武ニュースDiary


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2003年06月19日(木) 台湾・延期の第14回金曲奨開催へ

新型肺炎の流行で延期された第14回金曲奨の実施について、
早ければ7月末に行われるとの見込みだそうです。
金曲奨事務局はできるだけ早く行いたい意向ですが、
いつになるかは会場しだいとのこと。

当初の予定だった国父紀念館は年末まで予約がいっぱい。
16日、事務局と東風両者で、台大体育館を視察し、東風はこれは行けるという感触を持ちました。
イベント会場としては、国父紀念館よりはるかにすぐれた点が多く、
もしここに決まれば、新しい試みもできるだろうと東風は見ています。
ただ、準備には1ヶ月以上かかり、
スケジュールが取れるのが7月末以降であるため、いつにするかは検討中。

ゲストは新しく交渉しなおすが、前回依頼した人にはできるだけ出席してもらいたい方針。
コンサートなどの企画についても変更しなければならないでしょう。
例えば、当初、考えられていたレスリー・チャン追悼の企画も再考されるそうです。
(聯合報・聯合晩報 2003.6.17よりまとめ)


BBS


2003年06月18日(水) 「君のいた永遠」と台湾大地震●RE:「君のいた永遠」(心動)・ジジのMTV

「君のいた永遠」と台湾大地震

15日の民生報で、香港の映画会社メディアアジア・フィルムズについて書いてあるなかに、
「心動(君のいた永遠)」の公開時のことがあり、懐かしかったので、ちょっと。

シルビア・チャンと3大若手スターの共演による大注目作。
早くから、多種多様なプロモーションが行われていた「心動」ですが、
ご存知のように、香港でプレミアが華々しく行われ、
引き続いて台湾でも行われようとした矢先、大地震が起きてしまったのでした。

1999年は、夏にエリクソンのCM第1弾ラーメン編、第2弾心のコミュニケーション編が
続いてオンエアされ、ポスターは盗まれるわ、売れすぎて欠品を起こすわ、
そして秋の「心動」で、ある意味、台湾での金城武の人気が絶頂に達した年でした。
7月に初めての台湾行きを実現した私も、武バスには何台も遭遇し、
テレビでラーメン編を目撃しました。
向こうで知り合いもでき、ですから、その秋の大地震は本当にショックでした。
通勤時に隣の人の夕刊紙で地震の起きたことを知ったのですが、
台北が全部瓦礫になってしまったのではと、絶望的な気持ちになったほどです。
そういう意味でも、思い出のある映画です。

*********

「心動」は資金面はもちろん、キャスティングにも苦労を重ね、
シルビア・チャンは、何度も製作をあきらめようかと思ったほどだった。
後に、メディアアジアと日本の資本との共同製作となり、
ようやくこの初恋をめぐる恋愛映画は完成をみた。
香港ではこの種の作品はあまり受けないが、台湾ではある程度の結果が見込めたため、
全力をあげて前売を推進した。

9月21日の早朝、シルビア・チャンは、台湾でプロモーション活動を行うべく、
勇躍飛行場へと向かおうとしていた。
そのとき、メディアアジアから緊急電話が入り、ストップがかかった。
台湾で大地震が発生し、大混乱に陥っているというので、
すべてのプロモーションは取りやめとなったのである。

「心動」は地震とまさに鉢合わせしたのだ。当時、台湾中が停電の危機にあるなか、
主演男優の金城武はすぐ飛行機で台湾に到着し、
プロモーションが中止になると、家族のもとに駆けつけた。
宣伝活動ゼロの状態で、台湾中に悲痛な空気の立ち込める状況のもと、
「心動」は公開されたのである。
初日、公開劇場である中国戲院には長蛇の列ができていた。
すぐに、さらに2つの劇場での公開が決定された。
メディアアジア台湾支社では全社員が映画館に出向し、モギリの手伝いをした。
映画館は熱気に包まれていた。メディアアジアのスタッフは、それを、
「中国戲院の一番前と左右両端の席は30年間埋まったことがなかったのに、
どんな悪い席でもびっしりだ」と表現した。

地震により、台湾の建物は多く倒壊し、多数の死傷者を出した。
国中で災害救助に奔走している状況で、
「心動」はなんと5000万台湾元を越える成績をあげたのである。
これは中国語映画が久しく記録したことのない好成績であった。
台湾での結果は香港に伝えられ、香港の興行成績に大きな影響を与えた。
香港のメディアアジアはこれを、前売りが好調であったことが、
大地震の影響を受けずにすんだ理由だろうと分析している。
シルビア・チャン映画の評判が伝わり始めると、当然観客は増えていき、
香港の興行をも動かした。

シルビア・チャンが「心動」の企画を進めていたとき、
3人のスター、金城武、ジジ・リョン、カレン・モクはいずれも俳優兼歌手だった。
主題歌をだれに歌わせてもきしみが出るので、シルビアは映画には主題歌を使わず、
この感動的な繊細な物語には、映画音楽のみを配することにせざるを得なかった。
当時、すでに秘密の契約が結ばれていたという。
それはもし主題歌を作るなら、歌うのはジジ・リョンでなければならない、というものである。
後に、シルビアは黄韻玲が作曲した映画音楽に心を動かされ、
歌詞をつけ、シノ・リン(林暁培)に歌わせることにした。
この曲は大ヒットし、世間ではこれが映画「心動」の主題歌だと思われているが、
実は、映画主題歌ではなく、映画「外」の主題歌でしかないのである。
(民生報 2993.6.15)

主題歌については、このころには武は既に歌手活動を停止していましたから、
実際はジジとカレンの問題だったのでしょう。
台湾では、主演俳優達の3枚のポスターを用意、
前売り券に好きなものを1枚つけるという方法をとりましたが、
これが大当たり。記録的な売り上げを示していたのです。
もちろん一番人気はダントツで武のポスター。
細長い、しゃれたデザインでした。↓ わかりにくいですが、白く縁取りがしてあります。
(本当は3枚同じ大きさです。念のため)

     

日本では、前売り券1枚につき、1枚の浩君の写真入り、
銀色のやや大判のポストカード1枚でした。
他に、メモ帳やミニポスターなども製作され、宣伝はかなりがんばっていたようです。
銀座で「君のいた永遠」のパネル展が開かれたとき、
会場に武に渡すという寄せ書きノートが置かれ、何冊にもなっていましたが、
そこへの書き込みで、正月から月9で中山美穂と共演するということを知ったのを、
今思い出しました。


BBS

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RE:「君のいた永遠」(心動)・ジジのMTV - 主題歌がないという話は当時の新聞でも読みました。
99年8月の星報では、金城武はずっとCDを出していないから別として、
ジジとカレンの双方が主題歌を歌うことを希望していたため、
角が立たないように主題歌なしで行くことに監督が決めたとあります。

監督はジジに対して、その穴埋めに、映画の映像を使って
ジジの新曲のMTVを自ら製作してやりました。
アルバム「新鮮」の中の1曲「我很好」です。
これと、映画の予告を収めたVCDが、このアルバムの第3版の付録としてついたのです。
向こうでは、販売促進のためにCDにおまけがつくことが多いのですが、
初回、第2回……と、違ったものをつけていくので、
ファンはチェックが大変。
武は「幸い」今はCDを出しませんから、そういう「苦労」はありませんが……
それはともかく、なかなかいい曲で、映像ともよく合っているし、
まるで映画の主題歌のような感じがします。



とにかく、このときの宣伝はすごくって、「向左走〜」はポスターが3種出るそうですが、
「心動」は何種出たのか――
香港・台湾それぞれ違う写真集が出たくらいで(日本版も独自編集でしたね)、
関連のグッズや出版物、雑誌類を全部買っていたら、財布がかなりキビしくなるほど、
まさに「うれしい悲鳴」状態でした。
そんな中で心待ちにされていたプレミアが、こんな形で中止になるとは
もちろん、だれも予想していなかったと思います。
にもかかわらず、大ヒット。
前売りが台湾で新記録状態であったことも原因でしょうけれど、
未曾有の事態の中で、美しい監督と俳優達が描き出す細やかな恋愛映画が
人々の心をなぐさめたという面もあったのではないでしょうか。
そんな気がします。


BBS


2003年06月17日(火) 武 in 「日本語会話」テキスト

台湾の若者向けの日本語会話学習誌を2,3見たことがあります。
けっこう楽しげなつくりで、芸能界の話題やファッション、旅行など、
現代的題材をいろいろととりいれていますが、
その会話文が、かなりくだけたものであるのに、ちょっと驚きます。
流行語とか、若者特有の言い回しとか、
もし、こんなのを英語や中国語のテキストで使われたら、私なんかお手上げ……
これはいわゆる哈日族(まだこの言葉は生きてるのかな?)向けだから?
連ドラに使われるような話し言葉がいっぱいで、実用本位なのでしょうか、
あちらの人たちは果敢だなあと、感心してしまいます。

台湾の人から以前コピーを送ってもらったのも、
多分、そういう会話誌の1つだと思うんですが、
内容も、またそれを北京語でどう訳しているのかも面白かったので、
みなさんにもお見せしたいと思いまして……(無断転載ごめんなさいm(_ _)m)
去年の夏の号です。

1枚目と2枚目


BBS


2003年06月16日(月) 「向左走、向右走」製作発表会のエピソード・3

マレーシア・メディアの記事、最後の分です。

*********

ジョニー・トーは、金城武を映画「向左走、向右走」の主役に選んだわけを、
彼が非常に物静かで、原作の主人公にぴったりだったからだと語った。
「それに、いつもはなかなか見られない。
露出がすごく少ないから、とても貴重な感じがあるだろ。
アンディ・ラウなどがしょっちゅう見られるのとは違って」

アンディとの仕事が多く、常に彼のために新境地を開拓してきたトー監督は、
自分が失言に近いことを言ったのに気がついて、すぐ弁解してこう言った。
「アンディがよくないと言ったんではないよ。
ただ、彼は露出があまりに多いから、みんなよく知りすぎていて、
原作のメランコリックで寡黙な主人公には合わない感じがするということなんだ」

自分を大きな子どもだと自称し、
子どもの心を持ち続けて初めて大胆な創作が展開できるんだというジョニー・トーは、
この映画を撮るにあたっての心積もりについて、
自分は原作が本当に気に入っていると何度も強調した。
「年齢、階層を問わず、人はみなどこかでつながりあって生きている。
この映画は、その、人の縁、そして人と人とのかかわり方を描くものだ。
私達は映画化に際し、原作の味わいと精神をそのまま残すようにした」

この映画は他の香港映画と、何か違うところがあるのだろうか?
彼は、台湾でロケを行ったことをあげた。違う場所を舞台にすることで、
いつもと違った感じを与え、香港の観衆に新しい視野を与えたいと望んだからだ。
そのとき、中国の記者が発言し、
�牋柄亜▲札螢佞凌瑤�100に満たない映画を見たことがある�瓩箸いΔ茲Δ覆海箸鮓世辰拭�
トー監督はその質問の意図がつかめなかったが、それがわかったとき、はっきりと答えた。
「大丈夫! 我らが映画のセリフは絶対100以上はあるよ!」

*********

この話を読んでも思うんですが、ファンにとっては「忍耐」のもとである露出の少なさも、
製作側にとっては、大スターでありながら新鮮さを感じさせる、
プラスの方向に働いている気がします。
それと、かけもちをせず、その作品だけに専念することも、
いい悪いではないですが、監督にとってはやはり嬉しいことなのではないでしょうか。
カムハン監督も、確かそのようなことを言っていたと思います。


BBS


2003年06月15日(日) 「向左走、向右走」製作発表会のエピソード・2

同じマレーシアの記者によるものをもう少し。

***********

「向左走、向右走」の中でバイオリニストをやるんだと知ったとき、
金城武がまず一番にしたことは、トー監督にこうたずねることだった。
「ぼく、バイオリンを弾かなくてもいいかな?」
(答えはもちろん、「ダメ! 原作に忠実にやるんだから!」)
そこで、彼は役柄になりきるため、レッスンに通い、
今ではいくつか簡単な曲を弾けるようになった。
しかし彼は、バイオリンは難しいと、繰り返し強調する。
「正しい姿勢が大事だし、自然な感じに見えなくちゃいけないからね」
言いながらおどけた顔をしてみせる。

製作発表会のとき、彼は、ジジ・リョンとはまるで別の映画に出ているみたいだと言った。
――では、だれが相手役なの? 
彼は笑いをこらえきれない様子で答えた。
「それでもやっぱりジジなんです! でも、たいてい自分を相手に演技している。
うーん、つまり空気を相手役にね!」

彼によると、この映画では学ぶことが多く、監督がどのようにシーンを組み立てるのか、
どんなふうに撮影するのか、実地に見ることが出来るという。
「ぼくは毎回隣で見ているんですけど、
いつも感じるのは(と右の席のトー監督を指して)監督はすごいってことです」
このとき、トー監督がちょうどセキをした。
金城武は監督を見て、「本当ですよ、おせじじゃないですよ」と言ったので、
監督は笑いながら彼の足をたたいた。2人がお互いを理解し認め合っているのがよくわかる。
もともと金城武の香港映画第1作は、トー監督の「東方三侠2」であり、
数年前には、「パラダイス!」で再び一緒に仕事をしている。
金城武が「あの映画は本当にくたびれました。だって殴られてばかりだったから」
と言うと、トー監督は声をあげて笑った。

映画「リターナー」、ドラマ「ゴールデンボウル」などのように、
最近仕事の中心を日本に移しているように見えることについては、
別にそういうことではない、日本でオファーされた作品が、
とてもやってみたいものだったからだと答えた。
また、脚本だけでなく、製作スタッフも見て作品を決めるという。
では、ずいぶん選ぶんですね、と聞かれて、彼はまあ、そうですと答え、
「けっこう選びます。自分がやりたいという気持ちになるだけでなく、
その仕事の中で何か新しい経験ができて、もっと自分が成長できるものがやってみたい。
大事なのは、自分が好きだと思えるということですね。
無理のある脚本はやりたくない。そこに真実を感じられるものがいいと思います」

彼はこの作品に出ることになって、初めてジミーの原作を読んだそうだが、
�狄佑魑磴�せたり、笑わせたりする文芸作品�瓩�とても好きだという。
最近印象に残った映画か本は? と聞かれて、
彼は右手で右の目を押さえ、しばらく考えたあげく、
いかにもいたずらっぽい様子で答えた。
「スピルバーグの『A.I.』です。オイオイ泣きました」


BBS


2003年06月14日(土) 「向左走、向右走」製作発表会のエピソード

加勢大周のお話のはずでしたが、「向左走、向右走」関係で
マレーシアの記事が面白かったので、寄り道します。
気分は今、「向〜」でもありますし。

4月末に製作発表会が香港であったときのこと、
招請を受けてマレーシアからも「星州日報」の記者が取材に赴きました。
今さらですが、香港・台湾の記事と趣が違っているのでご紹介。

*********

2月末にワーナー・ブラザーズ・マレーシア支社から話があり、
「向〜」製作発表会の取材に招かれて香港を訪れた。
星洲日報はマレーシアで唯一招かれた新聞であり、
しかも主演男優は、めったにメディアに姿を見せない神秘の大スター金城武だものだから、
少なからぬ羨望のまなざしを免れなかった。
製作発表会では、マスコミは金城武に殺到し、
彼らには、ジョニー・トー、ワイ・カーファイ、ジジ・リョンは
まるで重要な脇役くらいにしか見えていないかのようであった。

発表会終了後、マレーシア、中国、シンガポール,日本などのマスコミによる
共同インタビューの時間がもうけられた。
映画会社は、監督2人と主演男女優のインタビューを、
10数人の記者を2グループに分けて行うことにしていた。
もし、トーとワイの2人を一緒にし、主演2人をもう1組にすれば、
20分間のインタビューは、十分話が聞き出せるものになったかもしれない。
あいにく映画会社には彼らの考えがあって、結局ジジ・リョンとワイ・カーファイ、
ジョニー・トーと金城武という組み合わせでインタビューは行われた。
監督と俳優の両方に気を配りながらのインタビューは、
出演者としての話を少し聞いたと思ったら、今度は監督する上での話に変わり……というふうに、
どちらも十分に聞くことができず、かゆいところに手が届かない感じになりがちだ。

20分の持ち時間ということで、みんなはまずジョニー・トーに狙いを定めた。
それから、おっとりして口数の少ない金城武をゆっくりインタビューするつもりだったのだ。
トー監督は汗っかきで、話に熱が入ると、ハンカチで顔をぬぐっては話を続けた。
その隣で、金城武はまるでおとなしい子どものように、もっぱら耳を傾けていた。
トー監督にいくつか質問がすんだころ、スタッフが済まなそうにやってきてこう言った。
「金城武はすぐ撮影に入らなければなりませんので、
最後に2つだけ質問をして終わりにしていただけませんでしょうか?」
(最後に2つ? 私達はまだ質問を始めてもいないのに!)

そこで、みんなはトー監督はちょっと「横においといて」、いっせいに金城武に矛先を転じ、
質問しようと先を争った。金城武を簡単に放してなるものか!
幸い、本当に2つだけということにはならず、金城武は1つ1つ質問に答えてくれたが、
最後には撮影をこれ以上遅らせるわけにいかないということで、
すみませんと言いながら、会場を去っていった。

面白かったのは、金城武が自分が何語で話したらいいか、迷っているらしかったことだ。
記者達がそれぞれどこから来たか自己紹介すると、彼は一々うなずいてニッコリした。
いよいよ質問に答えるとき、彼は言った。
「北京語で話しましょうか、それとも広東語の方がいいですか?」
結局、得意なほうの北京語で答えを返した。
(2003.4.27)


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2003年06月12日(木) 「向左走、向右走」いよいよ上映へ

香港・台湾の各紙に一斉に第2弾ポスターと公開の記事が。
香港では9月11日の中秋節、
台湾では9月末の教師節(いつでしょう)に上映されることに
正式に決まりました。シンガポール、マレーシアは香港と同時公開です。

今回、2枚1組の新ポスターが公開されました。
最初の自転車に乗ったポスターは日本で撮影されたものですが、
新しいものは、台北の市政府前広場で100人以上のエキストラを使って撮影。
人工雨を降らせる中、10数回撮り直した、力のこもった作品。



追記:調べました。教師節は孔子の生誕を祝うもので、中華民國では国の休日。
   孔子が生まれた陰暦8月27日を太陽暦に換算した9月28日――だそうです。


追記2:ポスターの絵柄を拡大すると、1枚目、2枚目。

追記3:放水車を使って雨を作り、何度も取り直しで、武、ジジとも風邪をひいてしまったとか。
    また、この後ポスターはあと1種類製作されるそうです。


追記4:台湾りんご日報には、9月27日上映とあります。


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2003年06月11日(水) チャン・イーモウの新作・主演はアンディに

昨日今日の大陸メディアに続々アップされていますが、
9日朝の中国瀋陽今報の報道が最初のようです。

チャン・イーモウの新作の主演男優はアンディ・ラウに確定したと、
記者の取材にプロデューサーの張偉平が直接返答したそうです。

8日にアンディ・ラウが香港での催しの際、国際舞台での活動を考えているが、
それはチャン・イーモウの作品に出演するという形で実現したいと述べたことから、
同紙記者が張偉平に問い合わせたもの。
アンディはチャン・イーモウと仕事したいとこれまでたびたび表明していましたが、
すでに監督とアンディは隠密裏に接触をしているとのこと。
さきに確定済みのチャン・ズーイー、そしてアンディ以外の配役については、
まだ最終決定を見ていないそうです。
脚本はほぼ完成し、順調に行けば年末から撮影の予定。

その他の配役に金城武が予定されているのかどうかは全くわかりません。
記事は「主演男優は金城武からアンディ・ラウまで、にぎやかに取りざたされていたが」
という書き方をしているので、微妙です。

海外ファンサイトでは、この映画への出演の可能性について、
特にチャン・ズーイーとの共演の是非で意見が活発に出ていましたので、
(彼女との共演は絶対いやだという人が結構多い)
このニュースに喜ぶ人、やはり出てほしいという人、様々です。


BBS


2003年06月10日(火) 「向左走、向右走」公開日

香港は決まった(?)ようです。

こちらとこちら


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2003年06月09日(月) 金城武、加勢大周に会う (1995)

デビューのときから、金城武は加勢大周に似ていると言われていました。
1995年に、台湾のテレビ局衛視中文台の企画で日本を訪れたとき、
その加勢大周に会っています。
「金城武対金城武」という番組に、そのほんの一部がおさめられていて、
VCDで見た方もいらっしゃるでしょう。

1995年1月19日の聯合報によると――
<スタジオで会った2人を見て、周りは「よく似てるねえ〜」とささやきあった。
スタッフの話では、加勢大周は台湾に自分によく似たアイドルスターがいると聞いていて、
ずっと会ってみたいと思っていたそうだ。今回、衛視が対面を企画したことで、快諾。
武を一目見た彼は、本当にびっくりし、「想像していたよりずっと似ている」と言った。
観察するうち、違うところも発見。
加勢大周いわく、「彼の鼻の方が高い」「あちらは一重瞼」「彼の方がハンサムだ」……
言われて武は恐縮した。

武は自分の最新アルバム「標準情人」を記念に献呈。
加勢大周は武が歌と映画の両方で活動しているのを非常に羨ましがった。
彼は歌が好きだが、カラオケで発散するだけで、今しばらくはアルバムを出す予定が無い。
彼は自分からCDに武のサインを求め、
今年、マスコミを避けて台湾に観光に行くつもりだと打ち明けた>

↑のTV番組では2人同じ画面に映したシーンがないのですが、
確かに似ていると言えるかも。
キャプできないので、志ある方は、よろしくお願いいたします。m(_ _)m
話すときの、自分の内側を見ながら言葉を選んでいる感じと、
話し終わって、自分に確認するように、細かくうなずくところなども
似ているように思えました。

この対面について、別の記者による、もう少し詳しい記事をこの次ご紹介します。


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