜんぜん憧れない」。 「ぼくの生活とは相反するのでね。 憧れじゃなくて、ぼくが言いたいのは――蔡先生の答えがすごくおかしくて、 面白いってことです。 彼はたくさん本を出していて、たくさん稼いでいるから、 娘が金目当てで誘拐されたりしないか心配じゃないかとみんなに聞かれるんだけど、 彼は、NOと言うんですよ。 娘には、もしいつかお前が誘拐されることがあっても、 父さんは助けに行かないよと言い聞かせてる、 もう1人子どもを作る方が都合がいいから、お前は自分の運命だと思いなさいと。 すごく面白いと思いましたね。これは哲学だと思います?」
「テレビはほとんど見ないけれど、印象深かったもののことはよく覚えてます」 と金城武は言う。彼はネットショッピング番組まで観るのだ。 しかも興味津々、テレビ画面と会話するかのように―― 「わあ、このほうき、最高じゃないか。早く買ってもらおう。あの洗剤も。 今電話で申し込んだら割引価格になる? 急がなきゃ。これは逃せないぞ。 よし、試しに買ってみよう」 テレビでレストランが紹介されると、 「推薦された店には全部行ってみます。 時間を見つけて友達と一緒に試しに行くと、ほんとにおいしいんです」 それで大喜びするのである。
「彼は、つまりおたくなんだ」 金城武をよく知る友人の黄連��は、そう彼を評する。 彼は金城武のおたく傾向をこう説明する ――1人でいる、ゲーム好き、マンガを描く、お茶を飲むのが好きで、 スポーツをしない、街に出かけるのがきらい。
「ホテルに1人のときは、ゲームのコントローラーをいじっています」 金城武は両手でゲームをする仕草をした。 自分の姿をとりこんだ「鬼武者」を、彼は「気分がいいし、光栄だと感じる」と言う。 「ゲームをしているときはとても楽しい。もともと好きだから。 ほら、自分の顔があるでしょう。それに最高に面白いし。 武器を自分で振り回さなくても、他の人がやってくれるのは、すごいと思う」
彼が最近研究中なのは、インド人の九九の計算法である。 「公式が1つあれば、例えば34×75の答えが一瞬でわかるんですよ」 DSをしているときに、彼はインド人の頭の良さの秘密を発見した―― 「公式があったんですよ! わー、ほんと? わかったよって思いましたね」
ネットもする――ネットで「ゲームをする」のである。 「LOVERS(十面埋伏)」のオンラインゲームはやったことがないが。 あとは「メールで私的なことや社会の話題を話したりする」ぐらいである。
「自分の中で一番嫌いなところは――怠け者のところ」 金城武はパッと笑顔になった。 「怠け者なところが気に入っているみたいでもあるかな」 「『投名状』の撮影中は朝4時起きだったんですよ。 メイクの人に言いましたよ、メイクしなくていい? あと2時間寝させてって。 どうせどこへ行っても黄砂だらけで、メイクしてもしないのと同じで、 一回り走ってくればそれらしさが出るんだから、 現場に行って一走りすればメイクはOKなんですから。 ――どういうところが怠け者かという例をと言われれば、これですね」
「日本のマスコミのインタビューに対して、どうしていつも、 どの映画に出るかは縁だという言い方をするんですか?」 「じゃあ、なんて答えればいい? ギャラのため? 共演女優のため? 一番便利でしょう……」 めんどくさがりやにはめんどくさがりやの対応法があるのだ。
「彼は昔からものすごく自制心があるし、すごく可愛いやつだ。 仕事がなければ可笑しなマンガを描いて遊んでる。そういう感じは子どものみたいだね」 黄連��は語っている。 (続く)
BBS ネタバレDiary 13:45
コメディ
「金城武は相当面白い人ですね」 日本映画「死神の精度」の監督、筧昌也は、 70年代以降の人間に特有のクールなユーモアをただよわせて言った。 「ちょっとでもおかしみのある場面になると、それをもっと面白くしようとするんです。 お笑いの才能がありますね。 ぼくら70年代以降の世代と、笑いのツボがそっくりです」
「撮影現場では、金城君は即興的なコメディのアイディアが豊富で、 最後の生きるか死ぬかの闘いにまで笑いの要素を入れようとしてました」 「K-20 怪人二十面相・伝」の佐藤嗣麻子監督も語っている。
金城武が話すのを聞いていると、確かにコメディ映画を見る快感がある。 生のショーのような生き生きとした活気があって、 体験が悲惨であるほど、面白さあふれる話は語れるようだ。 彼の言葉によれば、1991年に出演した初めてのテレビドラマ「草地状元」は、 「思い出すとおかしくなる」し、「全く何もわかっていませんでした」。
台北から3時間バスに乗り、南部の撮影地まで行ってみると、 その日、自分の出番のないことがわかる。 そのときの現場は、「出番があれば出る、なければ明日まで待つ」という風だった。 帰りのバスはもうなく、夜は小さな食堂でで20〜30元で腹を満たし、 四方が鏡のホテルの部屋で眠ったが、1人は「とても怖かった」。
「あのころは面白かったですよ。3時間以上かかるバスの中で眠りました」 「出番のない出演者たちと一緒に、馬場や、農地を見に行ったり。 南部を旅行に来たみたいでした。 「最初にしゃべった台詞は『そんなことないよ』だったんですけど、 何度も何度もNGになるので、監督は台本をたたきつけて、 不真面目だ、と怒るんです。 そんなことない、不真面目なんかじゃないですよ。 ね、ドラマの外でも中でも『そんなことない』なので、 うまく説明できなくて、わかってもらえないんですよ」
Lico(方莉) 自分では、コメディ要素の多い映画の方が向いていると思います?
金城武 わかりません。もし演じるのが好きなのはどちらかと聞かれれば、 コメディの方が自分も楽しめると思います。 初めてコメディの撮影をしたとき、リハーサルのときから、みんな笑いっぱなしだったから。 でも、現場で笑っちゃうのは危険もあります。 できてみたら必ずしもおかしくない可能性がある。 それはおかしな場面で自分たちが面白さに浸ってしまうからです。 だから監督の腕と、それにタイミング次第になんです。 コメディは非常に難しいと思います。
Lico その難しさは何と比べて?
金城武 ほかのジャンルの映画と比べて、難しい。 人を泣かせるのは比較すればやさしい(難しいけれども)けど、 笑わせることは難しいです。 それにその笑いというものが、簡単に言えば、多分台湾と香港では ユーモアがそれぞれちょっと違うんです。香港と中国もそうでしょう。 北京となるとまた違いますよね。北京の漫才は違うし、笑うところもまた違います。 だから、コメディは難しいと思うんです。 撮影のとき、とてもおかしいと感じたものは、観客も笑う。 ところが別の都市に持っていくと、だあれも笑わない。 だからとても難しいと思う。 それに、その難しさは精神的なプレッシャーじゃなくて、 アイデア面でののプレッシャーなんです。
Lico アイデア面とは?
金城武 心理映画の感情の話なら、そのプレッシャーというのは、 監督が「アクション!」と言ったら、すぐ泣かなくちゃいけない、 どんな風に泣いたらいいだろう―― それが心理的な映画のときに感じるプレッシャーのあり方です。 喜劇のときのプレッシャーは、「こんなふうにやって、一体おかしいだろうか?」 ということから来るものです。 そして映画は、写る大きさや角度がいろいろ変わる。 本来すごくおかしいものが、こちらから撮ったことで、そのユーモアが出なかったりする。 だから、実はすごく難しいと思うんですよ。
Lico 今まで出演したコメディ映画の中で、一番難しかったもの、 あるいは一番印象に残っているのはどれですか?
金城武 実際、全部印象に残っているけど、 一番は、最初に台湾で出演し始めた朱延平の映画ですね。 あの頃の印象はものすごく強い。多分あの頃はたくさんコメディに出ていて、 監督がとてもユーモア感覚があったので、 撮影のたびに現場ではみんな笑いっぱなしでしたよ。 そして監督が「とてもいいよ」と言うんです。 撮影は実はいろいろきちんと決まってなくて、 いろんなことを試してみるというふうだったと思います。
あの頃はスケジュールが一杯で、コメディ映画にたくさん出て、 後になると、どちらかというと、こう考えてしまうようになりました ――「どうやったらもっと面白くなるだろうか?」と。 気持のあり方が違ってしまっている。 初めの頃はどちらかというと――多分、気軽で自由だったんでしょう。 どうせ、お笑いスターなのだからと、ずっと笑っていましたよ。 監督もとてもおかしくて、人を噴き出させてたし。 あの頃は要するにおかしかった――おかしくないこともあったけど、 でも、面白かったですね。 (続く)
やっと半分超えたかな。 後から、ちょこちょこ間違いを直しています。
BBS ネタバレDiary 22:50
| 2010年02月23日(火) |
「投名状(ウォーロード)」コメンタリー |
GQ取材記が、まだまだかかりそうなので、 ピーター監督が語りに語ったコメンタリーの字幕訳、残り1回なので先にやってしまうことにし、 ようやく終わりました。 励ましのコメント、がとってもありがたかったです。 不備は多いですが、ネタバレDiaryにアップしました。
BBS ネタバレDiary 更新しました 23:30
| 2010年02月22日(月) |
「K−20 怪人二十面相・伝」大陸で公開●GQ取材記�� |
今月24日(明後日か!)からだそうです。 なかなかなポスターが2種類お目見え → こちら (1枚だけだけど、文字の載ってないのはここに)
●GQ取材記�� 23:00
日本
半分日本人の金城武が初めて日本の土を踏んだのは、18歳のときである。
「覚えているのは、成田空港に到着して飛行機を降りたとき、 大きなロビーに歓迎の看板があり、日本語でこう書かれているのが 目に飛び込んできたことです――『おかえりなさい』って」 と金城武は振り返る。 この、日本国民を出迎える看板は、今も成田空港にある。 毎日家族が帰宅するたび交わされる、 「ただいま」「おかえりなさい」の挨拶同様、「家に帰る」という言葉は 日本人の集団としての感情と記憶の、最も日常的で素朴な部分であるが、 そのとき金城武はその記憶を共有することができず、 一瞬大きな距離を感じた―― 「『おかえりなさい』というけど、ぼくは帰ってきたの? 初めて来たのに」
「渋谷でタバコを吸っていても、誰も自分を知る人がいないのは、とても落ち着きました。 電車に乗ったけど、全然わからない。 改札で、切符を改札機に入れたまま行ってしまい、 『切符、取り忘れてますよ!』とよその人が追いかけてきました。 そこで学んで賢くなった気がしたのに、今度は出るとき、 切符を入れて、ぼうっと待っていたら切符が出てこない。 駅員さんに『どうして、そこにいるの? 切符は出てこないんだよ』と言われた。 恥ずかしいったら――日本人なのに電車の乗り方がわからないなんて!」 金城武はタバコを置き、そのときの自分の様子をまねて、 駅でのきまり悪い対話を日本語で再現してみせる。 「しまいには中国語だけで話すようにしました。笑われたくなかったから」 昔日の恥ずかしいエピソードを夢中で語る。 昔は1つのつぼを落として割り、すごく惜しがったのに、 今は完膚なきまでたたきつけて、逆に面白がろうとするような感じに思える。
「2年前にも横浜駅に行ったんですが、やっぱり路線がわからなくて、 いろいろ乗り換えているうちに、途中で間違った線に乗ってしまいました」 と彼は言った。 「そのときは友達と飲みに行く約束をしていたんです。 車は運転しちゃいけないし、タクシーも高いから」 「タクシー代が高い?」と私は聞き返した。 彼は笑った。 「日本はいいよ、電車の中では他人のことを見ないもの…… 電車に乗るのは冒険のようだね」
半分日本人であり、台湾で日本の正式な学校教育を受けているといっても、 日本での撮影には、やはりある目に見えないプレッシャーを感じる。 このプレッシャーは、「文化の違いから来ている」と彼は考える。
「日本は割合――みんながこうするから、自分もこうする、という感じ。 日本の撮影現場では、誰もしゃべらないし、説明もしないけれど、 何をすべきかみんな知っている――これが礼儀なんです。 特にこういう礼儀正しさも、文化から来る、目に見えないものだと思います。 多分中国の監督は名声が比較的目立つけど、日本では目立つのは絶対監督じゃない。 作品であり、映画会社であって、みんなあるモデルに沿って仕事をするんです」
彼は、敬語が下手なせいで、人を怒らせたことがあると打ち明ける。 彼が初めてかすかな不満の気持ちを漏らした。 あたかも、いやな目にあった記憶のスイッチに触れてしまったように。 「日本で敬語を使えなかったら、たいていこう言われますね、 『その態度はなんだ?』。相手によっては――」 言葉を切り、単語を探した。 「不愉快がる」 「そんなとき、あなたはどう思うの」 私は聞いた。 「どうかしてますよ!」 と、彼は眉をひそめる。いまだにわだかまっていたかのような反撃ぶりだ。 その繊細で聡明な顔が、不快さをあらわにした。 「だって、わざとじゃないんだから」
「今、特に日本では、できるだけ自分から先に挨拶をするようにしてますよ。 ぼくの日本語の敬語はあまりうまくないので、 こうこうしたいんだと伝えて、誤解を少なくするんです。 日本では上下の文化はかなり厳格で、みんな――」 金城武はポンポンと人の肩をたたく仕草をした。 「こうである中国とは違いますよ」
「日本のそういう環境にそまってしまいたくはない。 だって、ぼくはそういう人間じゃないから―― 自分自身の空間で、自分のことをしていたい、でもあなた方にも敬意を払います ――そちらだって変われないのを知っています。 変えたいと思ってこんなに長いことやってきたけど、 変わらせることはできなかったんだもの」 と、彼は声をあげて笑った。 「でも、ちゃんとお互い話せば、みんな安心して、とてもいい感じになりました」 (続く)
BBS ネタバレDiary 18:00
マネジャー
EVA(ヤオさんです)がお湯のカップを持ってこちらにやってくる。 ついさっきまで、化粧室で金城武のメイクが終わるまでずっとついていたのだ。 彼女は背が高く、すらりとして色白、しとやかな笑顔の人だ。
EVAが初めて金城武と会ったとき、彼は16、彼女は24。 2本の若やかな苗のごとくであった。 彼女はフーロン事務所に在籍し、その身分は「人に不思議がられるマネジャー」だった。 「当時、台湾には、マネジャーという職業はほとんどなかったのです。 直接芸能人に連絡をするか、あるいはレコード会社に話をし、 レコード会社が自分のところの歌手に連絡するというやり方でした。 マネジャーなんて面倒くさいだと思われていたのです」
「うちのボスは非常に目が利く人で、テレビで金城武が出演したCMを見て、 そのちょっとした動きだけで、この子は非常に特別な雰囲気を持っていていい、と考え、 彼と契約することにしたのです。 もちろん、当時の彼は、まだ“見た目”だけでしたが」
「彼とこんなに長いこと一緒に仕事をしてこられたのは、 多分、どちらもお金のことを考えないからだと思います」とEVAは言う。 いまだに未婚の彼女は、依然として今は36歳の金城武のマネジャーだ―― 「とても運がよかったと思っています。一番くじに当たったようなものです」 だが、見たところは、彼女は温かく見守る後見人というほうが近い。
「この業界にいれば、きっと何度も誘惑があったに違いありません。 でも、彼は賢い人で、はっきりした考えを持っており、それに惑わされませんでした。 彼は金に目のくらむような人間では全然ないのです。 情義をわきまえ、善良で、恩を忘れません。 私たちと仕事を始めたときから、功利的なところがありません。 ときどき、変わらず子どものようだと感じることがあります」
「フーロンに入ったばかりのときは、全然中国語が読めなかったので、 会社は彼に新聞を読ませ、彼は自力で勉強しました。 今でも、この人は本当に面白いなと思います。 習ったことのないことにぶつかると、いつも一生懸命勉強するんです」
以前、フーロンが、日本でCMの撮影をする金城武の顔に 巨額の保険をかけたことについて聞くと、EVAは高ぶった様子で答えた。 「もちろんかけますよ、あんな危険なこと! あのときは高温のライトの横で撮影したんですよ。顔すれすれに近づけて。 万一破裂したらどうするんです?!」
友人
フーロンと契約後、金城武は音楽プロデューサーのもとに送られて、 「育ててもらう」ことになった。 「ゼロから音楽を教え、楽器を教え、生活や仕事をともにする中で歌の作り方を教えたんだ」 90年代初めの台湾では、ミュージシャンへの要求は、理論はもちろん実践上も、 今と比べて明らかに厳しいものだった。 「楽譜が書けることは、クリエイターとしての最も基本的な必須条件だったから、 まず音楽の基礎理論から勉強を始めたんだよ」
「彼は覚えが大変よくて、すごく才能に恵まれていた。 ギターが弾けたし、ピアノも弾け、それを使って自分自身の創作をした」 この初めの頃に金城武を育てたミュージシャンの黄連��は語る。 金城武は陳昇と黄��に助けられ、自ら作詞作曲をして、第1アルバム「分手的夜里」を完成させた。 「まだ成熟にはほど遠かったけれどね」
「すごく不自由になっちゃった。街で鼻をほじりたくなってもできやしない」 アルバムをリリースした後、金城武は黄連��にそう言った。 彼はこの2人の先輩といつも一緒に行動するようにもなっていた。 「事務所は彼をぼくらのもとに放ったらかしにしたので、 彼はぼくらが行くところにどこでもついてきた。 ほかの歌手の録音にもついてきて、助手の仕事もした。 夜、仕事が終わると、一緒にナイトクラブに繰り出したもんだ」 「仲がいいからじゃないぞ、お前がかっこよくて、女たちがひかれて寄ってくるからさ、 一緒にいればいいことがあるってわけだ」 黄連��は金城武をからかった。
彼らはナイトクラブを転々とし、酔いつぶれるまでやめなかった。 最初にダウンするのは決まって金城武だったので、「兄貴」の呼び名がついた ――いつも酒場で人に面倒をみてもらうことになるからである。 「大勢で飲んでいるとき、いやらしい話になると、彼はやはりきまり悪そうにしていたね」
金城武はその頃の音楽関係の友人たちと、 今でも共通の思い出の中のあの温かな友情を保ち続けている。 彼は今でも彼らの飲み友達であり、飲み屋好きの黄連��と一緒に、 金を出してバーを開いたほどであり、たまには店に顔を出す。 今、彼らは90年代の自分たちを笑って振り返り始めた。 黄連��は言う。 「君をだめにしたのは、俺たちじゃないぞ、音楽だ」 金城武がこたえる。 「なんだ、わかってたんですね。知りませんでしたよ」
「10数年にわたるつきあいで、口論はしょっちゅうだった。 考え方、物事を見る角度が違ったんだ。 彼は、ぼくが怒りっぽいたちなのをわかっていて、 よくぼくをからかって怒らせては、なだめ始めるんだよ。 今、彼は人気者だが、昔の友達のことは決して忘れしない。 外国から戻ってくると、電話をかけて一緒に食事をしようとみんなを集めたり、 ちょっとしたおみやげをみんなに配ったりする」と、黄連��は言う。 36歳の誕生日、金城武が台湾に戻ってくると、 旧友たちは彼の家の台所に隠れ、突然飛び出して彼をびっくりさせた。
「10代の頃から、彼はずっと赤子の心を持ち続けているね。とても「まっすぐ」だ。 演技はすごくうまいとは決して言えないが、ゆっくりと成長している。 進歩の速度はあまり早くないが、要するに常緑樹なんだ。 外見もいいし、中身もいい。 ずっと自分をコントロールしながら成長し続けている」と黄連��は話す。 「あのとき、フーロンのとった方向は正しかったね。彼を日本へと連れ出した。 台湾という池は小さい。彼は大海に出ていくべきだったんだ」 (続く)
いきなりですが、バンクーバー・オリンピック、男子フィギュアは楽しめましたね。 日本の3人、個性の違うイキのいい若者たちがそろって、いいですね。 高橋選手はふだんは普通の若い子だけど、滑り始めると華があるし、表現力があるので、 観ていて楽しい。 その上、確か金城武が好きだ、と言ってた記憶があるので 実は、それもあって、ひそかに応援しております。 公式サイトを確認したら、確かに、好きな芸能人にしっかり名前がありました♪
BBS ネタバレDiary 22:00
台北アメリカンスクール
外国人から見ると、高級住宅の集まる天母地区は、 「あまり台湾らしくない場所」だ。 台湾らしさの濃厚な士林の美食街で名高いのだけれども。
日本人学校の向かいに、中山北路を隔てて、有名な台北アメリカンスクールがある。 現地では「英語を習うのに最適な場所」という伝説のあるところでもある。 貴族の高校に共通しているようなエリート的たたずまいがあり、 校門は仰ぎ見なければならないほど高い ――外国籍でなければならないという厳しい制限のほか、 英語に問題がなく、両親に経済力があることが必要なのだ。
台湾の裕福な家庭は、ヨーロッパの小国で土地を買うことで、 子どものために外国のパスポートを手に入れる。 日本人は子どもが英語の難関を突破できないのではないかと心配し、 回り道で目的を遂げさせようとする―― まず、「レベルが少し下の」ミッションスクールで英語を猛勉強させ、 それから入学試験を受けさせるのだ。 もし、不幸にして両親に経済力がなければ、 たとえ国籍に問題がなく、英語が上手でも、 途中退学もありうるという心の準備をしておかなければならない。
道路を1本隔てただけの日本人学校で中学3年になった金城武は、 将来の計画などほとんど考えていなかった。 小学校6年の卒業文集で、彼は「大きくなったら」という題の短い作文に、 「スーパーマンか警察官」になる、と書いている。
「あの頃、日本人学校とアメリカンスクールは ずっと何かしらの友好関係があったようで、 日本人学校の同級生が何人も一緒に入学試験を受けました。 英語もあわててつめこみました。 突然高校を受けることになり、突然英語の補習クラスに入ったんです。 でもぼくは間違ったことばかり覚えたみたい」と、金城武はおかしそうに笑う。 彼は私の「英語はどこで勉強したの」という質問に驚きを隠さず、 あたかも「人間はなぜご飯を食べるの」と聞かれたかのようだった。
不意に彼は楽しそうになり、目がきらきらと輝いた。 ほこりだらけの古い家で、子どものとき大事にしていたおもちゃを見つけたかのようだ。 「今でも忘れられないんだけど、入学試験のとき、対話、 つまりConversationの試験があったんですよ。 ぼくはうまく答えられていると思ってました。全部聞き取れてたので。 でもわからないことが出てきた。 今、1億米ドル持っていたら何をしますか、と聞かれたんです。
その数の単位を、そのとき初めて聞いたんです。 つまり持ってるのが1億ドルということ。 ぼくはとっさに、1億? きっとそれは数百元とか数千元とかのお金で、 それで何をするかと聞いているのだと考えました。 それで、おもちゃと本となんやかやを買うと言い、うまく答えられたと思いました。 終わって出てくると、口頭試験を受けたほかのクラスメートが その問題について話していたので、何と答えたか聞いてみると、 お父さんに家を買ってあげると答えたと言う。 足りるわけないじゃないか?! とぼくが言うと、 友達は、買えるに決まってるよ、1億ってこれこれの額だぜ、と言うんです。 わ、終わった、と思いましたね」 金城武は大笑いして両腕を広げ、お手上げだという仕草をした―― 「そいつはぼくより上のレベルのクラスに入ったんですよ……」
インタビューの間、周りに集まってきて聞いていた者たちが一斉に笑い転げた。 彼は、まさにあの、「ラベンダー」の、ぼうっとした天使のようだった ――善良で欲を知らず、単純でこだわらない。 彼は自分の滑稽な話をするのを好み、 役者特有の即興の表現力で、周りの者たちを喜ばせる。
アメリカンスクールのアメリカ式教育は、金城武に人生のもう1つの門を開き、 世界は明るく生き生きと変化した―― 「もちろんアメリカンスクールの方が好きですね。 わっ、自由だ、と感じました。 それもうまい具合に、あの高校生という年齢の頃にあたっていて」
アメリカンスクールで、彼はバレーボールをし、友達とつきあった―― 「すごく変なんですけど、クラスメートは今でも連絡を取り合っているんですよ、 すごく単純なグループみたいで、 ぼくらの場合、一番仲良しで親しいのは、 みんなアメリカンスクール時代の友達ですね」 金城武のかつてのチームメイトは語る。 今はニューヨークにいるが、今でも金城武とは連絡を取り合っており、 「機会があれば会って飯を食います」。
その頃、付き合っていた女の子もいて、学年は金城武より少し上だった。 「2人はとても仲むつまじかったですよ」 2人は学校のダンスパーティーにも行ったが、 お金のある彼女が彼にチケットを買ってあげていた。
金城武は私の右側に座っている。 テーブルにはマリンブルーのマイルドセブンがある。 水の入った紙コップがいくつか、灰皿代わりに使われて、 テーブルのあちこちにおいてあった。 彼は紙コップは使おうとせず、ちっぽけな金色の携帯灰皿をえいっと開けた。 中は吸い殻でいっぱいだ。 大丈夫、もっと吸ってもいいですよ、と私は言った。 ありがとう、と彼がこたえる。 右手にタバコを持ち、慣れた様子で左に少し身体をひねっている。 タバコは低く下げていて、ほとんど見えない。
アメリカンスクールで、金城武は人生初めてのタバコに火を点けた。 クラスメートにも1本渡すと、男の気概を目一杯発揮し、心から勧めて言った―― 「これでこそ、男だ! タバコを吸わなきゃ男じゃないよ」
金城武の母親は、子どもの教育という面では、 非常に変わった開けた一面を見せ、決して「干渉」しなかったし、 「たいそうな問題ではなく」「子ども自身のの選択」であり、 「子どもは大きくなったら、 自分の人生には自分で立ち向かわねばならない」のだと考えていたのである。
嗅覚の鋭いスカウトの目には、この欧米モデルのABCと 美貌の混血児たちの学校は、宝の山であり、 台北アメリカンスクールの有名な卒業生には、遠くはテレサ・テン、 近くは費翔、ピーター・ホー、潘瑋柏(ウィルバー・パン)も 卒業生名簿に名を連ねている――後で述べることであるが。 50年間の植民地の歴史は台湾の日本に対する感情を複雑なものにした。 混血であるということはある種人の心を揺るがせるものなのだ。
成長を始めた金城武はスカウトの鋭い目から逃れることなく、 高校2年のとき、あるドリンクのCMに出演した ――「少年が、1人の女性が豚を連れて歩いていくのを目にする。 少年はときめきを覚え、女性の前に走り出て、さっと踊る」というものだ。 バレーボールのチームメイトたちは、 「いつも野暮ったく、Tシャツの裾をジーパンの中に入れ、 ジーンズを上まで引っ張り上げていた」、 「バスケットシューズにその裾を靴に押し込んでいた」金城武が 高校を最後まで終えないままになるとは思ってもみなかった。 CMがテレビで放映されてまもなく、彼は完全に学園を去ったのである。 (続く)
BBS ネタバレDiary 17:00
| 2010年02月18日(木) |
GQ取材記� 聞洪掘� |
方莉さんのブログ(こちらです)から。 とにかく始めなければと、短いですが、まずは最初のリード文から。
取材記――金城武篇
取材当日、急に晴れた。 10月の間中、東京は秋雨で湿っぽく、どんよりとした空気の中でもがいていた。 11月1日、この街は突然変身し、空は広々と青く、金色の輝きを見せたのである。 隅田川はさらさらと流れ、ねばりを感じさせる水面に、明るい日の光が一面にきらめいている。 1羽の白い水鳥が澄んだ水面から飛び立ち、風穏やかで日うららかな岸辺の静けさを破る。 私は川に沿って歩み、あるすっきりした形をしたコンクリートの建物の前で足を停めた。、 入口の表示板にはこう書かれている――4階スタジオ、使用者 GQ China、午後1時。
化粧室は扉が半分開いていた。 彼は髪を切ったばかりで椅子に腰掛け、こちらに背を向けて座っていた。 鏡が、実に男らしい穏やかな笑いたたえた顔を写している。 彼は満足そうに手を広げる。 まだ私服のままだ――アーミーグリーンのドリルの半袖Tシャツ、 左の胸に英語で「アメリカ軍」と縫いとりがしてあるのと、褪せた青いジーンズである。 伸びをするかと思ったら、不意にその手を頭の後ろに回し、 新しく刈ったばかりの短くなった髪を何気なくいじる。 機嫌は上々らしく、メイク師と話に花が咲いているようだ。
ジャズの音(ね)が、高く広い天窓のある白い空間に響いている。 ニューヨークから来たカメラマンと助手は機器の設置に忙しく、 ソファーでは、スタイリストとプロデューサーが小声で話をしていた。 彼が奥の部屋から出てきた。黒いジャケットと真っ白なシャツに着替えている。 みなが彼の方を見る。 この突如現れた、まごうことない凛然とした気にどうしても引き寄せられてしまう。 彼は軽く咳をし、まっすぐ撮影場所に向かって大股に歩いてきた。 目は炯炯と前方を凝視し、突然不思議な迫力ある光が輝きわたる。
23:40更新
台北日本人学校
「日が真っ青な空から照りつけて、 教室の前の長い長い大廊下が、強い日差しのもとで白く光っていました。 口もとにうっすら髭の生えた中3の男子生徒と、 まだ子どもの小1の生徒が、どたどたと走り抜けます」
「私たちの台北の学校には池があり、鴨や亀やカエルや、それに鯉までいました! 制服はなく、あの重たいランドセルも背負わなくてよかったんです。 先生は全員日本から来た人で、3年で入れ替わります。 小学部の子たちが突然転校してきたり、 また突然日本に帰ったりするのは、いつものことでした。 学校は楽しく、日本の学校よりずっと開放的でした。 1、2年生で、現地の日中ハーフの子たちが大勢入学してきました。 日本語がぜんぜん話せず、内緒話のときは集まって中国語で話していました。 もちろん、陰口なんかもきいていましたが、 別にどうということはなく、みなとても親しかった。 高学年になる頃には、クラスで日本語の話せない人は、もうほとんどいませんでした」
これは、台北日本人学校で9年間の義務教育を終えた 日本人の女子高生の回想である。 金城武は、この生徒の先輩に当たり、まさに彼女が語った、 あの「入学したときは日本語は全く話せなかった現地の日中ハーフの子」である。
金城武の母親は台湾人、父親は沖縄出身の日本人だ。 1973年、台北の万華に生まれた。2人の兄がいる。 母親は日本語が話せたし、事業で日本と台湾を往来していた父親も ある程度中国語が話せた。 「台湾生まれで、子どものときから家ではずっと台湾語です」 台北の天母に引っ越した後、 彼は日本国籍の生徒を募集していた9年制の日本人学校に入学する。 混沌たる少年時代がここに始まった。
学校での昼食は母親の作る弁当だった。 母の得意な台湾のおかずが詰められており、 「もし、お母さんが間に合わなければ、おばあさんも作ってくれました」 金城武は母方の祖母を「ナイナイ(父方の祖母)」と言った。 「2人とも、とても料理が上手なんです」 思い出にとらえられ、どうしていいかわからなくなっているかのようだ。 「今ですか? おじいさんもおばあさんも、ひっかかっちゃいました」 わざと軽い口振りで言う。
学校の伝統行事では、クラス合唱をしたり、 教師が台をしつらえて焼きそばやお好み焼きや焼き鳥の店を出したり、 また、地面に大きな水盤を置き、子どもたちがしゃがんで、慎重に金魚すくいをする。 暗くなっても人は去らず、明かりをつけて太鼓を叩き、手を打って踊り、 体育館の上空にはまんまるい明るい花火が上がった。 学校中が盛り上がるとき、子どもの頃の金城武は、何人かの仲良しとずらかるのが常だった。 「ぼくはぜんぜん積極的に参加しませんでした」と彼は言う。 「逃げ出して学校の斜面にのぼり、“照明係”よろしく、 下にいる人たちを懐中電灯で照らして、大笑いしてました」
その頃、読書もしていて、飛んで行った図書館に、日本の伝奇小説『怪人二十面相』があり、 興味をひかれて読んでみたことがあるが、話は覚えていない。 20数年後、自らが本の中の伝奇的大怪盗となるのは、まだまだ先の話である。 時は図書館の時計と同じように、ゆっくりゆったり、流れていた。 もっと熱中していたのは、友達から借りたお笑い芸人志村けんのビデオとマンガである。 腹を抱えて笑しながら、一方では、 「あの時代に、どうしてこんなことができたのだろう? 全部生放送で、あの大道具小道具、あのタイミング、あのギャクが?」と、好奇心を募らせていた。 有名になって、やっと憧れのお笑いヒーロー志村に日本で会うことができ、 CMで共演することになったのである。 「本当に光栄でした」
ゲーム好きは当時からで、やりすぎては母親に叱られた。 が、上に政策あれば、下に対策ありーー兄と布団にもぐりこみ、こっそりゲームを続けたのである。
金城武の母親は厳格というよりは、むしろ開けた人と言った方がいい。 まもなく正規の学校教育を受けようとしているのに、 日本語が話せない息子のことを「全然心配しなかった」。
私は、当時の彼と同じような背景を持つ6歳の日中ハーフの子のことを話した。 日本語が話せず、1人家に閉じこもってゲームをしているのである。 「その子は家で1人きりなの?」彼が条件反射のように、突然質問した。 「そうです」と私は答える。 「子どもは自分で成長するんだよね」 金城武の口調はすっと沈んだ感じになり、あたかも思い出の中に入り込んでしまったかのようだ。 母親の代弁をしているようでもあり、自分自身の体験を語っているようでもある。 「きょうだいがいなくちゃいけないね」 彼は真剣に言い、インタビューは心理相談のようになる―― 「ぼくには兄弟がいたし、友達もたくさんいたから、困ったことは何もなかった。 両親も何とも思っていなかったし。 日本語は学校に行って次の年にはもう大丈夫になっていました。 もし子どもが寂しがっているのなら、とてもかわいそうだと思う」
少年時代の暮らしは、いつまでもほこりっぽさと汗の熱気と共にある。 混沌としてぼんやりしているが、忘れがたい。 「どの用務員さんたちとも知りあいでしたよ。 卒業後に何度か学校を訪ねて行ったのも、用務員さんに会いに行くためでもあったんです。 先生たちはとっくに台湾を離れていましたから。 みんな、ぼくの顔を覚えていて、校内に入れて遊ばせてくれました」 世は移る。 「学校には、もうだれも知っている人はいません。 行っても、会いに行く人がいないんです」 (続く)
BBS ネタバレDiary 1:30
|