武ニュースDiary

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| 2003年06月06日(金) |
ベルリン映画祭での「ラベンダー」(2001) |
Yahooの掲示板でしたか、ある人が「ラベンダー」をつきあいで見に行ったとき、 1人、すごく反応してよく笑う観客がいたのだそうです。 他の人はみな静かだったそうですが(書いた本人は眠かった!そーです)。 終わってから見たら、白人の男性で、やっぱり見るところが違うのか…… とありましたけど、それで思い出したものが。
2001年2月に「ラベンダー」はベルリン映画祭でパノラマ上映されているのですが、 (ラスト、閉幕作品として) そのときのドイツの観客の反応を報じたニュースです。 (他の香港映画についての記述もありますが、割愛)
「ドイツの観客の香港映画愛好度は、日本と負けず劣らず、台湾などより、はるか上である。 金城武とケリー・チャンが主演した「ラベンダー」は、構想が非凡で、 凝ったカメラワークのロマンチックな恋愛映画であるが、 英語字幕で鑑賞するドイツの観客の反応は熱烈だった。 1000人を越える超満員の観客は、多くがサラリーマンや中上流層の人たち。 カップルも多く見られる。 映画が終わると満場の拍手、さらには「ブラヴォー」の歓声が沸き起こった。 そしてスタッフロールが終わると、再び拍手。 監督のイップ・カムハンはこの身にあまる待遇に驚き、喜んだ。 「ラベンダー」は流行のアロマオイルに託した、 地上に落ちた天使と愛を失った若い女性との物語で、 超現実的で明るいストーリーは、実はケリー・チャンがアロマ浴をするときの一時の夢である。 終わり近く、プロヴァンスの広大なラベンダー畑で撮影されたシーンは、静かで美しい」 (民生報 2001.2.19)
カムハン監督と観客とのやりとりも、すごく活発だったそうです。 西洋の人たちが、映画のどこを面白がったのか、知りたい気がします。
BBS
--------------------------------------------------- おことわり - 今日、有事三法が成立しました。 無力感で何をする気にもなれません。 1日お休みします。 何が起こっているか知ることなく、 浮かれている私達日本人のこれからを考えると目の前が暗くなります。
BBS
| 2003年06月04日(水) |
CM出演の基準 (1996民生報) |
D505i のCM、欲を言ったらキリないけど、私は満足。 少なくとも、商品の訴求力はあるんじゃないかな。CMは、まずそれが第一だし。 それはともかく、自分の使う可能性のないもののCMには出ない(ヤウさん談)武。 逆に言うと、携帯なんか、もうぴったりで、 いつかは日本でも出演するだろうと予想されてたと思います。 (ただし、使いすぎには気をつけてほしいけど。電磁波の安全性は証明されていません。 ちなみに携帯は目と脳に至近距離で使用するので、子どもにはできるだけ使わせない方がいいそうです)
その原則で行くと、不思議だったのが、コンタクトレンズ保存液のCM出演。 ご存知のように、彼はすごく目がいい。
これですね。
もっとも、後にエリクソンのサメ機CMでブルーのコンタクトを使用し、 装着に悪戦苦闘していましたね。 ちょうどこの疑問に答えている記事がありました。
1996年1月の民生報ですが、「いいかげんに売りつけているんじゃありませんよ」というタイトルで、 スターにも、それぞれCM出演のポリシーがあると書いています。
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消費者第一の時代、スター達も、CM出演に際し、「自分は誠実だろうか?」と、 ますます自問せざるを得なくなっている。 金城武は近視でないのに、どうしてコンタクトレンズ用品のCMに出ているのか? ジャッキー・チェン、天心など、それぞれに自分の尺度と、選ぶ基準があるのが面白い。
天津で「暗黒街」を撮影中の金城武は、スター人気急上昇中で、 多くのスポンサーに最高のCMキャラクターとして目をつけられている。 スケジュールの都合がつかず、多数断っている状態だが、事務所はオファーの中から、 「若さ」のイメージで訴えかける、あるコンタクトレンズ保存液のCMの話を選び、 武にやらせたいと考えた。武は承諾した後、自分が近視でないことを思い出し、 「嘘をいうことになるんじゃないか」と1人悩んだ。
偽ってCMに出る気にはどうしてもなれなかった武に、CM会社がこうアドバイスをした。 「今は近視でない人も、カラーコンタクトをするのが、一種の流行ですよ」 それは、武にも納得できる理由だった。彼自身、カラーコンタクトをする友人が多かったからだ。 となると、保存液の問題は大事だ。 彼はすっきりした気持ちでCM撮影に台湾に戻ったのである。
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もう1人、ジャッキー・チェンの部分を抜き出します。
「ジャッキー・チェンは長いことスターの座にあり、 国際的な舞台でも名声は日増しに高くなっているから、CM出演料は300万香港ドルを下らない。 しかし、金で彼を動かすことはできない。イメージを大切にするジャッキーは、 2年前、喫煙が青少年に悪影響を及ぼすことをおそれて、 長年のニコチン中毒からきっぱりと足を洗った。 当然CMの商品についてもチェックしており、煙草と酒のCMに スポンサーが500万香港ドルのギャラを提示したときも、丁重にお断りしたのだった」 (以上、1996.1.12付より)
↑の広告の左下の部分(懸賞のブロマイド)、ちょっと大きくしてみます。

BBS
| 2003年06月03日(火) |
「恋する惑星」のエピソード・3 |
「恋する惑星」の話を、続けてもう1つだけ。 少し重複する部分もありますが、こちらの方がより詳しく書かれています。
金城武、ウォン・カーウァイと出会う ――千里馬と伯楽がそれぞれの長所を伸ばし合う
金城武は萎縮してしまって手が伸びず、 エキストラのインド人を力をこめて殴ることができない。 エキストラも申し訳程度にはむかうかっこうをするだけだ。 「カット、カット、カット!」 監督のウォン・カーウァイは飛び出していくと、エキストラをつかみ、大声で怒鳴った。 「殴るんだ、本気で殴るんだ、打ちのめせ!」 金城武は横でそれを聞いて震え上がった。 彼は考えた、このエキストラは本気で自分を殴ってくるだろうか、 自分はどうしたらいいだろう? 考えがまとまらないうちに、監督は号令を出していた。「アクション!」 もう間に合わない。金城武の自衛本能は飛びかかってくるエキストラに、こぶしを炸裂させた。 2人は一瞬もつれあい、全力で攻撃しあった。 土ぼこりがおさまったとき、武演じる刑事は、エキストラを押さえ込み、 見事、この「悪者」の頭に銃を突きつけていた。
監督のウォン・カーウァイは昨日、この迫真的なシーンに話が及んだとき、 得意げな笑みを口元に浮かべて言った。 「俳優の心理を理解すれば、簡単に彼らの内心にあるもの(情感)を 表につかみ出すことができるのさ」 このシーンの金城武のアクション演技における、彼の内心の情動とは、メンツの問題である。 つまり、みんなが見ている前でエキストラにたたきのめされたくないということだ。
ウォン・カーウァイは「即興」のスタイルでチームを組織していく。 カメラマンのジェフ・ラウはウォンのやり方をジャズの演奏のようだと言っている。 各人はみな、自分が何をしなければならないか、大まかに知っていて、 実際の成果は、カメラが回り始めてようやく明らかになる。 金城武は「恋する惑星」の撮影の後半には、すでにこの種の即興演技をのみこんで、 自由自在に演じていた。電話をかけに急いで走っていく場面を撮ったときのこと、 彼はあまりにあわてて走ったので、靴が脱げてしまったほどだった。 ウォン・カーウァイはそれがすごくいいと思ったが、 撮り終わったあとで金城武が得意そうに駆け戻ってきて、 こう言うとは思ってもいなかった。 「ぼくの靴の脱げ方、よかったでしょ?」 なんと、自然な感じで脱げたように、武がわざとしたものだったのだ。
ウォン・カーウァイは言う。 「金城武はもっと大人になったら、きっと監督いじめの俳優になるだろう」 ウォン・カーウァイは、フェイ・ウォンも、金城武と似た素質を持っていると見ている。 レスリー・チャンは、ウォンの監督した映画のNG回数記録保持者だ。 「欲望の翼」で42回のNGを出したのである。 (聯合報 1994.8.20)
BBS
| 2003年06月02日(月) |
「恋する惑星」のエピソード・2 |
金城武、初めて大スターと共演、ブリジット・リンに心から敬服
最近「恋する惑星」の試写会が香港で行われたが、 一番観客の好感を得たのは金城武とブリジット・リンの共演シーンだった。
ブリジット・リンと金城武が出会うシーンの撮影には、3晩かかっている。 ストーリーは、失恋したばかりの金城武が薄暗いバーで酒を飲みながら、 一番最初に店に入ってきた女性に恋をしようと決める。 入ってきたのはブリジット・リンだった。 金城武は側に行き、ナンパしようとするが、彼女はとりあわない。
「恋する惑星」はブリジット・リンにとって、結婚前の最後の出演作である。 彼女はずっと金色のかつらにサングラス、そしてコートをはおったままで、 この作品はかなり変わった味わいなのがわかる。 金城武はハンサムな刑事を演じており、 ブリジット・リンとの共演場面が1番多い。 試写の終了後、2人の演技は大変な賞賛を浴びた。 ウォン・カーウァイ監督はすぐ、カットした2人のシーンをもう1度復活させた。
初めてブリジット・リンと共演した金城武は多くのことを学んだ。 彼は、ブリジットが1つのシーンを撮る前に、3,4時間かけて ライティング技師やメイクアップ担当者と打ち合わせをしているのを見て、 大スターの仕事への執念を知った。 ブリジットは気さくな人柄で、武が緊張し始めているのを見て取ると、 自分から声をかけて、こう教えてやった。 「ウォン・カーウァイはたくさん撮って、最後にはいつもカットしちゃうんだから、 安心して大胆に演じればいいのよ。遠慮することないわ」 この後、武は緊張しなくなった。 (聯合報 1994.7.15)
BBS
| 2003年06月01日(日) |
チャン・イーモウ・新作の話題は続く |
チャン・イーモウの次回作については、たびたび噂にのぼり、 以前、こちらでも少しご紹介しましたが、今日のりんご日報にまた記事が。 大陸の報道を元にしたものですが、まずこちらから。
金城武、チャン・イーモウの新作に出演
チャン・イーモウが準備中の時代劇映画は、8月に撮影開始を予定している。 最近、出演者として報じられたアンディ・ラウとチャン・ズーイー、陳道明の他、 金城武の参加も可能性がある。
日本での仕事に重点を置いている金城武は、 以前からチャン・イーモウを高く評価しているが、 今回一緒に仕事をする機会が訪れたことに期待を持っている。 先日、チャン・イーモウのプロデューサー張偉平は、 内地(中国大陸)のメディアのインタビューで、上述の4人が考慮中であることを認め、 起用の可能性を否定しなかった。 金城武は日本での仕事が忙しいが、この映画への出演のため、 事務所ができるだけスケジュールを調整してくれることを希望している。
今回のアンディへの出演要請が興行的な理由からだという噂については、 張偉平は否認し、こう言った。 「完全に役柄上の必要からだ。チャン監督のキャスティングは非凡だと私は考えている。 今は脚本が未完成であり、いつクランクインするかは 新型肺炎(SARS)の状況を見ながら決定することになる」 (りんご日報 2003.6.1)
元になった大陸の記事は、5月30日付の南方都市報のものです。
<チャン・イーモウの新作については風聞が絶えないが、 その真偽については製作が始まってみないと完全にはわからないだろう。 出演者に関してはずっと注目の的だったが、 昨日、記者はプロデューサーの張偉塀を訪ね、 これまでの噂にどうやら一応の結論を得たように思う。
チャン・ズーイーとアンディ・ラウが主演をつとめるという話については、 既に確定しているという報道もあるが、 張偉平は「2人については考慮中で、その可能性があるとしか言えない」と語るのみだ。
先に、金城武と陳道明がこの作品に出演すると香港メディアが報じたが、 張偉平は実に口が固く、 「脚本ができていないのだから、俳優も決まっていない。考慮中としか言えない。 最終的に誰が演じるかは、役柄を見ないといけない」と言う> (以下略)
武の意向については、元記事の方では語られていません。 りんご日報が武の事務所に独自に聞いたものかどうかは不明です。 チャン・イーモウの新作に関する過去の話題は、下の「キーワード」で 「英雄」で検索してください。
BBS
| 2003年05月31日(土) |
「恋する惑星」のエピソード・1 |
千里馬と伯楽にたとえられる、金城武とウォン・カーウァイの出会い―― 2人の最初の仕事である「恋する惑星」のエピソードを、 いくつかの記事に見てみます。
ウォン・カーウァイ、金城武に命を与える
最近、香港で初めての広東語アルバムを出した金城武は、 ウォン・カーウァイ監督「恋する惑星」で優れた演技を見せ、 いっそうその人気を高めている。 いたるところで香港のファンが彼の姿を求め、待ち受けているだけでなく、 台湾のファンまでがグループを組んで、彼の応援をしに香港に行っている。 人気に演技の実力が加わって光彩を放ち、彼は一気に香港映画界の話題の人物となった。
「恋する惑星」は金城武のほか、ブリジット・リン、トニー・レオン、 フェイ・ウォンなどが出演しているが、この映画のプレミアが香港で行われたとき、 金城武の演技に、観客は声をあげ、笑い、拍手をするなど、反応はすごかった。 周星馳(チャウ・シンチー)はじめ、映画関係者たちは、 「金城武はすごく生き生きしてきたね!」と口々に言ったものだ。 監督のウォン・カーウァイはなおさらこのハンサムな青年に大満足で、 実に斬新な演技をすると言った。 この誉め言葉に、金城武は感慨深かった。 なぜなら「恋する惑星」ではさんざん大変な思いをしたからだ。 逃走した犯人を追跡し捕まえるシーンだけで、何度NGになったかしれない。 ウォンはしまいに2人に本当に殴り合えと命じた。 「できません」と武は答えた。ウォンはが怒って、なぜだとたずねると、 今まで腕力で解決しなきゃいけない羽目になったことがないし、 それに自分は天秤座で、平和を愛するからだというのが武の答えだった。 それを聞くや、ウォンは、エキストラに武を殴らせた。 思わず武も手を出し、結局、2人ともケガをして、 武は眉のあたりとあごを殴られ血を流した。幸い、ウォン監督は満足してくれたが。
ウォン・カーウァイは、俳優の持つ力を最大限に引き出すことができる、 名監督だと言われている。 金城武はどう感じているのか? 「実は、ぼくは毎日一体何を演じるのか全然知らないんです。 昨日演じたやり方が、次の日になるとダメだから変えるように言われたりします。 だからぼくは言いました。あなたは昨日、こう演じろっていいましたよって。 そしたら監督は言うんですよ、誰が昨日、俺を信じろって言ったんだ?」 金城武は笑いながら話すが、言葉の調子には監督への尊敬がうかがえる。 (以下略) (民生報 1994.7.13)
BBS
| 2003年05月29日(木) |
金城武とその父 (1) |
「天使の涙」の話になったので、ウォン・カーウァイとの仕事のことを 少し続けようかと思ったのですが、1つ、ご紹介したいものが出てきて、 どうしても先にやりたくなって……。話が飛びますが、ご容赦を。
心路基金会のCMに初めて出演したときのこと、 お父さんと一緒にインタビューを受けているようです。 新聞の家庭欄(!)に載った記事で、長めなので、2回に分けます。
********
金城武が台北アメリカンスクールに通っていたときのこと、 上級生や友達が髪の毛を染めているのを見て、興味をそそられ、 自分も真似して金髪にしたことがある。 家に帰ると、父親が色の変わった彼の頭を見て、かんかんに怒った。 「これは不良のすることだ。なんで同じことをするんだ!」 少年・武は内心不満でいっぱいだった。 悪いことなんかしていない、髪の色が変わっただけじゃないか、 なんでお父さんはわからないんだ!
「子どものころ、ぼくはとても聞き分けのいい子だったんですけど、 ただ、いつも友達と外で遊びまわってて。 両親が心配してるのはわかっていましたけど、 そのころは、本当に友達と遊びたかっただけなんです。 男の子ってそういうもんじゃないですか。 でも、お父さんもお母さんも機嫌が悪かったですね」 息子が成長途中に感じた小さなうらみごとを話すのを聞きながら、 金城節も微笑を禁じえない。
金城節は日本人で、今回初めて息子と一緒に「父子関係」のエピソードを公開した。 「私はいつも彼に、これはどう考えるべきか、あれはどう処理すべきか、 話して聞かせます。彼が理解したかどうかはわかりません。 父と子は、ある時がくれば、友人として互いに対せるようになるものです」 武の父は北京語で自分の考えを説明しようとする。
金城武の、父親に対する印象は、厳格な父だ。 子どものころは、父親はいつも外国にいて不在だった。 家にいるとき、もしも彼を怒らしたりしたら、大変だった。 体罰を加えることはなかったけれど、延々と叱責と説教を食らうことになった。
「だから、ぼくたちはお父さんが帰国すると聞くやいなや、 部屋に飛び込んで、机を整頓し、きれいに掃除しましたよ。 お母さんはお化粧をして、ぼくたちには新しい服を着せ、 一緒に飛行場に迎えに行きました。 お父さんが家にいるときは、ぼくたちはすごく素直できちんとして、 机で勉強しているふりをしていました」 父親の肩にもたれて、金城武は子ども時代の思い出を笑いながら話す。
金城武の母親は、台湾生まれの台湾人だ。 父母の国籍が異なることは、子どもの教育に影響があっただろうか? 「多かれ少なかれあるものですよ。 ですから、子どものことで言い争うことも時にはありました。 例えば私は子どもの責任感というものを重視します。 武が子どものとき、私が会議中に、突然家から電話がかかってきたことがあります。 武が朝スクールバスに乗って出て行ったのに、30分たってもまだ学校に着かない、 途中で降りてしまったんだと言うんです。 母親は、武がこのままいなくなってしまうのではないかとひどく心配していました。 私は言いました。かまわない、いなくなるならいなくなるだけだ。 男の子は自分で自分の責任は取れると信じるんだ。小さなことですぐ心配するなと」
結局、こういうことだった。武はスクールバスで学校の生徒と喧嘩をし、 頭に来て、さっさとバスを降りてしまったのである。 大人達は心配したが、午後になって、武はかなりの長い距離を歩き通し、 1人で家に戻ったのだった。
BBS
--------------------------------------------------- 金城武とその父 (2) - (続きです)
「子どものころから、ぼくは両親とあまり話したことがありませんでした。 嬉しいとか悲しいとか、すべて心の中にしまいこんでいたし、 痛いとか辛いとか、他の人に話すこともなかったんです。 今でも、他人に心の内を話す習慣はありません。 相手と長いこと話して、気持ちが通じてからでないと、話さないですね」 そのため、少年時代の金城武は、父母に「自分は何国人なのか」という 疑問をぶつけたこともほとんどなかった。
「子どものとき、人はぼくを見て、台湾人とは違うとわかるんですよね。 で、お父さんは何人? と聞いてくる。ぼくが日本人だと答えると、 じゃあ、君は日本人だねと言うんです。 でも、ぼくは台湾に暮らしていて、日本のことは全然知らない。 だから自分が一体何人かは、あまり考えないことにしました」
18歳のとき、彼は初めて日本を訪れた。 飛行機を降り、空港の「お帰りなさい」という看板を目にしてひどく戸惑った。 「ぼくはずっとその看板を見ていました。よくわからなかった。 台湾がぼくの家だ。なぜこの見知らぬ土地が、 ぼくを<お帰りなさい>と迎えるのだろう?」
成長するにつれて、金城武と父親は少しずつ距離を縮め、意見を交わし、 「友達父子(おやこ)」として心を通わせるようになった。 武が父親に、芸能界の仕事につきたいと話したとき、父親は初めは賛成しなかった。 息子を心配したからだ。
「彼は今はもう20歳を過ぎているけれど、 それでも私にはまだ子どもに思えて、とても心配です。 芸能界については、あまり良くない話をたくさん聞いていました。 それに、行き詰まったとき、何の保障もない。 それまでの努力は無駄になってしまうんです。ですから、心配しました。 しかし、私は思いました。彼を信じよう。 今は、彼がこんなに努力しているのを目にしていますから、もう反対していません」
今年の父の日、武は父親にゴルフクラブをプレゼントした。 初めての父の日のプレゼントだった。 父親が嬉しそうに笑ったのを見て、武は満足と、ある成就感も感じていた。 「ぼくはお父さんに知ってもらいたかったんです。 ぼくがもう大人になって、ものを買ってあげられるようになったんだって」
男前に成長した息子を眺めながら、金城節はこう言う。 小さい頃、武が間違ったことをして叱るとき、「視線は下を向いていた」と、 彼はてのひらを下に向けて、膝頭の辺りに手をやった。 「それから、このぐらいになって」と、手は肩の高さに上がった。 「目の高さが私と同じになったとき、私達は友達になったんです」 このとき、てのひらは眉の高さまで上げられていた。 「今、私が彼と話をするときは、こう言わなきゃならないんですよ ……すわりなさい、すわりなさい!とね」
成長した金城武は父母の心が前よりもよくわかる。 「両親がぼくを気にかけてくれているのはわかっています。 ときどき、やっぱりぼくの考えを本当にはわかってくれてないと思うこともあります。 でも、ぼくはこう言いたい。 心配しないでください、ぼくはもう大人ですから。 今は遊びまわったりしないし、悪いこともしない。一生懸命勉強しています。 これがぼくの選んだ道で、努力しながら歩いている。 失敗したって、別の道を選べます。 あなた方に、この子を生んだことで失望はさせない、 将来、必ず誇りに思えるようにしますからって」
親は、しかし子どもが健康でいさえすれば嬉しいのだ。 「彼の生活は昼夜逆転しており、日が出てようやく帰ってきて、 午後3時か4時ごろまた出かけていくという状態です。 彼が自分の身体を大事にして、それから自分の好きなことをしてくれさえすれば、 他に何も言うことはありません」
自分より頭半分ほども高くなった息子と並んだ父は、 息子と同じ色の普段着を着ている。 父が初めて息子と一緒にカメラの前に立ったわけは、 心路基金会のための公益CMのゆえだ。 心の中を語り合う父と子は、ますます友達同士のように見えた。 (民生報 1995.9.9)
BBS
| 2003年05月27日(火) |
金紫荊奨へのノミネート(1996年「天使の涙」) |
「天使の涙」つながり?になりますが、 3月5日の項(「無冠の帝王?」)で、この映画の演技により、 香港の金紫荊奨の最優秀主演男優賞にノミネートされたと書きました。 そのとき、武はものすごく喜んだそうです。
「天使」で金紫荊奨最優秀主演男優賞ノミネート 演技を認められ、金城武興奮
大陸で「馬永貞(暗黒街)」を撮影中の金城武は、 最近「天使の涙」で第1回金紫荊奨最優秀主演男優にノミネートされたと知らされた。 これは金城武の生まれて初めての映画賞ノミネートで、 撮影現場にいながら、思わず躍り上がって喜んだそうだ。 彼は台湾のマネージャーに電話を入れ、 月末には受賞式典に出席したいという希望を伝えた。
金紫荊奨の権威については疑問をさしはさむ向きもあるが、 金城武にとっては、初めて演技が正当に評価されたことであり、 また香港映画評論家協会が主催団体の1つであるから、 自分のやり方が認められたことに、彼は興奮し、喜んでいる。 この賞は優れた演技を表彰するもので、 本当に力がなくてはノミネートされない点で、 一般の賞とは違っていると、彼は受け止めている。 「演技派」をめざして頑張ってきた彼にとって、まさにタイムリーな励ましだ。
現在、ニューヨークではウォン・カーウァイの「恋する惑星」が上映中で、 武個人のポスターも出現して、雑誌広告にまで載っている。 彼は今、日本、香港、台湾、韓国などで大人気ではあるが、 機会があればアジアから外に踏み出して、 いろいろ違った作品に触れてみたいと望んでいる。 (民生報 1996.4.10)
努力をしてきた後だからうれしかったんでしょうね。 彼は、本当に素直に喜びますよね。 かといって、賞にとらわれることもないようですけど。
BBS
| 2003年05月26日(月) |
「鬼武者」中国語版売り出し●まぶたの話は昔から |
昨日、台北と高雄で「鬼武者」中国語版の発売が開始されました。 金城武は宣伝に来られなかったけれども、それでも 大勢のゲーマーが列を作り、SARS流行以来、珍しいにぎわいとなりました。
今回金城武の参加がセールスポイントになっていることで、 女性の購買者が増えるだろうと予測はされていましたが、 実際統計では、普通9割が男性のところ、 女性と男性の比率が3対7であったとのこと。
実際現場でも、行列の1番は4時間前から並んだ大学2年の女子学生。 ストーリーと配役がいいというのが、その理由だそうです。
このところのSARSの影響で、企業は大型のイベントは差し控えていますが、 発売元の藝電は、マスク500個を用意して臨ました。 今回、人気を呼んで売り切れという好成績を残した事で、 疲弊気味のゲーム業界には、一服の強心剤になるのではと言われています。 (星報より 2002.5.26)

BBS
--------------------------------------------------- まぶたの話は昔から - 8年前の台湾紙に、二重瞼になった写真とともに、 掲載された短い記事のそのまた一部――。
<一重瞼の金城武がどうして二重になっているのだろう? 実は武の二重瞼の謎の真相は、ウォン・カーウァイのせいで、 整形したわけではないということが明らかになった。
金城武のマネージャー、ヤウ・イージュンは、 「武が二重になるのは、いつも撮影が徹夜になったときなんです」と言う。 なるほど、この写真は「天使の涙」の現場で撮ったものなのだ> (民生報 1995.8.16)
しかし……不思議なのは、日本でもあちらでも、 武が整形したんじゃないかと思う人がいるんだなあってことですね。 確かにある意味、別人みたいな変わり方ではあるけれど、 彼の顔をよく知っている人なら(たとえ写真ででも)、わかると思うんですけど。 第一、瞼が一重になったり二重になったりって、 いろんな理由でよくあることだし。 それより何より、金城武が整形する人間かどうかっていったら、 まず、世界中の人がしたって、しない部類じゃないでしょうかね……
BBS
| 2003年05月25日(日) |
RE:ボツ(?)企画・ エドワード・ヤンとウォン・カーウァイ |
ボツ(?)企画・ エドワード・ヤンとウォン・カーウァイ - エドワード・ヤンとの話が具体的にあがっていた同じ1998年、 もう1本の映画が出演予定に入っていました。王家衛の「花様年華」です。 この年の8月の新聞記事によると、1年の後半にヤンとカーウァイの映画の予定がぶつかってしまい、 調整のためにマネージャーのヤウさんが香港に赴いたとあります。 その結果、先に出演の決まっていたウォン監督の作品に9月末に参加して、 その後、12月にヤン監督の新作に出ると話がつきました。
「花様年華」の武の役どころについて、ウォン監督は、 ほとんどできあがっているが、まだ明らかにはできない、 しかし武にとってこれまでにない、やりがいのある新しいものになるだろうと 言っています。 ヤン監督の方は、作品タイトルは未定、武の役についても 監督はまだ何も明らかにしていません。
これだけ具体的に報じられていたものが、結局、いずれも実現せず、 実際には「君のいた永遠」への出演となるわけです。 11月、シルビア・チャンが東京の武を訪ねて新作の話を詰め、 同月25日にクランク・イン。 憶測するに、シルビア・チャンのオファーはもっと前に行われていたのでしょうから、 上の両監督の話が原因はわからないながら、頓挫して、 こちらの浮上が可能になったのではないでしょうか。 カーウァイ作品の場合は、監督に原因がありそうですけれど。^^
そんな、こんな、見てくると、単なる風聞止まりのものも多いでしょうが、 彼もやたらに選り好みして断っているのではない気がします。 やはり、彼のよく言う「縁」……時期、様々なめぐりあわせが その仕事を可能にするかどうかに、大きくかかわってきているのでは? 映画もドラマも時間のかかる大きな仕事だけに、よけいそういうものに 左右されそうですし。 彼が出演した作品は、そういう中の幸運な実りであり、 大切に味わいたいと思うと同時に、このようにしてまかれてきた種が、 どこかで再び芽となって、花開く可能性も楽しみに見守りたいと思うわけです。
BBS
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この事情について報じた記事がありました。
金城武はウォン・カーウァイにかわいがられて、 その2年前に「北京之夏」に出演する約束になっていました。 この作品が改名して「花様年華」になったのですが、製作開始が例のごとく遅れ、 11月末からになってしまいました。 ところが、武は既に同じ11月末から「心動」の撮影に入ることが決まっており、 「花様年華」から降りざるをえなくなってしまったということだそうです。
エドワード・ヤンのほうですが、 武はこのころ台北にいて、朱延平とよく台北の喫茶店で話をしていました。 武は朱監督との間にもう1本映画を撮る契約になっていて、 監督は、ヤンに武のための映画を作らせようということだったのです。 ところが朱監督とヤン監督のこの仕事についての考え方にずれがあることがわかり、 さらに、ヤン監督はスタンリー・クワン、岩井俊二らとの日本映画の仕事を 先にすることになったため、武とヤン監督の仕事の話はストップしてしまいました。 朱延平は、「武に気の乗らない映画を無理にやらせようとは思わない、 仕事はあわてて一気に進めるのでなく、細く長くやっていけばいい」と話した―― ということです。 (聯合報 1998.11.18)
BBS
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