武ニュースDiary


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2005年06月20日(月) 上海映画祭での監督の話(如果・愛)●NDDの頃��

上海映画祭での「Perhaps Love 如果・愛」

昨日閉幕した上海映画祭で、ピーター・チャンが記者会見を開き、
「如果・愛」の宣伝を行ないました。
いっぱいニュースが出ていますが、内容が少しずつずれつつ重複していますので、
気のついたところをまとめて、ご紹介します。


公開時期について
年末年始期には、チェン・カイコーやチャン・イーモウらの大作、注目作がそろい、
この時期で大丈夫かという質問には、
カンヌ映画祭中、秘密裏に映画の一部を海外のバイヤーたちに見せたが、
その結果は、非常に売れ行きが良く、最も高い値段で売れた中国語映画の1つとなった。
これで自信を持ったことと、
海外の上映がみな年末に決まったため、中国での上映も
それに合わせざるを得なくなったことが理由だと、答えています。

宣伝は?
同じお正月映画の「無極」(チェン・カイコー)はすでに宣伝を始めており、
「如果・愛」も8月から世界規模で開始する。
だんだんと�犧�までにないやり方�瓩納 垢叛訶噌鏡�を打つそうです。
最初の強力なカードはジャッキー・チュンで、監督はこのように話しています。
「我々はすでに国際的なレコード会社と契約を済ませており、
映画の主要な出演者全員のアルバムを世界規模でリリースする。
最初がジャッキー・チュンだ。
ジャッキーの歌を聞いた外国人が『イタリア歌劇を聞くようで、
何を歌っているかはわからなくとも、味わえる』と賞賛した」

4人の主演者評
監督の話。
中で一番つきあいが難しかったのは金城武だった。
撮影開始前、7、8日間、私はもっぱら彼を観察し、理解するのに専念した。
7日間は彼との間にほとんどコミュニケーションはなかったが、
8日目になって、私たちは非常に仲よくなった。
その後、撮影は大変親しい状態で進めることが出来た。
彼は自分の感覚を役柄に非常にこめていく俳優だ。
ジョウ・シュンについては今さら言うまでもない。
心理演技が非常にうまい。
ジャッキー・チュンは、私自身が反映している監督役を、きわめて適切に演じた。
チ・ジニについては他の者ほど多くを知っていなかったが、一番の嬉しい驚きだった。
(他の3人についてはかなり省略しました。すみません)
――と、自分のキャスティングの成果に非常に満足しているそうです。

スターを使うことについて
映画祭の会期中、スター映画への批判が出ていたようで
(スターは使いづらい、高い出演料の影響など)、
それについて質問された監督の答え。
「私は第1作からスターを使ってきた。スターを使うことは悪いことなんかじゃない。
出演料の高さについては、それは市場論理だと思っている。
私の起用したスターたちは、みんな高くなかった。
それには双方の理解と信頼が必要だ。
あるスターが高い出演料を要求するなら、それは多分、
その映画にあまり出たくないからだろう。
いい監督なら高すぎるスターは使わないものだ」

映画の題名について
これは、ジョン・デンバーの歌のタイトルから取っているそうです。
「この歌のメロディーがこの映画に合うとは思っていないので、
映画には使っていない。ただタイトルを映画のタイトルにした」(監督)

そして、監督は、この映画にはすべてを出し尽くした。
自分の最良の映画になると確信している、と述べています。
まだまだ謎が多いけれど、楽しみです。



霧から抜け出て、死ぬほど疲れて��

人並みすぐれた独特な容姿のせいで、十五、六歳でスカウトされた彼は、
「アルバイト」でCMに出演するようになった。
19歳でファーストアルバムをリリース、
その後、ずっと順調で、歌も映画もオファーが絶えない。
CDは、1年に1度、納得のゆくものを出すやり方を貫いている。
映画は、レスリー・チャンやアニタ・ユン、マギー・チャンら
香港のスターたちと同じように、「数をこなして演技を磨く」訓練の最中で、
勉強にいそしんでいる。

ここ2年間、香港・台湾の映画界は不景気で、他の者はみな半分お休み状態なのに、
彼は台湾、香港、中国、日本、アメリカといたるところで
出演してもしても契約は終わらず、
7月以降は、台湾・香港のトップ映画界会社の龍祥、学者、嘉禾の3社が
相次いで彼の出演作「パラダイス!」「暗黒街」「ダウンタウン・シャドー」を
公開する上、さらに年代が、まもなく日本映画「Mysty」を上映の予定だ。
これが彼の人気ぶりを証明するものであることは言うまでもない。

もし、夏休み時期にこれだけの数の出演映画があることに驚かないというなら、
彼が仕事をした監督のリストを見てみるといい。
朱延平、ジョニー・トー、ウォン・カーウァイといった、最もコマーシャルな監督から
最もアーティスティックなクリエイターまで、
そろって金城武に大スターの素質を見出し、磨き上げる手をますます速めており、
まばゆい光芒があたりに放たれる日も近い。

7月、天気雨の降るニューヨーク、タイムズスクエアには、
7色のネオンの看板がきらめき、濡れた道路に反射して、金を流したパレットのようだ。
ミラ・ソルヴィーノと「ニューヨーク・デイドリーム」を撮影中の金城武は、
製作会社の手配で、ポストモダン風建築のパラマウントホテルに滞在している。

タイムズスクエアの中心部にあるこのホテルは、門構えも看板もなく、
ひっそりと目立たないことに誇りを持つ。
2つのガラスドアが、外の定まらない天気と俗世間の騒がしさから隔離しており、
ものの値打ちのわかる人間なら、自然に探し当てて来るだろう。

金城武は上の階の部屋から降りてきた。
日に焼けた健康な肌に長髪、1カ月あまりの撮影にも少しも疲れが見えず、
若さこそ、この世界で食っていくための最良の元手だということを証明している。

彼が朗らかに笑うとき、首にかけた仏像のペンダントが揺れる。
まさに日一日と成熟していく男は、取材中、
しばしば子どものような率直さといたずらっ子ぶりを発揮し、
神仏さえおとなしくさせておくことはできない。
コーヒーをすすりながら、低くて太い、少し鼻にかかった人をひきつける声で、
金城武は「プレミア」との対話を始めた。   (続く)
(プレミア台湾版 1997年8月号)


BBS 23:50


2005年06月19日(日) NDDの頃(台湾プレミア)��

大きな動きはなさそうなので、こんなときは昔の記事を……
と思い、1997年の台湾版「プレミア」を引っ張り出しました。
前にもやってみようかと思いつつ、その長さにめげていたのですが、
ほんの少しずつ。

ちょうど「ニューヨーク・デイドリーム」を撮影中の武を、
アメリカにたずねて実施したロング・インタビュー。
アメリカという土地で語られた話というところに
興味があります。
とりあえず、今日は、助走ということで、
とびらページのリードだけを……



盛夏青春金城武
霧(Misty)から抜け出て、死ぬほど疲れて(Too Tired to Die)

姓は金城、名は武、眉濃く唇薄く、頬はそげ髪は厚く、
見る者はみな、日本のマンガから抜け出たようなスターだと言う。
父親が日本人、母親が台湾人であるゆえに、幼い頃から2つの言葉を話した。
家庭で、父親とは日本語で、母親とは台湾語で。
高校はアメリカンスクールに進んで英語を話し、
香港に進出するとき、広東語を学んだ。
もちろん、北京語も流暢に話す。
言語能力に恵まれ、幼児から多重文化の中で育ち、
早くから多様な角度から物事を考え分析する力を磨いたことが、
彼が台湾・香港から国際舞台へと足を踏み出し、
映画界と歌謡界とをまたにかけることになるための
この上ない優れた条件を作ったのだ。
(文・王志成/プレミア台湾版 1997年8月号)


BBS 23:50


2005年06月17日(金) 落札者との演技・2

今朝になりましたら、各紙報道がありました!
武のことにも触れています、というか、彼が見出しになってます。
朝、元気を出すのに十分なスチールがまた1枚あり、
演技する落札者の写真もありますので、ご覧になりたい方は、今日の香港の成報へ。

昨日のニュースに付け加える部分だけ、各紙から拾うと――

金城武との共演を落札したのは北京から来た男性ファン、
容貌は�狆�年版ジャッキー・チュン�瓩両�康。
ほんとに若い、男の子、という感じのようです。
バーのウェイター役として金城武に酒を供するのが主な役目ですが、
あまりに緊張しすぎてグラスを割ってしまいました。
が、金城武はとても優しく、責めないどころか、
緊張しなくていいからと何度も声をかけていました。

また、金城武の映画のポスターが、今回の上海映画祭で初めて公開されました。
タキシードの衣裳を着たものすごく素敵なもので、
張り出された当日になくなってしまったそうです。
この人気振りを見て、映画会社は、予定を早め、
夏に香港の映画館でポスターを展示することに決めたということです。
(台湾でも張ってほしい!)


BBS 9:00


2005年06月16日(木) オークション落札者演技する(如果・愛)

みんなが「あれはどうなったのだろう」と思っていた、
「Perhaps Love」のオークションによる出演者のその後が、
撮影終了の今になって、大陸の新聞に出ていました。
金城武自身については書かれていないのがちょっぴり残念ですが。


1度酒を注いで2万元
「如果・愛」の3つの役が演じられた


ピーター・チャン監督とジャッキー・チュン、金城武、ジョウ・シュン、
チ・ジニら多くのスターたちが参加したミュージカル映画
「Perhaps Love 如果・愛」が、先日クランクアップした。
この映画は、先にe-Bayと提携して役をオークションにかけたことで物議をかもしたが、
それでも熱心なファンの「アイドルと一緒に映画に出たい」という熱い気持ちを
押しとどめることはできなかった。
最終的に3人の幸運児が望みをかなえたのである。

21600元の最高額で金城武との演技の機会を獲得した北京の青年、
小康の興奮は一通りではなかった。
彼は映画の中でバーのサービス係を演じ、その主な役目は金城武に酒を注ぐことだった。
初めてカメラの前に立った小康は大変緊張し、
てんてこ舞いで小道具のグラスを割ってしまうということさえあった。

ジョウ・シュンとの共演を落札した栄児はずっとリラックスしていた。
映画では金持ちの夫人役で、イブニングを着て、
パーティーでジョウ・シュン扮する孫納とあいさつを交わす。
「私はずっとジョウ・シュンが大好きだったので、
入札するのに少しもためらいはなく、
ジョウ・シュンと一緒に演技するチャンスを得たのです」
ジョウ・シュンの印象について、栄児は口を極めて賞賛した。
「私は彼女とかなりおしゃべりしました。
彼女は親しみやすく、少しもスターぶっていません。
撮影のときには、私にどうやったら自然にできるか教えてもくれました」

ジャッキー・チュンと共演の落札者の劉女士は、
初めは映画撮影への好奇心からオークションに参加したが、
実際に撮影班に加わってみると、スターたちのきらびやかさの背後の
非常な苦労を身をもって知ったと述べる。
「撮影は本当に大変でした。
ジャッキー・チュンのまじめさに私はとても感動しました。
本当に簡単なシーン1つを、違う角度から何度も取り直しても、
彼は少しも文句を言いませんでした。
スピードアップのため、彼はいつも徹夜で仕事をし、
50時間ぶっ続けでやったこともあるくらいです。
あんなに仕事に対して熱心で謙虚なのですもの、
彼が人々の心の中の永遠のスターでいるのももっともです」
(羊城晩報 2005.6.16)


BBS 22:00


2005年06月13日(月) 「夜宴」�狎什酥�表�瓠�追記

今日の華商晨報は、
昨日、華誼兄弟公司は限られた範囲の記者たちに声をかけ、
フォン・シャオガンの新作「夜宴」の製作発表会を行なったと伝えています。

その内容によると、この映画についてはいろいろと言われてきましたが、
今年10月にクランクイン、撮影に5ヶ月、ポストプロダクションイ5ヶ月かけ、
来年の夏か、秋の国慶節の時期に公開の予定とのこと。
製作費は1500万米ドル、フォン監督にとっては初めての大作で、
準備もそのため長くかけているそうです。

スタッフも一流の人々が参集、出演者については、
5人の主演者がいるが、契約が完全に済んでいないため、
目下はまだ明らかにできない、
ただし、長年のパートナーである葛優は出演、
またこの新聞が以前伝えた金城武、マギー・チャンらの大スターは、
いずれも出演すると書いています。
(コン・リーではなく、マギーと書いてある。
もっとも、葛優以外の出演者の名前に言及しているのはこの新聞ぐらいです)


ストーリーは、監督によると、中国の古画から取ったものでもなく、
中国版ハムレットでもなく、中国の物語。
人間の欲望を宮廷を背景に描き出すものだと語っています。

撮影は浙江で開始後、北京他の各地で行なわれるそうです。


●追記 

「夜宴」製作発表については、参加したマスコミから次々とニュースが出ています。
それをざっと見ると、クランクインは9月という方が多いですね。
9月中旬、あるいは9月15日と書いてあるもあります。
夏の公開なら、10ヶ月の製作期間と言っているのですから、
9月クランクインの方がありそうに思えます。

この映画については、宮廷闘争と、人間の欲望――欲望は全ての創造の元にも、
破壊の元にもなるという道理を語るもので、
伝奇的色彩が強く、人間関係は独特で物語性が非常に強い。
古代の歌舞のシーンや、アクションシーン、殺し合いのシーンもあるが、
武侠映画ではない。

関心の的の出演者については、5人の主役に実力あるスターであり、
役に合った俳優を配し、脇役に新人女優を起用すると書いているものもあれば、
主役と脇役にそれぞれ1人ずつ新人を用いると書くものもあります。
出演者名は、契約がまだ済んでいないので、1ヵ月後に正式発表すると、
名前は出ませんでしたが、長年のパートナーの葛優について聞かれたとき、
非常に演技の幅の広い、優秀な俳優だと答えた感触では、
出演の可能性が高いのではないかと言われています。
出演者について明らかなことは、一時噂のあったアンディ・ラウは、
同じ製作会社の別の映画に、ほぼ同時期に出ることから、
出演は不可能ということぐらいです。

この映画は、明らかに国際市場をねらっており、スタッフも精鋭を集めたほか、
俳優も全アジアからふさわしい者を選ぶそうですが、
細かいことについては、武の出演が確定してからにします。
出ないなら、この話はこれでおしまいということになるでしょう。(23:30)


BBS 9:00


2005年06月12日(日) 「当代歌壇」最新号から

カクタスクラブさんからお知らせが来ていた中で気になっていた、
大陸の雑誌「当代歌壇」、昨日、渋谷に行ったのでついでに見て、
購入、ビオテルムの両手をおろした正面のポーズのポスターが付録について、
巻頭に同じくビオテルムの白Tシャツの写真2枚が見開きに、
ビオテルム関連記事が写真つきで1ページ、
「如果・愛」関連記事が1ページで、これは買ってよかったです。
以下、その記事から。
1本目「男色日記」と題するものは、連載コラムなのかしら?



男色日記・金城武



私は、自分が色好みであるのを隠しはしない。
素敵な男性を見れば、鼻血を出すには至らなくとも、
動悸が激しくなるのはまぬがれない。
色好みは人間に本来備わるものであるから、少しも恥ずかしいとは思わない。
それどころか、自分の好色ぶりを自慢に思うぐらいだ。

男でも、実は、ありふれた顔と、個性的な要望と、本当の超美形とを見分けるのであり、
本物の美形に対しては、男でも女でもその魅力には抗し難いものだ。
金城武はこの絶世の美形に入る。
だからこそ、彼が上海にやってくるという話が流れた後、
そういうイベントには慣れているはずの編集部の女性たちが、
たちまち浮き足立つ様子が見られたのだった。


1985年、ビオテルムが世界で初めて男性用高級化粧品を世に出して、
今年でちょうど20年。
この重要な年に、ビオテルムは全く新しい
�狠羚颪離ぅ瓠璽賢瓮�ャラクターを送り出した。
彼は、自然で、スタイリッシュで、抜きん出た風格を持ち、
1つの商品のみならず、生活理念と精神的な目標をも表しているという。
自然でシンプルで、きわだつエレガンス、
スタイリッシュな動的感覚、充ち充ちる男性的な力強さ、
こうした全てが現代都市のエリート男性の完璧なイメージを体現すると。

彼とはすなわち金城武。
アジアで最も勢いのある人気スターとして、一流の監督達の寵児であり、
美貌であると同時に深みのある男として、
控えめな生き方を選び、自由な暮らしを求める。
このようなシンプルでしっかりした男性である彼の魅力には、
誰であろうと抗うことはできない。

これは武にとって初めての化粧品のCMであり、
それまでの商品とは違っている。
化粧品のCMは他の商品よりさらに入念な作りが要求されるが、
プロの俳優にとって、もちろんそれは問題にならない。
風格がブランドの求めるものに応えられさえすれば、
彼はシンプルに、軽やかに表現しうる。
しかし、化粧品ブランドのイメージキャラクターでありながら、
武自身は、何が�爐�しゃれ�瓩任△襪里�わからないと言うのだ。
人はそれぞれ自分の風格を持つべきで、
自然に自分がおしゃれだと考えるようにすればいいのではないかと、彼は言う。
自分自身のことで唯一おしゃれな習慣と言えるものは
ジャズを聴くことぐらいだと言って、その場を煙に巻いた。

彼はまた、美容について、1つの生活態度であり、
各人の価値観を表しているものにすぎないと答えた。
以前は美容、例えば髪型を工夫したり、
肌を手入れしたりするのは女性の特権だった。
今日では、美容を試す男性はますます多くなっているが、
これはその人が求めてするもので、回りがあれこれ言うべきことではない、と。

1人のスターとして、武は、自分も白粉や眉を描いたりなどの
メイクをしなければならず、デビューの頃は奇妙に思ったが、
俳優としてこれらは仕事上必要であることが、
だんだんとわかるようになったと語った。

武の肌は大変きれいで、浅黒く、つやがあり、
手入れにはかなり心を砕いているのではないかと思わせるが、
実は、彼自身が美容に関してすることは洗顔だけなのだ。
しかも洗顔のたび、周りじゅう水びたしにしてしまうと話す、
その一言一言が、人に様々な思いを引き起こす、
そのセクシーさには誰も及ばない。


もう1つは、「Perhaps Love 如果・愛」の4月20日の会見関連の記事です。
映画のタイトルにひっかけて、「もし、……なら」という小見出しを使い、
武とジョウ・シュンについて書かれていますが、武の部分だけ訳出。


もし、彼が来ていれば……



大勢の人が金城武がやってくるのを楽しみにしていた。
発表会にはふだんほとんど行かない、
私のような芸能記者さえ出かけていった。
だが残念ながら、彼はついに姿を現さなかった。

考えてみれば意外なことではなかったのだ。
彼はいつも控えめで、万やむを得ず、というとき以外は、
出なくてすむものには出ようとしないのだから。
こうして今カメラを逃げることが、ひょっとしたら、
次の機会に、よけいに追い回されることになっているのかもしれないけれど。

こういう点が監督ピーター・チャンをひきつけたのでもあるから、
いつまでかわからないが、人に神秘的な感じを与えるのは良いことであるのがわかる。
チャン監督は言っている。
「金城武はあんなに若いのに、どこに出かけるでもなく、
香港のパパラッチでさえ写真の1枚も撮れない。まさに神秘的だ」

そう思って、ピーター・チャンは、金城武のために1つのストーリーを作り上げ、
一風変わったロマンティックな愛を彼に背負わせた。
架空の人物ではあるが、その役には金城武の影がある。
「彼には生きることの中で生まれてくる憤りがある。
映画の中の役は、彼のあの何びとにも何物にも
なじもうとしないような感覚を持ったものになる」

考えて見れば、もし彼が来ていたら、
この発表会はおそらく彼1人のためのものとなっただろう。
誰もが様々な質問を繰り出して、
彼はいつもの通り、淡々と、愛想よく、他人行儀に、
自分にとって大したことではないことについて話しただろう。

もし彼が来ていたら、ひょっとしたらかえって良くなかったかもしれない。
特に、今のような、その身分と血筋が人にいろいろ考えさせるような時期には、
来ないことも良かったのかもしれないのだ。
翌日の芸能新聞の記事は中身の足りないものになったけれども、
聞いて嫌にならない内容が多くなることにはなった。
どうせ、映画が公開されれば、
彼はいつでも我々の前にすがたを見せてくれるのだから。
(当代歌壇 2005年5月25日号)


ところで、昨日、香港の東方日報に出た「Inerview」に関する記事から、
聯合報と重複しない部分を抜き書き。


「ラガーフェルドは金城武の顔の輪郭がくっきりしており、
足のつま先もすごくいいと絶賛した」

「マネジャーのヤオ・イージュンによると、
カール・ラガーフェルドと仕事をすると知った金城武は、
この巨匠がどんな人かわからないので大変緊張した。
しかし、会ってみると、とても親しみやすく
つきあいよい人であることがわかったという」

「金城武は、巨匠がこのように自分を気に入って認めてくれるので、
もちろん非常に嬉しかったし、彼がプロフェッショナルで、
仕事もきびきびしていることをとてもいいと思った。
撮影が終わってからインタビューになったが、
ラガーフェルドは立ち去る時、わざわざ金城武のところまで来て
別れの挨拶をしたので、彼はラガーフェルドを大変気さくで
少しも偉そうなところのない人だと思った」

撮影は2時間。
たくさんのオファーについて、ヤオさんは、
慎重に選び、あわてて決めることはしないと語っていたそうです。


BBS 16:00


2005年06月10日(金) Interview撮影の裏話

金城武の素足を、ラガーフェルドは超お気に入り

国際的に知られるシャネルのデザイナー、カール・ラガーフェルドも
金城武が気に入った。
一番気に入ったのは彼の裸足の足である。

アメリカの流行雑誌「Interview」の最新号は東京特集。
なんとラガーフェルドをカメラマンとして、
国際性を最もよく象徴する金城武の撮影を依頼した。
撮影は東京のシャネルビルの最上階で行なわれた。
金城武がカジュアルなA&Fの私服でスタジオに入ってきた姿を見るや、
ラガーフェルドは言った。「撮影を始めよう」
金城武が「着替えは?」といぶかると、
ラガーフェルドは「その服で撮る」と答えた。

ラガーフェルドは金城武を「So Hollywood」と、絶えず誉め続け、
頭から足先までカメラに収めた。
顔のクローズアップ、全身、果てはプラダのスーツを着せながら
裸足のままでいることを要求、なぜなら金城武のつまさきは特別だからというのだ。
金城武はラガーフェルドの仕事振りはプロフェッショナルできびきびして、
とてもNiceなおじさんだと思った。

「Intereview」は金城武はアジア映画界の、多言語をあやつり、
マルチな才能を持ち、多文化を身につけた主役男優だと賞賛する。
彼はインタビューに応え、父親は日本人でシアトルにおり、母親は台湾人、
自分自身は18歳で初めて日本に来たと語った。

彼は、日本の方が気楽で、街を歩いていてサインを求められても、
丁寧に断れば大丈夫だが、
もし台湾や香港、大陸でノーと言ったらおしまいだと述べる。
また、以前はパパラッチは香港にしかいなかったが、
今は台湾でも至るところにいるようになってしまったと語っている。

30本の映画に出演している金城武だが、一番満足しているのは「恋する惑星」で、
ウォン・カーウァイが映画に対する感覚を変えてくれたという。
ただ、1つ1つの映画全てに学ぶことはdたくさんあるから、
どの映画が重要だということは言えないと強調した。

中国語の学校に行っていない金城武ではあるが、
中国語、英語、日本語を駆使して演技をする。
ハリウッドへの進出希望について聞かれたとき、彼は率直にこう答えた。
ハリウッドにはアジア人に合った役は非常に少ない、
もしいい脚本があればやってみたい、
ハリウッドはやっぱりどの国々の俳優にとっても夢であるから。
しかし、もし旧態依然の役しかないのなら、自分はむしろ観客でいたい、と。

金城武は、ジョウ・シュン、ジャッキー・チュン、チ・ジニと共演した
ピーター・チャン監督「Perhaps Love 如果・愛」の撮影を終えて、
今はまとまった休暇の最中である。
(聯合報 2005.6.10)


Interviewの感想は、ネタバレDiayへ。

BBS 8:30


2005年06月09日(木) 撮影終えたピーター・チャン語る

「Perhaps Love 如果・愛」が無事クランクアップしたので、
監督のピーター・チャンもほっとして、今まで話せなかったことなど
いろいろインタビューに応えてもらしているようです。


「如果・愛」無事クランクアップ

「如果・愛」は60日間にわたる撮影の後、
このほどついにクランクアップを迎えた。
ピーター・チャンは、この映画のためには、
心に抱いていた金城武の主役起用を30年待っても惜しくなかったと、
笑いながら語った。

ピーター・チャンは、金城武とジャッキー・チュンは、
自分がずっと一緒に仕事をしたいと思い続けてきた俳優だと言う。
彼は�狎捗娜撚茘瓩呂曚箸鵑瓢�らないため、
金城武と仕事をする機会がずっとなかった。
今、ようやく金城武が30歳になり、経験も積み、
その上、良い脚本に出あったことから、
当然の成り行きとして彼にオファーをすることになったのだった。

「ジャッキー・チュンとは、すでに1年前に交渉をしている。
彼は一番最初に私が話を持っていった出演者だ。
しかし、当時ちょうど彼の夫人の出産にぶつかり、
こんなに長く待つことになった。
最後まで彼を待ったが、それだけの値打ちはあった」

劇中のジョウ・シュンについて聞かれたピーター・チャンは、
ジョウ・シュンを、あまりない特質を備えた女優だと表現した。
以前彼女の映画を見たとき、非常にレンズの中にはまっており、
その目は実に様々な物語を映しているようだと思ったという。

「如果・愛」は、クリスマスシーズンに公開される。
(東南快報 2005.6.8)

2つ目の記事は、金城武の部分だけ抜粋。



口数少なく、ふだん消息もめったにわからない金城武は、
ピーター・チャンに�爛灰潺絅縫院璽轡腑鵑�難しい�瓩�
気をもませたことがあったけれども、
映画の撮影が終わったとき、監督はこう感嘆せざるを得なかった。
「金城武はこの映画では、最も作品を創り上げることに打ち込んだ俳優だった。
重要なセリフのいくつかは、彼が書いているよ」

映画のラストシーンのために、ピーター・チャンは
セリフを原稿用紙2枚分も書いたが、どうしても満足が行かなかった。
金城武がそれを読んで、3文字のセリフを書くと、
監督のところに持ってきてたずねた。
「こんなの、どうでしょう?」

ピーター・チャンは嬉しそうに言った。
「この3文字のセリフで、役のすべての感情をはっきり表わしている。
前の2枚のセリフよりずっといいよ」
(新聞晩報より 2005.6.8)


BBS 0:50


2005年06月08日(水) 「如果・愛」撮影終了、ポスプロへ

7日22時に、外出先からBBSに書き込んだ記事ですが、
スペースがないので、8日の項にアップします。(6月9日記)


「如果・愛」昨日、上海でクランクアップ
4人の主演者を�牋Δ靴討靴泙辰伸瓮圈璽拭次Ε船礇�


昨日、ミュージカルラブロマンスの大作「如果・愛」が、上海でクランクアップした。
ピーター・チャンは4人の主演者、金城武、ジャッキー・チュン、ジョウ・シュン、
そしてチ・ジニの演技と歌の実力に大変満足し、興奮して言った。
「急に撮影がすごく短かったような気になってしまった。
俳優たちに惚れてしまったように思う」

記者 あなたにとって初めて内地で撮影した映画でしたが、どんな感じでしたか?
一番大変だったことは何ですか? また、それをどう解決しましたか?

監督 初めて内地で撮ってみて、とても新鮮だった。
こんなに大勢の国内、それに世界各地の映画のプロが力を合わせた映画は
初めてで、大変光栄に思う。
またそのことによって、最大級の火花の散るものになっているといいと思う。
今回の撮影で一番大変だったのは、主に天気関係だ。
特に北京では、気温が零下にまで下がり、みんなひどく苦労した。
上海では、撮影時間が非常に押していて、
毎日時間と競争しているようだった。

記者 ジャッキー・チュン他、俳優とはみんな初めての仕事でしたが、
彼らの演技をどう評価しますか?

監督 いずれにも大変満足しているし、そのプロ精神に敬服してもいる。
ジャッキー・チュンの最後の出演の日、彼は40時間近くも不眠不休だった。
ジョウ・シュンも度胸があり、宙に吊られてのダンスシーンがいくつもあったが、
自分自身で演じた。
金城武の役柄は大変難しく、無邪気さから成熟に至る
内面の過程を表現しなければならなかったが、見事やりとげ、
ラストシーンの演技が終わったときには、
我々スタッフ全員が賞賛の拍手を送ったほどだった。
そして、チ・ジニは、言葉の面での障害を完全に克服し、
歌と踊りを十分に完璧にやりぬいた。
その新しいイメージは、きっと一目見れば忘れられないだろう。

記者 撮影が終わったところで、自作に対し何を期待していますか?

監督 「如果・愛」は、私が10年前に撮った「ラヴソング」以来の長編恋愛映画だ。
しかし、この数年間、何もしなかったわけではなく、
休むことなく質のよい映画をアジアの観客に提供し続けてきた。
私が一番望んでいるのは、全世界の観客にも、
同じように私の全作品を喜んでほしいということだ。
(新聞晨報 2005.6.7)

これからいよいよ、編集や音入れやCG処理などのポスプロに入るわけですが、
劇中で歌われる歌はすべて録音がすんでおり、
きっと、まもなくお聞かせすることになるだろうとのことです。

スチールやメイキング写真も少し出始めたようだけど、
ジャッキーとジョウ・シュンだけですね、今のところは。


BBS  


2005年06月07日(火) 昔の話��

金城武の初恋

金城武の初恋は、クラスのダンスパーティーでの初恋相手との出会いだった。
喧騒の中で、その少女は片隅に静かに座っていて、金城武の注意を引いた。
そのあと、少女はぜんそくの発作を起こし、
これが武にとっては、家まで送り届ける絶好の機会を作ってくれた。

こうして幼い無邪気なつきあいが始まった。
学校でランチを一緒にしたり、また、帰りにはバスで一緒に家まで送って行ったりした。
残念ながら、少女は高校を卒業するとすぐ、アメリカに渡って進学し、
2人の「純粋この上ない愛」もまた、ゆっくりと「友情」へと変化していった。

天秤座の金城武は、恋人づきあいについては、
「縁があるかないか」「気持ちに正直に」という姿勢だ。
しかし、今は仕事で毎日東奔西走しており、安定した感情を保つのは大変困難である。
だから、彼はあきらめ顔で言うのだ。
「いいなと思う女の子に会っても、いつも�狄瓦涼罎濃廚Ν畸奮�で
止まってしまうから、それ以上進まない」


呉念真(ウー・ニエンジェン)は、
「夏天的代誌」の作者と言った方が通りがいいでしょうか?
台湾の優れた脚本家であり監督であり俳優もしています。
国民党時代の様変わりした台湾になじめなかった実父を題材にした
映画「多桑(とうさん)」は、心に残る映画です。
テレビ番組で武と対談もしていますね。


呉念真の見た金城武

――今の新世代のアイドルの中で、一番いいと思うのは誰ですか? その理由は?

呉 金城武だね。彼はその内側にしっかりした基盤をもっているからだ。
アメリカと日本の教育を受けていることに関係があるのかもしれないね。
それに彼にはある種、風変わりな魅力がある。
非常に若いのに、多くの経験を積んで視野が広い。
彼が自分で自分をダメにすることがなければ、大いに期待できるアイドルだ。


ウォン・カーウァイとのことを語ったインタビューの記録ですが、
クレジットの書き方を見ると、かなり忠実に紹介しているように思えます。


スター・インタビュー

ぼくが香港にちょうど戻ってきたとき、ウォン・カーウァイから電話がありました。
「出て来いよ、ちょっと話がある」って。
いいですよ、と会って、あれこれたくさんおしゃべりをしました。
ぼくは、彼が、新作の「北京の夏」の今の状況を
話してくれるんじゃないかと思っていたんです。
なのに、もう別れようかというときになっても、それについては一言も言わない。
とうとうがまんできなくなって言いました。
「また変えるのはわかっているけれど、ぼくは一体どんな役なのか、
ちょっと教えてくださいよ」って。

いいですか、これが彼が言ったことです。理解してくれるといいけど。
「君がやるのは音楽バンドの団長だ。
時は200年後の北京。君が生涯をかけて手に入れようとしているのは、
1本のきらめくような素敵なギターなんだ。
『ジュラシック・パーク2』に出てくるような、
子どもの恐竜が君を手助けする」

ぼくが一番なりたいのが、動物園の管理人なんで、
彼はこの役で、ぼくの夢をかなえてくれようとしたのかな。
彼はカンヌ映画祭で最優秀監督賞を取りました。最優秀監督ですよ!
ぼくがウォン・カーウァイから学んだ一番重要なことは、こういうことです。

「映画は気ままに撮ってもかまわない! どうせカメラを回すのだから。
でもぼくは気ままには演じない。
文字で書かれたストーリーはなくても、
ぼくの心は、彼がほしいのがどんなものか感じ取ることができる。
彼のストーリーは毎日変わる。
でも、ぼくは彼がほしい感覚がどういうものか、もうわかっている。

監督が本当に優れているところは、言葉がとても生き生きしていること。
だからこそ、バラバラのシーンを積み重ね、
最後には1つの素晴らしい映画やラブストーリーに仕上げることができる。
実は彼のストーリーは、とてもシンプルで、いつも暮らしの小さな部分を描いている。
だから、彼に語らせるかどうかだけなのだ」

人についても物事についても、すべて、どう語るかなんです。
(金城武口述/張靚蓓記録整理)

以上3編、出典はわかりません。
時代は同じく96〜97年だと思います。



BBS  0:05


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