武ニュースDiary

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| 2008年02月15日(金) |
「ロケーション・ジャパン」 |
という雑誌があるそうです。→ こちら
4月号は「死神の精度」特集だと、編集部からのお知らせ。 → こちら
BBS ネタバレDiary 8:15
| 2008年02月14日(木) |
「看電影」の記事・インタビュー�� |
これで終わりです。
友情の基準
――「投名状」は実は兄弟の情と義を描いたものですが、 最後にそれがひっくり返されます。 現実生活で、こういう兄弟の情義のような関係はありうると考えますか? あなたの今の境遇ではすごく難しいことでしょうかね?
武 ありうると思いますよ。 どんなときかというと、いろんな段階があるんじゃないでしょうか。 ぼくと友達との友情は、互いの信頼という基礎の上に成り立つものです。 相手の個性がどんなものか知っていて、押し付けがない。 でも、映画の中のような、集団を作ったり、党派にまでなったりするのとは違う。 自由自在で、取り決めのあるモデルは持っていません。
投名状は、あるモデルに照らして行動するもので、 最後には末弟の行動モデルになり、そのほかの兄弟の このモデルに対しての見方はどんどん外れていきました。 現実の生活では1つのモデルというのはないだけでなく、 ときには、ぼくは相手のことを親友だと思っても、 相手もぼくのことを親友と思ってくれるとは限らない、ということもあると思います。
――それでは、あなたは友人づきあいの基準をどんなものだと考えていますか? この話題をジェット・リーとアンディ・ラウとも話しました。 アンディ・ラウはこう言いました。 「ぼくの今のこの段階では、友人づきあいをするなら、経済的な要素は持ち込みたくない。 もし、そういうことがかかわったら、友達づきあいはできない」と。
武 彼らが言う「段階性」はとても重要だと思います。 兄弟の情だけでなく、恋愛、家族愛も、20歳のときと30歳のときとでは変わっている。 今おっしゃった基準は何か、どこにあるのか、答えはないんです。 というのは、人は絶えず変わっていく、相手も変わっている、 すべて過程だからです。
――「投名状」の姜午陽の残酷さは、恐れから出ています。 周りのもの一切を失うことの恐れです。 今の金城武は、大勢の人からずっと注目されて、羨む人も大勢います。 では、あなたが一番失いたくないものは何ですか?
武 生別でも死別でも、別れることは恐いですね。 一番身近なのは家族でしょ、 両親、兄弟姉妹、親戚友人、もちろん失うのは恐いです。 けれど、いつかは必ず失うのだと、友達も裏切るかも知れないのだと、 あるいは自分が人を裏切るかもしれないのだ、ということも考えなくちゃいけません。 そうであって初めて、選ぶということができる。 会社の仲間も同じです。 彼らが仕事をくれなくなる、そういうことだってありうることです。
――この映画は裏切りについても描いています。 もし、あなた自身が裏切りにあったとしたら、仕返ししますか? もちろん映画みたいな極端なのではなく。
武 「何か理由があったんだろうか」と考えてみます。 もし、本当に彼なりの理由があったのなら、こちらが何をしようと役に立ちません。 それに、年齢を重ねるにつれ、多くのことに出会ったり、 見たりするようになりますから、20歳のころに比べ、いろいろと考えるようにもなりますよ。 「彼だって苦しいんだ、どうしようもない。 自分にできるのは、できるだけ彼に合わせてあげること、 それでうまく行かないなら、ぼくだってどうにもならないさ」とかね。 映画を例にとれば、二虎には二虎の理由がある、ってことです(笑)。
恋愛の抗体
――最近の調査で、西洋の女性から見た、もっとも素敵な男性は金城武だったそうです。 自分が�狎こΕ譽戰襪里�っこよさ�瓩任△襪海箸鬚匹�思いますか?
武 ほんとですか? それはヒゲがあるから? それともないから?(爆笑) 他の人にきれいですねと言われると、きまり悪いですよ。 それは両親がくれたもので、ぼくが自分で得たものじゃないですから。 だから、人に褒められると、いつも恥ずかしい。 それに、努力の結果じゃないのだから、褒めるものじゃ全然ないんです。
――あなたは「傷城」でも「恋する惑星」などの以前の映画の役でも、 やや崩れたイメージがありますが、「投名状」はちょっと違っています。 自分ではこの役の造型は気に入っていますか?
武 特別な感じはします。お気に入り、とは言えないですよ。 自分で好きというのはかなり恥ずかしい(笑)。 いいんじゃないですか、彼には彼の味があって。 初め、ピーター・チャンがこの映画のストーリーを話してくれ、 ぼくが出演の返事をしたとき、彼はこう言ったんです。 「では、今からヒゲをそらないでいてくれるかな。 伸ばしてみて、どんな感じか見よう」って。 すごく新鮮な感じがした。試してみたことがなかったですし。 結果は案外悪くなかったですよ。清朝の服を着て、あの帽子をかぶって(笑)。
――普段の生活でもヒゲをはやそうと思ったことはない?
武 ぼくは実は普段はすごく気任せだから、 多分そんなにきちんと手入れできないと思うんです。 やっぱり仕事だから、きちんとできるってこともあります。
――ジェット・リーたちとの共演はどうでした?
武 彼の演技はすごくよかったと思います。 撮影に入る前に、彼とぱったり会って、言ったんです、 「『スピリット』を見ましたよ、すごく面白かったです。とてもいい演技でした」と。 彼の映画の中で一番好きですね。 でも、この映画(投名状)を、こんなに生き生きとやりこなすとは思いませんでした。 兄弟だけでなく、恋愛の芝居もあって、ああいう複雑な気持ちを、 ほんとに良く演じていたと思います。
――これまであなたはずっと恋愛映画をやってきていますが、 ジェット・リーの映画では、恋愛部分はいつも簡単に処理されていました。 それが、「投名状」では恋愛部分が逆に彼の大事な要素になっていて、 あなたの役にはそれがない。 恋愛がからまない作品は初めてですか?
武 「如果・愛」の撮影中、 「ああ、疲れた。もう恋愛映画はやめだ」って思いました。 その後に出た「傷城」は恋愛ものではなかったんですよ。
――でも、恋人はいたじゃないですか。
武 (笑)そうですね、でも役のメインは恋愛じゃないです。 「赤壁」にも恋愛なし! 諸葛亮に妻はいるけど、登場人物が多すぎて、出てくるひまがない。
――「赤壁」の話が出ましたが、諸葛亮役の打診があったときの あなたの最初の反応はどうだったんでしょう? すごい不思議な話だと思いませんでした?
武 初めて聞いたときは、「わあ、まさか」と思いましたね。 その電話の話が本当か嘘かわからなくて、 本当だとわかったら、今度は「なんでぼくに?」という気持ちがわきあがってきて。
もちろん、諸葛孔明役にはすごく興味を持ちましたよ。 そのころは「投名状」の撮影が終わったばかりで、すごく疲れていたので、 「赤壁」で唯一アクションをしなくていいのが諸葛孔明だ、というのが 理由の1つですけど(笑)。 それに子どものころからずっと、ゲームとか漫画とかで知っていたし、 あるいはみんな、何かというと「孔明が、孔明が」と言うでしょう?
彼は人があがめてしまうような、特別な人だと思いますね。 だから、この人のことをいろいろと考えるチャンスがもらえるし、 すごくいい経験にもなると思いました。 縁だと言えるでしょうね。 その上、「投名状」の撮影が終わってちょうど時間があったところで、 彼らは今すぐでも撮影にかかれるというので、 それで参加することにしたんです。 (完)
BBS ネタバレDiary 9:15
| 2008年02月12日(火) |
「死神の精度」売れ行き好調&新潟テレビ●「看電影」の記事・インタビュー�� |
『死神の精度』の文庫版、東京・神保町の三省堂本店で、 文庫の売上第2位になってました。 先日写真を張った文庫本売り場の他に、正面入ったすぐのところに 特設で平積みされ、映画の宣伝付きのポップも♪ 一般のお客の目にとまる、すごくいい位置で、かなり効果があると思われます。

また、地方テレビでCMしているとお知らせいただきました。
プレミアのときのキャスト全員が記念写真撮影みたいに整列して、 以下のセリフを言っているそうです。 テレビ新潟の地方CMらしいとのこと。
武「sweetrain」 小西「死神の精度は」 光石&石田「手と手とTeNY」
(TeNYは、テレビ新潟の愛称のようなもの?)
なんで新潟? ロケしたからかしら。他でも見たいものです。
●「看電影」の記事・インタビュー��
彼のやった役・姜午陽について触れている部分は、ネタバレとは言えませんが、 解釈を語っているので、まっさらにしておきたい方はご用心ください。
金城武 独占インタビュー 23:15
距離ゼロで触れてみると、金城武には矛盾する要素がたくさんあることがわかる。 彼のかっこよさは、既ににアイドルとして最高の境地に達したと感じることもあるが、 カメラの前でも後ろでも、スター風を吹かすことはいささかもない。
物憂げに見えるし、役の多くは今にも自殺しかねないものばかりだが、 事実は、ひとたび笑顔になれば、誰もが元気いっぱいになる。
昨日「投名状」で薄汚れたひげだらけ、殺気に満ちていたのが、 今日、「赤壁」では、軍師として、穏やかで上品な物腰だ。
実は、金城武は決してくるくると変化する人間ではない。 ただ、様々な映画の中で、常に出し入れ自在なだけである。 初期のウォン・カーウァイの映画で、青春の残酷のシンボルとなろうと、 後の、一連の、ハートフルな都会の物語に出ようと、 あるいは気迫みなぎる時代劇大作であろうと、 金城武は出演したそれぞれの作品に、 温かく心地よい姿勢を保ち続けているだけでなく、 そういう本来の姿を、うまく我々に伝えてもいるのだ。
――「投名状」は今まで出演した中でも、一番泣くシーンが多かったのではないですか?
武 はい、すごく多かったですね。 出演を決めたときには、こんなに泣く芝居があるとは思ってもいませんでしたし、 実際演じるときに、ああいう芝居にものすごく気持ちが入ってしまうとは、 もっと予想外でした。 台本を読んだばかりのときは、演技が難しいところがあるし、 役も表現の難しい部分があるけれど、他の2人の役に比べたら、 そんなに複雑じゃない、だって、ラブシーンが全然ないから(笑)、 割にやさしそうだ、と思っていたんです。
ところが終りのほうになったら、どうしてかわかりませんが、 どのシーンも兄弟についてのストーリーなのに、みんなとても辛くって、 ジェット・リーもアンディ・ラウも、2人ともすっかりなりきって、 そういう感情を演じ出していました。 彼らと一緒に演じることで、ぼくもそういう雰囲気にすっと入っていったんです。
――それは、監督が泣くように言ったんですか、 それともあなたが気持ちがそこまで高まって、自然に表現されたんでしょうか?
武 ほとんどの場合、監督が要求したことはなかったと思います。 実際、ぼくも他の人も、ごく自然にそういう風になったんです。 演技が終わると、ぼくは監督に聞きました、 今の、泣くべきじゃなかったですか、って(笑)。 監督がどの程度まで望んでいるのかわからなかったので。
――一昨日、ピーター・チャン監督と話をしたら、金城武は演技のとき、 抑えめにすべきだと言っていましたが、これに同意しますか? 彼の言っているのは、あなたをもう少し抑えさせる、 というのは、あなた自身の性格のほうがもっとぴったりだからで、 もし、演技としてさせてしまうと、かえってよくなくなるからだという意味なんですが。
武 そう……ですね!(笑) 彼がほしいのは、普段の様子を出すことだというのはわかっていますけど、 でも撮影してるとき、「こうじゃない、普段の自分をやるんだ」というのは無理ですよ。
――彼の言う意味は、姜午陽という役が あなた自身の気質に似ているということじゃないですか。 もちろん、あなたはあんなに泣かないでしょうけど(笑)。
武 こういうことですよ。彼はぼくに、姜午陽は子どもなんだと、 で、ぼくもときどき、すごく子どもだ、そういう感覚なんだと言いました。 その後、子どもは1人の兄貴と出会い、 ええ? こんな豊かな考えをもった兄貴は見たことがないよと。 おまけに話すことといったら、すごく筋道が立っていると、感じるわけです(笑)。
というのは、ぼくたち山賊の理屈と、 兄貴が語るもっと広い視野の理屈とは別のものだったからです。 このとき、彼の心が少し揺らぎ、この兄貴を好きになる。 このときが、おそらく彼が初めて成長したいと思った時期なんでしょう。
だから監督は、時によって、このときは子ども、 あのときはもう少し大人で、もう少し泣く、もう少し何々を、というように話してくれました。 もう少し抑えて、と言われたこともあります。 もちろん、ぼくは彼の言おうとしていることはわかります。 でも、じゃあ、具体的にはどういうことかもわからなくちゃいけない。
――あなたは涙もろいですか?
武 実はすごく涙もろいです、が、仕事だからというのではないんです。 特に仕事は、泣く芝居はすごく難しいですよ(笑)。 普段のちょっとしたことに、すぐ感動してしまうんです。
――あなたは感情の豊かな人だと思いますが、 普段は人との付き合いをあまりしたがらないですね。 マスコミとは会いたがらないと言ってもいいですが。
武 みんなそうなんじゃないですか。 どうして他の人みたいにイベントに参加しないのか、みんなやってるのに、 とはよく聞かれます。
結局、仕事の性質が違うと思うんですよ。 他の人はCDを出すことも並行してやっているでしょう? 仕事についての考え方も違っていて、 たぶんあの人たちはイベントも仕事の1つだとみなしているんだと思います。 ぼくは俳優で、芝居をするのが仕事、できるだけ良い演技をする。 撮影が終わって、ポストプロダクションも全て完成したら、宣伝をします ――これがぼくの今の唯一の仕事なんです。
積極的でない、というのは、おそらく、少し前の数年間、 ちょうどそうだっただけで、わざとじゃないです(笑)。 たまたま1年に1本だけだったので、 みんなに全然姿を現さないと思われてしまったけれど、 ぼくには映画に出ることしか仕事がないのだから、どうもできないでしょう?(爆笑)
――よい演技をするという話ですが、「ウィンター・ソング/如果・愛」のとき、 ピーター・チャンが言ってました。 あなたとは撮影の前に、役のことを何でもよくよく話しておかないといけない、 はっきりとわかりあっていないといけない人だと。 そうでないと、演技がしにくくなるとね。
武 (笑って)理解しなくちゃいけないことがたくさんありすぎるから、 なぜか、ということをはっきりさせたいんですよ。 脚本を受け取ると、ぼくはその全体の筋道を見ます。 ピーターはぼくに、論理を言っちゃだめだよと言うことがあって、 ぼくもそれは正しいと思う。 映画は夢まぼろしの芸術で、人を2時間部屋の中に閉じ込めて、 その2時間に見たものは本物だと信じさせなきゃならないんですから。 そのとき、論理を考えることはできませんよ。
ぼくはただ、「なぜか」ということの答えがほしいと思うんです。 「如果・愛」で言えば、なぜ、彼はあんなに彼女を愛しているのか、 ぼくにはわからなかった。 でも、絶対理解しなくちゃならない、それで初めて彼女を愛することができるんです。 理由がわかった、と感じて初めて、 それをどう適切に表現するか、笑うか、泣くかがわかるんです。
――今は、なぜ姜午陽が一方で冷酷に人を殺しながら、 一方では意気地なく泣くのか、わかりましたか?
武 わかりません(笑)。投名状のせいでしょ。でも、これも監督の解釈ですよ(笑)。 ぼくも聞いたんです。監督の解釈は筋が通っています。
つまり、今日、末弟がこういうことをした、その後の龐青雲を殺すのもそうですが、 彼はただ単に仇を討ったのではない、最初から最後まで、 彼だけが投名状を信じていたのです。 長兄はひょっとしたら投名状を利用したのかもしれないし、 次兄もおそらく投名状なんか認めていなかったのではないか。 末弟だけが、投名状を正しいものと考え、彼1人だけが黙々と信じていた。
だから、彼が後に犯した殺人は、投名状でみんなが誓った言葉、 それを彼は実行しなければならなかった、 投名状を守らなければならなかったからだということです。 ぼくは彼の解釈は正しいと思います。 (続く)
BBS ネタバレDiary 22:00
| 2008年02月09日(土) |
ゲーム「Perhaps Love」●「看電影」の記事��(更新) |
あちらでは(って、こちらの事情は知らないが)、 ヒット映画がどんどんゲーム化されているようです。 武関係では、「LOVERS」も「投名状」も、 それに「赤壁」もゲーム化が進んでいるんですよね。
あの「如果・愛(ウィンター・ソング)」は、携帯用ゲームになったそうです。 絵が可愛いので思わず持ってきました。 それぞれ、映画の主人公達にどことなく似ていますよね。

ストーリーには5つの結末があって、一番いいのにたどりつくのは、結構むずかしいとか。 人物の才能、性格、感受性などの数値により決まっていくそうです。
記事はこちら。
●「看電影」の記事�� 22:00
コーヒーの愛
ウォン・カーウァイと「不夜城」から 「君のいた永遠」「ラベンダー」への変化は非常に大きいが、 金城武は恋愛映画をこそやるべき人のように見える。 彼には完璧な愛を語りうる魅力がある。 少なくとも虚構の世界で、この「お隣の男の子」と「ブラック」の混合体は、 苦く、かつ純粋な愛を調合することができる。
幸い金城武の恋愛映画は、テレビドラマのような紋切り型に堕することなく、 酸味の強いコーヒーのように、ちょっぴり刺激的だ。 彼は、1人静かに鳩に向かってバイオリンを弾き、エサをやり、 まじめな口調で鳩に言うことができるのだ。 聞きながら食べろ、聞かずに食うだけじゃだめだぞ――。
「ターンレフト、ターンライト」のこのようなシークエンスを 金城武に演じさせると、歯の浮くような感じが全くない。 彼には厳かさと、人を笑わせる部分が両方備わっていて (もしかすると観客は、彼は地球人じゃない、 だからどんな地球人っぽくないことをしても、 誰よりも自然なんだと思っているのかもしれない)、 感動を、倦むことのない心地よさへと、 自由自在に変えることが出来るのである。
また、金城武の役は愛に純だ。 それは、女性に迫られてあわてふためいて逃げ出すからというだけでなく、 監督と脚本家が彼のために用意したのは、 失われた大切なものを追い続ける役だからである。 彼はいつも自分と人々の夢を背負って、堅く守り続ける。
映画の中の金城武は、役を通して、都会で病む我々を癒す。 冷え冷えとした街を背景にしながら、物語は彼の努力とともに、 壁をなくし、コミュニケーションが生まれる方へと動き、 最後には、結果がどうであれ、必ず美しい思い出を残す。
「ウィンター・ソング」の撮影中、彼が、恋愛映画はとても疲れるから、 少なくとも当面はやりたくないと言ったことがあるが、 その後、本当にそういう映画には出ていない。 彼の「最後の」恋愛ものとしての、このミュージカルは、 最も様式的な方法で、最もリアルな物語をパッケージしたものだが、 やはり、金城武のシンプルな気質と執着する性格に多くを負っている。 だが、それは癒すものとしてではない。 都市で生きる人間のやるせない生活を浮き彫りにするものとしてである。 この映画において、愛は、1杯のネスカフェから、 ついに苦味ある純正なマンデリンへと変化したのだ。
花火の世界
人の推測を許さない金城武は、又もや変化した。 まだ都会には留まっているものの。 恋愛映画作品があるかどうかは、彼のような俳優の場合、 やはり非常に重要である。 デビュー以来ずっと、大衆の恋人のイメージをぬぐえなかった彼が 愛を演じない、別の言い方をすれば、恋愛が中心ではなくなったら、 いったいどういう演技をしたらいいのだろう?
昔の作品に、トニー・レオンとすれ違いで出演していた彼は、 この演技派の男優と、ついに真正面から組むことになった。 彼らの見せた、互いに長所を引き立てあう共演は、 金城武の演技の成熟を示すものだ。 少なくとも、この映画で、彼の演技は、今までにない安定感を見せている。 細部の表現、特に表情のデリケートな変化は、 彼が20歳でウォン・カーウァイの映画に出ていたとき、 身につけたいと願った成熟であり、今、それが真に訪れたのである。
2つの映画には似た要素がいくつもあるせいで、 それが彼の演技の変化をくっきりと見せている。 あたかも古巣に戻ったかのような、似た街、似た人物、異なる地位 ――十数年前の懸命の演技は、時間の推移の中で ついに順調な成長をとげたのだった。
キャリアに野心を持つ俳優なら、誰でも出演作品の中で成長したいと願う。 金城武の成長は、「ウィンター・ソング」に始まり、「傷城」で完成した。 2004年に「LOVERS」で再び人々の視線を集めるようになった彼としては、 いささか遅くはあるが、しかし遅すぎはしない。
「投名状」はこの変身を推し進めたものだ。 実際、�爛ぅ吋瓮鵝Ε�ラブ�瓩硫餔�が日に日に数を増している今日、 外形上のイメージチェンジは1度は必要になる。 「傷城」での変化は内面的過ぎ、観客に深い印象を与えるほど 目にはつくものではなかった。
性格俳優のジョニー・デップでさえ、最も人の注目を引いた演技は、 汚れメイクをして後可能になったのである。 デップのどの映画も、大幅に外形を変えることで助けられているのは 改めて言うまでもないだろう。
早くから�狹賤里離献腑法次Ε妊奪廰瓩噺世錣譴振眈詆陲� ついにこの挑戦を受けて立った。 「投名状」のすぐ後の「赤壁」はまだクランクアップ前だが、批評の続出で、 出演スターも誰1人その洗礼を免れることはできない。 ただ、役柄そのものだけを見れば、諸葛亮は悪い選択ではない。 金城武はその得意とする感情演技とアクション演技を、徹底的に捨てる必要がある。 彼が演じるのは若くはつらつとした諸葛亮であるとはいえ、 今回の純粋に演技を見せる芝居には、円熟が必要なのだ。
金城武本人がどう考えようと、 彼はすでに国際化された映画界に押し出されている。 国際的活躍こそ彼の仕事であり、それはまさにブランド効果を必要とする。 例えばジャッキー・チェンの�爛�ンフー・コメディ�瓩� 渡辺謙が備える東洋男性の円熟した気迫は、 これぞ、と定義しうる特質だ。
金城武の特徴がないという特徴は、彼の国際性を比較的少数派好みなものにしており、 ハリウッドが全面的に受け入れるタイプとは違っている。 が、彼はCNNのインタビューに応えて、かつてこう言った。 ハリウッドの出演者であるより、観客でいたいのだと。
「傷城」「投名状」「赤壁」を経て、 彼の考え方が変わったかどうかはわからないが、 とにかく、これらの映画は彼の特色を少しずつ形作りつつある。 もし、自分がなにがしかの形容詞、あるいは名詞のシンボル的存在 (もちろん、「かっこいい」という言葉は含まれない)になりうると、 彼が気づいたとき、より国際的な活動へと開いていくことを 彼は検討し始めるだろうか、 それとも、これまでの自分のすべて――永遠に推測を拒む少年あるいは男、 永遠に変わり者ではあるがアウトサイダーではない1つのトレンド、 華やかだが移ろう花火のような世界で、 ひとすくいの温かい光を持ち続けるその本質――を 完全にひっくり返してみようと思うだろうか? (Shane文)
前半はこれで終わり。後はインタビューです。
BBS ネタバレDiary 13:00
| 2008年02月07日(木) |
「看電影」の記事�◆�画像いろいろ |
続きです。 さすが、本格的映画雑誌、俳優としての金城武を時系列で追い、 論評します。
ブラック・ユーモア
映画界に足を踏み入れた初めの数年間、 金城武の出演作品は、芸術と通俗の間をしょっちゅう行き来していた。 前述のきわめて通俗的な映画以外の、 「恋する惑星」と「天使の涙」は香港映画のすこぶるアートな作品で、 かつ、若さ溢れる金城武は、当時、今では見られない貴重な長所を持っていた。 彼の役は平凡なものは少なく、どれもかなり極端だった。
金城武の気質はウォン・カーウァイが起用する多くの俳優達とは違うものだ。 決してウォン・カーウァイ的ではない。 だから、カーウァイが作り出す映画の雰囲気の中で、 核心部分を作り出す者ではないが、しかし、最も輝きを放つ。
カーウァイの病的なセリフは、彼のこともなげな演技を通し、 ブラック・ユーモアの、あるいはブラック・センチメンタルの色を帯びる。
「ブラック・ユーモア」の「ブラック」の部分は監督で、「ユーモア」は彼だ。 というのは、彼の演技は非常に気任せだからである。
「ブラック・センチメンタル」のブラックは彼で、センチメンタルは監督だ。 彼の明るい若々しさと若者らしい反抗心のゆえに。
ウォン・カーウァイとの仕事は、自分にとって最も価値ある出発点だった、 と金城武は認める。 確かに、監督は自分と最も調和のとれた矛盾の対象を選び出すことで、 映画の感覚にバランスを与え、金城武の方はこのようなチャンスをしっかりとつかんだ。 これらの映画の成功が、彼をあれよあれよというまに 国際化への第一歩へと押し出したのである。
金城武が日本で最も注目を引くことになった映画は「不夜城」であり、 彼が最も多くの賞賛を得た映画の1つでもある。 彼の映画の中での境遇は、彼本人と非常に近いものだった。 映画ほど残酷な体験は決してしてはいなかったが、 それでも子ども時代、彼もまた確かに複雑な血筋ゆえ、のけものにされた経験がある。
この役は、あたかも彼自身に合わせて作り出されたかのようで、 だから、たとえあまりアクションやセリフによる複雑な演技がないシークエンスであろうと ――例えば、オープニングで、警察官に職務質問をされ、 表向きは平静だが、内心はどうしてよいかわからない。 だが、演技としては、わずか一言二言の、きれぎれの言葉を発するだけだ。 そして裏通りをひたすら歩んでいく――それだけで、 十分その心のうちが伝わってくるのである。
「不夜城」の金城武には、既ににカーウァイ映画のプチ・プル的ロマンの香りは薄れ、 ブラックの部分だけが跡をとどめていた。 しかし、夜が一番暗いときにこそ、光は最も明るい光を放ちうる。 それゆえ、「不夜城」の彼の演技はより力強いものとなっている。
だが、たとえこのようなはっきりした特徴を持った作品であろうと、 金城武を、ハードで物憂げな男のタイプに足止めすることはできなかった。 彼は相変わらず変化し続け、 我々が往々にして彼はこういうタイプの俳優になったなと思うそのとき、 突然その芸風を変えるのである。 もしかすると、彼自身の性格も非常にブラック・ユーモアであるのかもしれない。 (続く)
●画像いろいろ 23:20
� 崕�だらけの男たち」DVD紹介が今日の朝日新聞夕刊に。 永千絵さんがコメント。

�◆峪狄世寮催戞彿幻鉾波�売
もう、出てるらしいですよ、とのお知らせに、最寄の大書店へ。 表紙は単行本とは違います。表紙&各短編の扉ページには、 おそらく単行本の表紙と同じときに撮ったと思われる近藤良平さんと 風景の写真があしらわれています。 武は単行本と同じく帯に登場。また、はさみこみのリーフレットに、 映画化のお知らせが写真と共に載っています。
 青いの全部「死神」。こんなにたくさん平積みに。しっかり映画の宣伝にもなってます。
��あるDVDのジャケット
大陸のDVD販売サイトに、あっけにとられるジャケット写真が! 実は「スクールデイズ」のDVDなのですが…… こちら
BBS ネタバレDiary 1:45
| 2008年02月05日(火) |
「看電影」の記事� �日本映画guide |
金城武特集のようだった「看電影」(諸葛孔明の表紙)。 後半に4ページの、俳優・金城武についての記事とインタビューがあります。 ネタバレの内容はないし、訳してみますが、あまり長いので何回になるかは???です。
暖かな光 金城武
たとえ、世の中が繁栄してこれ異常ないほど浮き足立っているときであろうと、 無欲で超然たりうる余地は残っている。 それゆえ、金城武の控えめさがもてはやされるのも、決して不思議ではない。 ハリウッドはその最もやかましい時代に、 グレタ・ガルボに静謐のチャンスを提供した。
金城武についても、それは同じである。 完璧な都会的雰囲気を持ちながら、その喧騒からは遠く、 あたかも午後3時の街で、都市に訪れるつかのまの静けさの中に広がる いつまでも消えぬ、暖かい光のようだ。 彼を理解するには、注意深い品定めが必要である。
「タイム」誌は彼を「東方のジョニー・デップ」と呼んだ。 ジョニー・トーは、「ミステリアスな俳優」であると言い、 スー・チーは、「アジア一かっこいい」と誉めたたえた。 だが、彼はいつもこうした美しい言葉の後ろに身を隠してしまう。 たとえこの世が決して彼に平凡でいることを許さなくとも。
隣の男の子
早期の作品中の金城武は、今から見れば重たい髪型に、太くて濃い眉が、 その目に宿る幼さを際立たせている。 今日、我々が一番懐かしく思い出す、何も考えず、ただ楽しめばいい映画は、 当時の子役スター、ハオ・シャオウェンと共演した作品だろう。 「チャイナ・ドラゴン」「トラブル・メーカー」では、引き立て役に過ぎないけれども、 金城武の唯一、夾雑物のない純娯楽映画であるので、 見る者は様々な悩みを忘れ、彼が今背負っている国際スターの重荷を忘れ、 さわやかな魅力を感じる。
金城武がゲームマニアであることを知っているなら、 また、しばしば突然奇妙なことを考えつくことを知っているなら、 あるいは彼の愉快でユーモラスな一面を知っているなら、 これらのおふざけ映画は、我々が今彼に抱いているイメージとは 大きく隔たっているけれど、本当の彼には非常に近いのだ。
これらの映画の大げさなアクションや、マンガっぽい表情、 脈絡のないストーリーの中で、金城武は、 いたずら妖精のようなハオ・シャオウェンに合わせて愚かで素直な役を演じているが、 それでも劇中では大勢の女性の嬌声を浴びる若者だ。 このような持ち味は、今日の彼の演技には、既に跡形もない。
当時の香港映画の中の金城武は、ほとんどは商業的な要求に応えるもので、 かっこよさが、彼が当時利用できる最大の資本だった。 その演技は、ジミー・リンと子役スターのコンビ物と変わることなく、外形まで似ていた。 ただ1つ、違うのは、金城武は当時、既に、 色々と要求され詰め込まれた演技以外の役をやる力を持っていたことだ。
だから、彼は香港娯楽映画の囲みから、早々と飛び出し、 この種の映画の衰退と共に芸能界から消えることもなければ、 チャウ・シンチーのような、個性のはっきりした 香港商業映画の旗手となることもなかったのだ。
可塑性の高い俳優である彼には、1つの風格を創り上げることは易しくはないだろうが、 しかし、もっと力を発揮する余地を自らに残していた。 この隣家の単純な男の子のような彼が、どちらに向かおうとするのか、 我々にはわからない。 唯一推測できるのは、もし彼が、最も重い足かせをつけたままでも 踊ることができるのであれば、 商業的なパターン化された演技という鎖が外れたときには、 ただちに飛び立てるだろうということだ。 (続く)
●「日本映画guide」 22:45
今日発売の雑誌「日本映画guide」に「死神の精度」の紹介が、 4ページ載っていると、レインボーママさんからのお知らせ。 早速、本屋へ〜 写真もたくさんで(小さいけど)、武ファンなら、けっこううれしい記事です。 宝島社刊、980円。
写真も送っていただいたので〜♪ m(_ _)m こんな表紙です。

BBS ネタバレDiary 0:50
12月の雑誌「上海電視」のコピーをいただいたので、記事を訳してみました。 表紙もお借りしたものです。

金城武 ぱっと飛び出して行きたいこともある
噂では、彼はアジアのマスコミのインタビューは受けたことがないそうだ。 が、その証拠はない。 記者の質問にはいつも「わかりません」と答えるのだそうだ。 面と向かって本当かどうか、聞いてみた。 「とんでもない……」と、彼は笑った。
彼は外に出ない。人は好奇の目を向け、謎めいていると思う。 「本当は、内向的な性格で、人が多くいることに慣れないんです。 後でわかったんですけど、兄も同じ性質なんですよ。 人が大勢いるのを見ると、固くなってしまう。 映画を見るときも、人が一番少ない回を選んで見に行きたがります。 でも、兄はスターじゃないし、誰からも見られるわけではない。 ということは、そういう習慣は、必ずしも仕事のせいではないってことですね」
彼は1973年生まれである。 不思議なことに、1973年生まれの人には、往々にしてあるはっきりした特徴が見られる。 他の年生まれの人たちとは違っているのだ ――それは、子どもっぽさと老成したところが奇妙に入り混じっていることである。 金城武にも、彼が演じた人物にも、それは認められる。
スクリーンを離れると、あんなにかっこよく毅然とした感じではない。 むしろどこか弱々しい。
「投名状」のプロモーション活動がすべて終わると、 金城武はホテルに戻り、人と会う。 その痩せこけた体が廊下を行く。 ちょっと周囲を見るだけで、ひたすら歩いていくのが、 人と出会うや、たちまち礼儀正しく笑顔で挨拶をする。 礼儀をしっかりしつけられた子であるのがわかる。
スクリーンを離れると、彼は映画の中のようにかっこよく 毅然としているようには見えない。 それどころか、どこか弱々しさがある。 話すときは、まっすぐ相手の目を見て、すぼめる唇の形がきれいだ。
金城武を好きであることは、ほとんど一種の本能である。 彼を好きな女性にとっては。 たが、彼は誉め言葉のたぐいには、どう対処したらよいかわからない。
「人が、ぼくのことをかっこいいと言ってくれるとき、 何とこたえるべきかわからない。 ただ、ありがとうございます、とだけで、それ以上何も言えません。 容姿は父母がくれたもので、きれいだよと言われれば、もちろんうれしい。 でも、ぼくとはあまり関係ないことのような気もするんです」
その言下の意味は、�猩�せずして報酬はもらわない�瓩箸いΔ海箸澄� だれもが褒めたたえる容貌は、彼はただ持っているだけで、 なんの貢献もしていない。 誉められると、彼は後ろめたく思う。 彼の容貌を思わずほめてしまう人は、彼にではなく、 彼の両親にそれを伝えてもらうよう、頼まねばならないことを忘れないように。(続く)
(11:40 更新) こちらは大雪です〜。 金像奨、また……。でも、賞に関係なく、彼は成長を続けているし、 ノミネート漏れを惜しいという声が毎回出るような存在になってきたと思う。 さて、続きです。
彼はあっさりと、はっきりと認める 俳優は監督の手中の駒だと
彼は論理を追求したがる。 演じる役について、彼はいつも監督と、その人物の論理をはっきりと整理する。 それが彼が人物を理解する大事なよりどころなのだ。
「投名状」の撮影中、彼はピーター・チャンとずっと話し合っていた。 「姜午陽がこうするのは筋が通らない」 「姜午陽がああするのも論理的におかしい」……。 あるときは、ピーター・チャンが、「武、君が正しいよ」ということもあれば、 「論理なんかどうでもいいのさ。こうした方が面白いんだ」ということもある。 だから、金城武は困惑せざるを得ない。
彼は善良な性格で、自分が俳優としての正式な訓練を 受けていないことを自覚していて、それゆえ、自信が持てない。 監督の指導と、薫陶を非常に必要としている。 こういう心の状態は、子ども時代の経験と関係がある。
「ぼくの父親は日本人で、母親は台湾人、ずっと台湾で育ちました。 日本人学校に通い、言葉は、どれもあまりうまくないと思います。 アイデンティティもいつも揺れていました。 その後香港で映画に出ました。 映画に出るようになって、何人かの監督達と出会い、 いろいろなものを、考え方をもらいました。 映画とは面白いなあと思います。 つまり、ある人とぼくとがある場所で互いにつながりあう。 2人は完全に別々の人間だけど、ぼくが演じることである交点が生じます。 ぼくはこの交点を理解しなければならない、それは一種独特な経験です」
彼はプロとしての訓練を積んで、俳優は自分の考えを多く持たなくていいのだと思った。 彼はあっさりと、かつはっきりとこう考える。 俳優はすなわち監督の手中の駒であると。
「『LOVERS』は、内地の大監督と仕事をするチャンスをくれました。 監督とも、いつも話していました。 この人物は論理的におかしい、 彼はなぜチャン・ツーイーを愛したのか、ぼくにはわかりません……。 でも、それでもやっぱり有意義な経験でした。 どの仕事でも、ある人物を演じること、 それは他人の考え方を理解することでもあるからです。 監督のことも、その役のことも」
話をするとき、決して「自分が、自分が」と言わない
心のままに生活できないということに、彼の矛盾がある。 彼はもともと大変静かな人で、その上、人気絶頂になれば、 普通の人間の暮らしはまず無理だ。
一方、俳優としては、もし自身にさらなる成長を要求するのであれば、 生活の中で、様々な人を観察したり、経験したりすることが、豊かな訓練となる。 これは矛盾せざるを得ない。
「確かに、パッと表に出て行って、屋台に行ったり、 街を歩いたりなんてこともしたいですよ。 でも……一緒に過ごすのは仕事のスタッフ、それから友達、家族で、限られています。 それからネットで知り合った人も少し。 これは確かにすごい矛盾です。 演技力を高めるには、生活が必要だ、けれども、一般の人の生活には触れられない。 確かに矛盾してます」
彼は重苦しいものはあまり好きではない。 年齢的なことからかもしれないが、彼は、黒澤明のような風格には、 しっかりした文化的基礎が必要だと思っている。 しかし誰でもそういう文化が必要なわけではない。
子どもの頃、彼は俳優になろうなどと考えたことはなかったし、 何になろうという考えもなかった。 大きくなってから、その世界の大物が仕事をくれ、 ついついこの世界に入るようになっただけだ。 その後長い時が経ち、少しずつ、自分自身をかえりみるようになり始めた。
彼と、彼が演じた役は、1つのことを固く信じ、一貫して変わらない、 ある種の子どものようなあどけなさと頑なさをもっている。 世間の考え方にぶつかり、両方をうまくすりあわせる方法を どうしても見つけることが出来ない。 それが変化するには、時が必要なのかもしれないし、 また一生涯変わらない性格なのかもしれない。 ピーター・チャンは、こう言っている。 自分が金城武を好きなのは、彼が話をするとき、 決して自分のことばかり言うことがないからだと。 (完)
他の写真は、画像をお借りしたブログ<「赤壁」戦記2007>さんでどうぞ。
BBS ネタバレDiary 2:00
 【獨】赤壁預告大首播
大画面で見たいものですねえ。 願わくは、夏にまず、「投名状」が日本公開され、 秋にこれが見られると最高なんですが。 じつに贅沢な年になりそう。 (Dolphinさんのところにもお邪魔してみて)
BBS ネタバレDiary 1:30
今日、台湾時間午後7時、TVBS-Nのニュースで、 「赤壁」の予告編を、世界に先駆けて放映すると、台湾紙の報道です。
このティーザーは2分半。 主だった出演者はほとんど顔を見せるようで、 城の炎上シーンや、いっせいに矢を放つシーン、戦いの場面なども 見られるとのことです。
日本でも、予告編作りは進んでいるようですから、 こちらでも意外に早く見られるかもしれませんね。
BBS ネタバレDiary 8:30
お知らせいただきました。 裏表紙にトヨタの広告が載っているそうです。 (新聞のと同じですね)
この露出は「死神〜」のためだけじゃないよね〜?
「死神〜」、映画ご覧になった方、良かったら感想を お聞かせ下さい。ちょっと知りたいんです。(ネタバレへどうぞ)
BBS ネタバレDiary 更新してます 14:50
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