武ニュースDiary

* このサイトはリンクフリーです。ご連絡はいりません。(下さっても結構です。^_^)
* 引用は、引用であるとわかる書き方なら、必ずしも引用元(ココ)を表示しなくても構いません。
* 携帯からのアドレスは、http://www.enpitu.ne.jp/m/v?id=23473 です。
* 下の検索窓(目次ページにもあり)からキーワードでDiaryの全記事が検索できます。
* バナーは世己さんから頂きました。
* Se inter ni estus samideanoj, kontaktu al mi. Mi elkore atendas vin, antauxdankon!
目次|前の記事|新しい日記
| 2005年07月02日(土) |
ピーター・チャンと「如果・愛」●「リターナー」大陸版DVD |
大陸紙によると、「夜宴」のキャスティングが引き続き話題を呼んでおり、 中には金城武とチャン・ツーイーの可能性が高い、という新聞もあるそうです。 しかし、材料のないところで推測たくましくしても仕方ないので、 はっきり決まった「Perhaps Love 如果・愛」の記事をもう1つ。 昨日のマレーシアのThe Star Onlineに同時に出たもう1本です。
定評ある香港の監督ピーター・チャンが 「Perhaps Love」の監督に
アンドレ・モーガンに数十年ぶりの中国ミュージカル映画の監督に選ばれて、 ピーター・チャンが最初に思ったことは、 ミュージカルなんて全然興味ないのにということだった。
「私は彼に、君はクレージーだよと言いました。 ミュージカルを作るなんて、大変なだけでなく、 私はミュージカル好きでさえないんだからと」
「なるほどなという人選じゃあないですよ」と、彼は最近、 上海の「Perhaps Love」のセットで、撮影の合間に語った。
チャンには、なぜミュージカルなんか作るのかわからなかった。 なぜなら「登場人物は死ぬときも、そのまま死なずに、 突然歌を歌いだしたりする」のだから。
高い評価を持つ香港の監督のデビュー作は、 1991年、香港監督協会賞最優秀作品集を受賞した「雙城故事」だ。 「ラヴソング」(1996)は香港の金像奨で、 最優秀作品賞と監督賞を含む9つの賞を受賞した。 その他の作品には、スティーヴン・スピルバーグの ドリームワークス・スタジオの仕事である「ラブ・レター」、 「the Eye(アイ)」(製作、2002)、「THREE 臨死」(2002)、 「美しい夜、残酷な朝」(製作、2004)などがある。
「Perhaps Love」のプロデューサー、モーガンは、 思い切ってやるよう、チャンを何とか説得することに成功した。 チャンが最初にしたのは、MGMミュージカルの古典をたくさん見ること。 そして今では「キャバレー」のファンだ。
「Perhaps Love」の仕事を通じて、 彼はミュージカル映画の製作に魅了されるようになり、 大のミュージカルファンであるチームのメンバーたちや ジャッキー・チュンからも学ぶところがあった。
しかしそれでも、型にはまったミュージカルにはしたくなかった。 「そこで、私たちは、劇中劇の形式を採用したのです。 登場人物たちは、歌によって内面の葛藤を表現するのです」
「『Perhaps Love』のおかげで、映画制作者の生活と その内面の混乱を描き出すこともできました」と彼は言う。
初め、ストーリー・テリングとミュージカルという、 溶け合わない2つの両極端に悩まされた。 しかし、最後にはすべてうまく行った。
――「Perhaps Love」は、中国映画産業に、 このジャンルの継承者を創り出すでしょうか? 「そうは思いません。たとえ映画が成功しても、 ミュージカルは費用がかかりすぎるし、非常な労力を要求する仕事です。 「ムーラン・ルージュ」や「シカゴ」はヒットしたけど、 ジャンルとしてのミュージカルを再興することはなかった。 ましてこの映画がそれをできるだろうか?」
いずれにせよ、モーガンは、チャンの魔法の指しか、 この映画を成功させうる者はないと確信している。 だが、この熟練した監督でありプロデューサーであるチャンにとって、 この作品の成功は新たな誇りとなるだろう。 (The Star Online 2005.6.24)
●「リターナー」DVD、大陸で発売!
BBSで書きましたが、この珍品、こちらに記録を残しておきます。 こちらへ。開きにくいときはこちらをどうぞ。 大陸版の「リターナー」DVD発売! しかし、そのジャケットは……? クレジットは……? 2005年香港の新作とは……? ミヤモトが「太龍」に……?
BBS 1日1回! 1:00
| 2005年07月01日(金) |
アンドレ・モーガン語る・下 |
壮麗な愛を通して中国ミュージカル映画を再生を・下
香港、中国の監督達と、3ヵ月にわたっていろいろ話をした後、 モーガンは、ピーター・チャンがいい仕事をしてくれるのではないかとひらめいた。 ミュージカル映画に命を吹き込むため必要な、忍耐力強、洞察力、創造力を 旧友が持ち合わせていることをよく知っていたのである。 チャンの、多くの賞を獲得した映画「ラヴソング」(1996)は その才能の証明である。
「実業家とプロデューサーとして、私は製作の本質、強さと弱さを理解している。 チャンは私の最高の旅の道連れだった」 2人は、SARSの流行が終わった後の2003年、ミュージカルの準備を始めるとき、 モーガン&チャン・プロダクションを設立した。
モーガンは、映画の撮影はすべて中国でやりたいと思った。 中国のミュージカルを作るのであれば、中国をベースにすべきだからだ、 と彼は言う。 「物語は、中国、香港、台湾、シンガポール、マレーシア、インドネシア、タイ、 そしてフィリピンの中国人観客にアピールするものでなければいけない」
「Perhaps Love」の脚本は、香港のトップ脚本家、 オーブリー・ラムとレイモンド・トーの手になる。
北京での撮影は、今年の冬、1月に行われ、上海での撮影は春だった。 「これは象徴的だね。北京は登場人物たちの若さを表し、上海は成熟を表す。 上海のビジュアルは1947年を表している、 1992年が北京、そして現代がまた上海」とモーガンは説明した。
チャンは一流のキャストとクルーをこの映画のために集めた。 映画は今年、アジアで最も期待を呼ぶ映画になるだろう。 主演は金城武(「LOVERS」)、助演男優賞を2度受賞したことがあり、 受賞常連の歌手であるジャッキー・チュン、 受賞歴のある中国の女優ジョウ・シュン(「小さな中国のお針子」)と 韓国人俳優のチ・ジニ。
製作チームに参加するのは、オスカー受賞者である、 撮影のピーター・パウ(「グリーン・デスティニー」)、 ボリウッド・ダンスの振付師、ファラ・カーン。 彼女のハリウッドでの仕事には「Monsoon Wedding」(2001)と アンドリュー・ウェーバーの「Bombey Dreams」がある。 そして評価の高い美術監督ハイ・チョンマン、 及び国際的なクンフーアクション監督トン・ワイだ。 作曲はピーター・カムとレオン・コー。
モーガンは、5つあるダンス・シークエンスはそれぞれにユニークで、 映画に不可欠なものとなっていると指摘する。 「人々が映画の歌を歌いながら映画館を出てくるようであってほしい。 そのようにして『Perhaps Love』は長く愛される、 アジア文化体験の1つになれるだろう。 それは素晴らしい娯楽経験であり、観客は結集した才能に驚くだろう」 と彼は言い、 さらに、映画は社会における今日的な恋愛問題に触れたものだと付け加えた。
だが、ミュージカルには含まれる�猴彖猫瓩�多すぎはしないだろうか? モーガンはそうは考えない。 「良い素材なら、そんなことはない。 これはたくさんの材料を使うカレーのようなもので、 大事なのはそれを、どううまくブレンドするかだ」
「Perhaps Love」は今年暮れに公開の予定。 中国をのぞく世界配給権を持つのは、アストロの子会社である 香港を拠点とするセレスシャル・ピクチャーズである。 同社は、世界規模での有料テレビにおける放映権も持つ。 映画の出資者には、Televison Broadcast Limitedと Astro Shaw & Mega Media が入っている。 (The Star Online 2005.6.24)
BBS 1:00
| 2005年06月28日(火) |
アンドレ・モーガン語る(如果愛)・上 |
「Perhaps Love 如果・愛」のプロデューサー、アンドレ・モーガンが、 上海の撮影所で、マレーシアの記者のインタビューを受け、 この映画の成り立ちについて語っています。(原文は英語) こう見ると、あ、アメリカのプロジェクトなんだ、と今さらながら思います。 2回に分けて。
壮麗な愛を通して中国ミュージカル映画を再生を
「Perhaps Love」のプロデューサー、アンドレ・モーガンが、 上海のセットでミュージカル映画の撮影について、 ジェーン・リティコスに語った。
アメリカンのベテランプロデューサー、アンドレ・モーガンは、 中国のミュージカル映画の死に幾分か責任があると告白した。 皮肉にも、彼は今、中国ミュージカルの再生に挑戦している。 もし、彼の最新のプロジェクト(「Perhaps Love」)が成功すれば、 1960年代以来製作されていないと彼の言う中国ミュージカルは、 映画産業へのドラマティックなカムバックへと動き始めるだろう。
1970年代初め、若きモーガンはゴールデン・ハーヴェストに入社し、 香港の映画産業を学んだ。 「燃えよドラゴン」「死亡遊戯」をプロデュースしたが、 この映画は伝説となったブルース・リーをスターにし、 香港のマーシャル・アーツを世界に知らしめた。 70年代はマーシャル・アーツ映画の最盛期であり、 これが中国ミュージカルの衰退を招いたのだと、彼は言う。
映画とテレビ番組、例えば(サモ・ハン・キンポーの名を米国に広めた) アクションシリーズ「Martial Law」(CBS)を製作する ルディ・モーガン・オーガニゼイション(RMO)の共同経営者であるモーガンは、 オスカーを獲った「ミリオン・ダラー・ベイビー」のプロデューサーの1人だ。
彼は、アジアの抱える問題は、紋切り型の映画の内容だと語る。 「幽霊物語でなければ、刑事物、でなけりゃマフィア物。 映画産業にとって、これは長い目で見たら、良くないことだ」
中国ミュージカルを創造しようという考えが出されたのは、 2002年、TVBとアストロの友人たちとのランチの席でのことだった。 彼らは、なぜ、ボリウッド(インドの映画界)には偉大なミュージカルの伝統があり、 ショウ・ブラザーズの作品群にはミュージカルの歴史があるのに、 60年代以降、香港では誰一人そういうものを作ってこなかったのか、 わからなかった。
「歌はたくさん入っているけれど、フルサイズのミュージカルは、 ショウ・ブラザーズの黄金期以降見られない。 私の70年代の仕事は、クンフー映画の製作と、ブルース・リー、 その後はジャッキー・チェンのプロモーションでした。 我々は、中国ミュージカルが息絶えたことに、 いくらか責任があるということができますね」と、 「Perhaps Love」のセットで行なわれたインタビューで、彼は冗談を言った。
彼は今、他の製作者や脚本家や俳優に、チャンスをつかみ、 忘れられたジャンルに命を与えるよう、鼓舞したいと思っている。 「アジアには創造力豊かな才能が大勢いるのに、 誰も彼らにミュージカルを手がける機会を与えない。 観客もまた、そういう映画を試してみるチャンスを与えられないでいます」 モーガンはこの状況を変えようと決心し、成功したいと考えているのだ。
彼の最新の�爛潺螢�ンダラー・ベイビー(金を生む子)�瓩任△� 「Perhaps Love」の製作費は7800万香港ドル、 香港、中国、台湾、韓国、ハリウッド、そしてインドの要素を統合する 野心的なプロジェクトだ。
ミュージカルは実績がなかったので、 こんな計画に危険を冒す出資者はほとんどいなかった。 モーガンにとって幸いだったことに、 同じようにこのジャンルの再生を心から願っていたTVBとアストロの仲間が、 この映画への経済的支援を約束してくれた。
モーガンは、「ムーラン・ルージュ」や「シカゴ」のような、 ハリウッドのヒットミュージカルのコピーをめざすことを否定する。 「我々は、香港、中国、インド、台湾、日本、韓国、 ハリウッドの要素を総合して、 中国ミュージカルが20世紀にあるべきだった姿を 有機的に創り出したいのだ」と彼は言う。
彼の次の仕事は、ぴったりの監督と脚本を見つけることだ。 (続く) (The Star Online 2005.6.24)
7800万香港ドルは、約11億円なり。
BBS 0:30
| 2005年06月27日(月) |
NDDの頃��(最終回) |
霧から抜け出て、死ぬほど疲れて��
もし、芸能界の仕事をしてなかったら、どんな仕事に就いてたと思います?
前はわからなかったけど、今はやりたいことがたくさんあります。 勉強を続けるとか、それはなんでもいいんだけど。 製作や、スタッフの仕事もやってみたい。
どうして?
スタッフなら、怒っていいから!(爆笑) 面白いからです。やってみるとすごく面白いし、楽しい。 でなければ、店を開く。ゲームのね。 世界を回って、動物園の飼育係になりたい。動物が大好きだから。 3年後にはきっとどこかの動物園で虎にえさをやってますよ。 で、もしかしたら自分をえさにくれてやってるかもしれない(笑)。
ある年のミス香港に、ゲストとして、南アフリカにロケに行ったことがあります。 野生動物園を自動車で行って、ライオンにエサをやるところを見るんです。 たくさんのライオンがいました。 トラックの後部に鶏の肉が積んであって、1人が運転し、1人が肉を放る。 たくさんのライオンが行ったり来たりしていて。 見てると、ライオンは地面に放った肉は見ないで、 車の中の人間を見てるんですよ。 やつらは車の人間を食べたいんだなと思った。 ホントにおかしな風景でしたよ。
ぼくは仏教徒なので、仏教の勉強もしたい。 うまく行かなかったら、坊さんになって、寺を建てて金儲けする(笑)。
じゃあ、撮影のないときはいつも何をしているの?
特に何というのはなくて、フラフラしてます。 ニューヨークでは、撮影のないときはセントラルパークでスケートをしたり、 映画を見たり、ゲームをしたりしています。 昔は球技が好きだったけれど、今はできませんね。 バレーボールもサッカーもバスケットも、1人じゃだめだから。
出演作にはアクションシーンがたくさんあるけれど、 アクションの基礎がある?
いや、できるだけそれらしく見せてる。 アクションシーンの撮影は本当に大変ですよ! 「暗黒街」なんか、天津と北京で撮影したんですけど、 零下15度の真夜中に撮るんです。 すごく大変。全然動けなくって、手足がマヒしてしまいました。 アクションはこの映画が一番多いです。 2年前に撮影して、今やっと上映になってる。
お父さんから何か影響を受けたことは?
DNAを。他はありません。
新作の「ニューヨーク・デイドリーム」では、どんな役?
ニューヨークの日本人留学生です。英語を話します。 ある日、死神に出会うんです。 死神は、あなたはあと12時間しか生きられないと言う。 ぼくが12時間に何をするかというのがストーリーの映画です。 ブラック・コメディですね。
ヒロインとはどう関わりあうんですか?
死神はミラ・ソルヴィーノですけど、 ぼくが演じるのは、ぼくが何をするかということが中心で、 死神はそれを監視しているけど、影響し合うことはない。 ひょっとしたら、戦争についてはぼくと話すときに、ぼくの感情に影響するかな? で、そのあと不意に姿を消してしまう。 でも、ぼくがすることには働きかけはなくて、話をするだけにとどまる。 それがどういうふうに編集されるかもわからないし。
「Misty」の役は?
ぼくは死んでしまう人を演じるんです。 ずっと木に縛られて、すごく演技の難しい映画でした。 どの役も、その重要さを表現するのが難しい役でしたね。
この2つの映画は、以前の作品ととても違っていますね。 人生の意味を語っている。
ぼくはなるべく違うものを演じたいと思うんです。 違うものを学びたい。 はい、あそこに立って、はい、爆死して、というのが一番いやかな。
次の、主な計画はどんなものでしょう?
ウォン・カーウァイの映画になるはずです。 タイトルは全然わからないけど。 この前、彼に会ったときは、ぼくは何をやるの、としか聞けなかった。 彼は、君はブルース・リーを演じるんだと言って、 ブルース・リーの武術書を取り出して、 これをよく勉強しておきたまえ、と言いました。 ぼくが、いやだ、絶対マスターできないと言うと、 彼は、必ずやっときなさい、と言う。 こんな話をするんですよ。 ブルース・リーは人気が出てから、香港に戻って師匠のもとを訪れ、 最後の技を習得した、死ぬ前にね。 ぼくは彼がまじめなのか、冗談を言ってるのか、全然わからなかった。
後になって、彼に会ったら、変えたと言うんです。 ぼくは「変えることはわかってましたよ、で、どんなふうに変えたんです?」 と聞きました。 彼は「君は新疆人かモンゴル人をやる。そしてミュージックバンドを組む。 だが、頭を丸めなくちゃならない。君は自由のために歌を歌うんだ」と言った。 ぼくは、やめてよと言いました。 おそろしいよね、頭を丸めるだなんて! (完) (台湾プレミア1997年8月号)
BBS 0:00
霧から抜け出て、死ぬほど疲れて��
何人もの違った監督と仕事をしているけど、その経験を聞かせてくれる? 例えばウォン・カーウァイとは?
武 実はね、ぼくはパイナップルがずっとダメなんですよ。 ウォン・カーウァイはとても特別で、とても聡明な人。 脚本家の出身なので、とても物を書く力がある。 ぼくにとって3作目の映画が「恋する惑星」でしたけど、 彼の映画に出て、たくさんのことを学びました。
それは、彼が、絶えず考えに考えなくちゃいけないような環境に ぼくらを置くからなんです。 ほとんど何もわからない、うまく考えられないという感じで、 撮影が全部すんだときになって、 ぼくは初めて映画に対する興味が湧いてきました。 というのは、彼との仕事が終わって初めて、 映画っていい加減に撮っているようでも、 構成していくことで映画になると知ったからです。
「天使の涙」は実は「恋する惑星」の続編で、 本当はぼくの役はなかったんですよ。 「恋する惑星」は3つのストーリーがあり、 3番目が殺し屋の話のはずだったんですけど、時間がなくなってしまった。 でも、彼は殺し屋の話が撮りたくて、だけど殺し屋だけじゃ足りないから、 ぼくの役ができたというわけ。
それに「天使の涙」の台本には、ぼくのセリフはなくて、 そこで何をしているのかわからない。 でも、わけのわからないぼくの役にも、やっぱりストーリーはあるんです。 「恋する惑星」には別々の2つのストーリーがあったけど、 「天使の涙」の場合は、交錯する2つのエピソードでできている。 「恋する惑星」のエピソードが「天使の涙」で、 「天使の涙」を2つの話に分けたのが、つまり「恋する惑星」。 彼はすごく特別な構成の仕方をしている。 この映画はでたらめに撮れるけど、 でもやっぱりウォン・カーウァイの精神が生きている。
ぼくの初めてのキスシーンが「天使の涙」にあるんですよ。 2回、1回はチャーリーと、もう1回はミシェル・リーと。 でも、両方ともカットされちゃった。 チャーリーとのシーンはぼくはとても好きで、 背景も雰囲気もすごくロマンティックだったのに、 カットされてしまっていた。
ぼくは、なぜなのって助監督に聞いたんですよ。 そうしたら、助監督は、自分ならこうカットして編集するっていうのを話してくれた。 それで、わかったんです、編集する人がどう編集しようと思うか、 どんなモノローグを書いて画面と合わせようと考えるか、 その考え方次第なんだって。 編集にはその才能が必要なんだってことをね。
ウォン・カーウァイの映画を、ぼくはまだわかっていない。 その2本しか見ていないから。他は全部見てないんです。 それは彼のやり方がわかって、他の俳優に影響されたくないからです。 ぼくはいつも違う演技をしたいと思う。 この人のやり方は承知しているから、ただ自動的に彼がほしいものをやる、 そういうやり方はしたくないですね。
自分の出た映画は全部見てる?
全部見ますよ。いいものはあまりないけど。
自分ではどれがいいと思ってる?
それって、何が良くないか言うのと変わらないよね? クリストファー・ドイルをまねて、こう言いますよ。 「一番いいのは次の作品」(爆笑) 朱延平のシリーズに、割と好きな「危険な天使たち」という、 ニッキー・ウー、チャーリー・ヤンと共演した映画があります。 これは一番おかしい映画。
自分が出た映画を見て、その映画が伝えたいものを感じとるって、 すごく難しいんです。だから別の見方をする。 例えば、監督はなぜこんなふうに編集したのかとか、 普通の観客があまり見ないところを見ます。 だけど、「危険な天使たち」のときはずっと笑いっぱなしだったんです。 「天使の涙」もそうでしたね。
ウォン・カーウァイの映画はちょっと独特で、 撮影中は他の部分はどうやっているのか、全然わからない。 だから、他の人の出てるところや、 どうしてこういうふうに編集したのかとか、新しいものを見ます。 (あと1回) (台湾プレミア1997年8月号)
BBS 0:10
| 2005年06月25日(土) |
NDDの頃�Α�キリ番記念品のお知らせ |
霧から抜け出て、死ぬほど疲れて��
少し前、安室奈美恵が台湾に来たとき、 ボディーガードと記者が衝突して腕力沙汰があったらしく、 ぼくにどう思うか聞いてきた人がいました。 ぼくは文化や考え方の違いが引き起こしたことだと思いました。 ちょうど、ぼくにアメリカ人のジョークがわからないように。 もしアメリカに住んでいるなら、ぼくもわかるけど。
日本では、記者が写真を撮りたいときは、1枚でもですよ、 撮っていいか聞きに来るんです。 もしだめだといったら、こう言うでしょう、 それならまた時間を打ち合わせて出直しますと。 香港では違います。 スターを見かけたら最後、カシャカシャ撮り続ける。 そして、あとでその写真を売るんです。手の下しようがないんです。 これもやっぱり1つの環境で、こうあるべきだ、とは誰にも言えない。
少なくとも、こちらを尊重して、聞いてほしい、 そうしたらぼくはいいよと言うでしょう。 だって、それがあの人たちの仕事で、写真を撮って初めて仕事になるんだから。 お互いに尊重するといいと思う。 もし、相手が尊重してくれないなら、ぼくもその人を尊重したくない。
中国と日本の記者とボディーガードとの衝突は、お互いのことを知らないからで、 誰がいい、誰が悪いと言うことはとても難しいです。 もちろん香港では、記者たちは、写真を撮ることで 顔を売る手助けをしてやってる、宣伝にもなってる、 写真がみんなに行きわたるからいいじゃないかと思ってます。 ずっと前から、みんなあきらめて、いいや、 撮らして、悪口を言わせないでおこうと思ってしまってる。
日本に行って仕事をしたとき、どういう環境かわかったので、 どうしたらいいかがわかりました。 台湾と香港では、割に人情味があるけれど、日本とアメリカではたぶん少ないと思う。 日本の撮影現場では、誰も遊ばないんですよ。 香港や台北ではみんな楽しくやる。アメリカもダメです。 でもすべて良いところ悪いところがあります。
例をあげてみましょうか。 今、マルボロライトの映画を撮るとしたら、日本人は煙草ケースを作り、 中にタバコを20本入れ、きちんと包んでから、撮る。 中国人は映画に必要なケースの見える面だけ作り、お金と時間を節約する。 だから見た効果は同じ。 どっちがいいよと言うのはすごく難しいですね。 日本人はとても素直に自分のすべきことをします。細心で質がいい。 台湾人はどちらかというと、うまく立ち回るのを知ってる。 ぼくは両方でどちらもできるだけ学ぶようにしました。
「Misty」の戦いのシーンでは、武術の決まりごとがあって、 片手で刀を持ってはいけない、両手で持つように言われました。 それは武士の身分というものがあり、どの身分の者はどんな持ち方をし、 どんな刀捌きをするかが決まっていて、歴史に照らしてやっているからです。
でも、そうだと、とても動きにくいんですよ。アクションにいい効果が出ない。 香港ならアクションには動きや速さや美しさを求めます。 日本人はこういうことをして、何をやろうとしているんだろうと思いました。 年配の人でなければ、誰もわからない。ぼくだって全然わからない。 ぼくにとっては映画は娯楽で、ただ文化というものじゃないから、 そんなことにこだわっていられない。 水に入っての戦いもあったんです。 で、聞きましたよ。 片手でやっていいですか? 変わった侍ということでもいいですか? (続く) (台湾プレミア1997年8月号)
●キリ番記念品のお知らせ
150万とその前後賞各2ということで、次の記念品をお送りします。 ヒットした方は、カウンターの数字を保存して、メールでお送り下さい。 ヒットはお1人1回まで。 品物はいずれも中古品なので、きれいではありますが、 売り物同様でないのはご容赦下さい。
1500000 VAIOのポスター3枚セット(下の絵柄の縦長のものです)

前後賞です。
1499998 2004年JAAのポスター赤(下の絵柄で縦長のもの)

1499999 2004年JAAのポスター緑(同じく)

1500001 2003年のJAAメイキングビデオ(台湾へ通おう!)

1500002 「ターンレフトターンライト」写真集(紙ケースのある台湾版)
この写真集は、さくらさんのご提供です。ありがとうございます。 さくらさんからは、貴重な雑誌もたくさんいただきました。BBSのキリ番でおわけしたいと思います。
BBS 1:20
霧から抜け出て、死ぬほど疲れて��
台湾、香港、大陸、日本、アメリカと映画に出てきて、 その経験から、それぞれどんな違いがあると思う?
武 ぼくに言わせれば、文化が違いますね。 中国人の考えは日本人とは全く違うし、アメリカ人の考えはもっと違う。 アメリカ人が一番こまごまして、制度は一番整っている。 中国人社会は一番制度化されていないけど、 良いところも悪いところもあって、一番融通が利く。 それは映画撮影がだけじゃなく、普通の仕事でもそう。 アメリカは一番保障がある。 日本もそうだけど、アメリカのほうがもっときちんとしている。 中国といってもいろいろあって、香港が多分、割にきちんとしているほうで、 その次が台湾、おしまいが大陸。 融通が利くかどうかということになると、その反対で、アメリカが一番不便。 いいとも悪いとも言えないですね。
俳優としては、どの環境で仕事したい?
もちろんアメリカです。日本もいい。 制度がきちんと整っていて、気をもまななくていい。 保障があるし、スケジュールができれば、その通りに進みます。 だけど、きっちりして変わらない。 あるケースについて最後まで話をしておいたら、その通りに進む。
台湾や中国では、突然キャンセルになったりする。 でも、突然、何か仕事が入ってくるかもしれない。 打ち合わせなんかなしで、チャンスが訪れたら行ってやればいいんです。 こんなことは日本やアメリカでは起こり得ない。 必ず打ち合わせが必要で、それがなければやれません。
日本では、映画はおそらく1年以上前から話が始まり、 脚本には細かく全てが書き込まれます。 俳優は今年は何をするのか、何月から何月まで、何と何をやるのか、 今年の稼ぎはいくらになるのか、知ることができます。 でも、今年はこれだけ稼げるけれど、それ以上にはならない、 他のの新しい仕事はないこともわかってしまう。 もし、新しい話が来ても、それは次の年に回されるんです。
台湾では、ぼくは今年自分が何をやるのか知らない。 けど、もしかしたら、急にいろいろやることが出てくるかもしれない。 保障がなくて、不意にいろんなことが出てくるかもしれないということ。 めぐりあわせなんですね。
ぼくは3つの土地で映画を撮っています。 最初が台湾でテレビドラマ(「草地状元」)に出ました。 ぼくは新人で演技ができなかった。 監督は林福地です。 第1日からめちゃくちゃ怒鳴られました。 そのとき、馬如風とか石英とかが出演していて、有名なスターばかりで、 ぼくがその人たちのスケジュールを遅らせてしまうのを心配してた。 だって、NGばっかりだったから。
本当のところ、何がNGなのかも、 監督が何を怒っているのかもわからなかったんだけど、 でも20回以上ダメを出されて、 「誰がこいつを連れてきたんだ」って怒鳴られました。 辛かったですよ。いつも家に帰りたいと思ってました。 あのときは電車で嘉義朴子まで1人で撮影に通ってた。哀れですよ。 1日50元ちょっともらってね。
そのころは、何がいいのか悪いのかもわからなかった。 もしかしたら、それが当時のテレビの世界だったのかもしれませんけど。 ぼくはもちろんうまくなんてできなかった。 次が、香港での映画出演で、前よりはちょっといい状況でした……
初めて出た香港映画はジョニー・トーの「ワンダーガールズ2」だね?
そう、いわゆる映画ですけど、何をしているのかもわからなかったんです。 はい、そこに立って、はい、あそこで爆死して、 全部で4つか5つのカットだけだから、 もし映画館に入るのが遅れたら、ぼくはもういない!
あのときは何を演技というのか、わかっていなかったんですけど、 アンソニー・ウォンと会って、すごくいいと思いました。 演技のできる人を見ると違う。 彼は化粧室に入ったとたんに変わる。 すごく変わった人だけど、それは彼の個性なんでしょう。 当時ぼくもすごく恥ずかしがりだったから、 「この人はどうしてこんなに恥ずかしがらないでやれるんだろう、 なんでこうできるんだろう」と思ったけど、感服していました。
僕に関しては、演ずることはどんどんいいなとなっていったと思う。 条件も環境もよくなって。 国ということでは、ぼくは日本文化がわかるから、何もいやなことはなく、 とてもやりやすいし、保証があるし、 間違いが起こったときでも、話し合って理解しあえる。 やりにくいやつだなんて思われない。だって制度の問題なんですから。
例えば、今日シーンを増やすとか、減らすとかとなれば、 ぼくのところにその問題について話しに来る。尊重してくれるんです。 台湾では違います――お前のことなんか構ってられないよ、さあ、撮るぞ! これは長所でもありますよ。撮影が急になくなったときは、休めるわけだし、 いいこととか悪いこととかは言えないんです。 中国人社会では、つまりこういう便利さがあります。
それに中国人はとても賢くて、こういう言い方があります。 1人の中国人は3人のアメリカ人に勝つ。 しかし、3人の中国人は1人のアメリカ人に負ける。 まず内輪もめをしてしまうから。 だから、1人の中国人は1頭の龍だけども、 3人の中国人は3匹の虫というわけ。 1人の日本人は1頭の豚だが、3人の日本人は3頭の龍になる。 日本人は団結力が強いですからね。 (続く) (台湾プレミア1997年8月号)
BBS 0:00
霧から抜け出て、死ぬほど疲れて��
この仕事に就く前、子どものころ、芸能界の仕事をしたいと思ってた?
武 いいえ、芸能人になりたいなんて全然思わなかったし、 だから何かきらびやかなものだとかは思っていなかった。 もちろん、今映画に出られて、CDを出せるのはとてもうれしいし、 素敵なことだけど。 でも、芸能人とか有名人とかになろうなんて、考えたことがなくて、 ただ、縁があってこうなっただけなんです。
日本人学校を卒業するとき、他の友達は、どこの高校に行くかとか、 大学は進学するかとか、みんな考えていました。 ぼくはどこに行こうと考えたことがなかった。 小さいときから、アメリカンスクールに進学するんだとわかっていましたから。 たぶん、お父さんがそう言ったんでしょう。だから考えなくてよかった。
アメリカンスクールを卒業するとき、みんな、どの大学に行こうかとか、 勉強を続けるなら試験を受けなくちゃとか考えていて、 ぼくも遊んでいようとは思わなかったけど、積極的じゃなく、 点数がどうとか、あの科目は落とさなかっただろうかとか、気にしてなかった。
やがて歌を歌うようになって、今の事務所と出会い、 演技をするチャンスが与えられました。 いろんなことが、本当に順繰りに起きてきて、 もちろん、どんなものも大切に、吸収して、学ぶようになったんです。 いい仕事でもそうでない仕事でも。
歌に出合ってから、創作にとても興味を持つようになりました。 アルバムを作るとき、ぼくは思い切り楽しんで、物事を吸収する。 映画も、いくつか出たあとは、製作に興味が湧き、 勉強してみたいと思うようになりました。 勉強とは、たくさんの違った環境、違ったいいものと悪いものに触れることです。
多文化を背景に成長してきた目から、同年齢の台湾人を見ると、 自分とはどこか違うところがあると思う?
今、同年代の人とは考えることや見方が違ってしまっていますね。 というのは、一緒に仕事をする人がみんな年上だから。 CDの宣伝の人とか、みんな年上ですから。 同年齢の人とは、考えることやものの見方が同じじゃない。
将来のことは漠然としていて、何をやりたいとも思っていないけど、 ぼくはとても幸運。 いろんな人や物事と出会って、今までずっと順調に来た。 そう、日本で宮沢りえとテレビドラマに出ましたけど、 あの人の考え方と割に近いと思います。
どんな考え方が?
ものの見方と人に対する態度、人間関係の持ち方とか、 たくさんのことがとても似ていると思う。ぼくと彼女は同い年ですから。 彼女は同年代の他の女の子よりちょっと大人だと思います。 それは、子どものころから仕事を始めて、 それが順調であればあるほど、空間が狭くなるような環境にいるから。 良いことも悪いことも、吸収するのが人より早い。 同い年だから、彼女のしていることがわかるんです。 (まだ続く) (台湾プレミア1997年8月号)
BBS 1:00
| 2005年06月22日(水) |
「夜宴」には出演せず |
……らしいです。 今日の新聞晨報によると、 世界進出をめざすフォン・シャオガンは チャン・ツーイー、ダニエル・ウー、葛優を主演に内定しているとのこと。
これに対し、製作会社は、まだ交渉中だと真相を明かしていませんが、 チャン・ツーイーの名は、今月初めあたりにあがっていて、 ム……と思っていたんですよね。 もし、これが本当なら、期待していたので残念だけど、 チャン・ツーイーとの共演になるなら、 出なくて良かったかな。
BBS 12:00
| 2005年06月21日(火) |
NDDの頃(台湾プレミア)��&上海の監督発言について |
霧から抜け出て、死ぬほど疲れて��
CMから始めて、歌、演技と何年も経ったけど、 どの段階があなたにとって大きい変化だった?
武 ずっと変わり続けていますよ。 ぼく自身、いつも違うものをやりたいと思っています。 同じことばかりはやりたくない。
この2年、台湾と香港では、映画出演のない人が多く、歌に転向する人もいます。 なのにあなたは次から次へと出演作が続いている。どんな気持ちですか?
運がいいんでしょう。うまいことやってると言うべきかな(笑)。 本当を言えば、こう思うこともあります。 疲れた、撮影はいい、休もうよ!って。 振り返ってみると、長いこと全然休んでいないような気がするから。 でも、考え方を変えれば、仕事があるのはいいよね。 ずっと出る映画があるという、こんなに運がよくない人もいることを思わなくちゃ。 もしかしたら、いつかぼくもそうなるのかもしれない。 だってすべては過程なんだから。永久に映画に出続けることはできませんよ。 ぼくは、すごく疲れてる。でも、できるだけ大事にしたい。
どの仕事も楽しくやれればいいと思っています。 例えば、台湾映画で、ぼくはいつも朱延平の映画に出ているけど、 初めて彼と会って以来、もし、彼から話があれば、 彼の映画にこれからも出て行きたいとずっと思っているんです。 よく言われますよ、あー、彼の映画は質が低いとか何とか。 でも、ぼくにとっては、彼の映画に出るのは、 彼と仕事をしていると、とても楽しいからなんです。
多分、それは監督の人柄なんだと思う。 あの人は、現場の人間をみんな楽しくさせる。くたびれてほしくないんですよ。 彼はとても特別で、徹夜なんか絶対しない。 「疲れすぎるな、疲れすぎるな、そんなくたびれたって、売れ行きは同じだよ。 そんなに疲れる必要はないんだ」 彼の考え方はとてもシンプルで、つまり、お金も労力も節約して、 だけど売れるものを作る。 芸術映画を撮る監督に、あなたたちのおかげで食べられて ありがとうと言いたいって言ってますよ。
撮影の時、いやだなと思うことはある?
もちろんあります。殺してやりたいと思ったり。 でも、その人自身が悪いというのじゃなくて、その人との関係の問題なんです。 いわゆる芸能人は、ある環境にあって、テレビで歌を歌おうと映画で演技しようと、 不愉快に思ったとき、それを口に出すのはすごく難しいように思います。 それが正しかろうとそうでなかろうと、口に出してしまうと、すぐこう言われる。 「おうおう、スターぶって、なんてやりにくいんだろう」ってね。
でも、ぼくはそんなのは気にしない。 だって、悪いのは君だろ!って思うから。 あなたの手配が間違っていたからこういうことになって、ぼくは不愉快ですって、 言ってどうして悪いの? だけど、大勢の人は我慢しているのを知ってます。ぼくも前はそうでした。 今は前より言うようになった。我慢したくないから。 我慢したら良くなります?
仕事で不愉快なことにぶつかったときは、どう解決しているの?
前は我慢しました。今は我慢して、考え直して、それでもだめならバッと出す。
そうなったことはある?
はい。かまわないって思うんです、 どうせ物事はすべて1つの過程なんですから、ぼくは楽しくやる過程を選びたい。 誰も結果がどうなるかはわからない。もちろん、いい結果であることを望みます。 でも、我慢してもまずい結果しか出ないかもしれないでしょう。 それなら、ぼくが今日我慢するのは、何のためなの? 誰かを怒らせたくない? 人に「何てヤツだ」と思われたくない? それも何のため? あらゆることは過ぎていくものでしょう。 もっと考えれば、永久にこの仕事を続けるわけでもないんです。 なら、いい、やっぱりあなたが間違ってるって。 (続く) (プレミア台湾版 1997年8月号)
ところで、上海映画祭でのピーター・チャンの発言で、 金城武に触れた部分、これまでの記事にない部分が今日の大公報にありました。 例の、つきあいが一番難しかったという話で、 8日目になって非常に心が通じ合うようになったというのに続く部分です。
「俳優とこのような心の通じ合いができたことはめったにありません。 映画では彼が演じたのは虚構の役だけれど、 今までの彼の作品の中で一番彼自身に似ている役です」
ちゃんと全部紹介してくれなくちゃね。
BBS 23:50
|