武ニュースDiary


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2009年10月16日(金) 金城武に会った!

私じゃないです……あたりまえ。

百度の掲示板である人が、あるブログに、
同僚が仕事中に金城武会えてうらやましいと書いてあるのを見つけました。
そこで、その幸運な同僚のブログを探し出し、事の次第を知ったそうです。
その書きぶりから、おそらく筆者は台湾の客室乗務員で、
武は国慶節の休みを過ごしにいったのではないかと推測しています。

まずそのうらやましがっているスチュワーデスの日記は――



同僚が金城武を乗せた

私の同僚がなんと金城武を乗せたそうだ!!!!!!!
はあー〜〜〜いいなあ(なんでそんないいことが起こるんだろう!!!!!!)
どうして、彼は1日遅らせて今日台湾に帰らなかったの〜〜〜
私もあなたを乗せたいよ〜〜〜
そうしたら、絶対ビジネスクラスに居座って動かないと思う。

ラン・ジェンロンを乗せた人もいるのよ。
私なんか、師太(多分台湾のベテラン女性歌手、黄小琥のこと)とか、
よく知らないX-Japanなんだもの。
これからは毎日神様にお祈りしよう。
私も金城武に会いたい。
(2009.10.1)


そして、その同僚さん。



金城武

ボーディングのとき、軽装で漁夫帽(「左右」の香港?プレミアのとき、長髪にかぶっていた、
やわらかいツバ広の帽子だと思う。請う御教示)
を目深に被り、
マスクをした男の人が乗り込んでいった。
その人がマスクを少し下げたとき、私は目を見張った!!!

この鼻、この目……それにビジネスクラス……いや! 絶対芸能人だ!!!
(私はかっこいい男には大変敏感なのだ)
そこで、こっそりと観察し始めた。
帽子とマスクをとったら、
神様!!!! 金城武だ!!!!
私は舞い上がった!! だって、すごくかっこいいんだもの!!!
うっすらヒゲをはやして、眼鏡をかけていたけど、それでもただ一言、
かっこいい!!!

今日のパーサーはたまたま彼の大ファンだったが、
彼女はすごい。
キッチンでは見るからに興奮して地団太踏み、
「超かっこいい〜〜〜(日本語)」と言ってるのに、
一歩客室に出ると、たちまちきりっとした様子に変貌するのだ。
私はミーハー気分を隠しきれなかったよ(笑)。
金城武さん、ほんとに素敵〜〜〜〜〜
(2009.10.1)


アメリカで「発見」されたり、台湾行きの飛行機で目撃されたり、
点しかわからない金城さんの行動。
どちらも、休暇中と思えば思える行く先だし。
でも、このブログを見つけた人も、その報告を読んだ人も、
少しでも消息がわかって幸せ、と喜んでいます。
私も素直にそう思おう。



 BBS   ネタバレDiary 更新  12:50


2009年10月13日(火) 金城武ミニストーリー��

続きです。


(3)金城武とコックリさんをする

林雲大師の灌頂に参加した後、金城武が、友達のT君の家で除夜ををすごそうと提案した。
友達のT君とは、金城武の一番仲良しの日本人の同級生で、
民生東路円環の名人ビルに住んでいた。
その夜、ぼくは金城武と同僚のMを乗せ、T君の家まで車を走らせた。
先に新中街のセブンイレブンでおやつとビールを買い込んで……

家に着くと、T君の両親がとても親切に挨拶をしてくれ、ぼくとMは過分なもてなしに恐縮した。
(日本人はみなこんなふうに親切で礼儀正しいんですよね)
金城武は日本語でT君とご家族と話をしていた。
どうやらT君とは相当よく知り合った仲らしい。

その後、T君の両親は寝るために部屋へ引き揚げ、
ぼくらはリヴィングで「酒を飲み楽しく騒いだ」。
……実際はただ、ゲームをやったり、おやつを食べたり、ビールを飲んだだけだったが。
やがて、金城武が銭仙(コインでやるコックリさん)をやろうと言い出し、
T君に大きな白い紙を用意してくれるように言った。
Mは筆をとって白紙にたくさんの円を描き、たくさんの違う字を書いた。

「ああー、コックリさんをやるの?」
ぼくは不意に怖くなった。
なぜなら映画でそういう碟仙(小皿を使うコックリさん)とか銭仙をすると、
後で恐ろしいことが持ち上がるからだ。
それにぼくはやったことがなかった。
それで「よくないよ、ぼくはやらない」と言うと、
「だめだ! ここに来たからには銭仙をやらなくちゃ」
と、金城武が厳しい顔で、少し脅すような感じで言う。
そこでぼくは「やむなく」一緒に銭仙をやることになった。

金城武が10元硬貨を1枚出し、3人はそれぞれ右手の人差し指で硬貨を押さえる。
金城武が口の中で言葉を唱えるのが見え、「神様の呼び出し」が始まった。
(ぼくはやったことがないので、よくわからないところがあるが)
それから質問を始める。
実を言うと、ややマユツバでもあるのだが、コインはひとりでに動いているようでもあり、
またぼくら3人の力で動いているようにも思える。
覚えているのは、金城武がこう質問したことだ。
「ぼくの新しいアルバムは何枚売れますか?」
(そのとき、彼は「温柔超人」を出したばかりだった)

なんと、コインはどんどん動いて、「8」の字を書いた後、止まった。
「わあ、たった8万かあ」
彼は「8万枚」と考え、少しがっかりした。
(なぜなら、当時ジャッキー・チュンの「吻別」や陳淑樺の「夢醒時分」は
いずれも100万枚以上だったからだ)

翌日朝早くから、金城武はまたCDのプロモーション活動を続けた。
会場に彼を送っていったとき、あまり気分が良くなさそうだった。
まだ、あの「新アルバムは8万枚しか売れない」が気にかかっているのだろう。
これが、金城武とコックリさんをしたいきさつである。

(4)遺失物のお知らせ:金城武の顔写真

遺失物のお知らせです!
金城武さん、あなたの顔写真はぼくのところにあります……

さて、金城武のデビュー時、ぼくとは同じ放送会社にいた。
後に、ぼくはパブを開き、
金城武は外国での撮影から戻ってくると、きまってぼくのパブに来てくれた。
あるとき、店を閉めようとすると、床に写真が1束落ちているのに気がついた。
これこそ、国際スーパースター、金城武の顔写真だったのだ。
おそらく、証明書類のために必要だったのだろう。

が、その頃ぼくはパブのことでとても忙しく、おまけに彼の事務所も移転していたので、
しばらく連絡がとれなかった。
そのため、今に至るまでこの写真を返す手だてがなかった。
その後、この写真を人に見せびらかすと、
いつも彼のファンが、その写真をくれとぼくを拝み倒すのである。
情にもろいぼくは、彼のファンをがっかりさせないため、こっそりあげたので、
今は2枚しか残っていない……

PS 金城武君、もしこの文章を目にすることがあっても、ぶたないで。
残った2枚は返していいですから。それと、黄子佼も1枚くれと言ってますが……


*黄子佼はみなさんもご存じの、あの小柄な司会者です♪


 BBS   ネタバレDiary  0:05


2009年10月12日(月) 金城武ミニストーリー��

昨日のお誕生日のみなさんのメッセージを拝見すると、
いろんな方がいろんな出会いをしているのに、ちょっと感動しました。
思わず笑ってしまうユーモラスなお話もあり、優しい気持ちになれる気がします。
みなさん、ありがとうございました。

さて、ネタバレDiaryの「投名状」コメンタリーは果てしなく続きますので、
ちょっと別のことも。
KIMIKOさんが教えてくださったm(_ _)mブログ主さんは、金城武とフーロンで一緒だった人のようで、
当時の武との思い出を、今のところ4回、書いています。
生活感があって、なかなか貴重な話です。



(1)金城武が描いた漫画

大スターの金城武はデビューしたばかりのころ、
いつも事務所で大人しく仕事が来るのを待っていた。
ぼくはその頃「フーロン放送」番組部に勤めていた。
金城武はいつもぼくの席の前に座って、マンガを描いたりして、
仕事を待つ時間を潰していた。
ある日、ぼくが台本を書いていると、彼は、ぼくにマンガを描いてあげると言った……

(ほんとに女が欲しいんだ)
*絵は本家で見て下さい。

そして、こんな絵を描いてぼくにくれた(右下の隅にサインがある)。
「セリフは君の心の声だな」とぼくは言った。

当時、金城武はもう個人アルバムを出していたが、仕事はほとんどなかった。
テレビ局から仕事が入れば自分で駆けつけなければならず、
事務所は広報の人間を一緒につけてくれることはなかったから、
ぼくはこの新人のことを、実に気の毒だと思ってみていた。

そういうとき、彼はいつもぼくに車を貸してくれと頼んだ。
ぼくがその頃乗っていたのはプジョー205のマニュアル車で、
彼に車を貸してくれと頼まれるたび、本当は全然気が進まなかったのだ。
なぜかというと、フーロンのあたりは本当に車が停めにくくて、
出勤のたびに、駐車場所を見つけるのが一苦労だったからだ。
(ときには路地に停めたりしたが、駐車料は浮いた)

ある日、彼がまた車を借りたいと言ってきた。
「なぜ?」
「テレビ局の仕事があって急がなくちゃいけないんです」
「だめだ、今やっとちゃんと駐車したところなんだから……」とぼくは答えた。
すると金城武は、あらゆる方法で甘えながらぼくに頼みこんだ。
「戻ったらちゃんと駐車するから……すごく気をつけて運転するから……お願い!」
という具合だ。
いつもこうやって、ぼくを断れない気持ちにさせてしまうのだ。
「わかったよ! 帰ってきたら必ずきちんと駐車するんだぞ」
そして、キーを渡してやった。

その後、会社からぼくに彼に車を貸すなとお達しがあった。
彼が不必要な面倒を起こすのを心配したのだ。

1994年、金城武は「温柔超人」を出したばかりのとき、
売上をとても気にしていて、ずっとふさいでいた。
会社の女性の同僚Mのおじさんは密宗の林雲大師で、
その頃ちょうど帰国し、大晦日に幸福を祈る法会を行うことになった。
そこで、Mはぼくと金城武を連れて参加することにした……

(2)林大師灌頂記

大晦日の夜、家族と年越しの食事をすませると、ぼくは車でMと金城武を迎えに行き、
一緒に林雲大師の修行所に向かった。
林雲大師の修行所はそのとき、長安東路にあるビルの最上階にあった。
ぼくらがエレベーターに乗る頃には修行所は人で埋め尽くされていた。
みんな大師の名を慕ってこの活動に馳せ参じたのだ。
Mはとても熱心にぼくらをおじさんに紹介した。

やがて儀式が始まった。大師は人々の幸せを祈願し、
それからいよいよメインイベントだ……
みな一列に並んで1人ずつ林雲大師に灌頂(かんじょう)加持をしてもらうのだ。
Mはぼくらに、今日の活動に参加した人は、みな紅包を包んで気持ちを示すのだと話した。
ぼくらは2人ともよくやり方を知らなかったので、用意してきていなかったし、
いくら包めばいいかもわからない。
でも、Mが「大丈夫、気持だけでいいから」と言うので、
ぼくと金城武はしばらく相談したあげく、ぼくは紅包に200元包み、
金城武は米ドルしか持ち合わせがないと言って、1ドル包んだ。

その日、会場には200人以上信者が着ていたから、
バルコニーまでびっしり人で、30分ぐらい並んで順番が来た。
林雲大師がその不思議な力を持った両の手で、ぼくらの頭から気を通すと、
身も心もたちどころに心地よく、元気百倍になった気がした。

その日の儀式の最後に、1人1人に煮卵が配られた。
その卵の殻をむき、東へ向かって100歩あるき、天に向かって放り投げる。
こうすると、この1年の悪運を払うことができるのだという。
そこで、ぼくら3人は大勢の人に交じって一緒にエレベーターで下に降り、
真夜中の長安東路を東へ100歩あるいて、卵の殻を空中に放り上げた……
(翌日、通行人が、どうして道が卵の殻だらけなのか、不思議に思ったに違いない)

この加持の後、金城武の芸能界での仕事はとんとん拍子にのぼり詰めて行った。
もちろん彼自身の努力も、誰もが認めるところだが、しかし……
同じように大師の灌頂を受けたのに、
どうしてぼくはいまだにこのように黙々と無名のまま、何事をも為し得ないでいるのだろうか。
たぶん、努力がまだ足りないのだろう。
だから、もっと頑張らねば。頑張れ! 頑張れ!

*後になってMが紅包に入れた金をぼくらに返してくれた。
おじさんは袋だけを収めたのだそうだ。  (続く)


 BBS   ネタバレDiary   19:00


2009年10月11日(日) 生日快楽!

金城武さん、お誕生日おめでとうございます!

   
    大連でキャッチ!2

ネタバレDiaryにメッセージをいただく場所を設けました。
(もちろん、ゲストルームの方でもけっこうです)
みなさんのお祝いの言葉を読ませていただきながら、
ひとり、じん、としています。
関係ない私が心打たれるのですもの、金城さんに届くといいな。

ぎりぎりになってしまいましたが、ささやかな企画もお知らせしています。
ごらんください。

(追記)Dolphinさんのサイトで、お誕生日祝いの自作メディアを見せていただきました。
この人の笑顔には本当に癒されるなあと。
見ていると、自分まで思わず頬がほころんできてしまいます。
武さん、一番新しい笑顔を、また見せて下さいな。
Dolphinさん、こちらからありがとう♪


 BBS   ネタバレDiary 更新  22:50


2009年10月05日(月) もうすぐお誕生日♪

もうすぐだなあ……何か楽しいことしてお祝いしてあげたいなあ……
と思い始めて、気がつくともう間がない! というのが毎年のパターン。
今年も1週間を切ってしまいました。

金城さんが見てくれるかわからないけれど、でも、気持はきっと届くよね!
と、泥縄ですが、今年も多分ネタバレDiaryのほうで企画をしますので、
近くなったら、ご覧になって下さい。

ちょうどお出ましのない時期なので、私たちで自主的に盛り上がりましょう。

お誕生日とは別に、「投名状」香港版についている監督コメンタリー翻訳に、
(無謀にも)取り組み始めました。
ネタバレ中のネタバレですので、これもネタバレDiaryに随時アップします。


 BBS   ネタバレDiary 更新   21:50


2009年10月01日(木) 偶像物語 金城武��

スター・ストーリー 金城武��

     

Click!

武 1994年はもうすぐおしまい、まもなく終わります。
そして……実は今年は、ぼくにとって大きな変化のあった年でした。
仕事面では、たぶん、こんなに歌を歌わなくなったんだ、
映画を撮るようになったんだなと思われたんじゃないかなと思います。
たくさんの映画に出たことは1つの変化でした。

音楽の方では、みんな、ああ、陳昇、陳昇、と思ってる。
でも、昇哥は、さっき言ったように、もうぼくのためにCDを作ってくれる時間がないんです(笑)。
自分でやるように変わらなければいけない。
多分、会社がいいプロデューサーを探してくれると思います。
会社も、「昇哥、昇哥」という感じはなくしたい、
金城武自身の感覚が生まれてほしいと考えているからです。

ぼくも、いつでも作曲を頑張っています。
例えばこのアルバム「標準情人」には、ぼくが作った曲は1曲だけしかありませんけど、
今回は新しい歌を試しています。
以前は曲を作るだけで、詞は書いていませんでした。
それは、学校では日本語を勉強したからです。
ぼくは詞を書けるんですよ、でも日本語だから、誰も意味が分からない(笑)。
だから曲を書くだけで、その後、比較的知名度のある作詞家に、詞を書いてもらっていました。

でも、このアルバムでは、1曲だけ作っていて、詞も曲も自分で書いています。
会社がそれを遣ってくれたので、ぼくもうれしいです(笑)。
ちょっと進歩したなと思えて(笑)。
でも、今、詞を書いているところです。このCDのこの曲よりちょっといいと思う。
だから、もしこの歌のこと、あまりよくないなと思っても、なんだと思わないでください。
進歩中ですから。

このアルバムも大きな変化があります。
つまり、見えますね、こっちのデビューアルバム(「分手的夜里」を見せる)のこんな顔から、
こんな顔に変わっています(と「標準情人」を見せる)。
顔が傾いてる(笑)。
いや、たぶん多くの人が少し大人になったと思ってくれるんじゃないでしょうか。
それは会社も、ちょっと大きくなったと思ってくれています。

成熟した味を出す試みをしていて、例えばこんな写真。
(敷物に横になっている付属のブックレットの写真ページを見せる)
こういう感じは……いわゆる男のセクシーさ(笑)。
今言った感じはあまり強くないのは知ってますが、でもこれは新しい試みなんで、
少し大人になったという雰囲気を感じさせる。
ぼくにとっては、すごく勇気のいる試みでした。
例えば新しいヘアスタイル、新しい服装、新しい雰囲気、新しい曲風。
今回の曲風として、比較的難度の高い歌を歌っています。
少し大人になった感覚にしたかったからです。

ああー、標準情人(基準を満たした恋人)ね……実は……
何ていうか……いわゆる恋人の基本というのは
ぼくにとっては……真心を尽くすこと。
お互いに騙さないことが一番の基本だと思います。

夢はいくつかあります。いつ実現するかわからないけど、大きく言って4つ夢があります。
1つ目の夢はつまり……CDのプロデューサーになりたいんです。
というのは、歌を作るのが大好きだから。なぜかわからないけど。
多分下手だと思う。でも歌を作ってる感じはすごい(笑)、すごいと思います。
歌を書いているときは、うっとりしながら歌って、ずっと歌い続けて、それが鼻歌になったり。
歌い終わると、自分で涙を流して、うん、本当にいい歌だって思う。
ところが人に聴かせると、大笑いされるんですよ。そういうことがしょっちゅうあります。
でも、あの感覚が好きなんだなと思うんです。
自分で自分の世界にうっとりしてイメージをふくらませる、そういう感じがとても好きですね。
だからプロデューサーになりたい、これが1つ目の夢。
少なくとも自分のCDのプロデューサーにはなりたいけど、
一番いいのは他の人のプロデューサーになることです。
だって……わかるでしょ、みんなが「わー、プロデューサーだ」と思ってくれる(笑)。

それからもう1つの夢は、マンガの本を出すことです。
ぼくはマンガが大好きで、絵を描くのが大好きだから。
ストーリー漫画は描けないんだけど、4コママンガをちょっと描ける。
誰も書いてないようなのを描きたいんです。
それは、芸能界に自分がいるから、芸能界の中のことを4コママンガで表現する。
人が知らないいろいろな経験を描きたいですね。
この夢は早く実現できるといいと思う。

それからまた1つの夢は、毎年1つ、新しい言葉を覚えること。
言葉ができれば、どこへ行っても怖くないから。
話せて、コミュニケーションができれば、人に騙されなくていいからです。
スペイン語の勉強から始めたいと考えています。なぜかって?
スペイン語は日本人にとっては比較的やさしいから。
スペイン語の発音はローマ字書きだから日本人には割合簡単です。
スペイン語の特徴として、巻き舌がとても多いんです(グルルルと実演)が、
ぼく、できるんですよ。だからきっと早く覚えられると思います。

そして最後の願いは、いつか……この願い、夢は言ってみるだけなんだけど、
監督になりたいんです。
もしも監督になれたら、映画を1本撮りたい。
その映画は多分金城武の自伝(笑)。多分誰も見ないよ!
これは言ってみただけ、実現するかどうかはわからない。夢なんです。

新しい年が始まりました。
すべてのテレビの前のみなさん、新年は、夢がすべてかないますように。
そして今年は亥年です(と豚の貯金箱を手に取る)。
みなさん、健康で、いい年でありますように!  (完)


これで終わりですが、最後にこんな告知が出ます。

もし、金城武の恋人の基準がわかったら、答えをお寄せ下さい。
香港九龍紅[石其]力 信箱84222号

金城武とまる1日楽しく過ごせるかもしれませんよ。
締切 1995年1月31日

ということは、香港の番組なんですね〜!。
でも、香港の観客を特に意識しているふうでもないし、
台湾の番組を同時に香港でも放映したのかしら?



 BBS   ネタバレDiary  コメントありがとうございます♪    8:20


2009年09月29日(火) 偶像物語 金城武��

続きます。初めてのドラマ出演の話から始まります。


スター・ストーリー 金城武��

     

      Click!
  
武 本当は歌を始める前、さっき言いましたけど、連続ドラマに出ました。
先に……なんというのかな、先に演技をやっていて、これがデビューなんですが、
でもCDを出す方が、プロモーションをするから人の目に触れる率が高くて、
より多くの人に知ってもらえる。
だからどっちかというと、CDのほうが正式デビューだと思われてしまうんです。

でも、ぼくはCDの前に1本ドラマに出てました。8時からの。
林福地監督です。出演は、郎さん――郎雄で、ぼくは郎雄の息子をやりました。
他にも、例えば……あ、ああ〜、ド忘れしちゃった、大勢いました。

ぼくの役はあまり勉強が好きでない男の子で、反抗的で、
外に行っては喧嘩している。
ドラマは北京語ですが、台湾語を話す人もいっぱい出てきます。
それは村の人の苦しみを描いているからで、外国で勉強して帰ってきて、
愛情の問題にぶつかっている。

ぼくが初めてドラマに出たときは、実はもう好奇心いっぱいの気持ちだったです。
もっといろいろなことが学べるかも!って。
CMをやっていたから、少しだけど基礎があって演技をするんだと、
ちょっと自信はあって、ドラマに出たんです。
ところが、行ってみたら、初日のことは今でも覚えていますけど、
それは生まれて初めての撮影でもあり、
ちょうどドラマの撮影自体の初日でもあったわけです。

ぼくの最初の出番は、一言だけ、「そんなことないよ」、それだけでした。
このセリフを、20何回かNGを出したんです。
NGの原因は、監督は、感じが違う、と言いました。
20何回のNGで、1回ごとにどんどん緊張してしまって。
監督は多分かんしゃくもちょっと起こしてきて(笑)、毎回毎回、どんどん声が大きくなる。
しまいには、(イライラした口調で)「お前は演技ができるのか!」
「俺の芝居に出演した者には誰だろうと何点かはつけてやるが、
お前は零点だ!」とか、ね。

監督にどなられて、泣きそうでした。
だって、その日は撮影の初日で、大勢の人が取り囲んで、
「わー、撮影だ、撮影だ」って見ているんですよ。
大勢の人が、ぼくが叱られているのを、そこで見てる。
わかりますか、もうほんとうに家に帰りたくなるような気持ちです(笑)。
でも、南部での撮影だったから帰れない。
それで、すごく泣きたくなったけれど、芝居はやり終えないわけにはいかないから、
その場で「そんなことないよ、 という言葉は、一体どんな表情で言ったらいいんだろう、
どこが悪いんだろうと、ずっと考え続けていました。

何人もの人が話しをしてくれました。
監督はどんな感じかを話し、そのうえ演じて見せて、言いました。
「俺を見ろ、俺がやるのを見るんだ。こういうふうにやるんだよ」
それを見たら、今度は副監督がどういう感じでやるのか教えてくれるんだけど、
監督のと違うんです。
「こうやれば大丈夫なんだよ、早くやっちまおうよ」
それから(笑)カメラマンも、どういう感じか話してくれるんだけど、やっぱり違う。
しまいにはどの人の言うことを聞いたら叱られないのか、わからなくなってしまいました。

こんなふうにしてNG20何回出て、やっとOKが出ました。
その日はぼくは出番はそれ1つでしたよ。
終わると、がっくり来てしまって、演技はしたくないって思いました。
監督に叱られるのはとて恐ろしくて、叱られるのが本当に怖かったんです。
泣きたかった、なぜかわからないけれど。

これがぼくの第1作でした。その後、1日1日よくなっていきました。
だんだんと監督もぼくを怒らなくなり、NGの数も少なくなりました。
そして、全部1回OKになる日も増えてきたんです。
それでちょっと得意になって言ったりしました、
「これからはみんな、ぼくのこと、一発OKの大スターと呼んで」って(笑)。

ウォン・カーウァイ監督と仕事をしたときは、ほんとに面白い人で、
今日、ぼくらにあるシーンについて説明して撮ったとすると、
撮り終わったのに、次の日また同じシーンを撮るんですよ。
それで、「監督、このシーンをなぜもう一度撮るんですか」と聞くと、
「昨日の感じはよくなかったから、今日、もう1回同じ場面を撮る」と言う。
「どこが違うの?」と聞きました。
例えば、昨日は楽しい感じがよかったとすると、
彼は「ここは怒った感じがいい」と言うんです。
ぼくは、「おかしいですよ、昨日はあの楽しい気持ちで、
表情はこういうふうに、って話してたのに、
どうして今日は怒ったのがいいだなんて言うんですか」と言いました。
すると、彼は「俺を信じるな、自分の感覚を信じろ」だって(笑)。

最近撮り終えたのは、「チャイナ・ドラゴン」という映画です。
この映画がすごく印象的だったのは、お笑い映画だったからです。
最初から最後まで、ばかばかしく、人を笑わせる。
見たら笑わずにはいられない、そういう映画です。

実は、この映画で、気がついたんです、
映画に出るたびに、ウォン・カーウァイ監督の映画の……なんというのかな、
特徴に影響されているっていうことを。
ウォン・カーウァイは、ぼくに自分の頭で考えさせました。
どの映画でも、ぼくはアイデアをたくさん考えるようになったんです。

例えば「チャイナ・ドラゴン」で、監督が、
「次のシーンはこうこうで……こんな笑いどころがあって、とてもおかしいんだ」
と説明する。
いざ撮影になると、ぼくは一所懸命、監督よりもっといい考えを思いついて、
それを伝えたいと思うんです。
もし、OKならそれが使われるし、実際、たくさんのアイデアはぼくが自分で考えたものです。
そして「監督、見て下さい、今、監督はこうするって言ったでしょ、
もし、こうしたらもっとおかしくないですか?」と言うと、
監督は、「いいね、いいね、よしそれを使おう」と言う。
だから今回は、自分で考えなくちゃ、それを話そう、と思ったし、
頭の中にたくさんアイデアがわくのを感じました。
どの映画でも。なかにはあまり言おうと思わないのもありましたけど。
それは監督の言うとおりにすればいいと思ったからです。
でも、例えばコメディは、これはよくないなと思ったら、自分が笑えないんです。
自分でやってておかしくない。
自分が考えただけで可笑しくなるものじゃないと、笑えない。

この映画はすごく楽しかったです。特にハワイで撮影したでしょう、
で、1日に1つしか仕事しないんです、「チャイナ・ドラゴン」の撮影だけ。
撮影が終わると、みんな街に遊びにいっていいから、とても気持ちが楽でした。
この映画の撮影では、どのシーンでも笑いすぎてお腹が痛くなりました。
だから「チャイナ・ドラゴン」はぼくにとっては、新しい試みでもあり、好きな映画でもあるんです。  (続く)


 BBS   ネタバレDiary 21:45


2009年09月27日(日) 偶像物語 金城武��

黒松のCMが流れます。
ここからは、ずっと武の語りになります。



スター・ストーリー 金城武��

    

     Click!

武 芸能界に入った動機は、実はアメリカンスクールに行ってから、
CMに出る機会があったんです。
それは学校の生徒のお母さんが広告会社に勤めていて、
その会社で、あるとき1本のCMを撮ることになって、
ぼくらの学校に来て、出演する人間を探したんですよ。
何人か見つかって、その中にぼくもいました。それでCMに出ました。

このCMを撮った後すぐ、ぼくはアメリカに1か月行きました。
ゴルフを習いにね(笑)。ま、それはどうでもいいことなんですけど、
その後、台湾に帰ってすぐ、ある芸能事務所から電話があった。
それが今のこの事務所です。
ぼくと会って、芸能界で仕事することについて話したいと言われました。
映画に興味ないかと聞かれたり、歌を歌ったり、もっとCMに出るには、
事務所に入った方が仕事が来るよと言われたり。

それで会いに行きました。芸能界を知らなかったから、どんななんだろうと、
実はすごく好奇心が湧いたんです。
テレビではもちろん見たことがあるけど、でも昔は全然興味がなかった。
歌を歌うとかはね。すごく恥ずかしがりだったから。
その頃やっと、カラオケで友達の前で歌えるようになったのを覚えています。
本当に恥ずかしがりだったから。

で、わかりました、と会いに行きました。お母さんも一緒でした。
そのときは、まず歌から始めるのかどうかはわかりませんでした。
歌のテストをして、それからカメラテストも少ししましたね。
で、どうやら合格したようで(笑)、契約しました。

ぼくは、CDを出す前に、実は連続ドラマに1本出ているんです。8時台のです。
ぼくの役は郎さん――郎雄(ラン・シャン)の息子役でした。
他の人はあまりよく覚えていません。
その後、CDを出したんです。この(と手に取る)「分手的夜裡」です。

このCDはぼくにとって、とても大きな意味があります。
それはこのCDのプロデューサーが陳昇(ボビー・チェン)だからです。
陳昇はぼくにとって大変重要な人でもあります。
なぜか? さっき言ったように、芸能界に入った動機は、
もっとCMに出られれば、お小遣いがもっと手に入るってだけだったんです。
ところが、このCDを録音する前、これには1年をかけていて、
ずっと陳昇のところにいました。(「夏天的代誌」のMV流れる)

陳昇はぼくにとってはとても大事な人で、
それは今言ったみたいにぼくは芸能界に、ただお小遣い稼ぎに入ったんですが、
陳昇に出会って、彼はお小遣いを、音楽についての小遣いをくれたんです。
多分創作、自分で歌を作るということの。それで創作をしてみたいと思うようになりました。
このアルバムで、ぼくは2曲歌を書いています。
1曲は陳昇と阿��とコーラスしています。「好朋友(親友)」というタイトルの歌です。
この「好朋友」にはちょっとした話があるんです。

というのは、ぼくは曲を書いて彼に渡し、そのまま香港に、
あるプロモーションの準備のために行ったんです。
香港から帰ってきたら、彼がこう言いました。
「あの歌は、もう編曲済んだよ。歌詞ももうできてる」
歌を歌う日、録音室に入ってから、その歌詞を見せてくれました。
ぼくたちは録音室の、彼はあちら、ぼくはこっちにいて、歌詞を見せてくれたんです。
ぱっと見て、ぼくはすぐ言いました。というのは、ぼくが書いたのは恋愛の歌だったんですよ。
素敵な恋の歌を作りたかった(笑)。恋愛の歌詞を書いて彼に渡していたんです。

ところが、全部書き換えられていた。
そしてみんなでコーラスする「好朋友」の歌になってしまっていました。
ぼくは読んですごく腹が立ちました。で、言いました。
「昇哥、どうしてこの歌をこんなふうに変えちゃったんですか?」
彼はこう言いました。
「みんなでコーラスをしたかっただけだ。おれたちはいい友達(好朋友)だろう?
真の友達だったら、コーラスしていいじゃないか。
そんなに愛の歌ばかり書くなよ。そんなに愛の歌ばかり歌ってどうするんだ?
もっと有意義な歌を歌わないのか?」

それで口論になりました。
ぼくは、「こんなことしちゃいけないですよ」と言い、彼を責めました。
彼もぼくを非難しました。で、バン! と彼は出ていっちゃったんです。
彼はぼくにかんしゃくは起こさず、何も言わず、行ってしまったんです。
彼が録音室から姿を消してしまったので、ぼくたちは何時間も録音できなくなってしまいました。

ちょうどその間、録音技師が何をしていたのかと思ったら、なんと、全部録音していたんです(笑)。
録音してみたら、あの言い合いが、ちょうど「好朋友」の前奏の時間と同じだったので、
それが終わったところで歌を入れた。
録音技師は、ぼくらがこれをそのままCDに録音するんじゃないと思っていたけれど、
そのfeelingがすごく良かったんですよ。
つまり、言い争って、その後、録音をする、
それこそ、君の周りには親しい友がいっぱいいるよ、
ぼくらを忘れないでねっていう、そういう感覚そのものだったんです。
でも、会社は多分これはよくないと思ったんでしょうね、
その言い合いの言葉の部分は削られてしまいました。

今のところ、昇哥はぼくのプロデュースはしません。
でも、ぼくは歌ができると、時間があれば、
できるだけ彼のところに持って行って聞いてもらうんです。
ぼくの誕生日の日には、彼も一肌脱いでくれたし、ギターをくれました。
そのギターを、今もずっと使っています。
その他のことでは、あまり進歩していないですね。
多分きちんとした勉強をしていないからかもしれません。   (続く)


 BBS   ネタバレDiary   23:50


2009年09月25日(金) 偶像物語 金城武� 聞洪掘�

大陸のファンの間で話題になった、たぶん以前台湾で放映された番組(1995年ですね)、
土豆網にアップされていたのですが、ここの動画は、最近日本からは見られなくなってしまっていました。
それをDerrickのBBSでefLucyさんが見られる形に保存してくれていると、
赤壁さんのブログで知って、早速おじゃましました。

この映像は私は見たことがなかったです。
本人が現地を訪れて語っているのは、なかなか貴重ではないかと、
5つにわかれていますので、その区切りごとに訳してみます。



スター・ストーリー 金城武 ��

   

Click!

金城武の数々のミュージッククリップ。
やがて「夏天的代誌」の映像と、今の映像が重なり始める。

ジャングルジムを背に。


武 ここは雙連幼稚園といいます。この幼稚園はぼくが15−6年前、15、6、7年前ですね、
初めて入学したところが、ここです。
今日ここにきて、昔自分がここで遊んだり、それから多分友達とけんかしたりした、
ちっちゃな場所を見てみたいと思います。

すべり台をコツコツたたいて。

武 これはもう10年経ってる。前からあるんです。
ぼくはいつもこの穴を出たり入ったりしていましたから。

遊具を次々にのぼって。

武 この幼稚園はけっこう特別なところで、北京語クラスと日本語クラスがありました。
ぼくが入ったのは日本語クラスです。ぼくと兄貴と2人で。兄貴は1年上でした。
ぼくたちは登園も帰りも、毎日一緒でした。
ぼくと兄貴は小さい頃からひとつ困ることがあって、日本語があまりうまく話せなかったんです。
つまり……実はこの幼稚園に入ったとき、日本語クラスだったのに、
何が話されているのかわからないことが時々ありましたね。
先生が台湾語と北京語を話せるからよかったんですけど。

教室へ。

職員 日本語クラスは下の階ですよ。

武 2階だったと思うんですが。階段がありましたよ

「小班日組」と書かれた札を指さす。

武 ここは日本語の年少組ですか?

職員 はい、年少組です。

武 前から1階でしたか?

職員 年少組は前は1階で、年中と年長が3階でしたよ。

武 もう覚えてない。たくさん部屋があったのは覚えてる。
階段がひとつあって、部屋がたくさんあって。

2階へ。

武 この部屋。

職員 この部屋?

武 この部屋。この部屋が、ずっと探してた教室です。でも、今は休憩室になっちゃった。
多分、日本語クラスがどんどん人数が多くなったから、入りきらなくなったんだと思います。
この部屋は昔も教室ではなかったんですけど、ぼくらはこの部屋にいました。
こっちの教室に登園した後、ぼくたちはこっちに移動したんです。

中の子どもたちに手を振って扉を閉める。

武 卒業写真の1枚目は、ここで撮ったんですよ。

再びジャングルジムに寄りかかって。

武 雙連幼稚園を卒園すると、ぼくたち日本語クラスの子は
ほとんどみんな日本人学校に進みました。台北日本人学校です。




    Click!

舞台は日本人学校に移ります。屋上にするすると昇る武!?

武 幼稚園の後、日本人学校に入ったばかりのときは、まだ日本語があまりうまくなかったんです。
だから、ぼくとは遊ばないよ、っていう子が多かった。
遊ばないわけじゃなくても、変に思ったと思います、台湾人じゃないのかって。
「ああ、君は台湾人だね」って。

ところが、学校から帰ると、近所では、日本人だ、日本人だと言われる。
ちょっとそういう……分け隔てがありましたね。
でも、それは2年ぐらいでもうなくなりました。
たくさん仲のいい友達ができたし、つまり一緒に遊ぶ仲間ね。

で、ぼくは子どもの頃からずっと……体を動かすのが好きな方でした。
球技が大好きで、スポーツが大好きでした。

体育館にやってくる。

日本人学校の体育館です。ここに移転する前は体育館はなかったんです。
これができて、たくさんいろんなことができるようになりました。
コンサートもやりましたよ! 学校でね。

中に入る。

卒業するちょっと前に剣道部ができたんです。今はもう立派に活動しているようですね。
ぼくにはどちらかと言えばワルな……不良じゃないですよ、ちょっと腕白な友人たちがいました。
ここの舞台の下で、夜にここにやってきて、その親友たちとね、舞台の下でバーベキューしたんですよ。
信じる?

外に出る。

ここは運動場の裏の小運動場です。
あれを見て(と、昇り棒を指す)、あれがぼくらがいつも上に上ってご飯を食べたところです。

他の学校がどうだか知りませんが、日本人学校の先生には特徴があって、
威張っているというんじゃなくて、台湾の先生も生徒をたたくけれど、
こういうふうに棒を持って、こうたたくでしょ?(と身振り)
日本人学校の先生は直接手でこうするんです。(とビンタ&往復ビンタの仕草)
こうたたく、ビンタをする。
ぼくは1年生からたたかれ始めて、中学になったら、先生はやらなくなりました。
中学1年でもまだたたかれてたな、だからまるまる7年もたたかれたんです。(笑)
なぜたたかれたって?(と、げた箱の上に乗る)ぼくは腕白じゃなかったですよ。

この入口の桟の上にぼくの名前があります。
誰も知らないんです。友達の名前もある。
肝心なのは、誰にも全然見られないってこと。すごくわくわくしました。

時計に手を伸ばして、

この時計は、後ろにぼくらの名前があるんです。(と裏返す)
これが友達の名前。これはぼくが93年にまた来たとき書いたものです。
(「TAKESHI KANESHIRO '90 6/13 再度もどる」とある)
これは卒業時にサインしたときのもので(と左の自分のサインを指す)、
こちらが93年6月13日にここにまた来たときにサインしたもの。
サイン入りのこの時計が、ここがぼくらの教室だったという証拠なんです。

これはね、いたずらじゃなくて。ほんとに。自分の記録をこの場所に残したかったんです。
そして、友達と、いつかまた一緒に来て、またサインしようって話した。
そういう感じのもの。(時計を戻す)

屋上から、ぴょんぴょんと下まで降りてくる(冒頭のK-20ばりの屋上昇りは、実は下りてくるときの逆回しだったんですね)

でも、この学校にいたときは、いわゆるガールフレンドは、本当に1人もできませんでした。
好きな女の子はいたかもしれないけど、片思いどまりだったんでしょう。
ぼくも、なぜ誰にも好きになってもらえなかったのかわかりません。(笑)
自分を表現するのが下手な方で、ムースもつける勇気がなかったし、おしゃれな服を着ることもできなかった。
でも、卒業して進学したら、つまり向かいのあのアメリカンスクール、台北アメリカンスクールです。
この学校のときに、生まれて初めての恋愛をしたんです。アメリカンスクールで。

アメリカンスクールに入ったのは自分の希望だったのか、と聞かれるんですが、実は違います。
小さい頃から、その学校に行くものだと、もうわかっていたので、
どこかの学校にどうしても入りたいとか、自分で探そうとか、一度も考えたことはありません。
だからかもしれないですが、勉強はそんなにしなかったです。
しなかったんじゃなくて、スポーツの方をもっと努力したってことです。(笑)
なかでは球技が好きでしたね。アメリカンスクールに入学したら、スクールチームのメンバーになって、
シンガポールやフィリピンに遠征試合に行きましたよ。  (続く)


*BARBOがなんだかわかりません。ご存知の方、どうかよろしく。m(_ _)m
別の記事では、夜中に体育館に忍び込んで焚き火してボヤを起こした、と書いてありました。
追記 ウッチーさんからアドバイスいただきましたので、訂正しました。どうもありがとうございます♪



 BBS   ネタバレDiary   0:10


2009年09月24日(木) 我的第一個通告

ご本尊が、あちこち動いているらしい気配はあるものの、依然、雲隠れ状態ですので、
そのひまに、これもほんの話題として……
やはり台湾のバラエティ番組です。
金城武本人は出ていませんが、そこにいない芸能人の話題だけで
これだけ持ってしまうというのも面白い。

この「我的第一個通告」は黄國倫という台湾の著名な音楽プロデューサーで作曲家が
「先生」として司会し、毎回ゲストたちが生徒で出演する、という形かな?
ゲストのデビューの頃の映像をネタに、話題を盛り上げているようです。

これは、その番組の一部分で、ゲストが以前、金城武のMVに出演していた話から、
金城武本人の話題に移っていきます。
ゲストたちの反応を見ていると、台湾では憧れの的なんだなあという感じがします。

昔の番組で失敗した映像が出るので、かわいそうかな、と思うけど、
本人の反応が素直で可愛いし、ゲストも笑いながら目がハートなのがわかるので、
いいかな、と。

映像はこちら↓


我的第一個通告 金城武

     


黄國倫  これは、大変珍しい映像です。
レディーズ&ジェントルメン! 金城武のミュージックビデオです。

(「多苦都願意」のMV流れる。ときどき映るヒロインを演じているのは宋新妮。
歓声。一同 「かわいいー!」)


黄 私のこの番組の一番面白いところは、実はみなさん芸能人が以前の自分を見て、
ずっと昔に失われた当時のあの純真さや持ち味に再び出会うことなのです。
そのかつての持ち味を取り戻すなら、今のあなたはもっと味わい深くなるでしょう。

宋新妮 そう、あのときはまだ19歳でした。(一同 ワー!)

黄 今見た映像はどれもいいです。あなたの場面はみんなとてもいいですよ。
電話交換手の役だけど、とてもきれい、とても甘い感じがします。
そして、あの金城武とペアになると、同時に画面に登場はしないけれど、
とてもよくできたMVですね。

張秀卿 とてもいいわよ、ほんとに……

黄 もし、同時に出てきたら、よくなかったかもしれない。(笑)

宋 そんなことないですよ。城武〜、今度「赤壁パート3」を撮るときは、私を呼んで。

小樹 そんなに親しいの?(笑)

黄 みなさんに申し上げますが、デビュー当時の金城武は今とは雲泥の差だったんですよ。
(一同 えーー!!)
ひとつ、話をしましょう。金城武がこんなに人気者になるとは知らなかったからね、
彼は1996年……90何年かにデビューした。

宋 96年頃かしら。

小樹 そうだね。

黄 君たちに言いませんでしたかね、
真っ先に何年のこととか言出すのは年寄りだよって。

一同 95年(実は93年)

黄 95年、そのころ、葛福鴻――葛姐がぼくにこう頼んできた。
「金城武に歌を書いてくれない?」とね。
彼女はあるハンサムな若者と契約したんですよ。
ぼくはその子の声を聞いて、一言こう言った。
「彼は歌えない。どうしてぼくが歌を書いてやらなくちゃいけないんだ?」

(一同騒然)

宋 先生、すごい大物ぶって〜。

秀卿 自分よりハンサムだからって嫉妬したのよ。

黄 だってその頃ぼくがどんな歌を書いていたと思う?
四大天王に天后フェイ・ウォンの歌だよ。
つまり、ぼくは金城武の歌を聴いてみて、そのときはいいと思わなかった。
顔はいいかもしれないが、何も見るべきものはないんじゃないかって思ったんだよ。
ところが、事実が証明したね、今の彼は実に素晴らしい。

小樹 彼は陳昇(ボビー・チェン)に頼んで、幸いだったね。(爆笑、拍手)

黄 小樹! 気をつけたまえ、老木にしてしまうぞ!

小樹 先生、ぼく、他のものも持ってきています。
台湾で最初の写真集と、日本の写真集です。
(と、『真心遊紀』と『made in HEAVEN』を出す。一同、かっこいい〜とまた騒然)

黄 ちょっと、これ何みたい? ファッション・カタログだよ? (一同 笑って「うんうん」)
みなさん、この写真(と、ロゴ入りジャンパーの背を見せている見開きを見せる)は、
これ、写真集ですか? こんな写真集ってある? 顔が見えないじゃないですか。

小樹 彼は何でもかっこよくしちゃうんですよ。

宋 かっこいい〜〜

黄 金城武は、君がさっき言いましたが、陳昇とね、
彼は陳昇のアシスタントやってたんだよ。

小樹 そうです。彼はすごく音楽の才能があるんですよ。
さっきの新妮が出ていたあのMVの「多苦都願意」は、金城武の作詞作曲ですよ、先生。

宋 先生、どうします〜?

黄 なるほど、だから彼には私なんか必要なかったということだよ、
だって自分で歌を書くんだから。(笑) ……はい、小甜甜。

小甜甜 それと、ご存知ですか、彼は今どんどん国際的になっているけど、
前は農村ドラマに出ていたことがあるんですよ。
「草地状元」というタイトルで、おまけに台湾語ドラマだったんです。

一同 えー! 本当?

小甜甜 6時のドラマだった。

黄 金城武が!?

小甜甜 (うなずいて)初めての。

黄 本当に?

小甜甜 ほんと、ほんと。

小樹 「星星知我心」の監督でしょ、林福地監督。

小甜甜 そうそう。農村ドラマで。それからその頃、大Sと雪露のCMにも出ていた。
雪露のCMも人気あった。(そうそう、の声)

黄 金城武は日本に行って、国際路線を歩んだけど、成功したね。
演技者になって、今は国際クラスの芸能人に変身しましたよ。(一同 そうそう)

秀卿 國倫先生、ひとつ思い出したんですけど、昔、私はとても人気があったの、
知ってますよね?(一同 笑) 昔はね。(17歳のときでしょう、と声あり)
金城武はね、一度、高雄の体育館で一緒になったことがあるんです。
それで、その頃、私のあの「車站(駅)」の歌が大ヒットしていたので、トリを務めたんです。

黄 自分が人気があったと強調してばかりいるのをやめていただけませんかね。

小甜甜 秀卿さんが人気があったと強調するたび、私たち、あの昔の映像
(この番組の前の方に出てきた、17歳の秀卿の前髪をそろえた女の子)が
ずっと目に浮かんでるんですけど。(爆笑)

秀卿 おだまんなさい! 
それで、あの頃、私は絶対忘れないけど、あのときのコンサートでトリで歌ったんですよ。
そしたら、あの金城武がいたの。絶対私がトリなのに、変だなと思ったんです。

黄 なぜだったの?

秀卿 なんで、彼がまだ控えにいるんだろうって。
そこで、広報担当に聞いてくれって言ったの。
私がトリなのははっきりしてるのに――あの時代のトリはすごく大事だったの、
知ってます?

黄 そう、そう、一番のスターがトリだったんだ。

秀卿 そうですよ。
それで広報に「主催者のところに行って、どうなってるのか聞いて」と言ったの。
出演者たちはみんな帰ってしまって、そしたら、私たち2人だけ残ってたんですから。
(一同 2人だけで!? 2人だけで!?)
私も彼のこと、わざと知らんぷりしてたけど。(笑)
結局ね、聞いてわかったんですが、あのコンサートに彼は出なかったのよ。

一同 わあー! かわいそう。

黄 どうして?

秀卿 コンサートが長くなりすぎて、それで出番がなくなったのを彼が知らなかったんです。
あの頃は彼はまだ人気者ではなかったのよね。(一同 う〜〜)
黄 金城武にも端役の時代がありました。(一同 エー)
今日、国際スターになるとは思いもよりませんでした。昔の彼を見てみましょう。

一同 はい! 見たいです!

黄 とても見にくい映像だけど、いいかな?(一同 いいです!)
彼と、我らが張秀卿とどちらがブスか見てみよう。

(1992年の金曲龍虎榜の映像始まる)

瓜哥 今日ご紹介するのは、今年弱冠19歳、作詞作曲ができ、
同時に外見もたいへん優れ、
北京語、台湾語、英語、日本語が流暢で、非常に才能のある人です。
また、多くの若い女性が崇拝するアイドルでもあります。
いったい、誰でしょう。素敵な映像を見てみましょう。(会場 拍手、歓声)

(キーウィのデビューCMをはじめ、数々のCMフィルムのさわりが
「夏天的代誌」をバックに流れる。次に子どもの頃の写真が現れる。)


瓜哥 お迎えしましょう、金城武さんです!

武 (ギターを手に登場)瓜哥さん、こんにちは、みなさん……ワッ!
(花束を持ったファンが襲いかかるように次々渡していく。ついでにキスして去る者2人)

瓜哥 今さっきのあの若いおじょうさん、すごく迷ってましたね、
どこから手をつけたらいいかと。(会場 笑)

武 ありがとうございます。

瓜哥 何を歌ってくれるかな?

武 ぼくが大好きな歌で、「最后一次温柔」。

瓜哥 どうぞ……聞きましょう、いいかな? どうぞ。(会場 拍手)

武 (前奏に入るが、ふと止めて)間違えた。(会場 爆笑)

瓜哥 間違えても大丈夫ですよ。間違えたのを知って直すのが一番いいんですよ。

武 またすぐ間違えそう。

瓜哥 大丈夫、大丈夫。(会場、声をそろえて 「リラックス!」)

武 ありがとう。

(「最后一次温柔」のサビのところから。最後の一節、音を外す。会場拍手)

武 (恥ずかしそうに)ありがとう、ありがとう。(――映像ここまで)

一同 ワー! かっこいいー!

黄 見てわかったでしょう、なぜ当時ぼくが彼に歌を書かなかったか。(ブーイング)
実を言うと、金城武は本当に努力の人で、決して天性の歌手ではないけれど、
ギターを進んで弾こうとした。
で、彼の持っていたギターは、我々が若い頃一番人気があったOvationなんだよ。
実際、弾き語りは1つの技能だよね。
彼は間違えちゃったけど、でも可愛かった、そうだよね?

一同 すごく可愛い!

小樹 どうですか、もし、先生が彼のためにアルバムを作ってあげたら、
彼はやっぱり「我願意」(黄國倫の書いたフェイ・ウォンのヒット曲)を歌ったんでしょうか?
そうじゃなくてよかった。(爆笑)ほんと。

黄 彼は今のでは高音が上がりきらなかったけど、それは緊張のせいだよ。
でも、彼はハンサムだ……(と、動画はここで切れる)


 BBS   ネタバレDiary  13:45


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