武ニュースDiary


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2004年01月15日(木) 「十面埋伏・Lovers」昨夜クランク・アップ●記事追加

昨日ニュースが言われていた通り、昨夜6時に全撮影を終了したそうです。
やっとほっとしました。

「十面埋伏」クランク・アップ
チャン・イーモウと主演者ら160人で祝う
  14:30

「OK!」
金城武とアンディ・ラウの智勇を尽くした闘いのシーンが終わると、
チャン・イーモウは、高く手を掲げた。
武侠大作「十面埋伏」の、秋冬125日間にわたった困難と緊張に満ちた撮影は、
昨夜6時、北京映画制作所のスタジオで幕を閉じた。
撮影中は�爛泪好灰澆砲茲訶雹�事件�瓩筬犹誉遒任遼織泪好灰澆竜�者殴打告訴事件�瓩覆鼻�
不愉快なごたごたも起こった。
なかでも主演予定であった女優アニタ・ムイの病没による
脚本書き換えは大きな出来事であったが、
それでも、全体としては影響を受けずに済んだ。

ほっとした表情の張偉平は、にこやかに記者に向かって言った。
「今イーモウと電話で話したところです。
彼は、撮影は非常にうまく行った、素材は豊富にあり、
これからの編集作業のために良い基礎が準備できた、と言っていました」

その晩8時、監督のチャン・イーモウ、プロデューサーの張偉平、
そして三大主役の金城武、アンディ・ラウ、チャン・ツーイーら
スタッフ、出演者160人余りは、
北京亮馬河ビルディングで催された盛大なクランク・アップ式典に出席し、
撮影終了祝いのテーブルを共にした。

張偉平によると、チャン・イーモウは今日から第一段階の編集に入り、
春節の後、すぐオーストラリアに飛ぶ。
ポストプロダクションはすべて、かつて多くのハリウッド大作や
「英雄」の編集が行われたスタジオで、3ヶ月をかけて行うという。
(北京青年報 2004.1.15)


もう1つ、別の新聞。
微妙に違っている部分もありますが。

「十面埋伏」昨日クランクアップ
盛大な宴会で�牘冤梱瓩燭舛鬚佑�らう
16:00

昨日午後、「十面埋伏」は北京撮影所のスタジオ内で、
最後のシーンの撮影を完了した。
その晩、亮馬河ホテルで盛大な宴会が開かれ、
100名を越すスタッフと、チャン・イーモウ、全出演者が出席して祝ったが、
マスコミは参加していない。

チャン・イーモウは、「英雄」に続く武侠大作「十面埋伏」を
5ヶ月近くをかけて撮影、昨日午後、北京撮影所でクランク・アップした。
昨夜は、2人のプロデューサー、張偉平と江志強がわざわざ駆けつけ、
監督チャン・イーモウと全てのスタッフの成功を祝った。
張偉平によると、撮影隊は四川から北京に戻ってからは
大変順調に撮影を続け、予定の10日間より早く7日で完了した。
アンディ・ラウは、香港でアニタ・ムイ関係のことを終わらせるとすぐ北京に行き、
最後のシーンを撮った。

映画は現在第一段階の編集に入っており、その一部を初めて見た江志強は、
「チャン・イーモウの智恵は実に深い。
『十面埋伏』は『英雄』よりもっといいよ!」と感に堪えて言った。
また聞くところによると、広電部部長趙実は、先頃オーストラリアに
映画制作に関する視察に訪れたが、
現地の最も著名な編集スタジオで、
思いがけず「十面埋伏」のフィルムの一部を見、
帰国後全国映画製作会議の席上で、大いに賞賛したという。

チャン・イーモウ監督はまもなくオーストラリアに渡り、
ポストプロダクションを完成させる。
製作会社はカンヌ映画祭への参加に間に合わせることも考えているという。
「英雄」の成功のおかげで、「十面埋伏」は公開前から、
すでに多数の映像製作会社から版権の引き合いが張偉平のもとに来ている。
張偉平は、その折には公開競争方式をとるだろうと話している。
(南方都市報 2004.1.15)


投票所

BBS 


2004年01月14日(水) 「十面埋伏・Lovers」、今日クランクアップ予定

予定、って、もう夜だから、終わったかどうかどこかでわかるかな……
この数日、めだったニュースがなく、便りの無いのはよい便り、の気分でしたが、
こんなニュースだと、日本語に直すのもウキウキします。

アンディ・ラウ、悲しみをこらえ、クランクアップ

アンディ・ラウは、一昨日アニタ・ムイの葬礼参加を終え、
その夜、北京に向かい、チャン・イーモウの「十面埋伏」の撮影に入った。
映画は今日、クランクアップの予定である。
この映画は長期簡に渡って撮影を行い、撮影地もウクライナから北京まで及んだ。
その間には、出演を予定されていたアニタ・ムイがガンでなくなるという不幸な事件もあり、
アンディをはじめ、撮影隊すべての心境に大きな影響を与えた。

が、「十面埋伏」の撮影は、旧暦正月前のクランクアップを目指して、急ピッチで進められており、
荷物をすっかりまとめて帰宅しての新年を迎えられるということで、
チャン・ツーイーと金城武の心も軽い。
2人は全く未知の間柄から、何でも話す親友になり、コンピューターゲームで交友を深めた。
撮影のないとき、初めはチャン・ツーイーは金城武がゲームをやるのをいつも見ていたのだが、
ずっと見ているうちに覚えてしまい、一緒にやるだけでなく、
撮影班が差し入れてくれたローストダックを一緒に食べたりした。

金城武、年越しは台湾で
北京での撮影中、2人とも王府井(ワンフージン)などに出かける暇はなかったが、
撮影所で飲んだり食べたりできたので、十分満足だった。
また、金城武とチャン・ツーイーの撮影中の怪我は、もうすっかり傷口がふさがり、
撮影終了は最高のお祝いといえる。
金城武は、今年はぜひとも台湾に帰って新年を迎えたい意向だが、
ただし、彼の髪は数ヶ月の間切っていないので、今では背中にまで届き、
ファンは後ろから見たら誰だかわからないかもしれない。
(台湾りんご日報 2003.1.14)

王府井は、中国語テキストの例文に良く出てくる、北京の賑やかな通りですね。


投票所 ←えっ! 逆転!? なんだか混んでる

BBS    21:35


2004年01月13日(火) 「Lovers」予告編放映・上映始まる

11日、永川での撮影を終え、北京に移動した「十面埋伏=Lovers」撮影部隊。
チャン・イーモウは、昨日から、金城武、チャン・ツーイーらと
撮影を開始したそうです。(民生報)

日本では一足先に予告が始まり、ひょっとしたら日本でプレミア……
なんてことはないか?


投票所 接戦中〜

BBS 9:30


2004年01月12日(月) デビュー前夜の金城武��

金城武は1つの例にすぎない��

陳昇(ボビー・チェン)はこんなふうに心を動かされるものを感じたので、
金城武が芸能界でずっと活動できることを願い、
喜んで参加し、この若者と一緒に仕事をしていこうと思った。
幸い、レコード会社はアルバムを出す期限については何も言わなかったので、
プレッシャーのない状態で、準備に1年余りをかけた。
そしてこの1年余りの間に、金城武は非常によい勉強の機会と
成長の場を与えられたのだった。

金城武は、ふだん仕事がないときはいつも「新楽団」にいて、
使い走りをしたり、雑用を手伝ったりしていた。
まるで他の職業での修業と同じように、�狠�稚�瓩�ら始め、
陳昇や黄連��との間に、一種の固い師弟関係を育んでいった。
陳昇は、みんな金城武をアニキと呼んでいると言った。
アニキとは「老大(ラオダー、長男)」の意味である。
金城武という少年は、実際、大変面白い人間だったからだ。
人々は彼には素質があると気づいた。
非常に高く評価される創造力だ。
この、音楽を全く知らなかった男は、ギターを弾き、ピアノを奏で、
さらには自分で作曲までするようになった。

今回、彼らは能力の限りを尽くし、どんなアイドル歌手たちとも違う製作方法をとった。
陳昇は、台湾のこの年頃の少年の、
あの、まだ無知でもあり、力もある状況を活写してみせた。
10代の若者なら、必ず世界とは何ぞやを追求するわけではない。
自分の感情や生活が彼らには1番重要なのだ。
本当に大きな現実にぶつからないうちは、
たとえ失敗しても、避けられない挫折として真剣にぶつかっていくだろう。

それゆえ、このアルバムでは、やはり愛について語らねばならないし、
少年の心をきちんと描き出さねばならない。
歌詞には今の若者の生活のあらましが、
学校や家庭から若者達の活動空間まで、
北京語から台湾語まで、適切に表現されていた。

陳昇の考えでは、CDは社会の公器であり、
どのCDにもそれを出した責任があるのだった。
彼らがレコード会社を一番悩ませたのは、
商業的ブランドからはみ出したやり方をすることだった。
というのも、彼らは、今流行しているものとは別に、
潜在的な流行というものが存在しうると考えていたからだ。
だから、今回、このアルバムで起用された、黄韻玲や李正帆のような編曲者は
今日最も理想主義的な色彩を持った音楽スタッフで、
その1人、韓美強はまだ芸術学院在学中だった。
彼らは金城武の感覚に合わせて仕事を進め、
決していわゆる通俗的流行に迎合しなかった。

レコーディングでは、金城武は同じ歌を1回1回通して繰り返し歌った。
今の歌手が、録音室で1節1節いい部分を切ってつないで
作り上げるようなやり方はとらず、
飾らない本物の効果を期待したのである。
というのも、陳昇は、金城武はそれをやれる歌手であり、
非常によく歌えると見ていたからである。
もしも金城武をどうしても「アイドル」として見るなら、
この少年は非常によい条件を備えているというに過ぎない。
その才能の部分を見落とさせてしまえる顔を生まれもっているのだから。

金城武は、まだ19にもならず、今年の夏、正式に芸能界にデビューする。
その時が来るまでは、彼はまだ1人の普通の男であり、
所属事務所の采配のもと、スケジュール通りに歌のレッスンをし、
ダンスの訓練を受け、自己をきたえ、
未来のすべてに向けて準備を終えようとしている。   (完)


投票所   ←2位ますます迫る!

BBS    22:35 


2004年01月11日(日) デビュー前夜の金城武��

金城武の歌手デビュー――つまり、芸能界への本格的デビューの直前に
台湾の雑誌に載った「金城武は1つの例にすぎない」と題する記事があります。
誌名は不詳なのですが、
人気が出た後から書かれたものではない、ということが貴重なので、
ご紹介してみます。1992年の前半でしょう。
多分3回で。

********

ここでは、金城武はほんの1つの例である。
身長178センチ、体重65キロ、1973年生まれ、19歳にもならず、
十分な若さと十分な長身の外形はこの芸能界でやっていくことができる。
彼は3年前「奇異果香檳汽水」のCMで見出され、
その後、何本かCMを撮っている。
CDを出すのは、綿密に計画された彼の芸能人生の
正式なスタートというににすぎない。

その外形、美貌から、彼がいわゆるアイドル歌手として
位置づけられるのは避けられない。
金城武の所属事務所は、彼を世間一般の流行歌手にはしたくないと考えて、
良いスタートが切れるようにと、
陳昇(ボビー・チェン)と仲間の黄連��が所属する「新楽団」に声をかけ、
この少年の初めてのアルバムのプロデューサーになってくれるよう頼んだ。

アルバムの録音中、陳昇は私に、
金城武のプロデューサーを引き受けた主な理由は、
この少年に、彼の心を揺さぶるような特質を
多く見出したからだと語った。

金城武は非常に聡明で、敏感でもあり、彼自身、
いわゆるアイドルにはなりたいと思っていなかったし、
流れ星のように瞬間だけきらめいて消えたくもなかった。
彼は典型的な今の台湾少年で、言いたいことをいっぱい持ち、
意見も自分なりの考え方もたくさんあった。
ただ、表現の仕方を知らないだけだった。

その年頃のこと、そのような青春に覚える感動は、
陳昇自身、かつて経験したことだったが、すでに記憶から去り始めていた。
だから、陳昇はこの少年が、心の内を語り、
この時代の若者の発想を伝えるのを手助けしてやり、
そのことで、彼を、自身が経験した
往時の記憶を補うものとしたいと思ったのである。
(続く)


投票所 ←あらら、またピンチ!

BBS    14:00 


2004年01月10日(土) 「十面埋伏」とアニタ・ムイ�◆平景酵鑛鵝�

武がほとんど姿を現さないこともあってか、怪我が悪化したと、
またニュースが出ているようです。
しかし、かつて出されたというフーロンのマネジャーのコメントに信を置くなら、
こう言うしかありません。
「無い傷は再発しない」

とにかく月末にはクランク・アップすると言っているのですから、
多少の揺れはあれ、あとわずか。
静かに待つしかないのじゃないでしょうか。

アニタと「十面埋伏」の記事、2回目で完結です。

***********

病気になって、彼女はにこやかに尋ねた。
「あなた方はそれでも私を使いますか」


けれども、世の事は予測できないものだ。
2003年9月5日、アニタ・ムイは記者会見を開き、
自分が子宮頸ガンにかかっていることを公表した。
ニュースは「十面埋伏」製作部に届き、みな不意打ちを食らった思いだった。
すぐアニタ・ムイが自ら電話をかけてきた。
「病気がガンだということはわかっています。
みなさんは、それでも私を使いますか?
今の健康状態はまだ大丈夫ですが、この病気はけっこう厄介です。
気になりはしませんか?」

張偉平は答えた。「がんばれると思いますか?」
アニタ・ムイはちょっと笑って、「できると思います」と答えた。
チャン・イーモウと江志強は、代役は全く考えない、最後までアニタ・ムイを待つと表明。
その間、アニタのマネジャーは製作部と密に連絡を取り合い、
アニタの病状は一定しないが、「十面埋伏」出演には十分自信を持っていると伝えてきた。

歓迎記者会見キャンセル

アニタ・ムイの体調を考えて、「十面埋伏」の彼女の出番は、
すべて北京と永川で撮影するよう手配された。
張偉平は2003年12月8日に北京でアニタのために、
盛大な参加歓迎式典を挙行することを決めた。
マスコミへの招待状は全て印刷し終わっていた。
ところが12月5日、張偉平は突然記者発表会を中止した。

当時明らかにされた理由は、撮影計画の変更だった。
しかし、数日前、記者がインタビューしたとき、張偉平は率直にこう語ったのだ。
「それは、表向きの理由ですよ。
本当はアニタ・ムイのマネジャーが電話で、
アニタは日本でのCM撮影から帰ってきてから、調子は最良とは言いがたく、
少し休息が必要だと言ってきた。
私達はマスコミを騒がしたくなかったから、原因をそう言うしかなかったんです」

張偉平は、「十面埋伏」はずっとマスコミをシャットアウトしてきたのに、
大げさな歓迎式をやろうとした理由は、アニタを喜ばせたかったからだと話す。
「マスコミが書き立てる出演辞退の記事は、
アニタの大きなプレッシャーになっていました。
彼女はにぎやかなのが好きな人でしたから、私はにぎやかな雰囲気を造って、
彼女に病魔に打ち勝つという自信を強めてほしかったのです」

悪い事態の予感

記者会見中止後も、製作部はなお、アニタ・ムイの一刻も早い回復を待ち望んでいた。
2003年12月中旬、張偉平は「十面埋伏」関連の仕事で日本に行った後、
すぐ香港に向かい、アニタ・ムイを見舞ったが、会うことはできなかった。
マネジャーが、アニタ・ムイの体調は最良ではなく、
面会はできないと話したと、張偉平は言う。
製作部は、すでに状況はあまり良くないかもしれないと感じていたが、
マスコミには依然として、アニタは辞退しておらず、待っている最中だと言い続けた。
「今になってみると、それはひそかな励ましと、望みであったのですね」
と、張偉平は言う。
12月24日、張偉平は電話をかけ、
アニタにクリスマス・イブの祝いを伝えたいと告げたが、
マネジャーは、アニタは病院で治療中であり、電話に出るのは難しいと答えた。

永川で、協和病院1番の医師を頼む

2004年1月6日、永川、アニタ・ムイ参加の予定日。
アニタがスムーズに撮影班に加われるよう、
張偉平は協和病院の医師を特別に頼み、
専任の調理師をそろえ、チャーター機を準備した。
チャン・イーモウも、アニタのために、
撮影が終わった後の控えのじゅうたんや居心地のよい場所を用意し、
アクション演技の際のスタントも決定した。
永川竹海はかなり寒いので、彼女の部屋は特に南向きを用意した。

2003年12月30日、永川。
アニタ・ムイ死去のニュースが撮影班中を駆けめぐった。
チャン・イーモウの提案で、撮影隊は仕事の初めに3分間の黙祷をアニタに捧げた。
その後、誰が代役となるのかが注目の的となった。
張偉平は、確かに代役を検討した、と話す。
だが、最終的に、アニタの「十面埋伏」中の役は、代役をおかず、
チャン・イーモウ監督が責任をもって脚本構成と進行の調整にあたり、
そのことで、この優れた芸能人への敬意を表すことに決まったのだった。
(新聞晨報 1004.1.5)


投票所

BBS  1:55


2004年01月09日(金) 韓国女優との共演話・追加

昨日の韓国女優との共演の話は、女優の事務所から出たもののようです。
こういう段階で公になるものに、武が出るのかな〜という感じもあり、
事務所側の宣伝の匂いもしますが、
(たとえボツになったとしても、中国の映画会社が高ギャラで、
人気俳優の金城武を相手役にすえて交渉してくる、という話は
それだけでイメージアップですから)
今まで仕事としてはCMしかしていない韓国が,
新しいフィールドであるのは確かだし、
報道する各紙も、実現しても楽しい「話題」としてとりあげているのかもしれません。

一応、今日の大成報が、昨日は「未定」とあったタイトルも書かれて、
ほんの少し詳しいので。

********

チェ・ジウの事務所が明かしたところによると、
大陸のある映画会社が3000万台湾ドルを越える出演報酬で、
チェ・ジウに金城武との共演映画をオファーしてきたという。
映画会社はすでに韓国に向けて発ち、チェ・ジウの事務所と直接、委細を交渉する。
チェ・ジウが出演した中韓合作のドラマシリーズ「101回のプロポーズ」での
チェ・ジウの演技に監督は非常に満足し、
再び彼女に新作映画「漢城(ソウル)恋歌」への出演を依頼してきたものだ。

国境を越えた合作はすでに芸能界の潮流となっている。
韓国ドラマが日本で市場開拓を果たした後、
多くの韓国スターも、日本への進出を自身の芸能キャリア発展の新しい道とみなしている。
金城武は、その、台湾と日本の混血で多言語を話せるという魅力により日本市場に進出、
今も、彼の出演する携帯電話のCMは、流行の先端を行く。
彼が主役を務める映画「十面埋伏」は、昨年末、
日本のマスコミにより、2004年最も期待される作品とされ、
2大話題作として、木村拓哉参加の「2046」と並び称された。

近年、金城武は出演作の質を優先しているため、
日本での露出ははCMが主で、
最近では黒木瞳と共演したドラマ「ゴールデンボウル」があるのみ。
もし、本当にチェ・ジウとの映画での共演が実現するなら、
かつて、CMで韓国にブームを起こした金城武は、
中華圏、日本、そして韓国市場を股にかける、
国際スターの魅力を再び発揮することになるだろう。
(大成報 2004.1.9)


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BBS    10:10 


2004年01月08日(木) 金城武、韓国のチェ・ジウと共演?

東方日報と明報が短く伝えています。

ドラマ「冬のソナタ」で人気の韓国の女優・崔智友(チェ・ジウ)に
中国の映画会社が新作(タイトル未定)への出演を交渉中、
相手役にはすでに金城武が確定している――とか。

韓国関係のニュースは、確定したかのような記事のものでも、
これまですべて空振りに終わっているので、一情報として。
この2つの新聞はそんなにいい加減ではないと思いますが、
直接取材ではないようですし、見守りたいと思います。


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BBS  9:10


2004年01月07日(水) 「十面埋伏」とアニタ・ムイ� 平景酵鑛鵝�

大陸の新聞によると、アンディ・ラウは7日に永川に行き、
10日まで撮影を行なって、アニタの葬儀のため、香港に戻ると言われています。

11日頃、永川での撮影を終了、その後、再び北京に戻って、
セットでの室内部分を撮影、月末にはクランク・アップというスケジュールになりそうです。

ところで、亡くなったアニタ・ムイですが、
これまでの新聞ニュースだけを見ていると、
なぜ、重い病気のアニタがずるずると出演を辞退せず、
その結果、撮影は遅れ、脚本の書き直しを招くことになったのか――
このような影響をこうむっても、
なぜチャン・イーモウは、アニタをそこまで大切に扱うのか――
アニタが優れた女優だったとしても、今ひとつわかりにくいように思います。

一昨日(1月5日)の中国の晨報に、アニタ・ムイとこの映画との
そもそもの関わりからをまとめた記事が載りました。
多少とも理解を深めるために、ご紹介してみます。
長いので、2回に分けます(もしかしたら3回)。

なお、アニタの好きな歌手は西城秀樹と、先日のプロフィールにありましたが、
少女の頃は、香港のファンクラブの会長を務めていたそうです。
(8日の↓の西城秀樹の言葉によると、副会長)
明日のりんご日報に、西城秀樹がアニタのために追悼のコメントを寄せると、
アジアン・ドロップスのメールマガジンにありました。

私は病気です。それでも私を使いますか

アニタ・ムイは、「十面埋伏」に登場できずに終わった。
この、チャン・イーモウ監督、アンディ・ラウ、金城武、
チャン・ツーイー主演による武侠大作は、
アニタ・ムイを失って、埋めることの出来ない無念を残した。

アニタ・ムイは命の最後の時間に、最後の気力をふりしぼり、
大切な歌と映画のファンに、
自分の芸術の思い出を少しでも多く残したいと必死だった。
彼女は一度ならず、「十面埋伏」に参加する決心を明らかにし、
チャン・イーモウも、2004年1月6日を――つまり明日だが、
アニタが撮影に加わる日と決めていた。
だが、今はただ、人の生死ははかりがたいという現実を見つめるしかない。
記者は先日、プロデューサーの張偉平とメインスタッフに独占取材を行い、
アニタ・ムイと「十面埋伏」との、5つの思い出の真相をたどることを通じて、
アニタの最後の日々の、渾身の努力と、執念と勇気とを偲んだのである。

事の起こりはチャン・イーモウが「ルージュ」を好きだったこと

2002年の末、チャン・イーモウの、
興行成績2億をたたき出した「英雄」がまさに上映中だったころ、
「十面埋伏」の脚本はすでに準備が進められていた。
出演者には、香港・台湾の大スターを起用したい意向があり、
雑談のとき、チャン・イーモウがアニタ・ムイの名を出したのである。
張偉平の回想によると、
チャン・イーモウはアニタ・ムイの出演作「ルージュ」を非常に気に入っており、
またアニタ本人の仕事に取り組む真摯な態度は
芸能界の誰もが賛嘆するところだったので、
「チャン・イーモウは早くからアニタ・ムイと仕事をしたいと思っていた」
という。

2003年の初めになって、脚本の基本が出来上がり、
その中の、旅芸人の世界で高い地位を占める�狢膂晃罩瓩量鬚蓮�
出演部分はチャン・ツーイー、アンディ・ラウ、金城武ほど多くはないが、
ストーリー展開のばねとなり、「カギ」を提示する役割を持っていた。
チャン・イーモウは、アニタ・ムイは、毅然として、
勇敢で人の上に立つという気質にぴったりだと考えた。
最終的に、香港のプロデューサー江志強と相談し、
スケジュールなどについて確認した上で、アニタ・ムイが最終的に選ばれた。

対面。報酬は意に介さず

2003年の3月頃、チャン・イーモウと張偉平、江志強の3人は、
香港のシャングリラホテルで、初めてアニタ・ムイに会った。
張偉平は回想する。
このとき、アニタ・ムイは誰も連れず、
白のジーンズに白いシャツという服装で、1人でやってきた。

「全然スターぶったところがありませんでした。
江志強が私達を紹介すると、アニタ・ムイはあわててチャン・イーモウと握手し、
『よく存じています。あなたの作品は素晴らしくて、私は大好きです』と言いました」
張偉平は、そう語る。
「よけいなあいさつは抜きで、アニタ・ムイは、
先に大事な仕事を片付けましょうと言いました。
そこで、私達は脚本の話に入り、アニタは監督に自分の考えを伝えました。
役柄にはほぼ満足ということで、彼女は『十面埋伏』への出演を即答し、
出演報酬や待遇については、全然気にしませんでした」

交渉が成立した後、4人はホテルのレストランで夕食をとった。
アニタは少ししか食べず、よく話したと、張偉平は言う。

「彼女は、天性楽観的で明るいタイプで、他人によく心を開く人でした。
食事の席で、私達は香港の芸能界のことについてかなり話をしましたが、
アニタ・ムイは他の人のプライバシーに注意を払い、
人の品定めもせず、批評はいつも良い面を見ようとするものでした」

映画の製作部がアニタ・ムイと2度目に香港で会ったのは、
新型肺炎の流行していた時期のことだ。
このときは、チャン・イーモウと江志強の2人だけだった。

戻ってきて、2人は張偉平に語った。、
アニタ・ムイはレスリー・チャンの死で非常に憔悴している、
だが、それでもまるで勇士のように、芸能界を団結させ、
「1:99音楽会」(5月25日。新型肺炎SARSで親を失った子どもの
育英資金募集のためのチャリティ・コンサート)を
先頭に立って開催させたのだ、と。
チャン・イーモウは「断固とした闘士」という言葉で、
当時のアニタ・ムイを形容した。
そして、彼女が出演する「十面埋伏」の、
最終的詳細が基本的に確定した。   (続く)


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BBS  22:40


2004年01月05日(月) 「只要妳和我」の頃

歌手時代の話です。
以前紹介した文章にもあった通り、
陳昇というプロデューサーを得た金城武のデビューアルバムは、
台湾語の歌や、武自身の自作曲を含む、意欲的なものでした。
しかし、2作目「只要妳和我」には日本のヒット曲のカバーが収録され、
続いて「温柔超人」と、アイドル路線に傾いていきます。

その頃の雑誌記事から(ただし出典不詳)、
陳昇によって歌の面白さに目覚め、
歌手としてがんばっていた彼の姿がかいま見えます。
中に出てくるBEYOND(ビヨンド)は、香港のグループ。
彼らと交友を結んでいたことも、以前ご紹介した中にありました。
検索をかけてみてください。

*********

金城武歌う「只要妳和我」は日本のグループ、米米クラブの作品の編曲である。
ということは、陳昇(ボビー・チェン)と彼が強調してきた、
オリジナル曲、カバーはやらないという方針を、自ら破るものではないのだろうか?

「これはレコード会社と年代の要求なんです。
ボビーとぼくは当然、絶対やりたくありませんでした。
ボビーのアーティストかたぎからしたら、これは余計に受け入れられないことだったし。
それで、ぼくらは最後に、こうすればいいんじゃないかと思いついたんです。
つまり、この歌を普通のデモテープにしちゃうってこと。
そして、非の打ちどころのない編曲と演奏で、必ず原曲を越えようと決めたんですよ。
その結果、ファンの熱烈な反響を得て、成功することができました」

金城武と陳昇は、「好朋友」という歌を共作している。
これは、初めは恋の歌だったという。
ところが陳昇が、友情賛歌に変えてしまった。

「ぼくはボビーに対し、ほとんど頭に来てたんですよ。
ぼくが香港で映画の撮影に行っているすきに、
何にも言わずに歌詞を変えてしまったって。
レコーディングのときになって初めて知って、彼に強く言いましたよ。
「ぼくの作品は使うのやめましょう。
なんで歌詞をまったく別物に変えちゃったんですか」って。

ボビーはそれを聞いてひどく腹を立て、どなりました。
「この歌は、俺と、黄連��と君とで一緒に創り上げたものだ。
こんなことはこれまでになかった。
もしかしたら、これが最初で最後かも知れない。
どうして君はこんなチャンスをないがしろにしようとするんだ」

その後、家に持ち帰ってじっくり聞いてみて、
ボビーの歌詞にすごく心を打たれました。
彼のことを悪くとって、ほんとにすまなかったと思ってます」

実は、金城武は陳昇を「好朋友(親友)」だと思っている。
「ボビーはぼくに作曲と作詞というものを教えてくれたし、
世の中の見方まで教えてくれた。
彼はぼくが地道に歩んで、優れたシンガーソングライターになり、
独自の風格を作り上げることを望んでくれています」

金城武にとって、親友の定義とは何か?
「親友のためなら、どんなことでも進んでやる」
金城武にとって友情は一番大切なものだ。
友のためなら、艱難辛苦も辞さない。

親友の家駒(BEYONDの中心的メンバー。日本のテレビでの仕事中に事故死)が
「突然行ってしまった」ことに触れて、
金城武は「最近では、最大のショックだった」と言う。
「家駒の死を、ぼくは今でも信じられないし、受け入れることができないんです。
数ヶ月前、日本で彼と一緒に福山雅治のコンサートを楽しんで、
おしゃべりしたのをまだ覚えてますよ。
彼のファンが理性を失わないか、すごく心配です。
ファンクラブは残されたメンバーをこれからも支え続けてほしい。
彼らは香港で真に一級のバンドです。
音楽はものすごく引き込む力があるし、歌詞は内容がある……」
彼は暗い顔で言った。
「素晴らしかった家駒の姿は、いつまでもぼくの中に刻み込んでおきます」


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BBS  23:45


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